大連の国慶節 2007
今年は自治区の相談役として一歩退いたため、時間的にかなりの余裕が出来た。
2月の春節には2年ぶりに大連訪問し、旧交を温めました。
このとき、初めて小・中学校時代の友人を連れて行きました。
ただ、この友人がパスポートを紛失したため、大連の友人にたいへんなお世話を掛けてしまいました。

今年はもう1回訪問したいと考えておりました。
9月半ばから10月半ばまでちょうど空白がありました。そこで、国慶節を考えました。
大連の友人に連絡し、ほぼ皆さんの都合がついたので決定しました。
春節と違い、国慶節ではそれほど家族団欒しないようで、お相手してくれそうです。

前回のとき別の小学校時代の友人から「なぜ私にも声をかけてくれなかったのか」と言われたので、今回は彼を誘いました。
彼は外国旅行が初めてなのでパスポートの取得が必要です。
今は名古屋まで出かけることもなく、近くで申請取得できるのでとても便利です。
何よりも中国は「2週間以内ビザ不要」となったので、非常に気楽に出かけられる(^O^)

ただ、今回はお天気が悪かった。晴れたのはわずか1日半、ほとんどが雨模様であった。
友人には申し訳ない思いです。が、これもまた大連なのでした(^O^)

日程は9月29日(土)から10月6日(土)までの1週間です。
(国慶節は10月1日)

中国と言うと、「3K国家」と言うイメージがあり、腰が引けるようである。私は4年の大連生活を通して、中国社会をたくさん学習した。結果として、安心安全な町 「大連」を事ある毎に推奨してきた。これで2人目の大連紹介であるが、今後ともこのような仲間を増やして行こうと考えている。

そして、旅行会社の観光ツアーとは違った、奥の深い中国を紹介したいのである。幸いにも私には、大連にたくさんの友人知人、教え子がいる。彼らは私の意志を汲んでくれ、温かく迎えてくれる。
ありがたいことであります。

2月春節では大連の友人知人から食事をご馳走になりました。
今まででは考えられないことです。中国国家の成長、とりわけ東側海岸線の飛躍的な経済発展が彼らの所得水準を押し上げ、裕福になってきた。

毎回必ずお世話になる楊さんや王さんも、私のために美味しい店を探し、ご馳走してくれます。本当に夢のような話です。王さんは今、広州の工場に出向していますが、広州に来た時は滞在費をすべて出してもいいと言います。

このような話を聞く時、熱いものがこみ上げてきます。大連の楊さんと広州の王さんに大体の日程を連絡し、これを相互に調整して、9月29日(土)出発を決めました。

大連往復航空券はいつものように「中国南方航空便」をネット「アルキカタドットコム」で購入した。もっと安い航空券もある(台湾の中華航空、韓国の大韓航空)が、事故が多すぎる。命あってのものだねだ!そこで、信頼できる中国南方航空にした。

航空券>68,800(2月:52,000円)30%UP
大連空港税>1,650(2月:1,450円)元高顕著
中部空港使用料>2,500円
ドットコム手数料>1,000円
航空保険料>9,820円(2月:10,000円)
合計83,770円(2月:66,950円)25%UP

保険料は2年前の10倍である。
原因はこの中に「燃料費」という名目で原油高騰の調整費が含まれている。

航空券受け取り場所は前回同様なので、そこへ直行。
窓口で名前をいうと、大連行きを確認後、スムーズにもらえた。

<今回の旅の目的>

1、パスポート紛失事故でお世話になった方にお礼
2、新しい駐在員と食事会
3、国慶節での大連の街散策

旅程概要

日程・天候 行程
9月29日(土)
曇り、雨
@ 中国南方航空CZ620<中部空港12:15発>大連空港13:45着(現地時間)
A 雛健敏出迎え>ホテルチェックイン>大連賓館(三つ星)
( 中山広場南側)
   TEL
:0411− 8280−7710(フロント)。部屋ツイン1泊500元(8000円)@4000円
B 会社訪問>パスポート紛失問題でお世話になった皆さんにお礼と工場見学
C 夕食>日本人駐在員と晩餐会>四川料理店「 ?」(場所は五四広場付近)
D 日式スナック
9月30日(日)
曇り、小雨
のち晴れ
@ 午前 >楊さん王さんと今日からの行動予定についてホテル内の「大和喫茶クラブ」で打ち合わせ
A 昼食>楊さん、王さんと飲茶>
ホテル「九州飯店」 2F
B 午後>森林動物園 → 野外動物公園
C 夕食>シャブシャブ「昌隆」
D 足マッサージ>良子
10月1日(月)
小雨
@ 午前>散策>魯迅路>図書館、満鉄関連建物見物(満鉄本社、鉄路文化宮)、家楽福
A 昼食>肯徳基(友好広場)
B 午後>散策>天津街、大連文物店、マイカルー、地下商城、
C 夕食> 中華料理店「三宝粥店」星海店
10月2日(火)
@ 午前>金石灘(楊さん、王さんと一緒)>小雨がぱらつき、肌寒い
A 昼食>
駅前韓国焼き肉店「太能焼拷」
B 午後>大連工芸品旅遊交易市場、ホテル冨麗華玄関ロビーでお茶
C 散策>奥林匹克広場のスターバックスで休憩、ウオルマート見物
D 夕食>日本料理店「清水」>楊さんと3人
10月3日(水)
小雨
@ 午前>散策>大連古玩城(港湾広場)
A 昼食>潘君宅訪問(泡崖子)
B 午後>労働公園
C 夕食>昼食が遅かったので、なし
D 日式スナック
10月4日(木)
晴れ
@ 午前>旅順口>203高地、東鶏冠山景区。(タクシー運転手:女性、ガイド:楊さん)
A 昼食>薫肉大餅(星海広場)
B 午後>現代博物館、星海広場散策、タクシーで濱海路→東海公園、市電で帰る
C 夕食>王さん夫婦と晩餐会>日本式居酒屋「味の蔵」
D 
日式スナック
10月5日(金)
小雨
@ 午前>ショッピング>マイカルー
A 昼食>
渤海明珠酒店30F展望レストランでバイキング
B 午後>駐在員マンション13Fから周辺の変化状況を写真撮影、五四広場周辺散策
C 夕食>韓国料理店
「千手予健康拷」
D 半年ぶりに「方舟」へ、人民広場散策
10月6日(土)
曇り
帰国>中国南方航空CZ619<大連08:05発>中部国際空港11:15着(日本時間)

2007年9月29日土曜日

飛行機は中部空港12:15発、中国南方航空CZ620。
奥さんに友人とともに空港まで送ってもらう。
空港では駐車場に停めず、1階のバス・タクシー乗降場で素早く降り、素早く立ち去ることにする。
これはよい(^O^)グッドアイデアだ(^O^)これからはこれでいこう。

搭乗手続きして、通関まで時間があったので、3階ロビーの土産店で お土産物色。
「MINIPLA]店で新製品の化粧品発見。まつげを黒色に書く筆だ!
品名は「アイズキーピスト」@1260。これを楊さんと王さんの土産に決定。

なお、王さんにはいつもの機械雑誌「ツールエンジニア」7冊を持っていく。
ただ、この雑誌は講読解約したから今後はない。これからは王さん個人で買って欲しい

この後、4階ロビーで珈琲タイム。

トヨタのF1レーサーが展示されていた。今年から富士スピードウエーと鈴鹿が隔年で大会がある。
今年は富士スピードウエーだ。その前で子供が記念写真撮っている。

ほかに面白いものないかとブラブラショッピング。

ふと、最新情報を思い出した。それは、地球環境保護グッズ「マイ箸」である。
これは持ち運びしやすく「組立式」になっている。こんなものはまだまだ中国にはない。
そこで探したところ、箸は小間物屋のとこなめ工房「陶翔」で売られていた。
が、組立式は扱っていなかった。聞けば、販売権が限定されており、仕入れできないものだという。残念!
せっかくだからと、色鉛筆タイプの箸を4膳購入@420。誰かのお土産になるであろう?
ここで、メンバーズカードをもらう。
1000円買う毎にスタンプ1個。スタンプ10個で500円分の割引。
権利施行がいつになることやら(^レ^;

通関して、出発ロビーで個人のお土産を買う。
最近は中国人もタバコを吸う人が減っている。が、少しは買っていかないと予定外の人と逢うことになると、土産がないのは失礼です。
そこで、懐かしき「ピース」10mgを2箱。もともとのピース(これは辛い)1箱。@2000
更に、王安隆さんに芋焼酎「薩王」1本@2500

 

通関した正面に半田山車まつりを記念して、山車模型とからくり人形が飾ってある。
からくり人形は手足を動かせるように操り紐が付いている。

 
前回はここで中国元に両替したが、 レートが低いことが解っているのでやめて、 ホテルで兌換することにする。 必要なら私の手持ちで支払えばよい。
 

 
2月のときは深い霧で着陸寸前まで空港が見えなかった。
今回も曇り空で見にくかったとはいえ、大連港が見えたので2月よりはよかった。

無事通関し、出ると雛健敏さんが迎えに来てくれていた。
楚さんにお願いしてあったので、彼女が来てくれたのでしょう(^O^)
2月はパスポート再発行でたいへんお世話になった人です。
今回は、2月のお礼をするため、まずは会社に伺います。
従って、今回は楊さんには事情説明して、迎えのお願いはしていません。

