こんにちは元気だかね! 4月9日、10日の春祭りが終って、ほっとする閑もなく、4月14日から1週間、10ヶ月ぶりに大連に行ってきました。目的はいろいろです。 一つは日本の友人から頼まれた仕事の調査をすること。 大連ではいうまでもなく、たくさんの写真を撮ってきました。まだ、整理できていません。 |
まずは目の前の新空港「中部国際空港」です。
はじめてここから海外に出ます。 素晴らしいことは、新空港が自宅のすぐ近くにあることです。 車で20分くらいです。14日は素晴らしい天気でした。 出航時間は12:15ですが、空港内を見物したいので、少し早めに出かけました。 連絡道路(料金350円)を渡ると、空港島です。駐車場は巨大で、空港施設の半分くらいの感じです。平日なのか駐車場は空いていました。 ターミナルに一番近いところは野外でしたから、隣の駐車ビル「J」に入りました。ガラガラでした。 搭乗手続きはターミナルビルの3Fですから、エレベーターで3Fへ上がります。 まず、航空券を受け取らなければなりません。航空券はネットで買いました。 安いところをいろいろ探し、最終的に「アルキカタドットコム」にしました。 4月14日大連便は57,900円でした。 これに空港使用料、保険料、手数料を6,000円加え、合計63,900円(往復)です。 中部空港からの大連便は中国南方航空で、週4便(火、木、土、日)あります。 ちょうど、次の土曜日からは5,000円アップし、GWは更に5,000円アップします。 航空券受け取り場所はネットで確認済なので、そこへ直行。 窓口で名前をいうと、大連行きを確認後、スムーズにもらえた。 料金は既に銀行から振込み済みです。 はじめての買い物でしたが、無事終ってホッとしました。 このようなことは、今まですべて会社が準備してくれましたので、あまり気にしていませんでした。 いざ、個人でやるとなると、あちこち電話したり、出歩いたりと、かなり大変な事態になると、心配していましたが、幸いにも今はインターネット時代です。自宅から簡単に注文できます。ありがたいことです。 次は、空港内をお母さんと見学です。早めに来たのはそのためです。 念のために搭乗手続き時刻を確認したら、しばらくして始まるようだったので、窓口に並びました。 私のいでたちは、ネクタイと背広でビジネスカバンを持った、普通のビジネススタイルです。
だいぶ温かくなってきたので、スプリングコートは止めました。 今回は1週間ですから、大きなスーツケースは要りません。 技術部には私が継続して購読している機械雑誌2種類を昨年7月からのバックナンバー各10冊。
日本語のわかる王鴻雁には、「プレジデント」誌10冊程度。 値段も布製の倍くらいしました(12,000円) |
日程・天候 | 行程 |
4月14日(木) 晴れ |
@ 中国南方航空CZ620<中部空港12:15発>大連空港13:45着(現地時間) A 離陸風景を連続的に撮る B 会社に立ち寄り、お世話になった皆さんにおみやげ進呈 C ホテルチェックイン>大連賓館(三つ星)( 中山広場南側) TEL:0411− 8263−3111。部屋シングル1泊300元(5000円) D 夕食>会社駐在員と火鍋(シャブシャブ)>昌隆 |
4月15日(金) 晴れ |
@ 散策>
中山路 → 勝利広場 → 長江路 → 黄河路 → 中山公園 → 西安路周辺 → 開店「大連商業城」店内紹介 → 市電202 → 星海広場 → 中山広場 A 夕食>「サンパウロ」 ブラジルの焼肉バイキング(北方大酒店の5F)>楊さん、王さんと |
4月16日(土) 晴れ |
@ 大連賓館の朝食 A 散策>ロシア街の保護建築物、天津街「VIVO」早くも倒産、伊都錦8Fラーメン B 友人会社訪問 C 夕食>友人会社の皆さんと晩餐会>中国料理(五一広場) |
4月17日(日) 晴れ |
@ 大連就業中のメル友と終日デート 昼食>麦凱楽の回転寿司 夕食>メル友行きつけの居酒屋>竹馬(人民路) |
4月18日(月) 晴れ |
@ ショッピング>家楽福魯迅路店、友誼商城ほか A 散策>再開発中の高爾基路(中山路との交差点から星海手前の馬蘭河、高爾基路橋まで B 散策>マンション周辺 C 夕食>昌隆シャブシャブ(メル友と大連友人) |
4月19日(火) | 友人から頼まれた会社訪問(開発区、金州) |
4月20日(水) | 大連友人の会社訪問(旅順)、水師営会見所見学、昼食馳走、夕食馳走(大連大名) |
4月21日(木) | 帰国>中国南方航空CZ619<大連08:05発>中部国際空港11:15着(日本時間) |
2005年4月14日(木)>1日目
はじめての中部国際空港を散策
さて、搭乗手続きを終え、荷物を預けて身軽になったところで、
早速、3階出発ロビーからエスカレーターで、4階の商店街スカイタウンへ上がった。 正面の明るいところがスカイデッキのようです。 |
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スカイデッキは空港ビルのほぼ中央部に位置し、国内線と国際線を分離するように三重県側に突き出ています。 ぐるっと一回りしました。 離着陸がひっきりなしです。今まさに離陸する飛行機。 |
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スカイデッキの先端部には離着陸機を見ようと、大勢の人が集まっている。 離陸する飛行機を撮っていたら、東南アジア系の若いカップルが割り込んできた。 スカイデッキの先端から空港ビルを見る。国内線ウイング側に管制塔が見えます。 |
