痴呆とともに 2010年
【2010年1月のデイサービスと介護日記】 <自宅での挙動と所見> @ 年末年始はボケまくっていた。帰省した子供家族にも実態を披歴してしまった。
年末年始の悪態は孫たちが帰ると治まった。 A 親子の関係ではデイサービスのようには対応できない。私の個人的な親子観なのかもしれないが、親としての尊厳が認められないとき、そしてそのことを本人が自覚していないとき、最早親として認めることはできない。生きることは大切であるが、その生を謳歌出来ないとき、人はどう生きればいいのであろうか! できることなら”可愛いい年寄り”になって欲しい。
B 母の状態が悪くなることはあっても、良くなることがないと思うと残念でならない。
2010年1月5日(火)>
今年最初のデイサービスの日であるが、年末年始の急変ぶりで、もうダメなのではと半分諦める。
9:00になっても起きてこないので覗くと再び布団の中だ。デイサービスが迎えに来た。
私が枕元で「今日は今年最初のセンターへ行く日だよ」と叫ぶ。が、【何?】と振り向くだけ。
これから顔を洗って、葉を磨いて、朝食を食べていたら30分以上かかってしまう。 とにかくばあさんを自宅から追い出し、別世界を体験させることがとても大切なことだと思い、デイサービスを考えていた。しかし、今ではばあさんより私達夫婦にとってのほうがとても大切なことになってきた。
一日中、訳の分からない悪口雑言を聞かされる苦痛から解放され、ばあさんのいない静寂な世界が夫婦にはとても必要なことである。 娘家族が10:00頃帰宅。これで帰省者12人が全員いなくなった。
20:00頃から【ジージーガーガー】を訴える口調が強く、かつ、頻発してきた。 ばあさんの“ジージーガーガー“は当初は耳鳴りだと思っていたがそうではないようだ。脳からきているとしたらどこに移っても簡単には解決しない。しかし、私達の居る居間に来ると多少は良くなるようなので、“静寂さ”と関係あると考え、嫁さんと重たいベッドを縦にして、座敷まで運ぶ(21:30頃)
これで静かに寝てくれるかと思えば、やはりと言うべきか、しばらくして【まだジージーガーガーしている】と嘆く。「あなたの希望通りベッドをここに移したのであるから、とにかく今日のところはここで寝て欲しい」と、懇願。しかし、この後も繰り返し繰り返し【元の場所に戻してくれ!】と、訴える。 ばあさんの希望通り元に戻しても同じことなので頑として拒否。以後、夜中に何度もいやがらせの行為(電灯点灯、悪口雑言)は続くが、ジッと耐え、ひたすら無視する。 2010年1月6日(水)> 一晩中、騒いで困らせた本人はケロっとして新しい寝室でウロウロするばかり。 場所が変わったことについての反応もなく寂しい限りである。当分のあいだここをばあさんの居場所にするが、ジージーガーガーは治まりそうにもないので我慢の日は続きそうである。 10:00頃、役場福祉課担当者来宅。ばあさんの様子についていろいろ質問あり。 2時間以上にわたり、ばあさんの様子と私の悩みや思いを恥も外聞もなく率直に話した。 目的がばあさんの様子ではなく、介護者である私のケアではないかと思えるほどであった。 私も喉が涸れるほどしゃべった。 ここで、グループホームの話が出た。本件は既に先月、主治医に相談したが現実には順番待ちの人がたくさんいてすぐには困難であることが分かっている。また、要支援認定では資格要件不足で順番にも入れないという。福祉課担当者は再認定審査を受けて、要支援から要介護に認定を上げないと無理と言う。 介護認定を見直すためには認定医師の診断が必要になる。ということでそちらの担当者とのコンタクトを要請される。(翌日、役場担当者から電話あり、26日(火)15:00〜と決定) 2010年1月8日(金)>今日はデイサービスの日 起床が遅く、迎えに間に合わない。朝食までは無理なのでパンとヨーグルトと薬を持たせる。 z迎えの彼氏には随分と待たせてしまった。 1月9日までは年末年始の 悪態が継続した。 なかでも“ジージーガーガー”、“テープレコーダ悪口”はますますひどくなる。この音を発生させている犯人は“私”になっている。だから私に【この音を消してくれ】と頼む。が、この音は本人の脳で発生しており、外部から入って来たものではない。 当初は「はい!消したよ!」と、ごまかしていたが、これが効果がないと知ると、【なんでそんなにいじめるのだ!】と、泣く。だからごまかしは通用しない。ただ、本人が感じる?、聞こえる?、不思議な音はいったいどんなものなのであろうか?気になる所でもある。次回検診時に先生に訊いてみよう。 夕食後、居間で団らん。しかし、しばらくして【テレビの音が小さい!】という。音量はレベル12。夜中ではOKだが今は少し小さいかな?そこで、レベル16までアップ。まだ小さいというから、どこまで上げれば聞こえるかテストした。 レベル25で聞こえるようだが、これではうるさくてたまらない。こんなに大きな音では近所迷惑だ!そこで、レベル18まで下げる。と、【何でいじめるのだ!」と、怒る。 確かにばあさんの聴力は急激に低下しているようだ!かといって、ばあさんに合わせることもできない。そこで、「もう少しテレビに近寄ったら」と勧める。と、【何でそんなことしなきゃ】とぐずる。 こんなようなやりとりが続くが、苦情は納まらない。あまり執拗に文句を言い続けるので緒が切れた。 ティッシュペーパーの箱を床にたたきつけ、「何をいつまで文句ばかり言っているのだ――」と、怒鳴り声をあびせる。ばあさんは私の余りの形相に圧倒されてキョトン!大人しくなった。 自宅では身内ばかり。その中でも母親は一番の位置にいる。無理難題言っても誰も文句は言えないだろう。と、十分理解した上での知能犯である。ましてや相手は自分が腹を痛めた子供と 、その嫁だ。 はなから文句言う方がおかしいと思っている。 そんな認識の時、一番信頼している息子が血相変えて起こっているのであるから尋常ではないことぐらいは分かる。ただ残念なのは、なぜ私が血相変えているのか、尋常ではないのか、が飛んでしまっていることである。悲しいかな、大声で怒鳴られた事だけしか覚えていない。 ただ、大声でばあさんを叱ることがばあさんの脳を刺激することだけは確かである。 この方法はとても効果がある。そこでこの手法を最後の手段《驚愕の恐怖心誘発剤》と命名し、今後有効に活用しよう。 夜中、私達の寝室に入って来て、【ジージーをなんとかしてくれ】と、懇請するバアさんに何もしてやれず、ただひたすら無視するしかない自分たちが悲しい。音声>100109-2m11s-2.0MB 2010年1月10日(日)>今日は奇跡の一日であった。 バアさんが本来の母親に戻った!一日中優しく、愛情あふれる物言いで終始した。 本当に奇跡の一日であった。 午後からはズッと居間でテレビを見る。普段テレビを見ないバアさんとしては本当に珍しい。 民放のSMAP特集を見ながら、自分のことを棚に上げて【歳とったねー】とか、【こんな面白い番組見たことない】とか、夜の番組『仮装大賞』では喜々として見ていた。 21:00、【もう寝る】と言い、用意してあった眠剤をのんで休む。 夜中に何度もトイレに起き、その都度ドキっとしたが何事もなく朝を迎えた。 奇跡だ!こんなことがあるなんて信じられない!奇跡としか言いようがない。 2010年1月11日(月) 今日は寝起きが遅い。8:30頃、雨戸を開ける。 私が自分のフトンを縁側に運ぶため、バアさんの部屋(仏間)に入ると“ムッ”とする。 ガス暖房が点いている。暖房は確か、寝る前に本人が切っている。 しばらくすると、目つきの悪い顔が開けた戸の奥から見える。 “おっ!!今日は元に戻ったかな?”と思ったとたん、バアさんの口から飛び出した言葉は【ジージーを止めんか!】であった。 今日も昨日のように穏やかに過ごして欲しいと願っていたが、この一言で消えた。 普段は起きると、顔を洗い、歯を磨き、台所に向かい、牛乳をレンジで温め、用意されたパンとヨーグルトを食べる。しかし、今日は違った。いきなり【腹が減った、めしを食わせろ!】だった。 私が「朝起きたら顔を洗ってからだよ!」と言うと、キッと睨んで“文句言うな”と言いたそうな顔をする。それでも我慢して顔を洗い、歯を磨く。食卓の朝食を見て【なんだ!こんなものしかないのか!】と、内容はいつもと全く同じものであるのに怒る。瞬間、私の張り手が飛ぶところであったが“奇跡の昨日”を思い出し、ここは我慢した。 バアさんが朝食を食べている間、切ったガスストーブを再点火した。自室に戻った時、切ったことが解るとそれはもう鬼の首でも取ったかのようにいじめられる。 自室に戻って直ぐに【ジージーガーガーいうから切ってくれ】と言う。「誰もそんなことやってない」と、いつもの応答すると、またまた悪態をついて捨てゼリフ を吐いて戸を閉める。 私が「暖房切ってみたらどおお」とガスを止めると【なんでいじわるする】と怒って顔を出す。と、そのとき【音が止まった!】とキョトンとする。私が「ガスストーブの音だったかも知れないね」と言うと、【そんなことがあるか!】と捨て台詞でバタンと戸を閉める。 居間にいる私達のところで朝刊を読みながら、今や恒常化した悪態がでる。
次から次へと繰り出される口撃は尋常ではない。この人の神髄がここにある。 気転に飛んだ追及、不利と見るや素早く話題を切り替える。 嫁さんは勿論こと、並みの人間ではとてもついていけない。 この厳しさが大正・昭和・平成を生き抜いてきた人間の真骨頂なのであろう!
苦労してきた軌跡を思いながら今の自分の不敏さを嘆く。 挙句の果てに、誰に聞いても体験したことのある究極の“嫁いびり”が始まった。 途中、聞くに堪えない部分をカット。最後の咳は我慢に我慢を重ねる嫁さんの心の叫びだ! バアさんとは論戦では絶対勝てない相手だ!嫁さんも完敗である。 しかし、すべては自分が正しく、悪さの責任は自分以外にある。と、断言するバアさん。 今までこのような発言を聞いたことがない。堰を切った川のように思いの言葉が氾濫している。 嫁さんに対し、言ってはいけない捨て台詞でこの人の本性がはっきりした。 多分、このことは誰も改善できない。最も辛い嫁さんは辛抱するしかない!本当に申し訳ない。 音声>100111shinya2324-2m4s-4.75MB 今年に入って連日連夜の攻撃で二人は疲労困憊。 夜中もしつこく絡まれるが、的確な対応ができないのでストレス一杯の毎日が続く。 この調子だとバアさんより先に行きそう。 2010年1月12日(火) 今日はデイサービスの日であるが、寝起きは最悪だ。 早めに戸を開けて外の騒々しさが聞こえるようにし、仏壇の鐘を何度もたたき、声もかけ、うるさい雰囲気づくり。眼を開けたので、「今日はデイサービスのお兄ちゃんがもうすぐ迎えに来るよ!」と誘うと、【今日は寒いから止める】と切り返された。 それでも起きて、朝の仕度を始める。朝食の途中で迎えが来た。薬は施設についてから飲むよう持っていく。なんだかんだ文句言いながらも迎えのお兄ちゃんに言いくるめられて出かけた。今日は午後仕事なので、バアさんがデイサービスに行ってくれると大変ありがたい。 デイサービスからバアさんの最近の利用上の特徴について報告があった。 @ デイサービスでの言動が過激になってきた。 A 風呂やレクリエーションなどを拒否することがある。 B 自分の思い通りに行かないのか癇癪を起してスタッフを叩くような素振りが出る。 そして、連絡帳にバアさんの素振りについてアドバイスがあった。 「家族には遠慮なくぶつかっていくでしょう」と。 2010年1月13日(水) 10日の奇跡的な柔和バアさんは、再びボケババアとして復活。今日も大変だった(*_*; バアさんの話に反応すれば、【しゃべり方がきつい】、【もっと優しくしゃべれないのか】と説教される。そして、同じことを何度も何度も繰り返す。
<バアさんの説教についての補足説明> バアさんに話すときは大声が普通である。それは、バアさんの耳が遠いからである。 バアさんのためにと思い、聞き易いようにずっと大声で話してきた。 しかし、その大声が怒っているかのように聞こえているとしたらそれは本意ではない。 バアさんの口調は穏やかで優しい。それは大きな声で話さなくても相手に伝わるからである。 バアさんの耳は本当はよく聞こえているのかもしれない。ときどき“地獄耳”になることがあり、自分にとっての良し悪しで聞こえたり聞こえなかったりしているのかもしれない。 なぜか弟の名前が頻繁に出てくる。 私があまりに大声でしゃべるので、一見優しい弟のほうが頼りになるのであろうか?! 叩きたくなることも多いが、これをグッとこらえる。しかし、これが続くとストレス一杯となって爆発してしまう。自分が自身をコントロールできな くなるのではと、とても不安だ。
口で説明しても解ってもらえないとき、どうすればいいのか! ばあさんは既に幼児期に入っており、3〜4歳の子供と仲良く話するほどになっている。 この年頃は、口で注意しても言うことを聞かないことが多い。 大声で脅すか、無視するか、それでも聞かないのならお仕置き(叩くのもひとつの方法)しかない。 どちらも“恐怖心”を起こさせることに意味がある。 今までも私はバアさんを叱ってきた。大声で注意したこともある。 その度に【なんで大声で怒るのだ!】とか【もっと静かにしゃべれないのか!】などと逆に注意され続け、バアさんへの効果は少なかった。それでも他にいい方法が見つからなければ効き目の無いことでもやらなければ自分が参ってしまう。相手はストレスを感じないエイリアンである。まともに闘えば絶対負ける。 そこで、“叱り方”について一考し、試してみた。それは、“恐ろしい形相”で、“けたたましい怒声”をはりあげ、場合によっては近くにあるものを床に投げつけて、私がいかに怒っているかを示す。 やってみると、私のあまりに激しい怒りに今までのようなとぼけた反応はなくなり、恐れおののいている。効果あり!恐怖心を植え付け、反論の余地の無い状態に相手を追い込む。理屈は解らないが、 “なにかこの人は怒っている”。“なんで怒っているのか解らないが、ものすごく怒っている” 理屈抜きの恐怖心を持たせ、幼人の頭をひっくり返す作戦は効果ありそう。 手を出すより良いかもしれない。続けてみよう。 2010年1月14日(木) 最近、食事時によく口論する。おかずが気に入らないとブツブツブツ文句言うからである。 私は今までも一貫して“食事の好き嫌い”は許さない。 バアさんに「文句言うなら食べるな!」と一喝。それでもバアさんは文句を止めない。 さらに大声で「食べるな!」と怒鳴る。これが繰り返される何ともさびしい食卓となる。 バアさんのお気に入りは一人住まいの自由気ままな生活からスーパーで手に入るコテコテ惣菜(うなぎ焼き、コロッケ・ミンチカツ、油炒め物など)、と好みのこってり赤味噌汁である。 異常な血圧とコレステロール値を抑えるため永年に亘り医者通いしてきた。 自分の食事習慣を変換すればよいものを、それをせずに薬で処置してきた。 この異常な食生活から脱却するため2004年同居することにし、食事の支度は嫁さんにお願いしてきた。当初は私も抵抗感があった。私も親に似て濃い味が好みである。 塩分控えめ、甘さ控えめ、油分控えめの食事はお世辞にもうまいとは言えない。しかし、じっと我慢して食べてきた。が、この食事制限の不満がストレス化している。だから、食卓に座り、料理を見て【今日は何もないね!】と言うことが口癖になった。 料理の達人からすれば、目の前に並んでいる食事の色、ツヤ、匂い、などで食べなくても美味いか不味いか解るのであろう。かくして、味もそっけもない食事は敬遠されるようになっていった。 しかし、この食事制限が原因かどうかは定かでないが、昨年12月に“足のしびれ”症状がなくなり末梢神経の薬の処方を止めることに成功した。 ”足のしびれ”治療薬は、2004年末から翌年はじめにかけての検査入院(名大病院)で処方してもらった薬で、これまで約5年間服用してきた。治癒できたことは感無量である! 2010年1月15日(金)> 今日はデイサービスの日であるが、耳元で「朝だよ―」、「いい天気だよ―」、「お兄ちゃんが迎えに来るよ―」と、何度もささやいたが、ピクリともしない。一瞬、もしか!と思い、頭を触る。 温かいのでホッとする。 9時過ぎても起きてこない。デイサービスから迎えに来た。お兄ちゃんに上ってもらい、ばあさんを誘ったが反応なし。 折角迎えに来てくれたのに申し訳けない事をした。 12月分の請求書にお金を付けて支払う。 ********************* 4,5日前からガスストーブが朝まで点けっぱなしのため厳しく注意してきた。 当初は【ケチくさい】と文句言っていたが、「年金生活だから節約しないとね」と、訴え続けた結果少しずつ理解が得られるようになってきた。 寝る前に切るようになったし、居間でテレビ見るとき座敷との仕切り戸を少し開けて、居間の暖気を座敷に送るようにしてきた。ばあさんは永年の習慣なのか、自分の寝室の戸は必ずぴピャット閉め、開けておくことは絶対にない。最近は少し開いていても文句言わなくなった。 また、布団に入ると必ず“ジージーガーガー”というのが、“耳鳴りの発展したものがどうか”である。ふと、ばあさんが24時間ONしている電気毛布が小さいがジージーと音がしていることに気がついた。スイッチを切るとこの音が消える。 従って“ジージーガーガー“は必ずしも”耳鳴り“だけでもなさそうである。 2010年1月16日(土) 母の在所で叔母さん(母の妹)の3回忌。 昼食の席で、ばあさんのボケぶりを披露するとともに、困惑の毎日を皆さんに報告。 (母は8人兄弟姉妹で5人が姉妹である。姉妹5人の内4人は既に死に母一人が残る。また死んだ4人のうち3人はひどい痴呆であった。) この席でばあさんを何度か叩いたことを告発したら、みんなから厳しく叱責された。特に母の弟はカンカンになって怒った。『親を叩くとは何事か!』であった。 誰も私達夫婦の苦労は理解せず“たたいた”ということだけを咎める。 毎日の実態はどのようなものでも“親を叩く”ということはあってはならないという。 痴呆であった母を持つ従兄弟たちも苦労したと思うが、これをじっと我慢し、命尽きるまで誰にも話さず、耐えてきたのであろうか?しかし、この説教は家に帰ってからも納得できない。 “人生いろいろ、痴呆もいろいろ、介護もいろいろ“なのである。 家族を大切にすると言う親としての思いがなくなった母にはどんなに尽くしても私達夫婦の行為は通じるものではない。このような毎日ならストレスで私達の方が参ってしまう。元気な私達が病気になってしまう。これが良いとは思わない。 ストレス解消法としての酒の量も増え、毎夜の“ジージーガーガー訴え“で睡眠を拘束され、イライラが募るばかりである。 やはり従兄弟連中がやったように施設に依頼するしかないのか?!彼らは自分ではほとんど介護せず、早々に施設に放り込んでいる。今、私も施設を探しているが、順番待ちで適当なところがない。26日、役場福祉課の職員が介護等級の見直しのため来宅される。このときよくよく相談したい。 “ジージーガーガー”の所為で、ほぼ毎日ベッドを座敷から元の場所の東の居間に移せと、うるさいが、頑として拒否。移せばまた、【前のところがいい】と移動を迫るだけだ。 法事から帰ると居間の日だまりで新聞を見ていた。