空港から会社までの車中で雛さんにハリ灸の大先生を知りませんか?と訊ねる。
これは知人の齋藤さんに頼まれたことであるが、ふと思い出して彼女に聞いてみた。
もちろん居るという。天津市らしい!
齋藤さんからは針を勉強したい人がいて、師事する先生を探して欲しいと頼まれた。
雛さんには後日、先生の名前と連絡先を教えてもらえる。太好了!(^O^)

工場に着いて、まずは楚さんにお礼を申し上げる(ピース1箱)

続いて、雛さんと由部長にパスポートのお礼。
さらに、事前情報で10月8日に結婚予定の宮さんにお祝いの写真ケース。
私は6日に帰国するので結婚式には参列できない。とても残念!
2人は社内結婚です。お嫁さんは潘さんで、とても可愛らしい人です。

品物は我が奥様の作品、シャドーボックスアートです。

 
雛さんには名前のとおりの「お雛さん」を。 由部長には「広重の五十三次」を。 宮さんにはポートレート額
 
続いて、総経理の川添さんに挨拶。出口君を紹介する。
川添さんには空港で買った色鉛筆付箸を4組全部。と、エイデンでもらったデジタル時計(時刻、温度、アラーム、タイマー)をプレゼントする。4年間の任期を疾風の如く駆け、中国市場への足がかりを作り、来年退任帰国する時、大連の小姐にお土産として使ってもらおうと、考えたのである(^O^)

続いて、関係部署を一人であいさつ回り。

営業部全員、技術部は朱軍生、滕育柏ほか全員(董暉は日本研修)、IT部全員。
生産管理部全員(張さん日本研修)、製造部全員。
ほか、2月には逢えなかった、王紅軍や侯朝蓬とも偶然出会えて良かった。
どこも新しい人が増え、古い人が減り、見知らぬ人が増えた。

営業部に王鴻雁がいた。
早速、携帯電話の充電をお願いし、SIMカードがまだ使えるかどうか確認してもらう。
結果は期限切れだった。明日、新しいSIMカードを買ってもらい、9時半頃ホテル大連賓館に楊さんと来てもらうようお願いする。
 

続いて川添さんの案内で工場見学

出口君の専門の変電所から見学(私も初めて(^レ^;
制御パネルは更新されて最新だ!(元線は1万ボルト)

全員が大歓迎してくれた。会社は明日30日から6日まで、国慶節の連休に入る。
日本人は独身の川添さんを除き、全員明日帰国。楚さんは明日早く故郷北京に帰省。
従って、この後の夕食会には楚さんは不在となる。残念だ!

今日の夕食会は定番の昌隆ではなく、五四広場に近い四川料理店。大変うまいという。初めて行く店で楽しみだ。夕食会には開発区の日系工具会社に入社した山本さんも部下3人を連れてやってくるという。久しぶりに私に会いたいという。 

まだ、チェックインしていないので、夕食会前にホテル「大連賓館」まで送ってもらう。
が、香炉礁ジャンクション辺りはメチャクチャの混雑状態。
タクシーとマイカーの量が逆転している。半年前はタクシー7に対しマイカー3だった。
今は逆だ!半年でこの有様だ!すさまじいモータリーゼーションにビックリ仰天。

モタモタ走るマイカーは渋滞の元凶である。さぞかし事故も増えているであろう。
まず、駐在員3人をマンションまで送る。夕食会の場所はマンション付近だから歩いていける。先に川添さんから「スラム街取り壊し」の報を聞き、是が非でも上方から写真が撮りたいと、車中で13Fの秩父君と石垣君に要請。快諾(^O^)。時期は帰国予定の5日の16時頃と約束できた。
 

18:00チェックインタイムリミットギリギリでホテル着。素早く着替える。
小雨が降っている。会社の送迎車ではこの後の食事会時刻18:30に間に合わないと判断し、既に帰宅させていた。我々は川添さんの案内でタクシーで会場まで。

夕食「四川料理」。店名をうっかりして聞かなかった。
五四広場東の長興街の日本焼肉「夢山水」隣の3F

山本さんは既に開発区から来ていた。3人と挨拶。
豊田通商出身の顧問、本社から来た生産部班長2名だ。3人とも若い。

ここで山本さんから研磨係長だった潘君が私に逢いたいとの伝言あり。
潘は2006年9月退社し、開発区の中国系工具会社に就職したと言う。

注文は全て川添さん。私の好きな麻婆豆腐や骨付きの辣地鶏もある。

白酒も1本手配し、みんなで少しずつ飲む。出口君も初めて52度の酒を飲む。
後から何度もプアーとげっぷが出て、とてもいやな気分だという。
中国語でげっぷやしゃっくりのことを「打隔ル」
da3 ger2(但し、隔の偏は口偏)という。

勘定は割勘で@80元。写真もたくさん撮った。

出口君は辣地鶏料理(写真右下の駕篭)の食べてはいけない、とても辛い唐辛子を食べている。
私はあわてて、これは鶏肉の味付け用で食べるものではないと教える。
が、既にかなり食べた後。いわく、「たくさん余っているので必死で食べた」
これにはみんな大笑い(^O^)。

 

口の中がヒリヒリで何も食べられないと思いきや、
その後平気で他の料理を食べはじめた。
出口君の辛いもの好きがヨークわかりました。脱帽m(_)m

真ん中の白いケースが目に留まった。
ティッシュ入れです。上部に爪楊枝もある。
どうやらレストラングッズのようです。
今回の大連訪問最初の新情報ゲット(^O^)
それが、これだ!

 

山本さん(右)と????さん

駐在員3人と

   
ここで、開発区の3人と駐在員の2人と別れ、4人は川添さんの行きつけの日式カラオケへ。
場所は中山広場民生街の天津街かどの「遊らら」。この店は私は初めてだ。
2月に行った魯迅路のクラブ「KIZAKI」はつぶれたようだ。
(ガイドブックにも載っていない)飲んで歌ってとうとう午前様。ホテルまで送ってもらう。

宿泊は2月と同じ「大連賓館」にした。
この建物は大連市政府の重要保護建築物に指定されている、築100年の歴史的建造物である(クラスは三ツ星)瑞士や冨麗華や香格里拉などの五つ星ホテルより圧倒的に情緒があると思っている。あらかじめ楊さんに大連賓館のツインをお願いしていた。
1泊500元と聞き、2月より70元高くなっている。半年で16%UP(^レ^;すごい!

シャワーを浴び、汗を流し休もうとするが、出口君は中部空港の免税店で買ったウイスキー「響」を飲もうと言う。水は飲めないので水割りは不可。水道水を沸かし、覚まして飲む。私はお湯割りだ。よくもこんなに飲めるものだと、このときは感心したが、以後の大連観光でこれが彼のウイークポイントだと解る。

彼がいつまで飲んでいたか定かでない。私は、早々と寝てしまったようだ。
彼は私のいびきが納まるまで寝られなかったという。

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2007年9月30日日曜日>森林動物園、昌隆(火鍋)、足マッサージ

今日からの行動計画は未定。今日、楊さんとお茶でも飲みながら決める予定。
しかし、予報では変りやすい天気が続くようで、計画はしにくい(^レ^;

今日9時半に楊さんと王さんに会って、大連での国慶節の過ごし方を検討する。

大連賓館のツイン部屋はとても大きく、快適です。
ぐっすり眠れて、今日は寝覚めがよいです(^レ^;
ただ、昨夜は飲みすぎて二日酔い気味だ!それでも朝は6時半に起きた
(日本時間で7時半)

カーテンを開けると陽の光が爽やかだ。今日は良い天気のようだ太好了!(^O^)

   
窓から外を見ると、歩道で横になっている労務者がいる(左下)
横には工事中のビルが見える。
拡大。やはり工事関係の労務者が仮眠しているようだ。
人が通っても死んだように寝ている。

昨夜ホテルに帰ったとき、部屋が解らずウロウロした。
原因は部屋番号が順番ではなく、通路をはさんで左右に偶数と奇数に分かれていた。
2月のときは運良く1回で部屋に到達したので解らなかった。
写真がボケており解りにくいが、こんな具合です。
 
エレベーターを降りて、中央通路の左側が奇数番号、右側が偶数番号。
なぜこのような配置になったかはフロントでも分からない。
建設当初の「大和ホテル」の時代からずっと変っていない。
部屋番号を決めた人に聞かなければ分からない。ミステリーだ!

朝早く起きたので朝食前に、曇り空のロシア街に行った。
昨夜のスナック「遊らら」前を通り(民生街)、長江路から勝利橋を渡ってロシア街へ。
 
2月は霧深く大連駅はまったく見えなかった。が、今日は最高の天気です(^O^) 2月 の時の写真

8:45>朝食後、フロントで両替。
2月の16円/元(0.06246元/円)より若干元安の15.9円/元(0.062922元/円)
参考>2年前(2005.8)のレート>13.78円/元(0.07257元/円)<約15%
元高
 
9:30>ホテル前で広場を見ながら楊さんの来るのを待つが、一向に来ない。
おかしな方向(魯迅路)から楊さんらしき人がこちらにきた。髪型、顔目鼻立ちがそっくりです。

「楊さん!」と声をかけたがこちらを見向きもしない。驚くほどよく似た人です。
が、ムチムチ、ピチピチの真っ赤なパンツはいかにもセクシーですが、 さすがに楊さんではここまでやれないでしょう(^O^)。

呼びかける私の前を素通りして、大連賓館に入って、食堂に向った。
しばらくして出てきた。どうやら服務員ではない。多分トイレだ!
あそこにトイレがあることを知っている地元の子だ!足早に中山路の方へ消えた。
それにしても楊さんに良く似た人だった。

 
9:40>広場を見ると、ロータリー車道に車が止まっている>車の衝突事故のようだ!
   

