201路線>沙河口駅 ⇔ 興工街 ⇔ 大連駅
203路線>大連駅 ⇔ 民主広場 ⇔ 三八広場 ⇔ 東海公園
2009年 | 2004年 | 2003年 | 2000年 |
ときは2000年10月国慶節のことです。
私が大連に赴任して少し落着いたころ、カラフルな市電にとても興味がわきました。
そこで、興工街交差点から長江路を歩いて路線201から203の終点まで歩いたのでした。
興工街交差点 |
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興工街交差点から長江路を大連駅方面に進む。 |
五一広場あたり |
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正面前方の高層ビル群は大連駅 | 大連駅手前の電子城前交差点 |
大連駅停車場 |
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大連駅前 |
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ヒルトンホテル前。 |
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民主広場 |
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格納庫・整備工場 |
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世紀路 | 世紀路と中山路との交差点 (国慶節ですから国旗がはためいている) |
世紀路から魯迅路へ入る | |
三八広場 | |
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二七広場は、銀行があるだけの淋しい風景でした。 | |
二七広場の先(東海公園方向) | 二七広場方向を振替える。 |
203路線の終点>寺几溝 | |
オートバイタクシー | |
こんにちは!お父さんです!元気だかね! 大連リポート152で紹介した市電(星海公園から興工街まで)は202路線です。 大連にはこのほか二つの路線があります。 一つは沙河口火車站(駅)から興工街を曲がって、大連火車站(駅)までの201路線です。 |
興工街停留所は興工街交差点(西安路)のど真ん中です。 沙河口駅方向から来た市電はここで90度方向転換して左折し、長江路に入る。 |
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興工街からほぼ真っ直ぐに大連駅まで進みます。 出発してしばらくの後方風景です。 |
五一広場の高架道路を通過。 | |
ずっと遠くに五一広場が見えます。 | 運転席です。 | |
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車内の風景。 | ||
約20分で終点大連駅です。いま来た方向を見ます。 | ||
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駅前は線路が外されています。 左奥に見える「TOSHIBA」の看板が渤海明珠ホテルです。 駅の玄関口も本当にすっきりしました。 | ||
再び線路が見えました。 右の茶色の建物が九州飯店(HOLIDAY IN)です。 |
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角を曲がると先が工事中であった。 柵には「西安鉄路工程集団」と書かれています |
中を見ると、ずっと先まで掘り起こしてありました。 紛れもなく、市電路線の改装です。ここが新203路線です。 |
勝利広場方向を振り返る。正面が元百貨店で、現在改装中です。 どんなビルになるのか楽しみです。 |
ずっと進んで再び、後を振り返ります。 右に見える高いビルが渤海明珠大酒店です。 |
勝利橋まで適当に写真を撮りました。 | |
勝利橋のロータリーです。右の古い建物が既にリポートした、郵便局です。 | ロシア街を見ます。 |
来た方向を振り返ります。 大きな交差点では、このようにぶつ切りで、工事します。 |
ここから右に直角に曲がります。 なぜかアスファルト舗装されています。 |
昔作りの赤色の洒落た建物があります。 いまは使っていないと思われる煙突が、建物のデザインととても調和がとれています。 |
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いま来た勝利橋方向です。 | この交差点は修竹街です |
この建物の一角にこんな物を売っている店があります。その向こうには日本語で書かれたマッサージ店があります。
中国には産児制限をしている関係上、このような店がアチコチにあり、珍しくありません。 |
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しかしです。なぜか写真(抱き合っている男女)は外人です(*_*) | |
民主広場に着きました。路線の長江路はここまでです。 ここは操作場を含む、大きなロータリーです。 市電はロータリーを右に曲がり、世紀路に入ります。 |
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民主広場の工事は大変難しそうです。 ロータリーを少しづつ工事していく計画のようです。いま来た方向を振り返る。 |
市電路線は広場 ロータリーから、ぐるっと右に回ります。 |
ほぼ直角に民主広場をターンする | 長江路方向 |
広場の別の場所に立ち、それぞれの街を見る。 | |
世紀路方向 | 長江路方向 |
操作場方向 | いま来た長江路方向 |
民主広場の全体です。 | |
世紀路から民主広場を見る。 | 世紀路から中山路方向を見る。 |
世紀路から中山路方向を見る | |
中山路交差点付近です。 | |
交差点を渡り、反対側から中山路方向を眺める | |
大連日報社の前から振り返る。 | |
魯迅路から中山広場方向を見る。 | |
魯迅路から三八広場方向を見る。 | |
三八広場到着。ここからいま来た道を振り返る。 | |
三八広場を右回りに回ります。最初の通りは五五路です。 | 五五路の先は港湾広場です。 |
朝陽街。 | いま来た、魯迅路方向。三八広場の全体。 |
三八広場を180°周り、魯迅路の反対側に来ました。 | 三八広場の中央部分は既に線路がありません。 |
五五路の反対側です。 | |
二七広場は近いです。 三八広場ほど開発されておりません。商店もありません。 |
三八広場から二七広場方向です。 |
二七広場から三八広場方向。 | |
二七広場から魯迅路の先を見る。工事はどんどん進んでいるようですが、今日はここまでとしました。 | |
こんにちは!お父さんです!元気だかね!