2010年1月17日(日) 最近は起床が9:00と遅くなった。 寒さもきついので当然か!しかし、靴下も履かず廊下をウロウロ歩き回るので注意すると【なんで怒るのだ!】と、逆切れ。ベッドを元の場所に戻せと再三訴える。無視すると 悪態ついて自室に戻る。 本来、昼間は寝られられない人であるが、最近ではよく寝ている。 2010年1月18日(月) 比較的穏やかな一日であった。気温も高く、2月の地元マラソン大会で孫と一緒に参加するので準備を兼ねて今日から毎日1〜2時間歩くことに決めた。バアさんと一緒 にいると何かと摩擦が起きて口論するので私が出かけることは良い事かもしれない。 今日は隣町の公園をグルッと回って帰る。約1.5時間であった。 2010年1月19日(火) 今日はデイサービスの日であるが、相変わらず起床が遅い。 7:00頃>私は起床し、布団を上げ、雨戸を開け、障子戸を開け閉めして音をさせ目覚めさせようとするが、タヌキ寝入りしているようだ。 9:00少し過ぎ>デイサービスのお兄ちゃんが迎えに来た。枕元で優しく声をかけたが、軽く手を振って止める意志表示。何度か声掛けしたが、それでも一向に起きないので諦める。これで2回連続で拒否した。歩けなくなった訳でもなく、今までとほとんど変化ないのに、デイサービスに行く気がなくなった。なにか原因がありそうだ! <いろいろ考えた> この人は気位の高い人だ。だから、周りから『すごいね』などとおだてらるとその気になって頑張る人だ。最終的には『私は皆さんとは違い、何でもやれる人間だ!』と、どこやらの国のどこやらの政党の党首と同じような感覚を持っている。 しかし最近、このような周りの期待が重圧となってきたのではないのか? 周りから褒めそやされることは気分のよい事ではあるが、実際は若い頃のようには動かない。自尊心の高い人はこのような自分の僅かな変化を敏感に感じ取り、とても恥ずかしい思いを勝手にしているのではないか?みんなはサラサラ思ってもいないことを、自らは恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないと感じているのではなかろうか。そして、そういう恥ずかしい思いをする場所には行きたくない。と、帰結する。 私自身は父方の血筋(職人気風)を受け、叱られることには動じないが、褒められることが大の苦手である。褒められた時の立ち居振る舞いにとても困り、恥ずかしささえ感じるからである。 ただ、褒められた時の素っ気ない態度は周りに“当り前のことをしただけ”との高邁な印象を与え易く、嫌われることもある。だから、“持って生まれた血筋なので”と照れ隠しすることも多い。 2010年1月20日(水) ここ2,3日は【ベッドを元の場所に戻せ】という訴えはなくなった。しかし相変わらず苦情は多い。バアさんとのひと悶着をどうぞ!音声>100120asa0845-34s-1.25MB 日中はうららかで本当に暑いぐらいの陽気である。ばあさんは日だまりで横になりのんびりしていた。 私もマラソン大会の練習3日目で隣町まで行った。汗びっしょりで帰ってきた。 シャワーを浴びていると突然ドアを開けて覗く。ビックリして「バカヤロウ」と叫ぶ。 【こんなことぐらいで何で怒るのだ】と、平然としている。困ったもんだ。 この夜が久しぶりに大変だった!! 【ジージーガーガーがうるさい】と夜10:30頃まで寝室にやってくる。 じっとタヌキ寝入りでやり過ごす。【2人してバカヤロウ】などとブツブツ言いながら戻る。 2010年1月21日(木)>午後、仕事で出かける。 玄関、勝手口ともがんじがらめに鍵をかける。サッシガラス戸もロックして簡単には開かないようにする。日中は居間に入る陽光で温かく、暖房はいらないから安心だ。比較的穏やかな一日であった。 2010年1月22日(金)>今日もデイサービスお休み(3回連続) 今日は中学校の同級生との新年会がお昼時にあるので、今日も10時頃から16時頃までばあさん一人となる。淋しい思いで過ごすことになる。帰ると嬉しそうに寄ってくる。このようなばあさんなら何の問題もないのだが、このような思いをした時は反動で“耳鳴りジージーガーガー”を訴えることが多く、帰宅すると【この音を止めてくれ】としつこく付きまとう。夕方から就寝にかけてジージーガーガーがひどくなる。 悪態をつきながら、再三私達に【何とかせよ!】と迫る。音声>100121shinya0024-50s-1.9MB 2010年1月23日(土) 夕食のとき、ご飯を半分残す。こんなことは初めてだ! ご飯については今までにもほぼ毎日といってよいほどの苦情【カラがかぶっており、歯にはさがってまづい】があった。が、残すことはなかった。米は嫁さんの実家から買っている地元産でありとても美味しいものだ。何年も前から食べているが、最近になってこんなことを言い始めた。痴呆の進展とも関係ありそうではあるが、ほかに考えられることとして、噛みあわせがある。 部分入歯を付けたり外したりしている間に面倒くさくなり、外すことが多くなって口に合わなくなり、今では完全に外したままとなっている。このことで上下の噛み合わせが悪くなり、食べ物が歯と歯のスキマに入り易くなり違和感ができたのではと思うが、ほぼ毎日このことを訴えるようになっている。 丈夫な自前の歯をもつばあさんのことだから食事が軟らかいからなのではないかと思い、少し硬めに炊いたところ【硬い!】と一喝された。 さらに、茶碗に残ったごはんを捨てようとする。こんなことも初めてだ! 「ばかもーーん」と一喝!本人はまづいので捨てることに何のためらいもなさそう。 農家が丹精込めて作った米を粗末に扱うことを厳しく注意!キョトンとしている。 罪悪感の欠片もない。まづいご飯だから腐ったものと同じように扱っても気にならないようだ。 私は大声で「こんなことをする人にはご飯はやらない」と叱り、さらに嫁さんに「今後、ごはんは与えないように」と、指示。今後ともこのような“善悪の区別”が無くなっていくのであろうか?とても不安だ! 19:00からの新年会に出かけ22:30頃帰宅すると、嫁さんが寝る前の薬の件でばあさんと揉めていた。ばあさんが【いつもと薬が違う】といい、また薬を呑んで空袋が目の前にあるのに【それはあんたが呑んだもので私は呑んでいない】と言い張る。 薬を呑んでいないと思い込むと徹底して薬を要求する。嫁さんはホトホト困っていた。 この夜も私達夫婦が【意地悪してジージーガーガー“を鳴らし、うるさい!】と言って、12時過ぎまで困らせた。 2010年1月24日(日) 今日は兄弟3人の新年昼食会を末弟宅で行う。嫁さんはいつものSBAのため岡崎に出かける。 従って今日も日中ばあさん一人になる。 先週は日中ばあさん一人になることが多かった。一人でいることにも慣れたようにも見受けられる。 ジージーガーガーも正月明け頃よりも落ち着いてきた。何がばあさんを動かしているのか解らない。 一進一退の毎日にビクビクドキドキ一喜一憂だ! 穏やかに眠剤を呑んで寝てくれた。久しぶりにぐっすり眠れそうだ(^^♪ 夜半トイレに起きた。しかし、なかなか戻ってこないので耳を澄ますと納戸の嫁さんのフトンにもぐり込んだようで、嫁さんの悲鳴が聞こえる。 寝ぼけてトイレから嫁さんの部屋に入ったようだ! ただ、この時はまだばあさんは冷静だった。【ゴメンゴメン間違ってしまった】と恥ずかしそうに退散していた。しかし、部屋を間違えるなどということは初めてである。 これからも、このような異常行動が増えるのであろうか?クワバラクワバラ! 2010年1月25日(月) 日中はジージーガーガーを訴えることもなく平穏であった。 こんな日もあるのだな!と、感慨にふけり、神様に感謝した。 夜も穏やかに過ごしてくれることを期待したが、夕食のオカズに文句つけるので思わず怒鳴る。 「出されたものを有難く頂け!!」と。「世間にはご飯も食べられない人が大勢いる」、「文句があるなら食べなくてよい!」、「今後、文句言ったら食事は出さない!」等々きつく言い聞かせる。 が、最早、こんな言葉は何の効果もない。明日になればまた、同じ文句が繰り返され、そのまた次の日も同じであろう。(2010年1月−1) |
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2010年1月26日(火)>今日はデイサービスの日である。 7:30に雨戸を開け、陽射しを部屋いっぱいに入れるが、向う向いて寝ている。私が自分のフトンを片付け、ガタガタゴトゴトとわざと音を立ててうるさくするが本人は横向いたまま布団の中で目をつむっている。 最近は毎朝同じような状況で、目覚めは9:30頃になる。デイサービスが迎えに来て、枕元で声をかけても以前のようにうれしそうな態度がない。面倒くさそうに手を軽く横に振るだけで起きる気配は全くない。迎いのお兄ちゃんもいろいろ手を尽くすが、諦めて帰る。 私は迎えの彼に「これで4回連続2週間辞退している。多分、以後行くことはないだろう」と伝える。しかし、彼は『また金曜日に顔を出します』と、言って帰った。 2010年昼食の仕度は全くやらなくなった。 朝食は牛乳と菓子パンとヨーグルトである。 @ 牛乳を電子レンジで温める。 自分でパック牛乳をカップに注ぎ、電子レンジの牛乳温めモードに設定してスイッチON A 菓子パンとヨーグルトは嫁さんが買ってくる。 昼食も普通なら嫁さんが調理したものを電子レンジで温めて食べるが、朝それを準備して食卓に置いておくと朝食べてしまう(ばあさんは基本的にご飯が好き)ので手の届かないところに置き場所を変更する。私が出かけて昼食時間までに帰宅しないとばあさんは昼食が食べられない。 しかし、居間にはお客さん用としてお茶菓子、饅頭、ミカンなどが置いてあり、ばあさんはこれを毎日、相当量食べる。ミカンなどは私達夫婦は全く食べないがいつの間にかカゴが空になっている。驚くべき食欲である。 今日の昼食は、鯖の塩焼き(切り身)と大根・里芋・ツクネ・がんもどきの煮付けである。 さすがのばあさんもこれらを温めることはできないので、私がそれぞれ(ご飯、鯖の塩焼き、煮付け)を電子レンジで温め、あったかい居間に運ぶ。 ちょっと前までは自分の食器は自分で洗っていたが、今日は「できないので洗ってくれ」という。 居間から台所までは運ぶように指示する。食器が洗ってあるかと期待したが、台所に運んだだけで置いてある。食器洗いも出来なくなった。 14:30頃、自室から顔を出し【腹が減ってたまらない】という。 2時間前に昼ご飯を食べたばかりなのに(*_*;こんなことも初めてだ!いよいよ始まったか! 「そこに菓子がある」と言ったら、【コーヒーが飲みたい】という。ばかやろう!ぜいたくこけ! 急須に茶パックを入れ、湯を注ぐ。多めに注いだので、あとで私も飲もうとしたが、急須は既に空だった。なんともいやはや(*_*; 菓子、まんじゅう、甘納豆をバリバリ、ボリボリ、ムシャムシャ食べつくした。メタボババア!! 午後の来客のため、東の和室にこたつ布団と座敷机を設置。 15:00役場福祉課の職員がばあさんの様子を調査のため来宅。近況をお話しする。 このあと、職員が布団で横になっているばあさんを起こしていろいろな質問をした。 私は脇で二人の会話を聞き流していたが、職員の質問に答えるばあさんがその途中途中で嫁さんの悪口を小声でささやくように挟んでいた。 昨年3月、同じ職員が来宅され調査した時(要支援2の認定)はこのような嫁さんを卑下する言動はなかった。僅か1年足らずで痴呆は大きく進展している。 職員が帰り際、玄関口で、ばあさんの嫁さんに対する日常がいかに厳しいものであるかを悟ったと言い、嫁さんのストレスが並大抵ではないことを理解してくれた。 今日の面談の結果から要介護認定は確定した。 書類に住所、氏名、電話番号など記入し、更に緊急連絡先として私の携帯電話番号を追加捺印した。また、ケアプランナ―の希望を訊ねられたので主治医の経営する人を希望した。 明日27日は月一の定例検診日なので今日の状況を主治医に説明したいと思う。 要介護1が認定されればショートステイなどの利用も可能となり、その間、私達夫婦は少しは平常心に戻れると思う。 17:30頃「腹が減った」とやってきた。 まだ嫁さんが帰って来ていないので、しばらく待つように話す。5分もしないうちに【今日は○○さんは遅いね!】と言いながら【何か食べたい」という。 今までは食卓に置いてあるものを適当に自分でチンして食べていたが、最近はそれもしなくなった。自分の気にいったお菜(揚げ物、肉物)なら進んでやるが、嫌いな野菜物などでは鍋に入っていても温めて食べようとはしない。 18:00頃、まだ嫁さんが帰ってこない。ちょっと遅すぎる。 ばあさんも我慢が限界らしくあまり好きではない鍋の野菜煮でご飯を食べると言う。ご飯は既に炊き上っている。要はおかずを温めることだが、ガスは元を止めてあるからパチパチ点火すれども火は点かない。どうにも我慢ならないらしく強い口調で私を責める。が、私は大声で怒鳴りつけながら注意する。 「寒い日に腹をすかして遅くまで仕事している嫁さんをほっといて先にご飯を食べることはできません」「少ない家族だから、全員揃ってから食事にしよう」などと解くが、全く聞く耳持たない。 今まではあまりにうるさいので根負けして用意してしまったが、それを感謝するという気持ちが全く見られないので、「待て!待ちなさい!!嫁さんが帰ってくるまで待て!!!」と大声で諭す。 18:30頃、嫁さん帰宅。急いで晩餐の仕度をしてばあさんの前に出す。ばあさんの好きなコロッケ2個(スーパー調達)、野菜の煮物、白身魚の塩焼き一切れ。 ところで、コロッケは私達は1個づつです(*_*; あまり好きではない煮物の器を箸の先で私の方に押し出し、【こんなに食べれないから、お前にあげる】という。この人は箸の先で器を押したり引いたりする癖が以前からある。 「みっともないから止めよ」と再三注意したが全く感知しないので諦めた。しかし、このような態度は見るたびに不愉快な気分になる。「手があるのだから、手を使え!」 夕食を食べて満腹になったのか穏やかさを取り戻した。しかし20:30頃、そろそろ休むと言うので眠剤を渡すといつものコゴトがでてきた。【薬の大きさが小さい】である。
薬に関する苦情を言われるのが一番腹が立つ。 毎日毎日、朝昼晩寝る前の4回渡すが、呑んでしまって空袋しかないのに【まだのんでない、この袋は昨日のやつだ!】とか、【呑んだのはおまえだ!】とか相変わらずのやりとりに、久しぶりに切れてしまった。「そんなに薬が気に入らないのならのまんでいい!」 薬を取り上げる。薬は2種類各1個あるが、袋入りの青い錠剤はばあさんに素早く確保されてしまったので、白い錠剤(不眠時のみの薬)を奪う。 寝る前の薬は1個しかないが、そのままほっといた。 私のあまりの剣幕に恐れおののいたか不足する1個を要求することもなくスゴスゴと寝室に入る。「今晩は多分すごい夜になるぞ!」と、嫁さんと覚悟した。 案の定、【ジージーガーガー】、【うるさい】、【止めよ】などと騒ぎ出した。 無視してフトンにもぐる。が、悪口雑言は続く。それでもしばらくして静かになった。 <ばあさんの夜間暖房について>