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国内線ウイング側(名古屋港方向) |
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まずはちょうちん横丁側です。
ここはイベントプラザ通りの面しているので、すぐ見つかりました。 |
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レンガ通りの店はなかなか見つかりません。路地のような狭い通路を人ごみを掻き分けて、探しました。 |
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記念写真撮りました(^O^) | ||
手荷物と服装チェックが終り、出発ロビーに入ると、 ずらっと免税店が並んでいる。 |
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まずは、3000m滑走路までゆっくり移動します。 国際線ウイングから国内線ウイングの端っこまでですから、かなり時間がかかります。 |
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エンジンが最高回転数に到達したようです。 |
スカイデッキの少し手前あたりで、前輪が浮上しはじめ、 |
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国際線ウイングの前方に我が家があります。 この先に古場があり、そこから桧原街道が始まり、 我が家につながっています。 |
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機はますます機首を上げ、上昇します。エンジンの傾きを見ると、このことがよく解ります。機は少しずつ飛行場から離れていきます。 |
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しばらくすると眼下に琵琶湖が見える。 | またしばらくすると湖岸?海岸?よく解らないが、 山の斜面(北側?)に残雪を見える。 |
さらにしばらくすると雪で白い山の尾根が続いている。多分、アルプスであろう。 この後、眼下には雲海しかみえなくなった。 |
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通路側にちょっと太った、色の少し黒い、声のかれた男性がいました。 名前は神山(こうやま)さんといいます。 3月から大連に事務所を設置したといいます。 会社は名古屋を本拠地とする「チケットセンター」です。名刺にURLが書いてありました http://www.ticket-center-inc.com/ 縁あって隣り合わせになったので、私の大連4年間の経験を少し、お話しました。 彼は大変参考になったと、大喜びでした。 まだ大連での名刺がないので、日本の名刺に大連の連絡先(電話番号、携帯番号、メールアドレス)を書いてくれました。 大連空港には予定通り着きました。大連はこの時期特有の春霞がかかっていました。 うららかで、温かい天気でした。コートを持ってこなくて正解でした。 神山さんには空港へ迎えに来る中国人がいるようです。 私はいないといったら、通り道だから送ってくれると言う。ありがたくお願いしました。 |
会社に着いたら、守衛がまず驚き、次ぎに偶然、総務部室から出て来た部長が驚き、みんな突然の訪問にびっくりしていました。
私が今日来ることは、日本人は知っていたが、個人的な訪問ですから、従業員には内緒にしていました。
早速、お土産(お菓子)を配りました。おかげで、スーツケースがすっきりしました。 夜、日本人駐在者および出張者と食事をする約束をして、ひとまずホテルに向かった。 ホテルは一度は泊まってみたかった、中山広場の旧大和旅館「大連賓館」です。 1909年着工1914年完成ですから、90年経過しています。どんな建物かは別リポートを参照ください。 予約はやはりインターネットでした。 このホテルの格は三ツ星です。歴史的価値だけでは五ツ星にはなりません。 従って、宿泊料も安いです。シングルで1泊5000円です。 ところで、 |
フロントで名前を言うと、すぐわかりました。 フロントの女性は中国人ですが、日本語ができます。部屋は4階でした。 |
ボーイが荷物を持って、エレベーターで案内してくれます。 |
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部屋の鍵は電子カードです。ボーイにお礼を言って、部屋に入ります。チップは不要です。室内はこんな感じです。 |
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夜は今回大連訪問の目的の一つ、中国式シャブシャブ火鍋(huo3guo1)を会社の友人と食べます。 店の名前は「昌隆」です。「火鍋」は読んで字の如く、鍋料理です。 |
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2005年4月15日(金)>2日目 |
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ホテルの窓からみた大連の早朝。右側が渤海大酒店、左側が大連五一国際酒店。中央に見える低い建物は鉄路医院(鉄道病院)。 |
