昨年2006年は自治区の区長を拝命し、「活気あふれる、清潔で安心安全な町づくり」のため、全身全霊をこめ、粉骨砕身行動しました。区役員と区民の皆さんのご支援とご協力により、おかげさまで事件事故もなく無事後任に引き継ぐことが出来ました。とてもありがたいことと感謝しております。 ただ、おかげで大連に出かけることが出来ず、友達にもご無沙汰してしまいました。 今年最初の訪問は、みんなが正月でお休みの「春節」に出かけることとした。 |
今回はときどき仕事を手伝っている、小学校時代からの友人が一緒に行きたいということで、2人で出かけることにした。彼は仕事でカナダなどに出かけたことはあるが大連はもちろんのこと、中国旅行は初めてである。 中国と言うと、「3K国家」と言うイメージがあり、腰が引けるようである。私は4年の大連生活を通して、中国社会をたくさん学習した。結果として、「安心安全な町大連」を事ある毎に推奨してきた。今後少しずつ、仲間を増やして行こうと考えている。 幸いにも私には、大連にたくさんの友人知人、教え子がいる。彼らは私の意志を汲んでくれ、温かく迎えてくれる。ありがたいことであります。 大連の楊さんと広州の王さんに大体の日程を連絡し、これを相互に調整して、2月20日出発を決めました。 大連往復航空券はいつものように「中国南方航空便」をネット「アルキカタドットコム」で購入した。 航空券52,000円 保険料は2年前の10倍であった。 |
航空券受け取り場所は前回同様なので、そこへ直行。 前回は工場には訪問しませんでしたが、今回は久しぶりですから駐在員の皆さんにお会いして、できれば夕食でも一緒に食べたいと思います。 通関して、出発ロビーで個人のお土産を買いました。 王さんにはいつもの機械関係雑誌2種類15冊ほどと、自動車の構造と金属材料に関する図書入り解説書2冊。 中国にはこのようなビジュアルな解説書はほとんどない。 楊さんには特にありませんが、特別に何か考えます。 <今回の旅の目的>1、ご無沙汰の友人に会うこと |
日程・天候 | 行程 |
2月20日(火) 霧深し |
@ 中国南方航空CZ620<中部空港12:15発>大連空港13:45着(現地時間) A 楊さんと劉君出迎え>ホテルチェックイン>大連賓館(三つ星)( 中山広場南側) TEL:0411− 8263−3111。部屋ツイン1泊350元(5800円)@2900 B 東海公園から濱海路経由で星海広場へ C 夕食>王さんが加わり、5人で火鍋(シャブシャブ)「昌隆」へ |
2月21日(水) 霧深し |
@ 午前中>ロシア街、大連賓館で兌換、携帯SIMカード更新 A 昼食>楊さん、王さんと飲茶>ホテル「中山大酒店」の 5F B 散策>春節で大方の店はお休み>地下商城や大連商城でショッピング>イトキン3Fで珈琲休憩 C 夕食>四川料理「巴国布衣」>楊さん劉君と4人 |
2月22日(木) AM霧 PM少し晴れ |
@ 散策>満鉄関連建物見物(満鉄本社、鉄路文化宮) A 劉君(楊さん)の運転で旅順口へ>東鶏冠山景区、203高地 B 昼食>旅順南路沿いの海鮮大衆料理「世外桃源」 C 星海広場散策 D 夕食>日本料理店「 朋苑」<ネタが悪すぎ、値段も高すぎ!ひどい店であった。 |
2月23日(金) 晴れ |
@ 市電203路線で20日霧深く何も見えなかった東海公園へ A 昼食>市電の帰路、三八広場で下車し、中国式ピリ辛ケンタッキー(肯徳基) B PM>歩いて、南山日本人街 → 大連京劇 → 労働公園 →勝利広場 → 渤海明珠酒店 C 夕食>天天漁港(奥林匹克広場)>楊さんと3人 |
2月24日(土) 晴れ |
@ 友人、帰国予定であったが、パスポート紛失発覚。楊さんに緊急支援要請。 あちこちの公安に出向くが春節で対応は最悪。会社にも支援を要請する。 A 昼食>公安近くの駅前韓国焼き肉店「太能焼拷」へ B PM>双興韓国服装城」でショッピング、会社見学 C 夕食>昌隆シャブシャブ(日本人5人+中国人2人)、2次会>日式スナック |
2月25日(日) 晴れ |
@
友人のパスポート紛失で計画大幅変更>春節環境でほとんど何もできない。友人は帰れるか? 会社から当該問題の専門家と責任者の応援あり。非常感謝! 早朝、中山広場のすさまじい爆竹と花火が体験できただけでも幸せと思いたい(^O^) A ショッピング>古玩城(港湾広場)へ B 昼食>イトキン8Fの蕎麦屋 C マンション天河公寓から周辺の変化を写真撮影 D 夕食>渤海明珠酒店30F回転展望レストランで自助餐(王さん夫婦と) E 2次会>日本式居酒屋 |
2月26日(月) 晴れ |
@ 会社の専門家・責任者と入出国管理局 → 領事館 → 歩いてホテルまで帰り休憩 A 昼食>三八広場のマクドナルド B ショッピング>家楽福 C 夕食>二七広場付近の「品海楼(楊さんのおごり) |
2月27日(火) | 帰国>中国南方航空CZ619<大連08:05発>中部国際空港11:15着(日本時間) |
2007年2月20日(火)>大連@
飛行機は中部空港12:15発、中国南方航空CZ620。
奥さんに友人とともに空港まで送ってもらう。
搭乗手続きして、通関まで時間があったので、珈琲タイム。 通関ではよく金属探知やX線に引っ掛かった(手提げカバンに入れた旅行セットの爪切りとか毛抜きなど)が、 最近は危ないものはスーツケースに入れて預けるようにしているので、一発通関である。 |
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通関した正面に節句の雛壇が飾ってある。 |
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もう着陸してもいいのにと思っていたら、突然眼前に空港の滑走路が現れ、大いに驚く。原因は深い霧である。従って、着陸体勢に入って、大連港の上空を飛ぶが、まったく見えない。 無事通関し、出ると楊さんと彼氏が温かく迎えてくれた。
車は大連在住のお姉さん?のホンダCRーV 友人にどこに停まってもらおうかといろいろ考えたが、瑞士や冨麗華や香格里拉などの五つ星ホテルより、築100年の歴史的建造物、旧「大和ホテル」、現「大連賓館」に決めた。 |
チェックイン後、劉君のご好意に甘え、大連が誇る国家的海岸線「濱海路」をドライブすることに(^O^)折角の劉君の好意ではあるが、なにせ深い霧。何も見えない。
私自身、過去にこのような霧は経験したことが無い。なーーーぜ?? それは珍しい人間(私の友人)が大連にやってきたからではないか! |
東海公園入場券 | |
ドラゴンモニュメントの前で記念写真 | ごみを拾う学生銅像の前で記念写真 まわりは霧でかすんでほとんど見えない。いかにも残念! |
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いつのまにか(2年前は無かった)巨大な海ガメが出現していた | |
海岸の庭園も整備されている。手入れされた赤松が点々と配置されている。 | |
これまたいつの間にか、大小さまざまな模型海賊船?が海岸線に設置された。 これが最大の海賊船ですが、ひょっとして、これは本物かもしれない? |
