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<2015年1月>

12月14日、2年ぶりの衆議院議員選挙があった。朝9:30頃、嫁さんと歩いて投票所に向かう。
既に投票を終えて帰宅途中の隣の夫婦に出会った。風が吹きすさび耳が痛いほどの冷たさがあった。
池の鴨ほか渡り鳥たちも池のほとりに茂る葦に身を寄せて、寒さを凌いでいるようだった。
この池にたくさん生息する、最早外来種ばかりなった亀たちは、とっくに地中に潜り、姿かたちもない。

投票所ではまず入口付近で役場の若い職員がテキパキと受付、投票用紙配布を行っていた。
奥の方に比例代表の投票用紙を配る人が居り、さらにその奥に国民投票の用紙を配る担当者が待機している。いずれも比較的若い人ばかりである。

しかし、我々夫婦ほか投票している人たちはそのほとんどが年配者ばかりであった。
今日は少し寒いが北陸・東北・北海道のように雪が降っているわけではない。選挙に出て来れないほどの道路事情ではないのになぜ若い人の姿が見えないのか不思議である。
国の行く末を危惧する一人として、国民としての権利を行使できる選挙に自分の主張を行使するのは当たり前だと思い、ただ今まで思い通りに行使できたことはほとんどないが、それでも国民の義務として責任を果たしてきた。

若者よ!自分の将来に関心があるなら、国の行く末を決める国政選挙で権利を行使して欲しい。
もし、『このような制度では何ともならない』と、考えるのなら、君たちの未来にとって望ましいと思われる制度に改革すべきである。行く末短い年寄りばかりでは、とても君たちが考える制度は生まれないと思う。


自民党政権は半世紀以上にも亘って原子力の安全神話を流布し、原発と関連施設の建設を推進してきた。原子力施設は過去にたびたび異常な事態を引き起こし、その都度言い訳しながら対処療法で過ごしてきた。不安ではあったが、致命的な事故ではなかったので今日まで大方が黙認されてきた。

しかしながらフクシマで致命的な原子力発電所事故が起こってしまった。想定外だった。想定外は殊更のものではなく、いつの世にもある極々普通の事柄だと思っている。私たちはその極々普通の想定外のなかで生きている。ところが、フクシマ事故では想定外が圧倒的に乱用され、想定外と言えば全てが許されるという雰囲気だった。
事故直後は日本の半分が壊滅する危機感を世界中が感じていた。しかし、その後最悪の事態を免れたことは想定外の幸運であった。しかし、これから先も引き続き、幸運の想定外を期待はできない。

それにしてもあれだけの事故を起こし、世界を震撼させたフクシマの恐怖が未だ冷めやらぬ時、それをもろともせずに再起動しようとする神経には呆れてものが言えない。為政者は朝聞夕改(過ちては改むるに憚ることなかれ)、過去の経験を生かして賢者になって欲しい。間違っても事故を再発させ想定外などと逃げ口上の愚者にならぬように!


宇宙から見る地球は青く、とても美しい。いや、美しく見える。
しかし、この中で生きている私たちは様々な災害に見舞われており、その姿の違いに困惑する。
 

私たちが受ける災害(災難)は大きく分けて三つあると思う。
天災(自然災)と人災と蹂躙災である。

まずは、それぞれの災難が具体的には何なのかを考えて欲しい。
そして、それぞれの災難が何を生みだすのかじっくり思案して欲しい。
私は想う!
天災は絆を生み、人災は悔恨を生み、
蹂躙災は怨恨の連鎖を生むと。

 

今月の言葉

今年は自然災害大国日本の本領を発揮した1年となった。
毎年恒例の風水災害(台風、大雨、洪水、土砂崩れ)に、大地の怒り「噴火と地震」が加わった。
我が日本は本当に恐ろしい国である。
しかし、それでも日本人は度重なる災害にも屈せず、2000年以上の歴史を生き抜いてきた。
この実績から、多分これからも自然災害には力強く立ち向かって行けると思う。

11月21日、安倍首相は衆議院を解散した。
最大の課題「経済政策」が思うように進んでいないことが引き金になっているが、ほかにも国防やエネルギーなど山積する国家の課題にどう取り組むべきか自信が無くなったから、民意を確認したいと考えたのではと思う。
就任以来2年、安倍旋風を吹き続けたが、課題ごとの成果では効果があるものの、課題間で発生する問題などが十分検討されていないことから、互いの政策が足を引っ張り合い、効果を減退させているように思われる。
「あれもこれも同時並行してやらねば日本国の再生はおぼつかない」という気持は理解できるが、あれもこれもできる能力がなければチャランポラン国家になってしまう。そこで、やみくもに突き進むのではなく、改めて課題のプライオリティと遂行能力ほかの要素をマトリックス解析する必要があると思う。

12月14日の衆議院総選挙で原発の再稼働がどう審判されるかたいへん楽しみである。
原発の是非は様々にアンケート調査されているが、総選挙の結果が最大のアンケート調査であると思う。
結果がどう出ようと、日本原子力委員会は 、現存する50基の原発の安全第一の処理方法を新しい総理大臣が意志決定出来るよう粛々と審査して欲しい。がんばろう規制委!

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2015年2月

原発のある町の政治倫理
原発が立地稼働してこれが常態化するとその地域には原発が生活の一部となり、なくてはならないものになってしまう。福島の原発が大地震の津波で電源喪失しメルトダウンした事実を目の当たりにしても、遠く離れた若狭湾では原発関連の仕事以外目立った収入源はなく、自分の生活を維持するため対岸の火事と決め込むしかないようだ。

自分たちが選んだ政治も機能せず、言いたいことのほとんどを言えない。
かくして立地住民は貝になってしまうのである。これが自由と民主の国家と言えるのであろうか!いや、原発という最悪のツールを導入してしまった帰結のように思う。自治体は総力を結集して民意を分断する源をできるだけ早く取り除くべきである。


昨年、除染目標の緩和に関する報道があった。
毎時0.23μS/hの現在値を毎時0.3〜0.6μS/hに緩めるというものであった。
これに関し、まずは確認しておくことがある。
水素爆発した福島第1原発の周辺地域が放射能汚染している事は紛れもない事実である。周辺住民の心痛は察して余りある。しかし、この事実を踏まえ「故郷の地を今後どうしていくのか」は、住民が考える大切な事柄である。
そのためにも今、自分たちが住んでいる場所がどの程度汚染されているのか?そして毎日毎日の自然界の変化でどのような影響を受け、汚染状況がどのように変わっているのか、などなど全ての事象を事実に基づいた生活環境の正確なデータとして把握する必要がある。憶測では的確な手を打つことはできない。

「広大な土地が汚染された!そんなことできるか!」などと否定せず事実をありのままに肯定して、正確なデータを採取すれば、必ず光(方策)が見えてくる。
一人ひとりが出来ることをまず実施しよう!健闘を祈る!

