母は8人兄弟のなかの5人姉妹の一人である。 2012年5月に90歳となった母は只一人残っている長寿者である。が、先に逝った4人のうち3人は痴呆で家族は塗炭の苦しみを舐めている。従って、我が母も同様の遺伝子を持つと理解している。事実、事態は私の推測通りに進展しつつあった。そこで、母の最期をありのままに残したいと思い、経過を記録し始めた。途中、母の嫁さんに対する態度が尋常ではないことに気がつく。 いわゆる「嫁と姑」の関係である。痴呆が進み嫁さんに対する言動が常軌を逸する場面も多くなった。回想は母が死んでからゆっくりと思っていたが、元気な母を見ているとこっちが先に行きそうなので、母が生きている間の記録は私が生きている間に残そうと、2012年5月(母90歳)に 自分のサイトにありのままの姿を公開することを決意した。 今後、母の痴呆はますます進んでいく。 最終章まで私達の心身がもつかどうか定かではない。そういう意味でこの記録は母のボケと私達夫婦のボケとの闘いでもある。そしてこの長い闘いには嫁さんの協力が不可欠である。 |
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【一人暮らし】 |
母は、父が交通事故の後遺症による闘病生活の後に死んでから、今日までほぼ一人で暮らしてきた。(父享年74歳、このとき母62歳) 父が死去した2年後、私は子供3人の成長に対応するため少し離れた場所に新居を構え移住した。 母は私の新居が出来ても移住せず、まだまだ元気であるとのことで、父の作った思い出の家(1960年建築)、今は父の魂が住まいする家にそのまま住むことを決意した。 この家は1959年9月26日の台風15号(伊勢湾台風)による高潮で倒壊した我が家に対する国の被災者救援資金を活用して親父が同じ大工である兄弟の力を借りて作ったものである。 独居生活が18年続いた2004年春、嫁さんから中国大連で就業中の私に、母の異常な症状を聞く。症状は「足のしびれ」で、田んぼの中を歩いているような感触があり、一歩一歩がズブ、ズブと、ぬかるみに沈み込む感じで、歩きにくい状態とのこと。 それ以前に嫁さんは母の異常に気付き、地元の病院で9回にわたり検診してもらう。 5月から高血圧治療のため本格通院。血圧降下のための薬を各種処方される。 そこで、2004年7月、任務途中で中国大連から帰国し、母の介護に専念するため会社を退社。母は約20年間の一人暮らしに終止符を打ち、私たちの住まいに移転。(母82歳) 母は夫が作った思い出深い家を出るということがよほどの衝撃だったようで、医者や介護担当者から年齢を聞かれた時、迷わず82と答えている。この時の年齢82歳がいかに重く刻まれたかが分かる。以後、母は現在に至るまでずっと82と答えている。母の頭のなかには82という数字が焼き付いており、年齢を聞かれたときにはこの数字しか出てこないのである。 |
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【足のしびれ】 |
高血圧症状は一人暮らしによる野放図な食生活が原因と思われる。 食事も家族がおればみんなの健康を考えて献立を作るが、一人住まいとなって誰はばかることなく自分の好物だけの食習慣となってしまった。自分の好みとは、「肉類」、「コロッケやミンチカツなどの揚げ物」、「うなぎのかば焼き」、「味噌たっぷりの味噌汁」、このように、塩分たっぷり、脂分たっぷりの濃厚味である。 こと料理に関しては誰にも負けないと自負する母は美味しいものを作ること、そしてそれをみんなに食べてもらうことが生きがいであった。家族で外食するときでも、出てくる料理には容赦のない批評をする。それは時として、店員にも聞こえるように話すのである。 しかし、70歳を過ぎてからは得意な料理も面倒くさくなってしまい、揚げ物やうなぎなどは自分で調理せず、スーパーの総菜を買うようになってきたという。 このような食事を10年以上続けた結果、体質が改変してきたのであろう。かくして母の高血圧症状や高コレステロール血症などは乱れた食生活が原因で、自業自得と言える。