無 錫

2002年9月2003年4月

2002年8月

こんにちは!お父さんです!元気だかね!
8月は2回、延べ8日間上海方面に出張しました。 これを7回に分けてリポートします。

最初は1日から4日です。ガイド役は宋慧敏でした。
彼女は30歳です。旦那さんとは社内結婚です。
社内といっても、その会社は合弁前の会社です。
旦那さんは英語が堪能で、経営企画室の責任者です。
最近は海外との合弁事業計画が多く、世界中を飛び回っています。

旦那は古巣に残り、奥さんが合弁の新会社に変わりました。
彼女はとても優秀です。日本語もとても堪能です。
日本にも2回、延べ1年半研修に行っています。
今年、彼女は技術部の課長に抜擢され、とても張り切っています。
勿論、 彼女は大変な勉強家です。
新しい知識、新しい考え方、を吸収するためでしょうか、私と出かけることを、
とても楽しみにしています(^O^)

次ぎは、21日から24日です。 お伴はお母さんもよく知っている王鴻雁です。
2回の上海行きを整理し、まとめてリポートします。

 
さて、8月1日(木) 8:30大連を飛び立ち、
上海浦東空港に9:40到着しました(1250元)。
新しい浦東空港は斬新なデザインと巨大さで圧倒されます。
関西空港によく似ています。
タクシで上海駅まで行き、そこから列車で目的地「無錫市」に行く予定です。
空港から上海駅までタクシで約1時間です。
 料金は3Km10元(大連より2元高い)+高速道路=160元。
南浦大橋を渡ると上海の町です。

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タクシを降りると、そこは焼け付くような暑さであった。
 さすが上海、ひと、人、ひとで大混雑です。
汽車の切符を買おうと売り場に出かける。 駅構内
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汽車の時刻表を調べたら、無錫行きの一番早い列車は14:30まで無い。
そこで、 急遽、高速バスに予定変更。
バス乗り場を地元の人に聞きながら探し探し、約20分猛暑の中を汗だくだくで歩いた。

バスは12:30発があった。
昼食をレストランで食べている余裕はないので、バスの中で残り物を食べる。
残り物とは機内食のパンと肉?である。
もちろん缶ビールを2本買って、飲みながらである。

なにしろ、ものすごく汗をかいて、身体はカラカラしている。
後ろの座席に日本人らしき?(日本語を話していた)4人がいた。
無錫市にはたくさんの日系企業が進出している。
 ソニー電子、シャープ、富士電機、日新電機、住友電工などなど、電子関連が多い。

 
バスは高速道路を走って、快調に飛ばしたが、目的地の無錫市までは2時間かかった。
灼熱の太陽はあくまでもギラギラと輝き、その周りには日輪さえも現れていた。
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上海から無錫までは延々と水郷地帯が続く。
水田もたくさんあるが、不思議なことに農耕機が通れる通路がないのである。
その代わり、縦横無尽に水路が出来ており、舟が通れるようになっている。
この水路はすべての農家の戸口につながっており、舟は重要な輸送手段となっている。
なかには、水上生活していると見られる舟もある。このような光景が上海から無錫まで延々と2時間続くのである。
   
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無錫のバス停からタクシで目的の自動車メーカへ。
正面通路両側には、会社方針、従業員行動規範などの、
スローガンが掲示されていた。 例えば、

1、生産精品是唯一的選択
2、科技興廠是首要的選択
3、深化改革必然的選択
4、只有疲軟的工作、没有疲軟的市場
5、進入一家門、送上一片情
6、産品零欠陥、用戸零抱怨
7、質量只有起点、没有終点
8、創用戸心目中好名牌
9、永無止境地追求尽善尽美
10、提高素質是緊迫的選択
11、降本増効是根本的選択




日本語に訳さなくても大体の意味はお分かりでしょう。

 
この看板のことを会社に帰って、幹部に話したら、国営企業にはこのようなスローガンが多いという。
特に文化大革命時代には氾濫していたらしく、この時代を激しく体験した世代は、個人の人間性を無視した「洗脳」目的の、このような掲示にアレルギー反応を示す人が多かった。

がしかし、わが大連の会社は、私が2年前に来たときより、少し良くはなった。
が、それでも日本人からみれば、あまりにも無節操、無規律である。 みんな好き勝手に仕事している風にもみえる。 合弁相手である国営企業の古き体質なのか?はたまた、中国5000年の歴史の遺物なのか? よくは解らないが、悪しき習慣の浸透ぶりは徹底している。
 
たとえば、
@  くわえタバコで社内を歩き、吸殻を所構わず捨てる。
A  紙くずの入ったゴミ箱に吸殻を捨てても平気の平左である。
B  仕事時間中の私用携帯電話、テレビゲーム、CD音楽、インターネットアクセス
C 勝手に自分の職場を離れ、見えないところでサボっている。
D 日中昼寝している者もいる(昼寝できる場所がある)
E 上司がいないと、すぐ無駄話に花が咲く。
F  昼休み前になると、早めに手を洗ってベルの鳴るのを待っている。
G トイレの紙を無茶苦茶にムダ使いする。
H 手洗いの水が出っ放し(蛇口の閉め忘れ)
などなどである。
 
おっと、ムダ話が長くなった。(^レ^;本題に戻ろう。
早速、生産技術の主任にご挨拶。しばらく、雑談して現場に出かける。
ここで熱心な若い生産技術者二人にお会いし、挨拶。

