<2015年1月> |
12月14日、2年ぶりの衆議院議員選挙があった。朝9:30頃、嫁さんと歩いて投票所に向かう。
投票所ではまず入口付近で役場の若い職員がテキパキと受付、投票用紙配布を行っていた。 しかし、我々夫婦ほか投票している人たちはそのほとんどが年配者ばかりであった。
若者よ!自分の将来に関心があるなら、国の行く末を決める国政選挙で権利を行使して欲しい。 自民党政権は半世紀以上にも亘って原子力の安全神話を流布し、原発と関連施設の建設を推進してきた。原子力施設は過去にたびたび異常な事態を引き起こし、その都度言い訳しながら対処療法で過ごしてきた。不安ではあったが、致命的な事故ではなかったので今日まで大方が黙認されてきた。
しかしながらフクシマで致命的な原子力発電所事故が起こってしまった。”想定外”だった。”想定外”は殊更のものではなく、いつの世にもある極々普通の事柄だと思っている。私たちはその極々普通の想定外”のなかで生きている。ところが、フクシマ事故では”想定外”が圧倒的に乱用され、想定外と言えば全てが許されるという雰囲気だった。 それにしてもあれだけの事故を起こし、世界を震撼させたフクシマの恐怖が未だ冷めやらぬ時、それをもろともせずに再起動しようとする神経には呆れてものが言えない。為政者は朝聞夕改(過ちては改むるに憚ることなかれ)、過去の経験を生かして賢者になって欲しい。間違っても事故を再発させ”想定外”などと逃げ口上の愚者にならぬように! 宇宙から見る地球は青く、とても美しい。いや、美しく見える。 私たちが受ける災害(災難)は大きく分けて三つあると思う。 まずは、それぞれの災難が具体的には何なのかを考えて欲しい。 |
今月の言葉 |
今年は自然災害大国日本の本領を発揮した1年となった。
11月21日、安倍首相は衆議院を解散した。 原発の是非は様々にアンケート調査されているが、総選挙の結果が最大のアンケート調査であると思う。 結果がどう出ようと、日本原子力委員会は 、現存する50基の原発の安全第一の処理方法を新しい総理大臣が意志決定出来るよう粛々と審査して欲しい。がんばろう規制委! |
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<2015年2月> |
原発のある町の政治倫理
自分たちが選んだ政治も機能せず、言いたいことのほとんどを言えない。
昨年、除染目標の緩和に関する報道があった。
「広大な土地が汚染された!そんなことできるか!」などと否定せず事実をありのままに肯定して、正確なデータを採取すれば、必ず光(方策)が見えてくる。 |
今月の言葉 |
衆院選挙は大方の予想通り与党の圧勝となった。
信任された安倍政権が哲人政治を敢行し、日本の国富を津々浦々にまで浸透させることが出来るなら主義主張をさておいて応援することもやぶさかではない。 現在停止中の原発50基の内、20基が新基準の適合審査を受けており、これまでに九州電力川内原発(鹿児島県)1,2号機が合格しており今月、関西電力高浜原発(福井県)3,4号機が合格し、再稼働の準備に入った。この後も多分、次々と審査合格する原発が出てくると思う。 ただ今後の審査では課題も多い。40年超え後も稼働させようと「特別点検」する高浜原発1,2号機、原発敷地内断層の有無を調査中の敦賀原発2号機・志賀原発2号機、建設中の世界初フルMOX燃料の大間原発など。そして、選挙結果が原発推進を実質承認したことから国民の総意に反して、立地住民の総意で再稼働を推し進めることは明白である。 新しい総理大臣に期待したいが、圧勝した勢いで審査結果の虚を付いた決断が出る可能性もある。誤った意志決定が生まれないよう厳格に審査して欲しい。がんばろう規制委! |
