2002年8月
こんにちは!お父さんです!元気だかね! 8月は2回、延べ8日間上海方面に出張しました。 これを7回に分けてリポートします。 最初は1日から4日です。ガイド役は宋慧敏でした。 彼女は30歳です。旦那さんとは社内結婚です。 社内といっても、その会社は合弁前の会社です。 旦那さんは英語が堪能で、経営企画室の責任者です。 最近は海外との合弁事業計画が多く、世界中を飛び回っています。 旦那は古巣に残り、奥さんが合弁の新会社に変わりました。 彼女はとても優秀です。日本語もとても堪能です。 日本にも2回、延べ1年半研修に行っています。 今年、彼女は技術部の課長に抜擢され、とても張り切っています。 勿論、 彼女は大変な勉強家です。 新しい知識、新しい考え方、を吸収するためでしょうか、私と出かけることを、 とても楽しみにしています(^O^) 次ぎは、21日から24日です。
お伴はお母さんもよく知っている王鴻雁です。 |
さて、8月1日(木)
8:30大連を飛び立ち、 上海浦東空港に9:40到着しました(1250元)。 新しい浦東空港は斬新なデザインと巨大さで圧倒されます。 関西空港によく似ています。 |
タクシで上海駅まで行き、そこから列車で目的地「無錫市」に行く予定です。 空港から上海駅までタクシで約1時間です。 料金は3Km10元(大連より2元高い)+高速道路=160元。 南浦大橋を渡ると上海の町です。 |
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タクシを降りると、そこは焼け付くような暑さであった。 さすが上海、ひと、人、ひとで大混雑です。 |
汽車の切符を買おうと売り場に出かける。 駅構内 |
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汽車の時刻表を調べたら、無錫行きの一番早い列車は14:30まで無い。 そこで、 急遽、高速バスに予定変更。 バス乗り場を地元の人に聞きながら探し探し、約20分猛暑の中を汗だくだくで歩いた。 バスは12:30発があった。 昼食をレストランで食べている余裕はないので、バスの中で残り物を食べる。 残り物とは機内食のパンと肉?である。 もちろん缶ビールを2本買って、飲みながらである。 なにしろ、ものすごく汗をかいて、身体はカラカラしている。
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バスは高速道路を走って、快調に飛ばしたが、目的地の無錫市までは2時間かかった。 灼熱の太陽はあくまでもギラギラと輝き、その周りには日輪さえも現れていた。 |
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無錫のバス停からタクシで目的の自動車メーカへ。 正面通路両側には、会社方針、従業員行動規範などの、 スローガンが掲示されていた。 例えば、 1、生産精品是唯一的選択 |
この看板のことを会社に帰って、幹部に話したら、国営企業にはこのようなスローガンが多いという。
特に文化大革命時代には氾濫していたらしく、この時代を激しく体験した世代は、個人の人間性を無視した「洗脳」目的の、このような掲示にアレルギー反応を示す人が多かった。 がしかし、わが大連の会社は、私が2年前に来たときより、少し良くはなった。 が、それでも日本人からみれば、あまりにも無節操、無規律である。 みんな好き勝手に仕事している風にもみえる。 合弁相手である国営企業の古き体質なのか?はたまた、中国5000年の歴史の遺物なのか? よくは解らないが、悪しき習慣の浸透ぶりは徹底している。 |
たとえば、 @ くわえタバコで社内を歩き、吸殻を所構わず捨てる。 A 紙くずの入ったゴミ箱に吸殻を捨てても平気の平左である。 B 仕事時間中の私用携帯電話、テレビゲーム、CD音楽、インターネットアクセス C 勝手に自分の職場を離れ、見えないところでサボっている。 D 日中昼寝している者もいる(昼寝できる場所がある) E 上司がいないと、すぐ無駄話に花が咲く。 F 昼休み前になると、早めに手を洗ってベルの鳴るのを待っている。 G トイレの紙を無茶苦茶にムダ使いする。 H 手洗いの水が出っ放し(蛇口の閉め忘れ) などなどである。 |
おっと、ムダ話が長くなった。(^レ^;本題に戻ろう。 早速、生産技術の主任にご挨拶。しばらく、雑談して現場に出かける。 ここで熱心な若い生産技術者二人にお会いし、挨拶。 工場は煉瓦造りの古い建物であったが、これを内装し直して、最新の設備を据付中であった。 正面通路をはさんで、古い工場の前では、新車種用のエンジン工場を建設中。 工場の基本設計は古い工場と同じであるが、構造は煉瓦ではなく、軽量鉄骨のようだ。 |
主任に宿泊先のホテルを紹介してもらった。そのホテル「鴻運」は繁華街にあった。