工場は煉瓦造りの古い建物であったが、これを内装し直して、最新の設備を据付中であった。 正面通路をはさんで、古い工場の前では、新車種用のエンジン工場を建設中。
工場の基本設計は古い工場と同じであるが、構造は煉瓦ではなく、軽量鉄骨のようだ。

 
主任に宿泊先のホテルを紹介してもらった。そのホテル「鴻運」は繁華街にあった。
一泊360元のところを280元までまけてもらった。
が、彼女はもっと安い部屋がないのかどうか、フロントに尋ねている。
どうしてもないというので、彼女は別のホテルを探しに外に出た。
しばらくして帰ってきたが、安い(150元)ホテルもあったが、なんだか怖いといって帰ってきた。

やむなくもう一度「鴻運」のフロントで交渉。
彼女があまりにしつこく、尋ねるので、フロントの彼女も根負けしたようだ。
240元のシングルルームがあるという。決定である。 私にとって280元(約4000円)は安いものです。しかし、彼女にとっては大変な金額です。結局 240元で交渉成立。お疲れ様でしたm(_)m。
このホテルはなかなかのものです。
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ただし、今回の仕事が、いつ終るか解らないため、宿泊日数は解らない。
毎日更新するということで契約せり。 主任からはホテルの食事は悪くないと言われていたが、
外に安くて美味しいところがあるのでは?と、街に出た。

   
こんな服装です。中国銀行無錫支店前で。
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ケンタッキーやマクドナルドはあり、満員であった。が、ここまで来てケンタッキーを食べる気はしない。
地元の料理を食べさせるような店はなかった。 北京ダックの大きな店はあったが、宋慧敏は肉は嫌いだ。
汗をかきながら探したが見当たらない。 あきらめてホテル「鴻運」のレストランで食べることにした。

いろいろ頼んだが、宋慧敏はどれもこれもみんなまずいという。
無錫はレストランも少ないが、味も悪いといって、機嫌が悪い。
食事が終ったのは10時半頃であった。

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疲れた! シャワーは明日朝だ。 おやすみ(-_-)zzz

ではでは。再見!(^O^)/〜〜
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こんにちは!お父さんです!元気だかね!

8月初めの上海訪問をリポートしているとき、ちょうど、お母さんの誕生日が来てしまいました。 ??歳のお誕生日おめでとう。 いつまでも、爽やか、はつらつ、若々しい、君でいて欲しい。
私も負けずに頑張っています。 髪はますます薄くなってきましたが、なぜか?誰もが私の年齢を50歳と言います。 素直に受け止め、喜んでいます(^O^)

さて、無錫訪問記の続きです。

昨日8月2日の昼食は、この会社の中にある宿泊施設のレストランで食べた。来客用でもありそう。 機械メーカの作業者はすべてここに宿泊している。味は宋慧敏に言わせれば、メタメタである。

今日8月3日(土)は休日だから、レストランはやっていない。そこで従業員用の食堂へ行った。 3階建ての巨大な食堂だ。 1階と2階が食堂で、3階は各種イベント用の多目的ホールだ。 休日の日でもたくさんの人が出勤している。食事の準備量も少ないのか、あまり残っていない。 そこで、主任は外で食べようという。 歩いて外に出、少し歩くと小奇麗なレストランがあった。

 

店の名前は「紅園家常館」

地元の名物料理に舌鼓をうった。
宋慧敏は無錫は食べ物がまずいと言っていたが、
どうしてなかなか美味しい料理であった。
我々が泊まっているホテルの近くにないだけで探せばありそう

ビールは中国5大湖の一つ「太湖」の名前を取った
「太湖水?酒」太湖の恵みで捕れる
白い魚や白えびはとても珍味であった。
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夜は3日間お世話になったお礼として、夕食を接待した。場所は主任に決めてもらった。
昼食べたレストランの近くに、同じような郷土料理を食べさせるところがあった。
店の名前は「紅興飯店」でした。(写真はありません)

なかはお客でいっぱいであった。料理の注文は主任にお願いし、私は白酒を探した。
52°以上のものがなかったので、46°にした。(60元)
接待者は無錫から主任と生産技術の若い二人、それに同じ大連の機械メーカの作業責任者の計4人である。

料理は昼同様たいへん美味しかった。 呑むほどに酔うほどに楽しい時間を過ごした。
それにしても、宋慧敏は私の話、みんなの話、自分の話などなど通訳しながら、たいへんだ。

工場現場の蒸し暑さは男でも辛いものであった。
女性の彼女にとっては地獄ではなかったか! お疲れさんでした。
それにしても宋慧敏の人柄は素晴らしいものがある。 誰も、彼女の一生懸命さには敬服するだろう。
彼女は会社の宝です。大切にしなければなりません。

8月4日は大連に帰る日である。
来るときは上海からバスできたので、帰りは汽車にした。
無錫駅は今、建設中であった。

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8:38無錫駅発軟座(31元)上海10:30着
 
構内2階には無錫市を紹介する、大きな壁画がある。

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この近くには常滑とよく似た、急須の産地「宜興市」がある。
従って、この一帯は陶土が豊富であろう。
今度、こちらに出張するときは必ず、宜興市に寄って見たい。
 
