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2020年4月28日(中日新聞)>消えゆく レンガ煙突の風景

エントツから出る煙。モクモクと出る煙。勇壮でダイナミックな煙。
それはある時期、産業発展、国家繁栄の象徴でした。
エントツの煙の量は、すなわち生活を豊かにしてくれるものでした。

が、私が社会人になってバリバリ活躍しだした30数年前(1960年代)空の怒りが爆発し、人間、いや生き物すべてに襲いかかりました。

それまでの生産活動で排出されつづけてきた有害な燃焼物が深刻な大気汚染問題を起こしました。

その物質とは硫黄酸化物(SOx)、窒素酸化物(NOx)、浮遊粒子状物質(SPM)などです。これらの有害な物質が太陽光と反応して昼でもボーとした煙霧状態になるいわゆる光化学スモッグの発生です。

この近くでは四日市スモッグ、四日市ぜん息の四日市市があまりに有名です。

私もちょうどその当時盆休みを利用した自転車旅行で四日市コンビナートの前を走りましたが息をするとむせて咳き込み思うように息ができなかった記憶があります。

エントツからはモクモク煙が出ており、その時の旅行記にはエントツから出る煙が墓地の線香にたとえて記録されていました。 
大気汚染は四日市だけではなく、当時の社会科の教科書にあったすべての臨海工業地帯(京浜、京阪神…・・)に発生し多くの人々が被害を受け、健康を害していきました。

発展のシンボル煙突は大気を汚す公害のシンボルとなりました。
以来、産官学は汚染物質の生成排出のメカニズムを解明抑制すべく非常に注力してきました。 

その結果、こんにちスモッグはなくなり、海もきれいになってきたなどなど表面的には良くなってきたようにおもえますが、人間が吐き出す廃棄物は当時とは比べようも無いほどに増えており、この対応いかんが今後の地球環境、人類生存を占うほどの重要問題となってきていることだけは間違いないことです。

公害談義はこのくらいにして本題にいきます。

発展のシンボル煙突はこのような背景の中でいつのまにか悪いイメージのシンボルとなってしまいました。おかげで煙突はどんどん減り、今ではその景観、風情を見ることすらなかなかできません。

この風情を残そうと努力している自治体もありますが、ほとんどが成り行きまかせのようです。話はちょっとそれますが、

昔、吉永小百合、浜田光夫主演の 「キュポラのある街」 という日活映画がありました。モデルの街はたしか鋳物で有名な埼玉県川口市で白黒映画でした。
モノクロだからかもしれませんが鋳物工場で真っ黒になって働く姿がとても印象的でした。

いまでは信じられないほどの労働環境ですが、思えばこれが当たり前の時代だったのでしょうか。そこで今回の 「わtch」は 「キュポラのある街」 ならぬ 「エントツのある街」 です。

いま現役バリバリ、昔バリバリ今荒れ放題、こんなのありかよ、などなどいろいろな煙突をWatchingしました。

まずは我が町武豊です。
我が町、武豊は衣浦臨海工業地帯の中心にあります。
武豊港と国鉄武豊線という物流拠点があったからです。
そんなこんなで港の周りには沢山の工場が立地するようになりました。

昔は隣町に大きな製鉄所があり、子供の頃(小Or中学?)学校行事で見学した覚えがあります。 ムッとする暑さの中で真っ赤な鉄が流れてくるのを今でも覚えています。
多分、溶鉱炉のエントツからは煙がモクモク出ていたんでしょうが気にはなりませんでした。

その後我が町にも港に隣接してその鉄を加工する製鋼所ができました。が、いまはそのどちらも撤退し、跡地は他に転用したり、そのまま荒れ放題だったりです。

   
さてさて、お待たせしました 「エントツのある街」 スタート!!
     
