2012年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
 
<2012年1月>

すこぶる気になること
@ 決意なき行政改革
12月14日、野田首相は民主党行政改革調査会の初会合でトンチンカンな意気込み挨拶。

「民主党よ、まだまだ歳出削減に取り組め、というのが国民の声だ。全力を尽くして行政改革に取り組む姿勢を打ち出さなくてはならない」、というのが挨拶の骨子であるが、『姿勢』(意気込み)を強調するだけなら誰でもできる。「不退転の決意で国家存亡の危機に立ち向かう」と言ったのならなぜ、【取り組んで欲しい】と、端的に強く指示できないのか!

それでなくても、永い長い政官迎合の原子力ムラ同様、永田町ムラと霞が関ムラは自分たちの金は温存し、必死に蓄えた庶民の金を、いかに引きずり出すかだけを考えている輩だ!並大抵では「不退転の決意」は実現できない。ましてや、トップが腰砕けでは部下のヤル気も出てこないのである。

ただ、取り組みのすべてが政官の茶番としたら、早晩私たちは亡国の民となる。

A 劣悪な日本外交
12月14日、玄葉外相、日本記者クラブで「日米中の戦略対話の枠組み構築」に意欲を示す講演。
しかし、日本の外交は細部への詰めが甘く、大枠だけに終わっているように思える。

「同盟関係の深化」だの、「戦略的互恵関係」だの、「未来志向の関係構築」だのと大方針はあるが、それが国政、あるいは国家の利益にどう展開されているか具体的な形で見えてこない。
国家機密で内情は一切秘密なのであろうが、結果が伴っていない現状では方針展開に問題があると言わざるを得ない。政官の質、とりわけ官僚の質は「坂の上の雲」の時代から徐々に稚拙化し、拙劣となり、今や劣悪な状態となった。

2012年はいかなる年になるのか?
混乱するアメリカ、ほころび始めたEU、混沌のアジア、アフリカなどなど展望は暗い。
古代マヤ人はマヤ歴の大周期が「2012年12月21日」で終わると預言した。
この日が地球最後の日とならないことを切に願うものである。

B 暦と旬感12月
昨年10月に地デジ対応のアンテナ設置したが、3台のうちアンテナから最も近い1台のみ受信でき、2、3台目は画像がチラチラする。ばあさん用は我慢してもらい、居間はBS主体として使ってきた。しかし、今年の正月とお盆に帰省した孫たちがNHK教育の幼児番組が居間で見られないと寂しがった。 
そこで、対策を3つ考えた。@アンテナをもっと高くする。だめなら、Aブースターの更新。それでもだめなら、BCATV化する、である。

 
結果は最も安上がりの@で成功した(^v^)
今までの1.3mに、もう1本追加して2.6mとしただけであるが3台とも全局鮮明に受信できた。
原因は前方の2階建て家屋3軒の屋根が障害だったようだ。

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2012年2月

忘却への願い
最近、「毎日出版文化賞」を受賞した開沼 博氏の【「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたか】を読んだ。長年に亘り日本文化の精神構造を原子力行政に焦点を絞って調査研究した大作である。が、はからずも起こってしまった3.11東日本大震災での福島第一原発事故で出版は絶好のタイミングとなった。ここで作者は人間の性としての「忘却」に対し、徹底した抗いを提唱した。

とは言うものの、自分においては少しずつ忘却の良さを自覚、実感するようになってきた。 
すなわち、最近、「ものおぼえ」が悪くなり、逆に「ものわすれ」が目立つようになった。

「覚」には「忘れてもいい事」と、「忘れてはいけない事」があり、個人的には「忘れたい事」と、「忘れられない事」がある。人は普通、これらとうまく付き合いながら生きている。しかし、年輪とともに覚えは少しずつ薄らぎ、忘れてはいけない事を忘れ、忘れてもいい事を覚えていることが多くなっていく。