市電の路線でまだ紹介していないところがあります。路線201の始発駅「沙河口火車站(駅)」です。
仕事は定時16時30分に終わりましたので、夕方でしたが、電車道を歩いていってきました。 始発駅「沙河口駅」は興工街交差点から歩いて15分くらいのすぐ近くです。 この道には、昔ながらのレンガ造りの長屋風商店街が並んでいます。 |
途中見つけた、オートバイ店です。 なにやらカスタマイズしているようです。 突然ですが、中福オートを思い出しました(^O^) |
始発・終着駅が見えてきました。歩道橋のあるところです。 |
ここです。歩道橋の下奥に見える建物が汽車の駅「沙河口」です。 | |
歩道橋の上から、興工街方向を見ます。
歩道橋の上から、汽車の駅の方向を見ます。この先に大連空港がある。
ここまでが西安路、正面ガードの向こうから華北路。
市電の終着駅ですが、駅舎があるわけでもなく、ちょっと寂しい感じのたたずまいでした。 | |
ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
From Dalian With Love
西安路から華北路経由で会社まで歩いたときの市電201路線
興工街の交差点 | しばらくすると、いつかリポートしたかと思いますが、 婚礼衣装店がズラッと並んでいる商店街があります。 以前、ここで写真を撮ろうとしたら、 店員に見つかり、ダメと言われたこともありました。 ただ、ところどころシャッターが下りています。 ここにも市場競争の波は来ているようです。 |
2003年11月16日、興工街交差点から沙河口駅まで電車道を歩きました。 | |
興工街の交差点 | 鞍山路との交差点 |
前方に市電201路線の始発駅「沙河口駅」が見えてきました。歩道橋には巨大な広告看板が2枚あります。
中国では宣伝広告は当たり前のことで、このような光景は市内のどこにもあります。 景観が悪くなるとか、不安全だとかと言う議論はなさそうです。
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最近では大連でも珍しくなった、かなり旧式の市電が待機してます。
歩道橋の階段途中から一枚。市電の屋根が見えます。
パンタグラフが木製の板の上に固定されています。
かなり粗末なものですが、これで問題なし?(~_~ ;)
いま来た興工街方向を見ます。ちょっと逆光ですが(~_~
;)
ここまでが西安路。ガードの向こうは華北路。左側の青い屋根は沙河口駅。
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さてさて、お約束の完成した市電路203の紹介です。 中国語で市電のことを「有軌電車」といいます。 「有軌」とは軌道(レール)が有るということです。 ところで、大連には「無軌電車」が市内を走っています。 |
それでは、大連駅前からスタートします。多分この辺りが始発駅です。
右側の茶色の建物はホテル「九州飯店」です。
しばらく長江路を歩くと、右側に改装中の天津街が見えてきました。 横道にそれて見に行きました。 巨大なショッピング街が出来つつあります。 大連の名物街になることでしょう。 |
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再び、長江路に戻る。 | |
右奥の黒っぽい建物が郵便局です。この郵便局から蚕絲被(かいこの布団)を送りました。 | |
郵便局前です。ここは勝利橋前になります。青色の小さい車は3輪タクシーです。 最近、数が多くなってきました。2人乗りで、運賃は基本料金が5元です。 |
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郵便局前を道なりに右に曲がります。ずっと、長江路が続いています。 左側の高い建物はヒルトンホテルです。 |
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まっすぐ正面が民主広場です。 | |
ヒルトンホテルを過ぎたところで、街角の一画が壊されています。 朱塗りの壁と煙突が昔の面影を残しています。保存したくなるようなかっこいい建物です。 |
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この交差点は「修竹街」です。 | |
真ん中あたりに、ぽつんと色あせて、ピンク色になった建物が残っています。 正面には日本語で「金都マッサージ」とあります。 奥の建物は幼稚園でしょうか?「児童・・・」と書いてあります。 |
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いま来た方向を振り返ります。 右側の一画が全部壊されています。後に何が出来るのか楽しみです。 |
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民主広場に着きました。工事中のときは、ゴチャゴチャでしたが、今はすっきりしています。 左側の直進路が「長江路」です。市電はこの広場を右にカーブして世紀路に入ります。 |