2010年1月27日(水)> 温かい陽光がいっぱいの快適な朝だ!なぜか起床は8:00。昨日8:00に起きてくれればデイサービスへ行けたのに!このへんのところは分かっててやっているのではと思ってしまう。 昨日たたかれたことには一言も触れず【今日はいい天気だね!】と、上機嫌だ。 そこらへんの政治家とはレベルが違う(^_^)v 9:00頃、朝食を食べたようであるが、しばらくして【薬がない】と来た。 毎朝、薬は必ず一日分を補充しているが、今日は月一の検診日のため、朝食後は1個しかない。 この最後の薬を袋に入れたが、そこに入っているはずの小袋が空になっている。従って、本人は朝食後のんだのであるが、それを忘れてしまった。 現在の薬の量は、朝4粒、昼なし、夜1粒、寝る前2粒である。 2004年以来の薬漬けから、約半分に減らした。 「朝」は7粒から4粒に減ったが、それでもまだ4粒もあるので薬としての価値を認めて積極的にのんでいる。「昼」は昔から忘れることも多く、本人も左程重視していないようだ!「夕」は2粒から1粒に減った。ばあさんは昼頃までゴソゴソと薬を探しているようだ。 ばあさんにとって薬は命より大切なのである。 午前中、東の和室(元、ばあさんの居間兼寝室)の押入れを整理整頓。 買い物袋にねじ込まれた衣類を引きずり出し、虫干し。さらに布団、シーツ、タオルケットも入れ替える。 押入れの床面が白っぽい。カビだ!しばらく風を通す。ダンボール箱を3個押入れに入れ、そこに衣類を夏物と冬物に分けて保存。下の段にあった孫のために買った「紙芝居セット」と絵本のダンボール箱を納戸の押入れに移動。その他、テレビ台の下や縁側に積んであった紙袋の中身(カバンや衣類)も押入れに移す。全体的にきれいさっぱりした。 昼過ぎ12:30頃、ばあさんがいないので午前中片付けた東の和室を覗くと、チャッカリ昼ご飯を食べている。おかずは嫁さんがスーパーで買ったコロッケ1個を目ざとく見つけ、チンしている。マッ!一人でやれるだけよいか! しかし多分、コロッケが置いてなければ【食べる物がない」と騒ぎ立てること間違いなしだ! はっきり言って、一日ゴロゴロしているだけなら3食は必要ない。 嫁さんには毎食、完食出来るよう少な目に出すよう指示してあるが、少ないと強烈ないじめにあうのでどうしても多めに出してしまう。そして、ばあさんは残り物を絶対に食べないので、そのままいつまでも残っている。最後は私が食べることになり、ほとほと困る。 ばあさんが残り物を食べない理由は聞いていないが、ひょっとして一人住まいのとき残り物を食べて辛い目に会った経験があるかもしれない。 昨夜のことで、「今後は昼食を抜きにしたい」と嫁さんに相談した。しかし嫁さんから「それは可哀そう」と言われ、少しだけにすることで妥協した。 今日の昼食メニュー>コロッケ1個、ごはん茶碗にふっくら1杯(半分だと強烈に文句言う) 朝の薬の一件は昼食後もしつこく訴えてきた。 「今日、病院に行く日なので朝の薬は今朝でなくなった」と、事実を説明しても【なんで私の薬をのむのだ!】と騒ぐ。「今日、病院に行き診察を受ければ貰えるから安心しなさい」と、告げるが【医者には行きたくないからお前代わりに貰ってきてくれ】と、いつもの堂々巡りの会話が続く。 17:30、病院に連れて行く。イヤダイヤダといっていても今はまだ諦めてついてくるばあさんではある。なにか分かっていてダダをこねているようだ。(半年後にはテコでも動かなくなり、健診なしで薬だけ貰うことになる) 今まで昨年末の検診から診察券や保険証の受付提出は私の役目となり、さらに永年行ってきた精算も私が代行することになった。(ばあさん年齢87歳) それでも出かけるときは必ず、お気に入りの黒いバッグに財布を入れて持つ。これもいつかは出来なくなるのであろう。 受付で係員から「今日は介護認定の問診があるので少し時間がかかります」と告げられる。 昨日、役場福祉課の職員が来宅し、状況調査した結果が主治医に報告されていた。 迅速対応に感謝である。 主治医は開口一番、いつも通りばあさんに質問「調子はどうですか?」すると、ばあさんは【足がね―!】【歩けなくて困ります】と答える。先生が「それではここに立って、私のところまで歩いてください」と、これまたいつもの指示。ばあさんは多少ふらつきながらも難なく先生のところ(約2m)に到達。先生は「問題なし」 続いて、「ここで両足を閉じて立ってください」と指示。ばあさんは2秒以上立ち止まりふらつき始め【こうなってしまうのです】と照れ笑い。自分の悪い状況を先生に理解してもらおうという意図が伺える。先生が「全然問題ありません」と太鼓判を押す。 ばあさんの今までの対応を見て驚いた。先生の質問や指示に極めて的確に反応している。 自宅では自分本位の言動ばかりでほとんど対話ができない。しかし、相手が医者になると普通人と変わらない、いや、それ以上に的確だ! 検診後、先生は私に最近の様子を訊ねた。 @ 正月、子供たち家族が帰省し、賑やかな年末年始のときばあさんが半年前の和やかな雰囲気ではなく孫や曾孫に対しても文句や怒りをぶつけて、不快な雰囲気であった。 A 1年前の耳鳴りが治まり、昨年10月頃から「ジージーガーガー」が始まった。 本人曰く【テープレコーダーが回っている】、【自分の悪口を言っている】、「うるさくて寝れないので止めてくれ」、【バカヤロウ」、【これをやっているのは私達2人だ!】、「なんでいじわるするのだ!」 この現象は特に就寝前に多い。眠剤を呑んでもすぐには効いてこないのでしばらくこのような苦情をしゃべりながら私達の寝ているところにやって来て【何とかしてくれ―】と騒ぐ。 私達が電灯を消してもそれを点けて文句言う。最長11時頃まで続く。毎夜のことで夫婦の方が睡眠不足で気が狂いそうだ。 B 薬を飲んでもその後すぐに【薬がない】と騒ぐ。 錠剤の空袋を見せて「今のんだでしょう」というと【それはおまえがのんだ】【なんで人の薬をのむのだ】と叱責する。 先月から薬の量を減らしたが、これは私がのんでいるからと誤解している。そこで、私が飲んでいるのではなく、“先生が本人の体調に合わせて減らした”と本人に説明して欲しいと先生に依頼した。 ばあさんは先生の言葉を神妙に聞いていた。私が同じ説明をしても権威がないので聞く耳なし。 神妙に聞いているばあさんではあるが帰宅すれば忘れており、また同じ薬騒動が始まると思う。 C 薬がないと言って、近くに住む私の弟が持ってくると夜中、玄関や勝手口の鍵を知らぬ間に開けている。何回か朝まで気がつかないということがあった。最近この辺りに空き巣が入っていると注意するよう言い聞かせたが【お客さんが来た時に困るから】と、自分の考えで行動する。 このような行動の引き金は「薬」である。 そこで、日中、玄関は2重ロックの上、更に内側から強く突っかい棒をする。勝手口は鍵掛け後、中から鍵を開けても戸が開かないよう外から突っかい棒をする。 夜は鍵に手が届かないよう障害物を置き、近寄れないようにする。 D 風呂はもともと好きな人であったが、今は自分から進んで入りたいとは言わない。 【面倒くさい】という。デイサービスでは入るようであるが、これがいやなのか? 最近は連続3回デイサービスを拒否している。 2010年1月28日(木)&29日(金)> 比較的平穏だった。が、何とはなしに元気がなかった。ほぼ終日、温かい縁側か、ベッドの中だ! 縁側では新聞を丁寧に見ている。夜間のジージーガーガーも一頃のしつこさに比べあっさりしている。2,3回【うるさい音を止めてくれ】とは訴えるが、黙って相手しないとブツブツ言いながらベッドに戻る。 奥さんに寝室にもいかなくなったし、ガスストーブの元栓は外したままでも文句言わなくなった。なんだか拍子抜けした感じだ。ばあさんの寝室が暖かくなるように居間との仕切り戸を少し開けているので左程気にならない。 29日(金)はデイサービスの日であったが、予想通り迎えのお兄さんに断りのジェスチャーだった。何度か枕元で声をかけてくれたが起きることはなかった。これで連続4回(2週間)お休みである。最近はデイサービスへ行く気持ちが萎えている。しばらくするとまた元のように行きたくなる可能性もあるので、あまり強制はしないようにする。 それにしても最近は起床が遅い。今日は10時半頃だ。朝食の話をするので「もうすぐお昼だよ」というと、時計を見て【この時計は壊れている】とにべもない。従って、今日は朝昼共食であった。パンを止め、魚の煮付けを出してやったら喜んで食べた。 しかし、午後2時少し前に【腹が減った】と言ってベッドから起きてきた。【コーヒー入れて欲しい】というので「今、お昼食べたばかりだ!」と拒否。すると【ミカンを食べる】と一番大きいものを1個食べ、新聞をめくって眺め、20分くらいで再びベッドに戻る。 今日、嫁さんは「歩け歩け」同好会で夕方帰宅予定であるが、少し遅れると言う電話あり。 バアさんは5時半頃我慢できない様子で【そこらにあるもので先に食べる】と言って、台所に向かう。ガスも冷蔵庫も使えないようにしてあるので心配はない。が、突然「チーン」と音がする。 急いで覗くと、ガスレンジの上にあった昨晩の残り「黒鯛の煮付け」の入った鍋から魚を取り出し、皿にのせ、ラップして温めている。誠二君に貰った2尾の黒鯛を4つに切って煮たが昨日から3切れ食べてしまった。私達の分は無くなってしまった。ヤレヤレ!! 久しぶりに夜、【うるさい】、【音を切れ!バカヤロー!】、などと暴言。 眠剤を呑んでもしばらくは眠れないが、この間がバアさん最悪の時間帯で、寝つきまで悪口雑言がつづく。我々はただひたすら黙して無視。夜中(10時過ぎ)家中を徘徊し、トイレに入り浸り。挙句の果てに【ベッドを前の部屋に移せ!】、【この位置が音がするので向きを変えよ!】と、うるさい。 ベッドの向きの変更依頼は始めてだ。いろいろ変えたが当然のことながら効果なし。 最後は元に戻す。私に頼むと適当にあしらわれるので依頼主を嫁さんに変えていた。 しばらくして静かになった。 2010年1月30日(土)>8時起床 デイサービスでない日は起きるのが早い?どうも偶然ではなさそうだ! 今日は二人とも9時前に家を留守にする。私が先に家を出たが、嫁さんから出先に電話あり。 嫁さんが家を出るとき「勝手口の戸に鍵をかけようとしたらお母さんが外に出てきて鍵を掛けさせない」という。「昼前には帰るのでそのままで良いと指示」 11:30、帰宅した時バアさんは黒鯛の最後の一切れを食べながら昼食中だった。 一人で2日間で2尾の黒鯛を完食だ!バーカ!! 食後、頭がボーとすると言って台所へ行き朝食後の薬を飲む。 居間に戻って薬がないと訴える。袋を見ると薬が入っていないので呑んでいる。 既に5分前の自分の行動をも忘れている。 昼食が終わると居間の陽射しを浴びながらコタツに入って横になる。 ところで、バアさんにはへんなクセがある。それは“知人が来た時、出入り口に鍵がかかっていると入れないので鍵を開けておかないといけない”という ものである。 ときどき有線放送で徘徊老人の尋ね人案内がある。幸いにもわがバアさんは外へ出ることはないが、その代り“誰でも”“いつでも”家に入れるよう入口を開けることである。 出かけるとき必ず全ての鍵をかけるが、帰って確認するとアチコチ開いている。鍵は場所によりそれぞれ異なる特徴がある。しかしバアさんはこれらを理解し、適切に対応している。素晴らしい能力である。来客に対する過剰なまでの反応、これはいったいなんなのか?訊ねても答えはない。 鍵開け行動はほとんど無意識のうちに行われているように思う。 そこで、開けられた戸についてその対策を施す。 @ 玄関は2重ロックで施錠も重く、バアさんの力では開かない。が、念のため背の届かないところにガムテープで内張り。(幸いにもここ2,3日は来客もなし) A 居間の縁側のガラス戸もガムテープで内張り。このためナナの出入りが不自由。 B 勝手口は鍵掛け後、外から突っかい棒。家への出入りはここからしかできず、相当に不便。 私は食後、再び仕事に出かける。その前に完璧な戸締りをと、アチコチガムテープでロック。
<仕事から帰ってチェック> @ 居間のガラス戸のガムテープが剥がされている。 A テープはクシャクシャにしてゴミ箱に捨ててある。 夕食、やはり嫁さんが帰る前から【腹が減った】と騒ぐ。「待て!!」と叱責。【寒いからストーブつける】といい勝手にスイッチオン。「待て!!」と再び叱責。「寒ければコートなど温かくなるものを着なさい」と注意。当人は毛糸のセーターだけ!「バカモン!」、「ハンチャを着ろ!」と差し出す。 ブツブツ言いながらそれでも着ないので、こっちもストーブは点けない。上着を着たら点けてやろう。 この人は普段から自分の衣服を自慢する。たくさんあるのである。私はその言葉を聞くたびに、“だったらそれを生きてる間に着古して欲しい”と思ってきた。その良さは自分しか理解できない。死んだら全てがゴミになるだけである。 食事のおかずに干しサンマが出た。嫁さんはバアさんにもと出そうとしたので、こんな硬いものは絶対に食べない。口に入れても【硬い】と言って吐き出すはずだ。それでも嫁さんはバアさんに差し出した。案の定、一口噛んで吐き出し、食卓テーブルに置く。私が嫁を叱り、更にバアさんに向って「何とか言え」と怒鳴る。 バアさんはきまり悪いのか吐き出した卓上のサンマをティッシュでくるんだ。 食後これを生ごみ袋に入れようとするので取り上げ、ちょっと辛いがたまにはいいだろうと愛猫ナナに進呈。喜んで食べてくれた。 【頭がボーとする】という訴えは最近では日常的となった。 食後では必ずと言ってよいほどこのような状況になる。だから【横になる】ことになる。 つまりは“食っちゃ寝、食っちゃ寝”のヨタロウになってしまった。 2010年1月31日(日) 10時頃起きる。第一声は【腹が減った】 嫁さんは毎週日曜日、趣味の会へ出かけて留守だがバアさんの朝食(菓子パンと牛乳とヨーグルト)は準備してある。しかし、トースターの脇に置いてあった奥さんの好物の餅を自分で焼いて牛乳で食べている。腹が膨れるといつもの通り【寒い】、【頭がボーとする】と言いながら布団に潜り込む。 これなら昼食は不要だ! 私は嫁さんの帰りを待って昼食したが、終わる頃(16時)起きてきて【腹が減った】という。 1週間くらい前までは、この人の腹時計は感心するほどの正確さであった。 食事時間の30分くらい前には顔を見せ【お昼にしようか!】などといったものだ。 しかし最近は時計を見て【狂っている】という。 自分の腹時計と実際の時との差異が大きくなった結果“起床した時“が飯時になってしまった。 嫁さんが私達と同じ“雑煮”を用意したが、これを見た瞬間【なんだこんなもんか。もっとうまいもんはないのか!】と悪態をつく。空かさず「文句があるなら食べるな!」と反発。 まだブツブツ言うので更に「食べるものに文句を言うな!何でもありがたく、うまいうまいと言って食べなさい」と、追い打ちをかける。 【なんでそんなに怒るのだ?】と、今、自分が何で怒られているのかその理由を考えずに怒られたことだけを疑問に思っている。だから、いくら叱責してもその原因を正すという行為には結びつかず“怒られた”という現象だけが頭に残る。 以前、頭を”たたいた”ことがある。しかし、バアさんからは【何で、たたいた?】という問いかけはなく、たたかれて“痛い”という感覚だけを強く主張する。 言葉で諭してもまったく効果がない事から“物事の善悪“をどう伝えればよいのか?あるいは最早、そのようなことは絶望的なのか?なんとなく後者のように思う。 言葉による説明はバアさんの脳を素通りして留まらないような気がする。 それでもなんとか脳を活性化したい!脳に刺激を与え活性化したいのである。 今日の夕食はなしにすることを決断。 18時頃、食事を始めた。バアさんが起きてきて【もう晩メシ?】と台所に入ろうとしたが、「あんたはもう食べたからありません」と突っぱねる。廊下からガラス戸越しに台所を覗いているが無視。 嫁さんが「少し用意したら?」というが、この人は言葉で諭しても効果はないが、身体に直接与えたことは効き目がある。“たたく”こともそのひとつであったが、初の試みとして“食事を与えない”ことを実験してみる。と、はねつける。 何度かガラス戸をコンコンとノックするが無視。ドアを開けて入ってくるので鍵をかける。 悪い事をしたら食事がもらえないことを身体に叩き込み、これを条件反応するまで続ける覚悟だ!しかし、嫁さんは可愛そうだと言って私達と同じ里芋の煮付けとハゼの甘露煮を居間に運ぶ。 嫁さんが持っていくと開口一番、やはりというべきか【何だこれは!こんなもん食えるか】と暴言。ご飯はいつも自分で子供用茶碗に一杯よそって食べる。が、最近これを残し捨ててある。 それでもいつも茶碗一杯によそい、残し、捨てる。こんな状態を続けるわけにはいかない。 そこで、嫁さんと相談してご飯の出し方を変更することにした。すなわち今後は、 @ バアさんが勝手にジャーからご飯をよそうのではなく、予め茶碗に半分くらいよそっておいて、これを電子レンジで温めて差し出すようにする。 A しかし、ジャーを手元に置いたままだと冷蔵庫と同じで、自分で開けて自分で勝手に食べる。 そこで、ジャーを手が届かないところに移設。 このような処置は少しずつバアさんの自由を奪うが、いたしかたないものと諦めてもらうしかない。結果はまずまずであった。少な目の夕食はごはんもおかずも残らず食べた。 世の中には食べれない人もたくさんいる。だから食事を残し、それを平気で捨てる人の気持ちが理解できない。