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<2014年1月>

謹んで新春のお慶びを申し上げます。
そこで一句、「めでたさも だんだんなりし おらが初春」 
萬茶

祝賀と言えば、昨年、東京五輪の開催が決まり祝賀ムード一色となった。
 
国際オリンピック委員会総会で安倍晋三首相は福島第1原発は「コントロールされている」と、強調したが、汚染水漏れとその海洋流出が続く現実において、原発事故が続いていることを忘れてはならない。 

ところで、ムード(雰囲気)ほど恐ろしいものはない。ナチスしかり、大日本帝国しかりである。
そして、ムードを高揚させる媒体はどちらも「国民」であった。勿論、ムードメーカーは存在する。
ヒットラーであり、帝国主義である。

崇高な理想を持つも、いつしかムードに流され理想から逸脱してしまう。逸脱に気がついても最早留まる事が出来ない。なぜなら熱狂化したムードはそれを打ち消そうとするムードを押し潰すからである。

「もの言えぬ雰囲気」、これを繰り返すのが我が日本であり、脱原発に切り替えたドイツやイランの化学兵器使用に軍事制裁を与えようとしたアメリカの立ち止まりはどちらも国民の良きムードであった。
見習いたいものである。


私は新生組織「原子力規制委員会」はよくやっていると思う。
報道関係の中に【後手後手の規制委】と簡単に切り捨てるところがあるが、いま立地している原発50基はとっくの昔に建設されたものであり、後手後手になるのは当然だ。

施設が規制委のものであれば立地調査や運転管理のためのデータを自ら収集できるが、原子力発電所は電力会社の所有物である。運転は電力会社が仕事として日常管理されていなくてはならない。ところがそれが出来ていないのが現状だ。規制委の最大の仕事は原発施設の日常管理が確実に行われるよう電力会社の管理体制を点検指導することだと思う。

電力会社がやらないからといって、自分がシャシャリ出てしまえば電力組織は成り立たない。
規制委は出来の悪い我が子でもじっと耐えて一人前にする義務と責任があるのである。

12月のトピックス>詳細はこちら

5年使ったデスクトップPC(WinXP)のHDDが突然止まった。
2014年4月に通信回線を外し、ホームページの更新はいままで通りデスクトップのXPを使うつもりでいた。データのアップロードはWin8コンパチブルPCで行おうと3月に導入し、学習してきた。

しかし、頼みのXPデスクトップが使えなくなって本当に困った。コンパチブルPCのディスプレーは12.5ワイドとは言うもののデスクトップの代用にはならない。そこで、急きょDellに相談。Win7プロなら仮想XPモードのプリインストールバージョンがあるとのサポートあり。
これは、Win7のデスクトップの中にXPのデスクトップを仮想設定させ、XPアプリをこの仮想デスクトップで起動させるものである。これは素晴らしい!XPへの移行が遅れそうなユーザーのための緊急処置のようである。

かくして今年はWin8とWin7の2台のパソコンを購入こととなり、出費は久方ぶりの20万円超えとなった。
来年は付き合いなども控え、緊縮生活を覚悟しなければならない(~_~;)

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2014年2月

我慢ならん!
 
2008年度の公益法人制度改革を受け、公益法人から一般法人に移行した七つの原発関連法人のうち、5つの団体で情報公開が後退した。
一般法人に移行する理由>公益法人より情報開示(決算書などの内容)が少なくて済む。

官庁は一方で民間企業を締付け、一方で官庁企業(公益法人)を緩めている。官庁族は自分たちの天下り先の会計制度を緩くして組織運営し易くできるよう着々と布石を打っている。
 
内閣府は政府が支出を厳しくチェックしていると言うが、内閣府も同じ穴のムジナだ!「問題はない」という厚顔無恥な発言は我慢がならない。


何度も言うが、日本が世界でも稀に見る地震大国であることを忘れてはいけない。
原子力施設に過酷事故が起きればその被害は図り知れないものである事は福島の事故が証明している。それでもなおかつ、「最新の設備なら大丈夫!」などと推し進めようとする人々がいる。
彼らは巨大な運命共同体組織「原子力ムラ」に所属し、これまでに原子力関連研究開発に莫大な金を費消してきた。これからも継続して原資を確保するため、今までの実績を放棄するわけにはいかない。 

