国慶節連休、最後の10月5日は汽車に乗って、旅順まで行きました。私は旅順に3回行っています。 最初は2001年4月28日の花見でした。 旅順の龍王塘水庫(ダム)には、戦時中、日本人が植えた桜が数十本あり、これが大きく成長しているのです。 旅順は軍港があるので、通常外国人は入れません。年に一度、桜の季節になると、大連市政府は外国人に対し、許可を出します。 これを受けて、大連日本商工クラブが主催したものでした。 次は2001年7月1日でした。 中根君が出張で来たとき、仕事の日程が延びたので、慰労を兼ねて、私が203高地を案内しました。 3回目はお母さんが来たとき、2001年9月30日です。 2回目3回目は会社に世話になり、車を用意してもらいました。 旅順へは鉄道路線があります。 帝政ロシアが1903年3月に建設しました。今からちょうど100年前、中国は清国の時代でした。 旅順は日清、日露戦争の要所でした。 不幸な地「旅順」には、そういう意味でも、外国人の受入れを規制しています。 一度汽車で行きたかったのですが、なかなか機会がなかった。 そこで、8月長白山でお世話になった呉さんにお願いして、汽車で行くことにしました。 もちろん、呉さんも初めてでした。 資料(ちょっと古い)で調べたところ、駅の数は大連と旅順を除いて11駅あり、所要時間は約1時間半です。これが本当かどうか、確認します。駅は次の通りです。
汽車は1日2便しかありません。 |
最初の汽車は、朝早い7時27分発ですから、呉さんとは駅で待ち合わせます。
ここら辺りです。
時刻表も新しくなりました。
この時刻表は電光板で広告なども入ります。
待合所の近くに面白いものを見つけました。
携帯電話の充電器です。いろいろな機種の携帯が充電できます。
構内には今までのような露店形式の店は少なくなりました。
代わって、コンビニ形式の店が出来ていました。 商品の陳列棚はまだ空間があり、これからと言ったところです。 呉さんはなにか買ったようです。 |
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座席はこんな具合です。ちょっとぶれてしまいました。 | 最後部からホームを見ます。 |
A 沙河口駅 | |
駅舎近くに駐車中のディーゼル機関車。車両の正面に満鉄マークがあります。 | |
B 周水子駅。ここから旅順線に入ります。 | |
次の駅「革鎮堡」までの風景です。 鉄道関係の施設が延々と続きます。 | |
周水子を出て、車掌が検札に来ました。私たちの車両の中ほどで、なにやらもめています。 男の乗客が車掌に向かって大きな声で、叫んでいます。 呉さんに聞けば、切符がニセモノだと言われて、怒っているのです。 |
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彼は、何年もこの汽車に乗っているが、こんなことを言われたのは初めてだ!という。 | |
よほど腹が立ったのか、一向に治まる気配がありません。 公安も心配してやって来ました。が、離れてじっと見ているだけで、何もしません。 言い合いは次の駅まで続きました。が、幸い何も起こらずに収まりました。 |
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C 革鎮堡 | |
革鎮堡を過ぎると、海岸にでます。「渤海」です。海水浴場がズッと続きます。 昔、富貴と布土との間にあった、別荘のような雰囲気です。 |
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D 夏家河子 | E 牧城子 |
内緒で車掌(女性)の写真を撮りました。 後で、胸の名札を見たら「列車長」と書いてあり、驚きました。 |
駅舎らしいものは何もありません。海の家が並ぶ別荘地です。 |
F 菅城子 | |
駅舎は大体こんなロシア風です。 | |
少しづつ客が増えてきました。となりの席には、親子連れがいます。 この列車は通路を挟んで、座席は4人掛けと、6人掛けです。 私たちは4人掛けでしたが、隣のお母さんは客が増え始めた頃から、 ゴロンと横になり、居眠りを始めました。 |
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「いやなおばさん」という感じです。どこにもこんな人はいるものですね。 こそっと写真を撮ってやりました(*_*) |
