今年、最初の中国訪問は爽やかな5月と決めていた。 この計画は、昨年国慶節に一緒に行った、中学校の同級生も希望していた。 ただ、自治区の役員を終えたとはいえ、今年は「公民館の建て替え」という、自治区100年の大事業を控えている。 ちょうど私が自治区の長であった2006年1月、日本中を揺るがすこととなった「姉歯建築士による耐震偽装設計」が発覚した。 とにかく安心安全な公民館にしなければならない。 そこで、中国訪問を長尾部春まつりが終り、現公民館解体の時期と考えたのでした。 |
今年は王さんが赴任した広州の工場に訪問する。この事は昨年、大連で王さんと約束したことであった。 広州工場には操業した2005年に訪問したが、全員が立ち上げに必死であった。多忙ななか、迷惑を掛けてしまった。 あれから3年経過した。工場の操業は好調のようであるが、中国最大の成長を誇る「広州」、世界の工場「広州」は世界中からの需要に答えるべく超多忙な毎日が続いている。 特にモータリゼーションの台頭で自動車産業は国営企業、欧米系合弁企業、日系合弁企業の三つ巴の戦いが展開される。 特に今年2008年は中国乗用車工業にとって歴史的な年でもある。すなわち、中国初の自動車会社「中国第一汽車集団公司」(長春)が初の国産乗用車「東風71」を試作開発したのが、ちょうど50年前の1958年だからである。
王さんも連日、お客さんと新しいプロジェクトを検討している。
王さんは昨年運転免許証を取得した。 マイカーはまだ持っていないが、1500ccクラスの小型車が日本円で50〜60万円で買える時代となった。ほぼ年間所得だ!もうすぐ買えるであろう。 ただ、13億人中国が化石燃料機関をこの調子で使い続ける、と思っただけでゾッとするのも事実だ!今回、大連・広州で体験した車の渋滞は昨年以上に深刻だ! 1年1年、あらゆる事柄が私達の想像を超えた事象へと変る。隣国の発展を手放しで喜んでいる場合ではないか(^レ^; 大連の楊さんは昨年フィアンセの劉君と結婚し、彼の会社がある北国「黒龍江省ハルビン」へ行ってしまった。
今回、逢えないかとあきらめていたが、念のためメールしたら、会えると言う。実はオメデタで3ヶ月検診のため大連に来ても良いという。 |
今回は当初、大連2、3日→広州2,3日→大連2,3日を考えていた。
そこで、名古屋ー大連往復チケットを買い、その途中で大連ー広州を往復しようとした。広州往復チケットは大連の友人に頼んで現地で購入する。大連からの返事は次の通りであった。 「ノーマルチケット>大連⇔広州往復4,400元(約7万円)
これをふまえ、チケットは会社が利用している業者に依頼した。 「4月15日〜30日は広州交易会があって、広州市内のホテルは軒並み高額になります>通常300元が1400元になる これは一大事である。広州には3日宿泊するだけであるが、5倍も宿泊費を費消するわけにはいかない。 出発前約1ヶ月の3月17日見積り依頼、3月30日工程逆転依頼、4月10日からの広州ー名古屋直行便の就航などなど紆余曲折の結果、幸運にも恵まれて、無事チケットを確保できた。 しかも全区間ディスカウントチケットを確保してくれた。 このような、きめ細かいサービスはネットでは困難であろう。 慌てて、チケット会社に電話で確認した。 チケットの代りになる航空会社発行の「Eチケット」という書類が1枚、請求書と一緒に送られてきた。内容確認して、翌日23日に2人分振り込んだ。 今回も全工程を信頼できる中国南方航空にした。 〔航空運賃〕>全工程ディスカウント航空券 旅程を以下のように決定し、楊さんと王さんおよび大連駐在員 |
旅程
4月28日(月) 中部空港発12:15(中国南方航空:CZ620) 5月6日帰国の上海乗り継ぎについては事前にチケット会社から以下のような案内があった。
※広州空港で預けたスーツケースは、中部空港までスルーで行きます。中国の出国審査は、上海浦東空港で行います。
しかし、直前に新聞・テレビで、上海空港の荷物と出国審査トラブル報道があり、大いに心配した。 |
日程・天候 | 行程 |
4月28(月) |
@ 中国南方航空CZ620<中部空港12:15発>大連空港13:45着(現地時間) A ホテルチェックイン>香洲花園酒店(五つ星)(奥林匹克広場東側、長春路沿い) TEL:0411−88856688。部屋ツイン1泊529元(8200円)@4100 B 徒歩>中山公園から駐在員との食事会場所「昌隆」(火鍋)へ |
4月29AM | @ 午前中>旅順口「龍王塘」へ花見(桜見物)(昔の仕事仲間と偶然逢う) A 昼食>ホテル「渤海明珠」の30F展望レストランで自助餐(バイキング) B 散策>マイカル、港湾広場「古玩城」、冨麗華ホテル裏「大連工芸品交易市場」、中山広場 C 夕食>焼肉店「籠屋八兵衛」(優豪斯店)(ホテル近くの珠江路沿い) |
4月30(水) | 終日>開発区<昔の仕事仲間と旧交を温める(会社2社見学) |
5月1日(木) |
@ 市内散策>人民広場、森ビル裏日本式スナック街、勝利広場(ホタテの貝柱物色)、天津街、 中山広場、鉄路文化宮、肯徳基、家楽福(ショッピング)、市電で大連駅へ、ホタテ貝柱購入 A 夕食>メル友王安隆さん夫婦および友人と四川料理「巴国布衣」へ B その後兼ねてよりの懸案事項であった夜の部へ4人で出かける。 C 足マッサージ |
5月2日(金) | @ 午前>駐在員マンションから発展する西安路副都心の写真撮影 A 午後>星海広場、貝殻博物館 B 夕食>駐在員、王さん、楊さんと大連最後の晩餐 |
5月3日(土) | @ 11:45大連発(中国南方航空CZ6261)、広州着15:10(王さんと一緒) A ホテルチェックイン>大華酒店(四つ星)英文:MajesticHotel(天河路625号天娯広場東塔) 部屋(30F)ツイン1泊388元(5990円)@2995円 B 夕食>広州料理店「同甘同味」 |
5月4日(日) | @ 広州香江野生動物園 A 夕食>広州面料理「老面館 九毛九」 B 高級烏龍茶「鉄観音」買う。 |