私は食事を残す人が大嫌いである。 大正生まれのバアさんは戦前・戦中・戦後のほとんどを食べることに苦労してきたはずで、食べることに贅沢など微塵もなかったはずである。それが今やこのていたらくだ! 本人の責任ではなく“病気のせい”とは皆さん言うが、食べ物を残し、それを平気で捨てる感覚は我慢ならない。たとえボケた人でもこれは許せない。 “許せない”と言えば、叩いた原因ともなった嫁さんへの【出て行け】発言を最近は聞かない。 いったいどうなったのであろうか?“仲直り”かもしれない?!?油断はできない。 今は私達も不便を強いられている。が、ここは我慢のしどころと考える。 夜は眠剤を要求するので渡すが、いつもの文句が出る。そこで、薬を取り上げようとしたが敵もさる者、素早く隠す。いつもの文句とは、『薬が小さい』である。 「文句言うなら呑まんでいい!」と怒鳴り、錠剤カプセルの白い薬だけ取り上げたが、袋の青い薬は的に取られてしまった。「今後2度と薬のことで文句言ったら絶対に出さない!」と警告。 バアさんはおどけた顔して【私がなにをやったの?】、【なんでそんなに怒っているの?】と。 全てがこのような空振りで終わる。まともに会話など出来ない。ただ単に“叱られた”“怒られた”という感覚だけが空しく残る。今夜も【音がうるさい】と11時頃まで苦情が続いた。 家の中をウロウロ歩き回る。薬のことでいろいろ言い合ったこと、私が大きな声で怒鳴ったことなどなどがストレスになってなかなか眠れないのであろうか? ストレスと言えば、今現在、バアさんにストレスは何もないはず。 家族は3人、嫁と自分の子供。誰にも文句言わせない一人天下の身である。 考えるに、逆にストレスのない事が問題ではないのか? “痴呆”の原因はストレスレスの生活習慣から生まれたものではないのか? とすれば、気を使ってストレスを感じさせないようにすることは逆効果ではないのか? ということで、今後はバアさんにストレスを与えるよう努めることとする。 <ストレス生成法> 痴呆者が母の場合、誰に聞いても、 @ 自分の腹を痛めた子供を溺愛する。特に長男は絶対である。 A 嫁はほとんど無視され、存在それ自体が否定される。 この二つの痴呆常識を覆すべく、 @ 長男である私は、徹底的に親に逆らい、従わない。逆に私の指示に従わせるように仕向ける。 これを徹底し、私が頼りにできない子供であると認知させる。 A 嫁が大切な家族であることを認知させるため、嫁の悪口を言った時は厳しく折檻する。 このような態度をとる子供が頼りにできないことを知り、嫁に逃げ込むことを期待する。 (2010年1月−2) |
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【2010年2月のデイサービスと介護日記】
母の状態が急変した昨年末に、支援サービスだけでは家族が参ってしまうと思い、役場福祉課に相談。1月26日、職員が来宅され、いろいろバアさんと話をした。翌27日に病院で主治医による診断と面談を受け、本日「要介護1」の認定が下りる。 これでショートステイなどの利用が容易になった。
2月はデイサービスを強烈拒否で利用ゼロ。 これではいけないと思い、介護施設やケアプランナ―に相談して、認知症の進行を抑えるための方策として「ショートステイ」を決意。1回目として2月22日〜24日までの2泊3日。 自宅とは異なる生活環境で非日常の刺激を受けることによる脳機能の活性化を期待した。
ショートステイ利用で気づいたこと。 @ 入浴について、デイサービスは徹底拒否で趣旨貫徹するが、ショートステイでは入った。 気むずかしいバアさんに対する“声掛け”の違いかもしれない。 A ショートステイとは痴呆の進展について対策するのではなく、家族の息抜き実現のための臨時収容所(姥捨山)か?! |
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2010年2月1日(月) 比較的穏やかな一日であった。ただ、起床が極端に遅くなる。大体9:30〜10:00頃 夜もジージーガーガーはするようだが、以前のようにはしつこくない。我々も安心して寝れる。
2010年2月2日(火) 今日はデイサービスの日であるが8:30になっても起きてこない。あきらめてデイサービスに電話で断る。これで1月から連続6回お休み。 もう行く気は全くなくなっている。余程の変化がない限り行くことはないであろう。
最近の変化 私におかしなことを言うと大声で叱るので、最近は嫁さんに小声で私の機嫌を取り持ってもらおうとするしぐさが多くなった。ひところに比べると随分と大人しくなった。
ときどき小声でベッドを昔の自室に移して欲しいと言う。 ジージーガーガーがうるさいのでベッドを希望する座敷に移したが全く効果はなかった。 「誰もあなたにジージーガーガーやって意地悪するる理由はない」と説いても、未だに自分の寝ている部屋だけがうるさく鳴っていると感じている。 私達の居る居間へ来るとその音は鳴り止むと言う。 だったら居間におればよいのであるが、永年の一人暮らしで多人数の前ではくつろげないのか、はたまた足腰の劣化で長い間座っていることができないのか、すぐに横になると言ってベッドにもぐる。 ベッドに入るとジージーガーガーが始まり、【うるさいから止めてくれ!】と苦情を言い、【ベッドを元の場所に変えてくれ!】と訴える。この繰り返しがほぼ毎日続いているが、1月のように朝から晩までということがなくなった。私の気分を伺いながらボソボソと訴え、決して悪態をつくこともない これはいったいどんな心境の変化なのであろうか?あるいはこのように痴呆の現象も毎日毎日変化し、一見良くなったり悪くなったりして、最終的には少しずつ悪化の方向に進展しているのであろうか?
大晦日から正月3が日を経過し、1月中旬頃までは最悪であった。が、2月に入り大声で叱る私の形相に恐れおののいたのか、悪態や暴言が大幅に減った。 私達のストレスも軽減している。
2010年2月3日(水) 今日の起床は極端に遅い。昼直前の11:30であった。 台所で音がするので見ると食事中だ!お昼の仕度もしてあるので昼食を食べていると思いきや、朝食のパンと牛乳を飲んでいる。驚いた!
食後はすぐ横になる(ベッドに入る)最近は食後すぐに横になる傾向
私は昼食を12:00に食べたが、バアさんはベッドで横になっている。
仕事から16:00頃帰ったが昼食はマルマル残っており、食べた形跡がない。 居間にはいると冷たいコタツに入ってミカンを食べている。あえて昼食の話はせずに黙っていたが、本人からはお昼ご飯の一言もなかった。すっかり昼食のことを忘れている。
今まではずっと、自分の腹時計で12時、15時、17時に食事やお茶おやつの要求をしていたが、今日は昼食を自ら抜くと言う珍事発生。これからこのことが珍事ではなく、常態化して行くのであろう(*_*;痴呆も次のステップに入ったようだ(-_-;)
さすがに夕食が待ち切れず、5時頃台所でウロウロしだす。しかし今までのように何が何でも食べるという態度はなくなった。以前私が、「少ない家族であるから出来るだけ一緒に食べよう」と言ったことを覚えていてくれたかもしれない。
夜も比較的おとなしくなった。聞きわけが良くなり、心なしか元気もなくなった。少し気がかりではある。
2010年2月4日(木) 9:30起床するもすぐまた寝てしまった。朝食抜き? 10:00頃ムクっと起き、台所から朝食を居間に運び食べはじめた。 嫁さんが駅まで岐阜のお母さん(娘の姑)を迎えに行って留守の間であった。
今日は娘の婿さんのお母さんがバアさんの見舞いにやってくる。岐阜のお母さんも姑の痴呆で相当苦しめられたようである。(92歳で他界) 正月に我が家に帰省した時、婿さんが我がバアさんのボケぶりに驚き、母親に話したのだと思う。お母さんは自分の経験を踏まえ、私達夫婦にアドバイスするためにやってきたのである。
岐阜名物の菓子“葛湯” に袋が付いている。「お見舞い」と書いてある。 とっさにこれはバアさんに対する物ではなく私達夫婦に対する物だと判断した。有難く頂いた。 (お母さんが帰ったあとで菓子折りを開いて見るとお金が2万円入っていた。恐縮しました)
お母さんと昼少し前までしゃべっていた。いろいろな体験談をお聞きした。とても参考にはなったが、事態の改善は望むべくもないので、はっきり言って気休めにしかならない。 ばあさんは初めは岐阜のお母さんと話をしていたが15分もしないうちに疲れたのか、飽きてきたのか立ち上がり、自分の部屋に戻る。
バアさんが居る前で、私がバアさんの様子を岐阜のお母さんに話すが、バアさんの悪口に近いことでも本人は全く意に介さない。私達の会話に無頓着(内容が理解できない風) 自分に関心の無い事は無視して自分勝手にふるまうというバアさん流の処世術か!?!
岐阜のお母さんの教訓>絶対に逆らってはいけない これは至言かもしれない。確かにこの通りかもしれない。しかし、なかなかそうはできない。 言いたいことを聞いておればキリがない。無視すれば意地が悪いと泣く。 痴呆の程度にもよるが、対応はむつかしい。 とにかく、人生いろいろ!痴呆もいろいろ!しかるに、介護もいろいろ!なのである。
2010年2月5日(金) 起床10:00頃。朝食はずいぶん遅くなってきた。 このため昼食は忘れるか、あるいはズっと遅くなる。 今日は久しぶりに畑に出かけた。13:30頃だ。 帰りは16:30頃だったが、昼食が食べてある。 畑に行くときは寝ていた。畑から帰った時も寝ている。 最近は少し寝過ぎである。心配だ!
ガスストーブはガスコンセントが外してあるので点火しない。既に2週間ほど使っていない。 ただ、電気コンセントはついているので点火スイッチを押せば、いつまでも”パチパチ“と火花が出る。バアさんはこのことが学習できない。
ガスコンセントは力が必要なのでバアさんでは嵌めること事が出来ないが、電気コンセントは電気毛布にも使っているので差し込み部を塞ぐことはできない。そのためガスストーブの点火スイッチは作動状態となっており、電気毛布は24時間オン状態である。
ただ、電気毛布は“ジージーガーガー”の原因だと言うことを真に受け、時々コンセントが抜いてある。学習能力はあるのか(^_^)v
【布団がベッドから落ちるので、夜中に自分で上げているが、力がないので大変だ】と訴えるので、「私に言ってくれればやるから」と、クシャクシャになったフトンを直す。 それにしてもたくさんの布団を敷いているものだ(*_*;これではずり落ちても仕方ない。 しかし、今までズッとこのベッドで寝ているのに最近になってずり落ちるのはなぜか??
フトンずり落ち防止柵を片側のみ設置。(付属品で保管してあるが邪魔だと言うので外した) ベッドを止め、畳の上にふとんを敷けば落ちることはないが、これでは立ったり座ったりが大変だ!このことが理由でベッドにしたのである。
一人住まいの時代からずっと娘が使っていたベッドを使っている。もし、反対側にもずり落ちるのであれば、反対側にも防止用の板をベッド横に釘付けしなければならない。
寒いと言って17:00頃再びベッドにもぐる。ところが、夕食時刻になっても起きてこない。 何度か呼ぶが、やはり起きてこない。食事を終え居間に戻る。が、まだ寝ている。 しばらくして起きてきた。「食事は?」と訊くと【食べたくない】と言い、みかんを一つ食べ再びベッドに戻る。 そのまま夕食も食べず、眠剤も飲まずに寝てしまった。これは初めての出来事だ!
夜中、騒がなければ良いが?不安だ! 11:00私達も寝る。ばあさんはと言えばイビキかいて熟睡している。朝までぐっすり?? でもトイレには5,6回起きている。
<追伸> @ 今日はデイサービスの日で、迎えに来てくれたが本人は全くその気なし。これで3週間連続辞退。もう無理かな!
A ケアプランセンターからバアさんが「要介護1」に認定されたと連絡あり。 本人の様子を見聞するため訪問したいとのこと。(日程>2月10日9:00決定)
2010年2月6日(土) 起床9時比較的早い。今日は嫁さんお休み。 朝食後の薬を出さなかったが督促の言葉がない。最近は薬への執着心が減退している。 特に、眠剤はなければないで済んでしまう日もある。 お昼は“味噌煮込みうどん“であったがバアさんはご飯を食べ、うどんは多いからと拒絶。
嫁さんに「今後、ご飯以外は出さなくてよい」と、厳しく指示する。 昨日の残りの肉料理も残したので嫁さんがチンして食べようとラップしておいたら、いつの間にか生ごみ袋に捨ててあった(ごはんとコロッケと焼き肉)
<今後は残したら絶対食事なし>これを徹底して実践する。
本人が分かってやっているとは思わないがしかし、このことは生きることへの根源であるので容認できない。最高の折檻で懲らしめる必要がある。 “食事抜き”ならさすがのバアさんも事の重大性を理解するであろう。 理解しなければ永遠に食べさせない。“人間、腹が減れば何でも食べる”と言うのが私の処世訓である。バアさんが意地を張って残すなら絶食が待っている。生きるか死ぬか互いに意地の張り合いとなる。私とバアさんの二人暮らしなら多分、ばあさんは餓死する。しかし、幸いにも嫁さんが間に入るので最悪の事態は起こらない。
だが、わがままは絶対に許さない。
今日午後、娘家族が町内マラソン大会参加のためやってくる。 もちろん私も孫と一緒に1マイルコースを走る。
ばあさんは2週間風呂に入っていないので臭い。そこで、日中風呂に入ってもらおうと昼食後すぐに沸かし、脱衣所と風呂場を温風機で温め準備した。 風呂に入るよう進めたその時の一言が余りに強烈で呆れてものが言えなかった。 自分がやりたくないことは屁理屈こねて何が何でも拒否する態度はこの人の性格の悪さを物語っている。 その一言とは、【のどが痛いので止める】だ!!
孫たちが16:00頃到着。岐阜のお母さんからもらったくず湯をさっそく頂く。 ばあさんは【熱い!】の一言で拒否。私に向かって【お前にやる】そんなション便臭いのいらなーーい。だから熱い食べ物は出す必要はないのである。 今晩は孫の希望で“ちゃんこ鍋”だ。ばあさんは必ず文句言うので、別メニューの“うなぎ”が買ってある。奥さんは全てをお見通しである(^_^)v
永年の一人住まいで自分に合ったスーパーの総菜が身体にしみ込んでおり、血圧対策で油と塩分控えめの食事を作っても口に合わないので文句ばかり言ってほとんど食べない。 主治医から「たまには好きなものを食べさせてもいいですよ」と言われているので、こういうときには食べさせることにしている。
娘が気を使って鍋を小皿に入れて差し出した。すると一瞥して熱そうなので欲しくない素振りを見せる。やっぱりかー!娘はばあさんにしてみれば孫だ。子供の頃何かにつけて世話になった娘としてはいろいろ気を使いたいのであろうが、折角の好意にも自分の好みと異なることに喜ぶこともしない。最早、このような気遣い、心遣いは無駄である。なんとも淋しく、とても残念だ。
孫たちがテレビを見てワイワイガヤガヤ騒いでいると正月同様に【うるさい!】と怒り、娘に【もっと子供をしつけるように】と、説教。婿さんも気まずい雰囲気となる。 しかし、夜は眠剤のんで穏やかに朝まで寝てくれた。大勢の来客で気疲れしたようである。
2010年2月7日(日) 今日はマラソン大会なので朝は6時頃には起きるよう孫たちに指示してある。みんな早く起きてきたが、ばあさんは【うるさい】と言って機嫌が悪い。 マラソン大会が終わり、表彰式や抽選会が終わったのが12:30すぎ。昼食はスーパーで寿司を買い13:30ころとなる。夕食は帰り路の途中で食べたいと言う孫たちの希望で早めに風呂に入り、17:30頃帰路につく。
ばあさんは娘や婿さんに【もう帰るのかね。寂しなるね】と殊勝な言葉をだす。 さきほど孫たちが風呂から出るとき娘が子供たちの衣服を準備していると、トイレから出てきたばあさんがいきなり娘から【このクソババアと言われた。なんて子だ!】と嘆く。
娘がこんなことを言うはずもなく、久しぶりの妄想に驚く。この2日間3人の孫たちにより騒々しい日が続き、静かな雰囲気を好むばあさんとしてはストレスが溜まっているものと思われる。 夜中に変なことにならなければ良いがなと心配である。
夕食は昼食べなかった寿司を出したが、案の定【こんな冷たいものはいやだ!】と、食べないので温かいご飯に変更。寿司は【明日食べる】と言うが、いままでこの言葉通り実行したことはない。明日も同じ言い方で断るだけである。ばあさんはなぜか残り物は絶対に食べない。 過去に残り物を食べて痛い思いをしたのであろうか?ボケても忘れないほどの事件だったかもしれない。
夜中、案の定、久々の妄想(暴言・悪態)しかし、すべてが寝言で、初めての出来事だ! 今までは夜な夜な起きて私達の枕元で、【クソダアケ】、【出て行け】、【誰のおかげだ】などと騒いでいたが、今夜はすべて寝言だった。 寝言は夜半2時頃から朝方まで延々と続いた。
2010年2月8日(月) 朝、寝起きの顔つき、顔色を見ると孫たちが居た時とは違い、穏やかになっている。 朝まで悪態ついて、ストレス発散できたのか(-_-;)妄想はストレス解消の妙手
朝食は9時頃、いつものメニュー(菓子パン、牛乳、ヨーグルト) 仕事から帰ると寝ている。「昼だよ―!」と告げるがムクっと頭だけもたげ【腹が減った】と一言言った後、再び布団にもぐり込む。今日はお昼抜きか?!