上海まではバスと同じ約2時間であったが、
汽車のほうが身体は楽である。
(^O^)記念写真
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無錫駅で特産の泥人形を買った。 テレビの脇に置きました 記念写真m(_)m
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ではでは。再見!(^O^)/〜〜
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こんにちは!お父さんです!元気だかね!
8月21日から24日まで、王鴻雁と出かけた無錫訪問記です。

8月21日(水)
8:30大連空港発、上海浦東空港着9:40(1250元)。
高速バスで上海バスターミナルへ。その後タクシーで無錫行高速バス停へ。
16:50発無錫行バスに乗車、無錫着18:50(料金40元/人)
前回と同じホテル「鴻運大酒店」に宿泊。

二人とも安いシングルにしたかったが、敵もさるもの、私に対してはあくまでシングル部屋没有とがんばった。 結局前回と同じ、私280元、王鴻雁240元で決着。
夕食は8時頃になってしまった。時間もないので、ホテルのレストランで食べる。

8月22日(木)>猛暑
暑い。とにかく蒸し暑い。
気温は日中35度から37度である。工場内はもちろん、蒸し風呂である。
二人とも汗でびしょびしょである。

作業者の近くには直径80cmほどの、扇風機が柱の上部に設置されており、涼しい。
ただ、午後1時半頃になると、全員にアイスクリームが、また4時頃には再びアイスクリームが支給される。 汗になるだけであるが、一時涼しさを感じることができる。
気温が30°を超えると、環境の悪い職場に限って、アイスクリームが支給される(^O^)

昼食は前回と同じ、構内にある宿泊施設「賓館」のレストランである。
宋慧敏はまずいまずいとしきりに嘆いていたが、王鴻雁は文句を言わずに食べていた。
中国人の味覚も人それぞれである。生まれた国によって、これほどにも違うのである。
中国の広さが伺える。(宋慧敏は湖南省、王鴻雁は大連)

6時頃終わり、ホテルに帰り、シャワーを浴びて、さっぱりしてから夕食に出かける。
前回来たとき、宋慧敏と近くのホテル(無錫錦江大酒店>四星)の展望レストランに行ったが、時間が短かったため止めたところだ。 展望レストランは28Fにある。

大連の「渤海明珠」と同じバイキング方式で、飲み物除いて1人100元である。
ぐるっと約一周したが、大連のように港があるわけでもなく、変化に乏しい夜景であった。 それでも、今建築中のビルを含め、展望レストランはほかに2ヶ所もある。

中国語でバイキング式を「自助餐」という。言いえて妙である。
私は青島生ビールを頼んだ。 すごいボリュームであったが、現場サウナで汗をかいたので全部飲んでしまった。 精算の時、確認したらピッチ一杯50元であった。
全部で250元。時間は7時30分から9時30分まで、たっぷり2時間を楽しんだ。
 
王鴻雁は普段小食である。が、それはそれはたくさん食べていた。驚くほどである。
よほど気分が良かったのであろう。太好了!(^O^)

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8月23日(金)>連日の猛暑
昼食ははじめて、社員食堂で馳走になった。課長が案内してくれた。
3階建ての巨大な多目的ホールである。正面には舞台があり、いろいろなことが出来そうであった。

食事はたっぷりだった。
外のレストラン並みにたくさんのメニューのなかから自分の好みのものを選ぶ。 課長は5品ほど選んだ。
私はご飯ではなく、「まんとう」が好きで、毎日食べていると言ったら、ほかほかを2個用意してくれた。

味は問題無しである。 周りを見ると、会社の作業服を着ていない人もちらほら見える。
聞けば、従業員の家族が会社で昼食を食べていると言う。料金は1人4元という。
これだけのボリュームで4元とはなんと安いことか!

また、帰りには料理をお土産に買って帰る人もある。
福利厚生の一環として、給食体制を整備されているのかもしれない。
大連ではこれほどの厨房を持った会社を見たことがない。
昼食時間はずいぶん長いように見受けられた。
昼休みは1時間であるから、ほとんどが食事時間のようにも思える。
ちょっと意地の悪い質問を課長にした。

「お腹一杯で仕事したら、午後一番の生産は落ちるのではないですか?」

課長は笑いながら答えた。

「大丈夫。ここから各自の職場まではたいへん遠いので、歩いて行くうちに仕事への準備運動が出来ます」 帰り、現場まで歩いたが、言った通りであった。職場までの約10分で身体もすっきりしてくる。

夕食は前回来たとき、主任に馳走になった「紅園家常館」にした。
同じメニューでは多すぎるので、特産の手の長い河エビと白魚は注文した。
ほかは、名前が解らないので往生した。 店のママらしき女性がじきじき出向いてきて、いろいろ聞いてくれた。

周りのテーブルも眺めながら、身振り手振りで説明して、適当に何品か注文できた。
最後にもう一本冷えたビールが飲みたかったが、持ってきたビールはあまり冷えていない。 残念であったが断った。

夕食を終って、少し時間があったから、ホテル前のお茶屋さん「高山流水」へ入った。
2階へエスカレータで昇ると、びっくりするほど広い店内に驚いた。
トイレを探しに、裏の方に行けば、個室が円形状にたくさん配置されていた。
空き室がないほど満員であった。 室内では、例によってトランプをやっているグループが多い。