ただ、このことと「足のしびれ」との関係はどうなのか解らない。 地元病院の主治医に「足のしびれ」について相談。現在、この種症状について学術的に研究中であるとのこと。そこで、母を検体として活用することを提案。2004年11月、大学病院にて検査入院のための検体調査を2回行ったのち、病室ベッドの空きを待って、2005年3月7日〜18日までの10日間検査入院した。 検査結果に基づいて処方された薬を2005年5月から服用。2009年4月ころ、服用4年間で「足のしびれ」症状が大幅に改善し、歩行に支障はなくなった。感謝感謝です!もうしばらく服用し、安定した状態が確保できたところで服用を終了することにする。 スムースに歩けるようになったので昨年から少しづつ進行している認知症状を予防するため、デイサービスの利用を決意。医師の診断と役場福祉課の介護等級審査で「要支援2」の認定を受ける。 我が地域には16か所の介護老人福祉施設があり、我が町には2か所ある。いずれも順番待ちの様相ですぐには利用できない。幸いにも母はまだ要介護者ではなく「要支援者」である。 そこで、要支援者を対象とした施設を紹介してもらい、そこにお願いした。 |
2009年(87歳) |
【デイサービス開始】 |
2009年5月1日、デイサービスの利用開始。(87歳) しかし、本人はあまり気乗りしない様子。毎回迎いの車に乗るのが大変だった。迎えが若い男性だと渋々ではあるが、手を取られて出かけるが、女性だと文句ばかりでベッドから出ない。なので、私が機嫌を取り、後から連れて行くことも多くなる。帰りは ニコニコ顔で問題なし。 デイサービスが半年くらい経過するころ、「面白くない」とか、「あんなとこは私が行くところではない」とか言い出し、拒否反応が激しくなってきた。最終的には約1年で利用中止となった。理由は母の利用態度が施設の受容能力を超えてしまったからである。詳しくは 2009年の利用状況詳報 参照。 |
デイサービスと自宅とでは当然のことながら態度(行動、言動)は違うものである。他人に対しては自己主張を抑えて、相手と妥協しながら、穏やかに共存する理性が働いている。これがすなわち「処世術」である。しかし、自宅では親子関係、嫁姑関係などで自分の立ち位置を判断し、共存する理性より自己主張の方が強くなりがちである。俗に言う「内弁慶」で、外面は温厚な立ち居振る舞いで尊敬されるが、家では自分勝手な我が儘人間に豹変する。
しかし、自分勝手もある程度のところに留まっておれば、年寄りの我が儘として許されるが、これが度を起こすと人間関係が悪化する。我が地方ではこういう人のことを「意地を固辞」するという意味で「意固辞」(いこじ)と呼ぶ。意固辞な人は大方が陰口叩かれて嫌われている。
痴呆が進むと我が儘の度が高まる人が居る。わが母は姉妹の様子から遺伝的にこのタイプのようだ。今後どのように進展するか不安である。できれば「カワイイ我が儘」の段階で留まって欲しいのである。
例えば、子供が自分の欲しいものが買ってもらえないとき、店先の床に座り込んで「ダダ」をこねる状況である。ダダをこねた時、相手が折れてくれれば自分の言い分(我が儘)が通ったことになり成功である。通らなければ失敗で、今後のダダのこね方を再検討しなければならない。子供ならダダをこねて行くうちにこのような場合の対処法を学習し、さらに進化させていく。
しかし、思考回路が子供に戻っていく老人の場合は学習機能が劣化しているので、なかなかこのようには出来ない。また状況は刻一刻、変わっていくので相手をする人間には俄かには対応できず、悩みは尽きない。
一人暮らしが出来ている時代は買い物、来客対応、畑での野菜作り、庭での花樹栽培(特に菊花)、老人会でのカラオケなどなど、刺激は盛りだくさんあった。しかし足がしびれはじめ、歩くことが不自由になり、同居するようになると野菜作り以外は遠ざけるようになった。その野菜作りも少しづつ手抜きし始め、見るに見かねて私が手を貸すようになると、それを理由にますます後退して行った。
