文化・芸術

2000年8月26日
日中友好児童合唱の集い
2000年12月3日
ピアノコンサート
2001年3月18日
日中友好文化交流晩会
2001年5月13日
バイオリン独奏会(ピアノ伴奏)
2001年7月12日
中国芭蕾「紅色娘子軍」
2001年8月18日
大連京劇>四郎探母
2001年9月23日
大連国際音楽クラブ
2004年4月17日
大連京劇>白水灘・譲徐州
2002年6月9日
中国美術家協会大連展覧中心
     

日中友好児童合唱の集い

こんにちは!お父さんです。元気だかね!

土曜日26日、なつかしい日本の歌を聞く機会がありました。
日本から「NHK東京放送児童合唱団」がやってきたのです。

中国建国50周年、大連建市100周年の記念行事の一環です。
これまでにもさまざまなイベントが行われていますが、今日のイベントもそのひとつです。
題して、「2000年日中友好児童合唱の集い」です。

主催は日本大連会と大連市人民対外友好協会。 後援は日本国駐瀋陽総領事館。
そして国際交流基金が助成している。
協賛は大連に進出している日系企業とその在留邦人、全日空と日本航空です。

この記念すべきチケットを手に入れたのは本当に偶然でした。
大連に来てまだ間が無い私には日本人の知り合いはいません。

実は会社の出張者がよく利用しているホテル「大連瑞士酒店」 通称「スイスホテル」が上得意客を対象としたホテル格付け昇格披露パーティを開いた。
招待を受け、そこに出かけたとき、イベント主催者である日本大連会の市丸理事と挨拶でき、その時チケットを貰う約束をしたのでした。

場所は私のマンションに近い(歩いて約10分)、出来たての「大連市広播電視台ホール」です。
中国におけるコンサートホールがどんなものか大変興味があります。

開演は11時です。が、会場の写真を撮りたいので、早めに出かけました。
歩いてわずか10分程度ですが、汗びっしょり。日陰は涼しいが太陽はギラギラです。 

 

 

会場となる「大連市広播電視台」は、沈陽への高速道路「沈大高速」への道路に面し、中山公園の横に並んでいる。

 
会場「大連市広播電視台」の建物は大変立派です。  
すでに「NHK東京放送児童合唱団」は着いているようで、大型バスが停まっている。

   
2階席のある立派なホールです。前4列の青いジャージー姿が大連市青少年宮童声合唱団
   
プログラムはまず、 東京放送児童合唱団が、 日本の民謡、わらべ歌、叙情歌、唱歌、中国語の歌、英語の歌(ディズニーのミュージカルナンバー)を歌います。

次に可愛らしい「大連市青少年宮童声合唱団」が中国の歌を歌い ます。

フィナーレは全員で日本の歌「花」、中国の歌「海は故郷」そして英語で「蛍の光」を大合唱でした。

11時から12時30分までの1時間半、休憩なしであったが、苦にもならず素晴らしい演奏会でした。
会場には大連中の日本人が集まったかと思うほど、日本語が氾濫していました。
中国ではまだまだ西洋音楽(クラシック音楽)を聞くことが少ないようです。

大連市は市長の積極姿勢により、他市より近代化のスピードは速そうです。
クラシック音楽の公演会もたまにはありそうです。 チケットの入手方法を調べ、出来るだけ出かけるようにしたいものです。
それでは公演の雰囲気をお伝えします。

   
東京放送児童合唱団の公演  
 

フィナーレは全員で大合唱

ではでは、再見!
From DALIAN With Love!

街で見かけた学童鼓笛隊(2000年10月2日)

ピアノコンサート@

2000年12月3日ーA、こんにちは!お父さんです。元気だかね!

