開 原 市

2002年5月1日〜3日

2002年5月17日

こんにちは!お父さんです!元気だかね!
毎日毎日とても忙しい日が、3月4月と続いてきました。5月はもっと忙しくなりそうです。
それはゴールデンウイークがあるため、稼働日数が少ないからです。
とはいっても休みがないわけではありません。
結構、充実したゴールデンウイークになりました。
それでは遅ればせながら、私の黄金週間を4回に分けて、リポートします。

28から30日まではしっかり仕事でした。
先週も土日出勤してますから、2週間休みなしで仕事していることになります。
これは私が30代の頃にも少しあったかな(?_?)というくらい、珍しいことです。
が、ここ中国では普通の状態になりつつあります。
過去に経験がありますので、あまり気にはなりません。
身体もいたって丈夫ですからご安心を。
かえって、仕事していた方が気分がまぎれてよいのかもしれません。

それでは、これから私の2002年度、黄金週間を紹介します。

1日〜3日>開原市2泊3日の旅
4日>技術部で今年結婚した女性「林宏」宅訪問
5日>大連労働公園のチューリップ祭り見物

開原市2泊3日の旅は2回に分けて報告します。

開原市とは大連から特急列車で7時間くらい北の町です。
良くご存知の沈陽市より、1.5時間くらい北の田舎町です。
なんでこんな田舎町に行ったのか? これを語ると、長くなりますが説明せずばなるまい。

技術部の中にここ出身の設計者がいます。とてもかわいい女性です。
彼女は開原市の高校を卒業後、大連の星海公園付近の大連水産学院を卒業。
この会社に2年前、入社しました。

お父さんの友達に代代、包丁を作っている職人がいて、包丁の製造をもっと自動化機械化したいと思い立ったが、 先立つものが不足している。 そこで、金持ちの日本人(?_?)に融資してもらえないかというのである。

どんな社長さんなのか? 工場はどんなところにあるのか?
どんな風に包丁を作っているのか? その包丁はどんなものか?

などなど、解らないことばかりでは、とても融資など出来ません。
そこで、5月の連休で工場を見に行きましょう。
と、かわいい彼女に頼まれて、ついつい約束してしまったのです。
それ以上に魅力だったのは、招待されたことです。

すなわち、今回の工場見学は鉄玲市の市政府も絡んでいるようで、重要なお客さんとして2泊3日の日程はVIP待遇なのであります。 招待ですから勿論、往復の汽車賃、宿泊、食事まで全て、先方もちです。

1日、朝7時にマンションまで迎えに来てもらい、8:21大連駅発普通快速列車「伊図里河」に乗って出発しました。 (特別快速の方が早いが、開原駅には止まらない)
ほとんどの人が今日から五一労働節の連休に入りますので、駅はどこもかしこも、いたるところ人また人です。

また、今、大連駅は大改造中です。
今の駅は国際都市を目指す大連市とは思えないほど、不衛生極まりないものです。
待合所では異様な臭いが充満しており、不快です。
トイレは異臭の根源ですが、大きいほうはとてもここでは出来ません。

今の大連駅は満鉄によって1937年改築されています。モデルは上野駅と聞きました。
駅正面にはセイコウの大時計が掛かっています。
駅の設計には、混雑を回避するためのアイデアがあります。

1階で切符を買い、2階に上がり列車を待ちます。
この待合所が上野駅と同じ、ドーム状の高い天井です。
発車時刻が来ると、再び1階に下りて乗車します。
上野駅は「北の玄関」といわれます。
大連も同じく北の玄関で、「北方明珠」といわれています。

列車は一部「寝台車」が付いています。
例えば大連から遠方のハルピンに里帰りする人は、約15時間かかります。
寝台車であれば疲れたら、寝ることも出来ます。

車掌さんはすべて女性です。席につくと、検札に来ます。
切符を渡すと、それを保管し、代わりに座席カードをくれます。
目的地近くに来ると、またやってきて、切符に交換してくれます。

車窓から眺める7時間の景色はほとんど変わりません。いけどもいけども畑です。
大連の「りんご畑」、普蘭店の「田んぼ」「野菜畑」「とうもろこし畑」、そして目的地の開原市まで、ずっと野菜畑と、とうもろこし畑が続きます。 ちょうど今、トーモロコシの種まきです。

 
トーモロコシ畑は地平線の彼方まで続きます。雄大です。
これぞ大地、といった感じです。
途中の駅二つ>「桃山小紅梅」と「鉄玲市」
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  鉄玲市付近>中国の田舎はどこへ行ってもこんな感じです。
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昼食を食堂車で食べました。
見ると、他のお客さんは、料理は勿論注文するが、それ以上に、自分たちの好きな飲み物や食べ物を持ち込んで、 遠慮せずに飲んだり食べたりしている。 給仕は特に何も言いません。