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このあと、劉君から「どうするか?」と訊かれた。 霧で国家的景観「濱海路」は視界ゼロ。このまま海岸道路を進んでも面白くなさそう! かといって、戻るのも癪だ。そこで、予定通り決行、老虎灘に向けて濱海東路を進む。
海はまったく見えないが、道路沿いは視界に入る。ゆっくり、安全運転で進む。 道路脇の斜面に延々と続く、魚貝類、古代生物類の化石などの巨大なモニュメント(コンクリート製)である。ただ残念だったのは写真を撮らなかったことです。霧の中、登り坂道の途中で、車を停めることが出来なかったからです。 |
濱海東路の頂上あたりの海岸に突き出た、休憩所でお茶タイム。 |
中はこんな感じです。柱に纏わりついている青い蔦はもちろん作り物です。 |
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友人が撮った写真 |
みんなで楽しめる中国茶を注文しました。 |
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ここで、小一時間ゆっくりと中国茶を楽しむ(^O^) |
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外は相変わらず深い霧が立ち込めている。 |
この少し手前に不思議な道路がある。友人に体験してもらう。 車でこの道に停まると、坂道の上のほうに、下っていくのです。 |
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老虎灘に着いても霧は晴れる様子もなし。再び進むか帰るか迷ったが、星海まで行くことにする。 |
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夜は私の大好物「昌隆シャブシャブ」をみんなで食べます。 食事後、いつもの通り、帰り道の高楽基路沿いの喫茶店「55」で珈琲タイム。 やられたーーーーー(^レ^; |
中山広場が鮮やかな春節模様となっている。 新しい中国銀行ビル壁面の巨大な電飾を楽しむ。 |
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友好広場方面 | 緑にライトアップされた雪松 |
2007年2月21日水曜日>大連散策&ショッピングと夕食会
大連賓館のツイン部屋はとても大きく、快適でした。ぐっすり眠れて、今日は寝覚めがよいです。 |
朝食は毎日、ホテルのレストランで食べます。ここの朝食は10元ですが、とても豪華です。 |
朝食後、楊さんとの待ち合わせ時刻 9:30まで約1時間ある。そこで、近くのロシア街に行った。 今日も霧は深い。ロシア街は上海路を通って、勝利橋の向うだ!しかしです。 |
上海路側から | 長江路側から |
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2年前、人間は板張りの床の仮設橋を渡ったが、いまではレンガを敷き詰めた広い歩道が両側に完成している。 |
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大連駅とは反対方向 | 大連駅方向 |
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ロシア街入口前の露店では春節用の花火、爆竹を売っている。 |
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友人は開店準備中の露店でロシアの名産?「マトリュースカ」?を孫の土産だと言って、1個買った。 マトリュースカとは外見はこけしであるが、その中がくり抜いてあり、徐々に小さい人形が入っている。 友人が買ったのは小さな人形が6つ入ったもの(25元)であったが、100元を超える大きな物もある。 |
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中山広場周辺建物には、 このような提灯が飾り付けてある。 |
ホテルに戻り、フロントで兌換。 中部空港(17.24円/元)と比較して、 1円以上有利(16円/元)であった。 |
大連賓館玄関ホールで記念写真 | |
2005年8月に広州で買った100元SIMカードが期限切れで使用不可。 (携帯は2004年NOKIAを購入) そこで、楊さんと一緒に上海路沿いの中国電信へSIMカードを買いに行った。 しかし、春節のため、店は開いているが販売はしていない。困った! もう少し先の勝利橋手前にも確か、小売店があったはずである。 このことがあとでたいへんなことになったのです。それは後ほど報告します。 |
そうこうしている間に、時の経つのは早いもので、お昼時間です。 昨日は脂っこいシャブシャブだったので、お昼はさっぱりしたいと、「飲茶」を希望。 歩いて勝利広場の皇賓楼2階の「上海湯包王」へ行ったが、これまたいつの間にかKTVに変っている。 |
勝利広場前で巨大モニュメント発見!友人はコカコーラが大好きなのです。 |
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ここで、王さんがやってきて、2人が勧める「中山大酒店5階」へ行く。 4人で120元安ーーい(^O^)友人のおごり!ご馳走さまでしたm(_)m |
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食事の後、地下商城をぶらぶらして、ショッピング。
4人目の孫(2歳)にお土産として「チャイナ服」2着(100+60元)と、 シルクの「チャイナ靴」1足(50元)を買う。 |
さらに、竹製コースターを適当数買う。 |
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今年の大連はとても温かいという。 毛糸のセーターも持ってきたが必要なさそうである。 とくに、地下街は暑い。とても喉が渇いたので、 イトキンの3階カフェ「ofuon」で珈琲タイム。 |
2人の娘さんはいつも元気一杯です。 |
夕食時間までにはまだまだ時間がある。そこで、蚕絲被(繭綿ふとん)を物色した。 デパートはどこも超満員で、暑くて汗をかく始末であった。コートは不要だった。 今回、欲しいのは繭綿1.5Kgの蚕絲被であるが、マイカルーには適当なものは無かった。
次ぎに大連商城に出かけた。 そこで、帰り道にホテルに立ち寄り、いつものお土産<機械専門雑誌15冊>と、 書店の入口に並んでいた「自動車の構造」と「金属材料の基礎」2冊をプレゼント。 この2冊は図をふんだんに使っており、とても分かりやすい。 日本語の未熟者でも絵を見るだけで理解できるものである。
このような専門書籍は中国ではまったくないと言っていい。 王さんはこのことをよく知っており、とても喜んでくれた。
夕食は前回、劉君に教えてもらった、四川料理の「巴国布衣」baguobuyiだ!