中国に来て初めて、ピアノコンサートに行ってきました。
ピアニストはフランス人のミシェル・ブルドンコラ氏(?)
料金はA席(1階前から8列目)で180元です。
2階の特別席は280元。ほぼ満員でした。
子供連れも多く、どこの国も子供の教育には熱心です。

場所は中山広場の大連市人民文化倶楽部です。
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写真中央部にいる茶色のブレザーを着た人物が
興業主の李さんで、 チケットを頼んだ人です。

玄関ホールは見事なゴシック風
シャンデリア一対が燦然と輝いています。

 
入口正面下部の壁面に銅板画
 

小さなホールですが、高い天井はドーム形状になっています。

 
  フィナーレは花束贈呈です。

きれいな司会者が開演を告げます。

 今日、3日日曜日は11時から結婚式があります。設計の女性です。
そろそろ迎えがきますので準備します。

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2001年3月18日>日中友好文化交流晩会
場所>中山広場の大連人民文化倶楽部

以下の写真は古いデータを整理していたらパソコンの中から出てきたものである。
あまり記憶がないので、写真一枚一枚のコメントは難しい。写真だけご覧ください。
(2016年3月)

   
日本人は法被を着ることが多かった。 年配の女性グループによる大正琴の合奏
   

中国女子児童による中国民族舞踊

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2001年5月13日>バイオリン独奏会(伴奏ピアノ)
場所>中山広場の大連人民文化倶楽部

以下の写真は古いデータを整理していたらパソコンの中から出てきたものである。
あまり記憶がないので、写真のコメントは難しい。写真だけご覧ください。
(2016年3月)

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中国芭蕾(バレー)

2001年8月24日、こんにちは!お父さんです。元気だかね!

7月12日(水)初めて、中国芭蕾(バレー)を観劇しました。
会場は中山広場の大連人民文化倶楽部です。
題材はブルジョアの圧政に立ち上がった女性解放軍の活躍物語でした。
軍服を着て、銃を持ってのバレーはちょっと違和感ありましたが、ストーリーはともかくとして、バレーとしての素晴らしさは喩えようもなく素晴らしいもので、感動しました。

今年は中国共産党成立80周年に当たります。
これを記念して、大連市文化局は中央バレエ団を特別に招聘しました。
宣伝文句を借りれば、「100年に一度しか開催されないといわれる、中央バレー劇団の200名近い芸術家とスタッフによる共同出演」という信じられないような企画です。

チケットは2階の特別席が300元、1階前列が280元、後方と左右が260元。
かなり高額でしたが、超満員でした。

演目はバレー劇「紅色娘子軍」
舞台となっているのは中国最南端の「海南島」、物語は地主と小作との戦いです。
地主の悪政に耐え切れず、立ち上がった民衆とそれを支援した軍の活躍。
民衆の中から生まれた女性解放軍(紅色娘子軍)の活躍。
幾多の困難、犠牲を越えて、ついに戦いに勝ち、民衆が解放されるまでを六場に分けて演劇します。

あらすじと出演者のプロフィールを楊芳に翻訳してもらいました。PDFファイル(213KB)

日本語が不適切な部分は直しました。が、少しおかしい、何か変だな、というところはそのままにしました。 彼女の日本語力もまだまだです。もっと勉強しないといけません。

人名には「角括弧」つけました。
が、主役の「Qiong2花」の「Qiong」チオンは日本語にないのでピンインで書きました。
他にも理解できない単語が出てきますが、日本語にないのでそのままにしてあります。

最後は観客全員からの会場割れんばかりの拍手でした。
私も手がちぎれるほど拍手していました。感動しました。

 
会場の大連人民文化倶楽部 満員の会場
舞台
 
上のプログラムをGIFアニメでご覧ください
 
民衆と兵士が悪徳地主に向かっていく場面は壮観でした。
 
上のプログラムを動きのある GIFアニメでご覧ください
 
オーケストラボックス

フィナーレ

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大連国際音楽クラブ

2001年10月3日ーA、こんにちは!お父さんです!元気だかね!