我々は、中央部の少し高くなった場所を選んだ。店の名前「流水」の意味が解った。店内に川が流れているのである。
メニューを見ていると、食事も出来るようであった。今日 の食事は終ったが、今度来たときは、ここで食事しよう。

 

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飲み物は基本的に一人あたり20元以上のお茶を注文することで、ビールではだめなのだ。
最初ビールを2本注文したが、ダメであった。お茶は緑茶、ウーロン茶、普通の花茶、珈琲などである。
そこで、私は珈琲モカ(38元)を注文。さらにビールを一本追加した。
王鴻雁は普通のお茶(20元)であった。

彼女とはいつものことであるが、会社の将来は?仕事とは何か?人生いかに生きるべきか?などなど。
口角泡を飛ばす議論で時間の経つのを忘れてしまう。今日も同じであった。

気が付くと11時を過ぎていた。 腹も減ってきた。喉も渇いた。
食べ物をと私は、ポップコーンを注文した。と言っても「ポップコーン」では通じない。
そこで、「玉飯(トーモロコシ)のぼーん!」と、言ってジェスチャーしたら理解した。

ビールを追加し、ポップコーンを食べながら、再び二人は激論を続けました。
気が付いたら12時を過ぎていました。それでも、まだ店内にはお客さんが居ます。
南の人たちは夜活動する人が多いようです。3時間粘って、料金は締めて70元。安いものでした。

お茶屋さん「高山流水」(翌朝、撮った)
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8月24日(土)>帰り
朝、腹具合がちょっとおかしい。昨日の夜遅かった所為でしょうか?
朝食はおかゆだけにした。午前中はお客さんのところへ出かけ、残った問題点を確認した。
王鴻雁に記録させ、主任と若き二人に挨拶して、無錫を出た。まだ、9時半頃なのに強烈な暑さである。王鴻雁は終始日傘を差している。準備万端である。

そう言えば、街を走っている自転車に乗っている女性は、ほとんどが特殊な袖付きシャツを着ている。 腕を日焼けから守るためのものです。なかなか洒落たシャツでした。今度行ったとき、写真を撮ってこよう。

ホテルに帰り、チェックアウトし、飛行機の切符を購入。ここで、無錫から上海浦東空港までの便利で、安い行き方を教えてもらう。すなわち、無錫からいったん旧上海空港(紅橋空港)まで高速バスで行き、ここで浦東空港行きの高速バスに乗るのである。 空港間はチャーターバスがあるのである。前回、このことになぜ気が付かなかったのか。

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2002年9月

こんにちは!お父さんです!元気だかね!
2002年 9月8日(日曜日)上海南京路を観光した後は、いつも通り、高速バスに乗って目的地無錫へ行きます。

さて、無錫は暑い。昨日までは涼しかったという。 私が来ると暑くなると、王さんも呆れ顔である。
明日はお客さんからも、冗談を言われそうだ。

ホテルはいつもの「鴻運」である。シングルを指定、OK。(240元)
夕食は近くの「高山流水」で無錫料理を食べる。二人で98元。
いつものように王さんと口角泡を飛ばす、激論で10時頃までしゃべっていた。

王さんは私とは別のホテルに泊まっている。場所は、お客さんから歩いて5分くらいの近くです。
「鴻運」は高いが、ここは一泊100元だ。 それでもツイン、バス・トイレ・エアコン付きである。が、クーラーの効き具合はどうか疑問です。多分、熱くて寝られないのではと思います。 辛苦了!

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明日朝の待ち合わせ時間を、お客さん正門前8時30分とした。
彼女の朝食は正門前の露店屋台で、典型的な中国式朝食である。
おかゆ、油で揚げた細長いパン、漬物がついている。これで3元くらい。

 

9日朝、ホテルから町の早朝を眺める。
近くに小学校がある。児童が校庭を箒で掃除している。
しばらくすると、大勢の児童が整列し、ラジオ体操を始めた。
中国の小学校でもラジオ体操があるのだ !と、驚いた。

 
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仕事が終って、行ってみたいところがあった。
ホテルからお客さんまでの途中に、無錫風情の水郷があるのです。
歩いても近いところです。 川沿いに並んだ屋並は、水郷ととても調和しています。
太古の趣を感じさせ、とても心地よい雰囲気です。
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建物は白壁で、屋根は瓦葺きです。瓦は独特の形状で、葺き方も独特です。
平らに置くのではなく、縦方向に重ねていくのです。
雑草が生えているところが、歴史を物語っています。
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水郷地帯をもう少し、紹介します。
屋並の途切れたところで記念写真を撮りました。
しかし、ほとんどの建物は古ぼけて、ボロボロ。
この歴史的遺産を保存しようと、あちこちで修復改築が行なわれている。
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夕食はこの辺りで食べようとレストランを探す。
しゃぶしゃぶの店が2軒、日本食店が1軒、いろいろあったが、
無錫名物の水郷運河沿いにあるお茶屋さんにしました。
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内容はホテル前のお茶屋「高山流水」と同じです。
食事もできるが、15元から45元までのお茶メニューの中から自分の気に入ったお茶を注文すると、
果物やお茶菓子類がバイキング方式になっており、自由に食べることができる。

これはなかなかのアイデアである。 が、時間が早いせいか、お客さんはあまり多くなかった。
気に入ったのは、運河沿いのため、涼しい風が心地よいのである。クーラーはいらない。