今はまだ致命的ではないが、いずれの歳には覚えは極端に悪くなり、忘れてもいいような過去の古い覚えのみが残り、その覚えが自分の言動と行動を左右するようになる。
本人にとっては「忘れられない事」なのであろうが、これは通常、周辺にはとても「トゲトゲしい」ものであることが多い。よき人生とは「適切な忘却」が肝要で、この実現のため「忘却への願い」を提唱するものである。

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2012年3月

情報の発信と受信と、その責任
年初めの
115日(日)竹村健一さん時代から毎週楽しみにしている「報道2001」で名古屋の 今は亡き、きんさん・ぎんさんのぎんさん4姉妹がコメンテーターとして中継出演した。 

「女性の雇用」や「所得問題」についての議論のなかで、話題が「シングルマザー」になったとき、さすがぎんさんの姉妹やな!と思うコメントがあった。「自分の我ままで離婚したのであって、もっと旦那さんに尽くして一緒に生活しておればこんな問題は起こらない」と、自業自得を説く。 

苦難の時代を歩んできた90歳前後の人間からすれば「何で父親が居ないのか?」と訊ねるその前に家族、家庭というものの尊さをないがしろにし、離婚した母親に問題があるとズバッと切り捨てる。
すなわち、
姉妹はシングルマザーに説教したかったわけである。

自分たちは今日まで様々な困難に対し、勤勉に努め、時に辛抱し、時に助け合って生きてきた。
なぜ、そういう風にできないのか?このことが大きな疑問として残るのであろう。
 

この説教発言の直後、キャスターが“けげんな顔”をした。そして映像は発言中の姉妹の中継を切り、話題を変えた。突然のカメラ切り替えはこの発言が当日の報道企画とは異なるものだったことがうろたえぶりから解る。しかし、ライブ放送であるから予期せぬ発言や行動は当然あるわけで、特にこの日は高齢姉妹4人であるから想像に難くない。

ありのままを伝えることが報道の責任である。
ありのままの情報をどう理解(咀嚼)するかは、受け取る側の責任である。
意図する、意図しないに関係なく情報を発信した時の世間の反応は様々である。
しかし、世の中には誤解・曲解・無理解など受け取る側の問題が多々発生する。

情報発信者は咀嚼能力不足の相手と真正面に対峙し、逃げてはならない。
これが報道の責任であり、間違っても意図した方向に進展させること(やらせ)があってはならない。

私は経産省の補助金事業のお手伝いをしている。開発会議は通常円滑に進行するが、時々議論伯仲することもある。しかし、その議論の内容は議事録には載らない。記録に載るのは事業管理者の意図した内容だけとなる。計画外の事象は削除し、進捗の円滑性を図りたいからであろう。

ところで、128日の新聞報道、「震災・原発10会議 議事録未作成」には驚いた。
この事件は「意図する・しない」という問題ではなく、情報の不伝達(隠ぺい)である。
「情報を作らなければ、伝達する必要もない」。ここには、別の意図が見え隠れする。
実に恐ろしいことである。腐りきった国家組織は一日も早く解体しなければならない。

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2012年4月

文明とはエネルギー?
日本は世界がうらやむ自然豊かな国である。
緑豊かな国土からは四季折々の風情とともに澄んだ空気とおいしい水が無尽蔵に生まれている。
しかし、メルトダウン(核燃料溶融)や水素爆発のような原発事故が起きると広域の環境が汚染され、誇れる国土は放射能を保有する保管庫になってしまう。

放射能で汚染された森からは放射能で汚染された水が生まれ、放射能で汚染された水は川から海へ、大地から地下へと流れ、万物を汚染する。しかも、相当長い期間にわたってである。
たった一度の出来事でこれほど大規模な被害を及ぼす原因はほかには見当たらない。

3.11の大震災では原子力の恐ろしさを思い知った。原発は平和利用としての原子力ではあったが制御不能となればすべてを破滅させるものであることがよく解った。
なぜこのような危険なものが、かくも世界中に拡散してしまったのか?
結論を先に言うなら、「人間のエゴ」としか云いようがない。

