<2018年1月> |
人生最大の窮境 その後V
12月6日、足の痛みが完治した。 新しい医者に診てもらったが、以前のようには要領を得ず「偽痛風」を理解できなかった。
以来、痛風改善薬「尿酸減少剤」を服用し続け、治まった。 <経過のまとめ>
7月中旬、右足の痛みが治まったと思ったら同じ症状が左足の親指に発症した。 9月末、左足の腫れと傷みの原因判明>蜂窩織炎であった。
10月早々、入院して安静を確保し、朝と夕方の1日2回、3日間、点滴を投与したら治まった。
この時気づいたことは、自分の身体は自分で直すということであった。
11月初め、腫れと痛みは穏やかになって来た。
ただこの時期ではまだまだ筋力不足は否めない。
12月末、体重測定>66Kg<半年前63Kgまで落ちた体重が3kg回復した(^v^)
70代半ばでの未曾有の災難を、ここで克服できたとしたら、最早わたしは不死身である。 皆様のご健康とご多幸をお祈りして 新年のご挨拶とさせていただきます。 |
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<新しい年の始まりに思うこと> |
@ 原子力規制委員会の新委員長就任を祝福します。
原子力規制委員会の初代委員長田中俊一氏には心からご苦労様と労をねぎらいたい。
初心を忘れず、粛々と後始末を続け、奮闘6年間の覚悟をしかと拝見させていただきました。
国策で進めてきた夢の原子力平和利用が未曾有の天災により、文字通り「想定外」の施設損壊を受け、廃棄することとなった。ただ、損壊した原子力設備に人は簡単には近づけない。
そこで、今後は顧問とか相談役として、新委員長のサポートをお願いしたい。 |
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A 地震はインド洋と太平洋沿岸に集中している。 この中で最近の超巨大地震(マグニチュード9.0〜10.0)は規模順に南米・チリ、インドネシア・スマトラ島、米国・アラスカ、日本・三陸沖、ロシア・カムチャッカ、に発生している。
福島県で超巨大地震により壊滅的な原発事故が起きてしまっても、日本が世界有数の地震大国であっても、原発立地自治体は原発がなくなることを懸念し、周辺自治体は受動喫煙ならぬ、一文の得にもならない「受動放射能」を断固拒否。 立地自治体は自分の生活環境を安心安全で豊かなものにする方策を、1人1人が自分の頭で真剣に考えて欲しい。そして、濡れ手に泡の補助金生活から一日も早く脱出して欲しい。町が消滅する前に!
片や周辺自治体であるが、自分たちが使っている電気は隣町の原発で作ったものだということを忘れてはいけない。反対して、施設がなくなれば電気もなくなるのである。だから、その時のために自身で電気を作らないといけない。つまり地産地消の手段を考えないといけない。 |
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<2018年2月> |
人生最大の窮境 W |
昨年、食事を一日3食に戻したことで、体重は着実に増えている。
今年は、食物のバランスを改善するため、地元の炊事業者から“おかず”だけを
この総菜は実質一日4食目の食事にもなり、ときには酒のつまみとして大変重宝している。 1999年(年齢58歳)にボストンマラソン還暦完走を目標に鍛錬を始めたとき考えたのが、以下に示す「歩き方・走り方」である。 レベル1>楽歩(がっぽ) 1Km12分台(分速 83m、時速約5Km) レベル2>速歩(そっぽ) 1Km10分台(分速100m、時速6Km) レベル3>疾歩(しっぽ) 1Km 9分台(分速111m、時速約6.6Km) レベル4>激歩(げっぽ) 1Km 8分台(分速125m、時速約7.5Km) レベル5>楽走(がっそう 1Km 7分台(分速143m、時速約8.6Km・マラソン4h54mタイム) レベル6>早走(さっそう) 1Km 6分台(分速166m、時速約10Km・マラソン4h13m台タイム) レベル7>疾走(しっそう) 1Km 5分台(分速200m、時速12Km・マラソン3h30m台タイム) レベル8>爆走(ばくそう) 1Km 4分台(分速250m、時速15Km・マラソン2h48m台タイム) レベル9>激走(げきそう) 1Km 3分台(分速333m、時速約20Km・マラソン2h6m台タイム)
これに依れば現状は分速94m(時速5.6Km)なので、レベル1.5程度となる。 そこで、1ヵ月のウオーキング総長50Kmで身体慣らしを終え、2月からはレベル5(楽走)に進み、足腰だけでなく心肺機能の回復に向けたジョギング鍛錬を開始する。 これが全身の体力強化につながることを信じて、無理することなく着実に進めたい。 |
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福島復興の着実な進展を望む | ||
昨年、「ふくしま便り」として「原発事故6年8ヶ月、風評克服へ知恵」と題して、川俣町の米づくりを応援する福島大学の学生が運営開催した「米コンテスト」のイベントが紹介された。 ようやく地元主導の復興が動き始めた。それも若い人達によって(^_-)-☆ | ||
福島市と川俣町はちょうど、原発の爆発によって放射能が飛散した方向に当たる。 ここでようやく農産物の品評会が開催されたことをお祝い したい。 | ||
飛散した放射能による土壌汚染が落ち着くには 放射性物質の半減期など基本的な条件があり、 長い年月が掛かることを覚悟しないといけない。 |