一泊360元のところを280元までまけてもらった。 が、彼女はもっと安い部屋がないのかどうか、フロントに尋ねている。 どうしてもないというので、彼女は別のホテルを探しに外に出た。 しばらくして帰ってきたが、安い(150元)ホテルもあったが、なんだか怖いといって帰ってきた。 やむなくもう一度「鴻運」のフロントで交渉。 彼女があまりにしつこく、尋ねるので、フロントの彼女も根負けしたようだ。 240元のシングルルームがあるという。決定である。 私にとって280元(約4000円)は安いものです。しかし、彼女にとっては大変な金額です。結局 240元で交渉成立。お疲れ様でしたm(_)m。 このホテルはなかなかのものです。 |
ただし、今回の仕事が、いつ終るか解らないため、宿泊日数は解らない。 |
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こんな服装です。中国銀行無錫支店前で。 | |
ケンタッキーやマクドナルドはあり、満員であった。が、ここまで来てケンタッキーを食べる気はしない。
いろいろ頼んだが、宋慧敏はどれもこれもみんなまずいという。 |
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疲れた! シャワーは明日朝だ。 おやすみ(-_-)zzz
ではでは。再見!(^O^)/〜〜
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こんにちは!お父さんです!元気だかね! 8月初めの上海訪問をリポートしているとき、ちょうど、お母さんの誕生日が来てしまいました。
??歳のお誕生日おめでとう。
いつまでも、爽やか、はつらつ、若々しい、君でいて欲しい。 さて、無錫訪問記の続きです。 今日8月3日(土)は休日だから、レストランはやっていない。そこで従業員用の食堂へ行った。 3階建ての巨大な食堂だ。 1階と2階が食堂で、3階は各種イベント用の多目的ホールだ。 休日の日でもたくさんの人が出勤している。食事の準備量も少ないのか、あまり残っていない。 そこで、主任は外で食べようという。 歩いて外に出、少し歩くと小奇麗なレストランがあった。 |
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店の名前は「紅園家常館」 |
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地元の名物料理に舌鼓をうった。 |
ビールは中国5大湖の一つ「太湖」の名前を取った 「太湖水?酒」太湖の恵みで捕れる 白い魚や白えびはとても珍味であった。 |
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夜は3日間お世話になったお礼として、夕食を接待した。場所は主任に決めてもらった。 昼食べたレストランの近くに、同じような郷土料理を食べさせるところがあった。 店の名前は「紅興飯店」でした。(写真はありません) なかはお客でいっぱいであった。料理の注文は主任にお願いし、私は白酒を探した。
料理は昼同様たいへん美味しかった。
呑むほどに酔うほどに楽しい時間を過ごした。 工場現場の蒸し暑さは男でも辛いものであった。 |
8月4日は大連に帰る日である。
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8:38無錫駅発軟座(31元)上海10:30着 | |
構内2階には無錫市を紹介する、大きな壁画がある。 | |
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この近くには常滑とよく似た、急須の産地「宜興市」がある。 従って、この一帯は陶土が豊富であろう。 今度、こちらに出張するときは必ず、宜興市に寄って見たい。 |
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上海まではバスと同じ約2時間であったが、 汽車のほうが身体は楽である。 |
(^O^)記念写真 |
無錫駅で特産の泥人形を買った。 テレビの脇に置きました | 記念写真m(_)m |
ではでは。再見!(^O^)/〜〜
From Dalian With Love
こんにちは!お父さんです!元気だかね! 8月21日から24日まで、王鴻雁と出かけた無錫訪問記です。 8月21日(水) 8:30大連空港発、上海浦東空港着9:40(1250元)。 高速バスで上海バスターミナルへ。その後タクシーで無錫行高速バス停へ。 16:50発無錫行バスに乗車、無錫着18:50(料金40元/人) 前回と同じホテル「鴻運大酒店」に宿泊。 二人とも安いシングルにしたかったが、敵もさるもの、私に対してはあくまでシングル部屋没有とがんばった。 結局前回と同じ、私280元、王鴻雁240元で決着。 夕食は8時頃になってしまった。時間もないので、ホテルのレストランで食べる。 8月22日(木)>猛暑 暑い。とにかく蒸し暑い。 気温は日中35度から37度である。