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<2015年3月> |
吉田調書を忘れるな! やっとと言うべきか!吉田調書のインパクトであろうか?原子力ムラの当事者が表に出てきた。 のど元過ぎて、愚者になりかけた人間が増えているとき、この調書が伝える緊迫は我に帰る思いだ!死を覚悟する過酷な環境下で、最善策の決断を強いられた責任者の気概と経験を風化させることなく、今後に生かすことが生き残った私たちの使命と考える。 この原発事故を原子力全般の科学技術問題として、もっと根源的な議論をするよう期待する。 同じく昨年9月、川内原発の「審査合格」 に対し、中部から賛否の声が出た。
原発は地震大国日本には不要であることは自明の理ではある。が、原発の稼働可否を決めるのは政府と立地自治体であり、当該自治体ではない人間がいくら反対してもそれを止めることはできない。 そもそも、原発の稼働を賛否で決めること自体が馬鹿げている。これが民主主義だ!民主主義は多数決原理だ!とワイワイガヤガヤ騒いでいることが滑稽である。政府の人選(代議士選挙)と立地自治体の住民が賢くならない限り無駄な活動ではないかと考える。地元民でなくても強く関与できる方法はある。しかし、愚民国家ではその実現は夢のまた夢だ! |
今月の言葉 |
新年にふさわしいエネルギー関連報道が多く見られ、正月休みを有意義に過ごすことが出来た。 私たちの生活をより便利でより豊かにするためのエネルギーを水や空気のように無尽蔵にあるかのごとく扱うことは許されない。
一人ひとりが現在の使い方を厳しく見つめ、不適切なら自戒し、正さなければならない。 A 脱原発関連 5件(原発反対デモ、原発再稼働反対) B 福島以外の原発関連 19件(高浜原発特別点検、大間原発新基準審査ほか) C 原発以外のエネルギー関連 7件(再生エネ買取り制度見直し、発、LEDノーベル賞) D その他原子力関連 12件(経産省の電気料金制度見直し) E 防災地震関連 4件(11月トピックス>火山噴火「御嶽山・阿蘇山」、信州地震M6.8 F 海外エネルギー関連 3件(原発情報、再生エネ情報、) G 省エネ 3件(節電、樹脂窓枠、 |
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<2015年4月> |
昨年11月、中日新聞の論説委員が原子力ムラのドンにインタビューした。題して「核のごみはどこへ行く?」冷静な議論の場が必要であった。
原子力ムラ住人の懺悔第2弾は日本の原子力行政を牛耳ってきた原子力のドンこと前原子力委員会委員長近藤駿介氏。【現、原子力発電環境整備機構(NUMO)の理事長】 さすが中日新聞、読者の期待に答える人物をよくぞ引きずり出してきた(*^^)v ただ、「間違いを犯した」、「負けた」などの懺悔とも言える弱気な発言が頻発されるなか、それでもなおかつ今まで自分がやってきたことをひけらかす(過酷事故管理の語源)図太さが気になる。いろいろ提言しても聞く耳待たない体質が見え隠れする。このような人が原子力ムラには腐るほどいるのかと思うと絶望してしまう。
神は原子核を操作することに警告している!
