2017年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
 
<2017年1月>新年をお元気にお過ごしください(●^o^●)

無徳国家への道をひた走る日本 

@ 美浜原発3号機の40年超え運転認可に対する原発周辺自治体の首長アンケート結果が面白い!
立地自治体とその隣に位置する自治体とでは見解が大きく異なる!

もし、30Km圏内の自治体すべてに補助金(危険手当)が支給されていれば、多分該当する自治体の首長はすんなりと運転を肯定することと思う。黙っていても不労所得が入ってくることほど楽なことはないからである。

想定外の事故が起こったとしても、命さえあれば生活は国がなんとかしてくれる(福島第1原発事故の対応が証明してくれている)
しかし、立地自治体は原発を持っていない自治体に危険手当を支給することには反対するであろう。

このように考えると、福島ショックは全ての原発立地周辺地域の人間関係を悪化させる。

原発避難で横浜に移住した小学生が級友から「賠償金あるだろう」などと言われ、遊興費を何十万円もたかられている事件は、住むことが出来なくなった人へのおもいやりの気持ちがかけらもないことを表している。
そのことに国家は何の思慮・手当てもせず、放置している。

A 原発作業で被ばくして白血病になったとして元作業員(42歳男性)が東電と九州電力を提訴した件も悲しくて悲しくて居た堪れない。しかし、ボツボツでてきたな!という感じではある。

事故発生当初は大混乱中だったはず。さすれば、防護服や線量計などの機材が不十分だったことは容易に推測できる。作業員は文字通り命がけで最悪の事態を回避しようと懸命だった。少々の危険など返り見ることなく、没頭していたと思う。
この様な作業状態がいかなるものであるか、原発事業所のトップは十分に認識しているはずである。
しかるに、このような作業環境が原因とも思える症状が起こったにも関わらず、何も対応策を考えていないのではと思える「木で鼻をくくる」ような両電力会社の対応は論外で信じがたい。
 

ましてや福島第1原発事故が起こってもうすぐ6年となる時期に適切な回答が即座に出ないことが不思議である。 

原発事故で福島から避難した小学生を同級生がいじめて金品をたかる悪童連中など、今後このような事例は続出するであろう。原発事故の恐ろしさはこれからが本番となる。注視していきたい。

今月の思い

ホームページ開設して20年となる記念すべき年を終えた>開設20年記念トップページ

ホームページ開設20周年(●^o^●)ありがとう(*^^)v

最初はマウスによるウインドウ操作ではなく、キーによるプロンプト入力だけのターミナル操作でパソコン通信を始めた。しかしこれがあまりにも面倒くさく、時間を掛けるほどには楽しめなかった。

Windows95が出て、操作は画期的に改善され、使い易くなってきた。

ただ同時にとても心配なこともあった。

自分の使っているパソコンを通信回線を通して相手と連絡を取り合う時、プライバシーは確保できるのか?と、いう心配である。1対1の回線ならほかに流れることはない。

しかし、これは個人的には不可能なほどのコストがかかる。とすると、双方の通信を取りまとめる元締め的な組織(プロバイダー)が大勢の利用者に便宜を図ることで利用者が多くなれば通信コストは安くなり、普及する。

しかし、全てのパソコンが繋がったとき、1人1人のデータ(個人情報)はどうなってしまうのだろうか?

これが一番の心配事で、1996年当時からこの事に関心はあったが、何ともしようがなくただただ変なことが起こらないことを念ずるだけであった。

その願いを込めて、トップページにはスクロール文字で「インターネットは時代の申し子。健やかに育って欲しいものです」と、祈念した。

インターネットは時代の申し子。健やかに育って欲しいものです。1996年7月

あれから20年、たったの20年で、文字通りWWWのネット世界が構築されてしまい、公序良俗の欠落した有象無象が勝手気ままに好き放題する時代となった。

「トロイの木馬」が懐かしく感じる今、悪意は洗練され、進化を遂げ、コンピューター(昔は電子計算機と呼ばれていた)の飛躍的な普及とも相まって、WWWは最早、相当高度な専門家でも手に負えないモンスターになっている。

戦争もサイバー攻撃で相手の組織体を損壊させれば、昔のようにドンパチやらなくても、かたが付く時代も視野に入っている。このような環境は個人生活にも着実に浸透しつつある。

公序良俗の欠落した輩が、情報操作によって一般人を混乱させ、あるいは餌をぶら下げ、引っかかってくれる事を期待して金品をかすめ取ろうとする詐欺(まがい)の横行である。

悪徳は留まるところを知らない。手を打っても、手を打っても、際限なくその裏を潜り、良徳を駆逐していく。
挙句、ドンドンと徳のない社会へと突き進み、徳のない国家!徳のない世界へと繋がっていく。

かくして社会は無徳人間ばかりとなり、無徳国家ばかりとなり、地球は無徳世界となる。
何とも悲しい。
 

<参考資料>中日新聞<@社説>ネットの偽情報  Aデジモノがたり>危ない「マルウエア」

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2017年2月

問題の的確な処理が信用を生む

昨年11月、福島県沖を震源とするM7.4震度5弱の地震があり、仙台1.4m、福島原発に1mの津波が到達。
この時、第2原発3号機の使用済み核燃料プールの冷却水循環系統が自動停止した。

この程度の地震で燃料プール冷却水の水源ポンプが停まってしまうとしたら、重大事故にもなりかねない。
この事件はひょっとすると地震の神様による対策状況のチェックではないだろうか?

第1原発事故後5年半を経過したが、東京電力は「第1原発の事故は地震ではなく津波である」として、地震説を強く否定している。

しかし今回、M7.4・震度5弱・津波1mの地震で第2原発3号機の冷却水ポンプは停止してしまった。
原因は燃料プールに冷却水を供給するタンクの水面が地震の揺れで水位低下と水位計が判断して冷却水ポンプが自動停止した。第2原発は停止中だから良かったが、2011年3月11日運転中の第1原発でこのような事態になったらどうなるのであろうか?