 
10:00>王さんさんがやってきた。携帯電話もらう。SIMカード更新(60元)
早速、楊さんに電話。ガンシェマナ?>交通渋滞で遅れる!>歩いて来い(^O^)

10:30>楊さん到着。
出口君の紹介と今後の行動計画を打合せするため、ホテル内の「大和喫茶店クラブ」へ。
大連賓館中央部に位置する喫茶店は初めて公開するものです。

 
中央部は吹き抜きドームになっており、空が見える。 このドームは、電光盤のため外からは見えない。
 

珈琲1杯40元!ウヒョー!
出口君と私は珈琲、楊さんと王さんは烏龍茶78元(壷)>118元
領収書をもらう。しかし珈琲は2杯で40元だった!ウヒョー儲けた40元!

ここで、楊さんに真綿シルク掛けふとん5つの代金6万円払う。
そして、中部空港で買った新製品「アイズキーピスト」を2人にプレゼント。

 
計画決定
9月30日 天気が良いから森林動物園。夕食>昌隆シャブシャブ
終日:楊さんと王さん一緒
10月1日 星海広場(2人だけで観光)、夕食は楊さんと王さん一緒
10月2日 金石灘>終日:楊さんと王さん一緒
10月3日 旅順>楊さんガイド終日(王さん広州帰る)
10月4日 昼>潘君宅訪問、夕食>王安隆夫婦と
10月5日 自由時間。16:00天河公寓13Fからスラム街撮影
10月6日 帰国
 
早速、王安隆さんに電話でアポ>4日夕食の約束OK
 
 
そうこうしている間に、時の経つのは早いもので、お昼時間です。
昨日は四川料理だったので、さっぱりと飲茶を希望>九州飯店2F(273元

タクシーで森林動物園へ。入場料@120元

入口でおばさんが寄ってきた。入場券を買って欲しいという。チケットは4枚ある。
楊さんと王さんはチケットを見ながら真偽を確認している。>期限は今日30日だ!

おばさんは一生懸命懇請している。私は買うことを約束して入場門までおばさんに来てもらった。
入場できたらお金を払うことにしよう。入口の係員2人はいぶかしそうに私達を見つめる。

無事入場できたので、そっとお金を楊さんに渡す。4枚で350元。
楊さんこれをおばさんに少しはなれた位置で渡した。おばさんは嬉しそうに立ち去った。

聞くと、このチケットは老人福祉の一貫で政府から無料で支給されているもののようだ。
実はこのチケットは濱海路側の野外動物公園も含んでいる。
ここに行くにはロープウエーに乗る。このロープウエーの乗車賃も含んでいる。それなら安い。

 
モノレールはとっくの昔に廃止されたようで、錆びついていた。
私がはじめて来たとき(2000年6月)は走っていた。
我々は歩いて森林動物園を見て回った。
植物園で
 
2000年ではパンダが檻の奥に引っ込んでいたため、見ることが出来なかった。が、
今回は目の前で遊んでいた。ジャイアントパンダを目前で見るとものすごい迫力です。
ですが、なかなかこちらを向いてくれません。
いろいろ身振り手振りしましたが最後までだめでした。
よほど機嫌が悪かったか、私のひげが気に入らなかったか(^レ^;残念!

 
黄金の毛並みを見せる、キラキラ金絲猴
 
続いて、ロープウエーに乗って、隣の野外動物園に移動する。
これも入場料120元に含まれている。
 
ロープウエーから濱海路を望む。前方の建物群は「付家庄」である。 真下が野外動物園の濱海路側入口
 
急いで下りないと危険です。アッ!よかった(^O^)
 
ちょうど今から始まる催しがある。向うから派手な音楽が聞こえてくる。
タイからやってきた「象の演芸団」だ。終るまで見物(16:30頃)
 
野外動物園は2回目だ。が、モノレールは廃止され錆びついている。
遊覧バスは時間が4時半過ぎているため運行していない。
楊さんは高い入場料を払ったので、「何が何でも全部見なければ損だ」
と、強引に私達を引き連れて進み始めた。 やむなく、みんな付いて行く。

ただ、日暮れ近くで、肌寒くなってきた。

 
放し飼いの野外動物園は動物の居住と観光客とが高いネットと高い歩道で完全に分離された空間。
とにかく素晴らしい設計である。だが、観覧時間がかかりすぎる。
 
途中の記念写真2枚。
 
森林動物園で3時間、野外動物園で2時間、合計5時間歩く。足腰ガタガタだ!出口君はダウン寸前。
 
18:00>濱海路は真っ暗だ!
市バスで高楽基路まで、ここからタクシーで夕食場所シャブシャブ「昌隆」へ。

18:30>昌隆はいつも通り超満員だ!しばらくして4人掛け角テーブルが空く。
テーブルを見て最初に気がついたのは鍋である。丈が高くなっている。
今までの固形燃料から、燃料内蔵型に変っている。これなら無駄がない。

メニューはいつも通りである。
鍋は変ったが味はいつものまんまだ!幸せなひと時である。
費用は280元(1人70元)王さんのおごりでした(^O^)ごっつあんです!

これで昨日の「四川料理」と今日のお昼「飲茶」と、
大連で食べたい食べ物3つ達成した(^O^)
残るは・・・だ!

20:00>楊さん、王さんと別れる。
明日は国慶節なので、2人にはゆっくり休んでもらい、出口君は私が案内する。
ただ、夕食だけは一緒にしたいので、楊さんに美味しいところを紹介して欲しいとお願いする。
場所は夕方電話で確認することにした。

とにかく足腰が疲れた。出口君もまったく元気がない。そこで足マッサージへ。
いつも私が行くホテル近くの「手足情」へ。 しかし、足だけでは物足りないので、全身に変更。
新メニュー日式全身マッサージ2時間150元を注文。

このメニューは顔マッサージパックが無料サービス。 だが、何を塗りつけたか不明だ!クワバラクワバラ 足は楽になったが、背中が痛い。 ご苦労様とチップ20元渡す。

雨も上がっている。快調な?足腰になったので、歩いてホテルに帰る。

今日はヒヤヒヤのお天気であった。
朝は快晴、お昼頃は曇り時々小雨、動物公園は曇り空、 夕食時は雨、足マッサージが終った22:30頃は雨が上がっていた。 とにかく、1日終った!さすがの私も疲れた!バタンキューと寝たが、 出口君はシャワー浴びてから美酒に酔っていた。すごいね(^O^)

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2007年10月1日月曜日>国慶節の大連街角

ホテルの窓から外を見ると、傘を差している人、いない人がパラパラ歩いている。本降りにはならないようだが、はっきりしないいやな天気だ!これでは、歩きでのある星海広場に行っても面白くない。
そこで、星海広場はあきらめて、付近を散策することに変更した。
 
8:00朝食>大連賓館の朝食は品があってお薦めです。
 

8:30>玄関で結婚式のエアーアーチ準備中。閑があったので準備完了までずっと作業を見物。
結婚式を国慶節に行うとはさぞかし思い出に残ることでしょう(^O^)アーチは2つ。
結婚式は2組です。路面は濡れているが、雨は降っていない。

 
おばけクラッカーも準備中。
 
いよいよエアー注入です。意外と短時間で膨らみました。
 
ときどき自転車も走っている。 完成しました。
 

披露宴会場は大広間(朝食を食べるレストラン)ともうひとつ中広間がある。
今回初めて、中広間を拝見した。披露宴の準備真っ最中であった。天井がドーム状で煌びやかなシャンデリアが王朝風の雰囲気を醸し出している。素晴らしい(^O^)

10:00>魯迅路を通り、日本関係資料が保存されている図書館に寄ったが、お休みで係員に入館拒否された。

 

満鉄本社建物見物。

 
正面の赤い横幕を見るため、近くに寄る。
 
鉄路文化宮入り口扉に国慶節演芸(漫才と曲芸)の案内看板あり。
長春の演芸会社「長春和平大戯院」の公演だ。(日本の「吉本新喜劇」のような会社だと思う)
演芸は鉄路文化宮で毎日19:30から22:10までの約3時間半。

料金は前列で100元。安いものです。暇があったら行こうと出口君と笑った。
言葉は解らなくても身振りや手振りなどの動作で大体理解できるかも?
解らなかったら、回りが笑ったら同じように笑えばよい。いやはや(^レ^;

 
 
 
会   場

結局のところ、観劇できなかった(^レ^;

改装して囲碁将棋場になっていた。

2月来た時、建物2つが保護建築物に指定されていた。
が、その内のひとつ「元大連倶楽部」の建物から
保護建築物の指定看板が外されており、室内から灯りが見える。
階段を上がり、覗き込んだが中国人男女にジロッとにらまれて逃げてきた。

 

この足で中国のスーパーマーケット「家楽福」を案内。店内は暖房?で、汗ばむくらいだ!

私は中国製花王石鹸(固形)、筆記用具3種類、ホタテ貝柱520元(500g)買う。

石鹸を買う理由はホテルの石鹸が洗濯石鹸ほどのきついものだからだ。
ただでさえ干からびているのに、これは厳しい。
中国製でも日本製と変らないきめ細かい泡立ちが肌に優しい(^O^)

 
青色油性ペン30本で26元(1本0.87元、1本14円)
インクは日本製と書いてある。
元「大連日報」のあった空き地は2月の時から進展が無い。いったい何ができるのであろう?
 