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友好広場にでます。このあたりも大きな変化はありません。 | |
大連駅から旧電子城あたりまでも、同じく大きな変化なし。 | |
勝利広場から郵便会館方向 | まだ健在の天添楽快餐店 |
市電通り長江路と友好街との三叉路(正面の新地が旧電子城です) | |
市電通りをさらに進み、駅方向を振り帰る。左側の電子城跡地は完全に新地になっていました。 |
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長江路から三叉路を曲がり、黄河路へ入ります。
しばらく進むと、長屋が取り壊されていました。 |
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またひとつ歴史的建築物が消えます。まことに残念です。 | |
面白い、車を見つけました。結婚式披露宴に使うものです。 新郎新婦が披露宴の会場に到着すると、爆竹を鳴らし、紙ふぶきや風船を飛ばします。 お金を出せば、このような車が来て、色とりどりのリボンや紙ふぶきを打上げてくれます。 |
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特に春節とか国慶節などの行事やレストランなどの開店祝いでは、はでに打ち上げます。 2001年の春節(星海会展中心前広場) |
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2003年>日本焼肉屋の開店(長興街) | |
黄河街との交差点もすっかり壊されて、前方のテレビ局が丸見えになりました。 | 左側のマンション群はもうすぐ完成します。 | |
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さらに、黄河路を進みます。
どこで写真を撮っても、 テレビ局のアンテナ塔が見えるようになりました。 |
老虎灘につなぐ長春路まで来ました。 |
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長春路の再開発は完了し、中山路との交差点では「百盛」が既に営業していました。 角に大好物の「チャイナケンタッキー」があります。が、先を急ぎます。 |
長春路側 | |
中山路側 | ||
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奥林匹克広場方向>正面に大連市体育場が見えます。 | 約1時間で中山公園です。見慣れた「華宮」が変らぬ姿で迎えてくれます。 | |
ここへ来たら必ず、写真を撮る場所があります。
華宮の階段を登り、砦のようになった壁の上に立ち上がって、 奥林匹克広場方向と大連駅方向を撮ります。両方向は今や、対照的です。 |
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まず、奥林匹克広場方向です。中山路と黄河路との間はほぼ再開発が完了し、
高層マンションやショッピングセンターが出来つつあります。 |
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次ぎに、黄河路と長江路との間は今、取り壊し中です。 ほとんどが平屋と2階建ての住宅街でしたが、今ここ、華宮から眺める景色は新地状態です。 |
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華宮には数え切れないほど来ていますが、中を詳しく見たことがありません。 時間はたっぷりありますので、裏側に入ってみました。 正面の階段を上がって、 右に回り、1周するとここに出てきます。 ゆっくり歩いて、15分くらいです。 |
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振り返ると、「古文化市場」のボロボロの門があります。 | |
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中山公園を連合路方向に抜け、昨年、建設中だったマーケットを確認した。 手前のガラス屋根がマーケットで、通りの向こうが「第七十九中学」である。 |
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長興街を五四広場に向かって進みます。このあたりにも駐車場化した歩道があります。 | ||
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完璧に駐車場 化した広場や歩道 | |
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ショッピングモール「大連商業城」のトリプルタワーが壮観です。 このビルは今までに何度となく、マンションの13階から建設中の写真を撮っています。 |
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従って、公安がいくら追い払っても、次から次と露店は生まれます。 |
それにしても、ここはばかに人通りが多い。 昨年、信号は出来たが、守っている人は少ない。これ中国式あるよ! |
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しかし、西安路は市電202路線があり、とても狭いのです。 そこで、反対側の舗道を削って、車道を拡幅していました。 舗道は最近、パーキングエリアですから問題です(^レ^; |