9月23日(日)は大連日本商工クラブの案内による、音楽会に行ってきました。
といっても、この音楽会は日本人のアマチュア音楽愛好家(大連国際音楽クラブ)が中国の情操教育の一環としてボランティアで開催するもので、入場は無料です。

案内によれば、このコンサートは大連の若い楽団二つ(中山区青少年管弦楽団、中山区青少年合唱団)と大連国際音楽クラブがジョイントするもので、昨年第1回を行い、今年は2回目です。 この活動を支援する意志のある人に対して、賛助会員を募っていた。
1年一口100元でした。 私は大奮発して5口(500元)賛助しました。

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事前にこの会の様子は、大連国際音楽クラブ事務局の関さんに電話で伺っていました。
私も音楽を愛好するものの一人として、少しでもお役に立ちたいと考えたからです。

さて、音楽会は私としては、はじめての会場で行われました。「鉄路文化宮」です。
開演は午後3時でしたから、少し早めにいって、中山広場から魯迅路を歩きました。

   

この通りには、満鉄ゆかりの建物がたくさん立ち並んでいます。
右側に旧満鉄本社があり、左側には大連日報社が見えてきます。

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すると、すぐに安陽街の道標が見え、
この一画が「鉄路文化宮」です。

会場となった「鉄路文化宮」は周りを塀で囲まれているが、 正門からは誰でも自由に出入りできるようだ。
01100305.jpg (78917 バイト) 入口では今日の音楽会の目録を、道行く人たちに配っている子供がいます。

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目録は貰いましたが、まだ時刻は早いので、少し周りを散歩しました。
面白いものを見つけました。それは、鉄道の線路の断面形状をした看板です。
「鉄路招待所」とありますからお客さんをもてなす接待所です。
これも多分、満鉄ゆかりの施設ではないでしょうか。写真を見てください。

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さて「鉄路文化宮」ですが、 中は公園のようになっており、色とりどりのきれいな花が植えられています。
入口付近にはサウナ、カラオケがあり、奥のほうにはゲートボール場もあり、大勢の人が楽しんでいます。
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正面方向に大勢の人がいます。そこにはかなりオンボロな建物があります。
入口には受付らしき人が座っている。建物の上のほうに看板があった。
目を凝らさないと読めないくらい、文字看板がすすけている。「連鉄劇場」と書かれていた。

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劇場名と古さから、やはり満鉄関連の劇場だったのではと思われます。
床は板張り、場内は2階席もあり300人くらいは入れそうです。

受付で、関さんにお会いしたいとお願いすると彼はすぐに来てくれた。
ご挨拶をし、賛助会員の手続き方法を聞いて5口申し込みました。
たいへん喜んでくれました。

が、この領収書をみて関さんが大連国際音楽クラブの代表だということがわかりました。
受付の女性にお聞きしたら、コニカ大連の総経理だという。
知らないこととは云え、ぞんざいな物言いをしましてたいへん失礼しました。
ただ、関さんについてはあとで、もっと驚くことがあったのです。

音楽会は予定通り、3時きっかりに開演しました。
私は前から5列目くらいの真中に座りました。たいへん良く見えました。

 
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第一部は中山青少年管弦楽団による管弦楽4曲(紅旗頌、ワルツ、序曲)。
女性のコンサートマスタ、かわいい女の子のチェロ、ビオラにハラハラドキドキして聴いていました。
しかし、2回目のコンサートとは思えないほどのオーケストレーションでした。
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ただ、大いに可哀相だったのは、指揮者が一曲一曲変わるのです。
今日は指揮者が3人いました。中国人1人、日本人2人です。
指揮者が変われば、当然テンポも変わります。みんな、やり辛かったと思います。 でも見ていると、中国人の指揮者のときはたいへんやり易いようでした。

第二部は中山青少年合唱団および日本人ソプラノ歌手岡本明子さんの独唱。 ここで残念だったのは、中山青少年合唱団の皆さんの顔がよく見えなかったことです。 私が彼らの歌を聴くのはこれで3回目です。

この中に私の好きな女の子がいます。歌うときの表情がとても素敵なのです。 彼らの歌には楽団は不要です。
大概、ピアノ伴奏だけですから、全員舞台の前に並び、顔も良く見えます。