 

今月の言葉

衆院選挙は大方の予想通り与党の圧勝となった。
私は選挙権を得て50有余年、政権側には一度も組みせず、いつも反体制の姿勢を貫いてきた。
脱自民党を願って50有余年、初めて体制が変わったとき当然、直ちに新体制(与党)と決別した。
今回は復活した旧体制が再び支持されたが、過去において私の一票が一度たりとも私の思うようにはいっていないことだけは確かだ!これが民主主義だとするならば、何とも虚しい。

信任された安倍政権が哲人政治を敢行し、日本の国富を津々浦々にまで浸透させることが出来るなら主義主張をさておいて応援することもやぶさかではない。
私心に動くことなく、天下万民の幸せを実現すべく邁進して欲しいものだ。

現在停止中の原発50基の内、20基が新基準の適合審査を受けており、これまでに九州電力川内原発(鹿児島県)1,2号機が合格しており今月、関西電力高浜原発(福井県)3,4号機が合格し、再稼働の準備に入った。この後も多分、次々と審査合格する原発が出てくると思う。

ただ今後の審査では課題も多い。40年超え後も稼働させようと「特別点検」する高浜原発1,2号機、原発敷地内断層の有無を調査中の敦賀原発2号機・志賀原発2号機、建設中の世界初フルMOX燃料の大間原発など。そして、選挙結果が原発推進を実質承認したことから国民の総意に反して、立地住民の総意で再稼働を推し進めることは明白である。

新しい総理大臣に期待したいが、圧勝した勢いで審査結果の虚を付いた決断が出る可能性もある。
誤った意志決定が生まれないよう厳格に審査して欲しい。がんばろう規制委!

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2015年3月

吉田調書を忘れるな!
昨年9月、事故当時の指揮官吉田昌郎元所長(昨年7月死去)が政府の事故調査・検証委員会に語った聴取結果書、いわゆる「吉田調書」の全容が公開された。

この事に呼応したように、東電OBの宅間正夫さんは原子力の必要性についてインタビューに応じた。

やっとと言うべきか!吉田調書のインパクトであろうか?原子力ムラの当事者が表に出てきた。
安全神話でイケイケどんどんの原子力ではなくなった今、冷静に反省できる時機が到来した。
インタビューの中で原子力の必要性について率直に語る宅間氏の勇気に敬意を表したい。
願わくば、このような専門家が多数現れて欲しい。

のど元過ぎて、愚者になりかけた人間が増えているとき、この調書が伝える緊迫は我に帰る思いだ!死を覚悟する過酷な環境下で、最善策の決断を強いられた責任者の気概と経験を風化させることなく、今後に生かすことが生き残った私たちの使命と考える。

この原発事故を原子力全般の科学技術問題として、もっと根源的な議論をするよう期待する。
専門家は改めてこの研究を始めた頃の初心に帰り、虚心坦懐に原子力の将来を語って欲しい。

 
そして、世論とともに日本中が再稼働問題を議論することを期待する。


同じく昨年9月、川内原発の「審査合格」 に対し、中部から賛否の声が出た。

原発は地震大国日本には不要であることは自明の理ではある。が、原発の稼働可否を決めるのは政府と立地自治体であり、当該自治体ではない人間がいくら反対してもそれを止めることはできない。
名古屋で鹿児島県の原発反対を叫んで果たして意味があるのか?

そもそも、原発の稼働を賛否で決めること自体が馬鹿げている。これが民主主義だ!民主主義は多数決原理だ!とワイワイガヤガヤ騒いでいることが滑稽である。政府の人選(代議士選挙)と立地自治体の住民が賢くならない限り無駄な活動ではないかと考える。地元民でなくても強く関与できる方法はある。しかし、愚民国家ではその実現は夢のまた夢だ!

 

今月の言葉

新年にふさわしいエネルギー関連報道が多く見られ、正月休みを有意義に過ごすことが出来た。
これからのエネルギー問題を改めて考えることも出来た。

私たちの生活をより便利でより豊かにするためのエネルギーを水や空気のように無尽蔵にあるかのごとく扱うことは許されない。

一人ひとりが現在の使い方を厳しく見つめ、不適切なら自戒し、正さなければならない。
自らの反省を込めて、今年から如何にエネルギーの無駄使いを減らすか!
この事にもっと関心を持つべく、報道内容のキーワードとして、G省エネを追加し、無意識に使うことがないよう心したい。

@ 福島第1原発関連        20件(中間貯蔵施設問題、汚染水問題、原発作業員の事故多発)
A
 脱原発関連              5件(原発反対デモ、原発再稼働反対)
B
 福島以外の原発関連       19件(高浜原発特別点検、大間原発新基準審査ほか)
C
 原発以外のエネルギー関連   7件(再生エネ買取り制度見直し、発、LEDノーベル賞)
D
 その他原子力関連        12件(経産省の電気料金制度見直し)
E
 防災地震関連                         4件(11月トピックス>火山噴火「御嶽山・阿蘇山」、信州地震M6.8
F
 海外エネルギー関連        3件(原発情報、再生エネ情報、)
G
 省エネ                3件(節電、樹脂窓枠、

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2015年4月

昨年11月、中日新聞の論説委員が原子力ムラのドンにインタビューした。題して「核のごみはどこへ行く?」冷静な議論の場が必要であった。

原子力ムラ住人の懺悔第2弾は日本の原子力行政を牛耳ってきた原子力のドンこと前原子力委員会委員長近藤駿介氏。【現、原子力発電環境整備機構(NUMO)の理事長】
(第1弾は昨年9月>東電OB宅間正夫さん「吉田調書 」を語る<原子力必要か 議論の好機)

さすが中日新聞、読者の期待に答える人物をよくぞ引きずり出してきた(*^^)v
事故後4年、原発のメルトダウンという考えもしなかった事故に未だそのショックから抜け出せない苦悩の表情が一字一句から推察できる。安全神話を形成した張本人として今や語り尽くせないほどの反省と後悔が見える。