かくして、原発稼働是非の前に真剣に考えなくてはならない「事故発生時の対応」とか「核のゴミ問題」などが放置され、リスクが管理されない無責任な体制が構築されつつある。今からでも遅くはない、利益集団「原子力ムラ」に期待せず、原発に頼らないエネルギー供給体制を築くべく立ち上がるべきである。

阿倍首相の「原発技術は放棄しない」発言は当然のことであり、理解できる。
54基もの原発を地震大国日本に設置した責任は自由民主党にあり、これを無事故で完全廃棄するまでは関連技術の研究開発を続けなければならないからだ。
しかし、だからと言って原発の新規増設をしても良いと言うことではない。地震大国日本には2011.3.11の東日本大地震よりもっと大きな地震が近々起こる可能性があり、その被害はとても想定出来るものではない。

自民党は原発を作った責任を果たすべく、廃炉にむけて粛々と行動すべきである。
それが衆参両院で過半数の議席を国民から与えられた意味であると理解しなければならない。

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2014年3月

昨年末、政府は東京電力福島第一原発事故の復興指針で、被ばく線量の測定方法を従来の空間線量を基にした推定から個人に線量計を携帯させて実測する方法に見直そうとした。
メリットは暮らしぶりで被ばく線量が異なり、生活に密着した細やかな対応ができるというものであったが、先行実施している福島県伊達市では家の中に線量計を置きっぱなしにしているケースが多発、実際の行動とは大きく異なっていることが判明した。
 

このような話を聞くたびに、なんともやるせない気持ちになる。
特に原発事故関連では原子力ムラを筆頭にうんざりするほどである。なぜなんだろう!?
良かれと思ってやろうとしていることが、なぜ?期待したように運ばないのか?

このあたりの行き違いは日本社会では日常的なものになっているように思う。
生活実態に即した正確なデータを得ようとしたのに、なぜ本来の趣旨から外れてしまったのか?
測定依頼者は測定者に分かるように十分に説明(趣旨、機器の取り扱い要領など)したのであろうか?
要請を受けた住民(測定者)はその説明を十分理解したのであろうか?
十分に説明されたにもかかわらず協力しなかったのであればあまりに無関心無責任である。
しかし、十分説明したつもりでも理解されていなかったとも思える。
昔から、聞き手の間違い、言い手の粗相という!依頼者は実施状況を点検すべきであろう。

山本五十六ではないが、やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじである。
これとはずっと前に日本に伝えられた、この言葉と意を一にする人材教育理念がある。
それはTWIのJI教え方の4段階である。
私は企業でこれを導入し、指導する立場の社員(直接・間接)全員を教育した。
その要旨を以下に記す。

第1段階−習う準備をさせる
気楽にさせる、何の作業をやるかを話す、その作業について知っている程度を確かめる、作業を覚えたい気持ちにさせる、正しい位置につかせる。

第2段階−作業を説明する
主なステップを一つずつ言って聞かせ、やって見せ、書いて見せ、急所を強調する
はっきりと、ぬかりなく、根気よく、理解する能力以上に強いない。

第3段階−やらせてみる
やらせてみて−間違いを直す、やらせながら−作業を説明させる、もう一度やらせながら−急所を言わせる、
分かったとわかるまで確かめる

第4段階−教えたあとを見る
仕事につかせる、分からぬときは聞く人を決めておく、たびたび調べる、質問するようにしむける、だんだん指導を減らしていく

そして、最終的に 相手が覚えていないのは自分が教えなかったのだ と、指導者としての責任を問う。

型通りの説明で、相手が理解したかどうかの確認(教えたあとを見る>データ取りの実施状況)こともなく、でたらめな結果を満足そうに眺めているようでは話にならない。これが企業ならとっくに倒産している。

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2014年4月

脱原発の声も中だるみ気味である。
 
とはいうものの原発事故による被災は過去に2例(スリーマイル、チェルノブイリ)しかなく、しかも2例とも事故後間もない(スリーマイル1979年>32年前、チェルノブイリ1986年>25年前)ことから事故処理の知見も限られる。