持ち込んだ酒(白酒)やつまみを隣の客にも振舞って、賑やかに酒盛りしているのどかな風景である。
昔、日本でも新幹線が出来る前は、このような風景は茶飯事だったように思う。

食堂車の壁面鏡に向かって記念写真(隣が案内の彼女です)
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15:30頃目的地「開原市」に到着。 駅には市政府の車が迎えにきてくれました。
通訳は30年前日本語を勉強した馬さんです。
設計の彼女がもう少し日本語が解れば、通訳は要らないのである。
現在、猛烈勉強中である。が、今はまだむりである。彼女は7月に1年間の日本研修が決定している。

 

ホテルは駅からすぐ近くにあり、なかなか立派でした。
普通ならパスポートを見せて、チェックインするが、今回はVIPですから不要でした。
部屋は大きな応接と寝室とバストイレ付の特別室のようです。

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帰るとき精算しているのを見て驚きました。一晩400元です。
2泊しましたから800元です。 これは大連とさほど変わらないレベルです。

ここで改めて、彼女のお父さん、彼の友達で目的の人である
包丁会社の社長、母長山さん、通訳の馬さん、市政府の方と挨拶。

 

張親子

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しばらく皆さんとお話し、時間も夕食近くになりました。夕食はホテルのレストランです。人数は7人。
費用を後で聞きましたら380元という。これまた驚きました。 一人あたり55元くらいです。大連の中国式レストランと同じです。 確かに味は良かったのですが、それにしても高すぎます。
特に、珍しい川蟹のゆでたのが美味しかったので、お代わりもらいました。

近くに酒屋があるようにも思えないので、久しぶりにゆっくりと風呂に入ろうとしましたが、ここで中国らしい問題が起こりました。 大きなバスタブに湯を入れようとして、あまり熱いので、湯温を調節しようとバルブを少し回したら、今度は、水のようになったので、再び元に戻したが、もう湯にはならず、ずっと水が出ていた。
以後はシャワーも水しか出ず、結局、風呂にもシャワーにも入れずでした。

翌朝、早く眼が覚めたので、風呂に入りました。 今度は失敗しないように、まず湯を出し、 その後、水で湯温を調節しました。成功です。 ゆっくりと風呂に入れました。
 
窓の外を見るとカラフルな屋根をつけた乗り物がある。 下に降り、外に出ると、人を乗せて走っているのです。そうです、「自転車タクシー」です。
時間と共にこの車がドンドン増えてきました。
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自動車タクシーもありましたが、非常に少ない。
しかもほとんどが軽自動車でした。
(中国製の「エポ」) この車をよく見ると料金メータがありません。
後で聞くと、行き先によって運転手と交渉するのだそうです。
基本料金は2元から3元くらいという。

自転車タクシーは基本料金が1元で、原則、市内だけ。
距離が長いと追加料金を取られるそうです。
ホテル代とのギャップのなんと大きいことか。
これが、現代中国の現実なんでしょう!!

これで第1報をひとまず終ります。
ではでは。再見!(^O^)/〜〜
From Dalian With Love

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黄金週間2002第2報は開原市訪問です。 2日目の5月2日は包丁工場の見学です。
その前にこの地区の特殊事情をお話します。

市政府は工業化を進めたいのですが、対象となる企業がありません。
めぼしい会社も零細すぎて、融資できる水準ではない。
しかし、小さな会社でもやる気のある社長なら、なんとか合理化・機械化したいと思うのは人情です。 が、お上は零細企業には金を貸そうとしない。

そこで、私になんとか協力してほしいという、ことではないかと思います。
私にはそのような力はありませんが、場合によっては友人などにも話をして、可能になるかもしれません。 とにかく、当たって砕けろ。 どんなことをやっているのか?実情を良く見てみよう。その後で、どうするかよく考えよう。

2日間、市政府要員は入れ替わり立ち代り挨拶に来るが、党員らしく、かっこのいい言葉ばかりで、中身がない。 人のふんどしで相撲を取ろうとははなはだ不愉快であった。

さて、包丁工場はホテルから約25kmの松山町にありました。
途中、新緑の楊樹(ポプラ)並木がとても美しかった。
会社名は「母長山包丁工司」といい、従業員8人です。
広い敷地内に住宅と工場が同居しています。工場は煉瓦造りで、全長50mくらいの小さなものです。 ちょっと見には、納屋か鶏小屋のようで、とても機械工場には見えません。