5月5日AM 5月5日 PM |
@ 広州市内観光>中山記念堂、千年古道「北京路」、雑貨商店街「芸景園玩具文具精品城」(一徳路 A 夕食>珠江沿いの「鴻星芸都海鮮酒家」 B 21:00から遊覧船で珠江遊覧(約1時間半) |
5月6日(火) | @ 広州工場見学 A 午後>王さんの運転で広州白雲空港へ B 15:15広州白雲空港発(中国南方航空CZ379)、17:25上海浦東空港寄航、 18:25上海浦東空港発、22:15中部空港着(予定より約1時間遅れた) |
飛行機は中部空港12:15発、中国南方航空CZ620。 奥さんに友人とともに空港まで送ってもらう。 空港では前回学習した、1階のバス・タクシー乗降場で素早く降りた(^O^) 搭乗手続きは簡単だ。パスポートとEチケットを出すと、すぐコンピュータで確認できた。
3階でおみやげ物色。
前回、組立式箸を尋ねた小間物屋のとこなめ工房「陶翔」に立ち寄った。
楊さんと王さんはすぐにハサミで切って、自分の携帯に張っていた。 @ タトウ柄「パンダ」@780
通関して、出発ロビーで個人のお土産を買う。 土産だけでもかれこれ20000円を越す。いつもこのくらいはかかっている(^レ^;
このほかに現物として、王さん宛に中越先生のシャドーボックスアート(大きさ30cmx40cm)があり、ガラスが割れないように厳重に梱包して、スーツケースに納めてある。 |
通関した正面には季節の展示物がいつも目を楽しませてくれる。 |
いつもことであるが、着陸前の大連市内は見通しが悪い。 昨年2月は深い霧で着陸寸前まで空港が見えなかった。 昨年10月は曇り空で見にくかったが、大連港はボヤっと見えていた。 今回は、靄がかかってはいたが、今までで最も見通しが良かった。 ずっとトイレを我慢していた。機内トイレは面倒くさい! 大連空港の荷物引取り場所近くのトイレに駆け込んだ! |
無事通関し、出ると誰も迎えには来てくれていない。 ウロウロしていると乗り合いバスの客引きがゾロゾロやってくる。 うっとうしいので、我々はタクシーを捜していると断る。 しばらくして、いつも可愛らしい雛さんが迎えに来てくれた。 今日は自分の車ではなく、会社の送迎バスだ!運転は久しぶりの尹さん。 空港からホテルへ直行。
途中、西安路の携帯市場でCIMカード購入
今まではCIMカードを新調しても半年間の未使用で電源が放電して使えなかった。
このことを知った出口君は、我が家に200Vのコンセントを作ってくれた。(彼は電気の専門家) |
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これで200V電源機器の接続が可能となった!非常感謝!! 今回は事前に充電して持っていったから、CIMカード更新後、即座に電話が使えた。
@ 大野君>今晩の会食(場所と時刻)>もちろん昌隆の火鍋だ! |
これで、全ての日程が埋まった。
さて、今回の宿泊場所であるが、これまでは新しい人を向え、日本人として思い入れひとしおの旧大和ホテル「大連賓館」を選んできた。しかし、出口君は2回目でもありことから、最新のホテルもまた楽しからずやと考え、雛さんが紹介してくれた「香洲花園酒店」に決めた。 チェックインでは保証金を取られる。 ホテルのフロントで兌換しようと5万円だしたが、3万円が上限だという。 |
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ボーイが2人、我々の荷物を台車に載せて案内してくれた。部屋は北館の12階。 |
ボーイがなかなか帰ろうとせず、入口付近で突っ立っている。 |
ホテルの窓から外を見る。 |
モータリーゼーション真っ只中の大連の、そのまた自動車ひしめく中山路から一筋入ったこの辺りは、 都会の喧騒を全く感じさせない、悠久の世界が広がっている。タイムスリップしたかのごとくである。 |
この屋並を文化財として保護することを重ねて市当局にお願いする。 |
雛さんが両替から帰ってきた。 夕食の約束18:30にはまだ時間があるので、少し休憩。 表に出ると、色黒のボーイがカードのようなものをくれた。 |
表面(ほぼ実物大の大きさ) | 中面 |
ここで「主要な行き先」として登録されているのは7ヶ所である。 |
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ホテルを出て、五四路と長春路の交差点で四方を撮影。 | |
ホテル前の道路「長春路」>南方向 | |
ホテル前の道路「長春路」>北方向 | |
奥林匹克広場前の道路「五四路」>西方向 | |
奥林匹克広場前の道路「五四路」>東方向 | |
ウオルマートの東入口から労働公園電波塔方面の三角地帯の再開発がほぼ終っている。 向こうに見える背の高い2棟が「香洲花園酒店」で、我々が泊まったのは左側の北館である。 |
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2003年5月>ほぼ同じ場所で撮った写真。 車も少なく、露店が商品を並べて、のどかな風景が広がっている。 |
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5年後、このような風情は消えてしまった。道路は車でいっぱい、歩道は駐車の車が塞いで、 人が歩けない。市当局は駐車場の確保を最優先課題として検討するべきである。 |
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しかし、広場は別世界だ!昔と変らぬ風景が広がる。 | |
正面は大連市総合競技場。ここで過去2回サッカーを観戦した。 2001年>名古屋グランパスー大連実徳戦 2003年>清水エスパルスー大連実徳戦 |