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新しい大連商業城側の舗道はバカ広い。 昨日食べた、シャブシャブ店「昌隆」が右手に見える。 |
その隣の舗道は工事中で、ネットが貼ってあった。 右から2つ目の高いビルが、元、住んでいたマンションです。 |
大連商業城のショッピングモール街とデパート「麦凱楽」は既に営業していました。 中はこんな感じです。 長さ200mくらいのショッピングモール全体が天井まで吹き抜けです。 なにしろスケールがでかい! |
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長興市場の2階から五四広場方向を見る。肯徳基のある手前の空き地に何かが出来るようです。 | 聖金広場方向 |
西安路の狭い歩道ではたくさんの露店が開いています。 なかに珍しいものを売っている人がいました。 動物の一部のようですが、解りますか?? ひとつひとつをよく見てください。 |
長興市場の前では木の実を山のように積んで、秤売りしていました。 中国では極々、普通の眺めです。が、交通量の多い西安路です。 こんなホコリっぽいところで売っているものは、とてもそのままでは食べる気がしません。 こちらの人は、指でつまんで試食し、好みに合えば買います。 秤売りの商品は大抵、試食できます。 |
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星海広場中央部の広場には酉年にちなんだ、真っ赤な「電飾にわとり」が飾ってある。 左側が会展中心の建物ですが、右側にはガラス張りの建物が完成しています。(昨年は鉄骨だけ) |
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濱海路西路方向でも背の低い建物を建設中です。何ができるか楽しみです。 | 広大な星海広場はとても歩きでがあります。 |
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中央通路の左側では凧を揚げています。この広い大空は格好の凧揚げ場です。 | 中央部から星海広場全体を見ます。壮観でしょう(^O^) | |
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海を見ると豪華客船「ORIANA」が見えます。が、ちょっと変です。 写真見てください。変でしょう?? 船が傾いていませんか?? 左側の上船用桟橋も壊れています。いったい何があったのでしょう? |
更に詳しく見るため、近くまで行こうとしましたが、入場禁止になっています。 遠くから見てもやはり、船は傾いています。どうやら座礁したようです。 |
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今の状況では、朽ちるのを待つだけのような感じがします。 なんともいやはや、もったいないことです。 |
帰りに、広場でたくさんの人が凧揚げしていました。壮観でしょう(^O^) | |
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どこからか、ビューンビューンという音が聞こえます。よく見ると、こちらも凧でした。遠くからしばらく見ていました。 この凧はすごいスピードで上空に揚がったり、地上スレスレまで落下して、そのまま水平に走ったりしていました。 何度も何度もこのような飛行を繰り返し、絶対に落下しないのです。本当に不思議です。いったいどんな凧なんでしょう? |
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私もこの不思議な凧揚げを見たいと思い近づきました。 驚きました。両手で凧を操っています。鮮やかな手さばきです。 |
急上昇、急降下、水平飛行、宙返りなどなど自由自在です。 しばらく妙技に見とれていました。 |
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多分、マンションだと思いますが、誰が入るのでしょうか? | |
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食事の後、懐かしいところとして、人民広場裏の 「ノアの箱舟」 に寄りました。 スキンヘッドのマスターはとてもお元気な様子でした。ここでお茶を飲み、2人を家まで送りました。 今日は一日、大変な運動量でした。足が棒のようになりました。これで2日目、15日は終りです。 |
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2005年4月16日(土)>3日目 | |
今日は土曜日ですが、大連の大方の会社は仕事をしています。 そこで、友人の会社へ遊びに行きました。もちろん、事前にメールでアポは取ってあります。 昨日はたくさん歩いたので、足がまだ、腫れたような感覚です。筋肉痛は3日くらい遅れてくるかな(^レ^; |
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さて、大連賓館のレストランはこんな感じです。 歴史を感じるでしょう!厨房はボロボロかな?失礼m(_)m |