文明とは生活の豊かさ、生活の豊かさとはエネルギーの確保、かくして「文明とはエネルギー」となり、文明を享受するためにはとにかくエネルギーを確保しなければならない、ということになる。
世界は、この一点で鬩ぎ合っている。その答えが、夢のエネルギー「原子力」であった。
(究極のエネルギーは太陽であり、人工太陽の開発も日夜研究されている)

人類はいま、原子力のお陰でエネルギーを湯水のように使えるようになった。
もっと、もっと豊かになりたい!このような人間のエゴが際限のないエネルギー開発を招き、今日まで地球環境を破壊あるいは損傷してきた。
豊かな生活を求めて「エネルギー開発」に偏重してきた人類は、今こそ地球を守るための「エネルギーの使い方」に方向転換し、英知を絞るべきと考える。

暦と旬感3月号の一言
東日本大震災から1年がたった。無我夢中で復旧と復興を願い、日本中が世界中が動いた。
何百年に一度の、思いもかけない災いが、身近に起こった。
そして、この一年、「思いやり」とか、「絆」とか、という言葉が世界中を駆け巡り、大流行した。が、心地よい言葉に惑わされず、現実を直視し、自分の人生は自分で切り開くという強い意志のもと、 一人ひとりが「甘え」や「おごり」を捨て、それぞれが出来ることを全力で実行することが大切であることも学んだ!

原発事故を含めて、この大災害はとにかく、「不運」の一語に尽きる。
長い歴史の中で、よりによってなぜ今、こんなことが起こったのか!
これを不運と言わずしてなんというのか。先人たちもこのような不運に遭遇してきた。しかし、日本国は今まで続いている。私たちは歴史を止めることなく先人に負けない国づくりを行わなければならない。

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2012年5月

ちょっと気になること
今、京風料理を北京で食べさせる店(美濃吉)が大好評とのこと。
世界の富豪グループに続々と登録される金満セレブが金にいとめをつけずに豪華な生活を楽しんでいる。その彼等に日本で食べるものと同じ京料理を一卓5〜10万円で食べさせる店だ!

この店は食器から素材すべて(水も)を日本から持っていき、調理する。
店と空気だけは埃っぽい北京産であるが、この環境で食べても美味しいとは思えない。
日本での営業がおもわしくないから、金持ちが激増している中国に進出するという考えは、商売になれば何でもやる華人と同じだ。節操のない経営は命取りとなろう。
日本料理が食べたければ日本へ行けばよいのである。何も出前する必要はないと考える。

私は年に1、2回、四川料理と火鍋料理と飲茶と激辛ケンタッキーを食べるため、中国に出かける。
理由は日本での中国料理が本物とは異なるからである。
味は日本人向けに変更されており、とても満足できない。
四川料理が辛過ぎて食べられない人に、辛くない四川料理を出す必要はない。また、他にも料理はいろいろあるから、辛い料理が嫌いなら、注文しなければいいだけの話である。

暦と旬感4月
2008年購入したデジカメ(CanonIXY251S)の露出がおかしくなってきた。使用期間4年は今まででは最長記録であるが、そろそろ引退の時期だ!そこで、光学ズーム20倍を選定基準としてPENTAXOptio VS20(1600万画素)を買う(22,000円)。ミラーレス一眼レフも考えたが交換レンズなど携帯が面倒なので止めた。今後は今までより画質の良い写真が披露できそうだ。
乞うご期待(^v^)

<デジカメ歴まとめ>
@
 2000.02>富士写真フィルムFinePixs2700(230万画素)<71,760円
A
 2000.12>富士写真フィルムFinePixs4700(430万画素)<60,000円(大連タクシー遺失)
B
 2001.12>PENTAX Optio330(330万画素)<60,000円(大連レストラン盗難)
C
 2003.12>PENTAX Optio430(400万画素)<60,000円(大連で日本製購入)>破損
D
 2005.08>CACIO EXILIM EX-Z57(500万画素)<35,000円
E
 2008.08>Canon IXY DIGITAL 251S(1000万画素)<24,700円