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いい天気になりました。窓を開けて外の空気を入れようとしましたが、 窓は上のほうまで開きません。歪んでいびつになっているのです。 |
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なにしろ歴史を感じる車両ですから(^o_o^) | 頑張って精一杯開け、顔を出して写真を撮りました。 呉さんも楽しそうです?? |
G 双台溝 | |
駅舎がありません。 突然、平地に止まり、人が降りて乗り、発車します。 写真撮るの忘れました。m(_)m |
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H 長嶺子 | |
何しろのんびりモードです。 大連駅のにぎやかさと比べ、別世界です。 | |
I 劉家村 | |
ここも駅舎はありません。しかし、ホームはありました。 確か、ここから終点旅順までは、駅舎が無かったと記憶してます??? |
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J 竜頭? | |
駅舎があるはずでしたが??うっかりしたかも(~_~ ;) | |
満足そうな顔です。 | |
K 水師営 | |
どこだか解りません。 たしかあると言うことでした???ここは日本人にはなじみの場所です。 日本がロシア帝国を破って、乃木将軍がステッセル将軍と会見した場所があるのです。 といっても、いまあるのは復元されたものだそうです。 |
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その辺りには大連では珍しい「すすき」が、線路沿いに見られました。 | |
もうすぐ旅順です。線路沿いに建物が増えてきました。しきりに警笛を鳴らします。 警笛を鳴らすところには、標識があります。 文字通り「鳴」でした。 |
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L 旅順 | |
予定通り、1時間半で到着しました。 | |
ホームの立て看板には上り駅の最初が「龍頭」となっており、「水師営」ではない。
と言うことは大連市の旅順線駅には今、この駅は存在しないと言うことか?
ここで全員降りますが、乗客はこの程度です。これでは便を増やすわけにはいきませんね。
このD機関車でここまで引っ張ってきたのです。
ここに「新亜細亜展望車」がありました。 | |
なぜ、この「亜細亜」という文字が目に入ったかと言いますと、実は、2年前(2001年)の秋に、日本航空が創立50周年記念として、特急「あじあ号」の見学会を企画した案内を、見たことがあったからです費用は一人1000元と、高額でした。 会社の日本人にも話しましたが、みんなあまり興味がない様子でしたから、私もあきらめました。 あじあ号は満鉄により作られ、最高時速120Kmの当時としては、世界最速の特急列車でした。 現在はハルビンまで20時間もかかります。 機関車を見るだけでは物足りないであろうと考え、特製の展望車「新亜細亜展望車」(全長21m、客席部分16m、展望部分5m、席数40)を作り、これをディーゼル機関車で引っ張って、旅順までゆっくりと観光してもらおうという計画です。 70年前に時速120Kmで疾走した、世界最速の機関車とはいったいどんなものか。 < 公開ツアーの概要> 走行距離46Km、走行速度46Km/H
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旅順線は帝政ロシアと清国との共同事業である、満鉄の支線として発展しました。
旅順駅は1903年(明治36)に、ハルビン〜旅順間が全通したとき開業している。
以来、ロシア風の駅舎「旅順駅」は100年間ずっと、開業当時そのままです。かなり傷んでいます。
この駅舎も大連市の保存建築物に指定されていました。
少し離れて、駅前の風景を写真に撮っていると、タクシーの運転手が寄ってきて、
この辺りは外国人の立ち寄り禁止区域であるという。
そういえば、公安もアチコチに立っている。これはやばいということで、急いでここを離れた。
運転手にいろいろ聞くと、この旅順駅に来ることも禁止されているらしい。 理由は町の中心部だからである。 203高地などの町から遠い地域は問題ないが、軍港にも近いこの辺りは、絶対に入れないという。
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2003年11月26日