朝食をご紹介します。毎日だいたいこの献立です。 右がお粥。惣菜は漬物類、卵・春雨・野菜などの料理です。 |
友人の会社訪問は午後ですから、午前中は閑です。そこで、目の前のロシア街に出かけました。 中山広場から上海路を臨むと、勝利橋の向こうにロシア風情を保存するための一画があります。 ここが、「俄羅斯風情街」すなわち、ロシア街です。 |
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勝利橋を渡って右側の通り。左がロシア街です。観光バスが何台も停まっています。 右端に移っているのは中国式コンビニ(屋根付き露店)です。 |
観光バスの向こうがロシア街です。ロシア風の建物が500mくらい続きます。 右側の建物は修復中です。 手前の車はタクシーです。昔はすべて赤でした。 これが、昨年から、このような明るく、清潔感ある色調に変わりました。 その向こうを、黒い服を着たおじさんが、 |
それでは、ロシア街を歩いて見ます。まずは、正面の改修中の建物です。 | この建物は大連市の重要保護建築物に登録されていました。 今まで、何度もここには来ましたが、気がつきませんでした。 |
2月に開催された、愛知万博の中国館に展覧する 優秀写真の全国巡展案内が掲示されていた。 |
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とんがり帽子のような屋根を葺き替えています。現場監督らしい色の白い男性が上にいます。 ロシア人かもしれません。 家づくりは個人的にもはなはだ関心が強いので、しばらく工事を見ていました。 |
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ふと、右側を見ると、重要保護建築物の銘板をつけた建物を見つけた。勝利橋を渡って、右側にある建物です。
これまた、今まで気がつかなかった建物です。他にもありそうなので、今日はロシア街の建物を全部調査してみました。 |
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ロシア街に入ります。 | |
ロシア街入口の左側建物では入口階段が綺麗に飾られ、今まさにイベントが始まろうとしていました。 爆竹を通路真ん中に置き、打上げ花火の大きな箱が4個、歩道に並んでいる。 |
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4,5人の係員がライターで一斉に火をつけると、すさまじい爆竹の炸裂音と花火の轟音と煙で充満します。 約15分の宴でした。 爆竹は破片が飛んでくるので、とても危険です。しかし、みんなこれがとても好きのようで、 大人も子供も集まり、遠巻きに見ています。 終ったあとはあたり一面、ゴミだらけです。 掃除は清掃婦の仕事で、当事者は何もやりません。これが中国式なのです。 |
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過去に、何度もロシア街の主要な建物はリポートしているので、今日は今まで見落としていた、アングルに絞った。 例えば、脇道に入ったところの、煙突のある建物。保存されるのか、壊されるのか解りません。 |
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正面の細い通路の突き当りがロシア街と民家との境界(出入口)です。 通路の両側にも小さな店がひしめき合っていますが、まだシャッターが降りている。 |
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ロシア街を歩いていると見えるレンガ造りの住居。(むかしロシア人が住んでいた?) | |
ロシア街を出て、勝利橋の上で人だかりが出来ている。見ると、伊勢海老2匹を売っている。 今朝、海で採ってきたのであろう。「いくら」と尋ねたら、一匹200元という。 しばらく見ていた。みんな珍しがってはいるが、誰も買わない。いったいいくらなら買うのであろうか? |
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昨日、楊さんから聞いた、新装天津街で開店間もなく、つぶれた百貨店を見に行った。 |
お昼は楊さんと待合せて、イトキン8Fの「菊水」でラーメン食べました。 |
久しぶりに日本式餃子を注文したら、分厚い中国式焼き餃子が出てきました。味もまた中国式でした。 いつから変わったのか、文句言ってやろうと思いましたが、文句はまずい餃子と一緒に「グッ」と飲み込みました。 友人の会社へ行くのは初めてです。旅順の近くでしたから、タクシーで50元くらいかかりました。 会社の周囲には中国の田舎では極々、普通に見られる民家があります。 |
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これで3日目、4月16日土曜日はおしまい! | |
2005年4月17日(日)>4日目 | |||
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2005年3月24日 | |||
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彼女の返信 | |||
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ということで、今回めでたく大連でデートできることになったのです\(^o^)/ | |||