4色ボールペン4.9元(78円)>これが何と「キティチャン」ならぬ「ミフィチャン」だ(^レ^;
   
4色ボールペン3.8元(60円)  
 

11:30>ホテルで休憩。
電話機脇に伝言メモあり>潘君からだ!「電話くれ」とのこと。

早速電話。久しぶりの挨拶の後、4日の昼に訪問することに決定。
ご両親も居ると言う。楽しみである(^O^)

12:00>昼食は肯徳基だ!友好広場へ出かける。
ピリカラチキンのハンバーグは日本ではありません。とてもうまい。
中国で食べたい料理その4は肯徳基です。(^O^)

その後、彼を天津街の「大連文物店」に連れて行く。
ここで私は子供や兄弟の印鑑を作ったり、掛け軸の表装をやってもらった。
しかし、最近は入口が眼鏡屋になって、奥のほうに少し古美術品が並んでいる程度に縮小された。 出口君の趣味である篆刻用石などもまだあるかもしれない。

天津街の広い遊歩道が今まで、イベントのたびに設営しては壊す仮設形だったが、常設形に変っていた。 広い歩道もこんなの作ってしまうと、狭苦しくなって興ざめだ!
商魂あるのみか(^レ^;何でも商売第一のガメツイ中国根性丸出しにあきれて物が言えない。

しかしだ!ここでシシカバブー(羊肉の串焼き)を焼いている。
出口君にご賞味願おう(^O^)2本5元。4本注文。
待つこと10分香辛料たっぷりの串焼き完成。歩きながら食べる。

これには絶対ビールだ!が、近くに売っていない。
並ぶ露店はを探しながら歩くと、しばらくしてコンビニがあった。
クーラーに入っているのは500ml。
しょうがないのでこれを1本買って(8元)二人で飲みあう。うまい!気分は最高(^O^)

大連文物店
(ここでは駐在当時、象牙の判を家族にたくさん作ってあげた。が、今はほとんどない)
篆刻用の石もほとんどない。硯石など高価なものだけ。また軸が上からパラパラ吊るしてある。 結局、
出口君の欲しそうなものもなく、サラッと店内を見回して出た。

歩いて、マイカルーへ。小雨がパラパラ。歩いていても帽子を被っていれば左程気にならない。地下食堂街の裏から入る。トイレして、食堂内を案内し、いつも私が飲む青島の缶ビール(値段は変っていない350ml8元)を買い、休憩。

食堂(回転すし)への入口にステージがある。ここで小雨降る中、揃いの服装で女の子がへそ出して踊っていた。 出口君は汗びっしょり。彼はちょっと歩くと汗ビタビタだ。
そこですぐ飲み物!またまた汗が出る。かなり問題だ!

 
入口の特設舞台で、ヘソ丸出しの小姐がラップダンスしている。
小雨降る中、大勢の観客が傘差して見つめる。

   

マイカル店内散策。1階から6階までざっと素通り。
この後、再び地下に戻り、スーパーマーケットでショッピング。

タバコ、お酒売り場から店内へ。
駐在時、私が10日おきにやってきて買ったものがある。 昔懐かしい食パン一斤である。
最近は5,6枚セットに包装されたパンばかりであまりうまくない。 ここに、月餅がばら売りされていた。

出口君は月餅を知らなかったので、良くみてもらう。 大小箱詰めで販売していた。
値段は月餅の種類によってピンきりだ!100元くらいから600元くらいまで。

出口君はここでまたまたホタテの貝柱箱入り@260元を2個購入。
よほど気に入ったようです。

 

イカ焼きとスルメ作り見学。スルメと足をウイスキーのツマミに各1個買う(18元/袋)
ここの黒胡麻入り月餅を1パック買う(2個入り10元)

   
続いて、地下商城散策>楊さんの店「天后站」に立ち寄る。2月とは違う店員がいた。
店員に2人の名刺を渡し、楊さんに渡すよう伝えるとニコッと笑って受け取った。(^O^)

外は車のホコリで空気は悪いが、今日は雨降りだからホコリは立たない。
逆にひとひとひとの地下は最悪の空気だ。そこで、表に出て駅方向に歩く。

  勝利広場西側の海産物雑貨商店街は不衛生極まりない。ここもあまり長くないであろう。
ここでいつも「ホタテの貝柱」を1000元ほど買う海産物土産店に立ち寄る。
今回は既に家楽福で買ったので不要であるが、出口君に紹介かたがた覗く。

勝利広場地下への落書き階段を出口君に紹介しようと入ったが、きれいに塗り替えられていた。 ここは落書きコーナーとして大連の名物ストリートになると思っていたが、当局は認めなかったようだ。残念!

勝利広場地下商城の地下3階あたりのエスカレーター付近で休憩していたら、女性が道を尋ねてきた「中山広場はどこ?」
日本語まじりの中国語で答えると、彼女は日本人ですか?といって嬉しそうに日本語で語りかけてきた。 広東省から来た「オムロン」の通訳で英語を勉強するために大連外語学院に入学すると言う。

次のように丁寧に道を教えた。

外に出て、中山路を大きなボール状の模型が見える方向に進む。
ボール状の置物があるところが友好広場。
この広場を通り過ぎて、次の広場が中山広場。ここを右方向に回り、 大連賓館前の延安路をズット上がっていくと、解放路に突き当たったところが外語学院です。

彼女はよく分かったと言い、お礼もそこそこに立ち去った。
日本人ならもっともっと丁寧にお礼するのが普通です。が、これが一般の中国人です。
また、分かっていなくても「分かった分かった」と、簡単に答えるのも中国人の特長である。

心配になって、地下から表に出て、歩道を見ると、別人に道を尋ねている。案の定だ!
近づいて友好広場方向を指差して、「あっちだ!」と教える。
再度の親切にも、彼女はお礼も早々に、振り向きもせずスタスタと立ち去った。
この人は日本人が嫌いのようです。

今夜の食事どころを確認するため、勝利広場の中山路側中央入口から楊さんに電話するが、 「ネットワーク不調」のメッセージが出て、通話できない。但し、なぜか「受信」は可能だ。 楊さんさんからの電話で我々の居場所を連絡し、楊さんが来るのを待つ。

携帯を楊さんに調べてもらったが、なぜ送信ができないのか解らない。
ちょっと休憩しましょう。しばらくお休みすればかかるようになるでしょう(^O^)

夕食は星海広場のリゾート「国宝」前の中華レストラン「三宝粥店」星海店だ!

王さんは少し遅れるので、先に出かける。

この店はもともと華北路にあり、会社から近い。
会社の食事会ではいつも歩いて来たものだ。
汚い店であったが、「安くて、うまい」と評判で、いつも超満員だった。

星海店に入って驚き!素晴らしく明るく、ハイセンスな店だ。
古ぼけた華北路店で大もうけか(^レ^;
いや、それだけではない、ここも超満員だった。王さんが来るまで奥で席待ち。
食べ物屋は味が勝負!心を捉える味がここにはあるようだ!

王さんが来てから、楊さんに席を守ってもらい、王さんと出口君と3人でメニューの選択。

まずは一番食べさせたいナマコ料理。大連で最も高い海産物は干ナマコだ!
私が知っている最高は500gでなんと19、800元(336、600円)なのである。
干ナマコが売り切れでなかったので7cmくらいの生ナマコのあんかけごはん(海参撈飯)を注文(2個@70元)

次ぎは私の大好物「生えび」(基囲蝦)を500g(40元)茹でる。
そして、サヨリ(棒魚)の唐揚げ6匹。

スープはいつもの糸状に切った大根とエビのスープ(蘿ト絲蝦湯)
主食は私の嫌いな餃子ではなく、トーモロコシパン(玉米餅子)

出口君は毎日中電下に釣りに行っているだけあって、魚のことはうるさい。が、
私が選んだ棒魚(サヨリ)をくちばしがサヨリではない、カマスだと言って引き下がらない。 店の名札は間違いなく「棒魚」と書いてある。棒魚はサヨリなのである。

彼が選んだのは、
@大閘蟹
da4zha2xie4(上海蟹)4匹(@30元)とA巨大な生赤貝2匹(@?)

私は上海蟹を食べたことがある。王さんと出張で無錫に言った帰り、空港売店で買った1匹80元 の上海蟹を、持ち帰れないので空港内のレストランで茹でてもらって食べた。
卵がいっぱいで実もプリプリで美味しかったが、甲羅や足など硬くて歯が立たなかった記憶ある。

蟹は面倒くさいから要らないと言った私を軽蔑の眼でにらんで、彼は強引に一人1匹注文した。 何としても食べたかったのであろう(^O^)
私はしょうがないので食べたが、食べ方がズサンだと注意された!ほっといてクレーー
楊さんは食べたが、王さんは過去に私と上海で懲りているのでいらないと頑として食べない。

余った1匹は出口君が歯で殻を割り、身を取り、皿に納めて、王さんに渡す。
王さんは「親切な人」と、出口君を持ち上げ、それを食べた。
バカヤロウ!恥ずかしくないか!