12年間で6台買った。内2台は中国大連駐在時のタクシー 遺失とレストラン盗難であるから、実質4台を12年使ったことになり、1台約3年の寿命となる。DE2台は予備としてまだまだ使える。

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2012年6月

給料を貰いながら失業手当を貰う方法
昔、町工場を経営する友人から聞いた話は、地に落ちた日本人の存在に愕然とする。
ご存じの通り、失業手当は1年以上勤務しなければ貰えない。
しかし、就業していないことにすれば継続してもらえる。いったいどうするか?

採用した本人は社長にこう言ったそうだ。
「ハローワークから内定の確認電話があっても採用していないと、返事して欲しい」。
友人(社長)は真意がわからず、要望通り処理をした。
この結果、ハローワークに対しては、依然として就職活動中であり、失業手当の受給資格者であることを証明したのであった。すなわち、就職したことを内密にすれば引き続き失業手当がもらえる。

このような生活をした後、晴れて就職したことにすれば、なんとなんと、お祝い(再就職手当)まで貰えるのである(10万円ほど)。このような裏技を使えるのは余程の経験者であるが、最早「詐欺師」としかいいようがない。最近では受給資格、受給期間など審査は厳しくなっているようであるが、世の中には一人二人の零細企業もある。ハローワークには仕事を探す人があふれており、この中には無知な事業主を探し出し、法の網をかいくぐって不正受給するわたりもかなりいそうだ。

書類審査と電話だけの就職有無確認ではなく、ハローワークの職員が就職先に出向いて本当に仕事しているのか確認すべきである。東京で白骨の年金受給者に30年間年金を支給していた驚愕事件も受給者の年齢など勘案すれば「おかしい?」と解るはずであるが、家庭訪問など実態を自分の目で確認していないからこのような途方もない現実が起こってしまう。

役所の職員だけでは無理なら、社会福祉協議会など自治体組織や警察なども参画して、せめて年1回くらいは書類ではない実態調査を行うべきである。このような取り組みを継続したその先に安心して住める安全な街が作られていくはずである。

また、最近では大阪の売れっ子お笑い芸人の母親が生活保護を受けていたということが問題となった。昔はほとんど所得ゼロに近く、親を扶養できなかったので生活保護対象であったが、その後、売れっ子芸人となったにもかかわらず、そのまま受給していた。本人は神妙に反省していたが、世間が大騒ぎするまで管轄の役所は相変わらず不正受給を認めていた。云われなければ黙っているという不届き者と責任感の欠如した役人とのあきれた連合体はほかにもいくらでもありそう。

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2012年7月

安らかな死を願う
万物すべてに寿命はある。ほとんどは左程の困難もなく淡々と最後を受け入れることができる。
しかし、原発はそうではなかった。寿命にならなくても原子炉を稼働させるだけで高レベルの放射能を持つ使用済み核燃料が発生する。驚くべきは、日本ではこの使用済み核燃料の処理技術がないことである。 

原発は「トイレのないマンション」といわれているが、私は「便秘の肥満児」といいたい。食べるだけ食べて糞が出なければ、人間なら病院へ行き治療してもらう。しかし、原発には病院もなければ医者もいない。原子力関連の産官学専門家、研究者、事業者はともにギブアップ状態の無責任組織。 
しかも、この状態は日本のみならず全世界的である。

寿命となれば事態はもっと深刻だ!原子炉の解体作業が待っており、莫大な量の低レベルの放射能汚染がれきや原子炉から出る高レベル放射能汚染廃棄物が発生する。このように原発は正常に使用されたとしても未開発の技術が山積している。
今回の福島第1原発のように未曾有の大天災により設備が停止したり故障した場合、原子力に関する専門家を含め、すべての関係者が右往左往するだけで、的確な処方箋を出せなかった。
暗中模索、その場その場をしのぐしかないのが実情で、原発技術がいかに未熟であるかが分かった。