半減期についてはWikipediaに詳しく記述されている。図は「エネ百科」サイトから引用したが、”放射能の減り方(半減期)”で解り易く解説している。福島第1原発でよく耳目するのはヨウ素、セシウム、プルトニウム、ウランである | |
ただ、今回の報道では、明るい出来事としての単なる紹介記事に終わっている。
米は日本人の主食として、最重要食品である。
今回の報道で提示された安全のデータは以下の通り、非常に大雑把なものである。
多分6年8ヵ月、一日も休まずデータを採取してきたと思うがこの努力が一つも提示されていないのは残念である。
現状、ほとんどの国が福島産の水産・農産物を輸入禁止にしている。 <後 記> 基礎編は私が30歳の時発刊されており、監修者は金属工学者の三島良績氏と大阪大学教授の吹田徳雄氏。
執筆者は電源開発大塚益比古氏、九州大学講師神田幸則氏、東北大学教授木村一治氏、大阪大学助教住田健二氏、北海道大学教授井上和彦氏、京都大学教授柴田俊一氏、名古屋大学教授伊藤憲昭氏、住友原子力工業(株)永島菊三郎氏、東京工業大学教授青木成文氏、京都大学教授兵頭知典氏、東京大学助教吉沢康雄氏、大阪大学教授吹田徳雄氏。 基礎編は原子力のイロハを比較的平易に記しており、素人の私でも理解できることが多かった。 巻頭の”編者のことば”で、「20世紀末には、わが国でも発電の過半が原子力になりそうである」と予言し、さらに「原子力船、地域暖房、海水脱塩についで、化学工業の熱源として原子力の発熱を利用する計画が日独ではじまるに至った」と、原子力の輝やける未来を宣言した。
しかし、編者三島良績(よしつぐ)氏は1997年早春、14年後の2011年3月の福島第1原発の巨大な地震と津波による電源喪失でメルトダウン爆発して、レベル7の最悪の事故となったことを知ることなく、75歳で急逝した。 ところで、アグネ社は”金属”に特化した出版社であった。
しかし、加工する相手(被加工材料)の性質を理解せずには加工技術の開発もできないことに気付き、専門外の”材料”に関する書籍について調査。社内の材料の専門家に金属材料に特化した出版社「アグネ」を紹介してもらった。 現在は『受託分析と理工学出版の「アグネ技術センター」』として生き残っている。 その後、100万人シリーズは機械工学シリーズとして「100万人のメカニズム」1968年初版、「100万人のダイナミックス」1969年初版と、タテ続きに発刊された。これらの書籍で最新加工技術の知識を入手し、金属加工技術の開発と製品設計に活用した。 |
ちなみに、出版社名「アグネ」AGNE
は偉大な科学者4人のイニシャルをとったもの。 Aristoteles(アリストテレス) (384〜322 B.G) Galileo(ガリレオ) (1564〜1642) Newton(ニュートン) (1642〜1727) Einstein(アインシュタイン) (1879〜1955) |
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<2018年3月> |
人生最大の窮境 X |
年が明け、1月からしばらくは足腰鍛錬のために本格的にウォーキングすることにした。
結果、4日・6日・10日・13日・14日・19日・28日・29日の8回計40Kmに終わりそうだった。 足腰の筋肉疲労もなく目標を達成できた。これは大変な自信となった。
この調子で2月、3月と続ける計画であったが、体調も良好なことから2月からゆっくり走って見ようかと、レベル5(楽走)1Km7分を実行することとした。
以降、寒さが厳しくなったので中断した。ただ、寒いからと言ってあまり休んでばかりでは鍛錬にならない。歩いていても、走っていても、強風吹きすさぶ中を同じように歩いたり走ったりする人はたくさんいる。
11日3回目のジョギングを決行。冷たい風があるので、念を入れてストレッチした。
残り500mというところで、突然右足のふくらはぎに“ピキッ”と弾けるような痛みが走った。
一瞬“じん帯損傷”?目の前が真っ暗になった。
コース出口から家まで約500mある。ビッコ引きながら家にたどり着く。
幸いにも自転車は運転できた。ピキッとした痛みは自転車のペダルを踏むことに支障なかった。
かといって、ウォーキングを止めてしまうと足腰の鍛錬ができない。 2月度は、3月のジャガイモ植付けと、4月の長芋植付があるので、土作りなどかなり頻繁に畑通いした。 耕運機などを必要とする作業は車での移動となるが、それ以外の作業では用具が畑の物置においてあるので散歩方々歩いて行ける。(2月は8回) 2月は私の勇み足で、取り返しのつかないことになることが心配されたが、幸い大事には至らず少しずつ回復している。この調子をもうしばらく続け、足腰に自信が付いた時、改めてジョギングステージに上がることとする。 |
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福島除染袋の管理体制を充実強化せよ <解説>100万袋超えの可能性 |
この仕事の発注者は東京電力だと思う。
最終責任者は原発を主導してきた国であるからメルトダウン事故後の廃炉管理責任組織は「環境省」かもしれないが、ここだけ責めるのも片手落ちである。
この難事業を遂行した全ての組織管理者が事業内容を十分理解し、それを作業者に確実に指導したかどうかについて取材・報道して欲しいのである。