ただ、「間違いを犯した」、「負けた」などの懺悔とも言える弱気な発言が頻発されるなか、それでもなおかつ今まで自分がやってきたことをひけらかす(過酷事故管理の語源)図太さが気になる。いろいろ提言しても聞く耳待たない体質が見え隠れする。このような人が原子力ムラには腐るほどいるのかと思うと絶望してしまう。

神は原子核を操作することに警告している!
今、我が国の自然環境下に置いて、原子力発電所を安全正確に制御することはできていない。
そのことに思いをいたし、「冷静な議論の場が必要」などとのんきなことを言っている人に日本のエネルギー事業に関わり合って欲しくない。
それにしても元原子力ムラの住人(9月の東電OB宅間さん)を含め議論することの重要性を強調するが、それは懺悔であって最早彼らには実行できない夢なのではないか!なぜ事故が起きる前に議論しなかったのか?原子力ムラ以外からは多くの議論が出ていたはずなのに、それらを無視して突き進んできたのではないのか!

驚くべきは、近藤さんにはそれでもなおかつ原子力行政に携わりたい強い気持ちがある。
それはこの人から「脱原発」というニュアンスが見られないことである。
まだ原子力にしがみついている亡者が、いくら懺悔しても誰も信用しない!なのに、
それでも近藤さんは、新しい職場NUMOで自分の残り人生を賭けている。素晴らしいことではある。

今まで核の糞尿処理など、こんな汚い仕事は誰もが敬遠し、ほとんど進展もせずに、いたずらに国税を費消してきた。何をやってもゴミは出る。この事すらまともに取り組まない幼稚な原子力事業が正しく経営できるわけがない。どうか!自身の知見と人脈と原子力ムラからはじき出された専門家の協力を得て、40年近く稼働して溜まりに溜まった汚物の処理方法を見つけて欲しい。一代では無理なら後輩の育成に尽力し、後世に禍根を残さないでほしい。
 

今月の言葉

3月は福島第1原発過酷事故から4年目となる。
そのことで、原発事故後の総括とも思える特集記事が目白押しであった。

@ 原発事故汚染地域から避難した人に対する生活問題
A
 原発事故汚染地域の除染廃棄物の中間貯蔵施設の建設問題
B
 原発事故汚染水処理と、海洋への漏水問題
C
 事故原発と老朽化原発の廃炉問題
D
 新基準に合格した原発の再稼働問題
E
 脱原発、原発ゼロ集会の久々の盛り上がり
F
 核のゴミをどうするのか!に対する関心の高まり
G
 原発推進か!脱原発か!世界のエネルギ事情

今月は原発事故4年目と再稼働認定原発の決定が重なって、推進派・反対派の議論が活発に行われた
原子力規制委員会の田中委員長も原発の恐ろしさを忘れるなと関連各位に強く警告した。
これに対し、相変わらず強く反発するのはやはりというべきか、原発立地自治体の首長ほか為政者である。いつまでも被害者意識を持ち、何か言われると逆恨みする。
原発に頼らない街づくり実現のため住民一体となった発展的思考が欲しい。

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2015年5月

「ものづくり」というと、製造業だけのように捕えられることが多い。
しかし、電力も自動車やテレビやスマホと同じものづくりの一環である。
産業革命時代では人の命は軽んじられ、チャップリンの「モダンタイムス」ではないが、とにかく「生産第1」であった。巨大な生産システムの中にあって人間は非常にか弱い存在であ った。

設備の不備(設計)、作業要領の不備、保全の不備など、作業環境は劣悪で、怪我人や死人が日常的に発生した。死人が出るような職場で働きたい人間などいるわけがない。

以来、工場経営の理念は「安全第1」へと変わった。会社のアチコチにこの4文字の看板を見ない工場などなかった。今ではこのような看板を掲げている工場はほとんど見なくなった。
生産現場の「安全」は当り前のこととなったからである。

代わって「生産者の安全」だけではなく、「消費者の安全」すなわち、「品質第1」がものづくりの最重要課題となった。経営トップから現場作業者までのものづくりを品質第1という4文字で一貫する経営理念が生まれてきた。

品質第1という品質重視の理念が生まれて既に100年ほど経過しているが、現在でもまだまだ到底およばない。
例えば、日本だけでも、自動車や家電製品や光熱機器などのリコール、石油化学プラントや製鉄所の爆発火災など・・世界に目を転ずれば、その量は計り知れないものがある。

そして、天災のごとく、忘れたころにやってくるのが原発事故だ。
ものづくりの基本的理念に立ち返って、電力というものづくりを品質第1で取り組んで欲しいと切に願っている。


フルMOXは技術屋としての私にとって、正直言って挑戦したい課題でもある。
ただ、人類初の臨界成功から70年を過ぎようとしたその時に起こってしまった福島第一原発事故により、原子力技術はまだまだ未熟で、事態によっては制御できない状況に至る危険なものであることも分かった。

原子力の暴走は自動車やガス器具や灯油ストーブのような一過性のリコール対応だけでは済まされない。原子力関係の技術者はこのことを肝に銘じ、知力・体力の限りを尽くして研究開発するよう切に願う。

報道では、今、日本で世界初の100%MOX燃料のプルサーマル発電を開発しようとしている。
このことを、分かり易く解説して欲しい。そして国民一人ひとりが自分の考えで、この是非を問えるようにしたい。いたずらに危険ばかり吹聴する「オオカミ」にならないよう心したい。

 

今月の言葉

統一地方選挙が全国で吹き荒れた。やはりというべきか「原発」は争点にはならなかった。
当り前である!投票する選挙民が福島第1原発事故4年で原発の恐ろしさを風化させているから!
原発は事故があれば生きるか死ぬかの大問題であるが、何もなければ飛行機や自動車などの乗物事故より圧倒的に少ない。なので、大げさに騒ぐ方がおかしいことになる。

大騒ぎしているのは一部の報道機関だけで、原発を立地している自治体は一日も早い再稼働を願っており、問題意識はゼロに近い。争点にしようものなら村八分になってしまう。

最近では裁判官も、なぜ?再稼働を差し止めしなければならないのだ!とばかりに同調するような勢いである。ことほど左様に原発は安全不安全がはっきりせず、関係する全ての者がその時その時で難しい判断、悩ましい決断をしなければならないのである。

原子力規制委員会の新基準といえども、委員長が自ら断言しているように「それでも100%安全とは言えない」ということから、何を信じてよいのやら分からず、一寸先は闇なのである。
かくして原発に関しては、現在も事故が起こる4年前とほとんど変わらない状況にある。

結局、アレコレ考えても全てが無駄な事!さすれば、過ぎ去った悪夢は一日も早く忘れ、将来のことより、とにかく今の生活を良くしなければという思いが強くなるのである。

それでも何とかしなくては!と考える熱血漢が、ドローンを飛ばして原発再稼働の反対を直訴する。
ラインやフェースブックなどの無責任な直接行動(直訴?)より、この方が余程、骨がある。
ただ、直訴というのはチョンマゲの時代では命がけであった。
今の時代直訴は成立するのであろうか!?!