工場内はもちろん、蒸し風呂である。 二人とも汗でびしょびしょである。 作業者の近くには直径80cmほどの、扇風機が柱の上部に設置されており、涼しい。 ただ、午後1時半頃になると、全員にアイスクリームが、また4時頃には再びアイスクリームが支給される。 汗になるだけであるが、一時涼しさを感じることができる。 気温が30°を超えると、環境の悪い職場に限って、アイスクリームが支給される(^O^) 昼食は前回と同じ、構内にある宿泊施設「賓館」のレストランである。 宋慧敏はまずいまずいとしきりに嘆いていたが、王鴻雁は文句を言わずに食べていた。 中国人の味覚も人それぞれである。生まれた国によって、これほどにも違うのである。 中国の広さが伺える。(宋慧敏は湖南省、王鴻雁は大連) 6時頃終わり、ホテルに帰り、シャワーを浴びて、さっぱりしてから夕食に出かける。 前回来たとき、宋慧敏と近くのホテル(無錫錦江大酒店>四星)の展望レストランに行ったが、時間が短かったため止めたところだ。 展望レストランは28Fにある。 大連の「渤海明珠」と同じバイキング方式で、飲み物除いて1人100元である。 ぐるっと約一周したが、大連のように港があるわけでもなく、変化に乏しい夜景であった。 それでも、今建築中のビルを含め、展望レストランはほかに2ヶ所もある。 中国語でバイキング式を「自助餐」という。言いえて妙である。 私は青島生ビールを頼んだ。 すごいボリュームであったが、現場サウナで汗をかいたので全部飲んでしまった。 精算の時、確認したらピッチ一杯50元であった。 全部で250元。時間は7時30分から9時30分まで、たっぷり2時間を楽しんだ。 |
王鴻雁は普段小食である。が、それはそれはたくさん食べていた。驚くほどである。 よほど気分が良かったのであろう。太好了!(^O^) |
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8月23日(金)>連日の猛暑 昼食ははじめて、社員食堂で馳走になった。課長が案内してくれた。 3階建ての巨大な多目的ホールである。正面には舞台があり、いろいろなことが出来そうであった。 食事はたっぷりだった。 外のレストラン並みにたくさんのメニューのなかから自分の好みのものを選ぶ。 課長は5品ほど選んだ。 私はご飯ではなく、「まんとう」が好きで、毎日食べていると言ったら、ほかほかを2個用意してくれた。 味は問題無しである。 周りを見ると、会社の作業服を着ていない人もちらほら見える。 聞けば、従業員の家族が会社で昼食を食べていると言う。料金は1人4元という。 これだけのボリュームで4元とはなんと安いことか! また、帰りには料理をお土産に買って帰る人もある。 福利厚生の一環として、給食体制を整備されているのかもしれない。 大連ではこれほどの厨房を持った会社を見たことがない。 昼食時間はずいぶん長いように見受けられた。 昼休みは1時間であるから、ほとんどが食事時間のようにも思える。 ちょっと意地の悪い質問を課長にした。 「お腹一杯で仕事したら、午後一番の生産は落ちるのではないですか?」 課長は笑いながら答えた。 「大丈夫。ここから各自の職場まではたいへん遠いので、歩いて行くうちに仕事への準備運動が出来ます」
帰り、現場まで歩いたが、言った通りであった。職場までの約10分で身体もすっきりしてくる。 我々は、中央部の少し高くなった場所を選んだ。店の名前「流水」の意味が解った。店内に川が流れているのである。 |
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飲み物は基本的に一人あたり20元以上のお茶を注文することで、ビールではだめなのだ。
最初ビールを2本注文したが、ダメであった。お茶は緑茶、ウーロン茶、普通の花茶、珈琲などである。 そこで、私は珈琲モカ(38元)を注文。さらにビールを一本追加した。 王鴻雁は普通のお茶(20元)であった。 彼女とはいつものことであるが、会社の将来は?仕事とは何か?人生いかに生きるべきか?などなど。 口角泡を飛ばす議論で時間の経つのを忘れてしまう。今日も同じであった。 気が付くと11時を過ぎていた。 腹も減ってきた。喉も渇いた。 食べ物をと私は、ポップコーンを注文した。と言っても「ポップコーン」では通じない。 そこで、「玉飯(トーモロコシ)のぼーん!」と、言ってジェスチャーしたら理解した。 ビールを追加し、ポップコーンを食べながら、再び二人は激論を続けました。 気が付いたら12時を過ぎていました。それでも、まだ店内にはお客さんが居ます。 南の人たちは夜活動する人が多いようです。3時間粘って、料金は締めて70元。安いものでした。 お茶屋さん「高山流水」(翌朝、撮った) 8月24日(土)>帰り そう言えば、街を走っている自転車に乗っている女性は、ほとんどが特殊な袖付きシャツを着ている。
腕を日焼けから守るためのものです。なかなか洒落たシャツでした。今度行ったとき、写真を撮ってこよう。 |
