今年は自治区の相談役として一歩退いたため、時間的にかなりの余裕が出来た。 2月の春節には2年ぶりに大連訪問し、旧交を温めました。 このとき、初めて小・中学校時代の友人を連れて行きました。 ただ、この友人がパスポートを紛失したため、大連の友人にたいへんなお世話を掛けてしまいました。
今年はもう1回訪問したいと考えておりました。
前回のとき別の小学校時代の友人から「なぜ私にも声をかけてくれなかったのか」と言われたので、今回は彼を誘いました。
ただ、今回はお天気が悪かった。晴れたのはわずか1日半、ほとんどが雨模様であった。 |
中国と言うと、「3K国家」と言うイメージがあり、腰が引けるようである。私は4年の大連生活を通して、中国社会をたくさん学習した。結果として、安心安全な町
「大連」を事ある毎に推奨してきた。これで2人目の大連紹介であるが、今後ともこのような仲間を増やして行こうと考えている。 そして、旅行会社の観光ツアーとは違った、奥の深い中国を紹介したいのである。幸いにも私には、大連にたくさんの友人知人、教え子がいる。彼らは私の意志を汲んでくれ、温かく迎えてくれる。 2月春節では大連の友人知人から食事をご馳走になりました。 毎回必ずお世話になる楊さんや王さんも、私のために美味しい店を探し、ご馳走してくれます。本当に夢のような話です。王さんは今、広州の工場に出向していますが、広州に来た時は滞在費をすべて出してもいいと言います。 このような話を聞く時、熱いものがこみ上げてきます。大連の楊さんと広州の王さんに大体の日程を連絡し、これを相互に調整して、9月29日(土)出発を決めました。 |
大連往復航空券はいつものように「中国南方航空便」をネット「アルキカタドットコム」で購入した。もっと安い航空券もある(台湾の中華航空、韓国の大韓航空)が、事故が多すぎる。命あってのものだねだ!そこで、信頼できる中国南方航空にした。 航空券>68,800(2月:52,000円)30%UP 保険料は2年前の10倍である。 航空券受け取り場所は前回同様なので、そこへ直行。 <今回の旅の目的>1、パスポート紛失事故でお世話になった方にお礼 |
日程・天候 | 行程 |
9月29日(土) 曇り、雨 |
@ 中国南方航空CZ620<中部空港12:15発>大連空港13:45着(現地時間) A 雛健敏出迎え>ホテルチェックイン>大連賓館(三つ星)( 中山広場南側) TEL:0411− 8280−7710(フロント)。部屋ツイン1泊500元(8000円)@4000円 B 会社訪問>パスポート紛失問題でお世話になった皆さんにお礼と工場見学 C 夕食>日本人駐在員と晩餐会>四川料理店「 ?」(場所は五四広場付近) D 日式スナック |
9月30日(日) 曇り、小雨 のち晴れ |
@ 午前
>楊さん王さんと今日からの行動予定についてホテル内の「大和喫茶クラブ」で打ち合わせ A 昼食>楊さん、王さんと飲茶>ホテル「九州飯店」 2F B 午後>森林動物園 → 野外動物公園 C 夕食>シャブシャブ「昌隆」 D 足マッサージ>良子 |
10月1日(月) 小雨 |
@ 午前>散策>魯迅路>図書館、満鉄関連建物見物(満鉄本社、鉄路文化宮)、家楽福 A 昼食>肯徳基(友好広場) B 午後>散策>天津街、大連文物店、マイカルー、地下商城、 C 夕食> 中華料理店「三宝粥店」星海店 |
10月2日(火) 雨 |
@ 午前>金石灘(楊さん、王さんと一緒)>小雨がぱらつき、肌寒い A 昼食>駅前韓国焼き肉店「太能焼拷」 B 午後>大連工芸品旅遊交易市場、ホテル冨麗華玄関ロビーでお茶 C 散策>奥林匹克広場のスターバックスで休憩、ウオルマート見物 D 夕食>日本料理店「清水」>楊さんと3人 |
10月3日(水) 小雨 |
@ 午前>散策>大連古玩城(港湾広場) A 昼食>潘君宅訪問(泡崖子) B 午後>労働公園 C 夕食>昼食が遅かったので、なし D 日式スナック |
10月4日(木) 晴れ |
@ 午前>旅順口>203高地、東鶏冠山景区。(タクシー運転手:女性、ガイド:楊さん) A 昼食>薫肉大餅(星海広場) B 午後>現代博物館、星海広場散策、タクシーで濱海路→東海公園、市電で帰る C 夕食>王さん夫婦と晩餐会>日本式居酒屋「味の蔵」 D 日式スナック |
10月5日(金) 小雨 |
@ 午前>ショッピング>マイカルー A 昼食>渤海明珠酒店30F展望レストランでバイキング B 午後>駐在員マンション13Fから周辺の変化状況を写真撮影、五四広場周辺散策 C 夕食>韓国料理店「千手予健康拷」 D 半年ぶりに「方舟」へ、人民広場散策 |
10月6日(土) 曇り |
帰国>中国南方航空CZ619<大連08:05発>中部国際空港11:15着(日本時間) |
飛行機は中部空港12:15発、中国南方航空CZ620。 奥さんに友人とともに空港まで送ってもらう。 空港では駐車場に停めず、1階のバス・タクシー乗降場で素早く降り、素早く立ち去ることにする。 これはよい(^O^)グッドアイデアだ(^O^)これからはこれでいこう。
搭乗手続きして、通関まで時間があったので、3階ロビーの土産店で
お土産物色。
なお、王さんにはいつもの機械雑誌「ツールエンジニア」7冊を持っていく。 この後、4階ロビーで珈琲タイム。
トヨタのF1レーサーが展示されていた。今年から富士スピードウエーと鈴鹿が隔年で大会がある。 ほかに面白いものないかとブラブラショッピング。
ふと、最新情報を思い出した。それは、地球環境保護グッズ「マイ箸」である。
通関して、出発ロビーで個人のお土産を買う。 |
通関した正面に半田山車まつりを記念して、山車模型とからくり人形が飾ってある。 |
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前回はここで中国元に両替したが、 レートが低いことが解っているのでやめて、 ホテルで兌換することにする。 必要なら私の手持ちで支払えばよい。 |
2月のときは深い霧で着陸寸前まで空港が見えなかった。 今回も曇り空で見にくかったとはいえ、大連港が見えたので2月よりはよかった。 無事通関し、出ると雛健敏さんが迎えに来てくれていた。