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2015年6月

2年ほど前、「放射能除去装置」なるものの開発について報道された。

怖い原発ではなく脱原発のエネルギー技術を開発することが急務であることは自明の理であるが、既に存在する原発の事故対応はもとより、使用済み核燃料や寿命原発施設の処理技術も極めて重要な課題である。

制御不能になった原発(原子力発電の略称)は原爆(原子力爆弾の略称)と同じである。
いや、原爆は制御しないものだった(_;)

うまく制御しても原子力からは排泄物が出る。これが厄介なもので、未だに真剣に取り組まれていないことは無責任極まりない。 

世界を驚嘆させたトイレ革命シャワートイレ並みに世界を驚嘆させる核トイレを開発したいものである。原子力ムラの住人もこの視点での取り組みにもっともっと力を入れ、原子力技術の総合力を高めて欲しい。ところで、「放射能除去装置」なるものは一体どうなっているのであろうか?是非、その後の開発状況を追跡して欲しい。

<付記>
東京電力福島第1原発のメルトダウン事故は原子力発電技術の未熟さが露呈した。特に地球の構造体特有の天災にはきわめて不十分なこともはっきりした。更に、「トイレの無いマンション」と云われている使った後の核燃料や核施設の処理技術などが未解決のまま先走っている。原発は私達の安心安全を確実に保障するための制御ができるのであろうか?

全ての研究開発は世のため人のためになってこそでなければならない。原子力技術の研究開発はこのことを忘れ、やみくもにだけを作ってきたように思われる。事故の無いものを作ることは当り前であるが、これが極めて困難であることは、物作りをしてきた私でも不良品の撲滅が出来なかったことから理解できない訳ではない。

不良品(品質保証の失敗の結果)流出により生命や財産に影響が及べば製造物責任(PL問題)を問われる。しかし、製造物が良品であっても使い方に問題があれば同じく生命や財産に損害が発生する。

危機一髪、生命や財産の損害はなかった航空機事故(ボーイング787のバッテリー焼失問題)、JR北海道の鉄道事故(施設の保全不備不適で脱線)などが大事故につながらなったことは奇跡的であり、ただただ幸運だったことを喜びたい。

一般的にいかなる製造物も自然災害(地震、雷など)による損害はその限りではなく、原則、製造物提供者に責任はない。しかし、原子力製品に関しては品質(不良)問題、PL問題は無論のこと、自然災害の損害についても責任を負うべきである。それは事故による生命と財産に及ぼす影響が長期に亘るからである。

電力事業者および原発関連設備の製造業者や販売業者はこのことを肝に銘じ、受注から廃棄までのプロセスについて5W1Hにて責任を明確化し、これを「品質保証体系」として明示すべきである。
 
今月の言葉
2015年も早、半年が経過する。
年頭にエネルギーの使い方をさらに注意深く行うことを誓うとともに、報道についても省エネにもっと関心を持って欲しいと願い、報道件数を積算してきた。しかし、実態は私の期待に反して1月3件以来5月までゼロ件であった。

2030年電源比率問題が取りざたされている。原発と再生エネの比率の1,2%の攻防で、多くの人間が膨大な税金を使って議論していることに呆れてものが言えない。
使用量のいい加減な予測を分子に、分母(必要量)を設定する方法では、何時まで経ってもエネルギーの有効利用は叶わない。

例えば、LEDに依る照明の電力削減は画期的であるが、このような技術を生活の隅々にまで普及させ、分子の削減を図るという目標を重要課題にすべきであり、結果としての電源構成比率を課題とするのは本末転倒ではないか。
この他にも、産業界はエネルギー消費量を減らす省エネ技術の開発にしのぎを削っている。
この事をもっと表面に出す努力「省エネの大キャンペーン」を報道関係者には期待したい。

報道関係に期待することとして以前、【問題点が発生したなら、その解決を見るまで、粘り強く報道し続けて欲しい】と、一過性の報道を強く否定したことがある。この発言が効を奏したのかどうか解らないが、少しづつ「報道のしつこさ」が出始めており、嬉しく思っている。5月の報道では例えば、
@
 福島第1原発メルトダウン事故の総括>全電源喪失の記憶
A
 新基準審査合格後の原発の再稼働
B
 核のゴミ最終処分場
原発稼働は日本のみならず人類に禍根を残す最悪の決定であることを啓蒙し続けて欲しい。

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2015年7月

昨年9月27日、35年ぶりの御嶽山噴火は突然のことでもあり、紅葉観覧でいっぱいの観光客を恐怖のどん底に落とした。死者行方不明者合わせて60人超えの被害が出た。火山国日本の面目躍如、これが日本国なのである。

現在の科学技術では地震や火山の噴火は予知できないという。
いつ、どこで、どのような、自然災害が起こるか分からない現実の中で私たち日本人は生きているのである。
先人達はこの事実を素直に受け留め、命さえあれば一時、裸一貫にはなるがそこから立ち上がって逞しく生きてきた。

だが、今は当時とは比べものにならないほどのエネルギーを必要としており、そのエネルギーを確保するために日本国にはふさわしくないエネルギー調達方法(原子力発電)が定着してしまい、ここから脱却できない政治経済体制になってしまった。
原子力によるエネルギー調達では原因は何であれ(自然災害、人為災害)重大事故が起これば、住環境が破壊され、命はあっても先人たちの生活の知恵が活用できない壊滅的な打撃を受けることもあるのである。