料金は533元(8500円)一人133元(2100円)ビールもたくさん飲んだからしょうがないか (大連ビール「黒獅啤酒」1本10元)。でもちょっと高いね。新しい店は値上げした。

この後、雨も上がっているので、腹ごなしの散歩として、橋を渡った新しいマンション群を見学した。
 

 

 

 

明日は金石灘へ行く。10:00大連駅集合を約束して、楊さんを自宅に送り、ホテルへ。
シャワーを浴び、ついでにパンツと靴下を洗う。23時就寝。

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2007年10月2日火曜日

金石灘

今日もまた、小雨がパラパラ。金石灘は海岸が命だが、多分だめであろう。
本降りにはならないようだから、とにかく計画を消化するしかない。
 
8:00起床。
トイレでウンチ流すの忘れる。出口君に注意され解る(^レ^;
ボケか?、はたまたいつのまにか中国人になってしまったか!

昨日の残りの玉米餅子を食べる。

8:45朝食。今日も2組の結婚式がある。
朝食用のテーブル1卓残して、披露宴の準備中。わいわいガヤガヤうるさいので、ゆっくり食事も出来ない。お客様本位のサービスを心がけて欲しいものです。

9:15>小雨降る中、大連駅へ向う。

駅前から駅裏への通路は露店で歩く場もないほど混雑。出口君にスリに注意と警告。
雨降りのため国慶節をあてにしてやってきた露天商が全部、薄暗い地下通路に集積。
壁面の広告灯を頼りにひしめき合って営業している。
床面が雨で濡れた靴でベタベタだ。ここにビニール風呂敷を敷いて商品を並べる。
さすがに食べ物はないが、小物お土産は何でも売っている。
しかし、ここはさすがに写真を撮れなかった。

10時5分前駅到着。
出口君は足が遅い。10分歩くと汗びっしょりとなり。とたんに動きが悪くなる。
これでは大連観光は困難だ!大連のよさを歩いて体感してもらうのが私流の観光方針だからだ。楊さんは既に来ていた。王さんは少し遅れて到着。
相変わらずの小雨でなんとも残念な天気です。

 
大連駅裏入口方向 双興韓国服装城方向

 

電車賃は8元だった。2年で2元値上げした。
完成当初は12元だったが高すぎて乗る人なし。そこで半額の6元にしたら大盛況。

 
 

切符を自動販売機で買う。が、なかなか買うことが出来ない。
中国ではほとんど自動販売機がないので、使い方が解らないのだ。
しかし今後、人件費の上昇に伴って、必ず自動販売機は増えるであろう。

自動販売機が使えない人は切符売り場で購入する。
しかし、改札は自動である。うまく通れない人もあるので、
係員が脇で待機している。

   
切符は改札口で回収されてしまうので、金石灘に着く前に写真に納める。ピンボケで残念です。
   
ホームに路線の地図がある。拡大図(278KB)  
   
金石灘まで駅の数は12である。 楊さん王さんと
   
きれいな電車です。 約1時間で金石灘に到着。観光客は小雨でもたくさん居た。石碑の前で記念写真。
 

駐車場の一画に観光案内板がある。拡大図(407KB)
これから行くのは中央部ましたの海岸「黄金海岸」である。
右下には何度か行った、トリッキーな金石灘ゴルフクラブがある。

本来なら歩いて黄金海岸まで行きたいが、雨降りでは致し方ない。乗り合い観光バスで海岸まで行く。
このバスチケットは所々の観光スポットを見ながら自由に乗り降りできるフリーチケットです。降りた場所は前来た時と違う海岸だった。黄金海岸からゴルフ場方向に向かう橋を渡ったところであった。
 
この橋の向こうに見える海岸線が黄金海岸である。 橋中央部から黄金海岸を望む。が、曇り空でちっとも黄金ではない。残念!

 
橋中央部で遊覧馬車に出会う。乗合バスが黄金海岸側に下りれば、この馬車に乗れた。残念! 4人は傘なしで、小雨降る海岸線を歩いて、黄金海岸へ向う。海岸は波もあり、
遊覧ボートも閑古鳥が鳴いていた。黄金海岸で記念写真。
 
ブラブラ歩いてきたが、お店も何もない。砂の芸術作品も雨で流されて無残な姿だ!
ここが金石灘黄金海岸の中心位置である。
 
 
モニュメントの前では大勢の若者が記念写真の順番待ちだった。
 
食べ物屋もなく土産物の露店も2,3軒だ。お昼頃になったがレストランもないので、途中でタクシーを拾い駅へ戻る。天気が良ければ、観光スポットを順番に見ながら楽しめたがこのお天気では興味も半減だ。

金石灘は以前よりは間違いなく、遊園地など見るべき場所が増えた。
また、夏のリゾート地として海の家など別荘がたくさん海岸線に出来ていた。
金持ちがここらの別荘を買っているのであろう。

昼食は30日飲茶を食べた九州飯店横の韓国料理店「太能焼拷」

歩いて、ホテル冨麗華裏の大連古文化市場へ。

ここで出口君は自分の雅号「潮香」の落款用印を注文。
□15mm石が200元(彫り賃無料)>約20分で彫った。

店は入口正面の「匯寶齋工藝精品行」。彫師は「盧性勇」lu2xing4yong3

 
ここは16時で閉店。閉店間際であわただしく彫ったが、出口君はたして気に入ったかどうか?
 もちろん書体は彫師が考える。彫る文字を見て一瞬で書体を決定し、出口君と相談する。

後で見せてもらったが、さすがにプロだ!良くこんな短時間に彫れるものだ。
その間、私はブラブラ散策。入口左側にもこのような店がある。

店名は「大連金鵬篆刻工藝美術品」

若い女性(張 会麗)だったので尋ねると、流暢な日本語だ。
彼女は彫師ではなく、この店の経営者だ。
これが観光土産になると判断して、副業としてここに店を開いたという(楊さんと同じだ)
販売実績のある印を20例ほど載せた特大(9cmx9.5cm)の名刺をくれた。

   
 

他も見たかったが、時間切れだ!後日また改めてゆっくり来よう。

 
雨がポツポツと降っている。ザーと降るよりはいいが、連日うっとうしい天気に閉口だ!

店を出て小雨の中をホテル冨麗華へ。疲れたので玄関ロビーで一服。
王さんは明日広州に帰るので、準備のため帰宅。
2日間お付き合いありがとう。お土産の機械雑誌は楊さんに預ける。

夕食を日本料理店「清水」ときめ、時間つぶしにもうひとつのスーパーマーケット「ウォルマート」へ行く。 冨麗華玄関口でタクシーを待つが予約なのか停まってくれない。
しょうがないので人民路で流しのタクシーを拾う。

タクシーは混み合う中山路ではなく、高楽基路から五四路を走る。
お陰でたいへん面白い光景を見ることが出来た。

五四路と中山路との間の競技場東側一画は2005年8月来た時、全て取り壊され、新地であった。

まだ外郭だけであるが、ここに背の低い洋館風の洒落た建物が建ち並んでいる。

小雨降る、薄暗い天気であったが、このチャンスを逃すと次回は少なくとも半年後となり、完成してしまう。 そこで、2人をほっといて夢中で写真を撮った。それが、これだ!

 
タクシーを下りて、南方向>右に競技場、左が新しく出来た一画。 同じ位置から南東方向(前方左側奥に電波塔がある)
 
ウォルマート東口前(前方に電波塔がある) 中山路近くから撮影>右前方が競技場
 
同じ場所から電波塔方向(左端に中山路がある) 中山路沿い
 
競技場方向 中山路を渡って、デパート百盛前から同じ方向

以上。天気が悪いので写真が悪い。次回は必ず完成写真を撮る。

奥林匹克広場広場前の中山路沿い百盛横に出来た喫茶店「スターバックス」で休憩。

出口君と私はアメリカンの小カップを注文したが、楊さんは大カップを持ってきた。
これがとてつもなくでかい。 中国ではなんといっても量が多くないと売れません。
それにしてもでかすぎる。飲みきれない。
楊さんは名前?(泡ブクブク珈琲)一口してまずいと、以後口にしない。これは初めて注文したようだがもったいない。 まずい珈琲を残して(2度と来るかバカヤロウ)

ウォルマート散策>店内はとても暑い。出口君は汗びっしょり

夕食の時刻が近づいてきたので、タクシーを探す。

昼食は2時過ぎに韓国料理食べた。そしてまずい珈琲も飲んだので、
あまり腹は空いていないが、出口君に大連の草分け的日本料理店を案内するため、
ドシャブリのなかウォルマート東口でタクシー待ちの客がひしめき合う中を必死でタクシーを探す。 今日のような天気では、完全にタクシー運転手任せである。

行き先によって乗車拒否は当然。

運良く、タクシーが目の前に止まった。
星海は近いので拒否されると思ったが、
OKでほっとする。

店はほぼ満席であった。国慶節でみんな外食しているようっだ。
それほど食べられないので、メニューを見ながら、出口君優先で注文してもらった。

彼は「さんまの塩焼き」18元、「めかぶ」20元、「茶碗蒸し」3個@12元を注文。
私はここに来ると必ず食べる「メバルの煮付け」@35元と「冷奴」2個@8元。
楊さんにごはん物として「にぎり寿司」80元、「鉄火巻き」35元を注文。
ビールは中国産アサヒスーパードライ大瓶3本@15元

合計285元(4560円)一人95元(1520円)<これは高い>
それでも、最近は日本人より中国人の客のほうが多い。
ここへ来ると、豊かになりつつある中国を実感できる。