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片側3車線プラスバス優先路のバカ広い中山路を信号無視で渡る>みんなで渡れば恐くない(^レ^; | |
珠江路を通って、中山公園へ向う。 |
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中山公園は3年ぶりだ!久しぶりに定点観測します(^レ^; 真正面に見える頭が赤色のビルがホテル「香洲花園酒店」 |
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いつものようにここから左方向にパノラマ写真を撮ります。 | |
東方向>黄河路、大連駅 | |
北方向>大連空港 | |
今まで華宮のシンボルを撮影したことがなかった(^レ^; |
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ここは案外知られていないが、建物の周りが古物古書の市場となっており、たくさん店がある。 | |
夕日の華宮も素晴らしい |
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これから公園内を斜めに突っ切り、連合路に進む。 それがこれだ! |
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楽譜があるのです。上に書かれているのは曲名でしょうか?「紅花?地開」 |
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楽器の名前は解らないが、音は中国独特の響きがある。20数本の弦を直接バチで叩いて音を出す。喩えれば「鍵盤のないピアノ」? これに合いの手として、横笛と唄、踊りが入る。 |
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それではお聞きください。練習風景22秒(92KB)、セッション1分45秒(418KB) | |
しばらくは座って、歌っているが、 |
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興が進むとじっとしておれず、いつのまにか踊っている(^O^) |
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楽しいものを見せてもらった。 |
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中山公園から長興街に入り、「第七十九中学校」の前でまたまた現代中国の日常的風景を見た。 |
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五四広場北のスラム街再開発が着々と進んでいるようだ。 |
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既に販売受付中で、派手な事務所も出来ている。 |
五四広場から建築現場を望む。ビルは既に10階くらいまで骨組みが出来ている。 |
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昌隆で待つこと30分、大野君から電話「五一広場前で渋滞に巻き込まれ身動き取れない」。当たり前だ!この道は昨年10月も同じだった。香炉礁ジャンクション辺りはメチャクチャの混雑状態だった。 タクシーとマイカーの量が逆転して、圧倒的にマイカーが増えていた。 結局、約束時刻より30分遅れの19時に到着。部屋は予約してあった。
出席者は石垣君以外全員(石垣君は自宅の用事で帰国している)
支払いは割勘(80元)とのことでがっかり。
検査の寺沢君が大連に来ているようだ。奥さんが亡くなって、山本さんのように気楽に遊びに来ているらしい。旅順「龍王塘」の桜がまだ残っていることを楊さんにネットで調べてもらった。そこで、明日一緒に桜見物しないか誘う。本人OK。明日の待ち合わせ時間>ホテル9時00分。 |
朝7時起床。テレビでニュースを見る。オリンピックの聖火リレーがトップニュースだ! |
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みんな、心をひとつにして、聖火リレーを応援しよう!! |
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部屋を紹介しよう、こんな感じだ! |
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洗面所とシャワー室>シャワー室はガラス張りで、シャワーは大形の固定式でとても使い勝手がよい。 |
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朝食は一端1階に降り、エスカレーターでM2F(中2階)の食堂へ上がる。 ワンフロアー全部が食堂になっており、レイアウトして、朝と昼と夜に分けているようだ。 朝食はバイキング方式(朝食券はチェックインのとき5日分もらっている) メニューは 西洋式>飲み物(ジュース、ミルク、コーヒー)、パン、サラダ、スープ、肉料理、焼きそば、チャーハン、デザートなどなど普通である。 |
薄暗く、ジャングルに入ったような感じだ!柱を樹木に見立て、天井からは色とりどりの人口木々花が垂れ下がっている。 |
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隅のほうには恐竜の張りぼても置かれ、文字通り熱帯雨林の様相である。 |
エスカレータ下りの付近には大きな遊園地が作ってある。 子供を連れた家族でも、退屈した子供が遊べるようになっている。 |
打合せ通り、9時に寺沢君から部屋に電話あり。「いま下でコーヒー飲んでいる」と。
ホテル前に来たタクシーの運転手と交渉>12時までの3時間でHOW MATCH?