とにもかくにも、この程度の揺れで水位計が誤作動するということは大問題である。
検証する価値は十分にあると思われる。

どんな対策をするのか興味津津だ!もんじゅのように付け焼き場にならないことを切に願う。

更に、この地震と津波で港湾内の放射性物質拡散用防止フェンス2ヶ所の損傷を発見するほか問題は多発だったという。6年前の大震災以後の地震・津波対策がお粗末だったのか、あるいはこれも同様に想定外だったのであろうか?

地震大国日本という特殊事情を無視したかのような政産官の怠惰な経過に憤懣やるかたない。
危険な原子力を扱うという自覚がほとんど見られない。

こんなことになっていても地元住民が声を上げないのはどういうことなのか?
原子力村の既得権益は原発稼働40年で確固たるものになっており、何が起こっても誰も責任ある行動を取らない。
一蓮托生なのである。なんともやるせない!いと悲し!!


今月の思い

アメリカ大統領にトランプ氏が就任して2ヶ月が経過した。
大統領令の頻発で世界中が右往左往している図を見ると痛快でもある。

ビジネスマン「トランプ」は、今までのアメリカが国民のことをないがしろにして、世界中の政治経済人権問題に介入していることに我慢がならないのではと思う。

たしかにアメリカで生活していればそう思える現象は多々あると思うが、アメリカがその財力を盾に過去において、世界中でやりたい放題していることを理解していないとも思う。 

例えばアメリカは、近代ではベトナム戦争、イランイラク戦争など世界に恐怖をもたらした。その前のイギリスは植民地主義奴隷政策で世界を蹂躙した。アフリカ・中東・アジアはほとんどが植民地化され搾取されてきた。これら全ての悪はアングロサクソンによるもので、いわゆる白人は世界中で搾取の限りをつくして国家を築いてきた。

ソ連が崩壊して、アメリカは世界中で勝手気ままに蠢き、富を独占してきた。お陰で青い地球はアメリカの持ち物になってしまった。よく、シリア(アサド)、ルーマニア(チャウシェスク)、イラク(サダム・フセイン)、北朝鮮(金正日)等の独裁国家を“悪の枢軸”と呼んでいるが、真の悪はアングロサクソンの血筋を引く、ドイツやイギリスやアメリカなどの枢軸なのである。
なかでもアメリカは枢軸のトップに君臨する。世界でこれに(表面的に)抗っているのは北朝鮮ただ一国。地球最悪のモンスター“アメリカ”に敢然と立ち向かう北朝鮮を応援したくなる。

トランプ新大統領はこの悪の枢軸から脱却したいのではないかと思える。

小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」といったように、トランプは世界を牛耳っている既得権益者を撃退させようと、ひそかに策略しているのではないかと!大いなる期待を込めてトランプさんの言動に注目したい。

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2017年3月

日本原子力研究開発機構は創業(設立)の理念を回顧せよ

新年早々、驚愕の報道に目を疑った。
2006年から8年間行われた
もんじゅ実用化の協議会(経済産業省・文部科学省・電気事業連合会など)」の議事録が作成されていない。というものである。
協議会は非公開なのでこの話し合いが記録されていない、ということはこの間話し合いされた事柄が出席者の頭の中に残っているだけとなった。一般の法人ではこのようなことは絶対にない。
素朴な疑問であるが、普通の会社ならどこで会議するにしても社外に出る場合は組織の長に事前に連絡しなければならない。出先で事故があった時など上司が知らないとなれば責任を問われる。

また、怪我などしたら労災の対象になるのかどうか調査しないといけない。
今回の協議会は幹部のようであるが、それでも何処で何をやるかを周知しなければ組織は運営できない、と思う。
それとも、極秘会議なので一切の公表を避けていたのであろうか。
とすると、この会議で発生した費用(人件費など)はいったい誰が払っているのであろうか?
民間では
議事録や領収書があればそれに基づいて会計処理している。なければ交通費さえも請求できない。

かくして、議事録のない8年間の会議は、もんじゅの将来の方向をも見えなくしてしまった。
まてよ!議事録がないのなら今から作ればいいではないか。
この時期この協議会に出席した幹部なら、「どんなこと話し合い」、「どんな方向性を合意したのか」くらいは思い出せるはずである。1人1人聞き取り調査し、改めて作ればいいではないか。
それこそ、いま流行りの「第三者委員会」は最適な制度ではなかろうか。

8年間もの長期にわたり協議しているということは、相当に深刻かつ切実な問題・課題を抱えてのことであったと思う。
それを、「フリーディスカッションでした」などと、軽口叩かれて無視されては困るのだ!

このようなことがアチコチで起ころうものなら、日本は税金泥棒によって滅びてしまう。黙ってはおれない


今月の思い
私は政府(経産省)の補助金で新技術開発や製品開発を行ったことがある。

国民の税金を使うのであるから、いい加減な計画では認可されないことはよく解る。
一番困ったことは申請書の書き方であった。赤子のように1から10まで手を取り足を取り指導を受け、申請にこぎつけるが、この時感じたのは、経産省独特の言い回しがなかなか理解できないことが障壁になっていることであった。このような補助金事業に慣れている申請者は簡単に認可されるようだ。

ふと思ったのは、初めて特許を申請した時の困難さであった。町工場のいち技術者が何の予備知識もなく書けるような書類ではなかった事を良く覚えている。そこで、関連する公報等を読み漁ったが、ここに寄り付けないほどのハードルを感じた。事務手続きなども含めるとこんなことやっていたら日常の仕事などできっこない。