この日は楽団が楽器を、そこに置いたまま退場したため、合唱団は舞台の一番奥に下がって歌いました。
 このため、顔が譜面台や楽器の陰になり、よく見えなかったことです。
私の好きな彼女の素敵な表情もよく見えませんでした。残念です。

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しかしこれを一気に吹き飛ばしたのが、岡本明子さんの歌でした。
彼女には楽団がつき、舞台の前で歌ってくれました。
素敵だったのは歌だけではありません。顔もスタイルも抜群でした。
透き通るようなソプラノは小さな会場ではマイクがいらないようでした。
アンコールを含め3曲歌ってくれました。
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最初は日本の歌「夏天的回憶」(夏の思い出)、
次はミュージカルナンバー「多来米之歌」(ドレミの歌)、
アンコールは中国の歌「我愛中国」を中国語で歌いました。

割れんばかりの拍手がずっとずっと続きました。感動しました。

休憩を挟んで第三部は大連国際音楽クラブの管弦楽です。
ここで驚いたのは、先ほどの関さんがなんとコンサートマスタだったのです。
重ね重ね失礼いたしました。

彼のとなりには第一部コンサートマスタの彼女が座っています。
ワルツ、管弦楽曲、ドボルザークの新世界から、など4曲を演奏しました。

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以下は新たに出てきた写真です(2016年3月)

指揮者が交代します 再び交代します

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大連京劇>四郎探母

2001年8月30日、こんにちは!お父さんです。元気だかね!
8月18日(土)大連京劇を観劇しました。 演目は「四郎探母」でした。写真が多いので、2回に分けてリポートします。

大連京劇は毎週土曜日の午後2時から上演しています。実はガイドブックには演目が「白蛇伝」となっていました。 アニメ映画で見たことはありますが、芝居は初めてです。是非にと思い、行きましたが、演目が変わっていました。 俳優の都合が悪く、急遽変更したと言います。残念。

劇場は1934年に東本願寺が大連布教のために建てたお寺の本堂です。
 昨年、この前(勝利路)を散歩したときは改築中でした。(写真参照)

昨年10月改築中の東本願寺と石碑
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戦後、東本願寺は大連図書館の古典書籍書庫として使われてきました。
1993年、新らしい大連図書館が開館した後は、大連京劇団の稽古場として活用され、1997年9月の改装で京劇が鑑賞できる小劇場に生まれ変わりました。

大連京劇団の生い立ちをお話しましょう。
大連京劇団は1949年4月に国家の「百花斎放、推陳出新」という文化遺産の継承を目的として発足、以後40年余りにわたって伝統的な演目を演じてきました。
これまでに、十数カ国にのぼる海外公演も行ってきました。
この活躍が評価されて、国家文化部、遼寧省文化庁、大連市政府などから個別に表彰を受けています。

なお、大連京劇団は今年5月20日から7月20日頃まで、東京、横浜、大阪の3都市で巡回公演を行いました。 今回の演目「四郎探母」は帰国後3回目の公演です。

改装なった旧東本願寺。現在は大連京劇団
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大連京劇団は1949年4月に国家の「百花斎放、推陳出新」という文化遺産の継承を目的として発足、以後40年余りにわたって伝統的な演目を演じてきました。

これまでに、十数カ国にのぼる海外公演も行っています。
この活躍が評価されて、国家文化部、遼寧省文化庁、大連市政府などから個別に表彰を受けています。

なお、大連京劇団は今年5月20日から7月20日頃まで、東京、横浜、大阪の3都市で巡回公演を行いました。 今回の演目「四郎探母」は帰国後3回目の公演です。

手作りの演目カンバン
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舞台は「麒麟舞台」と呼び、正面壁には吉祥とされる伝説上の動物「麒麟」が描かれています。
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座席は約200くらいで、簡単な椅子が並んでいます。
お茶なども飲めるようになっており、くつろいで京劇が楽しめます。
柱には東本願寺時代の名残りと思われる、4文字文言が彫り込まれています。
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舞台向かって右手には楽団、左手には音響装置が配置され係員が音質と音量を調節しています。
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また、舞台の前の柱付近には役者のせりふが電光掲示されます。
言葉の解らない私でも、漢字の説明文で大体解るようになっています。
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今日は日本人の観光客が大勢いました。ロシア人らしき人も数人いました。
私の後ろの席に、中国人のガイド(男の年配者)を連れた日本人がいました。