つまり、原子力災害となれば、裸一貫でやれることはあまり残っていないのである。
勤勉なわが日本国民なら、人為災害を克服することは可能かもしれない。しかし、残念なことに日本は人知を超えた災害が自然発生する国である。
このような危険をはらんだ国に生活環境が長期間破壊されるシステムは導入すべきではない。

 
今月の言葉
6月は企業の中間決算であり、株主総会が一斉に始まった。アベノミクスで株価が上がり、何十年振りかの2万円超えで安定する勢いに日本中がフィーバーしているように見える。また、企業の業績向上が給与や求人にも反映されつつあり、中小零細は限定的なれど、明るいムードが漂っている。

ところが、電力各社は東日本大震災による福島第1原発事故以降今日まで、全原発を停止した政府方針に基づき原発以外の発電設備を総動員して電力供給してきた。我が町の火力発電所も老朽化を理由に随分前に閉鎖され、空き地には太陽光パネルが敷き詰められメガソーラーとして稼働している。
最近、太陽光よりはるかに効率よく、安定した電力が供給できる最新鋭のコンバインドサイクル発電所に生まれ変わる計画が進んでいる。

それにしても電力会社としては、今ある原発設備が何年も使えない状態にあることから、現状腐るほどある核燃料が使えず、新たに化石燃料を大量に追加手配しなければならない。
足元見られて法外な高値を強いられたり、ほとんどが海外依存の燃料費の高低は経営の基盤を揺るがしかねないのである。
(ただ、発電に要した費用はすべて電気料金に上乗せするので電力会社は痛くもかゆくもないことは確かだが??????)

だからということなのか、 電力会社は原発事故を起こした東京電力を筆頭に、今ある原発を再稼働させようと、新たな安全基準に適合させるため、何千億円ものコストを掛けている工事費用が経営を圧迫しているとして、またそれを業績悪化の御旗にして、無配にしたり、無配ではないが配当金を激減させて平気の平左である。

電気ガス水道鉄道道路電信などのいわゆる公共事業体組織は、どうしても最後のところで甘えが出てしまう。つまり、いわゆるお役所仕事になってしまうのである。
この典型のひとつが、デフォルト真近い国家「ギリシャ」である。こんなことにならないよう真の民間事業体を増設鍛錬しなければならない。

株主総会では、「とにかく、原発を一日も早く解体して、後腐れなき国土にして欲しい」と、嘆願している。が、相手は何せ国営企業!わずかな民間株主が全員逆立ちしても叶う訳がない。
結局、すべての電力会社に提案された「脱原発」議案はすべて否決されてしまった。
政府と一体化した電力事業体は政府の方針が抜本的に変わらなければ変わらないのである。

ドイツなど一部ではあるが、脱原発に方向転換している国家もある。
日本は世界でも有数の火山地震国であることに改めて思いをはせ、国家国民の安寧のためエネルギー政策の抜本的転換が急務であると考える。

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2015年8月

原子力規制委員会は川内原発1,2号機に対し、昨年9月に「新基準」初の「適合」判定した。
以来8ヵ月、今年5月に保安規定など全ての再稼働審査が完了し、国内初の再稼働が決定した。
九州電力は8月の営業運転を目指して準備中である。
 

ここに至るまでに全国規模の大きな再稼働反対運動がたくさん起こったが、結果は規制委の粛々とした審査の前に“犬の遠吠え“で終わった。
川内原発の再稼働で大きな問題となったのは”巨大噴火“にどう対処するか!で、ここでも産学官の専門家の無責任な発言があった。今後、再稼働してからも天変地異への対処法を監視し続けるためにも、当時の<私見>を再掲して注意を怠ることのないようにしたい。

【簡単に「電力会社では火山監視は無理」などと言って欲しくない。たとえそうであったとしても火山大国日本には何十基もの原子力発電所があり、その一部には近くに噴火した実績のある火山がある。
規制委に対し、「当面は噴火が起きない」という判断の根拠を訊く火山専門家に対しては、「それじゃ、噴火がいつ起きるか教えてください」と逆に尋ねたい。

その問いに答えられないなら規制委につまらない質問などするではない。
いつ起こるか分からないから規制委は「当面は噴火しない」といったのであり、近いうちに噴火するなら教えてあげて欲しい。何のための専門家会合なのか大いに疑問である。

また、IAEAの火山評価ガイドを持ちだした東大地震研究所の中田節也教授の疑問は、それをそのままIAEAに問うべきである。「こんな有名無実の体制で責任ある評価が出来ると思っているのか」と。
これはIAEAの言い逃れにすぎない。

地震大国、火山大国日本に原子力発電所が未来を保証してくれるとは思えない。
IAEAの火山評価ガイドに記されている組織(電力会社、規制側、政府、観測所)の皆さんには、人の話にケチをつける前に、「自分ならこうやる」という発言とともに、具体的に行動して欲しい。
それとも、あなたも金目でしか動かないのですか?】

 

今月の思い

新聞は丹念に見ているつもりであるが、今まではほとんど素通りしていた読者の投稿のなかに、原発やエネルギーに関する発言を見つけたので、改めて見直すと、若い人たちの投稿もかなり増えているようで、投稿欄の全面が若者限定になっている日もあった。

学校で原子力を学んだ学生は原子力の様々な問題点を知り、将来を按ずる気持ちを率直に表現して好感が持てる。しかし、今国会でもめている安保法案や集団的自衛権行使などのような、学校でも原子力のようには教えられていないきわめて政治色の強い 課題では、70年前、世界を相手に戦い敗れて国土が焦土と化すというような悲惨な戦争体験のない若者にはコメントさえできない。

今でも先の大戦の大義を語る人々がかなりいると聞く。彼らの声が最大化した時、事態は恐ろしい局面に突き進んでいく。原子力も天才物理学者が運悪く?!?見てはいけないものを見てしまったことがそもそもの出発点で、初めは小さな声であった。

しかし、この小さな声は多くの科学者の探究心に火を付けてしまった。
物質の核心を追求することが如何に魅力的だったかは理解できるが、人間の欲求は結果が良くても悪くても、制御できてもできなくても突き進み、とめどもない。
とどのつまりが自己満足に終わり、何のためなのかがいつの間にか欠落して、自己矛盾に陥る。

何をやっても良いが、結果は世のため人のためにならなければならない。
昔からのこの人生訓を今風に言い換えるなら、地球のため人類のためとなる。
すべての地球人が自分の持てる力を自己満足ではなく、このような目的のために使って欲しいと心から願う。