結局、特許事務所の世話になったが、癪だから申請書だけは一生懸命勉強して、独特の言い回しで申請書案を作り、これを事務所に持って行き、何回も打ち合わせしながら添削してもらった。その後は特許の重要性を認識し、社内に専門部署を設け、自力で行うようにしたが、当初は地獄であった。

補助金事業も実用化後の販売計画など具体的な数字を基に経営計画を詳細に提示しないといけない。相当に厳しい査定が待っている。開発実現に向けて歯を苦縛って資金補助を要請する。
難関を突破して認可され開発が進んでも、その後の経過報告等、とても厳しくチェックされる。

報告はひな形の書式がある。これを参考にアレンジする。
また、会計は所定の様式があり、完全に統一されているので勝手に変えることはできない。
なので会社のシステムとは隔絶しないといけない。

民間ではこのように厳しい認可査定と経過確認と開発終了審査と今後の事業化計画を要求される。
これに対し
、もんじゅはいったいどうなっているのであろうか?
民間をばかにしているとしか言いようがない。なんとも腹立たしい。

独立行政法人というシステムは2001年に創設され2015年に大改革されている。
設立趣旨は「国民の生活の安定と社会および経済の健全な発展に役立つもの」とあり、法人通則法第2条第1項には以下の如く規定されている。

「国民生活及び社会経済の安定等の公共上の見地から確実に実施されることが必要な事務及び事業であって、国が自ら主体となって直接に実施する必要のないもののうち、民間の主体にゆだねた場合には必ずしも実施されないおそれがあるもの又は一の主体に独占して行わせることが必要であるものを効率的かつ効果的に行わせることを目的として、この法律及び個別法の定めるところにより設立される法人」

この制度は私が体験した限りではあるが、退官する教授や意欲的な研究者が自費で研究開発を継続し、商品開発や人材育成に寄与するものと考えている。
独立行政法人は主務官庁による監査もあるようであるが、もんじゅのような実態を見るかぎり、官学がいわゆる慣れ合いとなり、民間企業に対するものよりはるかに甘いように思える。法人
創業の精神を思い起こすべきである。

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2017年4月

司法は時として政権寄りになる

3月の原発事故避難者集団訴訟で、前橋地裁の原道子裁判長は巨大津波は予見できた。という認識を示し、国と東電の過失責任を認めた。しかし損害賠償については原告側と一部相違があった。
今回の判決は「喧嘩両成敗」という落とし所で丸く収めた裁判長苦渋の「大岡裁き」であった。

原発訴訟と言えばほかに、新基準審査適合原発の再稼働運転差し止め訴訟がある。

3月の訴訟と判決は以下のようになっている。
@高浜3,4号機>大津地裁の差し止め仮処分決定に対する関電の不服申し立ての大阪高裁抗告審で28日、大阪高裁再稼働を容認した。
A伊方原発3号機>広島地裁、住民申し立てを却下
B美浜原発3号機>20年延長運転認可取り消し訴訟。31日名古屋地裁で初弁論。国は争う姿勢

原発の住民ほかによる再稼働差し止め訴訟を地裁が認めた判決に対し、電力会社の高裁異議申し立てで地裁判決を棄却する判決を見る時、私個人としては違和感を覚える。
反原発・脱原発派の主張が司法の中で原発推進派の政治的圧力を受けているような気がしてならない。
もしそうなら司法・立法・行政の3権分立が体をなしていないことになり大問題である!
 

しかも、1度このような判決が出ると、別の訴訟では、地裁の判断も高裁の判決に習ってしまう。
これはいったいどういうことなのであろうか?
裁判官も人の子、いろいろな考え方があっても良いとは思うが、ことは福島第一原発でメルトダウン事故が起きてしまった原発の再稼働可否に関わる重大事案である。高裁は地裁の判決を軽視しているのではないかと思える。

日本列島周辺のトラフが同時に起動すれば、日本は文字通り想定外の壊滅的被害を受ける。
勿論、周辺国にも甚大な被害が及ぶこと必至である。
目先の利益だけを追及しているようにみえる「原子力ムラ」の原発推進組織は地球における日本の立ち位置を冷静に判断して、将来に禍根を残さないよう、思考の限りを尽くすべきと考える。

また、司法は原子力規制委員会の審査結果だけを基に判断するのではなく、我が国の原発立地の地理学的見識を持って、安全と安心をいかに確保すべきか、という視点で熟慮すべきと考える。
国家・国民の存亡については、更に厳密に考えることが、司法の役割のように思うからである。

<メディアにお願い>
現在どのような差し止め訴訟がどのくらいあるのか、そしてそれがどのように処理されてきたか、その経過を改めて追跡調査し、図解して欲しい。


今月の思い

昨年秋頃からWin10−Edgeに突然、ポップアップ警告メッセージが出現するようになった。
右上の×印をクリックすれば消え、その後何も問題が起こらなかったので、そのまま放置していた。

警告画面には真っ赤に書かれた電話番号が強調され、「危険にさらされる」、「今すぐに電話」、「システム上にクラッシュ」など脅迫的な文言が記述されていた。

いかがわしいことは明白で、電話などしたら一巻の終わりだ!そっとしておこうとその都度×していた。
が、一向に治まる気配がない。

そこで12月6日にネットでこのような現象が世の中を騒がせているのかどうか調査。

すると、あるわあるは(~_~;)ビックリポン(~_~;)

一番古い質問は2016年6月25日のYAHOO!知恵袋に投稿したzinryu621さんであった。
私と同じパソコン環境(Win10でブラウザEdge)だったので迷わずこれを参考にした。
この時のベストアンサーは
wfu718さんで以下のものです。

実行してみたが該当する原因ソフトが見当たらず断念した。

その後もたびたび出現するので、今後の出現を記録することにした。
昨年までは右上の×印をクリックすると、そのまま消えていったが、今年からは出現した瞬間の作業(ワードやエキセル等)が保存されない状態で消えていくように悪化した。