前回、ここで食事したときデジカメを忘れたので、余興の「団年宴」を撮れなかった。 |
団年宴
演技者は一人。後ろ向きでスタンバイ。小柄である。 |
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面がつぎつぎと早変わりする。 |
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最後は面を外し、素顔を出す。が、面のほうが美男子である(^レ^; |
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最後の最後は人間火炎放射器である。 |
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明日の予定を楊さんに聞かれた。 しかし、目当ての商店が今週一杯、春節でお休みのため、予定が大幅に狂う。
楊さんから「旅順観光」の提案あり。運転手は劉君です。ありがたくお願いした。 ここで楊さん劉君と分かれ、我々は駅前から天津街経由で歩いて帰ることにした。 天津街は真っ暗闇であった。ここも春節休みでした。残念! |
友好広場中央部の電光サッカーボールが、鮮やかな電飾に変っていた。 | |
2007年2月22日木曜日>旅順観光
今日は我々の願いが神様に届いたようで、霧が晴れてきた。太好了!(^O^) |
待ち合わせの時間前に、友人を連れて満鉄本社建物見物。
せっかくだからと、少し先の「鉄路文化宮」へ向う。 アーチの向こう側に、建設中の大きなビルが見える。何だろう?? |
<一口メモ> |
門柱や塀の一部が黒ずんでいるところがある。 これは携帯電話やポケベルの番号が書かれた痕跡で、商売の連絡先である。 落書きと同様、消しても消しても書き込まれる。 このような落書きは大連だけでなく、中国ならどこでも、至るところに見られる。いづこも同じである。 久しぶりに中に入ってみる。ここには古い建物が2つある。 |
正面の建物は元「連鉄劇場」であった。 右の建物は「大連倶楽部」で、日本人の憩いの場所であった。 |
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大きな建物です。 |
裏側2階に図書館が出来た?どんな図書館なのか次回きたときに調べよう。 |
ここに「兵どもが夢の跡」ならぬ、春節花火の残骸がうずたかく積まれていた。 |
6年前(2001年)の鉄路文化宮はこんな雰囲気でした。 |
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正面の青い屋根が「連鉄劇場」、右の赤い壁が「大連倶楽部」 | ||
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大連倶楽部は日本式カラオケクラブでした。雰囲気が私にはピッタリで、よく遊びに行きました。 | |
こんな感じです。 |
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室内はごくごく普通のスナックですが、昔の面影を残すものが点在します。 |
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連鉄劇場では2001年9月に大連国際音楽倶楽部の演奏会があった。 |
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旅順へは往復とも、市電202路線に沿って、星海から「旅順南路」で行った。 |
途中、龍王塘から温泉プール「水上人間」を過ぎたところで、三叉路を左側の海岸道路に入った。 私の記憶では、外国人は海岸線には入れない(この先に軍港があるから) 劉君に戻るよう注意し、先ほどの三叉路を右折して、山間部に進む。 しばらくして、「東鶏冠山景区」への入口の看板を発見。 |
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入場料20元 |
私は大便がしたいので、陳列館前の便所に行ったが、鍵が掛かっており入れない。 係員もいないので、探し回っていると、ズッと向うに旧式便所らしき建物が見える。 生理現象はどうにもならない!我慢して用を足すしかなさそう。しかし、
「急いで済ませないと誰か来るかもしれない」と言う、恐怖でなかなか出てこない。 かく言う私も、子供の頃は借家に住んでおり、もちろん便所は汲み取り式の共同でした。 |
まずは「日露戦争陳列館」に入る。 | 劉君は初めてらしく、展示物や写真を食い入るように見つめていた。 友人は感動の面持ちで、壁面の写真や陳列品などを全て、細かく撮影していた。 |
旅順港実戦配置模型図 | |
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何度も見た激戦の跡ですが、何度見てもその凄まじさに驚かされます。改めて、詳しく写真に納めました。 |
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ロシア軍の隧道跡 | |
覗き窓目掛けて撃ち込まれたおびただしい弾痕。日本軍の攻撃の凄まじさを物語っている。 |
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頑強に抵抗したロシア軍を撃破した突破口 | |
覗き窓目掛けて撃ち込まれたおびただしい弾痕。日本軍の攻撃の凄まじさを物語っている。 |
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頑強に抵抗したロシア軍を撃破した突破口 | |
慰霊塔(向うの山頂にもトーチカがある) | |
近くに機関砲が置いてある。
これは本来、日本軍を迎え撃つロシア軍の物であるが、 なぜか中国製であった。 こんな風ではなかったか?といった、適当な設定だ! |
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階段には様々な押し絵が描かれている。 |
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続いて、道標に従って203高地に向ったが、行けども行けども入口の看板が現れない。
私の記憶でもこんなにも奥まったところではない。引き返して、自転車に乗った村人に尋ねる。 本通りからわき道に入らなければならないようだ。わき道には何の標識も無い。
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楊さんがチケットを買ってくれた。(入場料30元) ただ、霧がまた深くなって、景色がぼんやりしてきた。これはダメかも(^レ^; |
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頑丈で立派な案内板が出来ている | |
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駐車場はガラガラ。我々のほか誰もお客さんはいない。楊さんは車で待つという。 いつものように、駕篭かきが100元100元と叫びながらやってきたが、不要了!無視して登る。 |
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友人は車生活のためか、足腰が弱い。途中で息せき切っている。 劉君と私は構わず進む。やはり見通しは悪い。 海はまったく見えない。残念だ!! |