そのような状況にあって、住環境と住民の安全と安心を確保することがいかに困難なことであるか!
脱原発は被災地に留まらず、国民全ての願いではあるが、現実に被ばくの恐怖にさらされている人々のなんと多いことか。このような状態がこの先100年近くも続くのであるから、その苦痛は計り知れないものとなる。
 
原発事故の恐ろしさを改めて思い知ると同時に、なんとしても原発ゼロを目指して行かなければと思う。

ところが、IAEAを筆頭に原子力ムラの住人は「福島の事故はとても軽いもので心配には当たらない」などと気休めの言葉で被災者をごまかしているように思う。
メルトダウンした福島原発がこの程度で治まったとすれば、それは幸運だっただけと思わなければいけない。
3年前の水素爆発時点では日本全体が汚染されてしまうのではないかと、世界が戦慄したはずである。
しかし、チェルノブイリのようにならなかったのは、ただただ神仏のご加護だと思うしかないのである。

そのことを忘れ、現実の平穏さに乗じて、原子力を肯定する輩がゾロゾロと闇から這い出してきた。

原子力ムラがいまやるべきことは、
 
@ 制御困難な原子力を否定し、制御容易なエネルギー源を見つけること、
 
A 事故原発はもとより、原子力関連施設の安全な廃棄のため、持てる知見を結集すること、
 
ではないのか。

「のど元過ぎて熱さを忘れる」原子力ムラと、「人の噂も七十五日」の被災地が原子力の恐ろしさを薄めつつある。いま、非常に危険な状況にあると思う。
そこで、報道関係者に望みたい。「エネルギー問題」を単なる「社会問題」化しないで欲しいのである。

事故など問題が発生すれば報道するが、何も起こらなければ進展状況など無関心無報道、これでは困る。その結果が順行状態偽装や問題隠蔽体質となっていく。絶えず進捗状況を監視し、研究成果に関心を持ち、管理者や研究者の意欲を駆り立てて欲しい。

よい事例として、足尾銅山の鉱毒事件と闘った政治家「田中正造」の活動報道がある。
福島の原発事故が足尾で起こった鉱毒事件と著しく似ており、彼の行動哲学は大いに学ぶべきと考える。 今後とも過去・現在・未来において国策で進めてきた、あるいは進めている生活環境の破壊事例を探索し、原発事故との関連付けを行い、廃絶に向けて闘って欲しい。

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2014年5月

電力会社は北海道ならずとも原発停止後の苦しい電力供給体制についつい愚痴が出てしまうようである。 すなわち、北電広報の発言「天候で出力が変わる太陽光や風力発電の割合が増えると、火力などによる調整能力を超えて安定供給できなくなる」という脅し文句である。

わが町では老朽化した火力発電所の跡地にメガソーラーを建設した。そこを見学した折、所長は太陽光だの風力だのという天候に左右される再生可能な自然エネルギーでは安定的に電力を供給するための調整ができないと、 手作りの電力需給バランス解説模型を使って、とうとうとできない理由をまくしたてた。このくだりは、電力会社共通のマニュアルでもあるかのごとく、一字一句変わりないほどであった。 

そして最も適した発電方式は原発以外にないとも言い切り、脱原発活動を無責任と批判した。
 
電力供給の安定化を最重要課題にしている電力会社としては当然なことなのであろうが、エネルギー供給体制の改革を目指していると思っていたメガソーラーの責任者からこんな話を聞くとは驚きであった。

彼は福島の原発事故をどのように理解しているのだろうか?
 
そこで、電力供給の重責を担っている電力会社の覚悟のほどを質問した。 

このような過酷事故を起こさない方法をなんとしても開発しなくては!とは、思わないのか?
 
