唐山市

2002年11月、2003年4月、2003年6月

2003年2月24日、こんにちは!お父さんです!元気だかね!

最近の大連リポートは最新情報ではなく、半年遅れですから、恥ずかしい限りです。
精力的にリポートし、一日も早く2003年に入りますので、お許しください。

さて、2002年11月18日、2ヶ月ぶりに出張しました。
初めての場所、「唐山市」(天津の北方)です。 ここにはアイシン精機と中国国営企業との合弁会社があります。会社名は「唐山愛信」です。

ここで、トラブルが発生しているのです。それも、ずっと前からでした。
日本から約1年前に導入された設備でしたが、ずっと問題があったようです。
2003年3月から本格生産に入るため、もう余り時間がありません。
問題を解決しておかなくては、計画に重大な影響を及ぼします。
そこで、私の出番となったのです。
今回のような、根の深い問題に対して、対応できる人間は、私以外におりません。
いやはや!またまた!不好意思(*^^__^^*)


11月18日(月)8:05大連発9:30北京着。
新しく出来た、天津営業所の運転手劉君(20歳独身)が、中国製トヨタ車(1500cc)で迎えに来た。 唐山市までは3つの高速道路を乗り継ぐ。
所要時間は合計で約2時間。料金は30元+25元+45元

 

唐山市に着いたのは、丁度お昼であった。昼食は小さなホテルのレストランに入った。ほかにどこもなかった。
が、ここで食べた焼き餃子は美味であった。地ビール「唐山啤酒」を少し飲んで、気分も最高です。
 餃子は量が多かったのでもって帰る。季節的に腐ることもない。夜食べよう。

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「ビール」は中国語で「啤酒」(pi2jiu3)と言いますが、「啤pi2」という字は日本語にはありません。
 この字は「口偏」に「卑」と書く。すなわち、「碑」の石偏を口に変えた文字です。
それにしても厭味な当て字です。「口にいやしい酒」なんて(^レ^;

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唐山愛信は今日で終る予定でいた。
明日は無錫へ行くため、13:30北京空港発の飛行機が予約してあった。
従って、明日は10時頃にはここを北京に向けて出発しなければならない。
が、お客さんから、もう一つのワークについて、明日加工するから、問題を確認して欲しいと依頼があった。

飛行機のチケットがどのようなものか、会社に電話で確認した。
自由に時間変更ができるという。そこで、ここで一泊することにした。
が、11:30にはここを出たいとお願いした。
午前中訪問することを約束し、課長に適当なホテルを紹介してもらう。
遅くなったので、運転手の劉君も泊まることになった。

ホテルは2星の「豊潤飯店」
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私は400元の2室付を240元にサービスしてもらう。
ただし、1室は必要がない。エレベータはなく4階まで歩きだ。王さんと劉君は3階。
夕食はホテルで食べる(ほかに良さそうなところがない様子)

ここで、劉君が注文した「水煮肉片」は、私が中国に来て、初めて食べる料理だ。
なかなかの味であった。昼の「焼き餃子」同様、美味しかった。

 
翌朝、ホテルの窓から外を見ると、いつ降ったのか分からないが、
玄関のポーチの上に雪が残っていた。
しばらく、外を見ていると、少しづつ人通りが増えてきた。
ここにも、自転車タクシーがあった。
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ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
From Dalian With Love

2003年4月24日、こんにちは!お父さんです!元気だかね!
お母さんの来大連が中止になったことを、昨日、出張から帰ったとき、常磐さんから聞きました。
とりあえず、そのほうがいいと思います。

それは、イラク戦争後、今、世界中を震撼させている、最大の関心事、重症急性呼吸器症候群SARSが、中国全土に流行する兆しが見えているからです。

大連には今のところ感染者の公式発表はありません。
が、昨日23日、大連市政府は主要な企業を消毒したそうです。
我が社も先週まで北京の国際工作機械見本市に、出展しており、ここでサービス活動した担当者は、感染している可能性があるとして、市政府から強く指導を受け、消毒班が会社にもきたそうです。