ときどき隣町に住む母の弟がバイクに乗って遊びに来てくれた。ネギの苗を持ってきて畑に植付けるなど、いろいろ気を使ってくれたが、その彼もバイク運転が覚束なくなり足が遠のいた。 外部との刺激が少なくなっていくと会話も対面も家族だけとなり、どんどん内弁慶化していく。 (外に出るのは、ほぼ毎日の家の前の散歩と週1回程度の外食・畑散策)
かくして、デイサービスの目的は只一つ、「非日常の強化」である。
このような悩み尽きない介護者両者が正しく状況を把握するため、デイサービスでは「連絡帳」により利用状況を私たち家族に報告する。私たちは本人の家庭での生活状況を同じ「連絡帳」に記述し、施設に報告する。こうすることにより双方の疎通が図れるのである。
前表は最初のデイサービス(2009年5月)の5回の利用状況をまとめたものである。 この時点ではほとんど何の問題もない。が、5月半ば頃、何か変であることに気がついた。 連絡帳だけでは母の痴呆を記録しきれないので、介護日記をつけることにした。 |
【耳鳴りで眠れない】 |
いままで服用してきた数々の薬の副作用なのか、はたまた痴呆の前兆なのかよく分からないが、耳鳴りは少しづつひどくなっている。主治医に相談しても納得できる回答がない。あまりに苦しむので耳鼻科医院で診察してもらい、薬を処方してもらい服用したが効果なし。逆にフラツキが出たりしたので服用を中止。
しかし、この耳鳴り「ジージーガーガー」は最後の最後まで母を苦しめた。 |
デイサービス開始から利用停止(2009年5月〜2010年4月)までの血圧値と脈拍数の推移 |
【2009年のトピックス】 |
@ 自宅の風呂に一人で入る A 知らない間にガスコンロを点火して調理する事件発生。留守するときはガスの元栓を閉める。 B 廊下やトイレの壁にデイサービスや診察の日などの行動予定を事前に張り紙して知らせる。 C 自分が食べ終わった食器類は自分で洗っていたが、いつの間にか放置されるようになった。 D ”足のしびれ”の治療薬は5年近く服用してきたが、最近はしびれの訴えがなくなった。 そこで、主治医に当該薬剤の服用中止を希望した。 検査入院して適切な治療薬を提供してくれ、完治したことに心から感謝したい。 E 薬のことで主治医に相談する。 「血圧ほか治療薬を服用しているが、母の症状から不要なものがあれば減らしたいと、要望。 F 一人暮らしの長い間、買い物や医者や銀行などとのお金のやり取りはすべて一人でやってきた。 しかし、年末最後の検診で受付と清算を初めて私が代行した。(この状態は以後ずっと続く) 今までの自信に満ち満ちた自慢の人生が終焉しつつあることを強く感じた。 |
人生いろいろ!痴呆もいろいろ!介護もいろいろ! |
2010年(88歳) |
【耳鳴り「ジージーガーガー」をなんとかしてくれー】 |
2010年は就寝だけでなく日中も耳鳴りを訴えるようになった。 夜な夜な枕元にやって来て、「なんとかしろう」「なんとかしろう」と訴える。 どうすることもできず、ただただその叫び声を聞き流すだけだった。 |
【ショートステイ利用開始】 |
母の状態が急変した昨年末に、支援サービスだけでは家族が参ってしまうと思い、役場に相談。 2010年1月26日、職員が来宅され、母を交えていろいろと話をした。 翌27日に病院で医師による診断と面談を受け、2月に「要介護1」の認定が下りる。 これでショートステイなどの利用が容易になった。
2月はデイサービスを強烈拒否で利用ゼロ。 これではいけないと思い、介護施設やケアプランナ―に相談して、認知症の進行を抑えるための方策としてショートステイを決意。 試験的に2月22日〜24日までの2泊3日の利用を決心。 自宅とは異なる生活環境で非日常の刺激を受けることによる脳機能の活性化を期待したい。 |
【デイサービス再開】2010年4月16日から週2回(火・金) |
要介護認定者を対象とする事業者とのデイサービス契約締結。(母88歳)米寿 課題>@安全入浴(身体清潔保持)、A家の外に出て。有意義な時間を過ごす(非日常の体感) |
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4月からは再びデイサービスを利用できることとなったが、妄想・独り言・悪態が顕著となったことから改めて、介護認定を再申請。7月に「要介護2」の認定を受ける。 |