そのためには、作業者はこの仕事をよく理解していたのか?、それを納得したのか?、どのような教育訓練を受けたのか?、などなど作業の目的と手段を正確に把握していたのかどうかについても取材しないといけない。これが明らかにならないと事業体全体の問題点が明らかにならない。 以下に思考停止状態の専門家の話を報道から全文掲載する。
@ 汚染物流出の危険性増す 元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんの話
A 国の姿勢の表れ 除染作業員などの労働相談を受ける「被ばく労働を考えるネットワーク」の那須実さんの話 |
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<2018年5月> |
人生最大の窮境 脱出(^_-)-☆ |
2月の大失態を反省し、3月は完治を期して自重した。
何処を歩いても、1Kmくらいで右足ふくらはぎに突っ張ったようなツンツンした痛みがはしる。
そうそう、3月は孫の野球試合応援のため静岡へ泊まり込みで出かけ、2日間あちこち歩き回った。
今年、県初の少年野球クラブ選手権大会が開催されるのでキャプテンの孫は張り切っている(●^o^●)
長男の大会会場(公設球場)と、次男の試合会場(中学校のグランド)は近くだったので、中学校の駐車場から渡り歩いたが、これが結構きつかった。右足ふくらはぎがツンツンしっぱなしであった。
長男の球場には周囲にジョギングできる通路があった。 やはり、途中でふくらはぎがツンツンして歩きにくい。無理して1周したところで先ほどの年配ランナーが休んでいた。思わず声を掛けてしまった。 年齢は64歳。50代までは国内の大会に参加していたという。しかし、仕事の都合で中断せざるを得ないこととなりずっと休んでいたが、時間が取れるようになって走り始めたという。 私も“還暦ボストンマラソン完走”を目指して頑張っていた時期もあった事を告げ、話しが弾んだ(^^♪ 「少しずつ調子も上がってきたので、出場できるよう慎重に練習していく」、という言葉を聞いて本気だと感じた。私は右足の筋肉損傷で戦う走りはできない。しかし、楽しい走りは可能かもしれない。 気長に健康保持のために歩いたり、走ったりを続けたい。 結果、3月の鍛錬としての歩行・走行は32Kmであったが、私の屋外活動は自転車運転、畑作業、草取りなどかなりあるのでこれらを含めた総合的な運動量として考えた場合、なんの心配もない。 |
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4月になっても右足ふくらはぎの歩きはじめると痛くなる症状は消えない。
中途半端にゆっくり散歩していたこともいかんかったということか(@_@;)
@サイクリングロードの散歩(約5Km)は中止する。(このコースは思いっきり頑張ってしまうから)
行動の基本方針 以上の結果、月半ばには、ふくらはぎのツッパリ感が激減した。
4月は例年、月半ばに春まつりがある。今年は13日金曜日(試験曳き)、14日土曜日(前夜祭)、15日日曜日(本祭り)であるが、足のツンツンが何故か13日の夜に劇的回復を見せた。
お陰さまで、14日家の前を通る山車と、祭礼関係者との再開を果たすことができた。 結果、4月は散歩が6回(12Km)、自転車が6回であった。(祭りでの歩行距離は約5Km) 2月のアクシデントから必死に回復を願って、2ヶ月間頑張った結果に大満足である。
3年間ずっと心配を掛け、これを励ましてくれた子供たちと、兄弟と、地域の皆さんと、特に毎週木曜日に顔を合わす成仏しかけの後期高齢者の皆さんと、私たちすべてを見守ってくれている神仏に感謝いたします。 |
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「福島第1原発メルトダウン事故顛末記」の新聞報道内容と<私見>の記述について
本稿は2011年3月11日以降、事故の顛末の一部始終を風化させる事のないよう追跡し、後世に残すことを目的にやってきた。事故から7年、関係者の懸命な取り組みで、やっと2号機と3号機のデブリの実態が明らかになって来たところである。 このような重要な局面に至っているところなのに小生の精神的持久力に陰りが見え始め、今までのように事象に対する個人的な印象とか見解を申し述べることが億劫になって来た。 そこで、3月からは個別のリンク先への記述を控え、福島第1原発事故トップページ(今年度ではサイト先>fukushima2018.htm)の月間情報に集中させ、当月の原発関連報道のほとんどはこの部分で概要が理解できるようにして、個別のリンクサイトマップへの記述を省略した。 なんとかなりそうなので、今後はこの考え方で顛末記を継続したいと思う。 事態の収束は大いなる先にある。勿論のことではあるが、小生も既に彼の地の住人になっており、収束を見届けることもできない。ただ、持てる能力(知力・体力)で、最善を尽くすのみ! |
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<2018年6月> |
体調完全 復帰(●^o^●) |
昨年63Kgまで落ちた体重は、食生活の改善で劇的に回復し、今年に入り66Kgと3kg増えた(^v^)
この事で体力も回復し、散歩での右足じん帯部のツッパリや痛みが消え、さらに畑での農機具使用後の筋肉痛も翌日以降に引きずることが少なくなったので湿布薬を貼ることも減った。 今後1年くらいかけて現状の生活習慣を堅持し、さらに運動量を増やして体力向上を図る。 <生活習慣>