空港から会社までの車中で雛さんにハリ灸の大先生を知りませんか?と訊ねる。 工場に着いて、まずは楚さんにお礼を申し上げる(ピース1箱) 続いて、雛さんと由部長にパスポートのお礼。 |
雛さんには名前のとおりの「お雛さん」を。 | 由部長には「広重の五十三次」を。 | 宮さんにはポートレート額 |
続いて、総経理の川添さんに挨拶。出口君を紹介する。 川添さんには空港で買った色鉛筆付箸を4組全部。と、エイデンでもらったデジタル時計(時刻、温度、アラーム、タイマー)をプレゼントする。4年間の任期を疾風の如く駆け、中国市場への足がかりを作り、来年退任帰国する時、大連の小姐にお土産として使ってもらおうと、考えたのである(^O^) 続いて、関係部署を一人であいさつ回り。
営業部全員、技術部は朱軍生、滕育柏ほか全員(董暉は日本研修)、IT部全員。 営業部に王鴻雁がいた。 続いて川添さんの案内で工場見学 出口君の専門の変電所から見学(私も初めて(^レ^;
全員が大歓迎してくれた。会社は明日30日から6日まで、国慶節の連休に入る。 今日の夕食会は定番の昌隆ではなく、五四広場に近い四川料理店。大変うまいという。初めて行く店で楽しみだ。夕食会には開発区の日系工具会社に入社した山本さんも部下3人を連れてやってくるという。久しぶりに私に会いたいという。
まだ、チェックインしていないので、夕食会前にホテル「大連賓館」まで送ってもらう。
モタモタ走るマイカーは渋滞の元凶である。さぞかし事故も増えているであろう。
18:00チェックインタイムリミットギリギリでホテル着。素早く着替える。
夕食「四川料理」。店名をうっかりして聞かなかった。
山本さんは既に開発区から来ていた。3人と挨拶。
ここで山本さんから研磨係長だった潘君が私に逢いたいとの伝言あり。 注文は全て川添さん。私の好きな麻婆豆腐や骨付きの辣地鶏もある。
白酒も1本手配し、みんなで少しずつ飲む。出口君も初めて52度の酒を飲む。 勘定は割勘で@80元。写真もたくさん撮った。
出口君は辣地鶏料理(写真右下の駕篭)の食べてはいけない、とても辛い唐辛子を食べている。 |
口の中がヒリヒリで何も食べられないと思いきや、 |
真ん中の白いケースが目に留まった。 ティッシュ入れです。上部に爪楊枝もある。 どうやらレストラングッズのようです。 今回の大連訪問最初の新情報ゲット(^O^) それが、これだ! |
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山本さん(右)と????さん |
駐在員3人と |
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ここで、開発区の3人と駐在員の2人と別れ、4人は川添さんの行きつけの日式カラオケへ。 場所は中山広場民生街の天津街かどの「遊らら」。この店は私は初めてだ。 2月に行った魯迅路のクラブ「KIZAKI」はつぶれたようだ。 (ガイドブックにも載っていない)飲んで歌ってとうとう午前様。ホテルまで送ってもらう。 宿泊は2月と同じ「大連賓館」にした。 シャワーを浴び、汗を流し休もうとするが、出口君は中部空港の免税店で買ったウイスキー「響」を飲もうと言う。水は飲めないので水割りは不可。水道水を沸かし、覚まして飲む。私はお湯割りだ。よくもこんなに飲めるものだと、このときは感心したが、以後の大連観光でこれが彼のウイークポイントだと解る。
彼がいつまで飲んでいたか定かでない。私は、早々と寝てしまったようだ。 |
今日からの行動計画は未定。今日、楊さんとお茶でも飲みながら決める予定。 しかし、予報では変りやすい天気が続くようで、計画はしにくい(^レ^; 今日9時半に楊さんと王さんに会って、大連での国慶節の過ごし方を検討する。 大連賓館のツイン部屋はとても大きく、快適です。 カーテンを開けると陽の光が爽やかだ。今日は良い天気のようだ太好了!(^O^) |
窓から外を見ると、歩道で横になっている労務者がいる(左下) 横には工事中のビルが見える。 |
拡大。やはり工事関係の労務者が仮眠しているようだ。 人が通っても死んだように寝ている。 |
昨夜ホテルに帰ったとき、部屋が解らずウロウロした。 原因は部屋番号が順番ではなく、通路をはさんで左右に偶数と奇数に分かれていた。 2月のときは運良く1回で部屋に到達したので解らなかった。 写真がボケており解りにくいが、こんな具合です。 |
エレベーターを降りて、中央通路の左側が奇数番号、右側が偶数番号。 なぜこのような配置になったかはフロントでも分からない。 建設当初の「大和ホテル」の時代からずっと変っていない。 部屋番号を決めた人に聞かなければ分からない。ミステリーだ! |
朝早く起きたので朝食前に、曇り空のロシア街に行った。 昨夜のスナック「遊らら」前を通り(民生街)、長江路から勝利橋を渡ってロシア街へ。 |
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2月は霧深く大連駅はまったく見えなかった。が、今日は最高の天気です(^O^) | 2月 の時の写真 |
8:45>朝食後、フロントで両替。 2月の16円/元(0.06246元/円)より若干元安の15.9円/元(0.062922元/円) 参考>2年前(2005.8)のレート>13.78円/元(0.07257元/円)<約15%元高> |
9:30>ホテル前で広場を見ながら楊さんの来るのを待つが、一向に来ない。 おかしな方向(魯迅路)から楊さんらしき人がこちらにきた。髪型、顔目鼻立ちがそっくりです。
「楊さん!」と声をかけたがこちらを見向きもしない。驚くほどよく似た人です。
呼びかける私の前を素通りして、大連賓館に入って、食堂に向った。 |
9:40>広場を見ると、ロータリー車道に車が止まっている>車の衝突事故のようだ! | |
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10:00>王さんさんがやってきた。携帯電話もらう。SIMカード更新(60元) 早速、楊さんに電話。ガンシェマナ?>交通渋滞で遅れる!>歩いて来い(^O^)
10:30>楊さん到着。 |
中央部は吹き抜きドームになっており、空が見える。 このドームは、電光盤のため外からは見えない。 | |
珈琲1杯40元!ウヒョー!