とにかく寒い!客も我々だけだ!時刻はお昼を少し回った。 売店のおばさんが2人、店開きの準備をはじめた。 分厚い写真集を買えと言う。が、早々に退散。 |
この対空砲横(写真には写っていない)には、ヘルメットなどが用意され、 記念写真が撮れるようになっている。なんとも商魂たくましいことか(^レ^; |
昔の登り口階段横にはいつの間にか砲台が設けられ、 大砲が2門置いてある。 これは歴史的史実なのであろうか?はたまた単なる観光なのか? 理解できないことが着々と進んでいる。 目的はなんなのであろう?? |
この説明板の向うが旅順港であるが、まったく見えない。残念である。 | |
帰り道は観光ルートにはなっていない?、ロシア軍の塹壕を見ながら、山を下り、 ここで戦死した「乃木保典」の碑を参拝して帰る。 ただ、数年前来た時は、当時そのままに荒れ放題の山肌と塹壕であったが、 今回では山道も塹壕も石で組み立てられ、きれいに整備されていた。 |
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乃木保典(やすすけ)は1904年2月勃発した「日露戦争」の司令官「乃木希典」(のぎまれすけ)の次男である。 彼は1904(明治37)年11月30日ここ203高地で敵弾に倒れる。 |
ここで、ロシア兵は数千人、日本兵は1万人以上が死んでいる。 |
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友人は感嘆あるのみであった。 | |
お昼をかなり経過している。腹が減ってきた。昼食をどこで食べようか? この辺りは私のほうがよく知っている。 2年前に来た時、「水師営」の前にうまい店があることを思い出した。 デコボコ道をガタゴト行ってみたが、水師営は開業していたが、食堂はお休みだった!残念! この辺りにはレストランは無い。星海あたりまで我慢するかと、思っていたら、 楊さんから「旅順南路」沿線に美味しいレストランがあると言う。 彼女は行ったことがあるようです。そこに決まり! |
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再び、旅順南路を引き返す。途中海岸線を走行中、 |
ついでに海を撮影したが、水平線の画像が乱れている。なぜか? |
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しばらくして、屋根の上で作業している人々が目に入る。家の修復?解体? | |
車の量が減った辺りで、劉君が車を路肩に停めた。「どうしたの?」と尋ねると、楊さんが運転すると言う。 楊さんは最近、運転免許証を取得したのです(^O^)
車は持っていませんから、もっかペーパードライバーです。
今日の車は借りたものですから、傷でもつけたらたいへんです。
楊さんに運転を代って、5分もしないうちに目的のレストランが見えてきた。 レストランは反対車線だったが、旅順南路は片側2車線の広い通りであるから、そのままUターンすればいいのであるが、なぜか右側路肩に停めて、劉君と交代。 どうしたの?Uターンできないの? これで、楊さんの運転技量も分かってしまった。 お疲れ様でした(^レ^; |
ここは来る時、珍しい建物があるなー!と感心したところであるが、実はレストランであった。 |
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時刻は午後1時を少し過ぎている。が、お客さんの車で一杯だ。 店の名前は「世外桃源」shiwai-taoyuan すなわち、「桃源郷」という。 |
緑色に塗られたシンボリックな屋根があちこちに建っている。 季節によってはここでも休憩できそうだ。 |
お客さんでごった返す店内は、春節ムード一杯です。ガラス屋根のレストランはとても明るい。 真ん中に大きなだるまストーブが置いてある。今日は温かいから、不要である。 運良く、ちょうどテーブルがひとつあいた。 |
私と楊さんは友人と劉君を置いて、裏のほうにある生簀に料理の素材を注文しに出かける。 さすが港町「旅順」です。新鮮な魚介類が所狭しと並んでいる。 スープを含め、豚肉・鶏肉、魚など適当に5,6点注文。 さらに「ヒラメ」を一匹、生き作りとして注文。 |
友人が撮った楊さんと劉君(劉君は前歯が折れているので写真はいやだという) |
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ヒラメの生き作りを食べた後、例によってこれを「唐揚げ」にしてもらったが、ベタベタした出来栄えにがっかり。残念!
デザートは地元産のリンゴであった。リンゴは小さく、色もあまりよくない。 店内のあちこちに段ボール箱に入って、無造作においてあり、食べ放題だった。が、あまりうまくはない。 料金は4人で175元だった。 |
記念写真 |
劉君に星海広場の先端(扇形モニュメント)まで送ってもらい、2人と別れる。 |
新設された騎馬警官の銅像では、みんながこれに乗って記念写真を撮っていた。 背後( 濱海路方向)にはつり橋のような、橋脚が見える。 |
つり橋の向うには新しい建物がたくさん出来ている。これがもしマンションなら、 こんなにも次から次へとマンションを作って、いったい誰が買うのであろうか? |
海岸広場では大勢の家族ずれがムチで回すコマを回して遊んでいる。 不思議なことに、蹴鞠ならぬ蹴羽根をやっているグループはまったくいなかった。 |
巨大な扇方モニュメントから星海広場全体を眺めると、 建築中のものを含め、いつのまにか高層ビルが増えている。 |
つり橋の前で記念写真(友人のカメラは電池切れ) |
つり橋の手前には大きな石碑がある。そこに真っ赤な文字が彫り込まれている。 書体は「狂草」、踊るような素晴らしい筆跡である。 右下に簡体字はあるが、意味は分からない。 どなたか教えてくださいm(_)m |
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中国の友人に教えてもらうが、意味は解らない。 |
日本語表示とピンイン |
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一水呼嘯走遼東 yi1 shui3 jiao4 xiao4 zou3 liao2dong1 銀朝天来鎖蛟龍 夏天攬月填黄海 織女牛郎信歩行 唐双寧(作者) 書 |
作者紹介>唐双寧 | 単語の意味 |
1954年10月生(遼寧省)満族。 経済学の修士。高級経済師。 中国美術館顧問 狂草書家として高い評価あり 日本やアメリカで作品発表あり
彼の作品は中国国家博物館や軍事博物館などの博物館が収集。
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嘯>ほえる、鳴る 遼東>遼国の東 蛟龍>古代伝説上の龍 夏天>夏 織女牛郎>牽牛織姫 |
書体の解説(引用>広辞苑) 狂草>草書をもっと柔らかくくずした書体 草書>篆隷を簡略にしたもの。 行書>楷書と草書の昼間の書体。楷書の画をややくずしたもの。 楷書>隷書から転化した字形の方正なもの。 隷書>徒隷(卑しい身分の者)にも解りやすい書体の意 |
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狂草書体の解説 | |
改めて、建設ラッシュの星海広場を西側からグルッと一望します。 | 中央通路にあった水路は透明樹脂で埋められ、中に照明が設置されている。 夜になると、通路が明るく浮かび上がることでしょう。 |