星海から旅順南路で行く途中「海事大学」を過ぎたあたりからの軟件団地(ソフトパーク)が巨大化していた。実は、DELLなど主要なPC関連メーカのサポートセンタはここ大連にある。 |
「龍王塘」に9:45着。 入口ではマイカーがひしめき合って入場券を買っている。 タクシーには係員が歩いてやってきていちいち車を降りなくても入場できる。 2001年来た時はこのような入場券は無かった(日本商工会主催であったからフリーパスだったかも? |
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裏面にはここ「桜花園」のほかにも水師営へ行く途中に「龍引泉森林園」があることを紹介している。 次回は水師営ともども行ってみよう! |
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タクシーの入場料は5元。 |
駐車場は入口付近は一杯のため、一番奥(ダム付近)へ。観光バスも多い。 |
2001年5月にあった白木蓮の木が消えていた。 この老木は1926年東京から苗木を持ってきて植えたもの。 |
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以下3枚は2001年の写真 | 老木「竹木」は今でも元気であった。 |
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ソメイヨシノは散っていたが、モモと八重桜が満開であった。 | |
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寺沢君と記念写真(バックはモモの木) |
これだ! |
近くに幼稚園児が保母さんと一緒に記念写真撮っていた。 |
アップするとよく解る。子供達が限りなく贅沢な生活をしていることが。
親は周りでしきりにビデオカメラを回している。いずこも同じではある(^レ^; | ダムを望むと、ひとひとひとの群れだ! |
これから右側の階段を上り、右の大橋を渡り、左側のダムへ進む。 右の大橋は幅1.5mくらいで、足元は木の板が敷いてある。 この板がところどころ穴が開いており、覗き込んでは肝を冷やしていた。 |
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ダムの上から水路(駐車場)を望む。タクシー車は青い屋根の向こうの白い車だ。 手前の池は釣堀とのこと。(2001年には無かった)商売第一の国民性がありありだ! |
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ダム中央部の記念碑 | |
2001年のときはまだ手入れされていなかった。が、今は碑文が朱色に塗ってある。 | |
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両側には建設の概要が記された石碑が取り付いた。 | |
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ダムを渡り、反対側に着くと、露店がズラッと並んでいる。商売商売(^O^) |
ここはすべて木製、竹製のオモチャ |
ここはアクセサリー類 |
椰子の実の殻や、木製の普通のコケシ類 |
反対側からダムを望む。右の赤いトンガリ屋根は休憩所。 |
狭い通路にはこれからも延々と露店が続く。今朝裏山で採ってきた山菜も立派な商品だ! | |
と、若者がなにやら一心に手を動かして作っている。 黄緑色の竹のような薄く削いだ素材を器用に織り成して、龍や蛇や昆虫を作る。 |
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これは見事だ!蛇年にちなんで目の前にある蛇を買う15元(寺沢君は龍を買う) | |
地境の囲い壁に大きな壁画が描かれている。2001年来たときちょうど書いていたところであった。 |
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下に降りると、これまた露店がいっぱい(^O^) 左下は金属アクセサリー、右は輪投げ。 |
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アクセサリー1個10元(昔、私も買ってみたが、 メッキの質が悪く、汗で溶け出し、かぶれた覚えあり) |
輪投げもかなり難しそうだ! 四角い商品を丸い輪でスッポリ囲む事は至難の業だ! この青年はとても苦労している。 |
赤白さまざまな桜が競っている。人の服装はまだまだ黒っぽい。 | |
ここでも物売りがいる。懐かしい綿菓子はこのような場所での定番だ! その隣の発泡スチロールの箱には茹でたトーモロコシが入っている。 |
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こちらでは革製品を売っている。女の子が財布を品定めしている。 皮の真贋、縫い方など徹底的に調べている。 |
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噴水の前で記念写真 |
これでグルット桜花園を見て回った。あとはダム放水路の土手を通って駐車場に戻る。 |
10:50花見終了。 |