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2002年9月 |
こんにちは!お父さんです!元気だかね! 2002年 9月8日(日曜日)上海南京路を観光した後は、いつも通り、高速バスに乗って目的地無錫へ行きます。 さて、無錫は暑い。昨日までは涼しかったという。 私が来ると暑くなると、王さんも呆れ顔である。 明日はお客さんからも、冗談を言われそうだ。 ホテルはいつもの「鴻運」である。シングルを指定、OK。(240元) 夕食は近くの「高山流水」で無錫料理を食べる。二人で98元。 いつものように王さんと口角泡を飛ばす、激論で10時頃までしゃべっていた。 王さんは私とは別のホテルに泊まっている。場所は、お客さんから歩いて5分くらいの近くです。 「鴻運」は高いが、ここは一泊100元だ。 それでもツイン、バス・トイレ・エアコン付きである。が、クーラーの効き具合はどうか疑問です。多分、熱くて寝られないのではと思います。 辛苦了! |
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明日朝の待ち合わせ時間を、お客さん正門前8時30分とした。 |
9日朝、ホテルから町の早朝を眺める。 |
仕事が終って、行ってみたいところがあった。 ホテルからお客さんまでの途中に、無錫風情の水郷があるのです。 歩いても近いところです。 川沿いに並んだ屋並は、水郷ととても調和しています。 太古の趣を感じさせ、とても心地よい雰囲気です。 |
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建物は白壁で、屋根は瓦葺きです。瓦は独特の形状で、葺き方も独特です。 平らに置くのではなく、縦方向に重ねていくのです。 雑草が生えているところが、歴史を物語っています。 |
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水郷地帯をもう少し、紹介します。 屋並の途切れたところで記念写真を撮りました。 しかし、ほとんどの建物は古ぼけて、ボロボロ。 この歴史的遺産を保存しようと、あちこちで修復改築が行なわれている。 |
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夕食はこの辺りで食べようとレストランを探す。 しゃぶしゃぶの店が2軒、日本食店が1軒、いろいろあったが、 無錫名物の水郷運河沿いにあるお茶屋さんにしました。 |
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内容はホテル前のお茶屋「高山流水」と同じです。 食事もできるが、15元から45元までのお茶メニューの中から自分の気に入ったお茶を注文すると、 果物やお茶菓子類がバイキング方式になっており、自由に食べることができる。 これはなかなかのアイデアである。 が、時間が早いせいか、お客さんはあまり多くなかった。
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ではでは。再見!(^O^)/〜〜
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2002年
9月10日、今日も相変わらずの暑さである。 が、仕事は順調で、問題は起こらなかった。王鴻雁はもうすぐ、1週間になる。 確かに、これだけの設備の立ち上がりを、3,4人の若い技術者だけでは不安である。 |
後方に見えるお寺が「南禅寺」で、左の大きな門が正門です。 |
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ここは寺全体がショッピングモールになっているようで、正門には「南禅寺文化商城」とある。 |
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正面門 | 塔入口門 |
塔境内>南方特有の跳ね上がった屋根です。みやげ物店が店じまい中。 | ||
女性服専門店のテナントです。王鴻雁に付き合ってしばし、ウインドショッピングしました。 |
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こんにちは!お父さんです!元気だかね!南禅寺の続きです。 見学始めて、この寺の大きさが相当なものだと解った。 夕方から見物始めたので、さすがに南国ではあるが、薄暗くなってきた。 急がないと全部見ることができない。 木造3階建ての巨大な寺院は入り組んで、迷路のようであった。1階は全てがみやげ物店になっていた。 通りの真中にも、台を置いてCDやDVDを売っている。 さすが中国です、商魂たくましい。 いつ頃建立されたものか解らないが、スケールの大きさには圧倒されました。 |
ではでは。再見!(^O^)/〜〜