ここで、楊さんに真綿シルク掛けふとん5つの代金6万円払う。 |
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計画決定 | ||||||||||||||
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早速、王安隆さんに電話でアポ>4日夕食の約束OK。 | ||||||||||||||
そうこうしている間に、時の経つのは早いもので、お昼時間です。 昨日は四川料理だったので、さっぱりと飲茶を希望>九州飯店2F(273元) |
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タクシーで森林動物園へ。入場料@120元
入口でおばさんが寄ってきた。入場券を買って欲しいという。チケットは4枚ある。 楊さんと王さんはチケットを見ながら真偽を確認している。>期限は今日30日だ! おばさんは一生懸命懇請している。私は買うことを約束して入場門までおばさんに来てもらった。
無事入場できたので、そっとお金を楊さんに渡す。4枚で350元。
聞くと、このチケットは老人福祉の一貫で政府から無料で支給されているもののようだ。 |
モノレールはとっくの昔に廃止されたようで、錆びついていた。 私がはじめて来たとき(2000年6月)は走っていた。 |
我々は歩いて森林動物園を見て回った。 植物園で |
2000年ではパンダが檻の奥に引っ込んでいたため、見ることが出来なかった。が、 今回は目の前で遊んでいた。ジャイアントパンダを目前で見るとものすごい迫力です。 |
ですが、なかなかこちらを向いてくれません。 いろいろ身振り手振りしましたが最後までだめでした。 よほど機嫌が悪かったか、私のひげが気に入らなかったか(^レ^;残念! |
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黄金の毛並みを見せる、キラキラ金絲猴 |
続いて、ロープウエーに乗って、隣の野外動物園に移動する。 これも入場料120元に含まれている。 |
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ロープウエーから濱海路を望む。前方の建物群は「付家庄」である。 | 真下が野外動物園の濱海路側入口 |
急いで下りないと危険です。アッ!よかった(^O^) |
ちょうど今から始まる催しがある。向うから派手な音楽が聞こえてくる。 タイからやってきた「象の演芸団」だ。終るまで見物(16:30頃) |
野外動物園は2回目だ。が、モノレールは廃止され錆びついている。 遊覧バスは時間が4時半過ぎているため運行していない。 楊さんは高い入場料を払ったので、「何が何でも全部見なければ損だ」 と、強引に私達を引き連れて進み始めた。 やむなく、みんな付いて行く。 ただ、日暮れ近くで、肌寒くなってきた。 |
放し飼いの野外動物園は動物の居住と観光客とが高いネットと高い歩道で完全に分離された空間。
とにかく素晴らしい設計である。だが、観覧時間がかかりすぎる。 |
途中の記念写真2枚。 | |
森林動物園で3時間、野外動物園で2時間、合計5時間歩く。足腰ガタガタだ!出口君はダウン寸前。 | |
18:00>濱海路は真っ暗だ! 市バスで高楽基路まで、ここからタクシーで夕食場所シャブシャブ「昌隆」へ。
18:30>昌隆はいつも通り超満員だ!しばらくして4人掛け角テーブルが空く。
メニューはいつも通りである。
これで昨日の「四川料理」と今日のお昼「飲茶」と、
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ホテルの窓から外を見ると、傘を差している人、いない人がパラパラ歩いている。本降りにはならないようだが、はっきりしないいやな天気だ!これでは、歩きでのある星海広場に行っても面白くない。 そこで、星海広場はあきらめて、付近を散策することに変更した。 |
8:00朝食>大連賓館の朝食は品があってお薦めです。 | |
8:30>玄関で結婚式のエアーアーチ準備中。閑があったので準備完了までずっと作業を見物。 |
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おばけクラッカーも準備中。 | |
いよいよエアー注入です。意外と短時間で膨らみました。 | |
ときどき自転車も走っている。 | 完成しました。 |
披露宴会場は大広間(朝食を食べるレストラン)ともうひとつ中広間がある。 |
10:00>魯迅路を通り、日本関係資料が保存されている図書館に寄ったが、お休みで係員に入館拒否された。 |
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満鉄本社建物見物。 |
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正面の赤い横幕を見るため、近くに寄る。 | |
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会 場 結局のところ、観劇できなかった(^レ^; |
改装して囲碁将棋場になっていた。
2月来た時、建物2つが保護建築物に指定されていた。 |
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青色油性ペン30本で26元(1本0.87元、1本14円) インクは日本製と書いてある。 |
元「大連日報」のあった空き地は2月の時から進展が無い。いったい何ができるのであろう? | |
4色ボールペン4.9元(78円)>これが何と「キティチャン」ならぬ「ミフィチャン」だ(^レ^; | ||
4色ボールペン3.8元(60円) | ||
11:30>ホテルで休憩。
早速電話。久しぶりの挨拶の後、4日の昼に訪問することに決定。 12:00>昼食は肯徳基だ!友好広場へ出かける。
その後、彼を天津街の「大連文物店」に連れて行く。
天津街の広い遊歩道が今まで、イベントのたびに設営しては壊す仮設形だったが、常設形に変っていた。
広い歩道もこんなの作ってしまうと、狭苦しくなって興ざめだ!