楊さんを自宅まで送り、ホテルへ。

明日は旅順へ行く予定であるが、このようなドシャブリの雨では何も見えないので意味がない。 そこで、旅順を一日延ばし4日とし、代りに4日の潘君宅訪問を明日3日に変更するべく、潘君に電話。快く了解してくれた。

 

中山広場の保護建築物は夜になるとライトアップされてとてもきれいである。
今日は雨で濡れた道路に反射して、特にきらびやかである。

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2007年10月3日水曜日>家訪、古玩城、労働公園

今日もまた、小雨がパラパラ。計画は旅順であったが、見晴らしの悪い日に行っても興ざめだ。
そこで昨日、急遽予定変更して、潘君宅を訪問し、昼食をご馳走になることとした。
従って、今日は終日(夕食も)楊さんのお世話になりません。

9:00朝食>今日も結婚式が2組ある。騒々しい中でバタバタと食事する。

9:30>歩いて港湾広場の「大連古玩城」へショッピング。
出口君にもう一軒の中国古文物総合店を紹介する。
港湾広場で記念写真撮っているとき、古ぼけた洋館に改めて気が付く。

   
保護建築物かどうか確認したが、看板なし。 右方向が今歩いてきた人民路で、この先に中山広場がある。
 
改めて、荘厳な(^レ^;建物を眺める。いったいいつ誰が作ったのであろう? 入口階段には阿うんの獅子が見張っている。
 
保護建築物の認定板を探したが、どこにもない。まだ、登録されていないようだ!

港湾広場をグルッと見回す。

 
半年振りに2階の刺繍クロス店王さんに挨拶。店先で座り込んで一服。
今回は何も買う予定がない。
2月に買ったクロスはヤフーネットショップに出店したが、まったく反応なし。

出口君は篆刻練習用の石を2個買う120元。

私はその前の蘇州刺繍店で刺繍の山水画を買う。値札は1800元とあったが、1000元以上は出せないと交渉。1200元と言ったがはねつけて1000元で成立。
巻いて筒に入れて待ちかえる<作者は大連人親子。パンフレットもらう。

潘君宅訪問の時刻まで余裕があったので、上の階も覗く。
篆刻用の石やさんはとても多い。3
Fにどこかで見たような看板が目に入った。
天津街の郭末若サイン入りの看板と同じものだ>大連文物総店
中に入ると、良く見た女史が居る。あの店が今、ここにあったのである。
駐在中は象牙の判や碑林の拓本を軸にしてもらった。

  店内には董さんの作品が所狭しと飾ってある。
 
あそこ(天津街)は場所代が高いのであろう。
そう言えば刺繍クロスの王さんも冨麗華ホテル裏の大連工芸品交易市場からここに移ったとき尋ねたら、店の権利料が高いからだと言った。
 
名刺をもらって、また来ると約束し、何も買わずに帰る。
 
10:30>ホテルに寄って、買ったものを置いて、潘君宅へ。
お土産はタバコ「ピース」1カートン。余分に買っておいて良かった。

タクシーに乗るとすぐ、潘君に電話し、運転手に代わる。
彼の家は泡崖子の欣楽公園で、2回訪問しており、おぼろげながら解るが、確認のため場所を運転手に教える。
家は前とは違う場所だった。住所は欣楽西街10。前より広い家であった。
昨日までが瓦房店の実家に居て、今日は両親共々ここにやってきた。
ヤンチャな長男坊主「潘徳権」も元気だ。

が、食事前にコーラばかり飲んでいるので、マクドナルドやコーラは身体を壊すだけだ。
と、万さんに注意。普段は飲ませていないが国慶節なので許しているという。

お父さんは59歳で定年退職。厨房ではお母さんが料理を作っている。万さんに手伝わないの?と尋ねる。料理はお母さんにはかなわないというから、「それは当然だ」と。
しかし、一緒に作ることが大切だと諭す。
毎日一緒に住んでいると、嫁と姑は必ずいさかいが起こる。これは生活経験の多少から発生するものだ。

料理が出来るまで、潘君、万さんと仕事のことについてお話。
潘君は2006年9月元の会社を辞め、開発区の150名ほどの会社に変わった。
潘君はここで製造部副部長という職制だ。(名刺もらう)

給料は6000元とのこと。
万さんは結婚する時、開発区の
TOTOだったが、今は中京に勤めている。

料理が出来た。私が飲めることを知っているので白酒を開ける。
出口君も生れて初めて飲む。第一声は甘い(^O^)
白酒はお父さんと私と出口君の3人で空けた。
潘君はなんと贅沢なハルビンビールの小瓶だ。国慶節だからという。

料  理

食卓中央部には大きなヒラメの辛煮がデンと置かれる。
それを囲むように料理が並べられる。全て手作りである。

私のエビ好きは有名なのでどこに行っても用意される。
しかし、エビが大きいのであまり美味しくない。
小形のエビのほうが美味しいのである。

瓦房店の地鶏の骨付き>これはうまい。
私が駐在時に食べていたのは「庄河の大骨鶏」だったと言うと。
みんな親指を立ててあれは最高だ!と讃えた。
私はときどきこれを百盛で買って食べていた。(卵は1個1元と高い)

ニンニクの茎と豚肉の炒め、モクソ蟹(出口君は珍しいと言ってバクバク食べる)、もっとも珍しいものは幼虫の煮付けである。
中国人はお祝い事に食べるようだ。
名前は「繭蛹」
jian3 yong3といい、蚕のさなぎである。
黒褐色の大きな幼虫は見た目はとても気持ち悪い。が、
食感はグニュとしてよくないが、蜂の子と同じで、とても甘くて美味しい。

 

潘君に私のデジカメで写真撮るようお願いする。
以下の2枚は出口君が1眼レフで撮った写真をスキャンしたもの。

 

お父さんお母さん息子の徳権君と

 

最後は出口君のカメラをタイマーセットして全員で撮る。
本当に幸せそうです。潘君はとりあえず今までのところ親孝行しています。
が、中国国家が今後どのように進むか、良く解りません。
中国人民が等しく、幸せになるような国家政策が取られるよう祈るばかりです。

次回訪問時も再訪することを約束してお暇する。

帰りは潘君のマイカーで森ビル前まで送ってもらう。マイカーは1500ccだ。これには驚いた。
天気さえ良ければ人民広場で下りて広場を散策したかったが雨が降っているので中止

トイレに行きたくなったので、森ビルで下してもらう。森ビルは正面は入れない。裏から入ろうとしたがだめ。そこで、隣の香州大酒店で用を足す。すっきりしたーーー(^O^)

雨が上がり、明るくなってきたので、労働公園へ。

 
労働公園は秋たけなわであった。菊が様々に細工され、展示してある。
 
右のほうから、男どもが振り返るような妖艶なティーシャツ女史がやってくる。 歳は28歳か(^レ^;
これだ!
 
孔雀と龍
牡丹園
 

ロープウエーで上に登り、大連市内を一望せり(1眼レフカメラ)

 

公園内でショッピング>2月のときと同じ露店「字画」あり。
出口君は自分の名前を目の前で書いてもらう(20元)
米粒に名前を書いてもらい、瓶につめた首飾り(20元)も買った。

 
帰り道にもいろいろな菊芸術がある

 

私は出口付近で見つけた餅を買った(5元)。
切り込みの入った平たい石臼に蒸した米を載せ、杵で突いてつくる。
これに黄な粉をまぶして完成。とても珍しいものだ。しかし、写真はピンボケで残念!

夕食はなし。ホテルで休憩した後、初めてスナックへ出口君を連れて行く。
が、ママ不在(8日まで帰省)
お土産に労働公園で買った黄な粉餅と潘君にもらったスモモをあげる。するとすぐに出てきた。
スモモは他のお客さんにも食べてもらうよう進める。黄な粉餅は夕食抜きの我々で食べてしまった。

女子2人指名@50元、飲み物はビール@20元。
女の子がジュースガブガブ飲む4杯@50元。合計700元
ママが居ないとこんな体たらくだ!なじみの客もへったくれもない。頭にきて9:30帰る。
出口君は物足りない様子。やっと彼女と親しく日本語と中国語のチャンポン会話が出来始めたところだ。 明日、王安隆さんと食事した後、行きましょう。

だが、チーママの百合さんは大連っ子らしくスタイル抜群で目鼻立ちも日本人好みだ!
もてもてであろう。ただ、こういう女はもてるが故に、横柄なその態度が鼻につくこと間違いない。

気分も悪く、早々に寝てしまった。

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2007年10月4日木曜日>旅順、現代博物館、濱海路

今日は初めてに近い晴れ。ただ、海岸特有の霞がかかっているので見通しは悪そう。
しかし、雨降りよりは圧倒的によい。何という好運であろうか(^O^)

8:30朝食時、楊さんに電話。9:30出発決定。

ホテル前でタクシーを拾う。女運転手だった。
が、地理は大丈夫かな?確認したところほぼ
了解。が、これが問題だ!