帰路、お寺に立ち寄った。 運転手の機転だと思うが、歩き疲れた足で長い階段を登る元気なし。 途中で引き返す。寺の名前も不知道。 |
正面に大きな金色の観音像 |
この下は人工湖のようだ?向こうに湖畔公園がある。 |
今、来た方向。 |
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お昼は出口君の希望で駅前の渤海明珠30Fの展望レストランへ。11:50勝利広場着。 寺沢君も誘ったが、予定があるということで、勝利広場タクシー乗り場で分かれる。 (彼女と待合せであろうか?(^O^) 旅順方向からは友好広場をUターンしなければならないが、広場にUターン専用路ができたので、ロータリーを回らなくても良くなった。 昼食>渤海明珠30Fの展望レストランで自助餐(バイキング)
霞みかかった空のため見通しは今一ではあったが、まずまず満足。
イベントは消防隊競技であった。 |
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いつもの通り、グルット駅前を見渡す。ガラス越しのためハレーションするのが残念だ! 労働公園方向 星海広場方向 興工街方向(正面の電子城跡地に高層ビル建設中!) 駅前交差点、駐車場 |
路上横断は禁止された筈なのに、依然として歩いている人がいる。 |
その観光バスの停車場に真っ赤なサンルーフ付き小型車が停まっていた。 |
ダッシュボードに地図をおいて駅前をうろうろしているところを見ると、地元の人間ではなさそう。 |
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勝利広場横のビル角でレンガを積んでいた。 花壇のようでもあるが、ひょっとしてお店かもしれない。いや多分商店だ。 商売第一のお国柄、このような一等地を優雅に花壇なんて、それこそ「もったいない」 作業中のお兄さんににらまれてしまった。クワバラクワバラ(^レ^; |
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散歩方々、マイカルーの地下スーパーで買い物。 寝酒の白酒(金六福50元)、つまみとして昨年同様ゲソ焼きとスルメ2個(45元) 花見で疲れたのでタクシーでホテルに帰る。シャワーを浴び、着替えて休息。
旅順の桜花園で買ったシュロの葉で作った「蛇」を洗面所の石鹸入れに水を湛えて置く。 |
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15:00、夕食(籠屋八兵衛)までにはまだ時間がある。 そこで、港湾広場の「古玩城」へタクシーで。 昨年10月にはあった店2軒(麻刺繍クロス・カバーの王振清さん、大連文物総店)がなくなっていた。代りに虎を描かせたら中国一と豪語する中永氏の店があった。 |
ここで奥さんのお土産購入>落款印<戌を彫った篆刻の石に昔の雅号「幽雪」を彫ってもらう。 @150元(3cm角) もちろん出口君も注文した。が、中永師は彫る文字を裏書しないで直接彫りだしたから、さすがの出口君もビックリ! |
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大丈夫かな?と、心配していたがスイスイと彫り始めた。字体も適当に決めている。 しかし、出来栄えはやはりというべきか雑であった。が、彼は帰ってからこれを削り取り、また彫ればよいと気にしない。 もともと彫り賃はサービスである。我々も石を買ったわけで、彫った文字は不要である。 |
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彫っている間、撮影禁止と注意書きされた虎の画をこっそり撮影する。この画は20万元くらいだった。ほかの画もかなりの高額である。 |
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自己紹介 | |
ほかに目に付いたもの>老人がお茶を飲みながら将棋を指している画 | |
落款が完成した。(2個製作で約30分くらい) | |||
石の外観 | 彫った文字 | ||
お金を払って帰ろうとすると、たくさんぶら下がった軸を指差して、「どうか」と言った。 「好きなものを1本やる」と理解したが、勘違いだった。 200元というので要らないといったが、結局100元で買う。 |
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出口君は「和」、私は「如心」>造語のようで、広辞苑や中国語辞典でも見ない。如は如法、如来、如是などがある。 よくよく見ると相当のクセ字だ。奥さんも一瞥しただけだった(^レ^;、でも、この書が軸にされて100元(1600円)だ!安い! | |
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歩いて、もう一軒。ホテル冨麗華裏の大連工芸品交易市場へ。 昨年、出口君が落款印買った店、入口正面の「匯寶齋工藝精品行」に寄る。 お上が出てきて歓迎してくれる。
私は隣の「大連金鵬篆刻工藝美術品」落款店(若い女性店主)と雑談。 日本で判子作ると安いものでも5000円位するが、ここでは500円くらい。 |
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歩いて中山広場へ>発見あり。