右側のマンション4棟は、興工街のマンション13階から頂部が見えます。 | 星海会展中心前の下沈広場北側空き地には奇妙な形をしたビルが建築中です。 華奢な骨組みに友人はビックリ仰天だ!地震のない国だから、これでOKなのでしょう。 |
上野写真の右側に「現代博物館」があります。 見学するつもりでしたが、春節でお休み!残念! |
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そこで、友人を市電202に乗せて、興工街へ。 車内におじいさんと一緒の可愛い女の子がいた。友人が写真を撮ろうとしたので制止。 家楽福前で 電車を降り、新天地商業城の前を通って、興工街方向に歩く。 |
聖金広場に面していた肯徳基は西安路側に移り、後には吉野家ほかに変っている。 この写真はいつもの観測地点(長興市場2階)から撮ったものである。 高層ビルがビッシリとひしめき合い、この辺りの開発が急速に進んでいることを現している。 |
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聖金広場方向 | |
デパート「百盛」になにやら巨大な建物が出来そうです。 多分これが周辺の巨大なショッピングモールに 対する百盛の対抗処置なのでしょう。 |
百盛はもともと増設する計画を持っていたようである。 その証拠は、予め屋上に基礎が設定されている。 それにしても、増設部分は現状5階の3倍近い。 こんな華奢な基礎で大丈夫かいな?(2003年) |
2003年10月、裏のほうで基礎工事を行っていたが、その後何の進展も無く4年が経過した。 |
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歩道に出ると、そこに2元ショップがあった。 例によって2元2元とスピーカーががなりたてている。 |
以前この店は聖金広場と成義街との間の2階建てレンガ作り市場の西安路に面したところにあった 日本へのお土産としてよく買ったものです。が、ここが取り壊されて何処かへいってしまった。 |
2003年10月頃の市場。2元ショップは正面の「陽光百貨商店」 |
この店が少し北に移動したのでしょうか?早速中に入り、物色。 髪飾りや中国結びなど30点ほど購入 |
興工街交差点から(星海方向)を見る。高層ビルラッシュである 前方に見える3棟は「大連商業城」、手前のガラス張りショッピングモールは「新天地広場」 |
このあと、再び市電に乗って大連駅まで行こうと、興工街交差点に行って驚いた いままでは沙河口駅方面から左折していた線路がなくなって、星海方面から右折に変っている 電車が曲がってくるのを交差点で待っていたが、いつまでたってもこちらに来ない |
通りがかったおばさんに尋ねる。 身振り手振りで沙河口駅方向や西安路方向を指し示しながら、 喋りまくっているが、同じことを何度も繰り返し、進まない。それでもなんとか理解できた。 どうやら、新線開通まではもう少し時間がかかりそうである。 やむを得ず、タクシーでホテルまで帰る。 夕食は2人で日本料理を食べに出かける。
寒い夜の街をブラブラ歩いて中山広場から人民路へ入り、「大江戸」に向う。 刺身盛合せ、寿し盛合せ、肉じゃが、冷奴・・・・私の好みで適当に注文。
盛合せの刺身は冷蔵庫の番人ではないかと思うほど古く、 |
2度と来るか馬鹿ヤロー! |
寝るにはまだ早い。夜の中山広場を散策した後、魯迅路の満鉄本社に足を伸ばす。 ここで、大連日報社がなくなっていること、満鉄本社跡がライトアップされていること発見。 今日は寒い夜、足を運んだ価値があったことを感謝した。 |
大連日報社跡 | 満鉄本社 |
2007年2月23日金曜日>東海公園、労働公園、天天漁港
やっと大連らしい青空が戻ってきた。明日は友人が帰国する。 その前に初日、霧で何も見えなかった、東海公園へ再度行くことにした。 |
大連日報前から市電203に乗った。 昨夜は暗くてよく見えなかったが、大連日報社の社屋が消えていた。 ここにいったい何が出来るのか、とても楽しみである。 |
市電車内の春節飾りつけと乗客サービスの雑誌 |
快晴の東海公園 | 逆光の東海公園>誰が人間でどれが銅像か?? |
!真冬の海水浴! どこにも元気なおじさんはいるものです。多分、春節の恒例行事なのでしょう。 |
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この後の予定は、終点「大連駅」まで市電203で行き、歩いて労働公園です。
しかし途中、友人が「トイレにいきたい」という。さて、どこで処理するか困りました。 トイレだけでは申し訳ないので、ちょっと早めのお昼にする。
私は中国式ケンタッキーのピリカラハンバーガー「#3漢堡包(han4bao3bao1)」が大好きである。
私はいままでにも、大連市内散策においてトイレを催した時、このような施設を活用してきた。 三八広場で降りたので、ついでのことに、すぐ近くにある日本人ゆかりの南山街を散策し、その足で大連京劇場(旧跡東本願寺)前を通って、労働公園に行くことにする。 |
五五路と望海街との交差点 | |
南山街の保存旧家 |
大連京劇場(旧東本願寺) | |
労働公園からロープウエーで電波塔のある山頂に上る予定です。 | 郵政大厦前の第九中学校 |
労働公園入場料20元 |
公園に入って(東門)すぐの、ど派手な春節飾り>天安門には毛沢東肖像画 | 北門方向(人工池周囲は春節提灯で飾られている) |
途中の広場で振り返る。暑苦しいほどの好天気だ! | 電波塔を正面に見る。最後の広場では噴水が陽光に輝いている。 |
今年の干支は「亥」(猪いのしし)ですが、中国は猪ではなく「ぶた」(豚)になる。なぜなんだろう?? |
噴水広場にも中国人好みのど派手な飾り付けがある。 ここは新年の御参りをするための大形線香その他を売っている。 金色坐像前には大きな線香台があり、これに火をつけ、立て、お参りできる。 とにかく、空間があればどこでも商売に結びつけるところがいかにも中国式である。 |
ロープウエーに乗って電波塔のある山頂へ移動。往復ではあるが、30元はちょっと高いのでは! 左下に見える白い部分は人口ゲレンデのようだ。 公園の向うは大連駅であるが、狭い場所に高層ビルがひしめき合っている。 |
正面はロープウエー発着場(ピンク色) |
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2001年以来、6年ぶりにパノラマ写真を撮った。東側からゆっくりご覧ください。 | |
手前の青い屋根は中国東北地方独特の野菜栽培温室。遠方は大連港 | |
電波塔に登ろうとしたが、様子がおかしい??なかに人影が無い。 入口は鍵がかかっており、入れない。閉鎖されている。裏に回ると警備員が出てきて、不審な顔された。 労働公園とは反対側の盆地に、これまたいつのまにかトンガリ屋根のお洒落な住居群が建設中であった。日当たり抜群、都会の喧騒もなく、とても落着いた雰囲気ではあるが、ただこんな裏山でセキュリティーは大丈夫なのかと心配だ。入居者はいったいどんな人を対象としているのであろうか? |
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ここで春節を楽しむ日本人夫婦と出会う。最近大連に赴任したようです。 | |
友人は機械屋ですから、こういうところにとても興味があります。 支柱は驚くほど華奢です。が、地震のない国ですからこれでいいのでしょう(^レ^; でも、地震王国日本からやってきた私達にすれば、不安がいっぱいです。 |