日本は地震大国である。毎日、日本のどこかで地震が起きている。また、日本は世界がうらやむ自然豊かな国である。四方を海に囲まれ、緑豊かな国土からは四季折々の風情とともに澄んだ空気とおいしい水が無尽蔵に生まれている。このようなことを思うと、「原発」が日本の国土に適しているかどうか甚だ疑問である。美しい日本を壊してまで使うような科学技術ではないと思う。原子力技術に費やした人・物・金と時間を国情に合った対象に転換すべきである。

暦と旬感6月
今年の我が地域の梅雨入りは平年並みの6月8日でした。19日台風4号が伊勢湾台風とほぼ同じコースを通過、列島を縦断して東北から太平洋に抜けた。普段あまり台風の被害にあっていない北関東地方では暴風雨による土砂崩れや家屋浸水が起こった。この地域としてはどうてことのない台風であったが、かの住人は「こんなの生まれて初めて」という。人生いろいろ、台風も風水害もいろいろなのである。6月の目玉はカワニナの散歩とメダカのお宿です
(^_^)v
グリーンカーテン
へちまは早、2階に到達。大きな葉っぱが涼しい夏を約束してくれます。(^O^)

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2012年8月

お前(日本)はもう死んでいる!
@ 永田町も霞が関も基本的には「国民はバカだ!」ということを前提として仕事をしている。
しかし、その馬鹿な国民から選ばれた今の政治はバカな国民の世論調査の結果に過敏である。
以上のことから結論として、政治家はほとんどがバカと言うことになる。
政治がバカ集団であることは最早、誰も否定しない。
が、その陰でヌクヌクと太っているメタボな集団の存在を忘れるな!

A 関越自動車道のバス事故でバス会社の社長の謝罪口上に大いなる違和感あり。
それは、「本当に申し訳ないと思っております」という物言いだ!
なぜ、「本当に申し訳ありません」と率直に言えないのか。
このような無責任な発言しかできない社長では社員の程度もしれておろう。
その後の調査でこのようなツアーバス会社のなんと多い事か!世も末である!

B 「天網恢恢、疎にして漏らさず」
原子力ムラで永年、無為無策を繰り返してきた輩は国賊であり、日本民族の恥辱である。
彼らに対しては天地の果てまでも追い続け、どれほどの時間がかかろうとも、必ず最後まで追いつめ、責任を取らせなければなならない。

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2012年9月

原子力ムラの陣容
大飯原発3,4号機の再稼働は史上最悪の福島原発事故をもろともせず、原子力ムラのメンツをかけて再稼働にこぎつけた。これは政官産学の緊密な連携の勝利ともいえる。ところで、原子力ムラを構成する陣容はいったいどの程度の規模なのであろうか?「陣容」とは、原子力行政の恩恵で生計を立てている全国民である。特に知りたいのは政官学すなわち「国税で雇用」されている人間の数である。新聞テレビなど報道機関はこのことにもっと関心を持って欲しいのである。

さらには原発立地自治体である。今やほとんどの立地住民は脱原発を望んでいる。
しかし、彼ら立地自治体にはいろいろな名目で長期にわたり多額の税金が投入されていることから、残念ではあるがムラの一員として考えなければならない。

ちょっと気になること>福島県の健康調査
県民206万人の問診回収率20%という報は日本人のいい加減さを露呈しており、考えさせられた。すなわち、みんなのことを思って何かやろうとすると、「みんな無関心」。
しかし、だからといって何もやらないと「無関心を責める」。
もしもやり方が悪いと、がぜん関心が高まり、文句の言いたい放題。なんだ!この国は!