しかしだ!ここでシシカバブー(羊肉の串焼き)を焼いている。 これには絶対ビールだ!が、近くに売っていない。
大連文物店 歩いて、マイカルーへ。小雨がパラパラ。歩いていても帽子を被っていれば左程気にならない。地下食堂街の裏から入る。トイレして、食堂内を案内し、いつも私が飲む青島の缶ビール(値段は変っていない350ml8元)を買い、休憩。
食堂(回転すし)への入口にステージがある。ここで小雨降る中、揃いの服装で女の子がへそ出して踊っていた。
出口君は汗びっしょり。彼はちょっと歩くと汗ビタビタだ。 |
入口の特設舞台で、ヘソ丸出しの小姐がラップダンスしている。 小雨降る中、大勢の観客が傘差して見つめる。 |
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マイカル店内散策。1階から6階までざっと素通り。
タバコ、お酒売り場から店内へ。
出口君は月餅を知らなかったので、良くみてもらう。
大小箱詰めで販売していた。 出口君はここでまたまたホタテの貝柱箱入り@260元を2個購入。 |
イカ焼きとスルメ作り見学。スルメと足をウイスキーのツマミに各1個買う(18元/袋) |
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続いて、地下商城散策>楊さんの店「天后站」に立ち寄る。2月とは違う店員がいた。 店員に2人の名刺を渡し、楊さんに渡すよう伝えるとニコッと笑って受け取った。(^O^)
外は車のホコリで空気は悪いが、今日は雨降りだからホコリは立たない。
勝利広場西側の海産物雑貨商店街は不衛生極まりない。ここもあまり長くないであろう。 勝利広場地下への落書き階段を出口君に紹介しようと入ったが、きれいに塗り替えられていた。 ここは落書きコーナーとして大連の名物ストリートになると思っていたが、当局は認めなかったようだ。残念!
勝利広場地下商城の地下3階あたりのエスカレーター付近で休憩していたら、女性が道を尋ねてきた「中山広場はどこ?」 次のように丁寧に道を教えた。
外に出て、中山路を大きなボール状の模型が見える方向に進む。
彼女はよく分かったと言い、お礼もそこそこに立ち去った。
心配になって、地下から表に出て、歩道を見ると、別人に道を尋ねている。案の定だ!
今夜の食事どころを確認するため、勝利広場の中山路側中央入口から楊さんに電話するが、 「ネットワーク不調」のメッセージが出て、通話できない。但し、なぜか「受信」は可能だ。 楊さんさんからの電話で我々の居場所を連絡し、楊さんが来るのを待つ。
携帯を楊さんに調べてもらったが、なぜ送信ができないのか解らない。
夕食は星海広場のリゾート「国宝」前の中華レストラン「三宝粥店」星海店だ! 王さんは少し遅れるので、先に出かける。
この店はもともと華北路にあり、会社から近い。
星海店に入って驚き!素晴らしく明るく、ハイセンスな店だ。 王さんが来てから、楊さんに席を守ってもらい、王さんと出口君と3人でメニューの選択。
まずは一番食べさせたいナマコ料理。大連で最も高い海産物は干ナマコだ!
次ぎは私の大好物「生えび」(基囲蝦)を500g(40元)茹でる。
スープはいつもの糸状に切った大根とエビのスープ(蘿ト絲蝦湯)
出口君は毎日中電下に釣りに行っているだけあって、魚のことはうるさい。が、
彼が選んだのは、
私は上海蟹を食べたことがある。王さんと出張で無錫に言った帰り、空港売店で買った1匹80元
の上海蟹を、持ち帰れないので空港内のレストランで茹でてもらって食べた。
蟹は面倒くさいから要らないと言った私を軽蔑の眼でにらんで、彼は強引に一人1匹注文した。
何としても食べたかったのであろう(^O^)
余った1匹は出口君が歯で殻を割り、身を取り、皿に納めて、王さんに渡す。 料金は533元(8500円)一人133元(2100円)ビールもたくさん飲んだからしょうがないか (大連ビール「黒獅啤酒」1本10元)。でもちょっと高いね。新しい店は値上げした。
この後、雨も上がっているので、腹ごなしの散歩として、橋を渡った新しいマンション群を見学した。 |
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明日は金石灘へ行く。10:00大連駅集合を約束して、楊さんを自宅に送り、ホテルへ。 |
今日もまた、小雨がパラパラ。金石灘は海岸が命だが、多分だめであろう。 本降りにはならないようだから、とにかく計画を消化するしかない。 |
8:00起床。 トイレでウンチ流すの忘れる。出口君に注意され解る(^レ^; ボケか?、はたまたいつのまにか中国人になってしまったか! 昨日の残りの玉米餅子を食べる。
8:45朝食。今日も2組の結婚式がある。 9:15>小雨降る中、大連駅へ向う。
駅前から駅裏への通路は露店で歩く場もないほど混雑。出口君にスリに注意と警告。
10時5分前駅到着。 |
大連駅裏入口方向 | 双興韓国服装城方向 |
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電車賃は8元だった。2年で2元値上げした。 |
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切符を自動販売機で買う。が、なかなか買うことが出来ない。 |
自動販売機が使えない人は切符売り場で購入する。 しかし、改札は自動である。うまく通れない人もあるので、 係員が脇で待機している。 |
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切符は改札口で回収されてしまうので、金石灘に着く前に写真に納める。ピンボケで残念です。 | |
ホームに路線の地図がある。拡大図(278KB) | |
金石灘まで駅の数は12である。 | 楊さん王さんと |
きれいな電車です。 | 約1時間で金石灘に到着。観光客は小雨でもたくさん居た。石碑の前で記念写真。 |
駐車場の一画に観光案内板がある。拡大図(407KB) |
本来なら歩いて黄金海岸まで行きたいが、雨降りでは致し方ない。乗り合い観光バスで海岸まで行く。 このバスチケットは所々の観光スポットを見ながら自由に乗り降りできるフリーチケットです。降りた場所は前来た時と違う海岸だった。黄金海岸からゴルフ場方向に向かう橋を渡ったところであった。 |
この橋の向こうに見える海岸線が黄金海岸である。 | 橋中央部から黄金海岸を望む。が、曇り空でちっとも黄金ではない。残念! |
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橋中央部で遊覧馬車に出会う。乗合バスが黄金海岸側に下りれば、この馬車に乗れた。残念! |
4人は傘なしで、小雨降る海岸線を歩いて、黄金海岸へ向う。海岸は波もあり、 遊覧ボートも閑古鳥が鳴いていた。黄金海岸で記念写真。 |
ブラブラ歩いてきたが、お店も何もない。砂の芸術作品も雨で流されて無残な姿だ! ここが金石灘黄金海岸の中心位置である。 |
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モニュメントの前では大勢の若者が記念写真の順番待ちだった。 | |
食べ物屋もなく土産物の露店も2,3軒だ。お昼頃になったがレストランもないので、途中でタクシーを拾い駅へ戻る。天気が良ければ、観光スポットを順番に見ながら楽しめたがこのお天気では興味も半減だ。
金石灘は以前よりは間違いなく、遊園地など見るべき場所が増えた。 昼食は30日飲茶を食べた九州飯店横の韓国料理店「太能焼拷」 |
歩いて、ホテル冨麗華裏の大連古文化市場へ。 ここで出口君は自分の雅号「潮香」の落款用印を注文。 店は入口正面の「匯寶齋工藝精品行」。彫師は「盧性勇」lu2xing4yong3 |
ここは16時で閉店。閉店間際であわただしく彫ったが、出口君はたして気に入ったかどうか? もちろん書体は彫師が考える。彫る文字を見て一瞬で書体を決定し、出口君と相談する。
後で見せてもらったが、さすがにプロだ!良くこんな短時間に彫れるものだ。 店名は「大連金鵬篆刻工藝美術品」
若い女性(張 会麗)だったので尋ねると、流暢な日本語だ。 |
他も見たかったが、時間切れだ!後日また改めてゆっくり来よう。 |
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雨がポツポツと降っている。ザーと降るよりはいいが、連日うっとうしい天気に閉口だ!