わたしは月曜日21日から北京市の東方150Kmほどにある「唐山市」に出張中でした。
しかし、中国はこのSARSを特別警戒しています。
このため、大連空港では乗客全員に対し、健康申告書の提出を義務づけています。
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唐山市には飛行場がありませんので、天津市からタクシーで行くのが一番近いのですが、残念ながら便がありません。 やむなく、北京経由となりました。
北京経由はいやでした。理由は中国の首都ですから、世界中から人が集まります。
当然、SARS感染者の多い南国(香港、広東)からもきます。

北京経由を決断したのは、先週土曜日、近藤さんが日本からマスク400人分を持参しました。
さらに、別便のうがい薬が1個あったのでこれを私にくれたのです。問題は北京空港だけです。
ここを無事通過でき、郊外に出れば問題ありません。

そこで、高速バスなどの大勢の人間が乗る交通機関は止め、少々高いが北京空港から唐山市までタクシーにしました。
空港からいくつもの有料高速道路を乗り継いで、唐山豊潤ICで降りる。道中、運転手と値段交渉です。私は500元でどうかと打診。 500元のなかには高速道路料金を含むことにした。
運転手はぶつぶつ言っていたが、悪くもなさそうで、決定。 高速料金は合計で70元。
従って、タクシー代は430元となる。

紳士協定で、北京のタクシーは唐山市内を走ることができない。
ICの出口に1台のタクシーが待機している。

大連空港から北京空港の郊外に出るまで、ずっとマスクをかけていました。
機内の飲み物も一切取らず、マスクをはずすことはありません。
北京の郊外に出て、マスクをはずしたときの開放感は最高でした。

唐山市に着きました。が、マスクをしている人は一人もいません。ほっとしました。
ここはまだ汚染されていないようです。

町中に綿のような胞子が飛んでいました。大連でも春になると発生します。これは柳の種子です。
中国語で「楊樹」yang2 shu4といいます。

ちょうどお昼になってので、前回食べたことのあるレストランを探しましたが、なかなか見つかりません。
名前を忘れたので、タクシーの運転手に言えないのです。
王さんのかすかな記憶を頼りに、町をグルグル回って、やっと見つけました。
名前は「宴賓楼飯庄」でした。

仕事が順調に終わり、気を良くした課長は、私たちを食事に招待してくれました。先月お邪魔したときは「イラク戦争」が話題の中心でした。
が、イラク戦争も終わりました。話題は、中国全土を揺さぶり始めた新型肺炎SARSです。

ここで、やはりと言うべきか、中国の情報非公開主義を実感しました。
実は先週土曜日、私はNHKTVで北京のSARS感染情報が不正確であったとして、人民軍病院の院長と北京市長の解任を知っていました。
が、ここ唐山市ではそのような記事は報道されていなかった。

従って、北京での患者は30数人、死者は4人と前のままであった。
が、患者300名超え、死者20名近く、と言っても信用しませんでした。
しかし、中国もWHOからの勧告もあり、SARS情報を、少しづつ正確に報道するようになりました。

ホテル前で北京までのタクシーを捜さなければなりません。
この地区は小型車がありません。1000ccクラスの小さい車ばかりです。
このほか自転車タクシーや三輪車タクシーもあります。
話は前に戻るが、21日(月)夕食を食べるため、ホテルの外に出ました。
このとき、自転車タクシーに乗りました。一人1.5元二人で3元でした。
歩いてもいけるくらいの近いところでしたから、損した気持ちでした。
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自転車タクシーの運転手が紹介してくれたレストランは、小さな店で、ちょっと薄暗いところが気になりました。名前は「金海酒楼」。 ただここで食べた魚料理「喋魚」die3 yu2はとてもおいしかった。 ただし、魚の名前の字「喋」が違います。本当は口偏ではなく石偏で、「小皿」という意味です。

左側の茶色の煮付けです。
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この喋に関連する、面白い言葉がありますので紹介します。
「小菜一喋」xiao3 cai4 yi die3です。「小菜」だけでも同じ意味です。
意味は「簡単なこと」(朝飯前、お茶の子さいさい)の総称です。