@散歩(月36km)>2Kmコース月16Km(週2回月8回)、5Kmコース月20Km(週1回月4回) 自然薯、ジャガイモ、玉ねぎ、大えんどう、白菜、ブロッコリー、キャベツ、シシトウ、ピーマン、茄子、きゅうり |
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九州電力は商品である【電気】を作る手段の管理があまりにお粗末だ! 電力会社の生業は言わずと知れた発電とその顧客への送電である。これが満たされないのであれば、あるいは不測の事態により体系に異常が起こり、安定的な供給が確保できないとして、顧客の生命や財産に影響を及ぼすことがあれば、その責任を取らないといけない。
見えるものを作っている製造業では、製品の欠陥で損害が発生しないよう製造体系の品質保証に注力し、「品質第一」を社是とすることが一般的である。にもかかわらず欠陥商品は増大の一途であったことから日本でも事業者の「善意の保証」に頼るのではなく、アメリカ並みの「製造物責任による補償」に1995年法整備した。 電気は目には見えない。
製造物責任法−Wikipedia |
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5月から終活開始>2階物置のMy History’s Goods処分 |
終活@>パソコン
および通信関連のデジタル機器の解体
と廃棄 プリンター、モニター、HDD、モデム、ルーター、その他 |
解体方針>ドライバーなどで取り外しできる金属ネジは全て資源ごみとする |
資源ごみ>鉄(鋼)、アルミ(合金)、銅(合金)等の金属類および銅線類 燃えるゴミ>樹脂、基盤 |
5月28日、14:00開始〜16:30終了(2.5時間) |
詳細は「パソコン環境」サイトの1995年〜1998年参照 |
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<2018年7月> | ||||||||
終活作業>2階物置に20年以上保管していた、デジタル機器の解体・廃棄 | ||||||||
終活A>DVD/VHSコンビネーションデッキ解体<6月11日、14:00開始〜16:30終了(2.5時間) | ||||||||
2011年7月からアナログ放送が地デジに変わって、今まで持っていたVHSビデオの再生ができなくなってしまうので、2009年6月6日TAK21のマックスワールドで再生機を購入した(9,800円) 重宝して使っていたが、これが2013年2月20日リモコン操作ができなくなり、電池交換しても動かない。地デジ前に2年、地デジ後に2年と計4年使ったので、ま!いっか(^^)v 当時は簡単には捨てられないので、物置に保管していたが、毎日が日曜日になった現在、時間は有り余る。そこで解体して資源ごみとして廃棄 前回のモニターより圧倒的に構造が簡単なので短時間で終わった。しかし、止めビスのなんと多い事か(~_~;)
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終活B>プリンター解体(pdf2頁342KB)>14:00開始〜18:00完了(4時間) | ||||||||
構造は解り易かったが、金属軸に樹脂部品を位置決めするための部品として、通称「スナップリング」という止め輪が多用されていた。この部品は専用工具で着脱するのであるが、持ち合わせていないので簡単には外せなかった。それでもプライヤーかラジオペンチで止め輪を挟み、引張ると外せる場合もあった。 しかし、この止め輪の外形寸法が通常の規格より小さく設定されている事が多くあり、強引にニッパーでつまんで引き剥がすという手段をとった。摘まむスペースがほとんどないところは止め輪を外さず、軸に嵌っている樹脂部品をプライヤーで掴み、強引に引きちぎる。この時間はかなりかかった。 また、10年ほど使ったプリンターなのでインク駆動部分の部品が汚れており、手が真っ黒になった。 最近は固定電話にはほとんど出ない。それでも、誰にも文句は言われない。 | ||||||||
終活C>スクラップ新聞の整理 | ||||||||
Cー1、福島第一原発事故とその経過、後処理関連報道の中日新聞スクラップ | ||||||||
2011年3月11日、レベル7の原発メルトダウン事故が発生した時、事の重大性を察知して、この処理の顛末を追跡するため、新聞・テレビ・ネットなどから関連報道を選択し、ブログで「福島第一原発事故顛末記」として7年間休むことなく注視してきた。 しかし、報道内容に疑問を感じたり、東京電力の対応の悪さや、原発の利害関係(反対・推進)のあからさまな対立、口をつぐんで貝になってしまった原子力関連専門家などには、時として自分の考えを<私見>として表明してきた。そして、福島原発事故関連の新聞は切り取って、今は空き室になっている子供の部屋の収納棚に7年間、大切に保管してきた。
しかし、よくよく考えれば、過去一度もバックナンバーを閲覧したことがない(@_@;) | ||||||||
Cー2、中国情報の日本語版新聞「日中新聞」整理 | ||||||||