店を出て小雨の中をホテル冨麗華へ。疲れたので玄関ロビーで一服。
夕食を日本料理店「清水」ときめ、時間つぶしにもうひとつのスーパーマーケット「ウォルマート」へ行く。
冨麗華玄関口でタクシーを待つが予約なのか停まってくれない。
タクシーは混み合う中山路ではなく、高楽基路から五四路を走る。
五四路と中山路との間の競技場東側一画は2005年8月来た時、全て取り壊され、新地であった。
まだ外郭だけであるが、ここに背の低い洋館風の洒落た建物が建ち並んでいる。 小雨降る、薄暗い天気であったが、このチャンスを逃すと次回は少なくとも半年後となり、完成してしまう。 そこで、2人をほっといて夢中で写真を撮った。それが、これだ! |
タクシーを下りて、南方向>右に競技場、左が新しく出来た一画。 | 同じ位置から南東方向(前方左側奥に電波塔がある) |
ウォルマート東口前(前方に電波塔がある) | 中山路近くから撮影>右前方が競技場 |
同じ場所から電波塔方向(左端に中山路がある) | 中山路沿い |
競技場方向 | 中山路を渡って、デパート百盛前から同じ方向 |
以上。天気が悪いので写真が悪い。次回は必ず完成写真を撮る。
奥林匹克広場広場前の中山路沿い百盛横に出来た喫茶店「スターバックス」で休憩。
出口君と私はアメリカンの小カップを注文したが、楊さんは大カップを持ってきた。 ウォルマート散策>店内はとても暑い。出口君は汗びっしょり 夕食の時刻が近づいてきたので、タクシーを探す。
昼食は2時過ぎに韓国料理食べた。そしてまずい珈琲も飲んだので、 行き先によって乗車拒否は当然。
運良く、タクシーが目の前に止まった。
店はほぼ満席であった。国慶節でみんな外食しているようっだ。
彼は「さんまの塩焼き」18元、「めかぶ」20元、「茶碗蒸し」3個@12元を注文。
合計285元(4560円)一人95元(1520円)<これは高い> 楊さんを自宅まで送り、ホテルへ。 明日は旅順へ行く予定であるが、このようなドシャブリの雨では何も見えないので意味がない。 そこで、旅順を一日延ばし4日とし、代りに4日の潘君宅訪問を明日3日に変更するべく、潘君に電話。快く了解してくれた。 |
中山広場の保護建築物は夜になるとライトアップされてとてもきれいである。 |
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2007年10月3日水曜日>家訪、古玩城、労働公園
今日もまた、小雨がパラパラ。計画は旅順であったが、見晴らしの悪い日に行っても興ざめだ。 そこで昨日、急遽予定変更して、潘君宅を訪問し、昼食をご馳走になることとした。 従って、今日は終日(夕食も)楊さんのお世話になりません。 |
9:00朝食>今日も結婚式が2組ある。騒々しい中でバタバタと食事する。
9:30>歩いて港湾広場の「大連古玩城」へショッピング。 |
保護建築物かどうか確認したが、看板なし。 | 右方向が今歩いてきた人民路で、この先に中山広場がある。 |
改めて、荘厳な(^レ^;建物を眺める。いったいいつ誰が作ったのであろう? | 入口階段には阿うんの獅子が見張っている。 |
保護建築物の認定板を探したが、どこにもない。まだ、登録されていないようだ! | |
港湾広場をグルッと見回す。 |
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半年振りに2階の刺繍クロス店王さんに挨拶。店先で座り込んで一服。 今回は何も買う予定がない。 2月に買ったクロスはヤフーネットショップに出店したが、まったく反応なし。 出口君は篆刻練習用の石を2個買う120元。
私はその前の蘇州刺繍店で刺繍の山水画を買う。値札は1800元とあったが、1000元以上は出せないと交渉。1200元と言ったがはねつけて1000元で成立。
潘君宅訪問の時刻まで余裕があったので、上の階も覗く。 |
店内には董さんの作品が所狭しと飾ってある。 | |
あそこ(天津街)は場所代が高いのであろう。 そう言えば刺繍クロスの王さんも冨麗華ホテル裏の大連工芸品交易市場からここに移ったとき尋ねたら、店の権利料が高いからだと言った。 |
名刺をもらって、また来ると約束し、何も買わずに帰る。 | |
10:30>ホテルに寄って、買ったものを置いて、潘君宅へ。 お土産はタバコ「ピース」1カートン。余分に買っておいて良かった。 タクシーに乗るとすぐ、潘君に電話し、運転手に代わる。
が、食事前にコーラばかり飲んでいるので、マクドナルドやコーラは身体を壊すだけだ。
お父さんは59歳で定年退職。厨房ではお母さんが料理を作っている。万さんに手伝わないの?と尋ねる。料理はお母さんにはかなわないというから、「それは当然だ」と。
料理が出来るまで、潘君、万さんと仕事のことについてお話。 給料は6000元とのこと。
料理が出来た。私が飲めることを知っているので白酒を開ける。 |
料 理
食卓中央部には大きなヒラメの辛煮がデンと置かれる。 それを囲むように料理が並べられる。全て手作りである。 私のエビ好きは有名なのでどこに行っても用意される。 瓦房店の地鶏の骨付き>これはうまい。
ニンニクの茎と豚肉の炒め、モクソ蟹(出口君は珍しいと言ってバクバク食べる)、もっとも珍しいものは幼虫の煮付けである。 |
潘君に私のデジカメで写真撮るようお願いする。 |
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お父さんお母さん息子の徳権君と |
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最後は出口君のカメラをタイマーセットして全員で撮る。 |
次回訪問時も再訪することを約束してお暇する。
帰りは潘君のマイカーで森ビル前まで送ってもらう。マイカーは1500ccだ。これには驚いた。 トイレに行きたくなったので、森ビルで下してもらう。森ビルは正面は入れない。裏から入ろうとしたがだめ。そこで、隣の香州大酒店で用を足す。すっきりしたーーー(^O^) 雨が上がり、明るくなってきたので、労働公園へ。 |
労働公園は秋たけなわであった。菊が様々に細工され、展示してある。 |
右のほうから、男どもが振り返るような妖艶なティーシャツ女史がやってくる。 | 歳は28歳か(^レ^; |