トンガリ屋根の茶色い建物(保護建築物でなくなった)正面にcitibankの看板。 |
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ロゴをよくよく見ると、 本物のようだ! |
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タクシーでホテルへ。休憩 | |
夕食のため、焼肉店「籠屋八兵衛」(優豪斯店you1hao2si1)へ歩いていく。 楊さん王さんとの約束は18:00だ。 この店はずっと前から知ってはいたが、入ったことがない。 焼肉店はほかにもいっぱいあり、私にも既になじみの店があり、よそに出かける必要がなかった。この店にお邪魔するきっかけは、実は奥さんからのメールでした。
ネットサーフィンしていた奥さんが偶然、私の「大連リポート」を見て、メールをいただいたのが3月でした。 このメールで、ご主人が籠屋八兵衛の店長さんであることを知り、訪問することにしました。最近は大連在住の日本人の友人が減っています。このような知人が増える事は大歓迎です。これでまた大連に来る楽しみが増えるからです。ただ残念なことに急に日本で法事ができて、奥さんは日本に帰っているとのことで、お会いできません。 店に入って、階段をずっと上がり、確か3階が座敷だったように記憶している。 私が来た事情を説明し、店長にお会いしたいとお願いする。 少し遅れて、楊さんと王さんがやってきた。 干支は私と同じ巳年。ただし、ひとまわり若い。 焼肉焼く熱で暑くてあつくてたまりません。汗ビッショリ! |
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ほかのお客さんがいなくなっても構わず、9時過ぎまで2時間半、食べて、しゃべって本当に疲れました。半年振りに逢ったのですからいたし方ありません。 また、楊さんは3ヶ月の身持ちですから今までのように世話をかける訳にはいきません。 この後、会えるのは5月2日の大連最後の夜だけです。 「籠屋八兵衛」の献立と料金>合計460元(@115元)<日本料理店並み @ 八兵衛セット(肉と野菜3人前)>1セット:230元 お釣が洒落た袋に入ってきた。これだ! |
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今日はここで2人と分かれる。明日、30日は開発区、明後日1日(労働節)は楊さん王さんともに終日、家族団らん。 従って、二人と食事できるのは2日のみ、大野君と5人でどこかで食事する予定。 | |
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朝7時、ホテルの窓から外を眺める。スモッグで100m先が見えない。 昨日は200mであったから更に視界が悪化している。 今日は終日、ドンヨリとした黄色の天気だ! 黄砂が降っているのか?? |
9:00潘君がホテルまで迎えに来る約束であったが、昨日、来客のため行けなくなったと電話あり。 私との約束を反故にしてまでとは余程のお客さんであろう? ただ中国人は相手を値踏みする生活習慣がある。 今回の件では大いにカチンときたが、ここは我慢して潘君がどのような態度に出るか確認することにした。金石灘行きの快速電車に乗り「保税区駅」で下りる。ここへ潘君が迎えに来る予定であったが、駅まで遠いので、タクシーで直接潘君の会社まで行った。 料金は80元契約であったが保税区から更に15分くらい奥に入ったので、運ちゃんは文句言ってきた。そこで、20元追加してやった。 私達がタクシーから降りると守衛が出てきて事務所の方向を指差した。 中国人は欧米人と同様、間違いを即座に謝罪するという国民ではない。 ま、私達が来ることを守衛が知っていただけで良しとするか!(*_*) 会議室で劉永義社長にご挨拶。なかなか愛想の良い方だ。 これが中国だ!と言ってしまえばそれまでであるが、いかにも節操がない。 タクシーで来る道すがら多くの同業会社が目に付いた。あとで潘君に聞くとこの周辺には20社くらいあるという。人材はというと、潘君のような人間(日本の技術を習得した技能技術者)が高い給料を求めて、次々と競合会社を渡り歩いている。 名刺には技術部長となっている。咋年10月は製造副部長であったが、半年でそれまで無かった「技術部」を作り、長になっている。(スタッフ4、5人) 現場を一通り見る。旋盤、フライス、熱処理、ロー付け、研磨、検査まで一貫生産できる体制にはなっている。 どんな製品でも同じであるが、日本のように各分野の専門業者(協力工場)が充実している社会では自社にない技能技術は他社に依存できる。しかし、そのような体制が未整備の中国では、なんでもかんでも自社で作るしかなく、必然的に他社に頼らない「一貫生産体制」が基本となる。 マシニングセンターはすべて日本製(OKK)、刃付け用CNC工具研削盤もワルター、エバーグ、マキノなど多彩だ。マキノはどこからもってきたのか使い方が解らず、困っていた。マキノのサービス料は法外だから簡単には頼めない。私にできるかと尋ねるので「皆目無知」と答える。 検査設備はまだまだ不十分だ! 昼食をご馳走になる。潘君の車で開発区の中心街まで移動。 例によって山盛中華料理に昼間から白酒である。 |
赤い顔して会社の正門前で記念写真。 |
この後、近くにある日本独資の会社を見学。 |