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市電の進行方向(世紀路)です。路線は一般道路はアスファルト、ロータリーはレンガ作りです。 前のように凸凹も少なく、タクシーなどの自動車も静かに走れます。 |
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車庫への引き込み路線は取り壊されていました。 ということは車庫が別のところに変わったということです。 探さないといけません。多分、路線の終点「二七広場」辺りではないかと思います。 |
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長江路から勝利橋方向を見ます。ここには線路はありません。 民主広場から市電は世紀路へ曲がっていくからです。 |
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民主広場のロータリーに敷設されていた線路が外され、路線はすっきりと1本になりました。 | |
世紀路から見る、民主広場の全貌です。 | |
逆に民主広場から市電進行方向世紀路を見る。 | |
途中、振り返って民主広場方向を見ます。 | |
中山広場に通じる「人民路」との交差点方向。 | |
人民路との交差点。 | |
交差点から進行方向を見る。突き当たりは「魯迅路」とのT字路です。 | |
市電は魯迅路に向かって大きく左にカーブします。右手前にみえる建物は新聞社「大連日報」です。 | |
進行方向の先に三八広場があります。 | |
三八広場から振り返ります。 | |
三八広場から進行方向「二七広場」方向を見る。いつの間にか大きなビルが建ちました。 1年来ないとこんなにも景色が変わっています。驚くべきです。 |
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三八広場から、いま来た方向を見る。こちら側もビルの建設中です。 左側はスーパーマーケット「カラフール」(家楽福)です。 |
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二七広場に着きました。一画が工事中。何ができるのか楽しみです。 | |
三八広場方向 | 二七広場の先 |
実はここが終点ではないのです。ずっと先まで線路が敷設されています。 しかし今回はここまでにしました。この先は、電車が走り始めたらきます。 |
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前回来たとき(昨年夏)はこの広場の周りは野原でした。 今は建設ラッシュです。扇形のかっこいいショッピングモールを作っています。 |
広場をぐるっと見回すと、大きな道路標識に「海軍広場」という文字が目に入りました。 | |
行ってきました。中国共産党の大連海軍庁舎でした。 広場では老人と子供たちが凧揚げをやっていました。 |
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海軍らしく、広場の中央部に大きな舵がありました。クルクルと回っていました。 | |
庁舎の正面道路です。人通りはほとんどありません。 広場の周りは住宅街です。静かなところでした。 |
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最初に出したクイズの正解を発表します。 「無軌電車」とは軌道のない電車「トロリーバス」のことでした。 |
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ところで、下の写真2枚は同じ場所で撮っています。ここはいったいどこでしょう?? ヒント>ちょうど前方方向が私の住んでるマンションです。 |
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答え>黄河路の博愛大廈前あたりです。
これでおしまい。
ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
From Dalian With Love
2004年7月2日、こんにちは!お父さんです!元気だかね!
明後日、4日は4年間の大連生活に終止符を打ち、8:00発の飛行機で帰国します。 6月12日は市電202路線の終点まで行ってきました。 |
7月1日発行の特別新聞「百年軌跡」を王さんに貰い、系統は解っています。
この路線はとても長いです。従って、写真の量も半端ではありません。
しかし、これが最後の大連リポートになります。
大連の街並みの見納めでもありますので、十分に楽しんでください。
市電201路線の終点「大連駅」で見かけた、東南アジア系の超派手な女の子2人。
アイスクリームをナメながら走って電車に乗りました。
駅前には市電、バスのほか、トロリーバスも走っています。
が、人が横断していません。どうしたのでしょう?