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その前に大連賓館の玄関で記念写真を撮りましょう。 デートのお相手はこの方です。小生いつになく緊張しています。 |
私ひとりの写真を彼女に撮ってもらいました。カメラの使い方は問題ありません。 なぜか、いつになく楽しそうに写っています。 |
ついでと言っては何ですが、中山広場方向でも写真を撮ってもらいました。 ここでちょっとしたハプニングがありました。とりあえず写真を見てください。 |
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欲しい写真は最後の1枚です。が、このロータリーにはたくさんの市バス、タクシーが走っています。 前の2枚は偶然、市バスが通っているときにシャッターを押したのでした。なかなか面白い写真でしょう(^O^) |
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ボーリング場へ行く途中、男性社員に遭遇。
彼女もまだ、さほどアチコチ歩いているようでもなく、食事の場所をあまり知りません。
回転テーブルの長さは約10m、入口の壁に皿が貼ってあり、金額が書いてある。 味はイマ2でした。ネタが古い感じ。何よりも重要なシャリがまずい。これは最早、寿しとはいえない。「清水」のほうがまだましである。 海の幸が豊富な大連だからして、肴は新鮮なはずであるが、これはなんとしたことか? これを寿しとして食べている中国人に言ってあげなくてはいけない。 「これはニセモノです。 これが寿しだと思わないでください」と。 |
帰り際、店の写真をこっそり撮りました。彼女も同じように撮っていました。 彼女もデジカメ持っています。最近買ったのです。ある目的のために! それはまたあとでお話しします。 |
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実は今回、新しい発見をしました。広場の左側に駅が出来ていた。 金石灘行きの路線です。今までは香炉礁駅が始発でした。注)この路線は別リポートを参照ください。 |
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彼女もパチパチ写真撮っていましたが、うまく写ってましたかね? | ||
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目的地はここです>大連古文化市場<大連中国工芸品旅遊品交易市場 | ||
ここは中国工芸品ばかりを集めている市場です。 彼女も楽しそうにウインドショッピングしてました。絹刺繍のレターケースが気に入ったようです。 私はと言えば、例によって王さんとこ(刺繍のテーブルクロス屋さん)で、ピアノのカバーをまた買いました。
常連ですからと、350元にまけてくれました。前と同じでしたから交渉もしません。 一旦、ホテルに戻り荷物を置いて、ホテルの喫茶店で休憩。 実は、彼女がデジカメを買ったのは、まだ最近のことです。
実は、デートの予定は16、17の2日間でした。
一度は体験したい中国文化です。ということで、16日は丹東に行きました。没有バン法! とりあえず、カメラのメモリーに入った写真を見せてもらいました。 たくさん写真はありましたが、写真の整理が出来たら、メールで送ってもらうようお願いしました。
そろそろ夕暮れです。どこかでいっぱい飲みながら、食事がしたいです。 ホテルを出て、中山広場に立ち寄る。 近くに大連外国語学院がある。 |
3階の居酒屋「ふぶき」が目指す焼き鳥屋さんです。 | ||
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2005年4月18日(月)>5日目 | ||
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今日の最大イベントは、楊さんと王さんとメル友とその仲間たちと夕食を食べることです。 広場の中央部で民族芸能の練習をやっています。温かくなってくるとこのような自主文化活動が活発化します。 小太鼓と踊りのセクションが交互に練習しています。中央には指導者らしき女性が振り付けながら大きな声でリズムをとっていた。 |
9時になりました。早めにお土産を買っておこうと、近くに出来たスーパーマーケット「家楽福カラフール」へ行きました。お茶は既に10軒分買いました。後は、酒です。
「家楽福」は魯迅路の旧満鉄本社前を通って、三八広場手前にあります。 |
そういえば、「大連倶楽部」の白い照明入り看板が撤去され、電線コードがむき出ている。
ということは、ついに倒産したのか、あるいはどこか別の場所で営業しているかです。 尋ねようにも人っ子一人いませんから解りません。 ただ、コンシェルジュ4月号のクラブ&カラオケ完全Listには掲載されている。ということは、看板が外されたのは極々最近なのか? わたしがよくここに来たのは、客が少ないからです。 また、落着いたカウンターが私の好みでもありました。 ここに来ると、いつも不思議に思うことは、こんなにお客さんが少なくて、よく経営できるな? と、いうことです。 ここの経営者がお客が少なくても営業してきたのは、歴史ある「大連倶楽部」の伝統を守ろうとしたからではないか?と思ってやりたい。 歴史的な「大連倶楽部」がどこか別な場所で、たくましく営業していることを願うばかりです。 今回は調査する時間はなかったが、次回来たとき消息を確認しよう(^O^) |