あまりにひどい工場だったので写真を撮るのもはばかり、やめました。
今思えば残念なことをしました。それは、中国の現役鍛冶屋さんの姿がそこにはあったからです。

一通り、包丁の製造過程を説明してもらいました。
現社長は3代目で、もともと鍬や鋤、鎌などを火作りで作る鍛冶屋さんです。
社長の手を見て驚きました。

最初、ホテルで挨拶したとき、握手した手はひび割れのあるごつい手でした。
それは、紛れもなく鍛冶屋の手でした。 社長の名前は「母長山」といいます。
大変珍しい名前です。 彼の作った包丁はこの鉄玲市では有名のようで、みなさん、わざわざここまで買いに来るそうです。

先代が始めた包丁作りをもっと大掛かりに自動化機械化して、中国市場に売り出そうという計画です。
このため、優れた品質の包丁を作っている日本企業との合弁も考えている。
4代目にあたる32歳の息子も父親の包丁作りを手伝っています。

包丁の本体材料であるステンレス鋼(1Cr18Ni9Ti)、刃先材料のマンガン鋼(65%Mn)も豊富にあることが解りました。しかし、作り方がいかにも原始的なのであります。
全ての工程が手作業です。 設備はとても古く、いつ壊れてもおかしくないものでした。
ただ、「ふいご」だけは新しいものを新設する予定で、準備中であった。

が、これではとても量産は出来ない。現在の生産量は一日3本程度。従って、年間800本程度である。 これを機械化して、年間80万本作ろうというのである。

社長の資産は3代にわたって蓄積されてきた、膨大な敷地です。
このあたりでは、かなりの有名人で、お金持ちなのであろう。
この資産を活用して、新しい包丁工場を作るか、または、敷地を貸して、別の企業を誘致しようというものです。

貸出し可能な機械部品工場の跡地も見学しました。
昔使っていた工作機械が埃まみれで放置してあった。 この機械はまだ使えると、自慢していたのが滑稽であった。使えないことはないが、これでは競争に勝てる仕事はできない。が、このことはあえて言いませんでした。

 
工場用地
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3日間社長にはいろいろとお話しました。社長も自分の考えを言ってくれました。
日本人と会うのも、話すのも、今回が初めてのようです。
将来の事業計画についてこれほど熱心に議論したこともないといいました。
が、融資を受けるための説得力のある説明書がないのです。
これでは誰もお金を出してくれません。

市政府も何も準備していないのです。話になりません。
とくに日本は今、どん底景気です。
1万元や2万元なら気にする金ではないが、10万元20万元となると簡単ではない。
自動化設備にはこの10倍以上の金が必要であろう。 個人ではとても無理である。

手っ取り早いのは、社長が考えているように、中国進出を計画中の日本の包丁会社と提携することであろう。 これなら日本の優れた生産技術を導入でき、中国国内の同業よりはるかに高品質、低価格を実現できる。 しかし今、日本はドン底景気が続いている。そのような会社があるかどうかも疑問です。

さらに私は、次のことを提案した。
こういう計画があるならなぜ自分の息子に日本語を勉強させ、日本に留学させ、日本の包丁会社に就職させなかったのか?と。

息子は既に32歳。最早遅い。そのようなことは今では出来ない、という。
もっと早く、少なくとも10年前に、包丁の事業化計画を考えておれば、息子も若く、私の考えることも出来たのではと、残念である。

具体的な投資話はできませんでした。私個人ではとてもそんな大金は出せません。
しかし、社長は私に次のような期待を話しました。

日本の友人に投資の話をして欲しい。 日本の包丁会社を探して欲しい。
中国への進出計画があれば教えて欲しい。

社長いわく、ここの魅力は人件費が安いことです。月300元くらいでいいので、必ず進出のメリットはある。 また、実際面では政府の優遇処置もあり、投資は必ず、早期に回収できる。と。

インターネットで日本の包丁会社を調べた(YAHOO)が、産地は堺市だけだった。
他にも中部地区には岐阜の関市(関の孫六)、新潟の燕三条市、などがあると、日本の友人が調べてくれた。
既に中国に進出しているかもしれない。調査しなければならない。

 
帰りには包丁を5本ほどおみやげにもらいました。
ごつい中華料理用の菜刀です。
ただ、包装は野暮ったい紙袋だけですから、見栄えは最悪です。 もう少し外観にも神経を使うよう提案した02050209.jpg (26820 バイト)

紙袋>表と裏

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当座、私に出来ることは、大連のレストランに紹介することです。
なじみの日本料理店の料理人に使ってもらうか、知り合いの中国料理店のコックに紹介してもらうかです。 苦労人の母社長に何度も何度も頼まれました。 日本の友人に投資してくれるよう、是非是非紹介して欲しいと。しかし、会社を見た以上、無責任なことはいえません。