【全薬剤服用無用化達成】2010年12月から全ての処方薬を 無くす |
これまで計画的に薬を減らしてきた。 残っていた血圧関連の薬も5年間にわたる「食事改革」(塩分控えめで濃い味脱却、油脂分控えめで揚げ物肉類激減)、代わりに魚介類を増やし、味噌汁も薄味化したことで血圧も180mmHgから130mmHg前後にまで下がり安定した。しかし、食事が自分の好みと異なること、歯と歯茎の劣化による咀嚼力低下、そして味覚の変化もあり食事摂取量が激減。結果、体重は8ヶ月で10Kg減り、40Kgとなった(BMI値は24.1から19.3に、肥満度は9.5%から−5.6%に変わった)
医師に相談して、カロリー補給用栄養剤「エンシュア・リキッド」250mlを食事補てんのため飲用することにした。試験的に「コーヒー味」と「バニラ味」を本人に飲ませたところ、体層気に入ってもらえたので採用。 |
2010年4月〜2011年2月までの血圧、脈拍、体温の推移 |
2010年4月〜2011年2月までの食事摂取量(10>100%、0>0%)と体重(Kg)推移 |
体重 50Kg 49Kg 48Kg 47Kg 45Kg 44Kg 43Kg 42Kg 40Kg 39Kg 38Kg |
【2010年のトピックス】 |
@ ごはんを半分残す。残ったごはんを捨てる。部屋を間違える。 A 昼食の支度は今まで自分でやっていた。が、ガスを止めた所為か全くやらなくなった。 B 食器洗いも全くしなくなった。 C 「腹が減ってたまらない」という。 D 昨年3月の介護認定で来宅した職員(要支援2の認定)が再来宅。 職員の質問に答えるばあさんがその途中途中で嫁さんの悪口を小声でささやくように挟んでいた。 昨年ではこのような嫁さんを卑下するような言動はなかった。 職員が帰り際、玄関口で、嫁さん の日常がいかに厳しいものであるかを悟ったと言い、 嫁さんのストレスが並大抵ではないことを理解してくれた。
E 服用する薬の量>朝4粒、昼なし、夜1粒、寝る前2粒<計7粒 H 2月、「要介護1」認定
4月の体重50Kgが40Kgに激減。 |
人生いろいろ!痴呆もいろいろ!しかるに、介護もいろいろ! |
2011年(89歳) |
【体重の減りが止まらない(*_*;】 |
食事に対する好き嫌いがひどくなり、自宅でもデイサービスでもショートステイでも摂取量が激減する。 【腹が減った!腹が減った!】という、訴えがなくなった。 |
体重は7月まで下がり続け35Kgとなった。結局、15ヶ月で15Kg減。毎月1Kgのダイエットとなった。 当初BMI値24.1(肥満度9.5%)がBMI値17.1(肥満度−22.3%) |
その後、年内いっぱいまでは35と36の間をさまよった。体重は底を打ったようだ。しかしその後の食事摂取量はムラが多く、36kgから38Kgまでを行ったり来たり している。 |
2011年3月〜12月までの食事摂取量(10>100%、0>0%)と体重(Kg)推移 |
体重 37Kg 36.5Kg 37Kg 35Kg 36Kg 35Kg 36Kg 36Kg |
2011年1月〜12月までの血圧の推移 |
【2011年のトピックス】 |
@ 介護施設から食事摂取について、「本人の好きなものを食べさせるとよい」との助言を頂いた。 しかし、好き勝手なものを食べていたから医者の世話になるほどの身体になってしまったのであり、この提案には賛同できない。厳しい食事制限で薬ゼロ人間になったので、元に戻す気はないと反論。 A 自宅での食事態度は最低だ!かといってデイサービスのようにお上手言って、手を取り足を取りの対応はできない。子としては親の節度を求めてしまうので、いい加減な態度は我慢ならない。言うことを聞かなければパンチも出てしまうので、一緒には食事できない。
B 昼食が二つの献立から自分の好みで選択できる”選択食方式”となった。
C デイサービスではレストラン同様、食器をお盆に載せている。