驚くべきは、近藤さんにはそれでもなおかつ原子力行政に携わりたい強い気持ちがある。 |
今月の言葉 |
3月は福島第1原発過酷事故から4年目となる。 @ 原発事故汚染地域から避難した人に対する生活問題 原子力規制委員会の田中委員長も”原発の恐ろしさを忘れるな”と関連各位に強く警告した。 これに対し、相変わらず強く反発するのはやはりというべきか、原発立地自治体の首長ほか為政者である。いつまでも被害者意識を持ち、何か言われると逆恨みする。 原発に頼らない街づくり実現のため住民一体となった発展的思考が欲しい。 |
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<2015年5月> |
「ものづくり」というと、製造業だけのように捕えられることが多い。 設備の不備(設計)、作業要領の不備、保全の不備など、作業環境は劣悪で、怪我人や死人が日常的に発生した。死人が出るような職場で働きたい人間などいるわけがない。 以来、工場経営の理念は「安全第1」へと変わった。会社のアチコチにこの4文字の看板を見ない工場などなかった。今ではこのような看板を掲げている工場はほとんど見なくなった。生産現場の「安全」は当り前のこととなったからである。 代わって「生産者の安全」だけではなく、「消費者の安全」すなわち、「品質第1」がものづくりの最重要課題となった。経営トップから現場作業者までのものづくりを”品質第1”という4文字で一貫する経営理念が生まれてきた。
品質第1という品質重視の理念が生まれて既に100年ほど経過しているが、現在でもまだまだ到底およばない。 そして、天災のごとく、忘れたころにやってくるのが原発事故だ。 フルMOXは技術屋としての私にとって、正直言って挑戦したい課題でもある。 原子力の暴走は自動車やガス器具や灯油ストーブのような一過性のリコール対応だけでは済まされない。原子力関係の技術者はこのことを肝に銘じ、知力・体力の限りを尽くして研究開発するよう切に願う。
報道では、今、日本で世界初の100%MOX燃料のプルサーマル発電を開発しようとしている。 |
今月の言葉 |
統一地方選挙が全国で吹き荒れた。やはりというべきか「原発」は争点にはならなかった。 大騒ぎしているのは一部の報道機関だけで、原発を立地している自治体は一日も早い再稼働を願っており、問題意識はゼロに近い。争点にしようものなら村八分になってしまう。 最近では裁判官も、なぜ?再稼働を差し止めしなければならないのだ!とばかりに同調するような勢いである。ことほど左様に原発は安全不安全がはっきりせず、関係する全ての者がその時その時で難しい判断、悩ましい決断をしなければならないのである。
原子力規制委員会の新基準といえども、委員長が自ら断言しているように「それでも100%安全とは言えない」ということから、何を信じてよいのやら分からず、一寸先は闇なのである。 結局、アレコレ考えても全てが無駄な事!さすれば、過ぎ去った悪夢は一日も早く忘れ、将来のことより、とにかく今の生活を良くしなければという思いが強くなるのである。 それでも何とかしなくては!と考える熱血漢が、ドローンを飛ばして原発再稼働の反対を直訴する。ラインやフェースブックなどの無責任な直接行動(直訴?)より、この方が余程、骨がある。 ただ、直訴というのはチョンマゲの時代では命がけであった。 今の時代”直訴”は成立するのであろうか!?! |
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<2015年6月> |
2年ほど前、「放射能除去装置」なるものの開発について報道された。 怖い原発ではなく脱原発のエネルギー技術を開発することが急務であることは自明の理であるが、既に存在する原発の事故対応はもとより、使用済み核燃料や寿命原発施設の処理技術も極めて重要な課題である。
制御不能になった原発(原子力発電の略称)は原爆(原子力爆弾の略称)と同じである。 うまく制御しても原子力からは排泄物が出る。これが厄介なもので、未だに真剣に取り組まれていないことは無責任極まりない。 世界を驚嘆させたトイレ革命”シャワートイレ”並みに世界を驚嘆させる”核トイレ”を開発したいものである。原子力ムラの住人もこの視点での取り組みにもっともっと力を入れ、原子力技術の総合力を高めて欲しい。ところで、「放射能除去装置」なるものは一体どうなっているのであろうか?是非、その後の開発状況を追跡して欲しい。