ではでは。再見!(^O^)/〜〜
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2002年 9月10日、今日も相変わらずの暑さである。

が、仕事は順調で、問題は起こらなかった。王鴻雁はもうすぐ、1週間になる。
彼女は明らかに疲れている。 そこで、お客さんに明日二人とも帰っていいかと、
尋ねたら、あまり良い顔はしなかった。

確かに、これだけの設備の立ち上がりを、3,4人の若い技術者だけでは不安である。
機械メーカも優秀な班長クラスが3人と作業者3人の6人がまだ残ってフォローしている
我々に残ってもらいたいという気持ちも解らないではない。
そこで、明日一日、何も起こらなかったら、ひとまず帰ることにしたいとお願いし、
12日帰ることを了解して貰う。

さて今日は、仕事が早く終ったので、お客さんへの行き帰りの道で、前を通る「南禅寺」を見学しました。
寺の歴史はよく解らないが、敷地の大きさからかなりの由緒がありそう。
写真もたくさん撮りました>16枚< その一部をご紹介します。

 

後方に見えるお寺が「南禅寺」で、左の大きな門が正門です。

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ここは寺全体がショッピングモールになっているようで、正門には「南禅寺文化商城」とある。

   
正面門 塔入口門
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塔境内>南方特有の跳ね上がった屋根です。みやげ物店が店じまい中。
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女性服専門店のテナントです。王鴻雁に付き合ってしばし、ウインドショッピングしました。
ここで、懐かしい感覚の広告看板を見つけました。

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こんにちは!お父さんです!元気だかね!南禅寺の続きです。

見学始めて、この寺の大きさが相当なものだと解った。
夕方から見物始めたので、さすがに南国ではあるが、薄暗くなってきた。
急がないと全部見ることができない。

木造3階建ての巨大な寺院は入り組んで、迷路のようであった。1階は全てがみやげ物店になっていた。 通りの真中にも、台を置いてCDやDVDを売っている。
さすが中国です、商魂たくましい。 いつ頃建立されたものか解らないが、スケールの大きさには圧倒されました。
 
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ではでは。再見!(^O^)/〜〜
From Dalian With Love

こんにちは!お父さんです!元気だかね!無錫の続きです。

無錫には多くの日本企業が進出している。
従って、当然日本式のカラオケスナックもあるだろうと推測する。今日はそこへ行って見ることにした。 夕食はスナックのある付近の日本料理店(店名:藤田屋)に入った。

店は薄暗い道路沿いの長屋の2階にあった。外から見ても、とてもはやっている店には見えない。 ちょっと不安な気持ちで入口のガラス格子戸をあけた。と、驚きました。

いつ、どこから、こんなにたくさんの日本人が来たのか、超満員でした。
奥のほうには座敷もあるようです。
我々は座る場所も無く、あえなくカウンターに座らされた。
カウンタには寿司ネタが並び、若い中国人2人が手つきも鮮やかに、握っていた。
正面には日本の居酒屋と同じで、焼酎や日本酒の瓶が所狭しと並んでいる。
常連客もあるのであろう。

海の無い無錫でなにも寿司を食べなくてもと思い、私は親子丼を、王鴻雁はうな丼を注文した。 奥のほうには調理場があり、5,6人の人間が忙しく動いている。
付いてきた味噌汁、ビールのつまみの鯛のかぶと煮などの味は本物であった。

1時間くらいいただろうか? たくさんあったカウンタの寿司ネタは、ウニを少し残すまでに減っていた。客はドンドン増える。奥のほうの座敷にも予約と思しき客が入っていく。

さて、いよいよスナックへ行こう。しかし、なかなか見つからない。あちこちで聞きながら探す。
結局「銀座」と「桜」という店が有名のようだ。
歩いていると、昔懐かしい「鈴蘭」という看板が目に入った。「銀座」はその前にあった。
注>昔懐かしい「鈴蘭」というのは、3年前、私が大連に来たとき、マンションの近くにあったスナックで、2年前に閉めました。

 
どちらも客が入っているようには見えない。向こうのほうにも何軒かあるようだ。
薄暗い並木道にずっとスナックが並んでいるという光景は、なにか異様ではある。
最初に入ったのは、大連のマンション近くにあったスナックと同じ名前の「鈴蘭」である。
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案の定、先客は無い。店内は明るい。
背の低いガラスの間仕切りで5つくらいに分けられている。個室は無いという。
なんとも味気ない。大連のほうがもっと華やかである。 ビールを頼んで、歌を歌って、約1時間で失礼。

でも、可愛い子もいました(^O^)

 

次ぎは有名な「銀座」だ。

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入ったら、満員であった。一番奥のステージの前が空いていた。
店内の作りは「鈴蘭」と同じである。客の顔が全員一望の元に見られる。 女の子の手を握ることもできない。
極めて健康的な社交場であった。ここでも、ビールを一本注文。1時間ほど粘って、失礼した。
ママ(中国人)は日本に何度も行っており、ほぼ完全な日本語をしゃべる。
クラブ「チャチャ」のママ(日本人)をよく知っていた。彼女は昨年大連の店を閉めて、上海に出店した。
 
ではでは。再見!(^O^)/〜〜
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こんにちは!お父さんです!元気だかね!無錫の続きです。