長文の文章を作成している途中でこの真っ赤な警告画面が出ると、未保存のドキュメント等はすべて消去してしまう。これは厄介なことであるトホホ(_;)なお、出現するのはWin10のノートだけで、デスクトップのWin7には出ない。

年明けて、最初の出現は2017年2月16日(木)であった。
そこで、ベストアンサーの下にあった方法を試みたが、「起動中のアプリがあるので削除できない」というエラーメッセージが出た。全てのアプリを終了させて改めて削除したが、エラーメッセージは変わらず。

何度かトライしたがやり方に何か問題があるようで、結局断念した。

次に出現したのは2月21日 (火)、その次は3月10日(金)

最後は3月20日 (月)08:15頃のインターネット接続直後 !
続いて3月22日(水)11:00、更に3月26日(日)12:48、と3月は立て続けに4回出現した。

もういいかげんにしてくれぇ〜〜〜と、徹底的にこれと対峙することにした。
やはりEvent Monitorを削除するしかないと覚悟して、慎重に作業を行う。

1、タスクマネージャーを開く>キーボードのCtrl+Shift+Escを同時に押す

2、タスクマネージャーが開いたらEvent Monitorを右クリックして「ファイルの場所を開く」をクリック

3、ファイルの場所が ユーザー名>AppData>Roaming にあることが解る。

4、ここで、タスクマネージャーを終了し、改めて「コンピューター」からCドライブにアクセスして、
ユーザー名 ⇒ AppData ⇒ Roaming と進む

5、上図の場所にある Event Monitor 選択して削除する。

完了

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2017年5月

司法権とは何だろうか? 今や原子力ムラの一員(PNG950KB)

5月は諸般の事情で、月初めのブログ更新が困難となってしまった。
そこで、先月のトピックス&オピニオンで述べた、司法に対する私の見解とほぼ同調した見解が、尊敬する池内了先生(総合研究大学院大学名誉教授)から出されたことを嬉しく思い、僭越ではありますがこれを私の「今月の思い」に替えさせていただきました。

2017年6月

5月18日14:43、母が穏やかに95歳で彼の地に旅立った。
『やれることは何でもやってきた』という自信と、充実した人生を送れた満足感でいっぱいの大往生であった。
大戦の戦前、戦中、戦後を愚痴一つこぼさず、子供3人を立派に育て上げ、世界第2の経済大国を築いた礎となった母に感謝あるのみです。ありがとう!こんなに元気で聡明な子供に育ててくれて本当にありがとう。

これからはのんびり、親父と嫁さんの3人で、好きな花栽培や野菜づくりを楽しみ、得意の料理でみんなを喜ばしてください。

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2017年7月

Windows Defenderの横暴

6月8日、パソコンはWin10使用中のセキュリティソフトから起動失敗のメッセージが発信される。
意味が理解できず、これをとりあえず消去して使っていると、この画面が頻繁に出るようになった。
それでもパソコンは問題なく使用できたので、出現の都度消去して使っていた。

契約しているセキュリティサイトから発信された異常を知らせるポップアップ画面

読みにくいので小さい文字部分を拡大する。

「問題発生時の本製品の状態に関する情報をテクニカルサポートに送信する準備ができました。この情報を送信することで、本製品の今後のバージョンでの同様の問題の解決に役立ちます。
データを送信すると、データ提供規約に同意したことになります

これまでインターネットセキュリティはブログ開設20年、ずっと1社に委託してきた。
以来、悪意のあるソフトによる被害に一度も遭遇することなく今日に至っており、ネット環境の変節にも屈せず、顧客の安心と安全を守るべく、誠実に職務を全うした サイトに感謝している。

しかし、最近「定義データーベースのアップデート」が正常に完了しないというメッセージがでてきた。
おかしいなと思ったが、取りあえず使用上に問題なさそうなので放置してきた。

ところが、依然としてセキュリティサイトからの警告メッセージが収まらないのでファイアウォールなどセキュリティがどうなっているか「設定」から調査したところ、ビックリポン!

起動セキュリティが契約サイトだと思っていたが、「Windows Defender」に変わっている。
なぜインターネットセキュリティがいつの間に「Windows Defender」に変わってしまったのか?

挙句の果て、マイクロソフトは「二つのセキュリティソフトが競合してパソコンの動きが遅くなるので、他のセキュリティソフトをアンインストールせよ」と、強弁!なんとも腹立たしい。


6月10日傲慢なマイクロソフトのやり方に憤懣やるかたなき気持ちを抱き、このような事態が巷で炎上しているのではないかと、 セキュリティサイトのサポートセンターに電話した。
担当者は女性であった。困っていることの報告とその解決方法について伺う。

困っていること>セキュリティが、いつの間にかWindows Defenderに変わっている。
解決方法>これを元に戻す。
 

約30分しゃべっていたが、結論的にはソフトメーカーのマイクロソフトとPCメーカーとの関係もあり 、当方では解決方法を提示できない。というものであった。

そこで、担当者に、「今まで問題なく使っていたパソコンのセキュリティソフトが、突然変わっていたら誰でもびっくりするでしょう。こういう問い合わせはありませんか?」
「パソコン使用者に何の連絡もなしにパソコン環境の設定を勝手に変えるなど言語道断である」
憤懣をバンバン担当者にぶつけるが、事の本質を理解していないようなので、「パソコンメーカーに聞いてみます」として電話を切った。


XPのサポート停止 に伴いデスクトップをWindows7に更新した。ここに従来から使用しているインターネットセキュリティをインストールしてファイアウォールも「Windowsファイアウォール」ではなく、設定し直し、以来ズッと使えてきた。
なのに、なぜWin10がダメなのか?

