ホテルの窓から北京最後の朝をながめる。 | チェックアウト |
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友諠商店を12:30出発、北京空港へ。搭乗手続き | |
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疲れてダウン |
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訪中報告
(作成:1993.4.8)
今回、北京、西安(陝西省)、成都(四川省)と三つの大都市を10日間、3000Kmの旅程を通して、中国の光と影を見聞することが出来た。 過去、アメリカ(シカゴショー1972年)、ヨーロッパ(EMOショー1977年)にもいったが、今回の体験はそれらと比較して何倍も意義あった。それは21世紀の世界が日本・韓国・中国を中心とした東アジア圏により動きそうな気配を感じたからである。 @ 中国の光とは 第2次世界大戦後、今日までの50年間は中国にとっては外患(外国からの侵略)もなく内憂(国内問題)解決に向けて全エネルギーを傾注できていることである。 すなわち、中国4000年の歴史の内、約3800年の外患はもっぱら北方民族の侵入というユーラシア大陸内に限定されていた。しかし、アヘン戦争(1840年)により中国史上初めて西欧諸国の脅威にさらされ、清王朝は滅びた(1911年) 君主国家から民主国家へと歩み始めたとき再び外患(1941年第2次世界大戦)により中国は荒廃したが、大戦後まもない1949年社会主義国家をめざす中華人民共和国が誕生し、今日に至っている。 この間、社会主義国家は経済政策のゆきづまりから次々と崩壊(ベルリンの壁:東西ドイツの統一、リーダ国ソ連:成立後70年)していった。一方、中国は冷戦後の外患なき国際情勢の下、中国流の社会主義国家形成をめざし、つぎつぎと将来への布石を果敢に行ってきた。すなわち、 ・ 市場経済の推進強化 付記) A 中国の影とは 4000年の歴史的・文化的遺産の保全と経済近代化の2重苦を抱かえ、その維持と開発に莫大な資金を必要としていることである。 日本が敗戦後50年で奇跡の復興を成し遂げ、世界も羨む経済大国、富める国となったのとは対照的に、中国は同じく50年近くを経過するも、遅々として進まず、日本の26倍の国土と10倍の民を抱え、まだまだ苦悩は続くであろう。 問題は、この巨大な国家を一国として統治できるかどうかである。 近代化路線としての市場経済への移行も省間では相当の開きがあり、歩調をあわせることは難しいと思う。合せて、この近代化には莫大な資金が必要である。 また、今回の訪中では多くの歴史的文化的遺産を見聞したが、この量も膨大なものであり、これらの処置(発掘、修繕、管理)にもまた莫大な資金が必要となる。 |
感謝状
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