最近、駅前に地下通路が完成しました。駅前には信号がないので、人がゾロゾロ大通りを横断し、 これでは地下道を作った意味がありません。
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いつも私は市電を降りると、線路の真ん中を歩いて九州飯店方向に向かいます。 今日は、「舗道を歩くように」と、子供に注意されました。 そのお陰で勝利広場前の「求人広告」を見ることが出来ました。 真っ赤な紙に筆書きして、これをベニヤ板に張り付け、路上に立てています。 漢字ですから皆さんにも大体、理解できるでしょう。 |
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勝利広場を過ぎて、前方を見ると市電らしいものが見えます。車の往来と警備員を確認しながら、そろりそろり道の中央部に立ち、写真を撮ります。 いつもなら目の前を人が渡っていますから、とても写真が撮りにくいのです。が、今日は人通りも少なく、すっきりと前方が見えます。 |
2000年10月
市電203路線つづき
大連駅前のバス停前から市電の始発乗り場を見る。
外観は以前ここを走っていた電車と同じです。
大勢の人が並んでいます。電車は空席もあります。なぜ、乗らないのか理由がよく解りません。 | |
電車は2両とも終点「東海公園」までは行きません。行き先は「華楽広場」でした。
私は乗りました。空いていたほうが、写真が撮りやすいからです。「華楽広場」は終点「東海公園」の二つ前ですから、それほど遠くありません。
出入り口の上部に系統図(停車駅名)があります。大連駅から終点の東海公園まで途中に10の駅があります。
車内は木製です。昔のままでしたが、きれいに塗り替えられている。
製造年は何時だか解りませんが、1997年修理の銘板があります。
運転席の横側窓上部には木製の箱があります。この箱の中には行き先表示機があるはずです。
市電203路線つづき
さあー出発です。私は写真を撮るため、一番前の乗車口に立ちました。
前方左に勝利橋、右に郵便局があります。ここを90°に曲がります。
ヒルトンホテル前辺りです。
2000年10月のヒルトンホテル前。 | 2000年10月 |
前方が民主広場です。長江路はこのまま直進します。が、市電はこの広場で右に曲がり、世紀路に進みます。
2000年10月 | |
格納庫・整備工場 | |
以前ここを歩いた時は工事中で、線路がむき出しになっていました。今は赤レンガが軌道上に敷き詰められ、鮮やかなコントラストです。
世紀路を進むと広い通り「人民路」に出ます。人民路は中山広場から港湾広場までです。
この通りには日本人観光客がよく泊まる五星ホテル「シャングリラ>香格里拉酒店」と「フラマ>富麗華大酒店」があります。
2000年10月>世紀路 | |
2000年10月>世紀路と中山路との交差点(国慶節ですから国旗がはためいている) | |
人民路を過ぎると前方正面に旧満鉄本社が、また左側には「大連日報」が見えてきます。
世紀路を左に曲がり、魯迅路に入ります。
2000年10月
右側に見える森は旧満鉄施設の「鉄路文化宮」です。
中には公園があり、ゲートボール場もあります。
また、昔からの小劇場「連鉄劇場」、日本式カラオケスナック「大連倶楽部」
および、きらびやかな中国式カラオケなどがあります。
前方は三八広場のロータリーです。 この通りに大連市2軒目のカラフール(家楽福)が開店しました。 |
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市電203路線つづき
三八広場につきました。今にも雨が降りそうな曇天ですから、写真写りも悪いです。
写真もコントラスト不十分でボケています。
2000年10月 |
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ここから東海公園まで4.2Kmという標識があります。このように距離を明示した道標は最近できました。今までは距離までは書いてありません。 書いてあっても信用できません。広場とか公園とかにある時計も時刻はいい加減です。でも、少しづつ利用者の便宜を考えるようになってきました。 |
この写真は2000年10月にこの路線を歩いた時のものです。 |
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しかし、今回来てその変貌ぶりに驚きました。
二七広場の周辺は建設ラッシュで、人通りもずっと増えています。
この辺りが、巨大な居住区になりつつあるのです。
二七広場停車場から先を見る。
2000年10月
停車中に社内スナップ
2000年10月>二七広場方向を振替える。
二七広場出発し、しばらくすると停車した。今日は曇り空であるが、蒸し暑い日でした。 走っていれば窓から風が入ってくるが、停まれば、乗客一杯の社内はサウナと化す。 なぜ停車しているのか? 乗客が運転手に聞いているようだが、要領を得ない。私は汗かきだから、停車したはなから汗がどっと出ている。
少しの時間なら我慢できるが、限度はある。 |
いま来た方向を振り返る。私が乗っていた電車は最後尾。
しばらく歩くと、またまた電車がつながっている。
その先になにやら人だかりが見える。いったいなんだろう??
市電203路線つづき
場所はバス停「寺几溝」です。車道が人だかりでふさがれています。
向こう側で何かがあります。多分、自動車事故でしょう?