9月11日は一日いたが何も問題が起こらなかった。主任に約束通り、明日帰ることをお伝えした。この暑さの中、王鴻雁は疲れきっている。 ここらが潮時というものです。

今回の出張では嬉しいことがありました。それは主任の一言であった。
それは、仕事に対する取組み姿勢の問題です。

《 鈴木さんはこの暑さの中で、汗びっしょりになって、若い者と一緒になって、問題に真正面に取組み、問題の解決方法を考えている。とても60歳とは思えない。鈴木さんは とても信頼できる私達の先生です》と。

私はいままで、ずっと同じ考え方でお客さんと接してきた。中国でも同じである。

私のやり方とは、「問題があれば、たとえそれがこちらの責任であっても率直に認め、その解決に全力を尽くす」それがここ無錫でも通用した。

私のやり方は「誠心誠意」お客さんのために考えるということである。
しかし、中国では私のようなやり方は危険であり、(全ての責任が降りかかって来て、商売にならないから) 出来るだけ非を認めないようにと、忠告を受けたくらいです。

一般的に中国式折衝法では、自分の非は絶対に認めない。これを「死不認錯」という。
誰が見ても、こちらの間違いが明らかであっても、すぐに話題を変え、うまくその場をごまかすことに徹し、あくまでこちらの落ち度を認めない。 相手の落ち度が、わずかでもあるなら、徹底的にここを追求する。

機械メーカの組付責任者の中にもこのタイプがいる。
お客さんを相手に、大声で、てきぱきと、自分の考えを説明し、自分の考えを正当化し、相手をねじ伏せようとしている。 見ているとなんとも頼もしいのであるが、私には、なにかむなしく感じるのである。

宋慧敏や王鴻雁はこのような中国式でないと、中国では商売できないとも思っているようだ。が、 私は、このようなやり方では新しい発展的は協力関係は形成できない、と二人を絶えず指導している。 もっと、問題の本質に迫る議論を真摯に行うことが、将来の技術向上に役立つもので、一時のごまかしでは何も残らないのである。

私のこの考えが、私の行動が、中国の自動車メーカの、若き生産技術者に感じてもらえたというのは、大変嬉しいことであった。

明日の帰りの飛行機のチケットを購入するため、早めに無錫を失礼した。
明日は朝早く起きて、霊山大仏と太湖観光をしたいので、帰りの飛行機の時間は、先月と同じ17:30上海浦東空港発とした(ホテル鴻運で予約)

霊山大仏へ行くのは、主任ほかの皆さんが、冗談まじりに言った言葉を実現するものです。
「今までいろいろな問題が起こったのは、大仏さんにお参りしていなかったからです」と。

そこで、私たちはこう答えたのです。 「それでは明日、朝早く御参りに行ってきます」
「そして、大仏さんに、これ以上問題が起こらないように。 また、これからはすべてうまくいくようにお願いしてきます」と。

さて、無錫最後の夜です。
まだ行っていない、名の通ったスナックがあります。その名は「桜」です。食事の後、行くことに決定。

 
夕食はこの前食べた、茶屋の近くにある、 運河沿いの洒落たシャブシャブ店(川福火鍋)です。
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タレは辛口と甘口の2種類注文したが、辛口は辛すぎて、まったく食べることが出来なかった。
また、肉、野菜、豆腐、面など注文しすぎて、かなり残ってしまった。もったいない。

それより何より、暑くて暑くて汗びっしょりだ。クーラーはガンガンに作動していたが、ほとんど効かない。
料理の味はと言えば、店構え程ではなかった。つまりは、看板倒れでした。

 

このままスナックへ行くのは、汗臭くて問題である。
ちょうど、王鴻雁がショッピングしたいと言うので、わたしはホテルに帰って、
シャワーを浴びることにした。 ホテルまでは近いので歩くことにした。

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二人ともさっぱりとして、スナック「桜」に入る。
店内のレイアウトは「鈴蘭」や「銀座」と同じで、大部屋を6,7個に仕切っている。
カウンターもある。 「銀座」同様、満員であった。勿論、客は全員日本人である。

カウンターの中にはバーテンダーがいる。
2人に指で合図すると、日本語で「カウンターはいかがですか?」という。
「いやだ」と言って無理やり、片隅を確保。女の子も1人しか来ない。

ビール一本飲んで、少し歌って帰ろうと、1時間ほど王鴻雁とおしゃべりした。
勘定して帰ろうとしたそのとき、ママがやってきて、流暢な日本語で挨拶した。
「銀座」のママと同様、日本語はベラベラ、日本人を熟知している。
自信に満ち満ちたその態度は憎たらしいほどである。

乾杯しましょうと誘われたが、ビールは最早、中身のない空瓶だ。
先ほど女の子に、もう一本いかがと言われたが、帰るから要らないと、断ったばかりだ。

ママが挨拶に来て、乾杯も出来ないのでは、しょうがない。
そこで、シブシブ追加を注文。 結局、追加のビールはママがほとんど飲んでしまった。
大原君ではないが、「2度と来るかバカヤロー」と叫びたかった。

無錫の最後の夜は、気分の悪い夜でした。

ではでは。再見!(^O^)/〜〜
From Dalian With Love

 

 
こんにちは!お父さんです!元気だかね!2002年9月25日、無錫出張です。

が、突然の出張決定で、前日航空券は買えなかった。
そこで、いつもチケットの世話をしてくれている、業者に、早朝、空港に来てもらい、探してもらった。
ありました。 大連8:20発上海浦東空港着10:00である。