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公園内をゆっくり散策
今や日本では見られなくなった、中国独特の様々な露店芸が我々を楽しませてくれた。 |
飴細工 | |
金色に着色された飴に空気を吹き込みながら、鮮やかな手付で干支の動物を作っていく(10元) ところで、熱心に見ている子供の服装はとても可愛らしいです。さすがファッションの町、大連です。 |
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この辺りにたくさん生息する、白と黒の可愛い鳥がこの写真の中にいます。 |
この鳥の巣と思われる>2007年10月名前思い出した>喜鵲xi3que2。「鵲」は「かささぎ」と読む。
広辞苑>名前の由来は朝鮮語カンチェギからか?サギの一種。今のアオサギという。 |
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ブラブラ歩いていると、「中日友好之桜」と書かれた石碑を発見 (今まで気が付かなかった) |
わた飴やさんはいつの時代も子供の人気者(棉花糖mian2 hua1 tang2) | ここにも飴細工やさんがいる。 見事なイセエビである |
衣装もメーキャップもど派手です。 右側には今年の干支ブタにおんぶされたおばさんがいます。 |
祝日や開店祝いにいつも町を賑やかす!モンゴル系? のダンスグループが陽気に踊ります。 観客が三々五々集まってきます。 |
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わずかなスキマからブタのおばさんを見ます | 観客がグルッと取り囲み、いよいよダンスタイムです。 笛、太鼓、鐘の音に合せて軽快に踊ります |
友人も夢中で写真を撮っていたが、いつの間にかどこかへ行ってしまった。
男女が付かず離れずコミカルに踊り、ほかの女性は扇子や衣装を振りかざして、整然と踊って、観衆を沸かせます。
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ふたたび露天めぐり |
友人は見つけた!自分の名前をカラフルな花や木や鳥や蝶などで描く絵文字を! 早速注文したが、完成には30分以上かかる。そろそろ帰りたい時刻であったが、止むを得ない。 |
時間つぶしのため、アチコチ露店散策。いろいろ面白い店がいっぱいあった。 |
面白いと思ったお店2件 |
1、米粒に4文字くらいの述語を書いて、水の入った透明容器に入れ、
カラフルな各種の石を細い紐で組み込んだ首飾り(@20元) 写真撮り忘れた!残念! |
2、色の付いたゴム粘土を手で成形して人形を作る実演即売(@10元) 作者は大連の人で「大連浩宇面塑工作室」の馬さん(名刺をもらう) 童、仙人、今年の干支「ブタ」2種の計4個購入 |
帰り道、家族連れが今年の干支のブタポリスの前で記念写真撮っていた。 |
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公園正門前のギンギラギンの飾りつけ | ここにも天安門がある。 |
原付自転車にプロパンガスタンクを付け、綿菓子を作っていた。 |
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公園の中で商売するには、当然許可がいると思うが、
衛生面も含めてどのような基準で、 |
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労働公園を出て、五恵路を渡ったところの歩道で骨董品を物色>方位盤を25元で買う |
時刻は午後3時45分ころだ。お客さんは誰もいない。珈琲可以馬?OK この珈琲がケーキつきでなんと@15元。太便宜(^O^) 最初30元と言ったので、ひとり30元だと思って60元出したら、一人15元と返事あり。 眺めも最高。それでこの値段は圧倒的に割安である。 |
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ずいぶん歩いて疲れた。 見晴らしのよいところで休憩しようと、駅前の展望レストランへ向う |
ガラスが汚れているので曇っているが、大連駅裏の再開発状況がよく分かる。 |
眼下の大通りは「長江路」。遠方は大連港 | 眼下は天津街(乱立するビルで見通しが悪くなってきた) |
夕食は明日帰国する友人のため、本格的中国料理を計画した。
楊さんと3人で奥林匹克広場の「天天漁港」に向う。 例によって食材を選ぶ。 スープ、肉料理、野菜料理、魚料理など適当に注文。 なにか生き作りが無いと淋しい。が、どれもこれもとても高い。 そこで、私の大好物「茹でえび」を注文。しかし、1斤200元だったので半分250gにした。 それでも茹でエビはうまかった。3人で少しずつしかなかったが、注文してよかった。 さらに、私の好きな「サヨリの唐揚げ」を一人一匹注文。こちらのサヨリはとても大きくて美味しい。 |
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明日は友人が帰国します。大連空港8:05発であるから、1時間前の7時には空港に着いていなければならない。
そこで起床5:30、チェックアウト6:20、タクシー予約6:30と決め、ホテルフロントにタクシーの予約を依頼する。
4日間という短い日数であったが、大連を満喫してもらったものと確信している。 |
2007年2月24日土曜日
パスポート紛失、ショッピング、大連友人との食事会
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続いて、駅裏の「双興韓国服装城」へショッピング。 服装城前から大連駅裏を見る。 駅表のビル群に改めて気付く。 |
孫の土産にウッドクラフトキット20点購入(約100元) |
翡翠の携帯ストラップを物色>20点ほど購入(約500元) ほとんどが手作りで、ショーケースの中の石や糸を希望すると、目の前で作ってくれる。 |
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この後、私が駐在していた会社を3年ぶりに訪問した。 きれいに整頓された職場、社員の礼儀正しさなど、日本式が着実に定着しつつある。 そして、いまや中国のもの作り基幹産業の一翼を担うまでに成長している。 少ない駐在員で、毎日苦労も多いのであるが、自分たちの努力が年々実感できる喜びは何事にも変えがたいと思う。
久しぶりの再会に全ての人が歓迎してくれた。 夕食は私の大好物「昌隆のシャブシャブ」に決めた(初日20日に行ったところ) この後、有志でホテル近くのカラオケスナックで大いに飲んで歌った。 |
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明日はゆっくりと市内を散策し、ショッピングするつもりでいたが、パスポート紛失で計画は大幅変更である。幸いにも会社の責任者が全面的に支援してくれることになり、ほっとしました。明日は朝9時にホテルに来てくれます。ありがとう(^O^) |
2007年2月25日日曜日 |
パスポート再発行手続き、ショッピング、大連メル友との食事会 |