夕食時、おかずが気に入らないのかグズついた。煮味噌も自分の味と違う。昨日の残りの寿司も冷たいと言って食べない。ならば寿司を温めるか!これはいくらなんでも無茶だ! それでもブツブツ文句言いながら食べ始めた。 と、煮味噌の器を箸の先で押すようにずらす。これはこの人の独特のしぐさである。 いつの日かは定かでないが、このようなしぐさがちょくちょく目に入る。
このしぐさはボケたから出てきたものではない。昔から(健常時代)の生活習慣と思う。 ボケても身に付いた癖は自然に表に出てくるものである。 みっともないので「箸で押すのではなく、手でやりなさい」と、何度も注意しているが、このことがなんでいけないのか理解できないのか改めようとしない。
しばらくして余ったご飯を皿にあけ、まとめて捨てる準備を始めた。 「残り物は私が後で片付けるからそのままにしておいていいよ」と、繰り返し伝えるが意に介さず、黙々と自分の行為を実行し、生ごみ袋に捨てる。 堪忍袋の緒が切れた!久しぶりにひっぱたく。
食べ物を粗末にするなとは子供のころに何度も言われ、しつけられた。 その本人に何度注意しても聞く耳持たない。このことについては一切の妥協をしない。 ばあさんが異常な脳状態であっても決して許さない。
夜、久しぶりに【ジージーガーガーを止めろ!】がでた。 眠剤が気に入らない。青い薬と白い薬の2錠であるが、白い薬が小さいと言う。 夕食後の薬1錠を添付するが、これを無視して脇に押しやる。このやろう! ただ、最近は夜中の悪態が激減しただけでも助かっている。一進一退なのであろうか?
2010年2月9日(火) 今日はデイサービスの日であるが、朝食後再びベッドにもぐりこむ。 9:00迎えに来たが、本人はベッドに入ったまま。いろいろ声掛けするが効果なし。 迎えの彼氏も諦める。仕事に出かけ、帰って来てもまだ寝ている。
12:00昼食時刻になっても寝ているので「ひるめしーーーー」と大声だす。 モゾモゾと起きてきた。 あさりの味噌汁とサバの味噌煮を温めて出す。ごはんを茶碗に半分よそうと、それを見て【少ない】と苦情。バカヤロウ!食っちゃ寝が偉そうなこと言うんでない。少し追加してやった(^_^)v
この人はごはんの量にはとても敏感だ。しかし、ごはんが【歯にはさがる】という苦情は相変わらずである。文句がひどくなれば、御仕置で食事抜きにするだけだ! 1,2日食べなくてもこのメタボは死ぬことはない。 言うこと聞かないときは子供と同じく、おしおきで身体に解らせるしかない。
夜、眠剤を呑んだ後、ヒョコッと顔を出し、【ジージーガーガーがうるさい】と一言。 更に【ベッドを東の間へ変えて!】「ダメ」と拒否。 この件は絶対に譲れない。徹底的に反発してやる。
2010年2月10日(水) 9:00、ケアプランナ―来宅。“要介護1”の認定を受け、どのようなケアが必要か、親族と本人の様子を面談しに来た。率直に現状をお話しする。
昨年10月頃から変調し、年末30日に急変。正月以降2週間は最悪。 家族は身体が持たないのでどこかへ追い出したいと希望する。 その後、ベッドで横になる本人と面談(本人はまだ朝食前だ) いろいろしゃべっていたが、しきりにバアさんが【今、誰か居る?】とプランナーに訊ねる。「いない」と言うと、嫁さんの悪口をしゃべり始める。
このあとケアの内容について相談。 本人は自分の発言を1分もすると忘れてしまうが、我々夫婦は連日の悪態で精神的にもつらい。
<私の希望> @ 最近デイサービスにも行ってないが、これは本人が元々外出を好まないことからきており、季節が温かくなれば変わってくる可能性もあるのでこのまま継続したい。
A ケアは最優先で考慮して欲しい。 まづは2泊3日くらいのショートステーで様子を見たい。本には外出を嫌うので相当な抵抗がありそう。しかし、半強制的に引きずり出したい。(プランナーから具体的に推奨施設名がでる)
B 慣れてきたら1週間、10日間などのステーを経て、外出の楽しみを味わわせたい。 こうすれば我々夫婦も旅行など可能となる。
C 最悪のシナリオ デイサービス、ショートステーすべてを頑強に拒否し、痴呆も進展し、我々夫婦だけでは対応できないときはグループホームの世話になる。
朝食は10:00だった。食べた後、いつものようにすぐ横になる。 お昼頃ではまだ布団の中だ!私は早めに昼食して仕事に出かける。 バアさんの昼食は嫁さんが準備してくれて、飯台に載せてあるのでチンするだけとなっている。 ガス元栓OK,冷蔵庫ドアOKなどと点呼しながら留守安全を確認する。
帰宅は嫁さんより遅く、夕食は一人であった。嫁さんから食事の内容についてばあさんから小言を貰ったと報告あり。私がおればそういう場合、大きな声で「いやなら食べるな!」と叱るからばあさんもしぶしぶ従うが、嫁さんはやらないのでなめられており、いつまでもしつこく小言が続く。最早ばあさんは口で説いて分かる人間ではない。とすれば、身をもって体現させるしかない。すなわち、食事に不満があるなら食べさせないことである。 飢え死にしたくないから腹が減っておれば何でも食べるはずだ。
しかし嫁さんはなかなかこれが実行できないので、いつまでも食事の苦情が続く。困ったものだ。
2010年2月11日(木) 7時半頃、まだ早いが【今日は疲れたのでもう寝る】という。 一日食っちゃ寝―でどこが疲れる?!馬鹿か!と、腹では思うが、早く寝てくれた方がこちらも助かるので薬を渡す。ばあさんは台所に水を汲みに行く。
居間に水と薬を置き、【寝るにはまだ早いね】と嫁さんの顔を見る。また始まった。 思うことがコロコロ変わるのだ。この状態で9時頃までテレビを見ていた。 7時半頃【眠むたい】と言ってきたのは何だったのか?
まだ薬を呑んでいない様子。手を見ると白い薬1個のみ。 寝る前は青と白の2錠である。「どこへやった?」と訊ねる。ばあさんが【寝る前はこれ1個だよ】答える。今や薬の数もできない。 青い薬が見当たらないので探してみるが見つからない。ちょっとまてよ!ひょっとして?
と、ゴミ箱を見ると青い薬が1錠が袋に入ったまま捨ててある。 思わずパンチ2発!命より大切な寝る前の薬は単に「催眠剤」だったようだ。
2010年2月12日(金) 今日はデイサービスの日だ。9:00丁度に迎いがきた。 しかし、ばあさんと二言三言しゃべり本人の意志がない事を確認し、帰る。 また、今日は「要介護1」の認定後初のショートステイのための手続きとして病院で健康診断を受ける日でもある。
今日中に受診すれば良いのであるが本人の状況を見て適切に連れ出さなければならないのでそのタイミングが難しい。そこで、朝から「今日は健康診断を受ける日です」とか「80歳以上はすべての老人が受診しなければならない決まりです」などと拒否できないものであることを強調した。 昼食も私が準備し、温かい居間に運んだ。「3時に病院に行くからね」とくれぐれも言い聞かせる。2時半になったのでベッドで横になっているバアさんに「そろそろ出かけるよ」と誘う。が、キョトンとしている。 再度「今日は80歳以上の人の健康診断日だよ」と告げる。が、バアさんは【足が動かない】とか【薬はなくても、治ったから要らない】とかいろいろ屁理屈をこねる。何度も何度も健診を受けようと勧めるが言うことを聞かない。 そこで、ふとんをはぎ取り、ベッドから引きずりおろし、「さあ準備して」とコートを渡すが動こうとしない。 引きずり下ろされたことに驚いて【何でひどい事をする」と文句。らちがあかないので更に両手を持って勝手口までひきずっていく。ギャーギャーわめくが構わず強硬手段に出る。 とうとう勝手口で泣きだしてしまった。これ以上は手を出せないので諦めるより仕方がない。 もう少し時間がたてばその気になるかもしれないと待つが、一向にフトンから出てこない。
4時半頃、トイレに入ったので再び病院に行って薬をもらおうと誘う。ところが今度はトイレから出てこない。私は仕事があるのでこれ以上付き合ってはおれない。そこで、「そんなにトイレが好きならそこに居れ!」とトイレの入り口の引き戸につっかい棒をして出かける。
出先からケアプランナ―に電話で「今日は無理です」と断る。明日土曜日もOKとは言うが、この調子では無理矢理担いで連れ出さない限り、本人の意志を待っていては敵わないと訴える。 最悪、月曜日でも良いとのことなので嫁さんと相談して対応方法を考えることにした。
とにかく今日は堪忍袋の緒が切れた。(ちょっと切れ過ぎか(*_*; お仕置きが必要だ!子供の頃、悪さすると家に入れてもらえないか、押入れに押し込められたものだ。今日は許せん!! 仕事から帰るとトイレに押し込めたはずなのに廊下を歩いている。つっかい棒も辺りには見当たらない。探すと勝手口にあった。かなり強く戸を叩いたのか、竹の棒が折れている。 すごいもんだ!!
おしおきその@ 夕食抜き “夕食抜きは“今のところ最も効果的な処置である。
おしおきそのA 薬(眠剤)なし。 薬は当然ながら必要ない。再三にわたり「今日は病院に行って診てもらわなければ薬はないよ」と告げている。これに対しバアさんは【どこも悪いところはないので薬はいらない】と、何度も答えた。本人が要らないと言うのだから無くても良い。
嫁さんが帰って来て夕食の支度を始めた。私の決意を知らない嫁さんはもちろん、バアさんの分も作っていた。私は今日の出来事を簡単に説明し、だから「今日は絶対食べさせない」と宣言する。夕食時刻が来てもバアさんはのんびり居間で夕刊とかテレビを見ている。我々の食事が終わる頃、【腹が減った】と言いながら台所にやってきた。
すかさずバアさんに「今日は食事なしといったでしょう」と告げ、台所から無理矢理廊下に連れ出しドアを閉める。嫁さんにも今晩は絶対に食べさせないときつく指示。 更に、居間に置いてあるおやつ類(みかん、菓子、アメなど)も手の届かないところに移し、一切の食べ物を取り上げる。
この状態をいつまで続ければ頭を下げるか試してみる。 毎日、普通に食事し、勝手に寝、自由におやつ食べている人間がどこまで耐えられるか? 今までの自由が拘束された時、多少なりとも家族への感謝の気持ちが出てくれればいいなと思う。
夕食なし、薬なしで11:00頃トイレに起き、そのまま寝てしまった。 メタボなばあさんであるから2,3日食べなくても大丈夫だ。少しは今の生活がいかに恵まれたものであるか感じ取ってくれればありがたい。が、最早、無理なことか?!? (2010年2月−1 ) |
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2010年2月13日(土) 嫁さんが帰ってから病院に連れて行ってくれるという。私が告げても、無理矢理引きずっても車に乗せることは出来ない。メタボのばあさんを抱き上げることなどできるわけがない。 夕方、病院に行くことを再び告げるが、【薬は○○君(次男)がもらってきてくれる】とか、【よぅなったからもう薬はいらない】などとその時々で上手に言い訳してすり抜ける。《あゝ言えばこう言う》でもの言いではかなわない。
嫁さんが帰宅し、夕食を済ませた後、出かけようと話すが拒否される。 ラチが明かないので曳きづり出そうと二人で吊り上げて勝手口へ。 嫁さんのやさしい言葉に観念したようで、その気になる。
出かけたがその時は既に6時を過ぎていた。しばらくして嫁さんから電話。 「病院は閉まっている」「裏口に回っても誰もいない」という。残念!遅かった! せっかくその気になったがスレ違いで目的を達成できず。 残された道は来週月曜日となった。何が何でも病院に連れ出さないといけない。 健康診断しないとショートステイの道も閉ざされてしまう。
2010年2月14日(日) 8:30起床。何もない日は早起きだ!!(^^)! 障子を開けると【今日はいい天気だねー】と、上機嫌(*^^)v ほぼ終日穏やかに過ごす。 特筆すべき出来事 日中、嫁さんに誘われてシャンプー 身体は臭いが風呂には入りたくない!衣服を脱いではいるのが面倒なのか? 夕方、末弟が子供の結婚式の写真をもってやってきた。 バアさんは一瞬キョトン( ゚Д゚)写真を見せると【誰?】何年も逢ってないからしょうがないか!
今の炬燵から食べ物、飲み物を撤去して1週間、特に文句もない。 最近は物事にこだわりがなくなった。
2010年2月15日(月) 今日は健康診断のリミットである。嫁さんと、何が何でも連れ出す作戦を立てる。 私一人では言うこときかないので2人で誘うため、嫁さんには夕方早めに帰宅してもらい、嫁さんに病院に連れて行ってもらう。はてさていかがなるか?
朝から「今日は健康診断だよ!」、「日本中の80歳以上の老人が健診を義務付けられているよ!」 「あなたは20年以上も前から医者の世話になり、血圧や足のしびれなどの薬をもらい今まで生きてきたのですよ!」、「足のしびれを診てくれているお世話になっている先生があなたの健康状態を確認したいといっているのだから行くのが礼儀ですよ!」とかいろいろ理屈をこねる。
昼前10:00頃、朝食を終えたので、「それでは医者に行くよ」と、誘ったが言うことを聞かない。挙句に【薬はいらない】、【もう治ったから医者に行く必要はない】と要領がいい。 再三誘ったが無理だった。そこでお仕置きとして昼食なし。 あらゆる飲食物をばあさんの手の届かないところに配置。台所にも入れないよう入口のドアは鍵掛け。ベッドから起き上がり、なんだかんだ言うが無視。するとそれ以上追求せずに自室に戻る。 最近は諦めが早くなった?
15:00頃、再び誘うがこれも拒否。昼抜きでも【腹減った】とは言わない。食べなきゃメタボが解消できるので大歓迎である。 仕事から帰り様子を見ると、フトンにもぐっている。夕方5時嫁さんが帰宅。 「2回誘ったが言うことを聞かない」と、報告してバトンタッチ!
嫁さんが枕元で優しく誘うが挙句は【うるさい!あっちいけ!】だ! 私にはこんなひどい言葉は使わないが嫁さんには昔からひどいことをいう。 何度かこのようなやり取りを聞いていたが、我慢の限界と相成った! フトンを剥がし、ババアを引きづり下し、両手を持って台所まで曳きづって行く。 本人は観念したか立ち上がり、嫁さんの優しいに誘導され、車に乗って出かけた。やったー!
7時頃帰宅(約1時間半かかった) 待ち時間が長く往生したと言う。健診と検診の間で準備時間があるのであろう。 ばあさんはいやな顔ひとつせず、穏やかに待っていたと言う。行く前の態度とは雲泥の差である。
とにかくババアは身内には言いたい放題だが、他人さまにはとても気を使う処世の持ち主である。特に“先生”と呼ばれる人(医者、教師、政治家、その他通称「先生」と呼ばれている人達)には格別の思いを込めて丁寧語を乱発する。 (でもこれってそもそも「日本の文化」ではなかったかな?)
診察料は7000円かかったという。本人は1割負担であるから医療費は7万円ダ! あっと!驚く!ため五郎!――! ボケ老人にこんなに金使う必要があるのか?とても疑問だ! 日本の医療制度はこれでいいのかな?大いに心配である。 しかし、今や国家の最重要課題である“激増する高齢者医療”を、将来のための投資と考えて良いのかもしれない。それ以上に我が母は間違いなく寝食を忘れて国のために働いてきた人だ! こういう人を大事にしない国家社会は絶対に繁栄しないと思う。
などとカッコいい事をのたまっても、健診医から「手の甲にアザがあります」と指摘され冷や汗をかく現実もある(*_*; (アザはベッドから引きずり下して車に乗せた時、できたのかもしれない)
健診で疲れたのか眠剤なしで寝てくれた。 “薬をもらうために健康診断を受ける”という屁理屈で、今日は無理矢理病院に連れて行ったが、本人は何で診察を受けたのか忘れている。
今までは寝る前になると必ず【眠たいで薬くれ」と、言ってきた。しかし、最近1週間は眠剤の要求がない。眠れなければ必ず【ジージーガーガーがうるさい】とか【眠れないので薬くれ】とか訴える。が、それがなくなった。 永年、薬と共生してきたが、その薬とも別れの時が来たようだ。嬉しいような悲しいような! 複雑だ!