原発という調整容易な方法ではなく、困難でも地震大国日本に適した発電方式をもっと研究できないのか? 要求されれば無限に供給するのではなく、エネルギーの有効活用をもっと強力に啓蒙しようとは思わないのか? 他にも周波数問題など日本全体を俯瞰したエネルギーシステムに改善の余地はないのか? などなどであったが、滞在時間切れで明確な回答を得られないまま失礼した。

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2014年6月

核廃棄物の最終処分場問題

原発を運転すれば必ずありがたくないおまけ「核のゴミ」がついてくる。
福島第1原発のような事故が起これば更に厄介な放射性物質が付着した膨大な量の汚染物質が発生する。

これらの汚染物質を人智で無害化できる技術はまだ確立していない。
従って、長い年月をかけて自然に危険が治まるまで放置するか保管するしかない。
世界中でこの保管場所を探索中であるが、何十万年という長期にわたって安全に保管できる場所は簡単には見つからない。もし、あったとしてもその場に長年生きてきた住民の不安を払拭することは困難である。

我が国は世界でも有数の地震大国である。プレートが幾重にも重なり合って100年とか、1000年とか、一万年とかのサイクルで巨大地震が発生している。国は小さいが、日本は地震の巣窟なのである。
こんなところに防護不可能な核物質処理場を作れるわけがない。ここでいう核物質処理場の存在は、当然のこととして核物質を燃料とする原子力発電所があり、その稼働による使用済み核燃料や様々な核廃棄物の処分場がある。

ひとたび核物質の漏えいが起これば、ことは日本国だけに留まらない。
水や空気を介して、地球全体の生態系が危険にさらされることになる。
日本で作った核の廃棄物であるから日本で責任もって処理すればよい。などと、安易に考えるべきではない。処理を失敗すれば、その被害は地球規模に派生するということを肝に銘ずべきである。

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2014年7月

核燃料サイクル施設への協力を名目とする青森県25市町村への寄付を電力業界が2013年度で打ち切る方針に基づいて、青森県は2014年度から5年間総額24億5千万円の拠出を決定。

少子高齢化が進むなか、農業、林業、漁業などを主体とする自治体では住民生活の環境整備費用を調達することがますます困難となる。かくして人口密度の低い地域には事故が起きても大きな問題にはならないということで危険な施設が建設されることとなり、その見返りに危険手当として、様々な名目で応分の金が提供される。

この金は危険施設を作った者が、生命保険・地震保険・自動車保険などの保険のように地域の振興のために供与しているが、一般の保険と異なるのは事故が起きた時、保険金を受け取るのは保険金を払った施設所有者だけではなく、被災自治体(住民)にも適用される。

つまり、保険会社(保険金の徴収)と被保険者(受取人:自治体)が一緒という何ともおかしな構図なのである。残念ながらこの構図は日本だけではなく、世界中どこの国も同じようである。いと可笑し!

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2014年8月
福島原発作業員のつぶやきにひとこと

1年前の新聞報道で気になって引きずっていることがある。
古い話を持ち出して恐縮ですが、ここらでスッキリしたいと思う。

その記事とは不定期連載の「ふくしま作業員日誌」というもので、内容は福島第1の事故原発で働いている作業者のつぶやきを拾い集めたもののように理解していた。
(同様の日誌形式のつぶやきはウエブサイトでも長期間続いているものがある)
 

その時の作業員日誌「お盆ぐらいは休ませて」は何が気に入ったのかウエブサイトでは盛り上がっていたが、なぜかその前の日誌「政治家の視察大迷惑」はまったく反応がなかった。

どちらも核心をついた叫びのように思うが、一般人の反応は小さな情に流されたものに反響していた。
<原発事故の収束を一日も早く!>は日本国民いや全世界の願いである。
現在、関係する全ての人が持てる力を発揮し、全身全霊で取り組んでいると、信じている。 

盆休みであろうが幕の内であろうが休むわけにはいかないのである。
収束作業を担っている人たちはその専門知識を生かし懸命に作業している。
お盆に特別な事情のある人や、「盆休みが欲しい」などと愚痴をこぼすような人は止めればよい。

浅はかな情は不要である。
誇りを持ってこの仕事を行っている人に対し、労(ねぎらい)いの言葉が欲しい。

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2014年9月

福島県は「原発事故と子供の甲状腺がんとの因果関係を認めない」とのことであるが、この言い分には到底納得できない。しかし、これを別の考え方で考察すると 理解できなくもない。 

@ 国策として進めてきた原発はすなわち、福島県の県策でもある。
A
 今の県知事が決めた事でなくても過去の県民、すなわち今の県民の先祖が選んだ知事が決めた事である。
B
 県民が決めた知事であるからその決断によってもたらされた災難は選んだ県民自身の災難として受け止めるべきである。
 