たとえば、普通の人にはとても難しいことを、いとも簡単にやってしまった人に対し、 感嘆の気持ちを込めてほめたとき(了不起liao3 bu4 qi3すばらしい、すごい)
ほめられた人が使う言葉でもあります。(お安い御用です、それほどでもありません)

さてさて、話を元に戻します。
唐山市は約30年前、大地震に見舞われ、中心街が壊滅した。
そこで、市の機能を今、我々が泊まっているホテルの近く「豊潤地区」に移転した。
そのためこの地区を「新区」という。

我々が課長に紹介してもらった3箇所の観光先は、市政府のある、地震で壊滅した旧中心地にある。そこまでは、タクシーで約45分かかる。 料金は50元くらいという。午後、北京に行くからということで、今日一日いくらで貸切できるか交渉した。

若い運転手は600元と言った。こちらは既に北京からタクシーできているので相場はわかっている。北京からとは車の大きさが違う。
そこで500元はどうかと答えた。つまり、観光で100元、北京まで400元である。
しばらく考えていたが、運転手は550元でどうだと言ってきた。 ま、いいだろう。
高速道路料金込みなら仕方ないかと、ここで手を打った。

若い運転手は帰り道のことを考えてか、年配の運転手を連れてきた。二人で交代で運転するつもりだ。 やはりというべきか、小さい車のためあまりスピードは出ない。常時約85Km/Hであった。
北京から唐山市までは約2時間であった。が、 帰りは2時間半かかり、15時に空港に着いた。
飛行機の時間は15時40分であるから急がないと乗れない。

さて、月曜日の午後から火曜日一日で仕事が順調に進んだので、予備日(水曜日の午前中)が空きました。そこで、唐山市を観光することにしました。場所を客先の課長に紹介してもらいました。

観光場所は3つあります。
1、鳳凰山公園
2、唐山百貨大楼(唐山市最大のデパート)
3、地震記念館

 
2003年4月23日は花曇で見通しの悪い天気でした。
最初は鳳凰山公園です。
園内に入り、モニュメントを見て驚きました。
素材に趣向がありました。
写真を見てください。 赤色の傘を使って作っています。
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また、恐竜や動物などもあります。
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しかし、この公園にはがっかりしました。ボロボロです。入場券5元ですからしょうがないか!
錆びた遊技場、くさいトイレ(大がオープンスタイル) 中国人だけを対象客としたところです。
あまり見せたくないが、皆さんだけに特別公開します。

このようなところがなくならない限り、近代化したとはいえないでしょう。
かく言う、大連にもまだまだたくさんあります。 そして、私はここででかいのをしました。
隣の隣には先客がいましたが、生理現象は時と場所を選びませんから、いたし方ありません。

くーーーー(@_@)
 
鳳凰山にも上りました。 たいした高さではなかったが、階段が運動不足の足には堪えました。
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周りには記念の写真屋さんが何軒もありました。
こんな狭い場所になぜこんなにたくさんの写真屋があるのか不思議でした。 客もなく、手持ちぶたさのようで、体操してました。
頂上にはこんな感じの建物があります。
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景色もカスミのかかった天気ではよく見えず、残念でした。
私たちも記念写真を撮りました。
帰りは別ルートで下山しました。
もやが立ち込め、山肌がはっきりしませんが、幻想的でした。
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このとき、常盤さんからの電話で、大連市政府の3日間自宅待機命令を聞きました。

つづいて唐山市最大のデパート「唐山百貨大楼」です。が、行って驚きました。
3棟の建物が3階くらいで繋がっている巨大なデパートでした。
これでは少しの時間では、ウインドショッピングもできません。
そこで予定変更して、3つ目の「地震記念館」にいきました。

その地震記念館はちょうどデパートの前にありました。できたのは1996年でした。

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入場料は5元です
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受け付けで写真撮影禁止と言われましたが、内緒で2枚ほど撮りました。
1枚は今の唐山市鳥瞰模型
もう1枚は地震で壊滅した唐山市です。
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唐山市は約30年前、マグニチュード7.8。震度11.2の大地震に見舞われ、中心街が壊滅した。
 そこで、市の機能を北方の今、我々が泊まっている、ホテルの近く「豊潤地区」に移転した。
そのためこの地区を「新区」という。