日本の包丁会社がこのあたりの生活環境を活用できるとは思えません。インフラ整備が必要です。
3日間とてもお世話になったが、これとそれとは話が違います。
申し訳なかったが、投資の件には触れずにおいとましました。

包丁工場を訪問したあと、午後は息抜きで、近くの名所を散歩しました。
この山は急勾配の登山道、巨岩奇岩、岩トンネルなどなど、御在所岳に非常に良く似た地形でした。
ここを革靴で歩くのですから、ちょっときついです。 山の名前は「象牙山」といいます。 そして、この山の名前は母長山包丁公司の包丁の商標になっています。
 
全景
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登山道入口(左端:運転手、右端:通訳の馬さん、私の左隣が張親子、右隣が母社長)
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登山道>御在所にも有る、急勾配のトンネル道
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山を彩る自然の梨子ノ木
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昼食は母社長の娘婿が経営する小吃部(小さい食堂)でした。
地元のアルコール60°位の赤ぶどう酒を飲みながら、田舎料理を満喫しました。
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後は、折角来たのですから、彼女の実家を訪問することにしました。
家はレンガ作りの平屋で、一般の農家と同じ住居です。
高層マンションよりよほど風水の良い、人間が人間として生きていける家です。
お姉さんがいました。お母さんはとても背が高い人でした。 しばらく、雑談して失礼した。
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昼食が少し遅かったこともあり、夕食はあまり食べたくなかったが、母社長と通訳の馬さんと彼女の4人でホテルから駅前を経て、繁華街まで散歩しました。少し雨がぱらついてきました。
韓国ラーメンの店があったので、ここで夕食を取りました。

韓国ラーメンといえば、今、大連で売られているインスタントが大変好評です。
中国産ですが、日本人の口にも合います。中国人、日本人全ての人が上手いといいます。
こんど帰るときはこれをみやげにします。 お楽しみに(^O^)

ホテルまで送ってもらい、長い一日が終りました。ホテルで明日の帰りの特急列車を予約しました。

11:38開原駅発大連行きです。 しかし、乗客が多いので、指定座席も寝台座席も取れません。
そこで、下車乗客の多い沈陽まで、彼女が同伴してくれることになりました。

彼女は沈陽駅の手前で空いた寝台座席を買ってくれるのです。
申し訳ないが、大いに助かります。 大連まで木製の座席で、いっぱいの乗客と一緒ではたまらない。

 
開原市訪問最後のリポートです。

朝、9時頃彼女が迎えにきた。
列車時間(11:38)にはまだ早いが、おみやげを買いたいので、無理いって早く来てもらった。
ブラブラ散歩しながら、途中のマーケットで開原名物を買いました。
「棒子」という木の実です。名産はこれだけでした。
大きい実と小さい実を500gづつ買いました。大きい実は20元、小さいほうは10元。
小さい方は実のないものが多かった。ちょっと損した気持ちです。

10時半頃駅前についた。発車までまだ1時間有る。
そこで、乗りたいと思っていた自転車タクシーで、駅の周りを遊覧することにしました。
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昨日降った雨の性で少し肌寒いが、風を切ってなかなか快適でした。
学校の話が出て、彼女の出身校(開原高中)が近いというので、そこに行くことにしました。
この高校は進学率90%の進学校のようです。 通常は10%程度だそうです。
(ちなみに私の住んでいるマンションの前の第八中学は100%です)
 
02050302.jpg (32130 バイト) 駅前広場の大きな牛像の前で記念写真

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汽車は予想通り、超満員でした。 当然座席はありません。
沈陽までの1.5時間、我々はたちんぼうです。 彼女は沈陽前で車掌に空席を確認しました。 ありました。乗車券を見せて、寝台座席券を買いました。

普通乗車券(大連まで36元)と座席券
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まだ沈陽まで時間があったので、食堂車で昼食を取りました。
行きの食堂車はテーブルも椅子も汚かったが、今度は白いテーブルクロスもひいてあり、清潔そうでした。
店員は食べ物は女性、飲み物は男性でした。
お金を払いましたが、彼らの連絡が悪く、後で計算すると、お釣りが5元ほど多かった。儲けた(^O^)

席につくと、ちょうど列車は沈陽に到着した。彼女にお礼をいい、別れた。

 

普通快速の通路はこんな具合です。

窓際には誰が置いたか、紫色の可憐な花が、缶ジュースの空き缶に生けてありました。
臭いはむせるようでした。お母さん、この花の名前はなんと言いますか?

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しばらくすると、車掌が検札に来ました。
今度の座席カードは来るときとは違い、大型です。
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帰りは横になり、金州付近まで寝ていた。2日間の疲れは取れました。
これで開原市訪問リポートはおしまいです。 御静読ありがとうございました。

ではでは。再見!(^O^)/〜〜
From Dalian With Love

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