暦と旬感8月
超巨大台風15号(920hpa)が日本を狙っていた。15号と言えば53年前(1959年)に我が地方を襲った「伊勢湾台風」と同じだ。この時、我が家族5人は最後まで避難せず、天井をぶち破り、屋根裏まで逃げて高潮を回避し、九死に一生を得た。その記憶が甦り恐怖に慄いたが、幸いにも日本海に抜け中国と北朝鮮の国境辺りに上陸した。沖縄地方は暴風雨でかなりの被害が出たが、我が地域は蒸し暑い曇天の風が少し強い程度で治まり、ホッとした。

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2012年10月
関西電力の今夏電力需給に想う
結果は需要予測を10%下回った。そもそも「需要予測」とはどうやってはじきだすのか?
最大のファクターはピーク需要が予想される7月と8月の最高気温であろう。その上で、発電設備の突発事故や最近、多発している豪雨災害などを考慮して余力(安全率)を決める。

この余力を如何に設定するかで供給能力が大きく変わる。安全を見れば見るほど能力を高めなければならない。今までの電力確保はこのような論理で行われてきた。
ところが、昨年の福島第1原発事故による東電管内の計画停電騒ぎで、国民的に節電ムードが高まり、産業界も住民も電力の無駄遣いが徹底的にチェックされ、無事切り抜けた。

さて今年は大飯原発を有する関西電力が3,4号機の再稼働がないと供給不足は避けられないと政府に強硬に迫った。その脅しに負けて政府は不足の根拠など追及する間もなく、早々に認可してしまった。脅しの殺し文句は「もし止まったら国民生活に重大な影響を及ぼす」と言うことであった。その根拠の最有力事項が「余力」である。大飯原発2基の236万KWは電力の安定確保の面からと昨年の中部電力(菅直人首相の浜岡原発稼働の停止命令を受け、大量のLNGを緊急購入した。足元を見られた中電は高額なLNGを買わざるを得なかった)の二の舞を避け経営の安定をはかるため何としても大飯原発の再稼働が必要であった。

あれから1年経過した。関西電力は原発に依存しない電力の供給体制について考える時間が十分あったにもかかわらず、無為無策に過ごしている。中部電力とは大違いである。
中部地方は国民から産業界まで身を削るような節電で供給体制をバックアップした。
昨年の中部電力管内の節電実績は凄まじい物がある。
なぜ、中部地区ができて、関西地区は出来ないのか?不思議である?

関西電力は管内の顧客に節電の要請を真剣にしたのであろうか?
関西人はこのような事態に際し、身を削る行動に出たのであろうか?
「節電なんかとんでもない。電気を供給するのは関西電力の仕事だ!停電なんかしたら承知せいへんで!」とでも言うのであろうか?

結局、鳴り物入りで原発を2基稼働させたが、 それは関西電力の経営に貢献しただけだったのか?空気や水のように「電気」が無尽蔵にあると勘違いしているのではと思われる昨今、昨年の原発事故で神様が「そうではないのだよ!」と注意してくれたのに、そのことをよくよく考えもせずに、相変わらず今まで通り、電気を使っている人がいる。一体これはどういうことですか?と、言いたい。
我が家はグリーンカーテンの強化で今年は完全クーラーレスを達成した。やればできるのである。

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2012年11月

原発事故の恐ろしさを忘れるな!
原発の過酷事故がいかに恐ろしい結果を後世にまで残すか!様々な報道機関が問題提起している。これらの報道はとても重要ではあるが、起こってしまったあとではどうにもならない事故なのである。いろいろな切り口で今後の対処法を列挙はできるが、何を考えても絶望的にならざるを得ない。
原発事故の環境破壊がいかに凄まじいものか改めて思い知るのである。

放射能に汚染された山や森に、いかなる人為的な手を加えたとしても、我々が安心できる事故前の姿に戻るには、最低でも半世紀はかかるという。原子力事故というのはそれほど恐ろしいものであり、福島原発事故はそのことを教えてくれたのである。いかなる事情があろうとも、今や「脱原発」を声高に叫ぶのは当たり前のことである。それでもなおかつ原子力を利用しようとする者がいるとするなら、彼らに考え方を変えるよう強く啓蒙すべきである。