ここには昔一緒に仕事した山本さんが工場顧問として勤務している。 昨日今日とゴルフコンペで多忙とのこと。 夕食を山本さんの住んでいるマンションの1階にある「花月」で馳走になる。 |
同じ席に、昨年10月一緒に大連で四川料理を食べた 若手駐在員2人(製造部長と品証部長)もきてくれた。 |
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我々は山本さんの案内でスナック「百度」へ。3人で700元(山本さん支払い) |
その後、近くのカウンターバー「ラウンジ秀吉」へ。マスターは大阪出身で同年の巳年。 大連駐在中、奥さん死亡。退職金で静かにゆっくり休める酒場を目的にバーを設立。 1時間くらいおしゃべりして300元(@100元) |
今日は山本さんに1000元使わせてしまった。会うという予定をしていなかったのでお土産は持ってこなかった。申し訳ないことだった。次回訪問時にはたくさんお土産用意しよう(^O^) 山本さんといい、この人といい、寺沢君といい、大連を知っている人は「落着ける町」、
帰路>タクシー。ホテル着午前様 |
今日も終日、曇天。視界は同様にして悪し。肌寒さを感じる。 |
今日は夕食を王安隆さんと食べる約束をしているだけで、ほかに予定は何もない。 そこで、ゆっくりと労働節の大連を堪能しようと街を歩くことにした。 幸いなことに涼しいので、出口君も汗をかくことが少ないと思う。
ホテルで3万円兌換>レート0.0648元/円(15.434円/元) |
それでは出発! |
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9:30>人民広場<凧揚げ見物>天気はこんな具合だ! |
高爾基路交差点までの中山路沿いは1年以上前から再開発中だ。 工事現場の仕切り壁面には派手な宣伝看板がたくさんある。 ここに金石灘の遊園地「発見公園」の広告があった。 |
WEBサイト(www.discoveryland.cn)にアクセスしてみた。なんとなくディズニーランドっぽい(^レ^; サイトではこの遊園地がグルグル動くのです。是非、アクセスしてご覧ください。 |
ここで面白い光景を見ることが出来た。生垣からチョロチョロと動くものがある。 | |
ネズミだ!芝生の上の何かを食べている。ここはバス停前だ。 食べ物のカスのようだ。よく見ると人間が吐いたゲロのようだ。 |
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近づくとさっと、うしろ生垣に逃げる。どうやらここが住いのようです。 | |
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森ビル裏の大連市錦華日本文化街へ。森ビル側は全部壊され、高層ビル建設中だ。 反対側はまだ「大連大名」ほか日式スナックが並んでいたが、だいぶ移転したようだ。 |
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大名側から | 反対側から |
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と突然、左側からシルバーグレーの三輪自動車がやってきた。これだー! |
更に歩いて中山路沿いの元「裕景商城」別名「電脳城」前を通る。ここも壊され高層ビルの建設中だ! | |
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地下道に入り楊さんの店(天后站)の後がどうなっているか確認。
地下道を歩いていたが、あまりの人ごみに気分が悪くなってきた。 ここら一帯はスラム街のような雑多な店が並んだ商城である。 |
いつもの海鮮乾物店でホタテ貝柱物色。別の乾物店では日本産のホタテ貝柱を売っていた。
勝利広場でこれまた珍しい光景を見る。
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天津街は相変わらずの賑わいを見せている。 ただ、この通りは風が吹き抜けるので、冬はとても寒い。 今日は風薫る5月の初日だが、とても寒い。 店員は完全防具の体勢だ。 |
ここでガスライター4個、オイルマッチ2個購入(85元)>お土産にする。 どれもこれも、中国ならではの奇抜なデザインだ。 |
オイルマッチの原理 |
金属製のマッチ棒>先端にオイルを含浸させた着火部 オイル収納箱>端面に帯状のヤスリ部 マッチ棒の先端を箱の端面のヤスリ部に当てて強くこすると摩擦で点火する。 |
中山広場から魯迅路を通り、鉄路文化宮へ。 | |
中山広場でミニパトカー発見(アチコチでよく見かけるようになった) |
元、大連日報社跡地の工事現場は一向に進展を見せない。 |
世紀路方向>左側に高層ビルが出来てきた。 |
ここの入り口扉には昨年(国慶節)、演芸(漫才と曲芸)の案内看板があった。
劇場から大勢の若者が出てきた。なんだろう?? |
家楽福で買い物 |
白酒2本(五粮醇wuliangchun)@88x2本=176元―30元(特値引き)=146元 歩き疲れた>家楽福内の肯徳基で休憩>コーヒーとピリ辛バーグ |
市電を待つとき、道路向こうに住宅修理屋さんが道沿いに並んでいた。 お客が来ないのかみんなトランプ賭博などやって時間をつぶしている。 |
ギロっと睨まれてしまった。恐い恐い!