2010年2月16日(火) 9時前にトイレで起きてきたがおわると再びベッドへ。デイサービスの澤田さんが久しぶりに来宅し、ばあさんとお話しする。2月は全休なので心配して様子を見に来たようだ。 澤田さんの誘いにも関わらず、出かける意志なし。少し近況をお話しする。
日中は二人とも留守がちでバアさん一人になるが、朝食と昼食は嫁さんが用意してあるので問題なし。ガス止め、冷蔵庫封印、戸締りしっかりで安心!
夜中3時頃から【ジージーうるさい】と騒ぎ出す。昔のようにはしつこくないので楽ではある。 【寝れないから困った】と訴えるので“頓服”を1錠水とともに渡す。嬉しそうに呑む。 すぐには効かないのでしばらくは【寝れない】と訴えていたが、いつの間にか静かになった。
2010年2月17日(水) 頓服が効いたのかぐっすり寝ている。最近は「朝食後」と「夕食後」の薬も出さないが、欲しがらない。眠剤も出さないが強くは欲しがらない。それでも台所に入って薬を探している様子。いじらしい! 昼頃、仕事から帰り、居間に入るとミカンが2個こたつの上に置いてある。ミカンのカゴは確かプレーヤーの上に置いたはず?ということは、ここまで手が届くのだ!一緒に置いてあったもらいものの夏ミカンのお化け(ボンタン?いや違う。いや忘れた)が見当たらない。 台所の生ゴミ袋を見ると、皮と一緒に捨ててある。そこにはキンカンもいくつか捨ててある。バアさんが昼食を食べに来たので「これは何だ?」と、捨ててある夏ミカンのお化けを見せる。 【知らん!】と一瞥。「食べ物を粗末にする人間は最低の人間だ!」、「子供の頃、あんたからも良く言われたし、家族全員が大切にしていた!」「情けない!」と大声で叱りとばす。
バアさんはさすがにわたしの剣幕に驚いた。そして、【あとで食べるから】と弁解した。 すこしは反省できるようだ(^_^)v 「今後こんなことしたら承知しないから!」 「あんたがわたしの親と思うと恥ずかしくてしょうがない」などなど散々嘆き言葉をしゃべりまくり注意する。
今日は眠剤なしで寝た。
2010年2月18日(木)快晴 10時頃起床。勝手に朝食を食べている。 今日は嫁さんがお休みなので明日19日のケアサービス関係者来宅に合わせて大作戦開始。 @ 2週間ほど風呂に入っていないので、日中風呂に入れる。 A 着たきりすずめなのでズボンとセーターを着替える。(下着は自分で替えているいるようだ) B 布団を干す
@とAは嫁さん担当。Bは私の役目。 これが終われば明日皆さん(ケアプランナ―、ショートステイ責任者、デイサービス責任者)が来ても臭さはなくなるであろう。
11時頃風呂を沸かす。嫁さんが優しく勧めるが泣きだして【いやだ!】と反発。 繰り返し優しく勧める。しかし、ガンとして立ち上がらない。今日風呂に入ってくれないと身体の臭いが皆さんを不快にさせる。これでは私達二人の同居意味も問われる。とにかく入浴させないといけない。
なかなか言うことを聞かない。最後の手段しか残っていない。大声で「いい加減にしなさい」 「風呂に入って垢を落とさないと臭くてしょうがない」などと繰り返す。それでも立ち上がらないので嫁さんと二人で脇と手を持ち、身体を持ちあげ、引きずるようにして風呂へ運ぶ。 脱衣場に入ると観念したようで一人で入ると脱ぎ始めた。が、5分もすると出てきた。もう少し、少なくても20分くらい入っていると垢が浮いて綺麗になるのに残念である。 と思っていたが、浴槽を覗いて驚いた。僅か5分で浮遊物が浮き上がっている。きたなーーーい!
ただ、金曜日に病院に行く時、無理に引きずって玄関まで運んだとき、手を強く握って引っ張ったため手の甲にアザができた。メタボのバアさんはとても重い。抱き上げることは不可能だ! 引きずる時、持った場所によってはこのような内出血も起こる。
夜寝る前に【ジージーうるさい】と言いながら居間にやってきた。無視すると【バカ!】と一言 言って戻る。
2010年2月19日(金) なぜか今日は起床が早い?(8:30頃) デイサービスの迎えがいつものようにやってきた。 着替え、顔を洗い、歯を磨き、朝食を食べるかと思いきや戻ってきた。
デイサービスの迎えが眼に入り、朝食も食べずに急いで自室に逃げ込んだ。 迎えは照れ臭そうに「今日は顔を見に来ただけです」と挨拶したが、バアさんは急いでフトンにもぐって【行きません】と何度も拒否。フトンに入ったまま出てこない。 朝食は忘れてしまったようだ!
今日は“要介護1”になってショートステイの可否について本人面接のため、関係者が来宅される。約束の時刻14:00に3人(ケアプランナ―、デイサービス、ショートステイ)が次々とやってきた。 16:00近くまでバアさんの現況について聴取を受けた。 ショートステイに際しての心構え、準備する事柄などの説明を受けた後、契約書にサイン・捺印。
最初のショートステイは22日から24日の2泊3日となる。 ただ、22日朝、迎えに来てくれるが行く気になってくれるかどうかが問題だ! 行く気がなくても車に乗せてしまえばこっちのものだ!が、どうやって車に乗せるかだ! 無理矢理吊り上げて車に押し込むしかないが、メタボのバアさんを吊り上げるのは並大抵ではない。私が「マッチョな職員はいませんか?」と訊ね。みんな大笑い。
とにかく“いやがるバアさんをどうやって車に乗せるか“が最大の問題だ。 ショートステイの建物に入れてしまえばすべての問題は解決する。 家族以外の人間集団に入ってしまえば、ばあさんは如才なく立ち居振る舞いするはずである。
夜中何度も私の枕元に来て【寒くないか?】、【温かくしないといけないよ】と母親らしい優しさを見せる。こんなことは初めてだ!気持ちが悪い(*_*;
その後も繰り返し何度もやってくるので眠れないのだろうと“眠剤”を与える。湯のみに水を汲み、薬を袋から取り出し2個手渡す。が、白い薬だけ飲んで青い薬が手の中に残っている。 どうも青い薬は飲みたくないようだ。指でギュッと握り、私が指を広げなければならないほどだ。
多分、これまでも青い薬は意識してのんでいないのであろう。私が手の中の青い薬を見つけ「ここにも残っているよ」と口の中に入れる。すると、思いがけない言葉が返ってきた。【おや?こんなところにあったのかい?】【ありがとうね】と優しい礼の言葉だった。 このような調子なら何の問題もないのだが?!?
今日は施設の責任者が3人も来宅し、バアさんはしばらく歓談していた。 バアさんは他人と接するとき、最大限の神経を使って応対する。このことで疲れが出たことと、その体験が優しい母親を思い出させたように思う。よかった!よかった! 薬を飲んだらすぐにイビキが聞こえる。ぐっすり眠れるようだ。
2010年2月20日(土) 今日は私は終日仕事で留守になる。バアさんは一人暮らしに慣れており、気にならないようだ。 いや!もう諦めているのかもしれない。
2010年2月21日(日) 今日は我が家で定例の兄弟昼食会だ! 蒸しシャブで自作のキャベツや白菜や大根を食べてもらう。 この他嫁さんがエビフリャーやカキフライを揚げてくれる。ご飯とみそ汁をつけて豪華な昼食会となった。 バアさんも東の間に2回ほど顔を出し、一緒に食べる。しかし、いつもように【ご飯が少ない」だの、【蒸しシャブが熱い】だのと文句ばかり言いいながら、しばらく3人の話を聞いていたが飽きたのか、これまたいつものようにいつの間にか居なくなる。
3人が酔った勢いで声高にしゃべっていると【大きな声出すな!】と怒る。3人は意に介さず無視して喋りまくる。二男は前回三男の家での昼食会で呑み過ぎて二日酔いだったということで、今日はアルコールを控えると言う。それでも500ml缶ビールを1個呑んだ。
三男と私はガンガン呑んで私の晩酌銘柄「一番搾り」500ml缶を10個呑んだ。二人ともどれだけのんでも酔わない(職業病?!?)から面白みはない! 3時頃お開きにし、酔い覚ましを兼ねて明日からバアさんがお世話になるショートステイの施設を見学することにした。
中に入ると係員の女性が出てきた。「明日からお世話になります。施設を拝見したく兄弟3人でお邪魔しました」快く見学させてくれた。バアさんレベルの利用者は3Fへ。すべて個室で、館内は熱いくらいであった。これなら寒がりのバアさんも文句はない。太好了!
2010年2月22日(月)>今日は2泊3日のショートステイ日(1回目) 10:00ショートステイから迎えが来た。 バアさんは今朝はいつになく早起き(8:30頃)で助かった。ベッドで休んでいたが迎えの職員が明るい笑顔で「ちょっと遊びに出かけましょう」と優しく誘う。しかし、普段とは違う雰囲気を敏感に感じ取り【いやだね!】と叫び、【足が悪いから】と、いつもの言い訳をする。
再び職員が優しく誘う。しかし、フトンに入ろうとするので慌ててバアさんの脇を抱え、職員にも反対側の脇を抱えさす。二人で抱き上げて玄関まで連れ出す。すると、やはりバアさんは観念してサンダルを履き、杖を持った。自身で玄関を出て、車に向かって歩き出す。やれやれ! はたしてこれからどうなるのでしょうか?
早速、嫁さんに無事送りだしたことを電話で報告。夕方、現場を見に行くことにする。
嫁さんが帰宅したので一緒に施設に出かける。サポーターに面談し、本人には会うことを避けた。私達二人の顔を見れば淋しくなって帰ると言って聞かないと思ったからだ。 (しかし、この心配は無用なことが後で分かった) 幸いにも今日は日中、施設からの異常連絡はなかった。 今朝迎えに来た彼と責任者が面会してくれたので様子をお聞きする。
@ 昼食は特に苦情もなく食べた。 A 別の利用者の中に世話好きで話好きの人がおり、良くおしゃべりしていた。 B 風呂は最初は嫌がったが、風呂場を見せたら入ってくれた。 C 夕食後にホームシックになるのではと心配したが意外に静かであった。
初日はほぼ順調に経過した。やれやれです(^_^)v 夜は本当に久しぶりにぐっすり眠れた。
2010年2月23日(火) 朝、いつもの顔が見られないのがちょっとさびしい。 今日は大作戦敢行の日となる。バアさんのベッドのフトンカバーを剥がし洗濯し、ふとんを虫干しする。更に衣類や下着などをすべて干し、名前をマジックで書き込む。 フトンはふかふか!下着はシャキっとした。
夕方、施設から「明日は9:00に帰宅予定」との電話あり。 2日間の様子(起床、朝食、昼食、日中、夕食、夜間、トイレなど)を訊ねる。 が、特に報告することもなさそうだ!太好了! ホームシックになるという感情も既に消えているようだ! とても寂しく、バアさんを不敏に思ってしまう。とても可哀そう!
2010年2月24日(水) 今日はバアさんがショートステイから帰ってくる。予定は9:20頃だ。 8:45頃、ケアプランナ―から「昨日、バアさんの様子を見に行きました」と電話あり。 初日は違和感なく過ごしていたようだが、二日目は【なんでここにいるの?】という疑いが出たとのこと。これを聞いて逆に安心した。多少はホームシックにかかっているからだ。
どんな顔して帰ってくるのか?とても楽しみだ!
帰宅第一声【なんであんなとこへ行っただね!】家を忘れていなくて安心した。 「どうだった?」と訊ねても返事もなく、無視された。 嫁さんが出しくれたミカンを目ざとく見つけ早速食べ始める。 施設の食事量では不十分で耐えられなかったのかも(*_*;
更に追加の一言。【ここにベッドを運んでくれ】と、今までの望みを忘れていない。
ケアプランナ―から次のショートステイの予約が取れたと連絡あり。 同じ施設で3月10日から13日までの3泊4日で一泊増。お願いする。 でも本人は気のりはしていない風だ! 気位の高い女であるからボケた老人ばかりのところには行きたくないのであろう。 3月は再び大作戦だ!
寝る前に眠剤を要求した。 ショートステイには「眠剤は要求されない限り出さないように」と、お願いした。 結果は毎日要求されたようで、病院並みに事務的に眠剤が出されていた。2日間確実に眠剤を飲んだ記憶が残っているのか?
2泊3日の外泊で疲れたようだ!ぐっすり朝まで静か(^^♪
<付記>
ショートステイでの様子(施設の連絡帳要約) @ 食事状況>自分で食べる。ごはんは完食、おかずは気に入らない様子で2〜8割 A 排泄状況>職員の手助けを拒否し独自で行う。ただし、場所が覚えられず誘導する。 B 入浴状況>初日と2日目の2回とも入った。ただし2回とも当初は嫌がっていたが上手に勧めたことで怒ったり、騒いだりすることはなかった。 C 夜間状況>夕食前から軽い帰宅願望あり。薬は眠剤を忘れることもあり。室内のユニット冷蔵庫を触ることなし。トイレ以外起きることなく、静かに寝ていた。 D 活動内容>日中は居間(個室)でベッドに横になっていることが多い。職員が起きるように勧めるが意に介さずマイペース。食事の前後では他の利用者と世間話をしている。
私の要望事項 1、特に家族として知りたいこと @ 起床時刻、就寝時刻 A 日中の過ごし方、特に食後の行動 B 食事態度
2、お願い>非日常を強化して欲しい 日中における様々な刺激的プログラムを期待する。 無理矢理やらせることも時には必要だと思う。家族では言うことを聞かないから。
2010年2月25日(木) 今日は意外にも早起き(8:00頃)2泊3日のショートステイの効果か? 開口一番【なにか食べるもんあるー?】【腹減った!ギャアハ】! 予定通りケアプランナ―来宅。今日は嫁さんもお休みなので一緒に打合せできる。 3月の予定3泊4日を確認。 4月も3泊4日を1回予約可(12日〜15日)とのことなのでお願いする。
バアさんの痴呆の進行が思いのほか早いので、プランナーもショートステイの刺激策第3弾を期待していた。とにかく自宅に居ては何のストレスもない。自分が一番上だと思っており、言いたい放題やりたい放題である。こんなところに居ては痴呆はドンドン進むし、私達二人のストレスは積もるばかりだ!外にほっぽり出して世間の風にさらしたい。
昼食前、畑から帰るとバアさんが【腹減った!】【何かある?】と台所でゴネテいる。
食事しながら【ご飯に皮がかぶっているので歯にくっついて不味い】と、いつもの文句。 「いやならやめとけ――」と怒鳴る。と、【何で怒るのだ?】ととぼけた一言。自分が言ったことも忘れて怒られたことだけ聞き返す。今、怒鳴られたことを瞬間忘れてしまい、その訳を覚えていない。ゴチャゴチャ訳のわからないことを言うので、再び大声で「食べるなー」と怒鳴り、思わず平手がバアさんの頭に飛んでいた。
改めて、「まずいなら食べなきゃいい」と言うと、【食べない】と答えたのには驚いた。 この対応は初めてだ!売り言葉に買い言葉か! ガチンコ勝負のできるバアさんの気迫に恐怖を感じた。
午後、中央公民館へ(PC) 4時半頃帰宅すると嫁さんは台所、バアさんは居間。淋しそうにしているので「菓子食べる?」と、聞くと【欲しい】というので1個あげる。嫁さんが「3時に珈琲と菓子を食べて、それからミカンも2個食べましたよー」とあきれ顔で叫んだ。これでは夕食は食べれませんね。
ところがどっこい、5時半頃台所に入り、【ごはんまだ?】と訊いてくる。 いったいどうなっているの?!?
9時頃、【もう寝る】と自室に入るが、眠剤を要求しない。 今日は私が何度か怒鳴ったので恐怖心のため薬の要求を控えたのかもしれない。 穏やかな口調では何度言っても効き目はないが、大声で怒鳴ると私が本当に怒っていることが伝わるようだ。 嫁さんがなにを言っても聞く耳は持たない。【シャラクサイ】の一言ですべてを無視される。
2010年2月26日(金)、27日(土) 比較的静かな二日間であった。 しかし、食事時になると茶わんのごはんの量が少ないと言ってはごねる。私から嫁さんに食事量を減らすよう指示しているがそれでも残ったものを生ゴミ袋に捨てる。はじめから少量にしておけば残すこともない。しかし、量を減らすと文句が出る。かくして、毎日がこの繰り返しだ!
