2002年11月、2003年4月、2003年6月
2003年2月24日、こんにちは!お父さんです!元気だかね! 最近の大連リポートは最新情報ではなく、半年遅れですから、恥ずかしい限りです。 |
唐山市に着いたのは、丁度お昼であった。昼食は小さなホテルのレストランに入った。ほかにどこもなかった。
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「ビール」は中国語で「啤酒」(pi2jiu3)と言いますが、「啤pi2」という字は日本語にはありません。 |
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唐山愛信は今日で終る予定でいた。 明日は無錫へ行くため、13:30北京空港発の飛行機が予約してあった。 従って、明日は10時頃にはここを北京に向けて出発しなければならない。 が、お客さんから、もう一つのワークについて、明日加工するから、問題を確認して欲しいと依頼があった。 飛行機のチケットがどのようなものか、会社に電話で確認した。 自由に時間変更ができるという。そこで、ここで一泊することにした。 が、11:30にはここを出たいとお願いした。 午前中訪問することを約束し、課長に適当なホテルを紹介してもらう。 遅くなったので、運転手の劉君も泊まることになった。 ホテルは2星の「豊潤飯店」 私は400元の2室付を240元にサービスしてもらう。 ここで、劉君が注文した「水煮肉片」は、私が中国に来て、初めて食べる料理だ。 |
翌朝、ホテルの窓から外を見ると、いつ降ったのか分からないが、 玄関のポーチの上に雪が残っていた。 |
しばらく、外を見ていると、少しづつ人通りが増えてきた。 ここにも、自転車タクシーがあった。 |
ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
From Dalian With Love
2003年4月24日、こんにちは!お父さんです!元気だかね! お母さんの来大連が中止になったことを、昨日、出張から帰ったとき、常磐さんから聞きました。 とりあえず、そのほうがいいと思います。 それは、イラク戦争後、今、世界中を震撼させている、最大の関心事、重症急性呼吸器症候群SARSが、中国全土に流行する兆しが見えているからです。 大連には今のところ感染者の公式発表はありません。 が、昨日23日、大連市政府は主要な企業を消毒したそうです。 我が社も先週まで北京の国際工作機械見本市に、出展しており、ここでサービス活動した担当者は、感染している可能性があるとして、市政府から強く指導を受け、消毒班が会社にもきたそうです。 わたしは月曜日21日から北京市の東方150Kmほどにある「唐山市」に出張中でした。 しかし、中国はこのSARSを特別警戒しています。 このため、大連空港では乗客全員に対し、健康申告書の提出を義務づけています。 唐山市には飛行場がありませんので、天津市からタクシーで行くのが一番近いのですが、残念ながら便がありません。
やむなく、北京経由となりました。 大連空港から北京空港の郊外に出るまで、ずっとマスクをかけていました。 唐山市に着きました。が、マスクをしている人は一人もいません。ほっとしました。 従って、北京での患者は30数人、死者は4人と前のままであった。 |
ホテル前で北京までのタクシーを捜さなければなりません。 この地区は小型車がありません。1000ccクラスの小さい車ばかりです。 このほか自転車タクシーや三輪車タクシーもあります。 |
話は前に戻るが、21日(月)夕食を食べるため、ホテルの外に出ました。 このとき、自転車タクシーに乗りました。一人1.5元二人で3元でした。 歩いてもいけるくらいの近いところでしたから、損した気持ちでした。 |
自転車タクシーの運転手が紹介してくれたレストランは、小さな店で、ちょっと薄暗いところが気になりました。名前は「金海酒楼」。 ただここで食べた魚料理「喋魚」die3 yu2はとてもおいしかった。 ただし、魚の名前の字「喋」が違います。本当は口偏ではなく石偏で、「小皿」という意味です。 左側の茶色の煮付けです。 この喋に関連する、面白い言葉がありますので紹介します。 さて、月曜日の午後から火曜日一日で仕事が順調に進んだので、予備日(水曜日の午前中)が空きました。そこで、唐山市を観光することにしました。場所を客先の課長に紹介してもらいました。 観光場所は3つあります。 |
2003年4月23日は花曇で見通しの悪い天気でした。 最初は鳳凰山公園です。 |
園内に入り、モニュメントを見て驚きました。 素材に趣向がありました。 写真を見てください。 赤色の傘を使って作っています。 |
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また、恐竜や動物などもあります。 | ||
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くーーーー(@_@) |
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鳳凰山にも上りました。 たいした高さではなかったが、階段が運動不足の足には堪えました。 | ||