<付記> 全ての研究開発は”世のため人のためになってこそ”でなければならない。原子力技術の研究開発はこのことを忘れ、やみくもに”形”だけを作ってきたように思われる。事故の無いものを作ることは当り前であるが、これが極めて困難であることは、物作りをしてきた私でも不良品の撲滅が出来なかったことから理解できない訳ではない。 不良品(品質保証の失敗の結果)流出により生命や財産に影響が及べば製造物責任(PL問題)を問われる。しかし、製造物が良品であっても”使い方”に問題があれば同じく生命や財産に損害が発生する。 危機一髪、生命や財産の損害はなかった航空機事故(ボーイング787のバッテリー焼失問題)、JR北海道の鉄道事故(施設の保全不備不適で脱線)などが大事故につながらなったことは奇跡的であり、ただただ幸運だったことを喜びたい。 一般的にいかなる製造物も自然災害(地震、雷など)による損害はその限りではなく、原則、製造物提供者に責任はない。しかし、原子力製品に関しては品質(不良)問題、PL問題は無論のこと、自然災害の損害についても責任を負うべきである。それは事故による生命と財産に及ぼす影響が長期に亘るからである。 電力事業者および原発関連設備の製造業者や販売業者はこのことを肝に銘じ、受注から廃棄までのプロセスについて5W1Hにて責任を明確化し、これを「品質保証体系」として明示すべきである。 |
今月の言葉 |
2015年も早、半年が経過する。 年頭にエネルギーの使い方をさらに注意深く行うことを誓うとともに、報道についても”省エネ”にもっと関心を持って欲しいと願い、報道件数を積算してきた。しかし、実態は私の期待に反して1月3件以来5月までゼロ件であった。
2030年電源比率問題が取りざたされている。原発と再生エネの比率の1,2%の攻防で、多くの人間が膨大な税金を使って議論していることに呆れてものが言えない。 例えば、LEDに依る照明の電力削減は画期的であるが、このような技術を生活の隅々にまで普及させ、分子の削減を図るという目標を重要課題にすべきであり、結果としての電源構成比率を課題とするのは本末転倒ではないか。 @ 福島第1原発メルトダウン事故の総括>全電源喪失の記憶 A 新基準審査合格後の原発の再稼働 B 核のゴミ最終処分場 原発稼働は日本のみならず人類に禍根を残す最悪の決定であることを啓蒙し続けて欲しい。 |
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<2015年7月> |
昨年9月27日、35年ぶりの御嶽山噴火は突然のことでもあり、紅葉観覧でいっぱいの観光客を恐怖のどん底に落とした。死者行方不明者合わせて60人超えの被害が出た。火山国日本の面目躍如、これが日本国なのである。
現在の科学技術では地震や火山の噴火は予知できないという。 原子力によるエネルギー調達では原因は何であれ(自然災害、人為災害)重大事故が起これば、住環境が破壊され、命はあっても先人たちの生活の知恵が活用できない壊滅的な打撃を受けることもあるのである。 つまり、原子力災害となれば、裸一貫でやれることはあまり残っていないのである。 |
今月の言葉 |
6月は企業の中間決算であり、株主総会が一斉に始まった。アベノミクスで株価が上がり、何十年振りかの2万円超えで安定する勢いに日本中がフィーバーしているように見える。また、企業の業績向上が給与や求人にも反映されつつあり、中小零細は限定的なれど、明るいムードが漂っている。
ところが、電力各社は東日本大震災による福島第1原発事故以降今日まで、全原発を停止した政府方針に基づき原発以外の発電設備を総動員して電力供給してきた。我が町の火力発電所も老朽化を理由に随分前に閉鎖され、空き地には太陽光パネルが敷き詰められメガソーラーとして稼働している。 それにしても電力会社としては、今ある原発設備が何年も使えない状態にあることから、現状腐るほどある核燃料が使えず、新たに化石燃料を大量に追加手配しなければならない。 だからということなのか、 電力会社は原発事故を起こした東京電力を筆頭に、今ある原発を再稼働させようと、新たな安全基準に適合させるため、何千億円ものコストを掛けている工事費用が経営を圧迫しているとして、またそれを業績悪化の御旗にして、無配にしたり、無配ではないが配当金を激減させて平気の平左である。