私が2000年に中国大連に駐在したとき、日本へ研修した中国人から「日中新聞」なるものを紹介してもらった。この新聞は、中国人が日本において祖国の動向を入手する数少ない媒体なので、中国人研修生は日本語ではあるが日本語の勉強を兼ねて購読していたことを思い出し、2004年母親の介護のため帰国したとき、株式会社日中新聞社にネットで購読を申し込んだ。(この新聞の一部に人民日報の邦訳記事もある) 年間48部、月4部DMで送られてきた。購読料は年16,000円と高額であった(一部333円) 以来2012年まで約8年間購読してきたが、中国の一党独裁、覇権政策に嫌気がさして決別を決意し、購読を中止した。 この新聞は2004年から購読キャンセルした2012年まで2階の子供の部屋の収納棚に保管していたが、これを全部(約20袋)資源ごみとして廃棄した。 |
<2018年8月> |
【体力維持第一】をモットーに今しばらく生き続けます(*^^)v |
6月に体調完全
復帰(●^o^●)と
、豪語して2ヶ月が経過した。その後について御心配をお掛けした皆様にご報告しなければなりませんが、残念ながら大威張でお話しする内容ではありません。 かと言って、また悪化したということでもありません。鳴かず飛ばずといってもよろしいかと思います。 6月にここで高らかに宣言した、散歩(月36km)>2Kmコース月16Km(週2回月8回)、5Kmコース月20Km(週1回月4回) でしたが、実績は6月が2Kmコース3回のみ、7月が2Kmコースと5Kmコース各1回のみで、報告するまでもないという惨憺たる結果でした(−−〆)(~_~;)
しかぁ〜〜し(^^♪2月に靭帯を痛めて4カ月、やっと7月に5Kmコースのウオーキングを試した。
今後は、ジョギングはまだ無理でも、ウオーキング中心で足腰を鍛えたい。
私は、ちょうどWindows95が出た20年前から地元の気象情報をエクセルでグラフ化してきた。 |
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終活D>飯山17インチCRTモニター解体(PDF1MB) |
1997年5月購入の17インチCRTモニタ飯山(MT−8617ESuperVGA1280x1024)の画面が、2004年8月突然、縦線一本になる。 7年間ご苦労様でした(^_-)-☆ |
解体後記 |
ガラス製のディスプレイ部とビーム部は鉄枠で接合されていた。
この解体方法を検討するため、しばらく間を置いた。
ガラスが飛散すると危険なので、古着を何枚も重ねて覆い、その上からハンマーで叩いて壊す。 ディスプレイの厚みは約5mm、ビーム管部は2〜3mm、鉄枠との接合部は約10mmと分厚くなっていた。
割れたガラスを拾いながら驚いたのは、ガラスは簡単にははがせないほど強力に結合していた。 |
終活E>NEC−WiFiルーター解体 |
2013年4月、Win8無線LANモバイルPCを買った。しかし、このPCを持ち歩いても外ではネットに接続できない。そこで、Wi−Fi接続を検討した。結果、WiFiシステムをプロバイダーニフティのnifty
do LTE契約し、NECのWiFiルーターで
、いつでもどこでもインターネット接続を実現した。
しかし、電話はガラケイ、パソコンはWiFiルーターによるLTE回線接続ということで便利に動けるようになった。しかし、1年使った頃から重装備の出歩き、接続コストの思いのほか高額なことなどで再検討の余地あり。 また、ニフティとの契約は期間2年であるから使用1年未満 (2014年2月解約)では解約金9,975円を払わなければならない(−−〆)それでもこのまま1年使い続けるより、圧倒的に安くなるので決断し易い。 |
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<2018年9月> |
屋外は熱波で砂漠風 わたしは半分、熱中症 |
7月はかろうじて、2Kmコースの散歩を1回だけできた。しかし、8月は早朝から夜中まで蒸し暑さが続いたので外に出る気にならず、結局一度も散歩しなかった(~_~;)
それにしても今年は熱中症という言葉が日常的に飛び回っていた。 7月は娘の子供(私の孫)が高校生活最後の甲子園大会地区予選なので、泊まり込みで応援に行った。残念ながら1回戦で敗退したが、孫の一球入魂の気迫を感じることができて、熱波と無風の応援席で声をからし、汗びっしょりになって応援した。その夜のビールが人生最高の旨さとなった。
いい試合だった!孫も満足そうで、男の子3人兄弟の長男として、夕食の席は笑い声が絶えなかった。
しかし野球で培った肉体と精神を勉学に向けることはできる。しかも半端なしに(^_-)-☆
帰宅後、娘から写真が送られてきた。 |
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【8月の終活作業はお休み】 |
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【大飯原発の運転差し止め訴訟の判決(名古屋高裁金沢支部)>住民側逆転敗訴】 |
<私見> |
私は以前の<私見>で、地裁と高裁が交互に異なる判決を出す実態を見て、原発の知見を学ぼうとしない司法に、裁判する資格はない。と、裁判官にもっと勉強して欲しいと、苦言を呈した。 しかし一方で、何でもかんでも司法に訴えるという安易さがあるように思え、民主主義(三権分立)が歪められているようにも見える。巨大地震とその大津波による原発の過酷事故は、地震大国日本の原発是非を全国民に問いかけるものであり、司法ではない。 安心安全なエネルギーとは何か?、自分たちのエネルギーの使い方に問題はないか?日常、湯水のように電気やガスを使っておいて、原発反対などと騒いでいる人々のなんと多いことか。司法に訴えても、なにも変わらない現実を前に、ひたすら訴え続ける無策には呆れてしまう。さらには、立法・行政もあてにならない3重苦のなか、そのエネルギーをもっと直接的に行使すべきである。 総論賛成各論反対(他人事のような)の立地住民にも、もっとしっかりしてもらわないといけない。地震大国日本から原発を廃絶するには断固たる決意が必要で、あとは民主主義制度をフル活用するだけだ! 7月17日>逆転敗訴した住民側弁護団長は、今後の再稼働差し止め訴訟にも影響が出ることを考慮し、上告を断念。 |