まだパソコンメーカーのサポート受付時間内であったのでとりあえず電話。今度は男性担当者であった。
手短かに問題(セキュリティソフトの競合)について説明。
いつ頃からかと尋ねられたので、慌ててアップデートの履歴を確認

6月4日Windows10、バージョン1703の機能更新プログラム<正しくインストールされました
6月5日2017-0564ベースシステム用Windows10Version1703セキュリティ更新プログラム(Adobe Flash Player対応)(KB4020821)<正しくインストールされました

どうやら4日,5日のアップデートで「Defender」なるものがインストールされたようである。
そういえば、再起動は5、6回行なうほどの長時間(1時間弱)であった。
 

すると、担当者は「1703ですか」と言ったあと、解決方法を二つ教えてくれた。

@「設定」→「回復」→「前のバージョンのWindows10に戻す」を実行。
こうすると、場合によっては現在問題なく使用していたアプリが動作不良起こすこともある。

A現状のインターネットセキュリティアプリの再インストール

A項はたしかノートPCの 機能不良で返品交換したとき、セキュリティソフトの再インストールをオンラインでダウンロードしたことがあったのでできないことはない。が、これもほかへの影響もあって、できればやりたくない。
一番良いのは Defender を封じ込めることである。ここでも約20分ほどしゃべってしまった。


6月11日昨日に続きWin10Windows Defenderの無効化と現状のインターネットセキュリティの有効化について最終確認する。大筋理解できたところで、このようなQ&Aがなぜ 信頼しているセキュリティサイトでできないのか?不思議だ?

Defender」でネット検索、あるはあるは”(-“”-)”私のようにお困りのネットユーザーがワンサカ ワンサカ(@_@;)
驚きました。この顛末はきちっとまとめ、ブログ「Topics & Opinion」にアップしないと腹の虫が治まらない。

サポートセンターに改めて電話。今日も女性であった。
住所・氏名・電話番号・IDを伝え、昨日の客だということを確認する。
パソコンメーカーのサポートセンター担当者から「セキュリティソフトを再インストールすれば問題は解決する」と言われたが、なんとか不法侵入の「Defender」を封じ込めることができないか検討し、それを実現できたことを伝える。

改めて、御社からこのような新鮮な問題について、メール配信登録している顧客にリアルタイムにサポートできるよう要求する。今日は38分も電話してしまった。これで昨日から本件関連の電話は3回、通話時間は合わせて88分


そこで、問題のないWinと対比しながら、今回のWin10のセキュリティWindows Defenderアップデートの問題点を探ることにした。まずは断わりもなくインストールされてしまったDefenderの現状調査

@ 設定ホームでWindows Defenderバージョン情報を確認

A Windows Defender セキュリティセンターを開きます

B ファイアウォールとネットワーク保護
いつの間にか今までのインターネットセキュリティではなくなっている。

C 左下の「セキュリティとメンテナンス 」をクリック

D 「ファイアウォール」、「ウイルス対策」、「インターネットセキュリティ設定」などのセキュリティは全てWindowsが処理することになっている。従来のインターネットセキュリティは消失。

ここで、インストールされているファイアウォールアプリを表示しますあるいは、
インストールされているウイルス対策アプリを表示しますをクリック

セキュリティとメンテナンスのポップアップ画面が出て、インストールされている全てのセキュリティアプリが表示され、そこから選択できるようになっている。

しかし、

E インストールされたファイアウォールアプリとウイルスアプリの表示が、
Windowsファイアウォールが有効で、使用中のインターネットセキュリティは無効

そこで、使用中のインターネットセキュリティを有効に変えようとしたが、画面下枠の「有効にする」、「更新」、「アクションの実行」などが機能していないので変更 できない。

以上、我がパソコンが断わりもなく、環境破壊された現状でした。
続いては、Windouws Defenderの侵入で変化したそのほかの現象を紹介したい。


@ スタートボタンを右クリックすると出てきた「コントロールパネル」が消えた。

A コントロールパネルにはWin7はDefenderとファイアウォールがある。しかし、Win10にはDefenderがない。

Win10>ファイアウォールのみ、Defender無し

Win7>ファイアウォール、Defender両方あり。


最後にWin7とWin10についてファイアウォールとセキュリティ対策を「WindowsDefender」ではなく、使用中のインターネットセキュリティを有効にしたところを紹介します。

Win10−1、Windowsファイアウォールを無効にする

Win10−2、セキュリティとメンテナンスをクリック

Win10−3、ウイルスと脅威の防止の設定を オフ にする。

Win10−4、ファイアウォールのオプションを 使用中のインターネットセキュリティを有効にする

Win10−5、セキュリティの「ネットワークファイアウォール」と「ウイルス対策」がともに 、使用中のインターネットセキュリティの有効に変わった。

Win10−6、 使用中のインターネットセキュリティの定義データーベースがアップデートできた。
いままでWindowsDefenderが障害となっていたが、これを無効にしたので100%のアップデートが可能となった。

 


Win7−1Windows Defender

Win7−2Windows Defender ホーム

Win7−3Windows Defender ツール ⇒ ツールと設定 ⇒ オプション

Win7−4Windows Defender オプション>自動スキャン

Win7−5Windows Defender オプション>管理者

☑このプログラムを使用する。に、チェックが入っているということはDefenderが有効である。

Win7−6Windows Defender オプション>管理者>アクションセンター

Defenderが有効時のセキュリティの管理状態
@ファイアウォールは使用中のインターネットセキュリティが有効
Aウイルス対策は未対策
Bスパイウエアと不要なソフトウエアの対策>[Windows Defender]と、使用中のインターネットセキュリティの両方が有効