このガイドは私にも聞こえるほどの大きな声で、役者のせりふを通訳していました。
おかげで無料であらすじを知ることが出来ました。

所要時間は約2時間。料金は100元でした。

「四郎探母」(中国宋朝の楊家将という英雄の話の一部)

<あらすじ>
宋、遼、金(注1)という3つの王朝が争っていました。
この戦いで楊家将(宋朝)の「四郎」は遼朝に捕えられました。
彼は名前を変えて、遼朝の「鉄鏡」という皇女と結婚しました。

その時、遼朝の頭領「尚天佐」は天門陣(注2)で、楊家将と決戦を行いました。
楊四郎は両親のことが心配で心配で仕方ありませんでした。
このことはすぐに妻の皇女に見破られました。四郎は真実を話しました。

彼女は命令を下して、四郎を助け、「雁門関」を通って「宋菅」に戻り、両親と兄弟を見舞いました。
その後、四郎は遼朝に帰りました。
彼を殺したいと考えていた「尚太后」(妻皇女のおばあさん)でしたが、
皇女のおかげで命は助かりました。
以上。

(注1)宋王朝、遼王朝、金王朝
宋朝>北宋960〜1127年、南宋1127〜1279年
遼朝>907〜1125年
金朝>1115〜1234年

( 注2)天門陣
作戦のひとつ。(詳細は不明)

開演から終演までの印象的な場面をみてください。

開   演
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終   演
 
終演後、大連京劇愛好家とおぼしき日本人が
花束贈呈していました
演目を終え、化粧もそのままの、ほっとしている役者さん
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ではでは、再見!
From DALIAN With Love!

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大連京劇>白水灘・譲徐州

奥さんが友人と遊びに来た時の記録
この前、ここに来たのは3年前です。以前は入場券がなく、全席100元でした。
お客さんも日本人ほか外国人がほとんどでした。
しかし、今回来て料金体系が変わっていました。

今は甲乙丙の3クラスに分けられ、甲が80元、乙が50元、丙が30元でと、格段に安くなりました。
わたしたちは甲席にしました。
舞台の真下の最前列と2列目が甲席で、椅子はひじ付き、テーブルが前にあります。
テーブルには湯飲み茶碗が置いてあり、お茶が飲めます。

甲席入場券
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これがパンフレットです。3年前は何もありませんでした。
大連京劇もすこしづつ発展成長しているようです。
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これが演目次第です。これも3年前はありませんでした。
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今日の演目は「白水灘」と「譲徐州」の2つです。
通訳に訳してもらったので、簡単に紹介します。

1、白水灘
「青面虎」と呼ばれている徐世英は友人を訪ねた時、酔っ払って青石板の上で横になっていたら、役人に捕らえられ、北京に連行された。
徐世英の妹(珮珠pei4 zhu1)は部下を率いて、兄を脱獄させた。
ちょうどこの地を通りかかった徐世英の友人、通称「十一郎」と呼ばれる穆玉几mu4 i1 ji1)は、事情を知らないので、役人を手助けして、 徐世英を負かした。

2、譲徐州
三国時代、徐州の首長「陶謙」は歳をとり病気がちであった。
後を息子に継がせる気持ちでいたが、息子2人は無能であったため、後を劉備に継がせようとした。 しかし、劉備はこれを断った。 陶謙が危篤におちいったとき、再び劉備に頼んだところ、劉備は同意した。そこで、陶謙は安心して死んでいった。

 
それでは、まず最初の演目「白水灘」を少し紹介します。
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二つ目「譲徐州」を紹介します。
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京劇は約2時間の公演でした。