D 歯茎の劣化、歯の脱落などにより、大好物の米飯、肉、タクアンなどの歯ごたえのあるものは好まなくなったご飯は固いと食べられない。かと言って軟らか過ぎても、【わしゃ病人じゃない!お粥はいらない!】と、怒る。ご飯は軟飯と言われる適度に軟らかいものが良いのだが、なかなか気に入るようには炊けない。 E トイレと入浴はまだ、一人で出来る。突然シャワーを浴びたりもする。 F 意地悪ババアの本領そのA、「医者に行くよ」とか「デイサービスが迎いに来たよ」など、バアさんの意に反する行動を持ちかけると【ちょっとトイレに行ってくる】と言い、用が済んでもなかなか出てこない。トイレが”駆け込み寺”ならぬ”駆け込み厠”化している。逃げ込んだら最後、いつまでたっても出てこないので、最後の手段「引きずり出す」ことになる。この時出る言葉は決まって、【親に向かってなにすんだ!】
G 食事とトイレ以外はほぼ終日、布団で横になっている。デイサービスはレクやおやつなど時間帯により様々なイベントがあり、一人で休んでいる暇はない。しかし、ショートステイでは個室のため静かに居室で過ごすことが多く、朝食や昼食を食べないことも多いという。なんとかして欲しいが、施設としては本人の意向を重視するため食べたくない人間に無理やり食べさせることはしない。 H こんな態度に困っているとき突然、一人で表に出て家の前の公道を散歩したり、庭に出て草を取ったりすることがある。
I 体重は1年半で約15Kg減少。痩せて骨皮になったが、妄想悪態は絶好調。明け方近くまで続く事もあり、元気いっぱいのバアさんです。が、腹が減るのか食べた事を忘れるのかアチコチ探し回り、無茶苦茶! J 昼夜逆転し、夜行性化したバアさんの夜間の行動は更に激しさを増す。
K 夜間家内徘徊が多発。暑さ寒さの体感能力が低下しているので、冷房(扇風機)や暖房(ガス暖房+電気毛布)等の器具の温度調整が難しくなってきた。 M 【薬くれ】騒動再燃 M 嫁いびりは収まる気配すらなく、激化の一途。最早、顔を合わせることも出来ないほどだ! N 年2回の検診では、血液に異常なく、過去の問題点(血圧、コレステロール)が一掃されている。 |
歳をとったら ”尊敬される親”か!”可愛らしい年寄り”か!の、どちらかになりたい |
2012年(90歳) |
昼夜逆転、幻聴、妄想、独り言(悪口雑言)が常態化 |
一人になると寂しいのか幻聴(死んだ兄弟との会話)が頻発。 自分の行動の意思は全て幻聴からもたらされ、自分の意思がなくなってしまった。 |
妄想から生まれる独り言は家族を攻撃することばかり! 聞くに堪えない悪態を、繰り返し繰り返すあまりのしつこさに思わず手が出てしまう。 手を出せば止まるが、手を出さずに黙っていると留まるところを知らず。 |
2012年1月〜12月までの食事摂取量(10>100%、0>0%)と体重(Kg)推移 |
体重 36Kg 38Kg 38Kg 38Kg 37Kg 35.5Kg 37Kg 36Kg 37Kg 36Kg |
2012年1月〜12月までの血圧の推移 |
【2012年のトピックス】 |
@ 体重の減少は36Kgほどで落ち着き、体調も悪くないのでほっとしている。
A
体重の測定値が施設(デイサービスとショートステイ)により大きく異なる。 B 食事のこと、薬のことなどあれほど拘っていた事柄に執着することがなくなってきた。
C
思い出したように歯を磨いているが、歯磨き中に歯がポロッと抜け落ちることもある。
D
デイサービスやショートステイの食事は味付けが気に入っているようで、摂食率がよい。 E 総じて、食事は甘目の味付けなら何でもOK。 すなわち、ご飯は餅米を使った「ぼた餅(おはぎ)」、おかずは「甘辛い肉・野菜入り味噌煮」や 「鯖の味噌煮」、「魚の照り焼き」などとなる。 F 昼夜逆転は2年目に突入。夜行も常態化し、二人とも諦めの境地。介護施設からは認知症の典型的症状と言われたが、ゆっくり寝ることもできず憤懣やるかたない。
G 幻聴、妄想、による悪態(悪口雑言)は聞く者の限度を超えてきた。 H 年2回の検診もままならない。薬の世話にならなくなって2年目になるが、外に出かけることが億劫になってきたのか「病院に行くよ!」と誘うと、【どこも悪くない!】と拒否する。
