2002年7月21日、こんにちは!お父さんです!元気だかね! 大連リポート101は100号に引き続いて、「大連を歩く」第2弾です。 少し長いので、5回に分けてリポートします。 6月9日(日)は非常によい天気でした。じっとしておれない気分でした。 そこで、行きたいと思っていた大連湾に沿い、大連港ターミナルまで続く 「疏港路」(su4 gang1 lu4)を歩きました。 もう一つ見たかったのは、毎朝通勤の途中に見る、完成間近の電車の駅です。 この電車は大連市内と開発区までを高速で連絡する路線です。 この始発駅は今の大連駅よりずっと西の「香炉礁立体高架」近くに位置します。 他にもまだ目的があります。中国絵画展の観覧です。 もう一つは、オリンピック広場近くの日本料理店「清水」付近にあるという「中国美術家協会」の大連展示場です。 すなわち、疏港路から勝利橋まで行き、そこから中山路を通って、マンションまでひき返して来るのです。 総距離は約15Kmでしょうか? それでは、いつものように身軽な服装で、スタートです。 |
マンションを出てすぐに「お茶売りの少女」に出会いました。 |
民権街と万歳街の道標。昔の民権街を取り壊して、建設中の団地が正面に見えます。 | ||
最近外郭の建物が完成しました。 現在団地中の整備をしています。 |
歩道に派手なパジェロが停まっていました。 | ||
近くにオプションパーツ店があり、改造などをやっている。 中国でパジェロは多分500万円以上するでしょう。 ベンツやアウディもたくさん走っています。金を持っている人は持っているのです。 貧富の差がどれほどか想像できません。 建築中のセキュリティ万全の団地は安いところで、平方当り4000元くらいです。 120u(40坪)の家が約50万元(日本円で約700万円)です。 大連の平均的サラリーマンの年収は1万元程度です。(中国全土の平均年収は5000元程度) 夫婦共稼ぎで2万元ですから、年収の約25倍です。従って、彼らには高値の華です。 が、なぜか、いつの間にか人が住んでいるのです。 大連は中国でも先進的な都市です。 上海や深センのような派手さはありませんが、北方明珠に変わりありません。 先月、私は広東省の深センに行って来ました。 その前に上海にも行きました。 が、そこで感じたのは、大連のほうがずっと綺麗な街だったということです。 安全で綺麗な街「大連」は誰にとっても魅力的な街です。 このような背景から、大連に住みたいという人達はたくさん居るようです。 回りの都市から、このような人が集まってきます。少々高くても問題ないのです。 団地の特徴をお話しましょう。 林立する住宅の回りを城壁でぐるっと囲い、出入口が何箇所か設置されます。ここには守衛が立ち、住人でない人間が勝手に中には入れません。 中国式のセキュリティ団地です。 私が住んでいるような高層マンションでは1階に警備室があり、入口で来訪者をチェックしています。
城壁には飲食店、喫茶店、カラオケ店、などのテナント店がグルッと営業します。 今回の改善は普通の電話に、特殊装置を取り付け、そこから赤色のボタンのついたスイッチをつけました。
この装置はボタンを押すだけで、直接警察に通報できます。 ただ、緊急連絡用電話機とはいうが、盗聴されていないという保証がないので、プライベートな会話は携帯にしています。 話が横にそれました。元に戻します。 |
香炉礁立体高架 | ||
今日はここまでにします。
ではでは。再見!(^O^)/〜〜
From Dalian With Love
2002年7月23日
こんにちは!お父さんです!元気だかね!
大連リポート101の続きです。
香炉礁立体高架の付近で鉄道工事をやっています。そして、遠くに駅のような建物が見えます。 |
鉄道線路終点>終点は食堂の手前でした。 が、いづれここも取り壊され、始発駅は大連駅になるでしょう。 |
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このような光景は日本であれば、地主が用地買収に応じなかった場合であるが、ここ中国は社会主義国です。
土地は基本的に国家のものですから、住民は文句言えません。
その代わり、国家は代替地を提供し、住民は移転します。 ただ、ずいぶん時間がかかっています。 7月開通の予定でしたが、このメールを書いている7月20日現在は、まだ完成していません。 架線もまだですから、大幅に遅れるでしょう。 毎朝通勤で、この工事を見ながら往復していますが、それにしてもノンビリやっています。 |
追伸>2002年8月25日<香炉礁駅完成
いよいよ今日のメインテーマ「疏港路」です。 この道路は湾岸を一直線に走る、片側3車線の産業道路です。 | 珍しい名前のバス停「七八一四」です。 | |
この通りから中心地「労働公園」の電波塔も見えます。 直ぐ目の前が大連港ですから造船所などもあります。 | ||
さらに疏港路を東に進みます。 タンク車の操作場から労働公園を望みます。 |
次の目的地「ロシア街」のある 「勝利橋」方向を示す道標が出てきました。 |
疏港路に別れを告げ、右に回ると踏切があった。 丁度、長い貨物列車がくるところであった。 ここは大連駅にも近く、また港へ続く重要な鉄道です。 |
踏切は遮断機が降りていたが、人は勝手に踏切内に入っていく。 一般の自動車道路と同じです。 車が来なければ信号が赤でも みんな勝手に渡っていくのが中国式です。 その代わり、命は自分持ちです。 |
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今日はここまで
ではでは。再見!(^O^)/〜〜
From Dalian With Love
2002年7月27日
こんにちは!お父さんです!元気だかね!
真っ直ぐ勝利橋に向かっているつもりでしたが、道に迷ったようです。 確か、勝利橋は線路にかかっていたはず(^O^)と、思い出した。 そこで、線路沿いにいけば、たどり着けるだろうと、安易に考えて歩いたところ、保線区に迷い込んだらしく、 一般道路に出られなくなってしまいました。 ただ、ここから正面方向にロシア街が見えたので、ホッとしました。 |
しかし、お陰で保線区の住居や線路沿いで遊ぶ子供に逢いました。 鉄道関係社員の住宅も線路沿いにたくさんあります。 |
また、整備中の機関車「東方紅」をゆっくり、 目の前で見ることが出来ました。 |
今日はここまで!
ではでは。再見!(^O^)/〜〜
From Dalian With Love
このあともロシア街から中山広場、大連駅、人民広場、オリンピック広場を通って帰宅しました。
詳細は「私生活&大連の街角情報」2002年の7月21日をご覧ください。