料金は一日いくらではなく、メータにした。いろいろ交渉するのが面倒くさい。
ただ、これだと道に迷った時の無駄な走りも全て払わなければならない。
楊さんは「いいですか?」とわたしに目配せしたが、私は
OKとうなずく。

星海から旅順南路で行った。
途中、龍王塘から水上人間を過ぎたところで海岸道路に入ろうとしたが、
ここは楊さんも既に学習済みだ(^O^)、運転手に右方向をうながす。

しばらくして目的地の看板あり。東鶏冠山景区と203景区である。
2月は東鶏冠山景区が先であったが、後の203高地へ行くとき道に迷ったので、今回は203高地を先にした。
結果的には後先関係なしに、今回も大いに道に迷うこととなった(^レ^;

203景区(入場料@30元+車両通行料10元)

駐車場では例によって、駕篭かきが群がってくる。
日本語の堪能な高齢ガイドが寄ってきた。前回と同じ人だ。
日本人向けのサービスである。時刻は10:40頃。観光客もチラホラ。
駕篭かきが100元100元と駆け寄ってくる。

楊さんはタクシーで待つ。二人は坂道を歩き始める。駕篭かきがうるさく付きまとう。
私は必要ないが、出口君は上まで歩くことは、多分無理だ。
駕篭かきをやっとの思いで振り切って、後を見ると、案の定出口君は駕篭に乗っていた。
ヤレヤレ(^O^)

 
私は一足早く登りきる。一向に来ないので、しばし待つ。

 

出口君を乗せた駕篭かきは不運である。
90
Kg近い巨体を2人で約500mくらい上るのであるから、
それはもう地獄である。やってきた。駕篭かきはヘロヘロだ。

 

これで100元は安い(^O^)。
出口君に「料金を払った?」と尋ねると、途中で休憩したとき、駕篭かきがチップチップというので120元払ったという。馬鹿なことをしたものだ!しかし、出口君はえらそうな彼らを見て可愛そうになったのであろう。駕篭かきはさっきもらったのはチップで駕篭賃ではないという。ばかか!!
私達は駕篭かきに支払済みだと手を振りながら、立ち去った。
駕篭かきもそれ以上は追いかけてこなかった。

記念写真(1眼レフ)

 

今回は砲弾をかたちどった記念塔の落書きが気になったので調べた。
よくよく見ると、「山」の字がボコボコに凹み歪んでいる。不心得者がよじ登って叩いたようだ!
ロシア語で書かれた落書きは一見すると最初から彫りこまれたもので落書きではないように思えた。
が、よく見ると極めて丁寧に刻まれた落書きであった。

 

いつもはこの後、すぐにロシア軍の塹壕跡に向ったが、今回は高台へ足を運んだ。
ここにも新しく、戦争の記念品が置いてあった。
 
ここは重砲兵用観測所である。説明板にはこう書かれている。

「1904年12月、日本軍は二○三高地を占領した後、すぐそこに重砲兵用探り所を設置したことにより、重砲を指揮して旅順口港へ猛烈な攻撃を行い、港に停泊したロシア軍艦を殆ど日本軍の砲火に 打ち壊された。重砲兵用探り所は日本軍がロシア軍海軍の力に打撃を加え、ロシア軍陸上防御線を粉砕して最終的にロシア軍を打ち負かしたことにおいて重要な役割を果たした。」

ここにはもう一枚の説明板<日本式280mm榴弾砲>が設置されている。説明板にはこう書かれている。

「二○三高地争奪戦で日本軍は口径の異なる大砲を六十台余り使用して、高地に対して狂気じみた無差別爆撃を加え、全部で一万一千発以上の砲弾を撃ったが、そのうちに280mm榴弾砲砲弾が2254発あった。当該大砲は本体の重さが10.753トン、砲弾の重さが217Kgで射程が7800mだった。」

 
説明板の榴弾砲がこれだ!砲筒は短く切断してある。
 

この後、ロシア軍の塹壕跡を見ながら、乃木保典戦死跡経由で駐車場に帰る。

 
203高地を出て、もとの道に出るところを、間違って相当に迷った。外人が入れない中心街に入ったようだ。勝利塔やロシア監獄跡などの前を通って、道を尋ね尋ね進む。が、一向に東鶏冠山景区の看板が現れない。
看板があって喜んでその方向進むが、先には何もない(^レ^;
尋ねた道もいい加減で、尋ねるたびに行ったり来たりさせられる。

と、ちょうど同じ東鶏冠山景区へ向う、観光客を乗せたタクシーに出会う。
後についていく。この間かなり回り道をした。
タクシーメータは容赦なくカウントする。少し余分に払うことになりそう。

グルグル回り道して、やっとの思いで入口らしきゲートに到着。
が、いつもとは違う入口だ!運転手が外国人は入れないと小声で言う。
しかしここ東鶏冠山は何回も来ているので問題ない。楊さんに入場券を買ってもらい、電動ゲートが開いたと同時に素早く入場し、走りすぎた!

東鶏冠山景区>(入場料@20元+車両通行料10元)

入場券が2月のときと違う。 2月のときの入場券>入場ゲートの図柄であった。
   

まず、日露戦争陳列館。前回平野君はすさまじい記録に衝撃を受け、
陳列館内の写真をすべてデジカメに納めていた。出口君も同じく、
学校では教えてもらっていない日本軍とロシア軍決戦の記録を食い入るように見ていた。
歴史のある一時期、不幸にもこのような事が起こったことを忘れず、
このことを教訓として将来に生かすことを誓う。
   

東鶏冠山景区は2月より大幅に整備されていた。いままで見ることの出来なかった奥のほうも見学コースとなった。
激戦の後を示す銃弾の跡は平野君同様出口君にも衝撃を与えた。ただただ驚きの一語であった。
 
入口階段下には新たに巨大な壁が建築されていた。みんなここを背景に記念写真を撮っている。
写真中央前方に見学コースが作られた。まだ入場禁止であるが、2月には柵がしてあった。
今回は激戦の銃弾跡はさらりと通り過ぎ、高台の北堡壘を丁寧に見学。
2月には無かった説明板も整備された。

 

 

このトンネルは2月には無かった見学ルートである。

 

ロシア軍司令官コトラキンカ少将戦死の所

 

「コトラキンカ戦死の地」説明板
「1904年日露戦争が始まった後、日本軍は東鶏冠山北堡壘を奪い取るために、129日間続いた堅壘攻略戦を展開した。12月15日20時前後、陸軍防衛司令コトラキンカ少将が堡壘司令部に来て軍事会議を開催した情報を日本軍は獲得したので、重砲で激しく砲撃し、砲弾の一枚が司令部に当たり、コトラキンカはその砲撃で死んだ。戦後、日本軍はここで「コトラキンカ少将が死んだ場所」石碑を樹立して、その「大きい度量」と赫々(かくかく)たる戦功を誇示した。」
 
ロシア軍堡壘司令部跡>この辺りは2月では、まだ見学コースではなかった。 全てが迷路のような塹壕でつながっている。

   
帰りはスムースに帰れた。星海の昼食場所「薫肉大餅」まえでタクシー下りる。
タクシー料金は320元で予定より安かった。
一日貸切よりこの方が後腐れなく、明朗会計でよいと思った。

昼食>薫肉大餅(120元)@30元

ここで王安隆さんに電話し、今晩の夕食場所と時刻を決める>「味之蔵」1号店(七七路)18:30

現代博物館

入場料30元(2月平野君は春節で休館だったが、今回はOK

ちょうど「瀋陽故宮博物院の清代宮廷文物展が最上階で開かれていた。
出口君に見せたいのは「古大連」のコーナーである。

今まで気がつかなかった写真があった。それは「星海広場」建設の歴史である。

 
1995年埋め立て中の星海湾 1999年完成図(このときはまだ現代博物館は出来ていない。
   
「古大連」のコーナー
木造の懐かしいちんちん電車に乗車する。
   
中国古来からの戸外飲食店>多少形は違うが、今でもあちこちにある。 私は相変わらず、サッカーだ(^O^)
2004年奥さんが来た時、ここで、同じようなポーズで写真撮った。

 

最上階は「瀋陽故宮博物院の清代宮廷文物展だけだ。

星海広場

星海広場先端の本をイメージしたモニュメントまで歩く。久しぶりの上天気で圧倒的なひとひとひとだ!
雨が上がってアリが地中から這い出してきたみたいに、ウジャウジャいる。
エアーアーチの上にマスコットが2体ずつ載っている。真ん中はどう見てもドラエモンだ!
遠方をよく見て欲しい。建築ラッシュであることがよく解るでしょう。
 
ここで、面白いものを発見。
プラスチック製の球状おもちゃで、通常は閉じているが、これを転がすと開いて、サッカーボール大の大きさに広がる。開いた形状が骨組み状なので、私はこれを「スケルトンボール」と命名した。

2個買った(@15元)。

     
ここで記念写真をバチバチ撮って、それでは濱海路を走って東海公園へ行こうとタクシーを捜す。
が、なかなか空車がない。やっとの思いで捕まえ、行き先を告げると乗車拒否。200元なら行ってもいいという。え??そんなばかな!!
メーターなら5,60元のところだ。でもタクシーしか行けないので交渉。100元で成立。

濱海路

タクシーの運ちゃんが嫌がった理由が濱海路へ入ってすぐ解った。大渋滞だ!
これでは街を走っていたほうが商売になる。しかもこの渋滞は老虎灘まで続いていた。

そしてもっと驚くことは、走っている車がほぼすべてマイカーなのである。
タクシーは本当に珍しい。ここで、マイカーの激増を確実に実感した。
そして、中国のモータリゼーションが間違いないことを確信した。