Win7−7Windows Defender オプション>管理者

そこで、☑このプログラムを使用する。の、チェックを外すと、警告の画面が飛び出した。

Win7−8Windows ファイアウォールの管理者> 使用中のインターネットセキュリティ

Win7−9、「セキュリティ」の管理はすべて 使用中のインターネットセキュリティとなった。

6月14日Windows更新プログラムの準備ができた」というメッセージがきた。

前回問題となったDefenderではないかと思ったが、Microsoftのあくどいやり方かどうか確認するため敢えて火中の栗を拾うことにして、使用中のデータを保存して再起動。更新履歴を確認すると案の定「1703セキュリティ」関連であった。

途端に、ファイアウォールをWindowsにせよと矢のような催促。何度現状のセキュリティアプリに戻しても、こちらの指示に従わない。せっかくセキュリティアプリの有効をDefenderから使用中のアプリに設定してホッとしたが、これも御破算になってしまい、Windows Defenderに勝手に戻されてしまう。

そこで改めてサポートセンターに電話し、これまでの経過について再確認する。

@、11日に御社サポートに電話してDefenderのインストールにより「セキュリティ」が現状と衝突して無効状態になってしまった。今までは現状アプリを信頼できるベンダーと認めて、Windowsのファイアウォールを無効化できた。

A、Win10の更新履歴を確認すると6月4日と5日に1703セキュリティのアップデートがあった。
5,6回再起動するほどの大きなプログラムで、所要時間はWin8.1をWin10にアップグレードするときとほぼ同じボリューム(40,50分)であった。

B、この強引なアップデートは11日に御社とパソコンのサポートセンターに問合せして、解決方法を見つけることができたので、自分なりに対応できた。

ところが、14日(水)の定期アップデートで再び1703セキュリティの更新プログラムがインストールされてしまった。
同じプログラムを2度アップするという念の入れようはいったいどうしたことか??

マイクロソフトは顧客のセキュリティを確保するため、なりふり構わずDefender以外のセキュリティ関連アプリを悪意のあるものとして排除すべく動き始めたのではないだろうか?
従来認めてきたベンダーのインターネットセキュリティさえも認めないほどの強行手段に入った。

今回は何度、従来のセキュリティを選択しても即座にWindows Defenderに戻されてしまう。
さらに、使用中のセキュリティアプリの定義データベースがアップデートできなくなってしまった。

Windowsからは「危険な状態」なので、今すぐDefender以外のセキュリティアプリを削除(アンインストール)せよ!との一方的な指示がでる。何回か繰り返したが、Defenderは絶対に引き下がらない。お手上げだ!

11日の時点で問題は解決したが、これが14日で再び元に戻ってしまった。

そこで、セキュリティサポートセンターに問合せ

答えは、「インターネットセキュリティ」アプリの最新バージョンをインストールすることであった。ということで、

@今のアプリをアンインストールする
Aセキュリティウエブサイトにログインして再インストール。

かなり時間がかかったが、正常にインストールできた。 

最新バージョンに変わったところで、「ファイアウォール」と「セキュリティ」のアプリをWindowsではなく、ベンダーのインターネットセキュリティを有効にして再起動したら、タスクバー内のDefenderアイコンにX印が付いた。
改めて有効無効を再確認。どちらも昔から使っているアプリが有効になっていた(●^o^●)

ながながと、トラブル処理をお話ししました。

最近の悪意のあるプログラムは常軌を逸するもので、””World Wide Web””と希望に満ち満ちていた時代とは大きくかけ離れ、恐ろしい道具になりかけています。
しかし、この”悪意”は今後ますます増大することが予想され、””World Wide Malice””になりかけている。

組織だけでなく個人にも被害が及ぶ状況が日々報道されている時、未だにセキュリティに無関心なネット利用が後を絶たない。このような背景から世界一のパソコン事業体「マイクロソフト」が危機感を持つのは当たり前のことであります。
今までさほど力を入れて来なかった「セキュリティ」について、顧客にもっと理解してもらおうと躍起になっていることは確かです。
しかし、Win10のアップグレードといい、最近のマイクロソフトはブラック企業の体をなしはじめています。
結果を焦るがゆえに、自分たちが良かれと思ったことを、なりふり構わず、顧客の理解も得ずに、勝手に進めている。
これまでマイクロソフトが気を抜いてきた分野のベンダーをないがしろにして、今頃になって自分のところの脆弱な態勢を強化しようというのはあまりに虫が良すぎる。今こそ、「べンダーあってのマイクロソフト」という謙虚さを持って、悪い連中と闘うべきである。

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2017年10月

人生最大の窮境 

95歳の母親を亡くした5月18日から私の身体に変化が現れた。葬儀になって首筋が痛くなった。
4月1日からの看取り介護の疲れが出て、寝違えたと思っていた。が、首を回すことができず、歩くこともままならない状態となり、挨拶もしどろもどろであった。

葬儀をなんとか終え、終生後の処理を終え、ほっとしたところで、咳きこみと痰が出始めた。
痛みは首筋から肩に移動してズキンズキンとする。これは持っているものを落とすほどの衝撃であったが、しばらくして治まった。と、思ったらこれが右足に移動し、5月末痛風となった。

良くなったり悪くなったりを繰り返し、健康診査診察・49日の法要・歯痛発症等経過した7月末、痛風と同等の痛みが左足に移る。これは痛風ではなかったが原因が解らない。しばらくは傷み止めで凌いだ。

健康診査の結果は異常なしの健康体であった。

7月末右足痛風が完治しないところで、突然左足に右足と同じような症状が発生。左右痛風??
これが尋常ではなかった。親指周辺の腫れと激痛で歩くことも寝ることもできない。

掃除、洗濯、炊事、排泄など、室内移動はイザリのように這うしかない。
買物は最小限にして(愛猫の食事、総菜など)、食事の支度も超簡単メニューとした。

右足の痛風と左足の激痛と腫れは処方薬の効果でなんとか落ち着き、8月のお盆には子供達家族がやってきて毎日、山海へ海水浴に出かけ、母の初盆供養と納骨を済ませた。8月末には治ったと思った。