これだ! |
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孔雀と龍 | |
牡丹園 |
ロープウエーで上に登り、大連市内を一望せり(1眼レフカメラ) |
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公園内でショッピング>2月のときと同じ露店「字画」あり。 |
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帰り道にもいろいろな菊芸術がある | |
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私は出口付近で見つけた餅を買った(5元)。 |
夕食はなし。ホテルで休憩した後、初めてスナックへ出口君を連れて行く。
女子2人指名@50元、飲み物はビール@20元。
だが、チーママの百合さんは大連っ子らしくスタイル抜群で目鼻立ちも日本人好みだ! 気分も悪く、早々に寝てしまった。 |
今日は初めてに近い晴れ。ただ、海岸特有の霞がかかっているので見通しは悪そう。 しかし、雨降りよりは圧倒的によい。何という好運であろうか(^O^) 8:30朝食時、楊さんに電話。9:30出発決定。 ホテル前でタクシーを拾う。女運転手だった。が、地理は大丈夫かな?確認したところほぼ了解。が、これが問題だ! 料金は一日いくらではなく、メータにした。いろいろ交渉するのが面倒くさい。 星海から旅順南路で行った。 しばらくして目的地の看板あり。東鶏冠山景区と203景区である。 |
203景区(入場料@30元+車両通行料10元)
駐車場では例によって、駕篭かきが群がってくる。 日本語の堪能な高齢ガイドが寄ってきた。前回と同じ人だ。 日本人向けのサービスである。時刻は10:40頃。観光客もチラホラ。 駕篭かきが100元100元と駆け寄ってくる。
楊さんはタクシーで待つ。二人は坂道を歩き始める。駕篭かきがうるさく付きまとう。 |
私は一足早く登りきる。一向に来ないので、しばし待つ。 | |
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出口君を乗せた駕篭かきは不運である。 |
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これで100元は安い(^O^)。 出口君に「料金を払った?」と尋ねると、途中で休憩したとき、駕篭かきがチップチップというので120元払ったという。馬鹿なことをしたものだ!しかし、出口君はえらそうな彼らを見て可愛そうになったのであろう。駕篭かきはさっきもらったのはチップで駕篭賃ではないという。ばかか!! 私達は駕篭かきに支払済みだと手を振りながら、立ち去った。 駕篭かきもそれ以上は追いかけてこなかった。 |
記念写真(1眼レフ) |
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今回は砲弾をかたちどった記念塔の落書きが気になったので調べた。 よくよく見ると、「山」の字がボコボコに凹み歪んでいる。不心得者がよじ登って叩いたようだ! ロシア語で書かれた落書きは一見すると最初から彫りこまれたもので落書きではないように思えた。 が、よく見ると極めて丁寧に刻まれた落書きであった。 |
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いつもはこの後、すぐにロシア軍の塹壕跡に向ったが、今回は高台へ足を運んだ。 ここにも新しく、戦争の記念品が置いてあった。 |
ここは重砲兵用観測所である。説明板にはこう書かれている。 「1904年12月、日本軍は二○三高地を占領した後、すぐそこに重砲兵用探り所を設置したことにより、重砲を指揮して旅順口港へ猛烈な攻撃を行い、港に停泊したロシア軍艦を殆ど日本軍の砲火に 打ち壊された。重砲兵用探り所は日本軍がロシア軍海軍の力に打撃を加え、ロシア軍陸上防御線を粉砕して最終的にロシア軍を打ち負かしたことにおいて重要な役割を果たした。」 |
ここにはもう一枚の説明板<日本式280mm榴弾砲>が設置されている。説明板にはこう書かれている。 「二○三高地争奪戦で日本軍は口径の異なる大砲を六十台余り使用して、高地に対して狂気じみた無差別爆撃を加え、全部で一万一千発以上の砲弾を撃ったが、そのうちに280mm榴弾砲砲弾が2254発あった。当該大砲は本体の重さが10.753トン、砲弾の重さが217Kgで射程が7800mだった。」 |
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説明板の榴弾砲がこれだ!砲筒は短く切断してある。 | |
この後、ロシア軍の塹壕跡を見ながら、乃木保典戦死跡経由で駐車場に帰る。 |
203高地を出て、もとの道に出るところを、間違って相当に迷った。外人が入れない中心街に入ったようだ。勝利塔やロシア監獄跡などの前を通って、道を尋ね尋ね進む。が、一向に東鶏冠山景区の看板が現れない。 看板があって喜んでその方向進むが、先には何もない(^レ^; 尋ねた道もいい加減で、尋ねるたびに行ったり来たりさせられる。
と、ちょうど同じ東鶏冠山景区へ向う、観光客を乗せたタクシーに出会う。
グルグル回り道して、やっとの思いで入口らしきゲートに到着。 |
東鶏冠山景区>(入場料@20元+車両通行料10元)
入場券が2月のときと違う。 | 2月のときの入場券>入場ゲートの図柄であった。 |
まず、日露戦争陳列館。前回平野君はすさまじい記録に衝撃を受け、 陳列館内の写真をすべてデジカメに納めていた。出口君も同じく、 学校では教えてもらっていない日本軍とロシア軍決戦の記録を食い入るように見ていた。 |
歴史のある一時期、不幸にもこのような事が起こったことを忘れず、 このことを教訓として将来に生かすことを誓う。 |
東鶏冠山景区は2月より大幅に整備されていた。いままで見ることの出来なかった奥のほうも見学コースとなった。 激戦の後を示す銃弾の跡は平野君同様出口君にも衝撃を与えた。ただただ驚きの一語であった。 |