半年ごとに検診しなければならないが、思うようにいかず、時期がずれると主治医から「無理やりにでも連れてきなさい!」と、注意される有様。レントゲン、血液、心電などの検査結果は心電以外は問題なし。 |
憎まれっ子世に憚る! トイレと食事はしっかり一人で出来る!元気いっぱいのバアさん(#^.^#) |
2013年(91歳) |
<家族の崩壊> |
<足腰の強さ> デイサービスの世話になって早4年になる。 元々体力はあったが、布団で横になる習慣がいつのまにか出来てしまい、その結果足腰が弱くなった。 進んで散歩することも減り、急速に足腰が弱くなってきた。夜中、腰が痛いと言いながらトイレに行く途中「ドテッ」と転ぶことも増えてきた。今までは「歩けなかったら這って行け!」と、叱咤してきたが最近の様子は尋常ではない。 |
<寝具の件>
しかし、本人が耳鳴りの原因が寝室にあると
言い張り、仏間などへの移動を再三要求した2010年3月にベッドを止め、床に布団敷きとした。 |
<帰宅願望> 施設から、「玄関の外で息子さんの車が来るのを30分以上待っていた」、「帰宅願望が強くなり、帰りたいと怒鳴っていた 」などの報告が多くなった。 |
<在所の兄姉がよく出現する> 痴呆の進展とともに結婚後の長い人生より、多感な幼少時代の記憶の方がより鮮明に蘇ってくるようだ!結婚後の第2の人生より子供のころの思い出の方が強くなるのは、この種病気?の特徴なのであろうか? 子だくさんの兄弟姉妹のなかで一番よく現れるのがとっくに他界した長男である。 【あんちゃん、あんちゃん】と呼んで、【早よう迎えに来てくれ!】とか、【何をグズグズしとる!】とか、【玄関開けて待っているのに、いつまでかかるのだ!】などと叫び続ける。
姉妹ではすぐ上の姉が頼りにされている。(姉は10年ほど前に他界) 伊勢湾台風で住まいの借家が高潮で流され、姉を頼りに住まいを確保。 土地の世話もしてもらい翌年、大工の親父が被災者に対する金融公庫融資で家を作り定住することとなる。親父が事故で他界(74歳)したあと、ズッと心の支えになってくれたのが姉であった。何かにつけて姉さんの名前が出てくる。 気に入らないことがあると、必ずこの二人の名前を大声で呼び、【早よう、わしを連れに来てくれ】と何度も何度も懇請する。毎日一緒に生活している人間より、まだ生きていると思っている在所の兄や姉にすがる。なんとも不憫である。 |
<入れ歯作成> 食べることが大好きな母の大好物、「肉」や「溜まり菓子」を食べさせたいと思い入れ歯を作った。 ただ、顎や歯茎の衰えで入れ歯を支えることが出来なくなっている可能性もある。 僅かな望みであっても、母の喜ぶ顔を見たい。 |
2013年1月〜12月までの食事摂取量(10>100%、0>0%)と体重(Kg)推移 |
体重 36.5Kg 38Kg 38Kg 38Kg 38Kg 38Kg 37Kg 38Kg 37Kg 37.5Kg 37.5Kg 37Kg |
2013年1月〜12月までの血圧の推移 |
【2013年のトピックス】 |
@ デイとショートの体重の測定方法(衣服の有無)を統一し、かつ測定機器の検査を実施してもらった結果2Kgほど増えてしまった。今年は2月から38Kgで推移しており、BMI値は18.8(肥満度ー14.5%)で安定している。2月には初の外食ツアーにも参加した。 A 食事態度(足を組み、飯台から遠く座る)が悪く 、落ち着きがない。食べ物を箸で持ったまま視線をキョロキョロ動かすのでポロリと落としてしまう。確かに90歳超えの老婆が自分で箸を持って食べることは立派なことではある。しかし、普通箸で摘まんだらそのままわき見をせずに 、それを口に運ぶはずであるが、この人は摘まんでからアチコチ見ながら、喋りながら、よそ見しながら口に運ぶのでこぼすことが多く、食卓の周りはゴミ箱のようだ。
デイサービスでもテーブルから遠くに座るが職員が介助してテーブルに近づけてくれる。 我が家では昨年来、朝昼夜着座指導しているが全く無頓着。 足を組み、離れて座ることがしっかり記憶されており、元々このような食事スタイルだったと思える。 何か言いようものなら、嫁さんの顔を横目でにらみ、毒舌をは く。だから二人の気分は最悪!