電気ガス水道鉄道道路電信などのいわゆる公共事業体組織は、どうしても最後のところで甘えが出てしまう。つまり、いわゆる”お役所仕事”になってしまうのである。
株主総会では、「とにかく、原発を一日も早く解体して、後腐れなき国土にして欲しい」と、嘆願している。が、相手は何せ国営企業!わずかな民間株主が全員逆立ちしても叶う訳がない。 日本は世界でも有数の火山地震国であることに改めて思いをはせ、国家国民の安寧のためエネルギー政策の抜本的転換が急務であると考える。 |
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<2015年8月> |
原子力規制委員会は川内原発1,2号機に対し、昨年9月に「新基準」初の「適合」判定した。 ここに至るまでに全国規模の大きな再稼働反対運動がたくさん起こったが、結果は規制委の粛々とした審査の前に“犬の遠吠え“で終わった。
【簡単に「電力会社では火山監視は無理」などと言って欲しくない。たとえそうであったとしても火山大国日本には何十基もの原子力発電所があり、その一部には近くに噴火した実績のある火山がある。 その問いに答えられないなら規制委につまらない質問などするではない。 また、IAEAの火山評価ガイドを持ちだした東大地震研究所の中田節也教授の疑問は、それをそのままIAEAに問うべきである。「こんな有名無実の体制で責任ある評価が出来ると思っているのか」と。
地震大国、火山大国日本に原子力発電所が未来を保証してくれるとは思えない。 |
今月の思い |
新聞は丹念に見ているつもりであるが、今まではほとんど素通りしていた”読者の投稿”のなかに、原発やエネルギーに関する発言を見つけたので、改めて見直すと、若い人たちの投稿もかなり増えているようで、投稿欄の全面が若者限定になっている日もあった。 学校で原子力を学んだ学生は原子力の様々な問題点を知り、将来を按ずる気持ちを率直に表現して好感が持てる。しかし、今国会でもめている安保法案や集団的自衛権行使などのような、学校でも原子力のようには教えられていないきわめて政治色の強い 課題では、70年前、世界を相手に戦い敗れて国土が焦土と化すというような悲惨な戦争体験のない若者にはコメントさえできない。 今でも先の大戦の大義を語る人々がかなりいると聞く。彼らの声が最大化した時、事態は恐ろしい局面に突き進んでいく。原子力も天才物理学者が運悪く?!?見てはいけないものを見てしまったことがそもそもの出発点で、初めは小さな声であった。 しかし、この小さな声は多くの科学者の探究心に火を付けてしまった。 昔からのこの人生訓を今風に言い換えるなら、”地球のため人類のため”となる。 すべての地球人が自分の持てる力を自己満足ではなく、このような目的のために使って欲しいと心から願う。 |
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<2015年9月> |
原発立地自治体住民の一番長い日
扱い方が良く解らない原発を「問題ありません」と、だまして使ってきたが、3.11でバレテしまった。 このような様々な人間模様を見聞きするたびにやるせない気持ちになる。 |
今月の思い |
九州電力川内原発1号機が、福島第1原発メルトダウン事故以降、国内原発が全停止(大飯原発)して以来2年ぶりの8月11日に国内初の再稼働となった。途中、訳の分からないトラブルが発生し、1週間ほど予定が遅れ、31日出力100%のフル運転となった。
我が国にとって福島事故後、初の原発運転であり、世界中が注目している。 7月・8月は初の再稼働に対し、全国的に反対運動が活発だった。 アンケート対象者が再稼働反対する真意は、「福島でひどい事故が起きたので、とりあえず我が町に原発は要らない」と、表明しただけ!。原発立地自治体の住民にはこんなに反対者はいない。 立地自治体の懲りない浅はかさと、非立地自治体の脳天気な振る舞いは、無責任の極みであり、どんなに糾弾しても、しつくせるものではない。 |
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<2015年10月> |