原発事故の報道はとてもやるせないものだ!大事な報道ではあるが、このようなどうにもならないことを提起したり、政治に文句言うだけではなく、エネルギーの浪費防止や代替エネルギーの専門的な視点での提言とその普及に向けての具体的な行動が望まれる。 

悲しき線量計偽装!
もともと、このような偽装工作は必要なかった!しかし、偽装をやらないと「国民に理解してもらえないのでは」という配慮から線量値を低くするためにやったのでは?
作業者の線量値基準は設備保全の責任を有する東電が決めればいいのであるが、アチコチから横やりが入り、ドンドン低い数字に抑えられてきた。
しかし、その数値では線量計がピーピー鳴って、まともに作業などできない。そこで、線量計が静かになるよう数値を低くするために鉛の遮蔽板を付けたのである。原発事故の緊急的収束をはかるとき、現場の危険度と生命の危険度を冷静に判断し、関係者が責任を持って、最良の決断をしておれば、このような隠ぺい偽装工作は必要なかったと思う。

このような事態を招いた責任は国民にもある。真実を知らされた時、それを冷静に判断できる専門家の意見に耳を傾けるべきである。その専門家が原子力ムラの住人であろうがなかろうが関係ない。またヒステリックに国民の不安をあおった報道にはそれ以上の責任がある。かくして、作業者は自分の職場を確保するために進んで偽装工作することとなった。なんとも悲しく、残念なことだ!

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2012年12月

悲しき日本国家!恥ずかしき原子力ムラ!愚かしき日本国民!
日本の原発が稼働したのは1970年である。まだ半世紀にも至っていない。

地震さえなければ、最新技術の日本製原発なら、40年でも50年でも耐久すると信じている。
であるから、過去の地震記録を調査するとともに、地震発生の痕跡をたどる地質調査を丹念に行うべきである。国家政策で進めてきた原発ならば、国家が立地の安全を確認する責任がある。
(地震大国日本で安心安全な立地場所が本当にあるのだろうか?)

これを電力会社にやらせ、結果を精検せずに、「安心安全」の一言で突き進んできた。このような不透明な原発政策でいつのまにか原子力ムラが形成され、ムラの利益を守るため、ますますムラは結束。かくして迷路のようなエネルギー政策が生まれ、いつのまにか国中に張り巡らされてしまった。なんとも悲しき日本国家!なんとも恥ずかしき原子力ムラ!なんとも愚かしき日本国民! 

問題山積の中、無理矢理ともいえる1216日の衆議院選挙を千載一隅のチャンスと考え、脱原発 と新エネルギー政策を実現すべく、悲しくて−恥ずかしくて−愚かな日本から脱却しなければならない。賢明なる一票をせつに願う。

歯が痛い!歯が痛い!歯が痛い!
1110日(土)久しぶりに歯の沁みが強く感じられる。行きつけの歯医者は土曜日は午前中で終わる。なので、我慢して12日(月)朝一で予約11:00を取る。特に異常は見られない。医者は以前と同じ「知覚過敏」という診断であった。歯石を少し取り、痛い部分にレーザー照射してくれた。薬の処方もなくその日は終わったが、経過を診るために15日(木)午前に予約を入れた。

ところが、その日の夜、痛くてなかなか眠れなかった。本を読んで気を紛らした。翌日は昼間から顔の半分がズキズキと痛む。歯医者に行こうと思ったが予約日が明日なのでここは我慢してみようと考え、通院しなかった。虫歯のように顔がはれているわけでもなく、傍目には何の異常もない。夜になると昨日同様痛みがひどくなり、眠れない。本を読んでも内容が全く頭に入らない。七転八倒の末、朝を迎える。昨夜は地獄であった。あまりの騒々しさに嫁さんが心配して起きて来るほどあった。嫁さん提案「熱冷シート」をほっぺたに貼って痛みを緩和させる。