早朝から爆竹や花火の音がして騒がしい。外に出ると、中山広場のあちこちで煙が立ち昇っている。 よく見ると、中山広場の全ての保護建築物前に爆竹と花火がセットされつつある。 どうやら、春節明けの儀式、すなわち「仕事始め」を知らせるイベントが始まるようだ。 何年も大連に住んできたが、まさか春節明けにこのような行事があるとは知らなかった。幸運です。 それでは、その全てをご紹介します。少々くどいですがご容赦ください(^O^) |
時は7時58分。ホテルの窓から眺めると、目の前のビル玄関でいままさに準備完了。 早速、部屋を飛び出して外に出る。 |
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爆竹は反対側の歩道に設定されている。まずは爆竹に点火。次ぎに花火である。 通勤途中のOLも立ち止まって、しばし見物。何しろすさまじいばかりの爆竹音である。 ほとんどの人は耳を両手でふさいでいます。最初はこの程度の煙です。が・・・・・ |
徐々に煙が立ちこめ、まったく前が見えなくなる。 上空を飛んでいるカラスは慣れたもので、平然と飛んでいる。 春節前夜(大晦日)は大連市全体がこのような状態になります。 なんともいやはや(^レ^; |
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広場の右手では次のビルがはじめた。広場が徐々に煙で見通しが悪くなってきた(8時7分頃) |
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通勤時間帯ですから広場のロータリーは大混乱。 警官はアチコチにいるが、爆竹・花火はお構いなしです。 |
ホテル正面の中国銀行前でも始まった。 |
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友人はまだ部屋にいるので急いで呼びに行った。最初の場所は煙も納まり、掃除のおばさんが爆竹の破片をほうきで掃いている。 |
爆竹の破片は清掃夫の仕事で、仕掛けた人間は何もしません。 これが中国流です。 |
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ホテル右隣の準備が完了し、爆竹に火がついた。みんな一斉に耳を塞ぎます。 爆竹の音を携帯で録音しました。聞いてください(WAVEサウンド66KB>8秒間) |
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続いて花火が打ちあがる。爆竹と花火の音(WAVEサウンド242KB>30秒間) | |
次ぎは左の建物です。広い歩道をいっぱいに利用して、まさに準備完了しました。 |
始まった!最前列には打ち上げ花火がズラっと鎮座している。 | 爆竹が終る頃、打上花火点火。もうもうたる煙のなか、 5mも離れていないところを市バスが走る。 |
もうもうたる煙で、一寸先も闇です。兵どもが夢の跡>直径8cmくらいの16連発打上花火。 |
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これをもって全巻の終り。ご観覧ありがとうございました。
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お休みの日、朝早くからあちこち走り回って、お世話いただいた会社の幹部2人に感謝して、公安でお別れした。我々3人はこの後、私の目的地へショッピングに出かける。 | |
買うものは麻のテーブルクロスである。 |
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ここはもとからこのようなみやげ物専門の百貨店だったようです。 交易市場より賃借料が安いということで移ったと言います。 この百貨店の正式名は「大連古翫城」gu3 wan2 chang2 |
この向うが大連港の船着場です。 |
王さんとも2年ぶりの再会です。今回初めて一緒に写真を撮りました。 背景に映っている刺繍のクロスはとても素晴らしいものです。適当に5,6点買いました。 |
お昼が近い。先日珈琲飲んだ「イトキン」の8階で昼食することに決定。 いつもここでは本家「札幌ラーメン」だったが、2年前食べた時、味が変ってしまった。 そこで、隣の「そば屋」さんにした。私も始めてであるが、友人にはいろいろな体験をしてもらうため、あえて冒険した。 私と楊さんは「カレーそば」、友人は「カツどん」を注文。両方ともビックリするほど量が多い。カレーそばはとても美味しかった。 |
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昨日、日本人駐在者と食事したとき、その一人が近々帰国すると言う。 それで、明日マンションからホテルに引っ越すと言うことを聞いたので、そのときに13Fから写真を撮らせて欲しいとお願いしていた。 午後3時くらいまでならマンションにいると言うので、早速出かけた。 室内(厨房、トイレ、居間、寝室)は大改装され、風呂まで出来ていた。 |
東側>スラム街は相変わらずであった。 |
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南側>ずっと向うの霞んでいるところがお城のような形をした、星海広場のリゾートマンション。 手前中央のビルの左奥に見える建築中のビルが、22日旅順観光の後、会展中心前で見た華奢な骨格ビル。 |
手前右の高層ビル辺りが聖金広場横のもとボロボロホテルほか、ボロボロアパートや市場や食堂のあった一画(肯徳基もあった) |
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2000年当時 | 2003年当時(取り壊し直前) |
南西側>夕日に霞む大連商業城の3棟。 | 以前、肯徳基のあった辺りは牛丼の「吉野家」になっており、 肯徳基はメイン道路の西安路側に移った。この辺りはもっとゆっくり散策したいところであるが、 今回はその時間が取れない。次回のお楽しみである(^O^) |
西側>百盛の増築工事が始まっている。巨大な増築部が今の百盛ビルに覆いかぶさるように突き立っている。 |
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もともと上へ伸ばすことを考えた構造設計だとしても、ものすごく異様である。 |
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このあと歩いて、五四広場から上島珈琲で休憩。約束の夕食時刻まで時間をつぶす。 上島の珈琲が安くなっている(25元)。珈琲が中国に着実に定着しつつあるようです。
普及の一因はほかにもあります。それは、無料で飲める水のお代わり制限なしです。 時間つぶしにまだ時間が必要なので、ひまわりの種を注文。 |
夕食の場所は事前に合意していた。駅前の回転展望レストラン(渤海明珠酒店30F)である。 メールではやり取りしているが、お会いするのははじめてである。 王さんは電話での言葉使いから落着いた紳士のようです。 奥さんと一緒に来られるとのことで緊張しております。 |
今日買ったお土産をホテルに置いて、会場まで歩く。ホテル玄関で記念写真。 |
ライトアップされ、きれいに光っている皇賓楼 |
このあたりで反対側に渡るため、地下道を通る。ここで偶然、珍しいものを見つけた。 本屋さんである。しかも、本の特売です。新本のバーゲンセールは日本では見られない。 ここにはあらゆるジャンルの書籍がある。手に取り易いように平面的に置かれている。 |
地下通路をこのように飾り付けて、正月の特売場に変身させる技は見事と言うほかない。 |