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【ヨウ素剤配備不十分】 |
再稼働中の5原発が立地する4県(福井、愛媛、佐賀、鹿児島)の教育施設へのしかも福井県は5Km圏内ゼロ |
<私見> |
福井県には13基+2基の原発がある。 関西電力>大飯4基、高浜4基、美浜3基 日本原燃>敦賀2基 日本原子力研究開発機構>もんじゅ(大飯)、ふげん(敦賀)<廃炉中
この内3基(大飯2基、高浜1基)が新審査基準に適合して、現在営業運転中である。原発保有量日本一の福井県は、原発事故の起こる確率もまた日本一だと思う。しかるにこの体たらくは何たることか。
この事に関連して気になることがある。
”自分の命は自分で守る”を基本信条としている私なら待ってはいない。
ヨウ素剤は1000個12,000円なので1個12円と安い。
この記事には医学博士の崎山氏のコメントが別枠で掲載されていた。 なお、この程度のことは1人1人が考えて対応することであり、報道関係がことさら騒ぐ事ではない。 |
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<2018年10月> |
台風24号で我が家は大被害 |
9月29日、大型台風が日本列島を縦断する勢いで北東に進んでいる。 進路は昭和34(1959)年9月26日の伊勢湾台風と酷似している。 台風がこの通りに進んで来るときは雨戸を閉めるのは当然であるが、簡易温室を固定しないといけない。 |
大型台風24号で沖縄は300mmの大雨と瞬間風速50m(画像は全て気象庁公式サイトから引用) | |
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30日、これはひょっとすると、ひょっとするぞ!(@_@;)ということで、全ての雨戸を12時に閉める。 ネットでは台風24号が伊勢湾台風(昭和34年9月26日)(1959)と同レベルであると繰り返し警鐘していた。 確かに満潮が20:30頃なので、高潮の可能性が高く、ピッタリ伊勢湾台風と同じ状況にある。 |
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台風24号の30日の状況 >気象庁のお天気情報サイトはリニューアルして tenki.jp となった。 | ||||||||||||
台風情報ではこれまでの進路や勢力や速さなどだけでなく「衛星画像(気流)」と「雨雲画像(雨量指標」が追加され、 国民1人1人が理解し易くなっている。しかし、そのお陰で今回の台風24号報道での情報操作を見ることができた。 |
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以降は台風が上陸して列島を縦断するするまでのドキュメンタリーである。
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台風進路情報の迷走ぶりを、PCをタブレットにして、リアルタイムに記述したものである。 | ||||||||||||
台風24号の我が家の被害>冬野菜の苗ポット播き庭栽培用簡易温室
吹き飛ばされて苗がバラバラ(@_@;) 以下は、台風で吹き飛ばされた簡易温室と、その中のポット播き苗の復旧作業である。 |
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11日、台風来襲前の状況 | @、雨戸の前にあった温室が右端に転がっている。 | |||||||||||
A、温室は縛ってあったのに、3mほど吹き飛ばされた | B、手前の黒いものは玄関マットで6mほど飛んでいる | |||||||||||
C、 | D、倒れた温室の中でゴチャゴチャのポットと苗を取り出す | |||||||||||
E、バラバラになった苗を丁寧にポットに収める | F、復旧終了 | |||||||||||
飛ばされたのは玄関マットと簡易温室だけであった。考えるに(^_-)-☆ 風力と物体の重さにもよるが、物体の下側に風(空気)が入り込むと、浮き上がることもある。 浮き上がれば強い横風で飛ぶ。ゴムマットのような、重いものでも浮けば魔法の絨毯のようになる(@_@;) 原理はちょっと違うが、飛行機が浮き上がるのも空気の流れであった(●^o^●) |
<2018年11月> |
喜寿祝賀で登山 |
小生、今年喜寿を迎える。これを喜び、子供3人がお祝いしてくれるという。
末っ子の子供が、ピッカピカの1年生になったちょうど今年、私は喜寿になります。
上と下は男子でバリバリの現役(*^^)vなので、仕事も多忙で、計画作りは困難。
登りたい山はずっと前からお母さんと相談して決めていた。
ただ、この山はなかなか険しいところもあり、最年少7歳が最後まで登れるかどうか?が心配でした。 それ以上に子供たちが心配したのは、高齢の私がしばらく登っていない山に登れるだけの体力筋力があるかどうか?でした。調べてみました?!?