それでも言い続けなければならない 「想定外」という曖昧ないい訳は民間ではほとんど起こらない。問題が発生し、そのことにより生命と財産に損害を与えた場合は「製造物責任」という補償義務が生じ、経営トップはその責任から逃れることは出来ない。 「想定外」という言葉は今やほとんどの官界および一部学界では問題発生の責任回避の常套手段になった感がある。先生も我慢ならずコラムに書いているが、これがどれほどの効果があるのか疑問だ。 そこで、先生の心中を察して、詩をしたためて見た。心よりお慰み申しあげます。 虚しいかな先生!「糠に釘」、「暖簾に腕押し」。それでも言い続けなければならない。 |
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今月の思い |
九州電力川内原発1号機が、9月11日営業運転に入った。と、途端に阿蘇山が噴火した(14日) 九州国民は度肝を抜いたのではと推察する。 原発が制御不能になったらどんなことが起こるか!それは4年半前の福島第1原発で十分に学習した。
幸い1週間ほどで小康状態となり、ホッと一息ついた。 ところで、9月は安倍政権の悲願でもある「安全保障法案」が民主主義の原理(多数決)で可決した。 「反安保」と合わせて安倍政権が積極推進する「脱原発」についてもデモ行進された。
「さようなら原発 さようなら戦争全国集会」の呼びかけ人の一人が「日本の責任ある人は絶対に責任を取ろうとしない。そんな政治が進んでいる。私たちがやらないで誰が政治を変えるのか」と息巻いている新聞記事を見た。この発言はまこと、天に唾するものである。 国民一人一人が自分の分身を選び、権限を与えた代議士が自分の意思と反した行動や言動を行った場合、即座に解任させることが出来ず、次の選挙まで待たなければならない。いままでずっと歯がゆい思いで政治?を見て来たが、稚拙の域から抜けだせない実態が続くことにいらだちを覚える。 |
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<2015年11月> |
三自の精神 トップの顔色ばかりうかがって御用聞きのごとく要領よく立ち回る単なる人材ではなく、”自立した”もしくは、自立できる人材である。 この言葉で思い出すのがキャノンの社是「3自の精神」である。奥の深い単語を3つ選び、社員はこれを目指して日々努力せよ!とハッパを掛ける。今でもりっぱに通用する創業者の思いがここにある。 @ 自発>自分の頭で考え、進んで発信せよ! ここに無いものとして、今回の「自立」があり、同義語の「自律」がある。これらを使わず「自覚」としたところが企業家なのだと思う。先生は”国費か、自力復興か”で、東北3県に背水の陣を敷けとエールを送っているのだと感じた。沖縄県も独立の気概が芽生えつつある。我が町も日本国からの独立を願っている。 |
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今月の思い |
福島第一原発の爆発事故により放射性物質で汚染された指定廃棄物の処分場建設が停滞している。
指定廃棄物は低レベルの放射性廃棄物ではあるが、一体何年くらい保管するのかよく解らず、この事が心配で反対している人も多いと思う。
不幸にも事故が起こってしまった。その処理には多くの地域の協力が必要なのである。
理想は事故発生場所の近くですべてを処理することである。多分、その地域は今後何十年間は人が住めないからである。汚染された廃棄物を遠くに運ぶことは望ましくない。
とすると、今福島県に散在している廃棄物の一部を移設できれば、空いた場所の生活環境が整備できる。 こういう時にこそ“おもいやり”とか“きずな”という言葉が必要ではないだろうか。 ところで、最近気になることが二つある。 一つは、年初から“省エネ”を促すよう報道側からの積極的取り組みを希望したが、現実は貧弱に終わりそうだ!原因は報道すべき価値のある省エネの題材不足とみた。 原子力ムラは表面には出てこないが、多分依然として盤石なのであろう!?脱原子力のエネルギ研究開発はゼロではないが、切実な問題にもかかわらず遅々として進んでいないように思える。 特に“官学”は報道から判断して乏しい状況だ。つまり省エネに消極的なのである。
“産”は生き残りをかけてエネルギー問題に取り組んでいる。しかし、“官学”との共同作業は微たるもの。
新しいエネルギー源の開発がそうそう簡単ではないことは分かる。しかし、ノーベル賞受賞ではないが地道にコツコツとした研究の樹にしか成果はみのらない。成功は“せんみっつ”とも言われる。