途中、何回か下車し、記念写真を撮りながら東海公園へ。タクシーは亀のモニュメント前で下りる。

 
ノロノロ運転の濱海路
 
今日は国慶節ゴールデンウイーク最良の天気だ。野外動物公園も人で満ち溢れている。
   
老虎灘は車も人もゴチャゴチャでまともに進めない状況だったが、車を停めてもらい、記念写真を撮る。
   
17:00になって薄暗くなってきた。

にせものの巨木で記念写真(2月平野君のときは霧で何も見えず、通り過ぎた)
6年前はじめて見たときは名前の解らない木であったが、本物と見間違い笑われた。

 

コンクリート製でも枯れるのか(^レ^;、松に変っている。
出口君も遠目では本物だと思っていたが、近づいてにせものだと解る。
それにしてもよく出来ている。これではにせもの大国と言われても仕方がない(^レ^;
夕日で真っ赤に染まっている
 
根元で記念写真。松の樹皮が上手に出来ている。

 

北大橋を過ぎると濱海路は下り一本だ!
東海公園に近づくと、道路脇の壁面に異様な光景が広がる。
巨大なな生物や化石の模型が壁面に建造されている。
 
車窓からのためピンボケだが、感じは解ってもらえると思う。
 
 
東海公園前に到着。ここでタクシーを降りる。
100元にチップをプラスしようと思ったが、老虎灘以降は順調だったので止めた。
 

至るところに巨大な模型が設置されている。 ここは蝶やカマキリなどの昆虫と野菜のカボチャだ

 
薄暗くなってきた。亀のモニュメントから波のモニュメントまで写真を撮りながら進む。
 

2月には無かったボートがある。遭難した船のようだ?説明板もあった。

 

波モニュメントで記念写真

タクシーはないので、ここからは市電に乗ってホテルに帰り、王安隆さんとの約束場所「味之蔵」へ行く。
しかし、市電は帰り客で長蛇の列。3台目の電車に乗れるが超満員だ!
市電は遅いので王安隆さんとの約束時刻18:30は守れそうにない。遅れることを電話連絡。

満鉄本社跡で下車し、急いでホテルに荷物を置いて、タクシーで「味之蔵」へ。 場所はすぐ解った。

遅れたことをお詫びし、久しぶりの再開を喜び合う。奥さんもいっしょだ!出口君を紹介し、生ビールで乾杯。 今日のメニューは100元で飲み放題食べ放題だ!話が弾んで看板の22:00まで飲み食べた。
ふーーー(^O^)

王さんに本業のその後について尋ねると、まだもめていると言う。最近新たに別の商売を始めた。 会社は「BAZAAR」だ。名刺をもらう。 帰国してサイトにアクセスしたが、きらびやかなトップページに驚いた。
ネットショップであるが、商品はキャンドル類が主で、内容はこれからだなと思う。 (英文あり)

食事のあと、スナックでもと思ったが、奥さんも居るので言い出せず(^レ^;
王さんも今回は呑みに行きましょうと言ってくれていたのに何も言わない(^レ^;

楊さんはここからタクシーで帰る。我々2人は歩いてホテルまで帰る。

それではと、ガイドブック「ID」に載っていたママ「王丹」が私の知っている人かどうか確認するため出かける。
場所は香洲大飯店裏の新しい日式スナック「京東」だ。正面に舞台があり。
広いホールは間仕切りされてたくさんの客室がある。 それにしても暑い。出口君にとっては最悪の環境だ。

ママ王丹は知らない人だった。開発区から来たという。 助理の美美が王丹という名前は多いからねーと笑っていた。 女の子2名を指名し、ビールを注文。カラオケを唄って早々に帰る(620元)

物足りないので、もう一軒と、森ビル裏へ、森ビル側は全部壊され、新しいショッピング街建設中だ。 この通りには両側にスナックがズラっと並んでいたが、過当競争で立ち行かなくなったようだ。

昔、大原君とここを歩いたが、両側から女の子がいらっしゃいいらっしゃいと呼び込み、気恥ずかしい思いをした。 日本料理店「大連大名」側には良く遊びに行った「わか月」や「静香」がある。今日はわか月のママに会いたくなった。

入ったとたん、私を見て飛んできた。忘れては居なかった。再開を祝って乾杯後、四方山話に花が咲いた。
女の子2名指名して、ここもビールで、唄って飲んで、しばらく遊んで帰る。
440元の勘定だったが気分良く500元払って、ママは大喜び。
これでなくちゃ(^O^)気分よく帰れる。ホテル着午前1:30

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2007年10月5日金曜日>大連散策

今日は再び小雨まじりのうっとうしい天気だ。
日中は楊さんに頼らず二人で大連の街角を散策し、明日帰国するのでお土産など買う。

夕方16:00頃、天河公寓13Fからスラム街解体現場を撮影する。
その後、楊さんお薦めのレストランで食事をする。

9:00朝食、今日も結婚披露宴がある。

 
中山広場の保護建築物に指定されていた建物から保護建築指定銘板が撤去されている。
民間に売却されたのか?あるいは、この会社が邪魔だから外したのか?
 
この建物は2003年改築され、銘板もついていた。 2004年1月
 
10:00>マイカルでお土産購入。

月餅大黒ゴマ入り4個(@10元2個入り)、月餅大2個(@10元4個入り)、月餅小1個(@15元6個入り)スルメ5個(@17元)、10年紹興酒(古越十年花)2本@88元、白酒(洋河大曲)1本@72元

11:30〜13:30看板まで渤海明珠酒店30F回転展望レストランで昼食>バイキング料理@58元。ここでは夕食のバイキングはよく食べたが、昼食は初めてだ。
今までお昼は珈琲だけであったから、お昼も食事を始めたようだ。
霞みかかった空のため見通しは今一ではあるが、回転する展望からの眺めはまずまずだった。いつもの通り、上空から中心街の変貌振りを観察する。

 
西方向
真下が大連駅舎、前方建築中のビルはもと「大連の秋葉原」と言われた電子城跡地。
西方向
中央道路は長江路、左端の道路は中山路、右端は鉄道線路
 
大連駅前駐車場 駅前長江路の渋滞状況。左側は勝利広場。
 
真下は勝利広場、前方に労働公園の電波塔が見える。
労働公園右端部に高層ビル建築中。
勝利広場西にあるマーケットは近々解体されるであろう。
国際都市を目指している大連の駅前にこのような不衛生な一画があることは恥辱である。
2月平野君と一緒に撮ったコカコーラの宣伝マスコットしろくま君が真下に移動している。
 
天津街はどうなっているかな?
正面下は2月ではバラックが建っていたが、全て撤去され、新地になっている。
 
 
昼間から飲み放題の生ビールをしこたま飲んで、トイレしたくなった。
ここのトイレは展望レストラン内にはありません。
ここから1階下へ下りる階段があります。
そこで、面白いものを見ました。
これだ!

14:00>ホテルに帰って土産をスーツケースに整理する。

私は余裕で入ったが、出口君は持ってきた冬物衣類が邪魔をして納めるのに四苦八苦。

15:30>天河公寓へ。13F秩父君部屋から取り壊されたスラム街撮影。
ここは人民解放軍の土地らしく、不衛生なのに今まで手がつけられなかったと言う。

星海広場方向>高層ビルラッシュで星海のリゾートマンションが見えなくなった。 聖金広場方向>副都心にふさわしい景観です。
 
正面>巨大なショッピングモール「大連商業城」。手前右>デパート「百盛」 百盛の裏口は相変わらず汚い。
 
百盛は上部に高層マンションを増築中だ!
下のほう5階までは今までのデパートで、その上に30階程度を増設している。
基礎は危なっかしい。こんな設計が認められるのは地震のない国だからと思う。
 
ただ、7月にクレーンが倒れ、向いのビルの一画を壊し、
下にあった露店小屋をつぶして、親子3人が死んだという。
壊れた跡を修復して壁面のタイルの色が変っている。
無残に破壊された露店跡>真下に見える赤レンガのところ
 
16:00過ぎ>デパート百盛、長興市場、聖金広場、五四広場、小雨の中散策。雨が本降りになってきた。

夕食場所は事前に楊さんと電話で確認した。
五四広場から白山路に入り、しばらく行った韓国料理店だ。

17:30夕食>韓国料理店(焼き鳥の「盤古付近)
昔からあった店であるが、きれいに改装され店名も変っていた。
楊さんのおごりでした。ご馳走様(^O^)

19:00最後は半年振りに「方舟」へ。
マスターは相変わらず元気だ!はげ頭にミガキがかかっている。
マスターによく似た若者が奥さんらしい人とカウンターの中で忙しく動いている。

アサヒスーパードライ大瓶2本と楊さんは珈琲注文。
飲みながらゲームしながら20:00のライブを待つ。
ゲーム>中国式五目並べを出口君に教える(私も弱い)。
中国式積み木崩しを3人でやる。 第一回のライブは30分ほどで終った。
休憩時間に我々は帰る。

雨が小降りだったので、人民広場をちょっと見て、楊さんを送ってホテルへ。
明日は大連空港8:05発で帰国するので、準備のためどこにも出かけず。
フロントに6:15チェックアウト、6:30タクシー予約を依頼。

2007年10月6日土曜日>帰国

天候は曇りだ!雨でないのでほっとする。

6:15フロントへ>清算はクレジットカードが可能となった。(7日間3500元、1日500元)

6:30前にタクシーがやってきた。 とりあえず今回は事故もなくほっとしています。

無事、通関。やれやれ!!

皆さんありがとうございました。m(_)m

また来年お邪魔します。
その節は相変わらずのご支援とご協力をお願い申し上げます。

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