203高地は大連市旅順口国家風景名勝区内にあり、有料です。
入口には大きな門があり、ここで入場料30元を払います。
入場券には「旅順国家森林公園203景区」と書いてあります。
203高地の駐車場まで、タクシーで上がり、運転手には午後1時頃に、また来てもらうよう依頼。
203高地は変わりました。 駐車場までの自動車道は同じでしたが、そこからの舗道(山道)が新しくなりました。 昔は大砲の弾の形をした塔の真正面に出たが、その道は塞がれて、昔の帰路と同じになりました。 そのため、来る人と帰る人がすれ違います。 変わらないものもあります。 駐車場から山頂まで、観光客を運ぶ駕篭です。 長い竹ざお2本の間に駕篭をつけ、そこに客を座らせ、運びます。 舗装はされているが、かなりきつい坂道ですから、お年寄りなどはたいへんです。 そこで、このようなサービスがあるのです。 しつこいくらいに日本語で勧誘します。 一人100元くらいですが、気のない返事をしていると、半額まで下がります。 珍しさも手伝ってか、日本人の団体さんが利用していました。 帰りに利用したおばさんが、降りる時、駕篭かきに「本当にお疲れ様」と言って、丁寧に御礼をしていました。 日本人の人の良さを表す、典型的な光景でした。 中国人はこんなことは言いません。「自分は客で、金を払っているから、当たり前のことだ!」などと思っているのではないでしょうか。 |
203高地のシンボルの前で記念写真です。
前来た時より、さらに赤錆が増えたようです。
もうひとつ変わったことがあります。 203高地の説明板がステンレス製になりました。 |
2年前は木製の粗末なものでした。 日本人観光客が落とした金で、新作したのでしょう(~_~ ;) |
帰り道、私は呉さんを、別のところに案内しました。乃木将軍の弟が死んだ場所です。 日本軍が203高地をロシア軍から奪取した、すさまじい戦いの址がここにはあります。 中国人の観光ツアーではここまで案内しないようです。 いまや深い木立に囲まれている、この辺りの静寂さは、かってここで本当に激しい戦いがあったのか? と、疑いたくなるほどの不気味な静けさに包まれています。 203高地は大して見るところはありません。ほかに行きたいところもないので帰ろうとしたら、運転手が新しく出来た公園があると言う。
私も行ったことがないので、行くことに決定。 |
何が平和公園なのかよく解りません。入場料は大人50元と、とても高いです。
中国人の入場者もかなり見られます。入場門から中を見ても、たいしたことなさそうです。
二人で100元出す価値はなさそうです。
しかし、せっかく運転手が案内してくれたところです。
しぶしぶ、入ることにしました。
正面の舞台では民族衣装を着た女性が踊っていました。
その右側にはアーチ状の建物があります。この建物はレストラン、土産物売り場でした。
ズット右側を見ると、広大な公園が一望できますが、普通の公園のイメージとは違って、のっぺらぼうです。
右側のポールには万国旗が掲揚されており、そこにはその国の首長あるいは偉人の立像があります。
その数は大変なものでしたが、写真撮るの忘れてしまいました。
すぐ目の前が海岸です。砂浜に出れるようになっているので、シーズンになると海水浴が出来るようです。 ボートもありましたが、今日は風が強く、波が高いので乗る人はありません。 海岸には、両サイドに突き出した部分があります。この範囲が和平公園です。 |
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呉さんはとても可愛らしいです。でも写真はあまり好きではないようです。
これが突き出した部分です。
公園全体を海側から見ます。
公園の施設そのものはまだまだこれからです。変化は乏しいが、フォレストパークもありました。
中国語「原木欅爬」の大きな看板が目立ちます。
「欅」の字は木編がありません。
「欅爬」はパーンパ(pan1pa2)と読みます。意味は蛇やトカゲなどの爬虫類のように、「這って、よじ登る」です。
この公園の結果は「つまらん」でした。タクシーで一直線に帰りました。お疲れ様でした。
これで、国慶節の全日程を終了しました。会社では一部ではありますが、
昨日土曜日と今日日曜日は仕事しています。
お互い本当にお疲れ様でした。
ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
From Dalian With Love