かくして、健康被害が出た時は気をつけなかった住民が悪いということになるのである。

愚かな国民とそれがもたらした愚かな政治が最悪の結幕をもたらした。大いなる教訓とすべきである。

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2014年10月

なんじゃもんじゅ
もんじゅを運営している日本原子力研究開発機構はこれまでの経過から、権威ある研究機関とは到底言えない。すなわち、
@
 何をいつまでに、研究開発するのか?
A
 問題が起こるたびに「指摘を重く受け止める」としてきたが、いつまでに受け止めるのか?
B
 今回、「期限ありきではなく」というが、期限のない仕事はありえない。
C
 また、「徹底的な確認・見直しを進める」というが、このような表現は何もしないことと理解できる。

このような抽象的な表現はレベルの低いQCサークル活動でも厳しく追及される。すなわち、
「徹底的とは」何を、いつまでに実現するのか?「確認とは」何を、誰が、いつ行うのか?
「見直し作業とは」どんな作業を、どのように改善改良するのか?

機構内部には一つずつの問題点についてPDCAがあり、その展開方法について5W1Hで明確化しているとは思うが、今までの実績があまりにひどいので抽象的な表現だけでは納得しがたい。
産業界にはこの手の専門家は豊富に存在する。彼らの助けを借りて機構の管理システムを抜本的に改革することを提言する。
いつまでも今のままなら組織名は「なんじゃもんじゃ機構」がふさわしい。


朝日新聞はいずこへ!
朝日新聞の勇み足が目に余る段階に至った。中国国家流に言うなら「国家反逆罪」とか「国家転覆罪」に相当する重罪であり、国賊とか売国奴と呼ばれてもしかたない。また、中国や韓国との友好関係を破壊し、国論を分断した罪は「国家分裂罪」にも値する。
ここ10年程の間、嫌韓や反中の波を苦々しく思っていたが、その原因の大方が朝日新聞の誤報にもとづくものであることがはっきりして、とても残念でならない。
 

朝日新聞と言えば、我が家はなぜか親父が朝日新聞を読んでいた。子供の頃から朝日新聞が毎日配達されており、今でも大工の親父が作った箪笥の抽斗を開けると、朝日新聞が敷いてあるのを見つけ懐かしく思う。親父が病気がちで収入が不安定なことから、母はありとあらゆる出稼ぎをやっていた。

特に記憶に残っているのは、港湾工事の飯場作業だ!荒くれ職人を相手に彼らの食事を作る仕事だった。幸い母は料理が得意で、みんなからとても気に入れられていた。

もう一つは、現在「転車台」として保存されている貨車を反転させる操作場があった辺り(当時は「ごようち」と母は呼んでいた。多分明治天皇ゆかりの地「御用地」と言う意味ではと思う)で、野菜作りをした。母はこの当時からありとあらゆる野菜を作っており、認知症でボケてしまった今でも野菜の名前はスラスラと10以上出てくる。飯場の仕事は手伝えないが「ごようち」での野菜作りは良く手伝った。

子供心にも家計を助けなければいけないという思いで毎日生活していた。
中学生になると家の近くの朝日新聞店から新聞の配達をしないかと声が掛かった。
願ってもないことだった!喜んでその話を受け、朝刊と夕刊を自転車に乗って、雨の日も雪の日も嵐の日も中学生活3年間休まず配達。加えて職人の父を持つ実直な家庭の子ということで、集金までやった。

家計の足しにして欲しい一心で始めた新聞配達であったが、お陰で郵便局からは地理案内に長けているということで声が掛かり、3年間年賀状の配達も行った。
嬉しかったのは中学卒業間際になって、朝日新聞の名古屋本社から感謝状ではなく、表彰状をいただいたことだった。学校以外からこのような賞状をもらったことがなかったのでとても嬉しかった。

確かどこかに保管してあるはずと、朝日新聞の体たらくを嘆きながら、図らずも思い出した賞状を探しまわった。出てきました(●^o^●)57年前の日付が黒い墨で書かれており、紛れもなく私宛のものだ。