目的は、やっと出来た治具を、ハンドキャリーし、取扱いを説明することである。
治具は小形のダンボール箱に3個あった。
大連空港から飛行機に載せるのは、みんなに手伝ってもらって問題はないが、この荷物を持って、いつものように、上海浦東空港からお客さんの無錫まで、高速バスを乗り継いでいくわけには行かない。

そこで、タクシーで無錫まで行くことにした。
タクシー代は高速道路代含めて700元であった。あまりの高さに驚きました。
そこで、安くしてもらおうと、値切ったが、だめだった。運転手がごまかしているわけではなく、メータ通りの料金であったので、しぶしぶ払った。

また、キチンと領収書ももらえた。
領収書には自分のタクシー登録番号が、印字されるので、もし乗客がその領収書を当局に提出して、ごまかしたことが分かれば、多分当局から厳重な指導があるでしょう。
この点の中国の措置はきわめて厳格で、営業停止処分もあるかもしれません。

ただ、その裏もまたあって、表面上は免許剥奪でも、お金を払えば、翌日から営業できるというのも、また中国なのであります。
そのお金はどこに払えばいいか?ですって。それはよく解りません(^レ^;

大連に会社が出来た当時、タクシーの運転手は日本人が大連の地理に疎いことを知って、わざと遠回りしたという話をよく聞きました。わたしが大連に来たときは、さほどでもなかったが、それでも遠回りするタクシーはときどきありました。

乗ってすぐに、方向違いに行こうとする場合は遠回りの前兆です。
もし黙っていると、運転手はこのお客は地理が解らないと判断し、さらに遠回りがエスカレートします。

私は大連に来たその年に、大連中を歩き回ったので、地元の人よりずっと大連のことを知っています。

もし、運転手が変な方向に行きそうになったら、言葉で地名を説明しますが、通じないことも多いのです。そこで、最後の手段「右方向」you4・bian、「左 方向」zuo3・bian、と細かく方向を指示します。

しかし、これも出来ない人も多いと思います。そういう時は「領収書」をもらうことが一番よい方法です。 領収書が欲しいと要求するのは、乗るときがよいでしょう。
最初に領収書を請求すれば、運転手は警戒します。
そしてムチャクチャな運転はしないはずです。

さて、話を元に戻します。
タクシーを降りたのは無錫市の入口であった。上海タクシーの運転手は我々の目的地「無錫柴油机廠」を知らない。
そこで、彼は地元のタクシー仲間にバトンタッチした。

無錫に着いたのはちょうどお昼頃であった。
今日の午後、早めに来て欲しいと言われていたので、昼食は後回しにして、お客さんに直行した。 荷物もあったので、正門でタクシーのまま入場できないか、守衛に確認したが、NOであった。
課長に電話し、取りに来てもらう。彼は部下を2人従えて、やってきた。

治具を現場に運び、適当なところに置いて、一通り取り扱いを説明した。が、差し迫って使うようにも見えない。
この治具は私がお客さんのために必要だと考え、設計したものです。いずれ、本格生産に入ったとき、必要になるでしょう。

仕事は一日で終わり、翌日26日(木)には帰った。上海でゆっくりしたかったので、朝早めに無錫を出発した。 いつもなら上海紅橋空港経由で、上海浦東空港へ向かうが、今日は時間があったので、上海駅行きにした。

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2003年4月2日〜4日

 
こんにちは!お父さんです!元気だかね!さて、久しぶりに無錫に出張しました。
今回の出張は別の目的もあり、とても楽しみです。それはお母さんも知っている楊明君に会えるからです。

彼はちょうど10年前(’93.2)私が生産技術の部長のとき、会社に中国研修生としてやってきました。 彼の会社は四川省の省都「成都市」の成都工具でした。実は、この会社には1ヵ月後(’93.3)、日中人材交流の一環で、訪問しました。従業員1万人以上の巨大な会社でした。

当時、台湾からも研修生が2人来ていました。みんなを連れて、車で知多半島を一周した覚えがあります。 知多のおいしい魚を食べさせようと、大きなひらめの薄作りを注文しましたが、みんな刺身を好まず、あまり食べなかったことを記憶しています。

ほとんど残ってしまったので、当時5000円もする料理を、食べずに残して帰るのはもったいないと、発泡スチロールに氷を入れてもらい、持ち帰ったことを覚えています。今、大連では中国人も普通に刺身を食べます。
この10年間で中国人の食生活も変わってきたようです。

が、わさびはとても我慢できるものではありません。
中国人がいくら辛い物好きだといっても、このわさびの辛さは異常です。
これでは新鮮な魚の味が飛んでしまいます。
ただ、このようなわさびは中国式レストランの場合で、日本食の店では普通のわさびが出てきます。

さて、その彼が勤める会社が、無錫市に独資会社を設立するのです。
日本語ベラベラの中国人(ちょうど我が社の楚さんのような人)ですから、頑張れば総経理も夢ではありません。日本に研修で来ていた頃は24歳でした が、いまはもう35歳になります。

日本で日本人の女性と結婚して2人の子供もあります。聞けば、彼は今、私と同じ単身赴任です。会社立ち上げの多忙な時期が一段落したら、家族を呼ぶとも言っていましたが、中国語のできない奥さんは心配のようです。