我が町最大のエントツといえば知多半島唯一の火力発電所です。
この煙突は町の何処からも見ることができます。たとえば、
自然公園と桧原公園の展望台からはこのように見えます。
     
ガラス会社 火力発電所  
ここは昔、典型的な避暑地であり海水浴場だった。それもかなり有名でした。

リゾートとしての面影、なごりは海岸線に今でもあります。

荒れてはいますがいまだに手放さない持ち主は相当な財産家と思われます。

今はご覧の通りヨットハーバーと釣り場に変身しています。

次は武豊港です。

堀川側は同じくヨットの停泊所となっている。遠景は化学会社のプラントです。

はっきり見えないが小さく低いエントツが沢山あります 

 

次はちょっと変わっています。Yohkaiさんならではの感性です。

私たちの住居にも一本や二本、
エントツらしきものがあります。ひとつはガス風呂の排気用、もうひとつはトイレの換気用です。
変わり種は燃料に薪を使っているお宅が今もあるということです。
めずらしいので取材させていただきました。これがエントツです。
ここが焚口(たきぐち)です。
 

知り合いの大工さんや工務店が建築用の端材を持ってきてくれるとのこと。
なくなればガスに変えるといっていましたが、なくなりそうでなくならないのだそうです。

次のエントツ見えますか?遠くにエントツが?ほぼ真正面です。
この日は気温35.5度勇壮な入道雲が真夏日を謳歌していました。

このエントツは町のゴミ焼却場です。

   
最近ある自治体でゴミ焼却場付近に住む人から信じられない高濃度のダイオキシンが検出されたとのショッキングな発表がありました。

ダイオキシン(dioxin)とは自然界にはあってはならない猛毒物。
偶発的に生まれた物質という。

ベトナム戦争で米軍が使用した枯葉剤がその典型的化学物質である。
今、私たちの身の回りでは枯葉剤と同じ化学物質が知らず知らずのうちに生成されている。この恐怖心が無害なものも有害化し、過剰に反応してすべてを公共の施設(ゴミ焼却場)に依存し、もってゴミはますます増えてしまう。

   
これでいいのかなー??  
昨年までは草刈り後の枯れ草はその場で燃やしていました。

落ち葉を拾ってきて焚き火しながら近所の子供たちとヤキイモつくりました。

庭木の剪定で切り取った枝は枯らしてそこで燃やしていました。

 

空高くそびえるエントツは激減しましたが逆に激増したものがあります。
それは地上すれすれの高さで猛毒をまきちらすエントツ、
自動車の排気管です。

   
多くを語る必要はないでしょう。
これは間違いなく地球環境破壊のチャンピオン。自動車メーカーは一日も早い化石燃料からの脱却、無害エネルギー・エントツのない車の開発を!!

さて、エントツといえば煉瓦がぴったりしています。
一時期大活躍して、今は引退して、静かにたたずんでいるエントツはほとんど煉瓦造りです。このようなエントツがうれしいことに近くの街に沢山残っています。

これからそれを紹介します。

まずは我が町武豊の瓦屋さんです。  
瓦といえば三州かわら
日本一の生産を誇る高浜市です。

かわら美術館でいろいろお聞きしましたが昔のかわら作りの町並み、風情を残すような活動は基本的にしていないとのこと。

今は煙のでない自動生産設備が昼夜24時間稼動し高品質低価格を実現、市場を依然リードしているとのこと。

エントツの見られそうなところをお聞きし、地理不案内のまま、ゆきあたりばったり適当に歩いて探しました。なんと、かわら美術館のすぐ目の前にありました。観音寺下でした。

煉瓦造りのエントツに蔦(つた)がからまり、引退後の長さがうかがえます。
近くに瓦屋さんがありました、燃料はガスで、エントツらしいものはありませんでした。

   

正面に蔦の絡まったエントツと陶製の観音様。
エントツの右後方に見える建物がかわら美術館

   
名鉄電車沿線に残る古いかわら製造所 瓦町の風情が残る田戸町の一画

荒れ放題でした

 
さて、

「煙突のある風景」を積極的に保存しようとしているのがせとものの町 常滑市です。

煉瓦造りの煙突がかなりの量、手入れされ保存されています。

一木(いちき)橋付近からの展望です。

   
むかしの風情も写真に残っています。

 
昔の現場をそのままに保存している「やきもの散歩道」を歩くとそれが良く分かります。
是非いちどおいでください。

場所は名鉄電車常滑線終着駅「常滑駅」から徒歩で「陶磁器会館」へ。
「やきもの散歩道」はここからスタートします。詳しくは陶磁器会館の案内所で。

関連資料> 煙突のある風景.jpg(80KB)、ガイドマップ.jpg(54KB)

2020年4月28日(中日新聞)>消えゆく レンガ煙突の風景

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