昔の大連クラブ |
さて、「家楽福」店内には手荷物持込禁止です。入口に無料ロッカーがあります。 使用方法は掲示されているが、なかなかうまくいかない。 困っていると、係員が来てサポートしてくれる。 最新式の道具もいいが、使い方が問題です。 アチコチで質問攻めにあっていた。 |
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お酒の機内持込みは2本までです。従って、空港の免税店で買えるのは2本だけです。
これでは呑助連中を満足させられません。
そこで、ここで買った酒は、スーツケースに入れます。
ですから、最悪、びんが割れても酒が外に漏れないよう、完璧に梱包します。 左の「紅星二鍋頭酒」が56度、右の「金六福」が52度です。
昨日、メル友と買い物した時、ママ先生の化粧品を買おうとしたが、記憶の「友誼商城」にはなかった。
思い出せないまま昨日はあきらめた。
今日はまず、それを買うことにした。 確か、よく似た名前の店があったような? 場所がこの辺りであることは確信しているので改めて、 人民路を富麗華大酒店方向に進むと香格里拉大酒店との間に、 「新友誼商店」があった。ここです。間違いありません。 記憶を頼りに地階に行ったが、
そこは日用雑貨のコンビニだった。 |
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折角ここまで来たのですから、大連駐在中よく遊びに行った、カラオケスナック街を見たくなりました。 |
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買い物したものをホテルに置いて、いよいよ高爾基路を歩きます。 | |
途中>労働公園前(右側に入場門がある) (左の高いビルが瑞士大酒店俗称「スイスホテル」) | 途中>希望広場 |
森ビル、大連理工大を過ぎると、高爾基路と中山路との三叉路に出る。ここから高楽基路に入る。 2003年(6月)の中山路全面改装工事での交差点の写真を改めてご覧ください。 |
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労働公園方向(正面の高い建物は森ビル)。 | 人民広場方向(正面道路が中山路、左斜めが高爾基路) |
この高爾基路の風情はあとしばらくで、見られなくなります。 そこで、今回のリポートでは、写真のサイズを少し大きめにし(70KB〜100KB)、細かいところを表現したいと思います。 受信に少し時間がかかりますが、余命いくばくもない高爾基路沿線を十分楽しんでいただくためと、ご理解ください。 |
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撤去され、新地なったここからもテレビ局の電波塔が見える。 | しばらくして、五四路との交差点にでる。左側が中山路方向。 |
市場街との交差点で中山路方向を見る。青い工事塀の中は新地である。 | 古い家並みが歴史を感じる。取り壊し中の家から不用品を回収する人が往来する。 |
もうすぐこの辺りもなくなります。歩道に新聞紙を敷いて、 おじいさんが孫と寝っころがっていた。 こんなのんびりした風景はもうすぐ見られなくなる。ちょっと淋しい感じです。 |
この辺りは部分的に開発が終っている。 正面にはカフェバーやスナック店が並んでいます。私もよく行きました。 |
再び、古い家並みが続く。私にはとてもよい雰囲気に思える。 | |
この家にはまだ、人が住んでいます。なんとも優雅なたたずまいです。 上下水さえ整備できておれば、これほど風水の優れた住居はないのです。残念です。 |
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交差点角の一膳飯屋です。中国にはこのような食堂>小吃部<がたくさんあります。 しかし、衛生面で問題があり、若い人たちから敬遠されています。 この店もあとしばらくで閉鎖するでしょう。 |
奥林匹克広場を過ぎると、東北路の高架道路です。
この道路は北へは、沈陽市への高速道路「沈大高速」に、 南へは、長春路から八一路、解放路を経て、老虎灘につながっています。 |
奥林匹克広場脇の高層マンション「教師大厦」です。
ここには昔(2000年7月)お宅訪問しました(大連リポート19) その裏には何十年も昔から、このような住宅街が広がっています。 |
少しずつ取り壊され、歩道の整備が進んでいます。 この近くに外国人向けの大きな免税店があります。 パスポートを見せると、免税になります。 |
東北路から少し進んだ位置。 | 白山路を過ぎ、太原街との交差点付近 |
黄海に流れる川(水はほとんどない)に差し掛かった。遠くに見えるとんがり屋根の建物は星海の高級リゾートマンションです。 高爾基路はここまでです。この先は中山路となり、星海公園先から、旅順南路につながっています。 端の手前で右に曲がり、川沿いに興工街方向へ進む。 |
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川底はコンクリートで埋められ、水が流れていません。 川に沿って公園が出来ています。 仕事がないのか、昼時でもないのに、若者が昼寝しています。 |
解放広場角から興工街方向を見る。
市電道路(西安路)の車道拡幅工事がずっと先の興工街交差点までつづく。 左後方に羅斯福・天興国際中心の高層ビルが見える。右手前は中学校。 |