それ以上に心配なのは、子供の教育です。 無錫では日本のような教育は望むべくもありません。彼に言わせれば、上海でも不満といいます。彼は大連理工大を卒業して、国営企業に入社し、国策としての日本研修生となり、その後、ずっと日本の大学で勉強し、名工大で博士号をとり、今の会社に入社したのです。

以上のことから、家族を呼ぶかどうかは、不確実です。最終的には奥さんが決めることになるのでしょう。それにしても懐かしさでいっぱいでした。 新会社は無錫の開発新区内です。進出企業も少なく、まだまだこれからの工業団地でした。

この会社は主に空圧機器を製造しています。このため、高精度切削工具は当然のこととして必要です。
それが日中合弁の我が社で購入できるということは、納期、価格ともにとても便利です。
新任の総経理からもくれぐれも対応して欲しいと切望されました。

1時間くらいお話をして帰りましたが、せっかく10年ぶりに逢えたのですからと、夜一緒に食事することを約束しました。 ホテルで6時半に待ち合わせました。時間通り、彼はやってきました。中華にするか和食にするかでもめたが、中華に決定。どこで食べるかでまたまたもめたが、ホテルのすぐ隣にこのあたりでは、かなり有名なレストランがあるという。

私も無錫には5回くらい来ているが、いつも泊まっているホテルのすぐ隣に、そんなにうまいレストランがあるなど、夢にも知らなかった。 店の名前は「哈哈大酒店」でした。大きなネオンの看板があり、とっくに知っていたが、私はホテルだと思っていた。実はこの5階にレストランがあったのです。

入り口では案内嬢が予約はありますか?という。中を見ると、とても広い店内には各種テーブルがびっしりあり、空席はなさそうであった。席が無いらしく「しばらくお待ちください」と整理券を渡される。待つこと30分、席が空いた。

場所はほぼ店の中央部分で、ここにはピアノが置いてあり、若い女性が演奏していた。
が、大変なお客さんで、店全体がザワザワしており、せっかくの演奏もほとんど聞こえない。料理はおいしいかもしれないが、雰囲気は最悪です。いっぱい料理を注文し、いっぱい食べましたが、写真を撮るのを忘れて楊さんと話していました。

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3人で飲んで食べて195元でした。もちろん支払いは私がしました。

食事が終わって、このまま分かれるのも心残りでした。そこで、3人で日本式カラオケに行くことにしました。ちょうど無錫一番人気の「銀座」が楊さんの宿泊ホテルに近い方向です。
私と楊明が一緒に入っていったので、ママはとても驚いた。二人の関係を説明して、納得しました。

 
その他、今回の出張での面白い体験。
 
1、朝のラジオ体操風景
ホテル近くの小学校では毎朝7時半頃になると、児童がコンクリートの校庭に並び、ラジオ体操をします。 今回、気がついたのは、写真左上の校舎の屋上でも、若干の生徒が体操してます。が、彼らはまともに体操していません。どんな生徒なんでしょうか?こんなズルが中国でも通用しているとは!驚きました。

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2、鴻運大包
以前はホテルに宿泊すると5元相当の朝食がサービスであった。
が、最近それがなくなった。 このホテルのレストランで朝食を自腹で食べると10元を超える。実質的値上げである。客としてはこのまま黙っているわけにはいかない。 そこで、ここでは食べず、外で食べることにした。
ホテルのすぐ横に、毎朝行列を作っている店がありました。その名も「鴻運大包」。

マントウに肉とかゴマ(甘い)とか山菜とかを入れて蒸したものです。
買ったばかりは熱いくらいで、とてもおいしいのです。 大きさは10cmくらいととても大きい。それでいて、値段は1個1元と信じられないくらいの安さです。一人で2個は食べられません。

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3、自動販売機
ホテルの前のレストラン「高山流水」ビルの前に自動販売機が設置された。
コーラなどの清涼飲料水が2.5元、他に女性の裸の写真入り紙箱に入った品物(トランプ?)が8.5元。 その隣に、中国人の好きなアメリカ産ナッツ「開心果」が7元。物珍しさもあってか、何人かの人がコインを入れていた。

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4、翌日の夕食も再び「哈哈大酒店」
今日はいつもとは違うメニューを注文しました。

(1)中が空洞の薄皮上の菓子のようなもの(黄色い丸い形)
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(2)シュウマイのような形をしているが、中にはスープが入っている。
ストローでちゅうちゅうと吸って飲みます。
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(3)サトウキビ
最後に店のサービスでフルーツが出た。ここに本当に懐かしい物が出ました。
サトウキビです。写真を見てください。赤色はスイカです。白っぽい色がサトウキビです。
デザートにサトウキビが出たのは3年の中国生活で初めてです。多分、日本ではあり得ないでしょう。

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5、空港までの高速道路で、バスが給油しました。
途中で高速バスが給油したのは初めてです。 これもたいへん珍しいことでした。
特に、ここで給油していた車は対照的でした。 トヨタのエステマと野菜を積んだ中国製小型トラックです。

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なお今回上海空港で買った、刺繍の絵画は山水画としました。
この画はとても大きく、額は600X600くらいです。
帰国時、持って帰るのが大変でした(*^^)v

この絵は2012年、太十さんの息子が新築した時、お祝いで差し上げた

ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
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