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入口階段下には新たに巨大な壁が建築されていた。みんなここを背景に記念写真を撮っている。 写真中央前方に見学コースが作られた。まだ入場禁止であるが、2月には柵がしてあった。 |
今回は激戦の銃弾跡はさらりと通り過ぎ、高台の北堡壘を丁寧に見学。 2月には無かった説明板も整備された。 |
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このトンネルは2月には無かった見学ルートである。 |
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ロシア軍司令官コトラキンカ少将戦死の所 |
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「コトラキンカ戦死の地」説明板 |
「1904年日露戦争が始まった後、日本軍は東鶏冠山北堡壘を奪い取るために、129日間続いた堅壘攻略戦を展開した。12月15日20時前後、陸軍防衛司令コトラキンカ少将が堡壘司令部に来て軍事会議を開催した情報を日本軍は獲得したので、重砲で激しく砲撃し、砲弾の一枚が司令部に当たり、コトラキンカはその砲撃で死んだ。戦後、日本軍はここで「コトラキンカ少将が死んだ場所」石碑を樹立して、その「大きい度量」と赫々(かくかく)たる戦功を誇示した。」 |
ロシア軍堡壘司令部跡>この辺りは2月では、まだ見学コースではなかった。 | 全てが迷路のような塹壕でつながっている。 |
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帰りはスムースに帰れた。星海の昼食場所「薫肉大餅」まえでタクシー下りる。 タクシー料金は320元で予定より安かった。 一日貸切よりこの方が後腐れなく、明朗会計でよいと思った。 昼食>薫肉大餅(120元)@30元 ここで王安隆さんに電話し、今晩の夕食場所と時刻を決める>「味之蔵」1号店(七七路)18:30 |
現代博物館
入場料30元(2月平野君は春節で休館だったが、今回はOK) |
ちょうど「瀋陽故宮博物院の清代宮廷文物展が最上階で開かれていた。 今まで気がつかなかった写真があった。それは「星海広場」建設の歴史である。 |
1995年埋め立て中の星海湾 | 1999年完成図(このときはまだ現代博物館は出来ていない。 |
「古大連」のコーナー 木造の懐かしいちんちん電車に乗車する。 |
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中国古来からの戸外飲食店>多少形は違うが、今でもあちこちにある。 | 私は相変わらず、サッカーだ(^O^) 2004年奥さんが来た時、ここで、同じようなポーズで写真撮った。 |
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最上階は「瀋陽故宮博物院の清代宮廷文物展だけだ。 |
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星海広場
星海広場先端の本をイメージしたモニュメントまで歩く。久しぶりの上天気で圧倒的なひとひとひとだ! 雨が上がってアリが地中から這い出してきたみたいに、ウジャウジャいる。 エアーアーチの上にマスコットが2体ずつ載っている。真ん中はどう見てもドラエモンだ! 遠方をよく見て欲しい。建築ラッシュであることがよく解るでしょう。 |
ここで、面白いものを発見。 プラスチック製の球状おもちゃで、通常は閉じているが、これを転がすと開いて、サッカーボール大の大きさに広がる。開いた形状が骨組み状なので、私はこれを「スケルトンボール」と命名した。 2個買った(@15元)。 |
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ここで記念写真をバチバチ撮って、それでは濱海路を走って東海公園へ行こうとタクシーを捜す。 が、なかなか空車がない。やっとの思いで捕まえ、行き先を告げると乗車拒否。200元なら行ってもいいという。え??そんなばかな!! メーターなら5,60元のところだ。でもタクシーしか行けないので交渉。100元で成立。 |
濱海路
タクシーの運ちゃんが嫌がった理由が濱海路へ入ってすぐ解った。大渋滞だ! これでは街を走っていたほうが商売になる。しかもこの渋滞は老虎灘まで続いていた。
そしてもっと驚くことは、走っている車がほぼすべてマイカーなのである。 途中、何回か下車し、記念写真を撮りながら東海公園へ。タクシーは亀のモニュメント前で下りる。 |
ノロノロ運転の濱海路 | |
今日は国慶節ゴールデンウイーク最良の天気だ。野外動物公園も人で満ち溢れている。 | |
老虎灘は車も人もゴチャゴチャでまともに進めない状況だったが、車を停めてもらい、記念写真を撮る。 | |
17:00になって薄暗くなってきた。
にせものの巨木で記念写真(2月平野君のときは霧で何も見えず、通り過ぎた) |
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コンクリート製でも枯れるのか(^レ^;、松に変っている。 出口君も遠目では本物だと思っていたが、近づいてにせものだと解る。 それにしてもよく出来ている。これではにせもの大国と言われても仕方がない(^レ^; |
夕日で真っ赤に染まっている |
根元で記念写真。松の樹皮が上手に出来ている。 | |
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北大橋を過ぎると濱海路は下り一本だ! 東海公園に近づくと、道路脇の壁面に異様な光景が広がる。 巨大なな生物や化石の模型が壁面に建造されている。 |
車窓からのためピンボケだが、感じは解ってもらえると思う。 |
東海公園前に到着。ここでタクシーを降りる。 100元にチップをプラスしようと思ったが、老虎灘以降は順調だったので止めた。 |
至るところに巨大な模型が設置されている。 ここは蝶やカマキリなどの昆虫と野菜のカボチャだ |
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薄暗くなってきた。亀のモニュメントから波のモニュメントまで写真を撮りながら進む。 |