ちょうどこれからサッカーの対校試合が始まるところです。相手はすぐ近くの遼寧師範大学付属中学です。 オレンジのユニホームはホストチーム(四十八中学?)です。掃除のおばさんもちょっとひと休み。 閑そうな人がこれからドンドン増えます。残念ながら、わたしもその内のひとりです(^レ^; |
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それにしても、グランド脇のベンチや日除けのパラソルには、 堂々と「コカコーラ」の宣伝が入っています。日本では考えられません。 |
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延々と続く、車道拡幅工事。 | スーパー家楽福前の黄河路は中央分離柵が出来ている。 こちらの人はいつでも、どこでも横断しちゃいますからとても危険です。 ようやく当局は無断横断禁止措置をとったようです。 すぐ近くに信号付きの横断歩道があるのですから、そこを渡りましょう! |
時刻は午後4時ころ、影が長くなってきた。小腹が空いてきました。 6時半の夕食時間まで、まだ2時間以上ある。 何かおやつでも探そう。 家楽福の周りの歩道では、あらゆるおやつ屋さんがそろっている。 「ゆでトーモロコシ」 「イカの姿焼き」 「ポップコーン」 「羊肉の焼肉」 |
長興市場の広場から西安路を星海広場方向を見る。 |
長興市場の2階から五四広場方向を見る。 新式の市電がかっこいいです。ケンタッキーの裏に何かが出来ます。 |
同じ場所から、百盛方向 |
同じ場所から、家楽福方向 |
少し早めの18時に昌隆4Fのシャブシャブレストランに入る。 そして、事前に注文して、みんなの来るのを待つ。 | |
最初に楊さんと王さんが来た。しばらくしてメル友の彼女から少し遅れるとの電話あり(仲間がひとり増えるという)
みんなうまいうまいと言ってよく食べ、よく飲んだ。強い印象ひと言>ひとり増えた男性は相当なのんべえであった。 |
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最後に全員で記念写真(メル友の写真) 食卓は見事に平らげられて、綺麗さっぱりです。締めて400元!ごちそうさまでしたm(_)m |
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2005年4月19日(火)>6日目 2005年4月20日(水)>7日目 &4月21日(木)帰国 |
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大連6日目、2005年4月19日火曜日。 | |
今日は、私の友人から頼まれた仕事の調査のため、開発区と金州区に出かけました。 詳細は企業秘密です。 |
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大連7日目、2005年4月20日水曜日。 | ||
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ガイドの文立久さんと記念写真撮りました。
名刺には「中国大連旅順口区水師営会見所」日本語通訳とあり、 住所は大連市大連交通大学院内となっていた。 |
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「ここが水師営の跡です。この建物は昔の建物を元にして、旅順区政府が100万元をかけて復元しました」 と、流暢な日本語で説明します。この会見室の壁にはかの有名な「会見記念写真」が掲げてある。 |
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ただ、こんなにへんぴな場所で、勝利者「乃木将軍」と敗者「ステッセル将軍」が旅順開城を交渉したとはとても思えなかった。 | ||
なにかお土産はないかと探すと、ガイドさんが写真集を見せてくれた。
最近の大連は私が撮った写真がたくさんあるので不要です。 そこで、昔の大連を集めたA4判232頁の「老大連」を買いました。 出版は最近の2004年4月です。 ただ値段は260元の2が修正液で消され、 3に変わっていた。 つまり、360元でした。 |
ガイドさんは記念のスタンプを表紙裏に押してくれました。 スタンプの下にサインらしき文字が見えます。 多分、自分の名前だと思いますが、達筆すぎて読めません。 |
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このすぐ近くに海があります。レストランの海鮮料理は最高にうまかった。遠路はるばるのお客さんも大満足です。 中国の習慣で、昼食時でもアルコールが出ます。もちろん飲んでも大丈夫な人しか飲みません。 |
夜は、友人が日本食をごちそうしてくれました。場所は森ビルの裏、「大連大名」です。 私からのお土産は空港で買った、シャネルの「グロス」と、私の奥さんが作った「シャドーボックスアート」です。 特に、シャドーボックスアートはとても気に入ってもらえました。明日は早いので、ほどほどの時間でお開きにしました。たいへん高価な料理をいただき、ご馳走さまでした。 |
2005年4月21日木曜日。
大連空港での搭乗手続きも順調に進み、待合中に白酒を2本、中国タバコ「中南海スーパーライト3mg」を3箱、購入。 すでに白酒は、厳重な荷造りのもと、スーツケースに2本入れてある。それもこれも、すべて日本の呑友達のためである。 飛行機は定刻に大連を出航し、定刻に中部空港に着きました。 |