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こんにちは!お父さんです!元気だかね!無錫の続きです。 無錫には多くの日本企業が進出している。 従って、当然日本式のカラオケスナックもあるだろうと推測する。今日はそこへ行って見ることにした。 夕食はスナックのある付近の日本料理店(店名:藤田屋)に入った。 店は薄暗い道路沿いの長屋の2階にあった。外から見ても、とてもはやっている店には見えない。
ちょっと不安な気持ちで入口のガラス格子戸をあけた。と、驚きました。 |
どちらも客が入っているようには見えない。向こうのほうにも何軒かあるようだ。 薄暗い並木道にずっとスナックが並んでいるという光景は、なにか異様ではある。 最初に入ったのは、大連のマンション近くにあったスナックと同じ名前の「鈴蘭」である。 |
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案の定、先客は無い。店内は明るい。 背の低いガラスの間仕切りで5つくらいに分けられている。個室は無いという。 なんとも味気ない。大連のほうがもっと華やかである。 ビールを頼んで、歌を歌って、約1時間で失礼。 |
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でも、可愛い子もいました(^O^) |
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次ぎは有名な「銀座」だ。 |
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入ったら、満員であった。一番奥のステージの前が空いていた。 店内の作りは「鈴蘭」と同じである。客の顔が全員一望の元に見られる。 女の子の手を握ることもできない。 極めて健康的な社交場であった。ここでも、ビールを一本注文。1時間ほど粘って、失礼した。 ママ(中国人)は日本に何度も行っており、ほぼ完全な日本語をしゃべる。 クラブ「チャチャ」のママ(日本人)をよく知っていた。彼女は昨年大連の店を閉めて、上海に出店した。 |
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ではでは。再見!(^O^)/〜〜
From Dalian With Love
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こんにちは!お父さんです!元気だかね!無錫の続きです。 私はいままで、ずっと同じ考え方でお客さんと接してきた。中国でも同じである。 機械メーカの組付責任者の中にもこのタイプがいる。
明日の帰りの飛行機のチケットを購入するため、早めに無錫を失礼した。 |
夕食はこの前食べた、茶屋の近くにある、 運河沿いの洒落たシャブシャブ店(川福火鍋)です。 | |
タレは辛口と甘口の2種類注文したが、辛口は辛すぎて、まったく食べることが出来なかった。
また、肉、野菜、豆腐、面など注文しすぎて、かなり残ってしまった。もったいない。 それより何より、暑くて暑くて汗びっしょりだ。クーラーはガンガンに作動していたが、ほとんど効かない。
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このままスナックへ行くのは、汗臭くて問題である。 |
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二人ともさっぱりとして、スナック「桜」に入る。 ではでは。再見!(^O^)/〜〜 |
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こんにちは!お父さんです!元気だかね!2002年9月25日、無錫出張です。
が、突然の出張決定で、前日航空券は買えなかった。 ただ、その裏もまたあって、表面上は免許剥奪でも、お金を払えば、翌日から営業できるというのも、また中国なのであります。 大連に会社が出来た当時、タクシーの運転手は日本人が大連の地理に疎いことを知って、わざと遠回りしたという話をよく聞きました。わたしが大連に来たときは、さほどでもなかったが、それでも遠回りするタクシーはときどきありました。 乗ってすぐに、方向違いに行こうとする場合は遠回りの前兆です。 私は大連に来たその年に、大連中を歩き回ったので、地元の人よりずっと大連のことを知っています。
もし、運転手が変な方向に行きそうになったら、言葉で地名を説明しますが、通じないことも多いのです。そこで、最後の手段「右方向」you4・bian、「左
方向」zuo3・bian、と細かく方向を指示します。 仕事は一日で終わり、翌日26日(木)には帰った。上海でゆっくりしたかったので、朝早めに無錫を出発した。 いつもなら上海紅橋空港経由で、上海浦東空港へ向かうが、今日は時間があったので、上海駅行きにした。 |
