知多四国八十八ヶ所めぐり

2006年3月4日(土)第8回巡拝>第54番+番外

番外
西山浄土宗 亀宝山 東光寺

(知多郡半田市亀崎月見町3丁目14番地)

御本尊 阿弥陀如来

身はここに心はいつか東光寺 弘法大師念じたる身は

54番札所海潮院を出て、神前神社前の旧道を進む。すぐに東組「宮本車」の鞘倉があった。
つづいて石橋組「青龍車」、中切組「力神車」、田中組「神楽車」と道路西側に連続している。

5つのうち4つまであったが、残り1つが見当たらない。
神楽車の鞘倉の前で掃除をしている女性にお尋ねする。
これまではすべてこの通りに面しているが、最後の1つは道路東側の少し奥まったところにあるという

いろいろ潮干祭のことをお聞きしていると、目の前の呉服屋さんが祭に詳しいとのこと。
巡拝も次の東光寺で一区切りですから時間は十分ある。そこで、呉服屋さんに飛び込んだ。

中に入って、私の素性をお話しすると、奥からご主人が出てこられた。
このたびの国の重要無形文化財指定をお祝いし、改めて私の素性と伺った理由をお話した。
目的の1つ>山車組立の見聞<はこころよく了解していただいた。
(呉服屋さんの目の前の広場で組み立てるとの事)

例年、潮干祭は5月3,4日であり、今年も同じである。
そして2週間前の4月15,16日くらいに山車を組立てる。
しかし今年は国の無形文化財指定記念ということで、準備を1ヶ月前から開始するという。

つまり、山車組立も例年より2週間早まり、4月8,9の土日になったのです。それも5組一斉にです。
4月8,9日は我々の祭り日です。従って残念ですが、亀崎の山車組立を見聞することが出来なくなりました。

若いがしっかりしたご主人は私の問いかけに真剣に応対してくれ、さらに亀崎文化財保存会の責任者をご紹介いただいた。かなり長い時間お邪魔して話し込んだので、保存会事務局には伺えなかったが、近いうちに連絡したいと思います。

<追伸>
神楽車鞘倉の前にある呉服屋さんはこの山車とは深い関係がありそうです。 「ご寄付もたいへんでしょうね」と伺ったら、その回答は山車保存そのものについての次元の高いお話でした。

亀崎の5台の山車はこのような熱心な保存者が存在するから維持できているのであろう。

   
呉服屋さんから今来た、鞘倉がズラっと並んだ神前神社方向を振り返る。
私はこの通りを「鞘倉通り」と命名した(^O^)
座布団3枚\(^o^)/
鞘倉通り(?)を少し南進すると信号交差点がある。
ここを左(西)に進むと東光寺、右に入って最初の路地を右に曲がると、
5つ目の鞘倉「西組花王車」がある。

   
ということで、西組花王車の鞘倉を紹介しましょう 隣は事務所ですが「からくり練習場」の看板がかかっている。
   
地酒屋としゆきの店先で車に商品を積んでいた、女将さんらしき人に東光寺を尋ねる。写真右下の指は、「東光寺は向こうに見える横断歩道を右に曲がるとその先にある」と、説明する女将さんの手です。

横断歩道のある、ここを右に曲がる。

   
曲がってしばらくすると、前方の坂の上に寺院らしき森が見える。 急坂を上がると高い階段の上に、鉄製の灯篭が立っている。
ここから下を見ると春霞の衣浦湾が一望に見える。絶景である。
   
境内  
 
   

大師堂には弘法大師の様々な姿を表した像がたくさん置かれている>年弘法<

納経帳には「三体 弘法大師」および「年 弘法大師」と書かれており、しかも三体弘法大師が描かれている。

三脚を忘れたので、記念写真を誰かに撮ってもらわなければいけません。
辺りを見回したが、参拝者が見当たらない。
しょうがないので住職にお願いしました。

撮影はほんの1、2分で終ることなのに日傘を差して出てきました。歩き方もヨボヨボしており、かなりの高齢のようでした。
とりあえず、手ブレが心配です(^レ^;

でも、デジカメは使い慣れている様子で、カメラを持つ手元はしっかりしていました。
出来栄えはいかがでしょうか(^O^)よく撮れていると思います。住職さんありがとうございました。お体ご自愛ください。

一番奥の小さなお堂には、等身大の3態の弘法大師像がある。
堂内では年配の婦人が一心に読経していた。

   
帰りにもう一度、東光寺の赤い灯篭を階段下から眺め、おいとましました。 地酒屋の信号交差点後方から、東光寺方向を改めて望む。
   

それにしても今日は雲ひとつない、最近では珍しく、うららかな良い天気でした。
亀崎潮干祭の関係者ともお話できたし、とても感謝感謝の半日でした。

次は再び野間方面の第55番「法山寺」です。

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