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2015年9月

原発立地自治体住民の一番長い日
福島第1原発事故4年目の今年3月11日、再稼働をまじかに控えた原発立地自治体住民のあまりの脳天気振りに呆れてしまった。
福島第1原発事故は電力会社が経営の根幹である原発装置を正しく理解していないことが原因である。
この事は東京電力だけでなく原発を発電技術として導入している全ての電力会社に共通している。

扱い方が良く解らない原発を「問題ありません」と、だまして使ってきたが、3.11でバレテしまった。
にもかかわらず、立地自治体の住民はそのような事故などなかったかのように停止中の原発の再稼働を急いでいる。
原発事故の教訓から多くを学ばず、守銭奴になり下がった人たちは、アレコレ言い訳しているが、命と原発リスクを引き換えた事だけは確かである。守銭奴たちは覚悟の上であり、これでいいかもしれないが、なんの保障もない周辺の自治体はたまったものではない。今までは気にもしていなかったが、3.11以降は対岸の火事では済まされない。

このような様々な人間模様を見聞きするたびにやるせない気持ちになる。
最後は自分の利益だけ!ということか?!日本が世界に誇れるといわれる、人間としての崇高な精神構造、思いやりとかとか言うのは本当にあるのであろうか?!?。なんともやるせない!

 
今月の思い
九州電力川内原発1号機が、福島第1原発メルトダウン事故以降、国内原発が全停止(大飯原発)して以来2年ぶりの8月11日に国内初の再稼働となった。途中、訳の分からないトラブルが発生し、1週間ほど予定が遅れ、31日出力100%のフル運転となった。

我が国にとって福島事故後、初の原発運転であり、世界中が注目している。
なので、事は完璧をきす必要があった。が、些細なことで運転につまずいてしまった。
九州電力は栄誉ある原子力発電の再開という国家的プロジェクトに対する自覚がない。
今回のトラブルが蟻の一穴にならないことを願うばかりである。

7月・8月は初の再稼働に対し、全国的に反対運動が活発だった。
立地自治体以外の新聞社が川内原発から遠く離れた地域の住民に、この再稼働をどう思うか、というアンケート調査を行ったところ75%の人が反対と答えた。
予てから言っているように、このようなアンケートはほとんど何の意味もない。
原発非立地住民にとって原発は、対岸の火事であり、真剣に考えるような問題ではない。

アンケート対象者が再稼働反対する真意は、「福島でひどい事故が起きたので、とりあえず我が町に原発は要らない」と、表明しただけ!。原発立地自治体の住民にはこんなに反対者はいない。
なぜか?!言わずもがなである!原発は地域の財政を左右しているからである。

福島原発事故以降に行われた多くの地方・国政選挙で、脱原発を公約として掲げた候補者を当選させず、原発推進政党候補者を当選させた選挙民に再稼働反対を語る資格は無い。
立地自治体の懲りない浅はかさと、非立地自治体の脳天気な振る舞いは、無責任の極みであり、どんなに糾弾しても、しつくせるものではない。

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2015年10月

それでも言い続けなければならない
今年4月に尊敬する某大学教授が福島の原発事故以来、安易に使われている「想定外」という言葉に警鐘を鳴らしていた。

「想定外」という曖昧ないい訳は民間ではほとんど起こらない。問題が発生し、そのことにより生命と財産に損害を与えた場合は「製造物責任」という補償義務が生じ、経営トップはその責任から逃れることは出来ない。

「想定外」という言葉は今やほとんどの官界および一部学界では問題発生の責任回避の常套手段になった感がある。先生も我慢ならずコラムに書いているが、これがどれほどの効果があるのか疑問だ。

そこで、先生の心中を察して、詩をしたためて見た。心よりお慰み申しあげます。 

 虚しいかな先生!「糠に釘」、「暖簾に腕押し」。それでも言い続けなければならない。
 
憤懣やるかたなき叶わぬ責任の所在。それでも言い続けなければならない。
 
犬の遠吠えとしか言いようがない。それでも言い続けなければならない。
 
日本人であることを放棄したいほどのやるせなさ。それでも言い続けなければならない。


今月の思い
九州電力川内原発1号機が、9月11日営業運転に入った。と、途端に阿蘇山が噴火した(14日)
九州国民は度肝を抜いたのではと推察する。
原発が制御不能になったらどんなことが起こるか!それは4年半前の福島第1原発で十分に学習した。

幸い1週間ほどで小康状態となり、ホッと一息ついた。
この後、川内原発では10月再稼働を目指して2号機の調整が進んでいるが、なんだか落ち着かない。
それもそのはず、今年に入って阿蘇から桜島、口永良部島まで直線的に配置する活火山が活発に噴火しているからだ。
火山学者といえども地底の様子など皆目見当がつかない。成るようにしかならない自然現象にただただうろたえるばかりで、なんの助けにもならない。再び、阿蘇ー桜島ー口永良部島が連動噴火したらどうなるのであろうか?
近いうちに70%以上の確率で起こるであろう東海、東南海、南海の連動もありうる大地震のような事態が火山の噴火で起こるということも考えられる。
ほとんど想定外のことなので、今更じたばたしてもどうにもならないのではあるが、原子炉を停止させ、核燃料が静かに眠っておれば最悪の事態は回避できる。

ところで、9月は安倍政権の悲願でもある「安全保障法案」が民主主義の原理(多数決)で可決した。
この法案に対し、日本中で反対運動が繰り広げられたが、結果は無駄に終わった。
ただ、1960年代の日米安保反対闘争デモで街頭をジグザグ行進したあの時を思い出した。
50年後に再び安保闘争が起こるとは思ってもいなかったが、久しぶりに日本中の老若男女が抗議デモに参加し、ジグザグデモこそなかったが、時の政権に対し反対の意志だけは示したと思う。

「反安保」と合わせて安倍政権が積極推進する「脱原発」についてもデモ行進された。
しかし、これらは政権に対し何の変化ももたらさなかった。粛々と筋書き通り進み、数の力で成立遂行している。日本国は多数決が民主主義だと勘違いしている。この事は50年前から変わっていない。

「さようなら原発 さようなら戦争全国集会」の呼びかけ人の一人が「日本の責任ある人は絶対に責任を取ろうとしない。そんな政治が進んでいる。私たちがやらないで誰が政治を変えるのか」と息巻いている新聞記事を見た。この発言はまこと、天に唾するものである。
そのような政治家を選出したのはいったい誰なのか!ひょっとしてあなたではないのか!選んだ責任はないのか!いい加減な人間を選んでおいてあとで文句言っても遅いのである。