外に出て、折角だからと、歩いてすぐそこの、
旧日本人住居あと「日本風情一条街」に行こうとしたところ、
赤ちゃんを抱いたおばあちゃんがいました。
なんと2人は気安く近づき、話し始めました。

奥に見える仏閣が今、京劇を観劇した麒麟舞台のある劇場です。旧東本願寺です。
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中国美術家協会大連展覧中心

2002年7月30日
こんにちは!お父さんです!元気だかね! 大連リポート101の最後です。
 

今、たくさんの写真と共に大連を案内していますが、実は、私のホームページ「大連リポート」は世界中の人が見ています。もちろん、中国政府も見ています。

従って、私が報道した写真が、中国政府にとって好ましくない写真と思えば、また、当局にとってこのような好ましくない写真が継続的に発表されているとしたら、多分私は、中国にとって好ましくない人間として、大連では生活できないでしょう。それが共産主義国家中国なのです。

が、滞在2年間、まだそのような警告を受けた覚えはありません。
私も中国政府を見ながら生活をしているわけではありません。
自分の社会感、人生観、哲学に基づいて生きています。
中国にはたくさんの問題があります。が、私の記憶では昔の日本も似たり寄ったりでした。

私のような平凡な人間が御しがたい、事実はたくさんあります。
もろもろありますが、今、私は、歴史の必然の中で、奇しくも大連で生活をすることになった私の、生き方の集大成と言う気持ちで生活をしています。 目に付く様々な現実は、歴史の事実である。

これを卑下することは何もないというのが、私の歴史観です。
が、なぜか、私は今の中国の恥部になるべく触れないように、動いてしまいます。
写真は言葉や文字に比べ、圧倒的に訴える力があります。

従って、写真をとるときにはこういうことをいろいろ考えます。
私が写真を撮る時は、わずか1秒の時間でも、考えて考えて考えて、撮るか撮らないか決めます。
公表しなければ解らないだろうといういいかげんな、考えは持ちません。
一瞬の決断で撮らないと決めたら、あくまで自分の気持ちに忠実に行動します。

この私の考えは、会社の中国人の仲間にも好かれています。
どこの国でも、だれでも同じですが、まれで、例外的な事柄をことさら強調して欲しくない、と思うのは当たり前のことです。

ちょっと待て!!!
このような議論をすると、私は際限がありません。
思うことがあれば論争を挑んでください。今日はこれで止めます。

さて、足を引きずりながら帰り道を急ぎます。
中山路を一路、オリンピック広場近くの、日本料理店「清水」まで進みます。
ここには、中国美術家協会の大連展示場があるらしい?のです。

日本料理店「清水」の両隣を何回も調べたが、中国美術家協会の大連展示場は見当たらない。
 ひょっとしてと思い、裏に廻ったらありました\(◎o◎)/!すごく立派な看板が、出ていました。

中国美術家協会大連展覧中心。
この看板の文字を書いた書家「宋雨桂」は私が購読している月刊雑誌「美術」にもときどき出てきます。

   
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しかし、この建物の入口にある喫茶店の服務員に聞けば、土曜日曜はお休みとのこと。
折角来たのに、お休みとは残念!

特別に拝観できないかと、尋ねたがダメであった。
展示場は薄暗い階段を降りた、地下室のようだ。
せめてと思い、入口の壁に貼ってある寄せ書きの写真を撮らせてもらった。

上には「?墨集縁」とある。最初の文字はわからないが「墨で集まった仲間」とでもいうのでしょうか?
寄せ書きの名前を雑誌「美術」から、わかる範囲で調べた。

劉大為>中国美術家協会常務副主席
>作品例:劉少奇像、人民解放軍、匈牙利(2001)
馮大中>作品例>老虎(1986)
張立辰>中央美術学院国画系教授
馮遠>中国美術家協会文化部芸術司長
載衛>四川省出身
趙衛>

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以上で、5回にわたってお届けした大連リポート101を終ります。

ではでは。再見!(^O^)/〜〜
From Dalian With Love

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