しかし、改めて賞状を良く見ると中に「従業員」とか「業務」とか「勤続」とかの文字があった。これが表彰状の意味で、朝日新聞社は当時中学生だった私を雇用したのであった。私はアルバイトのつもりでいたが実はそうではなかった。ただ、新聞少年は当時、日常的だったかも知れない。

高校時代もズット朝日新聞を購読していたが、1959年9月の伊勢湾台風で借家が倒壊し、九死に一生を得て家族は全員助かった。一念発起した親父は金融公庫の融資を受け、自力で家を作りはじめるが、家計を思ってこの時期、新聞購読を中断。いつ頃か再開したときは中日新聞であった。
親父も朝日新聞への執着がなくなり、以来、朝日新聞とはずっと疎遠である。

先日突然、朝日新聞から3日間の試読案内があり、拝読した。
紙面の設計は高齢化社会に対応する大文字化、カラー化、ビジュアル化などとともにレイアウトもほとんど差異がなかった。内容も似たり寄ったりで朝日新聞に乗り換えようという気持ちにはならなかったので、購読を強く勧められたが辞退した。
新聞はテレビの出現で減り、インターネット時代でさらに減っており、いまや新聞の存在価値が問われている。朝日新聞は今回の不祥事を契機に報道の在り方を抜本改革し、信頼を取り戻してもらいたいと心から願う。

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2014年11月
4月に「原発再稼働の世論調査で、7割超えが原発に依存しない将来を希望」という調査データが報道された。

  

しかし、このような調査は過去の調査結果からも分かるように、実際の施政とは無関係で全く意味のないものだと断罪する。
3年前の福島第1原発事故以降、「原発稼働をどうしますか?」と、尋ねられて、はっきりと「賛成」と言える人は左程いない。これは当たり前である。まだ3年前の原発事故の衝撃が生々しく残っており、もしも自分が住んでいるところが福島のようになったら大変だからである。

しかし、実際の政治は世論とは大きくかけ離れている。

脱原発を支持する大方の人は、選挙になるとそのことを忘れ、原発推進の政治団体に一票を投じている。もし、この団体が勝利すれば当然のことながら政治は原発維持推進となるのである。
こうなってから「私は原発反対なのになぜ政治家どもは推進するのか!」などと怒っても、後の祭りだ。
エネルギー政策は国家の重要課題である。原発事故を踏まえて国家100年のエネルギー計画を立案するとき、単純に脱原発反原発では済まないのである。ゆえにこのような部分を切り抜いた調査は無意味だというのである。

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2014年12月

6月に、「老朽化した火力発電所のトラブル多発、2013年度は東日本大震災前の1.7倍(169件)、 運転開始から40年以上の老朽火力発電所は2010年度36基が2013年度67基(全体の26.2%)に増える」と、報道された。 
はっきりしている事は老朽化した火力発電所が事故を起こし、地域が火の海になったとしても原発事故のような子々孫々にまで災いが続くことはない。さらに、原発では稼働により生まれる高レベル放射性廃棄物、いわゆる「核のゴミ」の処理を誤れば地球そのものが壊滅する危険をはらんでいる。 

原発推進姿勢の安倍政権は我が国がこれまでに膨大な人・物・金をかけてきた原発技術のコスト回収を図るべく世界各国に売り込む作戦に出ている。
アメリカは今や日本の原発メーカーが主導権を握っており、欧州はフランスとイギリス、ほか南米、アフリカ、中東、東南アジア諸国は日本・フランス・中国・韓国の原発メーカーがしのぎを削っている。
 

ここにきて日米原発大国は圧倒的技術力で世界を席巻しようと連合(CSC)をたくらんでいる。なんとも中途半端な賠償条約であるが作る側と使う側の責任を明確化し、原発技術の有効活用を図ろうとする試みには感心する。これらはすべて経済最優先の狭い料簡から生まれているが、手をこまねいておれば悪賢い中国が安さを売りに取って代わることになる。

こうなれば、人類滅亡は確定したようなものだ!なんとしてもこのようなシナリオは避けなければならない。残念至極ではあるが、再生可能エネルギーの可能性を充実強化しつつ、原発の可能性に責任を取れる国家企業体に中継ぎを託すしかなさそう。日米連合が世界の救世主になってくれるよう切に願うものである。

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