次の6枚の写真は2000年10月のものです。当時、寺几溝は203路線の終点でした。 | |
オートバイタクシー | |
さて、人だかりの原因は私の予想通り交通事故でした。
しかし、事故っているのは市電とタクシーでした。
市電の事故と遭遇したのは初めてです。公安が現場検証し、写真を撮っていました。
10分ほどで開通しました。急いで電車に戻りました。
が、超満員の車内でしたから、外の写真を撮ることが出来ません。残念でした。
終点「東海公園」に着きました。
東海公園の駅はかっこいいです。
いま来た方向を見る。電車が発車しました。今にも泣き出しそうな空です。
公園(海岸)方向を見ると、電車が折り返し操作中でした。
203路線の端です。
大勢の人がここから歩いて公園に向かいます。
海岸の所為か、ガスが深くなってきました。
見通しが悪く、いい写真が撮れないので残念でした。
停車場方向
東海公園(海岸)方向
入口前に大きな東海公園の案内板があります。ちょっと色あせています。
入場券(30元)を買い、「海之韻広場」方向を見ます。いつ雨が降ってもいい天気です。
霧もかかって、見通しは最悪です。最後の大連散歩がこの天気では残念でした。
帆船の軍艦の模型があります。
海之韻広場を見下ろす、大きな人口滝があります。
名前は「?斧岩瀑布」です。こちらに向かいます。 なぜかと言うと、結婚記念の写真を撮っているカップルがたくさんいたからです。 |
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人口滝。みんながこの滝を背景に記念写真を撮っています。
海之韻広場方向です。巨大な龍のモニュメントがこの広場の目玉です。
さらに右方向です。あの辺りは海水浴場です。
海之韻広場の海岸では泳いでいる人もいました。しかし、みなさんどこで着替えるのでしょうか?
海水浴場としての施設は不十分で、この場所にふさわしくありません。
今来た、人口滝を見ます。この広場にもたくさんのカップルがいました。
龍のモニュメントの中にもカップルはいました。
空模様がいよいよ怪しくなってきました。
帰りは中山広場まで歩くつもりですから、雨が降ると困ります。早々に退散しました。
東海公園付近はまだ建物もなく、静かです。遠くのほうに巨大な建物が見えます。
しかし、今日は曇天ですから見通しが悪く、写真もぼやけています。残念です。
ここは巨大な団地「海昌欣城」です。市電の停留所にもなっています。
まだ出来たばかりのような感じで、人通りも少なく、入居者もこれからのようです。
大きな地球儀のモニュメントの向こうに入居相談所があります。
団地「海昌欣城」から「華楽広場」方向の新興商店街
いま来た、団地「海昌欣城」方向から電車がやってきました。
「華楽広場」前。
新しい街並みをレトロな市電が走ります。おとぎの国のようです。
もうすぐ二七広場です。レトロな市電と古い街並みと高級乗用車のコントラストが印象的です。
これから何十年か、このような光景がアチコチで見られることでしょう。
二七広場に着きました。広場の真ん中に停車場があります。
三八広場付近の市電です。 | |
魯迅路をさっそうと走る市電
大連日報社の角をレールを軋ませて走る。
これでおしまい。
この後、ここから更に中山広場、友好広場を経由して大連駅まで歩き、そこから市電201路線に乗って帰りました。 今日使った費用は市電料金3元(約50円)と、東海公園入場料30元(約500円)でした。 実質、このリポートが最後の大連リポートとなります。 |
ではでは。
再見!(^O^)/〜〜〜
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201路線は世紀路(左方)からここ魯迅路に左折する。角にあった大連日報ビルは取り壊された。
世紀路方向
三八広場はロータリーが廃止され、対面交通に変わっていた。
しかし、五五路側にわずかながら面影を残すという粋なはからいがあった。
中国も捨てたもんではない(^O^)
三八広場ではパノラマ写真を撮った。(二七広場方向)
が、帰って編集すると、車の往来が激しいのでつなぎ目に車の半身が入り、グチャグチャだ!
続いて、二七広場へ。広場周辺の建物が全部変わった。
参考>2001年7月の二七広場 | |
東海公園方向>停留所は昔通り、中央部にある。8年前より安全面が向上した。
三八広場方向
2009年1月27日 大連駅から市電201路線に乗り、興工街へ。 201路線も2両編成の新型電車が走っている。
この電車に偶然、日本人夫婦の観光客が乗る。 それにしても残念なのは、今日19:30からの星海広場の花火大会が見られないことである。どういう旅程か、ツアーなのか分からないが、この花火大会を見逃すような計画では話にならないと思う。 |
長江路の沿線もところどころ、再開発中である。
教会も盛況のようで、塀にきれいな絵が描かれている。
五一広場手前の坂の上
五一広場の一画にあった、煙突付きの住居が取り壊されて、更地になっている。
いったい何ができるのか?楽しみです(^O^)
取り壊し前>2003年 | |
2両編成の新型電車
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