我々が課長に紹介してもらった3箇所の観光先は、市政府のある地震で壊滅した旧中心地であった。このような大きな地震は中国では珍しい。 このとき、大連でもかなりの揺れがあったといいます。唐山市は今でもまだ再建途中です。町中が建設の砂埃で霞がかっています。
喉の弱い私にはとても我慢できない、環境です。

このあとホテルに戻って、チェックアウトし、昼食後、同じタクシーで北京空港です。

ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
From Dalian With Love

<追伸>

実は先月3月にも、問題工程の確認のため出張したのですが、その時の写真を紹介します。

仕事が終わって、夕食後、街を散歩しました。外はまだ冬模様で寒かった。
地震記念碑に来たが、寒くて殺風景で困った。
温かいところ、ということで、酒吧に連れて行ってもらった。
店の名前は「亨利酒吧」heng1 li4 jiu3 ba1。ビールを呑みながら、若いギャルの踊りを楽しんだ。

こんにちは!お父さんです!元気だかね!
2003年6月22日(日)の出張(唐山市)をリポートします。

5月、6月と約2ヶ月間、SARSで営業活動を禁止していました。が、6月20日から北京を除いて出張を再開しました。
私も6月23日(月)に天津市の北部、唐山市の「唐山愛信」から要請があり、出張しました。

しかし、唐山市には飛行場がないので、通常は北京空港経由となります。
北京経由は危険です。そこで、今回は渤海湾を船で天津まで行く計画を立てました。

船は大連港から天津港まで約10時間です。が、調査したところSARS問題の影響で、22日日曜日午後9時出航予定の便がなくなっているのです。
次の便は火曜日24日ですからだめです。一度、この船に乗りたかったのですが、残念です。

結局、夜行寝台になりました。天津まで約10時間です。
22日(日)17:45大連発、天津着5:00です。お供はいつもの通り、王鴻雁です
改築された大連駅は日曜日の夜とあって、超満員です。学生さんもたくさんいます。
ちょうど、大学受験の統一試験があったからです。
一瞬、SARSは大丈夫??。不安がいっぱいでした。

待合所に行く途中、体温測定器の前で立ち止まり体温を測ります。乗客の多さに比較して、改札口が狭いのです。 押し合いへし合い、大変でした。汗びっしょりです。ホームに出るとほっとします。

ペンキのにおいも初々しく、まだ完成していません。
しかし、列車を見てこの苦労も吹っ飛びました。
2階建てのすばらしい寝台車だったのです。
写真を見てください。
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内部はこのようになっています。乗務員は全員マスクを掛けていました。
1階 2階
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2人部屋で、ベッドも広く快適です。
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窓辺に座って、ビールを飲みながら、夕食。食事は王鴻雁が買って来た「麦当労」です。

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23日(月)は仕事のあと、お客さんと食事しました。
いつもはホテルのレストランですが、この日は活魚が少なかったので、別の店にしました。
いつものように、飲んで食べてしゃべって楽しい食事会でした。
現場の課長はお酒はあまり飲めないが、とても勧め上手です。中国人はおしなべて皆さん同じです。

24日(火)午前中は昨日、やり残した仕事を行ったが、問題の工程は依然として解決できなかった。
ふがいないが、これはとても困難な問題である。 この道40年のキャリアを誇る私にしても、である。
幸いにも、お客さんはこのことを良く理解してくれている。中国系企業では珍しい。
そういえば、この会社は最近、合弁を解消して、日本独資になったと言う。

結果は大事であるが、もっと大事なのはプロセスである。
「品質至上」の社是を持つ親会社の精神は、中国人社員にどのように伝達されるのであろうか。
興味は深深である。

午後は別の会社に新しい仕事の基本構想の打合せである。お昼ははじめての中国式レストランであった。
名前は「乾清花」。大連にも似たような店があるという。

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店の前に砲台が並んでいる。いったいどういう意味なのか??
ガラス戸には「本店は消毒済みです安心して食事してください」の張り紙。SARSの影響である。

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ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
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