国民一人一人が自分の分身を選び、権限を与えた代議士が自分の意思と反した行動や言動を行った場合、即座に解任させることが出来ず、次の選挙まで待たなければならない。いままでずっと歯がゆい思いで政治?を見て来たが、稚拙の域から抜けだせない実態が続くことにいらだちを覚える。

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2015年11月

三自の精神
6月の記事で尊敬する某大学教授の嘆きを聞き、応援したくなった。
それは、「自立」という文言を久しぶりに見て、企業戦士だった頃を思い出したからだ。
言うまでもなく、企業は一にも二にも人財を求める。

トップの顔色ばかりうかがって御用聞きのごとく要領よく立ち回る単なる人材ではなく、”自立した”もしくは、自立できる人材である。
彼らはいづれ企業にとってなくてはならない財産となり、企業のみならず社会・国家の発展に貢献する人財となる。このような自ら考える人間こそがいつの時代にも求められているが、なかなかかなわない。

この言葉で思い出すのがキャノンの社是「3自の精神」である。奥の深い単語を3つ選び、社員はこれを目指して日々努力せよ!とハッパを掛ける。今でもりっぱに通用する創業者の思いがここにある。

@ 自発>自分の頭で考え、進んで発信せよ!
A
 自治>自分の行動と言動は自分で責任を持て!
B
 自覚>自分自身で物事の良し悪しを判断せよ!

ここに無いものとして、今回の「自立」があり、同義語の「自律」がある。これらを使わず「自覚」としたところが企業家なのだと思う。先生は国費か、自力復興かで、東北3県に背水の陣を敷けとエールを送っているのだと感じた。沖縄県も独立の気概が芽生えつつある。我が町も日本国からの独立を願っている。
それが自立の意味だと思う。


今月の思い

福島第一原発の爆発事故により放射性物質で汚染された指定廃棄物の処分場建設が停滞している。

指定廃棄物は低レベルの放射性廃棄物ではあるが、一体何年くらい保管するのかよく解らず、この事が心配で反対している人も多いと思う。
しかし、この廃棄物を福島県以外の他県(宮城、栃木、千葉、茨城、群馬)に持ち込もうということで地元は猛烈に反対している。事故が起こる前までは、反対住民が使っていた電気は福島県で発電したものであったろう。
彼らの生活は福島原発の恩恵を受けていたはずだ。

不幸にも事故が起こってしまった。その処理には多くの地域の協力が必要なのである。
しかし、そのことをコロッと横に置いて、非協力的態度となる。クレーマーの最たるものである。

理想は事故発生場所の近くですべてを処理することである。多分、その地域は今後何十年間は人が住めないからである。汚染された廃棄物を遠くに運ぶことは望ましくない。
ただ、低レベル汚染廃棄物なら大量の汚染廃棄物を分散保管しても左程の危険はない。

とすると、今福島県に散在している廃棄物の一部を移設できれば、空いた場所の生活環境が整備できる。
避難生活者の一日も早い帰還を目指すことを考えれば、協力できることはあると思う。

こういう時にこそ“おもいやり”とか“きずな”という言葉が必要ではないだろうか。


ところで、最近気になることが二つある。

一つは、年初から“省エネ”を促すよう報道側からの積極的取り組みを希望したが、現実は貧弱に終わりそうだ!原因は報道すべき価値のある省エネの題材不足とみた。

原子力ムラは表面には出てこないが、多分依然として盤石なのであろう!?脱原子力のエネルギ研究開発はゼロではないが、切実な問題にもかかわらず遅々として進んでいないように思える。

特に“官学”は報道から判断して乏しい状況だ。つまり省エネに消極的なのである。

“産”は生き残りをかけてエネルギー問題に取り組んでいる。しかし、“官学”との共同作業は微たるもの。
所轄の省庁がもっと積極的になることを期待する。

新しいエネルギー源の開発がそうそう簡単ではないことは分かる。しかし、ノーベル賞受賞ではないが地道にコツコツとした研究の樹にしか成果はみのらない。成功は“せんみっつ”とも言われる。
かくしてエネルギー問題は国家の威信をかけた取り組みが必要なのである。

もう一つは、「労使関係の認識」についての厚労省の調査結果である。
企業側は86.9%が“労使関係は安定している”と言い、片や労働者は55.1%であった。

最近の企業は国内競争時代が終焉してホッとする間もなくグローバル競争時代に突入し、どこも疲弊しきっていると思う。労使関係で見解が相違するのは双方に疑心暗鬼があるからである。この傾向は最近、特にひどい。

私が現役時代から始まった一部職種に関し、専門家の雇用流動を促進するための派遣社員制度が今や、ほとんどすべての職種に拡大してしまった。“企業は人なり“というが、私が現役時代は企業内教育で人材を人財に育ててきた。しかし、派遣制度によって企業が必要とする人材が入手できるようになり、社員教育の必要が減り、実質人材教育費の節減となった。結果として、この制度は人を物のように扱うことになってしまった。

さらにこの制度は発展し、挙句の果てに“非正規社員”というジャンルを新設して専門技能技術者だけでなく一般社員にまで及ぶことになり、実質派遣社員の大量導入を実現した。 

私たちの時代では間違いなく、“企業トップの責任は従業員にどこよりも高い給料を支払うことである”と、理解していた。高い給料を払うことが出来る社長が優れたトップなのである。

人材を物のように動かす時代となった今、人件費を削減して収益を増大させようという企業が増えている。
実質賃金を下げよう下げようと日夜考えているような企業(所謂、ブラック企業)は絶対に“世のため人のため”にならない。
 労使関係を改善するためにも、雇用関係を振り出しに戻す必要がある。

すなわち、非正規社員の撤廃と、派遣社員の職種を高給の専門職だけに限定することである。

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2015年12月

貧困政治よ! さようなら(@^^)/~~~!
6月、中部圏知事会議が開催された。この時、原発のある自治体とない自治体で意見が対立した。

原発立地自治体の首長は、それを伝家の宝刀のごとく振りかざし、周辺自治体の不安を他人ごとのようにあしらっている。原子力発電所に事故が起こった場合、その被害は広域に及ぶということを2011年3月11日に学んだはずなのに、である。
危険な道具を持ってしまったところと、その道具の働きを享受しているところ、とでは不安の度合いが圧倒的に違うとでも言いたいのであろうか!
原子力が危険な道具であることを知ってしまった以上、この拡散に歯止めをかけなくてどうするのだ!
また、立地自治体は加害者、周辺自治体は被害者という構図で議論していても前進はない。
中部圏だけにとどまらず、全ての自治体は自らの安全安心について根本的に考え直す必要がある。

それにしても原子力の平和利用という奴は厄介なものである。
これ以上前には進めず、さりとて後ずさりもかなわない。まっこと!厄介である!
知事さんたちは、こんな厄介から一刻も早く抜け出したい、とは思わないのであろうか?