路肩に赤字の看板が立てかけてある。 これは、それぞれの専門分野を表しているが、内容はよく解らない。 看板の一番上の2文字(zhuan1ye4)は簡体字のため日本語にはないが、日本語では「専業」と書く。 |
市電に乗って大連駅へ。 |
いつもの乾物屋でホタテ貝柱購入>500g285元を私3個、出口君1個計4個ということで260元に負けさせる。 260元x3個=780元 |
タクシーでホテル帰宅>しばし休憩 |
17:00>王安隆さん宅訪問 場所は萬達飯店付近のマンション。部屋は角のためとても明るい。 熱帯魚の動画をウエブ上でオンライン中継(無料)>プロバイダー:www.stickman.jp 王さんサイト>www.stickman.jp/profile/qicaiyan |
熱帯魚をカメラで撮影し、リアルタイムに配信するシステム |
夕食は王さんがセットした四川料理店「巴国布衣」 |
もちろん王さんの奥さんも来たが、今回は友人が一人増えた。 この人は3年前西尾から大連にやってきた王さんの友人。
王さんの奥さん以外、男ども4人は汗を拭き拭き、辛い辛いと言いながら楽しく食べた。 いつも2次会に行こうと約束していたが、いつも奥さんが付いて来るので、なかなか王さんも決断できない。
今回は友人が一緒なので、奥さんにも了解が取れたらしい。 とりあえずホテルに戻ったが、出口君が足が疲れたというので、マッサージをフロントに尋ねた。 しかし、そのようなマッサージ室はなく、部屋への出張マッサージだというので断った。 ここから近いところで知っているのは五四広場の「良子」だ! 前回全身マッサージで懲りているので、今回は足だけにした。30分50元 マッサージ師は若い男だ!私は水虫があるので気の毒ではある。 そこでチップ20元渡す。今日もまた午前様になってしまった。 2日連続で午前様だ!疲れが溜まっている。 |
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今日も終日、曇天。視界は同様にして悪く、肌寒い。 大連に来て好天は2日目の旅順花見だけであった。 |
連日の午前様で私は疲れ気味。昨夜は腹が張って、何度もトイレに起きたが、出るものが出なくて苦しい。
朝食もほとんど食べれない。腹が張って気持ちが悪い。 いつも大きいトイレがしたい感じだが、出ない。 幸い、出口君は元気だ!良かった(^O^) |
10:00>駐在員マンションから五四広場と西安路周辺の写真撮影のためホテル出発。 五四路から連合路を経由し、黄河路から昨夜行った足マッサージ「良子」の前を通る。 |
目前が五四広場。左奥の高いビルが5階建てデパート百盛の上に継ぎ足した新築マンション。中央部の茶色いビルが天河公寓 |
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大野君は買い物中で、しばらくマンションロビーで待つ。しばらくして秩父君と現れる。 大野君新住居「百盛」の24Fへ。マンション見学>ワンルームで、天河公寓より圧倒的に狭い。 単身赴任ならこれで十分だが、価格はずっと高い。こちらには大野君と佐藤君の2部屋がある。 記念にここからの眺めを写真に納める。西安路に近いので、商業城が真下に見える。 長興市場も真下だ!山の向こうは旅順である。 |
貴重な写真を撮らせてもらった。感謝!感謝! |
天河公寓へ。秩父君部屋13Fから元スラム街の建設風景撮影。 |
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右端に見えるビルが百盛のマンション | |
聖金広場 |
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依然としてお腹が張っている。秩父君のトイレでウンチする。少し出た。 秩父君がキャベジン8錠くれた(1回2錠)。いまだかって胃薬を飲んだ記憶が無い。 しかし、今の体調は極めて悪い。格好つけていてもしょうがない、有り難くいただく。 |
気分は最悪であったが、ここまで来て帰るわけにはいかない。 前回行かなかった星海広場の貝殻博物館へ行くためタクシーに乗った。 |
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この建物を建設中の2002年5月、 私はラブホテルかと思った(^レ^; 名前は「シャトー星海」(@_@)
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結婚記念写真を撮っているカップル多し。記念写真に10万円以上使うそうです。 | なかなかの美人でした。 |
手前の楕円形の建造物は螺旋状の通路が見える。多分立体駐車場であろう。 それにしても星海周辺のマンションラッシュは尋常ではない。 貝殻博物館入場 博物館では体調最悪。冷房の効いた寒い館内のベンチでずっと座ったまま過ごす。
出口君に私の体調を話し、ホテルに帰る。昼食抜きで午後はずっとベッドに横たわり休む。 今日は大野君と最後の晩餐を予定していたが、彼から連絡が無い。 何度もこちらから電話するが用事があるようで、食事時間が決まらない。 王さんと楊さんには少し待つようお願い。
夜8時頃大野君から電話あり。 我々はホテルからタクシーで行ったが、食堂が解らず困惑。
ここで、中部空港で買った、携帯電話に貼る「蒔絵シール」をプレゼント。 大野君は「パンダ」、楊さんは「花」と彼氏に「ドクロ」、王さんは「鶴」 その後、五四広場の上島コーヒー店でお茶を飲む。 この後、大野君とはここで別れ、4人は楊さんを自宅に送り、ホテルに帰る。 早めに就寝した。 今日は私の体調不良で半日、棒にした。
出口君には申し訳ないことをしてしまった。 |