2010年2月28日(日) 夕食時、台所で言い合いが始まった。 見ると、ごはんの量が少ないと文句言っている。 「文句があるなら食べるな!」と大声で叱り、茶わんを取り上げる。嫁さんは「足りなきゃお代りすればいいからね」と優しく説くが、言われたことが理解できないようだ。
私が居るときはこんなことは言わないが、嫁には自分の我がままが通ると思っているのか、あるいは、嫁を馬鹿にしているのか。 挙句には、【この家は私が作ったのだよ】と訳のわからないことを言う。思わず手が出た。
「食べるな!」と一喝し、「ここから出ろ!」と怒鳴る。それでも座っているので引きづり下し出そうとするがメタボなバアさんは重くて動かない。嫁さんが「まぁまぁまぁ!」と言って中に入り、私を制止する。私が居ないとき我が儘を言うことが多くなった。私の前で食事の苦情をいうと叩かれることを覚えたようだ。まだ学習能力はある、この調子で厳しく躾けよう(^_^)v (2010年2月完 ) |
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【2010年3月のデイサービスと介護日記】
3月も2月同様、寝不足の毎日が続いた。内容も同様なので特筆すべき事項のみ記録した。 3月のエポックは何といってもデイサービスが7週間ぶりに再開したことである。
3月は2回目のショートステイ実施(10日〜13日までの3泊4日)
2010年3月1日(月) 日中、【ジージーとうるさい】と何度も訴える。無視し続けるが、今日はいつもと違った。 【ベッドを元の場所に戻してくれ】としつこく迫る。 同じく無視し続けると、なんと自分でベッドからフトンを下し、東の間に運び始めた。 “火事場の糞力”!自分でやれるのだ。少し安心した。足腰はまだかなりしっかりしている。 何も出来ないような振りをしているが、実際は体力に問題はないのだ。
頭がボケて支離滅裂なだけだ!30分くらいですべてのフトンを運び込んだ。 運んだフトンを見ると、なんと!なんと!綺麗に手順よく敷いてある。 すなわち、敷布団+電気毛布+着布団の順だ!お見事!やればできる(^O^)/
しかーーし!多分夜になると、新居から【ジージーガーガーうるさいからなんとかして!】と泣きついてくるだろう。
フトンを移動させて気分爽快なのか、突然外に出る。
今年の正月明けからベッドを東の間から仏間へ移動。以来ズッと【元に戻せ!】と言われ続けてきた。頑としてその要求を拒み続け2ヶ月過ぎた。自分で布団を移動でき、しかもベッドなしでも寝起きできるならベッドなど無用である。 そこで、バアさんが散歩している間に素早くベッドを分解して2階の物置に片付ける。
2004年こちらに引っ越してきて以来約6年、娘が使っているベッドを引っ張り出し組み立てて利用してきた。寝たり起きたりが畳の上より楽であろうと母を思ってのことであったが、畳の上から難なく寝起きできるならベッドなど邪魔である。
逆に、楽をすればそれだけ動きが少なくなり体力の維持向上が難しくなるとも云えるので、畳の方が良いかもしれない。などと勝手に納得してベッドを早々に片付けたが、外から帰ったバアさんはベッドのないことに何の違和感も抱かず、平然としていた。いやはや!
21:00、風呂に入り、フトン運びで疲れた身体をほぐし、今日はゆっくり休むだろうと思いきや、22:00頃、【この部屋で初めてジージーいう】と訴える。思ったとおりなので何も言わず無視する。自分で運んだフトンであるから他人の所為にはできない。いつもならしつこく何度も何度も悪態をつくが、自業自得を理解しているようだ。 まだまだしっかりしている面も残っている。バアさんはやはり並の女ではない。
2010年3月2日(火) デイサービスから迎えが来た。 1ヶ月超えのお休みを心配したのか迎えに来たのは責任者であった。 しかし、デイサービスの日は予感がするのであろうか?はたまた超能力なのか?起床が見事に遅くなる。折角お出で頂いたが、手ぶらで帰っていただいた。
この調子だと10日から13日までの3泊4日のショートステイが危ない。もしフトンにもぐることになってもパジャマ姿のまま連れ出すつもりだ!着替えは向うでやればいい。
今日は終日二人とも外出し、留守だった。夕方帰ると、家は真っ暗闇で灯りがない。 バアさんは寝ているが、昼食は食べてある。しかし、台所の水道が出しっぱなしだった。
夕食時には眼が覚め、【なんか食べるもんある?】と、起きてくる。 寝ているようで起きており、ガサゴソ音がすると何だろうと気になるのである。 ただ、食卓に座ると必ず内容に文句言う。 @ ごはん >【歯にからむ】、【殻が被っていてまづい】 A おかず >肉気がないとブスっとして機嫌が悪く、私が席を離れると嫁さんに向かって【出て行け】という。私が「今何と言った?」と訊ねると【なんにも言ってない、いただきます】と、はぐらかす。このような気転は驚くべき技で、ただただ感服するばかりである。 “自分に都合の悪い時は上手に話題を切り替える“とは、永年の処世術なのであろうが、これを家庭に持ち込まないで欲しいのである。
つまりは、無意識のうちに嫁をいびっているのである。これは一般的に言われている現象と同じで特に珍しい事でもなく、結婚した当初から大なり小なり続いていることである。
しかし、現役を引退してボケバアさんと一緒に生活していると、このことが気になって気になってしょうがないのである。 いつもなら大声で怒鳴るのであるが、口で注意しても効果のない事ははっきりしている。 バアさんのはぐらかしにまんまとはまり、負けるだけだ。
「文句言うなら食べるな―!」一喝して、バアさんの茶わんを取り上げる。と、嫁さんが「マーマーマー」と言いながらバアさんに食べるよう進める。食事ではいつもこんなやり取りが続く。 嫁さんも大変だ!嫌味ばかり言われてもそれに臆せず、事態の好転を考える。私には真似ができない高度な対応力です。感謝感謝!
ところで最近では薬は要求しない限り出さないことにしている。眠剤も然り。 部屋が変わっても相変わらず【ジージーうるさい】は続くが、「あんたがうるさいところに変えたのだよ」と、責任は自分にあることを強調。すると、【くそだ―け!】と悪態ついて引き下がる。このような態度を見るにつけ、“負けず嫌いの性格”は明白で、嫁さんがどれだけ頑張ってもバアさんを言いくるめることはできないのである。
また、【寝れない】と言ってきても容易には」薬は出さない。「薬はありません」と断ると、一晩中ウロウロ歩き回り、ほぼ一睡もしていない様子である。当然、私達も睡眠不足ではある。 ただ、バアさんは日中、横になって休んでいるから疲れている訳でもなく、夜寝れないのは当たり前なことで、正常なので心配はしていない。
2010年3月3日(水) 今日は【眠剤をくれ】と要求してきた。一体どういう構造になっているのであろうか? その夜は静かに寝た。久しぶりの眠剤で効用は大きいのかも(^_^)v 今後も薬は要求(自分で自覚)しない限り出さないことにする。
実は、2月24日が月一の健診日であったが、その時もらった薬が今でもかなり余っている。 この調子なら2ヶ月に一回でもよさそうだ(^^♪
2010年3月4日(木) 今日は曇天で肌寒く感じる。 バアさんは久しぶりの眠剤が効いているのか起きてこない。 昼過ぎても寝ている。「お昼だよ―!」と、戸を開けると首をもたげて【後で!」、【お前先に食べなさい】と、優しく応える。この応対はいったいどうなってしまったのだ――!
午後は出かけたので、帰宅して嫁さんに「いつまで寝ていた?」と訊ねると、15時頃起床し、朝食を食べた、という。
夕方5時頃【ごはんまだー?】と台所にくる。「ばーーか!」「さっき食べたばかりだろうが」 今日は嫁さんが腕によりをかけて“チラシ寿司”を作った。バアさんはこれが気に入らない。 ブツブツ文句のような、独り言のような。
「いやなら食べるなーーーー!」と一喝。バアさんは恐れおののき、黙って食べ始める。 「毎日毎日、食卓につくと文句ばかり言って!このバチあたりが!!」と再度一喝。 食後自室に戻り、フトンにもぐる。眠剤もなく休んだ。 結局今日は20時間以上フトンの中にいたことになる。
2010年3月5日(金) 今日はデイサービスの日です。そして、奇跡が起きました(^O^)/
珍しく早起きだ!気分爽やかに【おはよう(^^♪】と、挨拶され「気持ち悪―――」 朝食が終わり9時前にフトンにもぐる。9時ちょうどにデイサービスの迎えが来た。 カーテン閉めて陰気臭い。昨日は小雨交じりの曇天だったが今日は一転快晴だ。 カーテンを勢いよく開け、ガラス戸も開け、光と風を入れる。
それでもグズグズしているので、荒々しくフトンをはね上げ「こんなとこでグズグズしていて何が楽しい!」、「天気がいいから行って来い!」と無理矢理起こす。 迎えの職員は枕元でじっと見ている。バアさんはうつむいていつもの通り泣き真似している。 しばらくして観念したのか立ち上がった。バスタオル、下着を紙袋に詰め、迎えに渡す。
バアさんは玄関で私に言う。【なんでそんなにわしを怒るのだ】と。 そして嫁さんに向かって【あいつがいかん】と顎を突き出す。 デイサービスの迎えがいなければ張り倒すところだ。 職員に手をとってもらいシブシブ車に乗った。2月利用ゼロだったが7週間ぶりに出かけた。
バアさんの部屋はなぜか綿ぼこりがひどい。掃除は大変そう(*_*; 畳の上のカーペットを取り外し、フトンをはね上げ、掃除機でガラス障子の桟を1本1本掃除。 さらに部屋中を隅々まで吸い込む。
しかし、デイサービスの利用状況は余りよろしくない。 施設の責任者からは、来たはなから興奮しており、【なんでここに居るの?】とか【どうして?!】とか納得できない気持ちをぶつけてくるという。また、現実逃避の常套手段“めまい”を訴え、自宅へ帰りたいとぐずり、入浴も強烈に拒否。アレコレ文句ばかり言うので、ベッドで一人静かに過ごして頂いたとも言われ、手に負えない状況にあることが分かった。
ただ、我が家ではずっと同様の日常が続いており、非日常を期待してお願いしている訳です。 そこで、改めてバアさんの日常生活の現実をデイサービス施設に示した。 @ 「食事」と「ベッド」の往復 A 歩くのは「トイレ」だけ(一日10回ほど、夜は4・5回) B モノ言うと返す言葉がきついので会話もできない(家族関係・親子関係も崩壊しつつあり) C 外出してもほとんど効果なし
7週間ぶりのデイサービスに大いなる期待をしたが、利用態度は7週間前とほとんど変わらない、いやむしろ悪くなっているようだ。これ以上お願いしても迷惑かけるだけのような気がする。 困ったことである。
2010年3月8日(月) 嫁さんが買ってきた寿司が生ゴミ袋に捨ててある。 ご飯は【ヌカが混じっている】とか【歯に引っかかる】とか言うので、永年の一人住まいで親しんだスーパーの弁当を買ってくるよう頼んでおいた。 寿司はいなりと巻きのセットであるが昨夜の残りを翌日の昼食用に置いてあったものだ。
怒り心頭! 捨ててある寿司をゴミ袋から取り出し、バアさんの頭にたたきつける。 食べ物を粗末にするなと躾けられてきた私の目の前に、しつけてきた母親の馬鹿な行動に情けなくて思わず手が出てしまった。
2010年3月9日(火)>デイサービスお休み 折角5日、7週間ぶりに行ってくれたと喜んでいたが、なか4日で挫折。 間に日曜日を挿むと日常生活の気楽さが戻り、周りに気を遣う場所には行きたくなくなるのか!?
2010年3月10日(水)>今日は3泊4日のショートステイ日(2回目) 場所は前回同様の施設。予定時刻の10:00頃若い職員が一人でやってきた。 運よく今日はバアさんの起床がいつになく早かった(7:30) 昨日はデイサービスの日であったが9時迎えに来た時にはパジャマ姿でフトンの中だった。 (もちろん中止だった)
今日は朝食も終え、自室でくつろいでいたところだった。 迎えに来た女性が声をかけるがキョトンとしている。【なに?】、【どこへ行くの?】などと訳のわからない様子。「久しぶりにのんびり遊んでおいで」と催促するが、なかなか立ち上がらないので二人で両脇を持って引き上げ、玄関まで運ぶ。すると、やはり、観念したのか、自分で草履を履き、杖を持ち、表に歩き始めた。
車に乗ってキョトンと座っている。今までの大騒ぎは何だったのーー??と言いたい。 本人はほとんどなんの意識も感慨もないのであろう。 これが幼児なら親から離れるときは泣きじゃくるに違いない。 しかし、同じく幼児化しつつあるバアさんにはそのような素振りはまったく見られない。 どこへ行くのかの不安も感じず、平然とした態度に“さっすがバアさんはすごい”と感心している場合ではないのである。
2010年3月13日(土) 8:30頃ショートステイから帰る。懐かしがることもなく、静かな帰宅であった。 <連絡帳に見る4日間の様子> @ 日中はほとんど居室で横になっている。 A 帰宅願望が起こるとフロアーに出てくる。 B 日中、起きているように声掛けすると怒る。 C 帰宅願望は夕食前までで、夕食後は穏やかになり、19:30頃から居室で休む。 D 朝食準備ができる7:30頃に声を掛けて起床させる。 E 食べている時はとてもよい表情をする。 F 食事に対しては特別な執着がありそう。
<私からの連絡事項> @ 朝夕の規則正しい生活に驚いた。(我が家では起床と就寝が大問題) A 食事に苦情はなかったか?差し支えなくば内容を教えて欲しい。 B 日中、デイサービスのようなゲームや塗り絵のようなレクリェ―ションはないのだろうか? 日中ボーとしているので何かやらせたい。 C バアさんの帰宅第一声が【楽しかった!】であった。お世辞でもうれしい。貴所に感謝(^_^)v
適度な緊張が、適度なストレスを生み、
適度な疲労感となって、適度な活力を生む!
2010年3月19日(金) 5日、7週間ぶりにデイサービスに行ってくれたので大喜びしたが、これは糠喜びであった。 続く9日、12日、15日を3回連続で拒否。これで終わりかなと思いなかばあきらめていたが今日はなんとか出かけてくれた。
しかし、利用状況は改善されず一々文句言って拒否している。すなわち、 施設に到着第一声の【なぜ私がここに来ないといけないのか】に始まって、レクレーション活動に対しては【どうして私がやらないといけないのか】と拒否。興奮状態が続き、風呂も中止。 昼食後は少し落ち着き、午後からは“洗濯物たたみ”を手伝っている。
どうも今年に入ってからバアさんの様子が異常である。この施設のサービス対象者は「要支援」レベルであるが、バアさんの急変ぶりはそのレベルを超えてしまったようだ。 どうも適切に対応できていない。
その後も、23日(火)、26日(金)、30日(火)と連続してなんとか出かけてはいるが、悪態と帰宅願望発言が一向に治まらないので、デイサービスではその興奮状態を治めるためにバアさんに対する通常サービス活動を中止し、本人の好む“一人静かにベッドで横になる”に変更した。これではデイサービスを受ける意味がない。
施設も力不足を感じており、最早ここではバアさんの世話をお願いできない気がする。
2010年4月2日(金)>いよいよその時が来てしまった。 バアさんがデイサービスで事件を越してしまった。 施設内で杖を振り回し、【こんなところ・・・・】などと騒いでしまった。 スタッフは他の利用者の安全を考え杖を奪ったが、終日攻撃的であったという。
自宅で悪態つくか、終日ベッドで横になっているより、外に出て家族以外の人と話したり、遊んだりする方が痴呆の進行を抑えるかもしれないと思ってデイサービスを利用してきたが、ここは ずっと前からバアさんにとって居心地の良い場所ではなかったようだ。 積もり積もって爆発してしまった。 施設の責任者からも手に負えないとしてサービス辞退の通知あり。
サービス期間中の血圧・脈拍の推移
<お礼> お世話になりました。 痴呆が急速に進行しており、貴所では対応困難のようなので別の施設を探します。 約1年間面倒かけました。また機会があればお願いします。 2010年4月16日デイサービス再開(別の事業者)まで介護日記お休み。
今後は、デイサービス事業者と家族との連絡帳を日記代わりに活用する。
2010年4月12日〜15日まで3泊4日のショートステイ(3回目) <連絡帳に見る4日間の様子> @ 起床はほぼ毎日しっかりしている。 A 就寝は0時頃のときもある。 B 夕食少し前から21時頃まで【息子が来る】と、帰宅願望。 C 食事についての苦情(1)味噌汁が薄い、(2)犬の食べ物見たい、など。 こういう時は半分程度しか食べない。 D レクはないが、他の利用者と楽しそうに会話する時が見られる。
<私からの質問> @ 血圧測定値が154/81だったので、血圧や体温や脈拍の測定時期を質問 A 眠剤を就寝前に要求したかどうか? B 現在薬は朝食後の1回だけとなったが、キチンと服用したかどうか? C 夜中、廊下を歩くことはないかどうか? 帰宅時はとても穏やかだった。手を振って別れを楽しんでいた。 こんなバアさんを見るのは久しぶりだ!これがステイの効果なのであろう(^_^)v
2010年4月15日(木)
新しい事業者とのデイサービス契約締結>明日から週2回(火、金)
課題>@安全入浴(身体清潔保持) A家の外に出て、有意義な時間を過ごす
2010年4月16日(金)
2010年4月20日(火)
2010年4月23日(金)
2010年4月27日(火)
2010年4月30日(金)
バアさんの米寿祝賀会のためゴールデンウイークを利用して、日本全国(^_^)v東から西から子供と孫、曾孫がやってくる。
(2010年4月完) |
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2010年5月2日(日)バアさんの米寿祝賀会
残念ながら本人は自分が88歳になったということを理解できていない。 バースデイケーキにも特別な感慨もなく、ロウソクの火を消す仕草もなかった。 自分の年齢はと言えば、依然として伴侶(親父)が作った家での一人暮らしから私の家に移ったときの年齢”82歳”で止まっている。何とも哀れである。 2010年5月4日(火)
2010年5月5日〜8日まで3泊4日のショートステイ(4回目) <連絡帳に見る4日間の様子> @ 日中は居室で休むことが多い。 A 夕方ころから帰宅願望が起こる。 B 6日の夕方、帰宅願望があり、職員が声掛けしたとき、振り回した杖で職員がケガをした。 今までにも何度かこういうことがあったので、十分注意していた。 杖の使用は危険なので今後はシルバーカーなどの別の器具を使用する。 C 7日、朝と昼食を食べなかったが、夕食はしっかり食べた。 朝の薬は何度か声掛けして、15時頃に服用している。
<私からの連絡事項> @ 杖を振り回し、ケガをさせたこと誠に申し訳ありません。 再発防止のため入所した時、杖を取り上げてください。杖がなくても廊下は歩けるし、トイレにも行けるはずです。現状、自宅では杖は使いません。 A 食事は起床が遅いと朝食抜きで、それをお昼に食べます。(菓子パンと牛乳とヨーグルト) B 薬のことを忘れている場合は無理に服用させません。なければないで済むようです。
2010年5月11日(火)
2010年5月14日(金)
2010年5月18日(火)
2010年5月21日(金)
2010年5月24日〜27日まで3泊4日のショートステイ(5回目) <連絡帳に見る4日間の様子> @ 3日間とも食事とトイレ以外はズっと居室で休んでいる。 A オヤツに誘うが【うるさい!】と怒ってフロアには出てこない。 B 時々、フロアに出てきて、【家に帰らせて】と訴える。 C 杖がなくてもしっかり歩行できているので、今後所内では杖なしとする。
<私からの連絡事項> 今回はいつになく起床が遅く、迎え時(9:20頃)ではまだパジャマ姿でフトンの中でした。 出かける時はいつも機嫌が悪い。今回は特別悪く、随分とお待たせしました。母が短期間でもいなくなれば夫婦としてもとても助かります。今後ともよろしくお願いします。 また、風呂は自宅では入りませんので、行水レベルでも結構ですのでお願いします。
2010年5月28日(金)
2010年6月1日(火)
2010年6月4日(金)
2010年6月7日〜10日まで3泊4日のショートステイ(6回目) <連絡帳に見る4日間の様子> @ 3日間とも日中はズっと居室で休んでいる。 A 8日の朝食は職員が声掛けしても起きて来ず未摂取。 B 夕食時になると、帰宅願望が強くなる。 C 夜間はよく寝ている。
<私からの連絡事項> 最近は昼と夜の区別がつかなくなっている。 時計を見て、【時間がおかしい、直してくれ】と、再三要求します。 従って、朝食抜きも茶飯事となった。食事量が減ったせいで元気がなくなったようですが、メタボが改善されて普通の人間になったと思う。
2010年6月11日(火)
2010年6月15日(金)
2010年6月18日(火)
2010年6月22日(金)
2010年6月24日〜27日まで3泊4日のショートステイ(7回目) <連絡帳に見る4日間の様子> @ 日中はフロアと居室を行き来している。 A 朝は規則的に起床する。 B 食事は量の多少はあるが食べている
<私からの連絡事項> 3日間穏やかに過ごさせてもらいありがとう。 自宅ではどうしても母親としての尊厳をもって欲しいと願うため、私の母親像と異なる行動言動に対し、“叱る”ことが多くなり、時として“怒鳴る”こともある。施設ではこのようなことはないのでしょうか?トンチンカンな行動と言動はありませんか?みなさんはどのように対応していますか?