医者に「月曜日から33晩痛くて寝れなかった!」と報告。
さらに、「これは知覚過敏なんかでは絶対にない!」と強く訴える。そこで、初めてレントゲン撮影。
結果、@右下奥歯の親不知(智歯)のいたずら、A右上の歯の穴が神経を刺激しているであった。

主因究明のため、一つづつ処置することにする。まずは@の親不知である。
苦節
70年、私と共に頑張ってきてくれた智歯に感謝の気持ちを込めて、別れることにした。
この歯の存在は医者も驚くほどである。私もこの歳まで全く意識せずに生きてきた。ありがとう!

「歯茎は年齢不相応にしっかりしているので何の懸念もありません」という医師の力強い言葉に大いなる自信を持って、抜歯を決断!
抜歯後は右下奥の強烈な痛みとウガイした時の沁み(知覚過敏)は無くなった。これで、歯磨きなどの口すすぎで起こった痛みから解放された。しかし、新たに右上奥の沁みが気になってきた。
やはり、上下の奥歯が災いしているようだ。
1122日予約しているので治療してもらおう。

私は親からとても丈夫な歯を貰った。未だかって虫歯を経験したことがない。
歯のメンテナンスは
70年間ほぼ毎日一日1回、寝る前に歯磨きするだけである。

「ほぼ」と言ったのは、飲み会などで泥酔した時は帰宅後、そのまま寝てしまうからである。
特に現役時代は、食事会、懇親会、親睦会、慰労会、歓迎会、歓送会、などなど飲み会がとても多かったので、歯を磨くことが少なかったように思う。アルコールで消毒されていたかもしれない(^_^)v

しかし頑強な我が歯も「寄る年波には勝てない」、というか老朽化が始まってきた。
年前(67歳)、師走の忙しい頃(20091228日)、歯が痛いので生まれてはじめて歯医者に出かけた。歯垢を取ったこともないので、歯医者はビックリしていた。
私が「歯垢も歯の内」と言ったら歯医者も呆れ果てていた。
歯垢をその後、何回かに分けて除去してもらい、口の中がスースーとさっぱりした感じになった。

以来、安定していたが年後(2011822日)再び右奥に痛みが走った。

右利きの人は歯磨きの時、左側は磨き易いが右側は磨きにくいので歯垢が付き易いといい、改めて歯垢を除去した。そういえば私は食事を磨きにくい右側で噛んでいた。そこで、食べ物を噛む歯を歯磨きし易い左側に変更しようと決意。最初の頃は舌の動きと口の動き(開閉)が不調和となり、何度も舌を噛んだ。血は出るは、舌は腫れるはで、とてもつらい思いがあった。
1年以上経過した今、左側歯で噛む習慣は定着し違和感なく食事はできるようになったが、半世紀以上も酷使した右側歯は疲労破壊してしまった。 

そして、今回が人生3度目の歯科医通院である。右下智歯を抜いて知覚過敏症状は解決した。
が、顔右半分の腫れぼったい感覚と、右上奥歯の痛みは消えていない。

22日予約した2度目の治療で完治できると思っていたが、ことは簡単ではなかった。
土日の
2日間強烈な刺し込みで再び眠れなかった。22日木曜日まで我慢できない。
そこで
19日(月)緊急治療をお願いする。
右上奥歯の周りに麻酔をかけ、
10分くらい待って歯を削り、穴を塞ぐ。

とても簡単な治療であったが、これですべてが解決した。
その夜は大変心配したが痛みは消え、久しぶりにぐっすり寝られた。
以後も全く痛くなく、経過は安定している。22日(木)に治癒状況を診てもらう。

点検結果は良好であった。これで知覚過敏症状が完治できた。お礼に私の作品「長芋」を1本進呈。なお、抜いた親不知は記念に貰っておいた。
 

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