結婚前の記録がないので結婚後ですが、過去4回登っています。
4回とも上下歩きで、ロープウエイは使いませんでした。
しかし私には、年間を通じて庭木の剪定、草取り、畑作業などで多少は足腰を鍛えているので体幹だけは自信があります。 9月17日>子供たちに日帰り登山の備えについての留意事項をメール送信
こんにちは(●^o^●)
@ 服装>帽子、半袖シャツ、長袖シャツ、長ズボン、手袋、靴は靴底が滑りにくいもの、靴下は薄地と厚地各1足+1足 追伸
人気景観コース(裏道、中道)はともに所要時間が3.5時間くらいですから、
私も喜寿のパワーをお見せできるよう頑張ります。登山が楽しくなるにはまずはお天気です。
その後、子供達家族の都合を確認し、参加者が決定した。 9月21日(金)>自分の持ち物準備
@服装>帽子、バイト柄長袖シャツ、緑色長袖厚地セーター、釣り用ポケットいっぱいジャケット、
A救急品>ガーゼ、脱脂綿、包帯、傷薬マキロン、絆創膏大中小、湿布(サロンパスA)、 B飲食品>ドラゴンスケース入り水道水ペットボトル1本、キャラメル2箱、飴少々 Cその他持ち物>嫁さん遺影、顔タオル2枚、フード付き雨合羽2着、筆記具 (注:忘れたものあり>水道水入りぺトボトル1本、顔タオル1枚、筆記具) 明日の行動計画策定 7:00、自宅出発
9月23日(日)御在所岳登山記録
11:50、登頂直前、下山する人たちが見ている場で、岩を踏み外して転倒落下(>_<)(>_<)
体力の限界で足が上がらなかったのを無理して登ろうとしたから! ひっくり返ったカメのような姿勢から起き上がり、最後の力を振り絞って舗装道路に上がると、孫が手を出して血が出ていると泣き出した!左手薬指の爪から血が噴き出している。長女がミズミズと叫ぶ!
親の次男が指を見て、「爪が剥がれている」と叫ぶ!長女が傷口を水で洗っている間に、
血はなかなか止まらなかったが、長女がアレコレ手当てして応急処置が終り、孫の顔も穏やかになった。
私は、幸いなことに外傷はなく血も出ていないし、意識もしっかりしている。
緩い下り坂ではあったが、膝が笑っている私には地獄のようだ!
ズボンを捲し上げて見ると、すりむいていたのでマキロン塗って絆創膏を貼る。しかし、皿がとても痛い。
眼下に大きな建物がある。ここには昔来た時、みやげ物や軽食レストランがあった。
と、そこにベテランらしい重装備の登山家が声を掛けてくれた。
手当てしてくれた彼氏はそそくさと救急箱をザックに仕舞い、これを背負った。 12:35、ロープウェイで下山 |
13:05、湯の山ロッジ着。普通なら先に汗を流すために温泉に入るところであるが、
昼食>じーじ:陶板焼き定食1680円+生中。ほか全員:ほぼかつ丼980円 |
15:00、帰路(湯の山、出発) 16:00、帰宅 |
<登山後記> あと2カ月半で喜寿77歳であるが、今回のようなスケジュールでの山登りは無理であると感じた。
国見峠への分岐点(8合目)で休憩した後、靴紐を締め直して、気を引き締めたが、
雨で流された道は滑りやすく、足元が不安定となる。
8合目までに笑いかけた膝が完全に大笑いになってしまい、最後の最後にひっくり返ってしまった。
特に私はカメがひっくりかえるように落ちた。 それにしても今回の出来事は奇遇である。
これからは休憩を多くして、登頂5時間にしたいと思う。 これもまた楽しからずや(^_-)-☆
これが最後の登山だと決めていたが、歳相応に時間を掛ければ、まだまだ四季を楽しめる気がする。 皆さんありがとうございました。 |
<追伸> |
@、24日、孫は地元の病院で診療してもらい、普段の顔に戻った。有難い! |
A、10月21日、孫の爪が約1ヵ月で3cm出てきたとの連絡あり。
追伸>12月1日、孫に電話>爪は完全に復元した。 |
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原発事故の風化防止と芸術> | ||
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トリチウム含有水の海洋放出で真っ向対立 | ||
政府小委員会、汚染水浄化後の放射性物質トリチウム含有水処分方法を議論する国民との公聴会を富岡町で開催。 | ||
<私見> | ||