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2003年4月2日〜4日 |
こんにちは!お父さんです!元気だかね!さて、久しぶりに無錫に出張しました。 今回の出張は別の目的もあり、とても楽しみです。それはお母さんも知っている楊明君に会えるからです。 彼はちょうど10年前(’93.2)私が生産技術の部長のとき、会社に中国研修生としてやってきました。 彼の会社は四川省の省都「成都市」の成都工具でした。実は、この会社には1ヵ月後(’93.3)、日中人材交流の一環で、訪問しました。従業員1万人以上の巨大な会社でした。 当時、台湾からも研修生が2人来ていました。みんなを連れて、車で知多半島を一周した覚えがあります。 知多のおいしい魚を食べさせようと、大きなひらめの薄作りを注文しましたが、みんな刺身を好まず、あまり食べなかったことを記憶しています。 ほとんど残ってしまったので、当時5000円もする料理を、食べずに残して帰るのはもったいないと、発泡スチロールに氷を入れてもらい、持ち帰ったことを覚えています。今、大連では中国人も普通に刺身を食べます。 この10年間で中国人の食生活も変わってきたようです。 が、わさびはとても我慢できるものではありません。 それ以上に心配なのは、子供の教育です。
無錫では日本のような教育は望むべくもありません。彼に言わせれば、上海でも不満といいます。彼は大連理工大を卒業して、国営企業に入社し、国策としての日本研修生となり、その後、ずっと日本の大学で勉強し、名工大で博士号をとり、今の会社に入社したのです。 入り口では案内嬢が予約はありますか?という。中を見ると、とても広い店内には各種テーブルがびっしりあり、空席はなさそうであった。席が無いらしく「しばらくお待ちください」と整理券を渡される。待つこと30分、席が空いた。 場所はほぼ店の中央部分で、ここにはピアノが置いてあり、若い女性が演奏していた。
3人で飲んで食べて195元でした。もちろん支払いは私がしました。 |
その他、今回の出張での面白い体験。 |
1、朝のラジオ体操風景 ホテル近くの小学校では毎朝7時半頃になると、児童がコンクリートの校庭に並び、ラジオ体操をします。 今回、気がついたのは、写真左上の校舎の屋上でも、若干の生徒が体操してます。が、彼らはまともに体操していません。どんな生徒なんでしょうか?こんなズルが中国でも通用しているとは!驚きました。 |
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2、鴻運大包 以前はホテルに宿泊すると5元相当の朝食がサービスであった。 が、最近それがなくなった。 このホテルのレストランで朝食を自腹で食べると10元を超える。実質的値上げである。客としてはこのまま黙っているわけにはいかない。 そこで、ここでは食べず、外で食べることにした。 ホテルのすぐ横に、毎朝行列を作っている店がありました。その名も「鴻運大包」。 マントウに肉とかゴマ(甘い)とか山菜とかを入れて蒸したものです。 |
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3、自動販売機 ホテルの前のレストラン「高山流水」ビルの前に自動販売機が設置された。 コーラなどの清涼飲料水が2.5元、他に女性の裸の写真入り紙箱に入った品物(トランプ?)が8.5元。 その隣に、中国人の好きなアメリカ産ナッツ「開心果」が7元。物珍しさもあってか、何人かの人がコインを入れていた。 |
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4、翌日の夕食も再び「哈哈大酒店」 今日はいつもとは違うメニューを注文しました。 |
(1)中が空洞の薄皮上の菓子のようなもの(黄色い丸い形) |
(2)シュウマイのような形をしているが、中にはスープが入っている。 |
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(3)サトウキビ |
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5、空港までの高速道路で、バスが給油しました。 途中で高速バスが給油したのは初めてです。 これもたいへん珍しいことでした。 特に、ここで給油していた車は対照的でした。 トヨタのエステマと野菜を積んだ中国製小型トラックです。 |
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なお今回上海空港で買った、刺繍の絵画は山水画としました。
この画はとても大きく、額は600X600くらいです。
帰国時、持って帰るのが大変でした(*^^)v
(この絵は2012年、太十さんの息子が新築した時、お祝いで差し上げた)
ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
From Dalian With Love