しかし、5月中旬から3ヶ月間、痛みと腫れで動きを拘束され、歩くことが激減したので、足腰が弱ってしまった。
畑などに出かけて草取りなどしたり、鍬で耕したりした後など筋肉痛で湿布を全身に貼るほどであった。

とにかく脚力は激減した。太ももも往年の筋骨が消えてしまった。劣化するのは異常に早い。
無理して歩くとその疲れで痛風が再発してしまうほどであった。静かにしていないといけない日が続いた。

空き家となっている両親の旧家の雑草などの管理、畑の雑草管理、墓参り、ボランティア活動などを休むことが多くなった。

それでも9月には痛みも腫れも治まっていたので、弟家族と全快祝いを行った。
本当にうれしかった\
(^o^)

今までほぼ放置していた草取りほかを精力的に行い、9月中旬には問題を解決できた。
ところが、この行動が弱っている足を再び痛めてしまったようで、左足裏に激痛発症。

血液検査の結果「敗血症」の疑いあり。草取り作業でのわずかな傷から細菌が侵入したようだ。
医師から安静を確保するため入院を勧められた。しかし、今や一人身になってしまった私なので、日常生活の基本的な作業は這ってでも自分でやるしかない。

そこで、入院を辞退し、9月末の3日間、朝と夕方2回の抗生剤点滴を連続して受けることとなった。
医師は最悪の事を考えて血液検査を行った(
PCT-Q)。
結果、左足以外への拡散のないことが解った。体温が平熱だったこともあり通院で治療できると判断してくれた。

ただ、歩くこともままならないので病院への送り迎え、ほか、生活品などの調達などは全て近所に住まいする弟に頼む。外来で抗生剤点滴を3日連続で6回投与した結果を土日の2日間で確認したが、ほとんど効果なしであった。

10月2日10:30、痛い足を引きずって弟の車に乗り病院へ。体温は37度を超えていた。
医師と看護師が動き始めた。9月末の時点で病名は解っていたようだ。なぜか私は聴かなかった。
改めて確認すると医師も看護師も全員が知っていた。結構厄介な病気のようだ
(~_~;)

病名>蜂窩織炎

先生からこの病気の症例を図鑑で説明してくれた。この写真にはビックリポン!
体温は徐々に上昇して38度まで上がっている。先生は入院して絶対安静の環境を確保しないと大変なことになると、危機感を伝えてくれた。愛猫ナナの世話も弟に頼むことになるが、こちらは命あってのものだねだ!
ナナには少し我慢してもらうしかない。

15:00、入院。新しく処方された1回目の抗生剤点滴を受ける。これを3日間朝夕2回受ける。

10月5日、退院。腫れも痛みも激減した。が、安心はできない。これまでも何度かこのように治りかけたことがあった。
しかし、その後症状は何度も復活しており、油断はできない。

今回、私に降り注いだ苦境はいままで2年間に起こった淋しい出来事の悲しみが、全身を駆け巡ったことによるものと思っている。身体強健で病気知らずの75年だった。過去に1週間以上入院したのは鼻炎の手術2回だけである。

万病のもとと言われる風邪にもほとんど罹らず、インフルエンザワクチンも投与したことがない。
両親には丈夫な身体をもらった。感謝の言葉しかない。今日まで大病することもなく元気に生きて来たが、親から貰った強靭な心身も今や、寄る歳並みには勝てないところに来てしまった。

残念ながら、未だ細事にこだわる未熟者であるが残世は行雲流水の如く生き、大切に使いきって、母のように爽やかに浄土に向いたい。

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2017年11月

人生最大の窮境 その後

10月5日、1週間分の薬(痛風改善薬)をもらい退院した 。自宅では基本的に布団で横になり、足を使わないように動きを規制しているが、入院しているときと同じようにすることは無理であった。

腫れた足を冷やすための保冷剤も、病院なら看護師が持って来てくれるが、自宅に戻れば自分で冷蔵庫まで取りにいかないといけない。何をやるにも一人住まいでは、自分でやるしかないのである。

退院する時、医者から「静かにするように」と、言われても、できるわけがない。

かくして、入院前よりは良くはなっているが、腫れと痛みは残ったままで、処方してもらった薬もあまり効果がない。毎日、朝昼晩保冷剤を足に巻く作業は相当な運動量ではあるが、冷やすと痛みが治まるので欠かすことはできない。

退院後初の外来診療は10月12日が予約されている。10日までは我慢できたが、痛みが治まらないので予定より早く11日に通院した。
医師はこれまでの痛風改善薬(尿酸排泄剤)を別のものに変えて様子見するという。
2週間後(25日)の診察を予約。次回は血液検査を行うという。

左足の痛みと腫れはなかなか治まらず、相変わらず保冷剤と痛み止めの座薬で騙しだまし過ごしてきた。ビッコ歩きしたくないので、22日(日)の衆院選挙も人生初めて棄権した。

10月23日(月)痛みがひどくなったので、我慢できず予約日より2日早く病院へ。
予約表には「血液検査」の記載あるので、先に採血。検査に1時間ほどかかるので、先に皮膚科の診察を受ける。
皮膚科の診察は水虫治療のためで、7月下旬頃から塗り薬を処方してもらい治療してきた。

左足の「蜂窩織炎」を診断したのは皮膚科の医師であった。
この原因が水虫菌(白癬菌)の可能性もあるということで水虫治療と並行して進めることとなった。

血液検査の結果判明
GLU(血糖)>82(基準値70−109)
UA(尿酸)>3.1L(基準値3.4−7.0)
WBC(白血球)>10.7H(基準値4.5−9.5)
CRP(急性反応物質)>0.7H(基準値0.00−0.3)
正常値でない場合>細菌・ウイルス感染・炎症・がんの疑いあり

<私見>
@血糖値は基準値内、尿酸値は基準値下限より低い。なのに痛風とは不思議である。
なにか別の因子が影響している可能性あり?