B 口が痛いというので見ると歯が2本抜けており、くちびるがはれぼったくなっている。
C 注意力低下について、デイ施設のアドバイス
D 耳鳴りは我慢できないほどになりつつある。
E デイサービスの迎えには昔の口癖【今日は頭がボーとする】とか、【めまいがする】とか言い訳けする拒否反応
や【薬がない】などの記憶が戻ることもあり、生活態度は一進一退である。
F 妄想・独り言・幻聴
G トイレで便の付いた紙発見。自分で拭いていたが、拭き方がメチャクチャなので手に付いた便がアチコチ(手すりや廊下の柱など)ついているのではと思い、雑巾で拭いて消毒スプレーで殺菌した。
まだ一人で排尿排便できるが下着の上げ下ろしが
不完全なので粗相につながってしまう。 昨年12月にトイレの場所を示す貼り紙をしたが、最近これを見ても場所が分からなくなった。 目は良く見え、字も読めるが貼り紙を意識して見ようとしなくなったようだ。
我が家の部屋の場所忘れが1か所増えたので貼り紙追加>台所・食事
H 初めて「介護者のつどい」
に嫁さんと参加。テーマは我が家の今日的課題「オムツの選び方」
尿パッドが帰宅後、廊下に落ちており、更にトイレットペーパーが陰部に当ててあった
トイレでゴソゴソしているので見たらパンツ、ズボンなど脱いで下半身スッポンポン!
ただ、施設では尿意も便意もあり、トイレの場所が分からない時はきちんと訊いている。
我が家のトイレはいつの間にか気に入らないことがあった時の“駆け込み寺”化している。 トイレには入るが必ずしも排泄せず、幻聴妄想などの影響で独り言していることが多い。 |
「デイサービスへの期待」それは「非日常の実現」! 施設の懸命な 介助と、介護計画の策定と、家族との三位一体の協力関係で少しずつ実現!とてもありがたく!とてもうれしい! |
2014年(92歳) |
<介護施設への年頭のご挨拶> 穏やかな正月は今年の平穏を期待させます。
皆様の心遣いに感謝申し上げるとともに、母がお天気のように穏やかに過ごせるよう祈ります。 |
<入れ歯作戦失敗> バアさんに好きな肉や硬い溜まり菓子を食べてもらおうと、昨年末から製作開始。 手を尽くしたが、歯茎の変形と劣化で3D画像から作った入歯ではあったが、違和感がひどいようで、食べ物を口に入れた直後、口の中に手を入れて外してしまう。 入れ歯に慣れてもらおうと寝るとき以外は入れ歯を装着した。が、いつの間にか外しており、それがどこにあるのか分からない紛失事件が頻発した。 何度か増し締めし、これ以上は締め付け出来ないところまで締めたが、それでも外してしまう。 結果、まともには使用されずお蔵入りとなった。 今後は、ギンさん並みに歯茎が強くなり歯化し、歯がなくても噛めるようになることです。頑張れバアさん! |
<発熱事件> 2月、施設で体温計測のところ、37℃台で鼻水・鼻声・咳症状。午後確認で、38.3℃まで上昇した。 が、本人は意に介さず元気にレク参加。翌日の自宅では特に異常なし。 翌翌日は朝37.3℃だったので、夕方病院に出かけ診察受ける。
病院での検温結果>36.3℃
ズット食欲もあり、傍目には何の異常もない。血液検査結果>風邪ではない。 かく言う私もワクチン接種は今だかって受けた事がない。風邪かな?!と思ったら、即座に「ルル3錠」のんで寝れば、朝には治っている。風邪薬「ルル」は私のために開発されたようだ(●^o^●) |
<自宅での検温が難しい> 体温計を脇の下に入れるが、これがなかなかうまくできない。 ゴソゴソ動き回るので体温計がズレたり、外れたりして、まともに測れない。 施設では緊張しているので、介護士の要請におとなしく従っているようだ! |
<トイレまでの廊下に全行程手すり設置(日曜大工)
> コーナー部は傾斜の手摺りを設置した。我ながら良くできたと、嬉しい(*^^)v |
<食 事 ・ 排 泄> 食事量の増大に伴い、排便も多量化している。我が家でも量の多少はあるが、ほぼ毎日排便している。 快食・快便なので体調は良好なのだと有り難く思っている。 粗相も増えつつある。今はまだ一人でトイレできるが、足腰の衰えと2足立地の手ぶら動作が難しくなるので、いづれダメになるだろう。ただ、自分ではしっかりやっている気持ちが強く、世話になっているという気持ちが少ないのが残念である。