周りには記念の写真屋さんが何軒もありました。 こんな狭い場所になぜこんなにたくさんの写真屋があるのか不思議でした。 客もなく、手持ちぶたさのようで、体操してました。 |
頂上にはこんな感じの建物があります。 | |
景色もカスミのかかった天気ではよく見えず、残念でした。 私たちも記念写真を撮りました。 |
帰りは別ルートで下山しました。 もやが立ち込め、山肌がはっきりしませんが、幻想的でした。 |
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入場料は5元です |
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受け付けで写真撮影禁止と言われましたが、内緒で2枚ほど撮りました。 1枚は今の唐山市鳥瞰模型 |
もう1枚は地震で壊滅した唐山市です。 | |
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<追伸>
実は先月3月にも、問題工程の確認のため出張したのですが、その時の写真を紹介します。
仕事が終わって、夕食後、街を散歩しました。外はまだ冬模様で寒かった。 地震記念碑に来たが、寒くて殺風景で困った。 |
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温かいところ、ということで、酒吧に連れて行ってもらった。 店の名前は「亨利酒吧」heng1 li4 jiu3 ba1。ビールを呑みながら、若いギャルの踊りを楽しんだ。 |
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こんにちは!お父さんです!元気だかね! 2003年6月22日(日)の出張(唐山市)をリポートします。 5月、6月と約2ヶ月間、SARSで営業活動を禁止していました。が、6月20日から北京を除いて出張を再開しました。 私も6月23日(月)に天津市の北部、唐山市の「唐山愛信」から要請があり、出張しました。 しかし、唐山市には飛行場がないので、通常は北京空港経由となります。 北京経由は危険です。そこで、今回は渤海湾を船で天津まで行く計画を立てました。 船は大連港から天津港まで約10時間です。が、調査したところSARS問題の影響で、22日日曜日午後9時出航予定の便がなくなっているのです。 次の便は火曜日24日ですからだめです。一度、この船に乗りたかったのですが、残念です。 結局、夜行寝台になりました。天津まで約10時間です。 22日(日)17:45大連発、天津着5:00です。お供はいつもの通り、王鴻雁です。 改築された大連駅は日曜日の夜とあって、超満員です。学生さんもたくさんいます。 ちょうど、大学受験の統一試験があったからです。 一瞬、SARSは大丈夫??。不安がいっぱいでした。 待合所に行く途中、体温測定器の前で立ち止まり体温を測ります。乗客の多さに比較して、改札口が狭いのです。 押し合いへし合い、大変でした。汗びっしょりです。ホームに出るとほっとします。 ペンキのにおいも初々しく、まだ完成していません。
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内部はこのようになっています。乗務員は全員マスクを掛けていました。 | |
1階 | 2階 |
2人部屋で、ベッドも広く快適です。 |
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窓辺に座って、ビールを飲みながら、夕食。食事は王鴻雁が買って来た「麦当労」です。 |
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23日(月)は仕事のあと、お客さんと食事しました。 いつもはホテルのレストランですが、この日は活魚が少なかったので、別の店にしました。 いつものように、飲んで食べてしゃべって楽しい食事会でした。 現場の課長はお酒はあまり飲めないが、とても勧め上手です。中国人はおしなべて皆さん同じです。 24日(火)午前中は昨日、やり残した仕事を行ったが、問題の工程は依然として解決できなかった。 ふがいないが、これはとても困難な問題である。 この道40年のキャリアを誇る私にしても、である。 幸いにも、お客さんはこのことを良く理解してくれている。中国系企業では珍しい。 そういえば、この会社は最近、合弁を解消して、日本独資になったと言う。 結果は大事であるが、もっと大事なのはプロセスである。 午後は別の会社に新しい仕事の基本構想の打合せである。お昼ははじめての中国式レストランであった。
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店の前に砲台が並んでいる。いったいどういう意味なのか?? |
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ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
From Dalian With Love