もう一つは、「労使関係の認識」についての厚労省の調査結果である。 最近の企業は国内競争時代が終焉してホッとする間もなくグローバル競争時代に突入し、どこも疲弊しきっていると思う。労使関係で見解が相違するのは双方に疑心暗鬼があるからである。この傾向は最近、特にひどい。 私が現役時代から始まった一部職種に関し、専門家の雇用流動を促進するための派遣社員制度が今や、ほとんどすべての職種に拡大してしまった。“企業は人なり“というが、私が現役時代は企業内教育で人材を人財に育ててきた。しかし、派遣制度によって企業が必要とする人材が入手できるようになり、社員教育の必要が減り、実質人材教育費の節減となった。結果として、この制度は人を物のように扱うことになってしまった。 さらにこの制度は発展し、挙句の果てに“非正規社員”というジャンルを新設して専門技能技術者だけでなく一般社員にまで及ぶことになり、実質派遣社員の大量導入を実現した。 私たちの時代では間違いなく、“企業トップの責任は従業員にどこよりも高い給料を支払うことである”と、理解していた。高い給料を払うことが出来る社長が優れたトップなのである。
人材を物のように動かす時代となった今、人件費を削減して収益を増大させようという企業が増えている。 すなわち、非正規社員の撤廃と、派遣社員の職種を高給の専門職だけに限定することである。 |
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<2015年12月> |
貧困政治よ! さようなら(@^^)/~~~!
原発立地自治体の首長は、それを伝家の宝刀のごとく振りかざし、周辺自治体の不安を他人ごとのようにあしらっている。原子力発電所に事故が起こった場合、その被害は広域に及ぶということを2011年3月11日に学んだはずなのに、である。
それにしても原子力の平和利用という奴は厄介なものである。 |
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今月の思い |
11月の中日新聞報道から気になる世相を考えてみたい。
@ 日本原燃>この組織の管理能力は異常で、特にトップマネージメントは最悪の様相である。 発覚しても今後十分気をつけますと、簡単に頭を下げ、再発防止を宣言するが、いつまでたっても実効がない。
にもかかわらず政府は、組織を組み替えて再生させようとしている。うまくいくとは思えないが、うまくいかなくても責任を取る必要がないので、当事者は気楽である。ひとまずこのような緩んだ組織は解体すべきである。 A 管理能力欠如と言えば、税金の使い方の良悪しをチェックしている、民間の”経理部”に相当する会計検査院が、大金をかけて設置した川内原発周辺の放射線監視装置(モニタリングポスト)が正しく使用されていないことを指摘した。国も地方の自治体もほとんどの現場を見ていない。見ても専門家でないと分からないことも多く、発見できないことがある。民間は基本的に現場重視の組織構成になっているので、ごまかしても発覚できる。 書類だけで動いていると、いつの間にかデータがを改ざんされたり、流用されたりする。 B 「生ゴミで発電 鍵は分別」は今日的になってきた課題だ! もしも、ここを乗り越えることが出来れば、ゴミは宝となる。無資源国日本が世界一の資源国になるのである。 2006年、私が自治区の長になった時、我が町は生ゴミの分別をスタートさせた。 半年後には啓蒙活動を兼ねて資源ごみの”プラ”と”紙”の分別がスタートした。 かくして10年が経過する。今では燃えるごみ(生ゴミ含む)の中に缶ビールの空き缶が入ることはないが、公序良俗欠落者が居なくなったわけではない。それでも少しずつ、ゴミを資源に変えていくという精神は定着してきた。(プラや紙は分かり易い所為もあって相当に再利用されている。その結果は毎月町の公報で報告されている) 当り前であるが、生活している限り、”廃棄物・排泄物”はなくならない。 C 「原発の街からデモに突撃取材」、「立地住民と深い対話を」
これは沖縄の米軍基地移設問題と同じである。首長の断固たる意思があれば何十年も続いた慣例が覆せるのである。自分たちにとって真の安心安全とは何か!をつきつめて、後は決断するしかないのである。
突撃取材もいいが、もっと根本的な問いかけを住民に行うべきだ。ヨソもんのデモがどんなに大きくなっても地元の住民の考えが変わらない限り今後も再稼働は続く。 |
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