新聞紙上では政府推奨の「海洋放出」に真っ向対立する地元町議や漁業関係者の反対意見を強調している。ただ、トリチウムの処理の緊急度について解り易く解説するQ&Aなども掲示されており、公正な報道に努めていることは好感が持てる。 しかしながら、トリチウムがどんなものかも調べもせず、やれ「漁業に壊滅的打撃」だの、「放出ありき絶対反対」だの、「目の前の海で自由に魚が獲れない苦痛が解るか?」だのと、騒いでいる人間のなんと多いことか。 それにしても、原子力発電を推進してきた原子力ムラの専門家たちはいったいどこへ行ってしまったのか?感情的になってしまった地元住民には何を言っても聞く耳もたない。ただただ口をつむんで貝になっているのみか?原子力に夢と希望と無限の可能性を求めて研究してきたあの情熱は今どうなってしまったのか? 科学的根拠を持ち出せば、「あれだけ安全だと言っていた原発が何故メルトダウンして広大な地域を汚染したんだ?」などと言われると、返す言葉がないのか?何とも哀れである。 トリチウムとはどういうものか?、被ばくするとどうなるのか?、海洋汚染との関係など、キチント説明できないのか?イライラしてくる。ちょうど、大東亜戦争に敗れて自信をなくし、自虐史観のヒキコモリ人間になってしまった日本人のようだ。
ネットで”トリチウム”を検索してみた 参考>トリチウム半減期12.3年 | ||
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<2018年12月> |
原発事故関連報道についての<私見>特集2018 |
これまで、福島第1原発事故関連の気になる報道に<私見>を述べてきた。 |
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多重下請け体系の悲哀 |
ちょっと古いが8月に、福島第1原発の廃炉作業の危険手当増額で東電−元請け−下請け会社の労使和解が報道された。
東電は事故原発の敷地内で作業することの厳しさを十分に理解しているはずである。 下請け会社が作業者に支払う「危険手当」をピンハネするようなブラックな事態は看過できない。 発注者は業務のトレーサビリティだけでなく、下請け会社の労務管理を監督し、不適切な会社には発注するべきでない |
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9月、 |
四国・伊方原発3号機の再稼働を巡る裁判が面白い。 |
大阪地裁は広島高裁の仮処分決定を不服とした四国電力の申し立てを認め、差し止めを取り消し、再稼働を容認した。
北海道から沖縄まで日本国中自然災害の危険が当り前だと思うのに、未だに「生まれて此の方、こんな大雨は経験したことがない」などと、洪水や山崩れで倒壊した家を前に途方に暮れる面々のいかに多いことか?挙句の果てに「水がペットボトル2本しかもらえない」などと報道関係者に不満をタラタラ!
司法・立法・行政のいわゆる民主主義体制だけでは自分の命は守れない事ぐらい分からないで、”ボーと生きてんじゃねぇ”と、言いたい。
私は、高校3年に襲来した台風15号(伊勢湾台風)で借家が高潮で全壊した時、九死に一生を得て以来、これを教訓として生き方を様々考えてきた。社会人になって、台風の高潮や地震の津波が届かないところに住居を構えた。 |
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10月、 |
九州電力は知恵を出せ |
九州電力が電力の安定供給維持のため、全国初の太陽光発電の出力制御を行った。
九州電力は再稼働した原発4基で潤沢な電力を確保済み! 原発をただ単に便利(儲かる)道具として使うだけではなく、最悪、福島のような事態が起こりうるということを想定して、全知全能を傾けるべきである。 |
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11月、 |
@ 定期的な現地取材は報道の基本。きちんと行われていることは当り前!
しかし、汚染地域の帰還は10年、20年では叶わないのが現実だ。それは福島第1には溶け落ちた核燃料が存在するからで、これが事故もなく無事撤去できた先に帰還が見えてくるのであるから。 |
A 日本原子力研究開発機構の原子力科学研究所(茨城県東海村)で、敷地内保管(地下コンクリピット)の低レベル放射性廃棄物入りドラム缶(200L)の、中身の分別不良判明。機構は保管ドラム缶5万3千本を50年以上かけて点検する計画を規制委に提示。 規制委に全く同感だ!研究開発も出鱈目だが、事業管理もこれが法人として存続出来ていることが不思議である。後退する事業内容で、補助金に頼る経営が体質化しており、原子力産業を背負っているという自覚が見受けられない。
今までにもたくさん私見を述べてきたが、原子力研究開発の根幹(功罪)に関わる保守点検を軽視してはならない。 |
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