歩行が困難となりつつあり、トイレでズボンやパンツの脱着がまともに出来なくなっている。 |
<体 重> 過去に施設での計量値が大きく異なることがあり、「衣服着用」に統一したはずであるが、まだまだ徹底していない。1月から3月で3Kg増となった。体重計を更新したということであったが3Kgの誤差は容認できない。 自宅にも体重計はあるので、着衣状態でで測定したこともあるが、本人がじっとしていないので、また長くは立っておれないので、現実不可能であった。そこで、計量は施設にお願いすることとなった。 体重は血圧同様、主治医に聞かれるので必要なデータである。 |
<帰宅願望>
その@ そのA
施設の助言>女性は結婚前の若い時に感覚が戻っている人が多く見られる。認知症という病気は新しい記憶から順に忘れて行くためだと思います。 |
<耳鳴り・暴言> 昨年ひどかった耳鳴りは今年に入って訴えることがほとんどなくなった。 また、【早く迎えに来んか――」などの暴言もなくなった。 ただ、耳が遠いことは同じなので、会話はほとんどできない状態。
他人の話を聞かないのではなく、聞こえない。 |
<ショートステイ中心の介護>
3月から妻の体調不良でバアさんの自宅介護が難しくなった。
さらにショートステイ1ヶ所では不十分なのでケアプランナーに追加計画をお願いする。
4月からはさらにショートステイを増やし、施設での介護体制を強化した。 5月はデイサービス4回、6月は土日以外すべてショートステイにしたためデイサービスゼロ。
以降も基本的にはショートステイを多用し、デイサービスの世話になったのは次の通りであった。 |
”老老介護 無残” 家族の健康異変で、自宅介護困難! ケアプランの再検討と、介護施設の 積極対応で、家族の苦境を打開! とてもありがたく!とてもうれしい! |
2011年3月〜2014年12月までの食事摂取量(10>100%、0>0%)と体重(Kg)推移 |
体重 37 35 36 38 37 36 38 37 34 35 36 35 36 |
2011年3月〜2014年12月までの血圧・脈拍・体温の推移 |
2015年(93歳)>要介護4(3月19日認定) |
@ 2足歩行困難>車いす生活 |
A 自力排泄困難>2本足で立ち止まることができないので1人で下着を脱げない |
B 自力飲食困難>食器を持ったり、箸やスプーンなどをうまく使えないので、こぼすことが多くなった |
C 大半をショートステイの世話になっており、自宅で食事することがなくなった。 |
デイサービス利用状況>年間6回累計471回 |
ショートステイ利用状況>年間331日 |
11月24日、特別養護老人ホーム入所 |
体重>36Kg〜37Kg |
2016年(94歳)特養生活 1年目 |
@ 食事>食器を持つことはできないが、食欲はまだまだ旺盛(^_-)-☆ しかし、箸やスプーンが使いにくそう |
A 5月健康診断受診 <結果> 肝機能・脂質代謝・糖代謝>A 低蛋白・尿酸(痛風)・血球検査・胸部X線>B 腎機能>D |
B 施設の夏祭りに参加 |
C 次男の新築住宅を見学 |
D 風邪をひいたことのない母なのでインフルエンザワクチンの摂取要請をお断りした。 施設は不安そうであったが、母が風邪で寝込んだことなど見たことがない。ただ、その実績だけで辞退した。 その後なんの問題もなかった。免疫力があるのに、わざわざワクチン(病原菌)を投与する必要はない。 闇雲(無差別)に投与せず、1人1人の免疫性を血液などの検査で確認し、不要な人に適用する無駄と危険性を回避して欲しい。と、いつも思っている。
私も母同様、インフルエンザワクチンを接種したことは一度もない。
ちなみに私の長男は幼児期(1970年初め)の「3種混合」接種で体調異常となり、「川崎氏病」(当時はこのように呼ばれていた)と、診断された。 このようなことは2度とごめんである。 |
E 歯茎の劣化なのか歯が抜け、純銀製の入れ歯が落ち始めた。 歯がなくとも100歳長寿の金さん銀さんのように歯茎で咬めば良いのである(●^o^●) |
2017年(95歳)>要介護5(4月1日認定)特養生活 2年目 |