最近は増えてきたが、中国ではまだまだ本は少ない。しかも、文字ばかりで面白くない。 探せばあるが、あっても地元の本屋(例えば、新華書店)にない。 だから私は7年前大連駐在した時、中国文化を知るため、次のような雑誌を予約購読した。 1、美術(中国美術家協会発行) 今回はたくさん欲しい本があったが、これから食事会なので、持って歩くわけにも行かず、「鳥類画譜」1冊だけにした。鳥類の動態画をA5版480ページに描いて、定価29.8元は驚愕の価格であるが、これを更に値引きして20元!で売っている。 |
表紙はカラーだが、中はモノクロ |
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渤海明珠酒店30Fの回転展望レストランで王さん夫婦を待つ。 メニューはもちろん@88元のバイキングです。 |
話が弾み、看板時刻21:00で追い出されるまで楽しむ。こんなことは初めてです。 |
この後、2次会ということで、王さんの友人のカフェバー(民航大厦裏)へ。 途中から、近くで営業しているラーメンチェーン店の駐在員も加わって、ワイワイガヤガヤ(^O^)私もビールだけでは物足りないので焼酎をキープ。改めて、お湯割りで乾杯。楊さんは王さんの奥さんとすっかり打ち解けて、話に花が咲いている。 |
明日は臨時パスポートがもらえるかどうかの重要な日です。明日も朝9時に会社の責任者がホテルに来てくれます。王さんからも何かあれば連絡くれと、声をかけていただいている。 友人も異国でのアクシデントで最悪の心境です。みなさんの協力を感謝しつつ、とても勇気づけられています。 |
2007年2月26日月曜日 |
パスポート再発行申請、ショッピング、食事会 |
当初の計画では、今日は一人である。今日はまだ歩いていない、改装中の街角情報をのんびり散策したいと思っていたが、パスポート紛失事件で、全てが吹っ飛び、計画の大幅変更を余儀なくされた。 |
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7:50ホテルロビーで記念写真 |
9:00会社の部長と課長がホテルに到着。早速、出入国管理局へ。
手際よく作業は進み、30分くらいで「紛失証明書」が発行された。 しかし、通用口を入れるのは2人までのため、友人と課長が中に入り、部長と私は外で待つ。 そこに、緊張した面持ちで壮年の日本人が通訳らしき女性とやってきた。 どこで紛失したかが、とても面白い。空港を出た後、ホテルのチェックインで無いことに気がついた。 とりあえず、領事館にくれば何とかしてもらえるのではと、勇んできたが、簡単ではないことが分かり、あたふたとどこかに行ってしまった。
日本人観光客は大体、三つ星以上のホテルに泊まる(大連賓館は三つ星)
外はとても寒いので、正面玄関のロビーで待つこととした。 |
日本の門松のようなものであろうか? |
柱の周りにグルっと7つ。窓際には大きな鉢がひとつ。 |
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帰りの航空券が無いと出国証明書は発行してもらえないので、私の帰る便と同じ、あす27日の中国南方航空CZ−619を会社に予約お願いし、確保できた。 しかし、このチケット料金を支払うだけの現金が我々2人には無い。 私も友人もこんなことを想定していないからである。 ホテルは2年前、カード決済は出来なかったが、今回OKだったので、友人の追加分も含めて、私のカードで処理できる。しかし、航空券はカード払いできないので、やむなく日本人駐在員に借りることとした。(約3200元)それにしても料金が高い。割引してこの値段である。往復料金に近い金額にビックリした。 いろいろ心配掛けている王さんにも電話で状況説明したら、わざわざ森ビルまで来てくれた。しばらく、スターバックスでお茶を飲みながら待っていてくれたが、なかなか2人が戻ってこないので、仕事の都合もあり、11時半頃帰られた。2人は領事館でかなりてこずっているようだ。 12時頃、2人がやってきた。申請は完了し、うまくいけば今日の午後もらえそうだ(^O^)とにかくお世話になりました!感謝!感謝!非常感謝! |
課長がホテルまで送ると言ってくれたが、仕事中でもあり、お断りした。友人に大連を知ってもらうためには、よく歩くことが大切だと思うので、ホテルまで歩くことにした(^レ^; 13:00過ぎて腹は減っていたが、2人ともあまり食欲が無い。そこで、部屋で荷物の整理をしながら出国証明書発布の連絡を待つ。しばらくして、世話してもらった課長から「証明書が出たので、これを持って出入国管理局へ向かう」と言う。 我々も急いで、管理局に向う。ホテルからすぐ近くなので、とても便利である。
部長と課長には春節明けの仕事始めという、たいへん多忙な時期、3日間に渡ってお手数を掛けてしまいました。これで、友人は明日朝、私と一緒に帰国できます。 友人も目を潤ませて、何度も何度もお礼していた。本当にお世話になりました。 |
ということで、ほっとしたとたんに空腹感が出てきた。
早速、今晩の夕食について、楊さんに連絡。仕事中であったが、17:00待ち合わせ。 ただ、夕食までにはまだ2時間以上ある。それまで持たないと言うことで、ハンバーガーの王様「マクドナルド」を食べることにした。友人も中国のマックは初体験である。即決定。 この辺りは私にとって、庭みたいなところです。どこに何があるかすべてお見通しです(^O^) それでもまだ待ち合わせまでにたっぷり時間がある。そこで「家楽福」に入る。 特に、地階の食料品売り場につながる緩やかな動く歩道では、何度も立ち止まってはカートがなぜ滑り落ちないのか調べていた。これは彼の専門分野で、興味がわくと居ても立ってもおれない機械屋としての性である。このような状態を通常「職業病」という。 しばらくして、カートのキャスターが傾斜した歩道の溝になぜ嵌らないのかを突き止めて満足げにこちらにやってくる。いろいろゴチャゴチャ説明していたが、私にはとっくにその原理が分かっていたので、適当に聞きながしていた。 ここで、私は「ひまわりの種」4袋(@3.1元)買った。 レジはたいへん混雑していた。 |
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楊さんとの待ち合わせ場所をここ、「家楽福」前に変更した。 後のほうからクラクションの音が聞こえる。楊さんが車から手を振っている。 王さんの奥さんお薦めのレストランは三八広場から二七広場付近に移転したようだ。 |
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さほど大きなレストランではない。中は、ほぼ満席状態だ! テーブルがひとつあいているが、トイレの前だ!しょうがない!ここにするしかない。 楊さんと私は例によって、料理を注文する。 珍しく大形のホタテ貝があったので、ちょっと高かったが、3匹注文。 とても美味しかったので、帰ってから王さんにお礼のメールを打ちました。 |
ホテルに帰ると帰国する駐在員から、いま送別会をやっているので来ないかとお誘いがあった。 二つ返事で出かける。その後カラオケで2次会。しかし、明日は早い。適当に失礼した。 |
2007年2月27日火曜日>帰国
6:15フロント>チェックアウト(クレジットカードで清算) <2人部屋1週間宿泊費3000元 | |
6:30ホテル出発>タクシーは昨日、ホテルに予約した。途中、楊さんを迎えて、一緒に空港へ 何はともあれ、無事通関できました。皆さん本当にありがとうございました。 私の率直な心境は「やれやれ!」でした(^レ^; |