2月には無かったボートがある。遭難した船のようだ?説明板もあった。 |
波モニュメントで記念写真 |
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タクシーはないので、ここからは市電に乗ってホテルに帰り、王安隆さんとの約束場所「味之蔵」へ行く。
しかし、市電は帰り客で長蛇の列。3台目の電車に乗れるが超満員だ! 市電は遅いので王安隆さんとの約束時刻18:30は守れそうにない。遅れることを電話連絡。 満鉄本社跡で下車し、急いでホテルに荷物を置いて、タクシーで「味之蔵」へ。 場所はすぐ解った。
遅れたことをお詫びし、久しぶりの再開を喜び合う。奥さんもいっしょだ!出口君を紹介し、生ビールで乾杯。
今日のメニューは100元で飲み放題食べ放題だ!話が弾んで看板の22:00まで飲み食べた。
王さんに本業のその後について尋ねると、まだもめていると言う。最近新たに別の商売を始めた。
会社は「BAZAAR」だ。名刺をもらう。
帰国してサイトにアクセスしたが、きらびやかなトップページに驚いた。
食事のあと、スナックでもと思ったが、奥さんも居るので言い出せず(^レ^; 楊さんはここからタクシーで帰る。我々2人は歩いてホテルまで帰る。
それではと、ガイドブック「ID」に載っていたママ「王丹」が私の知っている人かどうか確認するため出かける。 ママ王丹は知らない人だった。開発区から来たという。 助理の美美が王丹という名前は多いからねーと笑っていた。 女の子2名を指名し、ビールを注文。カラオケを唄って早々に帰る(620元) 物足りないので、もう一軒と、森ビル裏へ、森ビル側は全部壊され、新しいショッピング街建設中だ。 この通りには両側にスナックがズラっと並んでいたが、過当競争で立ち行かなくなったようだ。 昔、大原君とここを歩いたが、両側から女の子がいらっしゃいいらっしゃいと呼び込み、気恥ずかしい思いをした。 日本料理店「大連大名」側には良く遊びに行った「わか月」や「静香」がある。今日はわか月のママに会いたくなった。
入ったとたん、私を見て飛んできた。忘れては居なかった。再開を祝って乾杯後、四方山話に花が咲いた。 |
2007年10月5日金曜日>大連散策
今日は再び小雨まじりのうっとうしい天気だ。 日中は楊さんに頼らず二人で大連の街角を散策し、明日帰国するのでお土産など買う。 夕方16:00頃、天河公寓13Fからスラム街解体現場を撮影する。 9:00朝食、今日も結婚披露宴がある。 |
中山広場の保護建築物に指定されていた建物から保護建築指定銘板が撤去されている。 民間に売却されたのか?あるいは、この会社が邪魔だから外したのか? |
この建物は2003年改築され、銘板もついていた。 | 2004年1月 | |
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西方向 真下が大連駅舎、前方建築中のビルはもと「大連の秋葉原」と言われた電子城跡地。 |
西方向 中央道路は長江路、左端の道路は中山路、右端は鉄道線路 |
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大連駅前駐車場 | 駅前長江路の渋滞状況。左側は勝利広場。 | |
真下は勝利広場、前方に労働公園の電波塔が見える。 労働公園右端部に高層ビル建築中。 |
勝利広場西にあるマーケットは近々解体されるであろう。 国際都市を目指している大連の駅前にこのような不衛生な一画があることは恥辱である。 2月平野君と一緒に撮ったコカコーラの宣伝マスコットしろくま君が真下に移動している。 |
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天津街はどうなっているかな? 正面下は2月ではバラックが建っていたが、全て撤去され、新地になっている。 |
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昼間から飲み放題の生ビールをしこたま飲んで、トイレしたくなった。 ここのトイレは展望レストラン内にはありません。 ここから1階下へ下りる階段があります。 そこで、面白いものを見ました。 |
これだ! |
14:00>ホテルに帰って土産をスーツケースに整理する。 私は余裕で入ったが、出口君は持ってきた冬物衣類が邪魔をして納めるのに四苦八苦。 15:30>天河公寓へ。13F秩父君部屋から取り壊されたスラム街撮影。 |
星海広場方向>高層ビルラッシュで星海のリゾートマンションが見えなくなった。 | 聖金広場方向>副都心にふさわしい景観です。 |
正面>巨大なショッピングモール「大連商業城」。手前右>デパート「百盛」 | 百盛の裏口は相変わらず汚い。 |
百盛は上部に高層マンションを増築中だ! 下のほう5階までは今までのデパートで、その上に30階程度を増設している。 基礎は危なっかしい。こんな設計が認められるのは地震のない国だからと思う。 |
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ただ、7月にクレーンが倒れ、向いのビルの一画を壊し、 下にあった露店小屋をつぶして、親子3人が死んだという。 壊れた跡を修復して壁面のタイルの色が変っている。 |
無残に破壊された露店跡>真下に見える赤レンガのところ |
16:00過ぎ>デパート百盛、長興市場、聖金広場、五四広場、小雨の中散策。雨が本降りになってきた。
夕食場所は事前に楊さんと電話で確認した。 17:30夕食>韓国料理店(焼き鳥の「盤古付近)
19:00最後は半年振りに「方舟」へ。
アサヒスーパードライ大瓶2本と楊さんは珈琲注文。
雨が小降りだったので、人民広場をちょっと見て、楊さんを送ってホテルへ。 |
2007年10月6日土曜日>帰国
天候は曇りだ!雨でないのでほっとする。 6:15フロントへ>清算はクレジットカードが可能となった。(7日間3500元、1日500元) 6:30前にタクシーがやってきた。 とりあえず今回は事故もなくほっとしています。 無事、通関。やれやれ!! 皆さんありがとうございました。m(_)m
また来年お邪魔します。 |