2010年6月29日(火)
2010年7月のトピックス 7月8日>「要介護2」認定 4月3日、「要支援2」認定のデイサービス施設で危険な行動を起こし、サービス停止となる。昨年暮れから異常言動が続くことから要介護認定を申請し、2月に「要介護1」を認定され、ショートステイなどが利用できるようになった。 4月からは再びデイサービスを利用できることとなったが、悪態・妄想が顕著となったことから改めて、介護認定を再申請。7月8日に町長名で「要介護2」の認定通知書が届く。 2010年7月2日(金)
2010年7月6日〜9日まで3泊4日のショートステイ(8回目) <連絡帳に見る4日間の様子> @ 入浴>8日、体温が37.2℃でかつ、ふらつきあったため中止。 A 8日の朝食は職員が声掛けしても起きて来ず未摂取。 B 帰宅願望が特に強く、他の利用者と口論したり、職員への暴力行為あり。 このような時は距離を置いたり、仲の良い利用者と話してもらうよう仕向けている。
<私からの連絡事項> 1、ちょっと虫の居所が悪かったようでお手数掛けました。 お世話になって5が月経過します。比較的穏やかに過ごしているようで安心している。
2、入浴は短いと思うが、どのような入れ方をしますか? この人は一人住まいが長く、浴槽内で身体を洗う習慣です。 自宅では垢が浮いており、次の人は入れません。
3、朝食後の薬の空袋は保管し、返却願います。 本人は貴所では薬はのんでいないと言います。忘れていると思うが、帰宅後空袋を見せて服用したことを証明したいと思う。
2010年7月13日(火)
2010年7月16日(金)
2010年7月20日(火)
2010年7月23日(金)
2010年7月27日(火)
2010年7月29日〜31日まで2泊3日のショートステイ(9回目) <連絡帳に見る3日間の様子> @ 利用状況>いつも通り ほとんどは居室で休む。時々フロアで他利用者と談話したり、口論したり、職員に手を出したり。 A 入浴状況>いつも通り 拒否する時も気持ち良く入る時もある。が、どちらも洗身せずに浴槽に入り、浴槽内で身体を洗っている。次に入る人がいないときは好きにさせている。
<私からの連絡事項> ここ2,3ヶ月は嫁さんの作った食事を食べなくなった。ことごとく文句を言いほとんどを残す。 その所為か体重は4月から毎月1Kgづつ減り47Kgとなった。多分来月は46kgになると思う。しかし、身長から判断すれば妥当な値でもあり心配はしていない。 身軽になって体調は良くなってくるのではと考えている。(2010年5月〜7月完) |
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2010年8月2日〜5日まで3泊4日のショートステイ(10回目) <連絡帳に見る4日間の様子> @ 利用状況>いつも通り(ほとんど居室、時々雑談、口論、職員に手を出す) A 入浴状況>いつも通り(入ったり入らなかったりと、入浴意志にムラあり) B 食事状況>いつも通り(2割から8割とムラがあり) C 睡眠状況>いつも通り(よく寝ている) D 帰宅願望>いつも通り
<私からの連絡事項> 迎えが来てもなかなかその気にならず、強い拒否が毎回続いている。その都度フトンから引きづり下ろし、時として叩いて言うことをきかすこともある。 今や家族の言うことを素直に聞くことがなくなった。私の日常の接触方法に問題があるかもしれないが、私自身ストレスとして残したくないので、その場で自分の気持ちを発散させている。 お願い>最近、低血圧傾向にあるので血圧は毎日測定し、そのデータを教えてください。
2010年8月6日(金)
2010年8月10日(火)
2010年8月13日(金)
2010年8月17日(火)
2010年8月20日(金)
2010年8月24日〜27日まで3泊4日のショートステイ(11回目) <連絡帳に見る4日間の様子> @ 利用状況>いつも通り(居室で休養、フロアで他利用者と談話) A 入浴状況>1回のみ B 食事状況>良く食べれた C 体調状況>血圧AM測定<24日:98/48、25日:105/46、26日:109/60 D 帰宅願望>いつも通りあり
<私からの連絡事項> 血圧測定ありがとう。落ち着いたようで安心しました。 家庭では我まま放題に生活しているので、ちょっと気に入らないことにいら立つことが多い。 デイサービスやショートステイでの環境は非日常としてある種の緊張感があり、勝手気ままと言う訳にもいかないことがデータの安定につながっていると思う。 今後ともよろしくお願いします。
2010年8月31日(火)
2010年9月3日〜6日まで3泊4日のショートステイ(12回目) <連絡帳に見る4日間の様子> @ 利用状況>いつも通り(居室で休養、昼食時のみフロアで他利用者と談話) A 入浴状況>抵抗することが多く、職員に悪態つく。 B 食事状況>良く食べれた C 体調状況>血圧AM測定<150/71 D 帰宅願望>特になし
<私からの連絡事項> 最近の状況>時間感覚欠落 @ 早朝、【夜なのに明るい】と言いながら時刻を訊ねるので答えると【ウソをつくな】と怒る。 A 夕方、朝食の要求。
お願い>薬の空袋は服用した後回収し、薬袋に入れて返却ください。
2010年9月7日(火)
2010年9月10日(金)
2010年9月14日(火)
2010年9月17日(金)
2010年9月21日(火)
2010年9月24日(金)
2010年9月27日(月) 午後、家の前を散歩した。隣りの家には友達の「しーちゃん」が居る。
2010年9月28日(火)
2010年9月30日(木) うるさい「ジージーガーガー」から解放したい一念で布団を一人で仏間に運ぶ。
2010年10月1日(金)
2010年10月2日〜5日まで3泊4日のショートステイ(13回目) <連絡帳に見る4日間の様子> @ 利用状況>いつも通り(居室で休養、昼食時のみフロアで他利用者と談話) A 入浴状況>抵抗することが多く、職員に悪態(暴言・暴力)つく。 B 食事状況>朝食時、声掛けしてもなかなか起きてこないので時間を遅らせて食べている。
C 体調状況>血圧110/46 D 帰宅願望>特になし
<私からの連絡事項> 再び「耳鳴り」を訴えることが多くなる。 これは耳鳴りではなく脳の異常であり、当面の治療方法はないと主治医から聞いている。 とにかく、この人は人の話は聞かない(耳が聞こえないからではなく)、自分の意志が通じないと悪態をつく。この状態が少しずつひどくなっている。
2010年10月8日(金)
2010年10月12日(火)
2010年10月14日〜17日まで3泊4日のショートステイ(14回目) <連絡帳に見る4日間の様子> @ 利用状況>いつも通り(居室で休養、昼食時のみフロアで他利用者と談話) A 入浴状況>悪態ついてイヤイヤ入る。 B 食事状況>ムラがあり、1〜5割程度。4回味噌汁が出たが一度ものんでいない。 C 体調状況>血圧91/45 D 帰宅願望>特になし
<私からの連絡事項> 1、眠剤を強制的に廃止して4ヶ月経過する。 手元には置いてあるが要求されても無いと答え、要求されないときは出さない。 最近は服用する意識も消え、眠剤なしでも就寝できている。とてもうれしい! 2、味噌汁は昔から濃い味好みなので薄味はダメです。自宅でも同様で、味噌汁だけはこの人の絶対的味があり、その味以外は認めません。 3、最高血圧が100を下回る時は毎日測定し、記録してください。
2010年10月19日(火)
2010年10月22日(金)
2010年10月26日(火)
ばあさんがデイサービスに行っている間に一人住まいの時代を思い出すことを期待して、元住んでいた空家からサイドボードを運び、バアさんの居間に設置。 (このサイドボードは嫁さんが嫁入り道具として持ってきたものです)
(2010年8月〜10月完) |
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2010年10月28日〜11月1日まで3泊4日のショートステイ(15回目) <連絡帳に見る4日間の様子> @ 利用状況>いつも通り(居室で休養、日中はフロアでテレビ見る) 日中休んでいるので夜眠れないのか、ゴソゴソしていた。 A 入浴状況>悪態ついてイヤイヤ入る。 B 食事状況>ムラがあり、0〜10割。 C 体調状況>血圧108/61 D 帰宅願望>特になし
<私からの連絡事項> 1、医師処方の薬(主に血圧降下剤)も最近は忘れがちである。 薬漬け人間からの脱却を目指しているのでこのましい推移と考えている。 2、食事は朝昼共食の一日2食化がほぼ定着したが、ご飯を食べなくなった。 味覚の変化、腔内の変化など原因はありそうであるが対応策が見当たらない。 体重は8ヶ月で8Kg減の42Kgとなった。
2010年11月2日(火)
2010年11月5日(金)
2010年11月9日(金)
2010年11月11日〜14日まで3泊4日のショートステイ(16回目) <連絡帳に見る4日間の様子> @ 利用状況>気の合う人が隣に位置すると穏やかに雑談するが、そうでないと【うるさい!】と怒る。 A 入浴状況> B 食事状況>ムラがあり、0〜10割。朝食拒否あり C 体調状況>血圧124/67 D 帰宅願望>あり
<私からの連絡事項> 1、夜中に独語はありませんか 2、最近食事量が減り、排泄物も少ないのではと思うが「通は?」と訊ねると出ていると答える。貴所ではどうでしょうか?確認願います。
2010年11月16日(火)
2010年11月19日(金)
2010年11月23日(火)
2010年11月26日(金)
2010年11月30日〜12月5日まで6泊7日のショートステイ(17回目) <連絡帳に見る7日間の様子> @ 利用状況>いつも通り(居室で休養、日中はフロアでテレビ見る) A 入浴状況>1回拒否 B 食事状況>通して約5割ほど摂食。献立など形態を変えたが食べる量には影響しない。 C 体調状況>血圧110/77 D 独り言・帰宅願望>日中、居室で休んでいる時、どこかを見ながら独り言を話していた。 帰る前日の夕食時、声掛けすると【息子が迎えに来るので帰る】と言いながら起きた。
<私からの連絡事項> 1、食事摂取状況の詳細リポートありがとう。 朝昼夜合わせて1食ほどは食べているようで安心しました。 これでカロリーはどの程度でしょうか? 2、初の1週間ステイでした。お世話になりました。
2010年12月から全薬剤服用廃止 これまで計画的に薬を減らしてきた。 残っていた血圧関連の薬も5年間にわたる「食事改革」で血圧も180mmHgが130mmHgと安定した。しかし、食事改革で食事が塩分控えめ、揚げ物激減、肉類激減(さかな増)、あっさり味噌汁となり、自分の好みとは大きく異なること、および歯と歯茎の劣化による咀嚼力低下、味覚も変わり食事摂取量が激減。結果、体重は8ヶ月で10Kg減り、40Kgとなった。
医師に相談して、カロリー補給用栄養剤「エンシュア・リキッド」250mlを食事補てんのため飲用することにした。試験的に「コーヒー味」と「バニラ味」を本人に飲ませたところ、たいそう気に入ってもらえたので採用。
2010年12月7日(火)
17:10頃、ケアプランナ―から電話連絡あり。 今日のデイサービスで、バアさんが介護士の頭を化粧水のビンで叩いてケガをさせた。 叩かれた介護士はコブができ、頭がボーとするので病院で診察を受けた。 結果はまだ不明とのことであった。
いやはや、とうとうやっちまったか!前のデイサービスと同じ状況である。 自分の気に入らないことがあると、どうにも我慢できない状態になり、暴力に訴える。 ただ、前の施設では他の利用者にも危険を感じさせたが、新しいデイサービスでは職員とか介助とか送迎バスの運転手などの施設に関連する人々に対し手を出したり悪態をついたりしており、利用者には手を出していない。 ギリギリのところで道理をわきまえた言動をとるバアさんを、私は元より施設の関係者ともどもただただ感心するばかりであった。しかし、今回は凶器を持ってケガをさせてしまった。 一体どうするか!。診察結果を見て施設に相談しよう。
2010年12月9日〜12月12日まで3泊4日のショートステイ(18回目) <連絡帳に見る4日間の様子> @ 利用状況>いつも通り(居室で休養、日中はフロアでテレビ見る) A 入浴状況> B 食事状況>ムラはあるが、気分が良い時は主食8〜10割、副食3〜5割。 11日夕食の「赤魚の煮付け」は完食した。 一日のカロリー摂取量>1500〜1600Kcal C 体調状況>血圧110/59
<私からの連絡事項> ショートステイの目的として家庭できない非日常の実現があります。
家では最年長としてわがまま放題で、家族の言うことを聞きません。 これが非日常ではないかと思うのです。 また、食事の趣向が強くなっており苦慮しています。 その対策が見つかるようにご教示いただけると助かります。
2010年12月14日(火)
2010年12月15日(水) 定期検診で医師に血圧が正常値に安定してきたので処方薬のすべてを廃止したいと申し入れ。 ただ血圧抑制のために取り組んできた食事の薄味化が本人の口に合わない事から、徐々に食事摂取量が減り、体重が減っている。(4月50Kgが現在41Kgまで減少) 体重減少傾向に歯止めをかけるため食事の代わりにカロリーを補てんするものをお願いする。 薬レスの願いは了解していただけた。カロリー補てんは「エンシュア・リキッド」という缶入り飲料を処方してくれた。一缶250mlで250Kcal。味は珈琲、バニラ、イチゴの3種類あり。 ばあさんは珈琲とバニラが好きなので、2種類をお願いする。それでも味にうるさいバアさんが飲んでくれるかどうか解らないので、四日分頂いて試飲してみる。
夜、試しに飲ませたところ、【味がいい!】と好評だった。一日2缶飲めば500Kcal摂取できる。 これに食事を朝と晩の2回摂れば1500Kcalくらいは確保できる計算だ!(^O^)/
2010年12月17日(金)
2010年12月21日(火)
2010年12月22日(水) 病院に出かけ、医師にエンシュア・リキッドが好評だったことを報告。 追加で珈琲味とバニラ味を各1カ月分処方してもらう。
2010年12月24日(金)
2010年12月28日(火)
2010年12月31日(金)
(2010年11月〜12月完) |
2010年4月〜2011年2月までの血圧、脈拍、体温の推移 |
2010年4月〜2011年2月までの食事摂取量(10>100%、0>0%)と体重(Kg)推移 |
体重 50Kg 49Kg 48Kg 47Kg 45Kg 44Kg 43Kg 42Kg 40Kg 39Kg 38Kg |