今月の思い
11月の中日新聞報道から気になる世相を考えてみたい。

@ 日本原燃>この組織の管理能力は異常で、特にトップマネージメントは最悪の様相である。
不足ならば救いようもあるが”欠落”しているとすればトップ交代はもとより組織の刷新が必要となる。
トップがこの体たらくでは異常情報の公開も不十分で、こちらが黙っていると、これ幸いとひたすら隠し通す。

発覚しても今後十分気をつけますと、簡単に頭を下げ、再発防止を宣言するが、いつまでたっても実効がない。
この組織は経営の日常そのものが想定外の連続で自力で管理出来る体制になっていない。と、思う。
政府はこの組織をとても甘やかしてきた。気が付いた時にはどうにもならないところまで来てしまった。
政府も組織も資金(税金)を無駄にしてきたという罪の意識があまり見られない。
資金を汗水流して稼いでいる民間では考えられないルーズさである。

にもかかわらず政府は、組織を組み替えて再生させようとしている。うまくいくとは思えないが、うまくいかなくても責任を取る必要がないので、当事者は気楽である。ひとまずこのような緩んだ組織は解体すべきである。
また、我が国の開発能力がここまでであるならば、ひとまず撤退すべきである。

A 管理能力欠如と言えば、税金の使い方の良悪しをチェックしている、民間の”経理部”に相当する会計検査院が、大金をかけて設置した川内原発周辺の放射線監視装置(モニタリングポスト)が正しく使用されていないことを指摘した。国も地方の自治体もほとんどの現場を見ていない。見ても専門家でないと分からないことも多く、発見できないことがある。民間は基本的に現場重視の組織構成になっているので、ごまかしても発覚できる。

書類だけで動いていると、いつの間にかデータがを改ざんされたり、流用されたりする。
これが”組織ぐるみ”となれば”隠ぺい”が加わり、最悪の事態を招く。
民間なら倒産している事態でも、官なら免れる。自治体の首長はこの甘さを払しょくする自戒が必要。

B 「生ゴミで発電 鍵は分別」は今日的になってきた課題だ!
日本は命を支える水と空気は無尽蔵に近いが、近代文明を支える資源をほとんど持たない国になってしまった。
今の生活を継続するためには日本は「なんでも資源化」が一大命題である。
物を大切に使い、最後まで使い切り、これ以上使えないとなった時、廃棄の仕方が重要となる。
単に燃やしたり、埋めたりだけでは廃棄物の有効活用とは言えない。廃棄物の素材の特性を生かした活用法を考えなければならないが、有効活用で大切なことは、廃棄物の有機・無機を出来るだけ正確に分別することである。この精度が高ければ高いほど資源化コストが安くなる。しかしながら廃棄物すなわちゴミは汚いものということで粗雑に扱われ、分別が徹底できないということも事実である。

もしも、ここを乗り越えることが出来れば、ゴミは宝となる。無資源国日本が世界一の資源国になるのである。
しかし、現実には正確な分別は不可能に近い。だからと言って目の前の無尽蔵な資源を見逃すのはもったいない。このジレンマは日本人の”勤勉さ” ”探究心” ”使命感” などの精神構造で克服できるものであると確信しているが、一朝一夕では成し得ない。

2006年、私が自治区の長になった時、我が町は生ゴミの分別をスタートさせた。
区長としてこの事業に意義を感じ、必死に区民を啓発した。
ゴミ集積所も住民の意見の希望を聞きながら、町と調整して改良や移転を行った。
しかし、ゴミの出し方はムチャクチャであった。制度の不備もあった、運営も試行錯誤であった。
不適切なゴミ集積所ではその周辺家庭を1軒1軒回って協力要請もした。なかなか徹底できず、制度に対するテロ行為は半年以上続いた。
日本人の優れた精神構造 ”公序良俗” はどこへ行ってしまったのか?!?毎日悩んだものであった。

半年後には啓蒙活動を兼ねて資源ごみの”プラ”と”紙”の分別がスタートした。

かくして10年が経過する。今では燃えるごみ(生ゴミ含む)の中に缶ビールの空き缶が入ることはないが、公序良俗欠落者が居なくなったわけではない。それでも少しずつ、ゴミを資源に変えていくという精神は定着してきた。(プラや紙は分かり易い所為もあって相当に再利用されている。その結果は毎月町の公報で報告されている)

当り前であるが、生活している限り、”廃棄物・排泄物”はなくならない。
なので、これらは忌み嫌うべきものではない!日本国が欲している資源と考えることが大切だ!

C 「原発の街からデモに突撃取材」、「立地住民と深い対話を」
問題は、福島の事故が起きた後でも、まだ対岸の火事を決め込む立地自治体があるということだ!

これまで建設してきた54基の原発は過酷事故の危険をひた隠して、国家政策で推進してきたもので、立地自治体の意思ではない。(ただ立地に際し相当の飴がもたらされた)
しかし、フクシマがあってからは立地自治体は根本的に考えを変えなければならないはずだ。
なのに、煮え切らない態度を続けているから、国は姑息で優柔不断な対案を出してくるのだ。

これは沖縄の米軍基地移設問題と同じである。首長の断固たる意思があれば何十年も続いた慣例が覆せるのである。自分たちにとって真の安心安全とは何か!をつきつめて、後は決断するしかないのである。
住民が優柔不断なら相手もその手に乗ってくるだけである。

突撃取材もいいが、もっと根本的な問いかけを住民に行うべきだ。ヨソもんのデモがどんなに大きくなっても地元の住民の考えが変わらない限り今後も再稼働は続く。
そもそも原発は地震火山大国日本では危険装置である。もっともっと、原子力の怖さを啓蒙すべきだ!

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