推測であるが、ビールなどのプリン体が痛風の元だとは昔から言われている。

酒好きの私なので通常はまずビール。次に焼酎。気分が良ければワインかウイスキーと進むこともある。
が、最近は焼酎を飲むことが多くなっている。ということは、痛風はプリン体や尿酸や血糖ではなくアルコールではないかと思っている。最近は飲酒を控えているが、体調は良好である。

畑作業など汗をかくようなことを行った時は、少し飲むこともあるが問題はなかった。

A尿酸は、基準値より低い。が、なぜか医師の処方薬は尿酸値を下げる「尿酸排泄剤」である。
下がりすぎると何か問題が起こらないのか次回(6〜8日)医師に尋ねる。

B白血球が過剰なのは急性反応物質による炎症を抑えようと闘っている証拠であり、異常ではない。


医師は血液検査に大きな異常がないことからお手上げ状態。
寝台に横になるよう指示されたので横になったが何もせずに終わった。
前回の薬(尿酸排泄剤)を服用して、引き続き経過を見ることになった。

今はまだ片方の足だけであるが、痛風だった右足もうずき始めており、両足ともなれば歩けなくなってしまう。こんなことにならないようなんとしても治療してもらわないといけない。
先生には良い治療方法を見つけて欲しいと、くれぐれもお願いした。

次回検診は2週間後の11月6日となった。

4日後の10月27日の就寝時、足の痛みが消えたので傷み止めの座薬を止めてみた。
夜中、痛くなったら投与すればよい。座薬は即効なので錠剤より頼りになる。
翌日朝まで痛みもなく静かに休めた。

30日、就寝時の左足は良い状態になっている。が、左足が急速に回復しているのとは逆に、なぜか右足の甲部がピキピキっと痛みが走る。不吉な予感がする。
左足の蜂窩織炎が治癒し始めた代わりに、その痛みが右足に移動したのであろうか?心配だ( ゚Д゚)

月末日までの4日間、左足の痛みは消えて座薬は不要となった。そして歩行も楽になったが油断はできない。この半年間生活習慣だった散歩やジョギングや畑作業などを止めており、足裏の肉球の筋肉が衰えていることが自覚できる。この感じでは長時間の歩行には耐えられない。

完治までにはまだまだ時間がかかりそうである。慎重かつ辛抱強く一人住まいを続けないといけない。

面倒な一日3食を1食にすれば調理の手間が省けると、これまで2年かけて食生活の習慣を変革しようと努力してきた。しかし、その結果、体力が衰え、免疫力も低下し、自身の抵抗力低下につながってしまった。

私は外敵から身体を守るのは自らの体力であり、医薬ではないと、思っている

が、残念ながら我が身は、今や並みの人間になってしまった

でも、これはどんな人間でも必ず直面する「老い」だと思っている

何時までも若いままに生きられない

とすれば、自分よりも若い(強い)組織(細胞)に侵されてしまうことは必然だ

かくして、人生の幕を閉じる日が近いかもしれない

これを乗り越えることができれば、超人になれるかも知れない

いづれにしても、とにかく精一杯生きたい

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2017年12月

人生最大の窮境 その後U

10月末から足の痛みは激減した。しかし、まだ左足の甲に腫れが残っている。
いい気になると痛みや腫れがぶり返すので油断ならない。

母が死んで半年が経過する。この間、痛風と蜂窩織炎でまともに歩けない状態が続いて足腰は劇的に劣化してしまった。半年前まで普通に出来ていた生活習慣がままならない身体になってしまった。

人間は身体のどこが傷んでも動きを止める。

動きが止まれば、その長さにも依るが身体機能は衰える。

シェークスピアは言った、「動きが止まれば人間の心にも雑草が生える」と。

雑草が生える前に動かないといけない。

生を豊かなものにするには、とにかく動かないといけない。

動かなくて失った機能を取り戻すのは、並大抵ではない。

だから、とにかく動かないといけない。

そこで、外出は車か自転車とし、歩くことはひかえた。
11月に入り、少しずつ動き始めた。まずはかなり遅れている畑を整備しないといけない。

@苗を栽培中の白菜、キャベツ、ブロッコリーの植付け用地の畝作りと植付。
A長芋の収穫時期が迫っているので、まずは台風で倒れた支柱の解体、ムカゴ収穫、芋掘り。
B玉ねぎ用地の耕耘機開墾、堆肥土作り、植付。

健康体の時は半日くらいの畑作業は平気であった。が、今は1時間くらいでも全身筋肉痛になり、何も処置しなければ翌朝まともに立ち上がることができない。
なので、寝る前に腕、肩、腰、背中などほぼ全身に湿布薬を貼っている。
つまり、1時間くらいの畑作業なら湿布薬で筋肉疲労を和らげることができる。

11月6日、退院して1ヵ月経過。腫れと痛みは緩やかに鎮まっている。
そこで、まずは動ける身体づくりのため、食事回数を一日2食から3食に戻し、体力増強(すなわち、免疫力強化)を図る。

11月15日、玉ねぎ450個植付け。約2時間の作業であったが、足腰苦痛で全身湿布。
作業時間を徐々に増やしつつ身体づくりを行う。

11月28日、長芋掘り作業を約3時間行った。さすがにこれはやり過ぎた。
身体中が筋肉痛
(~_~;) 湿布薬をベタベタ貼りまくる。
しかし、翌朝足の痛みと腫れは治まっている。ということは、足は完治したのであろうか?
いや!油断は禁物だ!この調子で足腰の鍛錬を慎重に継続しないといけない。

これまでのところ、体力強化作戦は順調に進行しており、心強い。
まだまだ油断はできないので、一日3食の継続と、年内は動きの時間を1〜2時間に抑える。

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