2002年5月17日 こんにちは!お父さんです!元気だかね! それでは、これから私の2002年度、黄金週間を紹介します。 開原市とは大連から特急列車で7時間くらい北の町です。 などなど、解らないことばかりでは、とても融資など出来ません。 1階で切符を買い、2階に上がり列車を待ちます。 |
トーモロコシ畑は地平線の彼方まで続きます。雄大です。 これぞ大地、といった感じです。 |
途中の駅二つ>「桃山小紅梅」と「鉄玲市」 |
鉄玲市付近>中国の田舎はどこへ行ってもこんな感じです。 | |
昼食を食堂車で食べました。 食堂車の壁面鏡に向かって記念写真(隣が案内の彼女です) 15:30頃目的地「開原市」に到着。
駅には市政府の車が迎えにきてくれました。 |
ホテルは駅からすぐ近くにあり、なかなか立派でした。 |
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帰るとき精算しているのを見て驚きました。一晩400元です。 |
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張親子 |
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しばらく皆さんとお話し、時間も夕食近くになりました。夕食はホテルのレストランです。人数は7人。 費用を後で聞きましたら380元という。これまた驚きました。 一人あたり55元くらいです。大連の中国式レストランと同じです。 確かに味は良かったのですが、それにしても高すぎます。 特に、珍しい川蟹のゆでたのが美味しかったので、お代わりもらいました。 近くに酒屋があるようにも思えないので、久しぶりにゆっくりと風呂に入ろうとしましたが、ここで中国らしい問題が起こりました。 大きなバスタブに湯を入れようとして、あまり熱いので、湯温を調節しようとバルブを少し回したら、今度は、水のようになったので、再び元に戻したが、もう湯にはならず、ずっと水が出ていた。 以後はシャワーも水しか出ず、結局、風呂にもシャワーにも入れずでした。 翌朝、早く眼が覚めたので、風呂に入りました。 今度は失敗しないように、まず湯を出し、 その後、水で湯温を調節しました。成功です。 ゆっくりと風呂に入れました。 |
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窓の外を見るとカラフルな屋根をつけた乗り物がある。 | 下に降り、外に出ると、人を乗せて走っているのです。そうです、「自転車タクシー」です。 時間と共にこの車がドンドン増えてきました。 |
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黄金週間2002第2報は開原市訪問です。
2日目の5月2日は包丁工場の見学です。 その前にこの地区の特殊事情をお話します。 市政府は工業化を進めたいのですが、対象となる企業がありません。 めぼしい会社も零細すぎて、融資できる水準ではない。 しかし、小さな会社でもやる気のある社長なら、なんとか合理化・機械化したいと思うのは人情です。 が、お上は零細企業には金を貸そうとしない。 そこで、私になんとか協力してほしいという、ことではないかと思います。 私にはそのような力はありませんが、場合によっては友人などにも話をして、可能になるかもしれません。 とにかく、当たって砕けろ。 どんなことをやっているのか?実情を良く見てみよう。その後で、どうするかよく考えよう。 2日間、市政府要員は入れ替わり立ち代り挨拶に来るが、党員らしく、かっこのいい言葉ばかりで、中身がない。 人のふんどしで相撲を取ろうとははなはだ不愉快であった。 さて、包丁工場はホテルから約25kmの松山町にありました。 最初、ホテルで挨拶したとき、握手した手はひび割れのあるごつい手でした。 社長の資産は3代にわたって蓄積されてきた、膨大な敷地です。 貸出し可能な機械部品工場の跡地も見学しました。 |
工場用地 | |
3日間社長にはいろいろとお話しました。社長も自分の考えを言ってくれました。 日本人と会うのも、話すのも、今回が初めてのようです。 将来の事業計画についてこれほど熱心に議論したこともないといいました。 が、融資を受けるための説得力のある説明書がないのです。 これでは誰もお金を出してくれません。 市政府も何も準備していないのです。話になりません。 とくに日本は今、どん底景気です。 1万元や2万元なら気にする金ではないが、10万元20万元となると簡単ではない。 自動化設備にはこの10倍以上の金が必要であろう。 個人ではとても無理である。 手っ取り早いのは、社長が考えているように、中国進出を計画中の日本の包丁会社と提携することであろう。 これなら日本の優れた生産技術を導入でき、中国国内の同業よりはるかに高品質、低価格を実現できる。 しかし今、日本はドン底景気が続いている。そのような会社があるかどうかも疑問です。 さらに私は、次のことを提案した。 こういう計画があるならなぜ自分の息子に日本語を勉強させ、日本に留学させ、日本の包丁会社に就職させなかったのか?と。 息子は既に32歳。最早遅い。そのようなことは今では出来ない、という。 日本の友人に投資の話をして欲しい。
日本の包丁会社を探して欲しい。 社長いわく、ここの魅力は人件費が安いことです。月300元くらいでいいので、必ず進出のメリットはある。
また、実際面では政府の優遇処置もあり、投資は必ず、早期に回収できる。と。 |
帰りには包丁を5本ほどおみやげにもらいました。 ごつい中華料理用の菜刀です。 ただ、包装は野暮ったい紙袋だけですから、見栄えは最悪です。 もう少し外観にも神経を使うよう提案した |
紙袋>表と裏 |
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当座、私に出来ることは、大連のレストランに紹介することです。 なじみの日本料理店の料理人に使ってもらうか、知り合いの中国料理店のコックに紹介してもらうかです。 苦労人の母社長に何度も何度も頼まれました。 日本の友人に投資してくれるよう、是非是非紹介して欲しいと。しかし、会社を見た以上、無責任なことはいえません。 日本の包丁会社がこのあたりの生活環境を活用できるとは思えません。インフラ整備が必要です。 |
包丁工場を訪問したあと、午後は息抜きで、近くの名所を散歩しました。 この山は急勾配の登山道、巨岩奇岩、岩トンネルなどなど、御在所岳に非常に良く似た地形でした。 ここを革靴で歩くのですから、ちょっときついです。 山の名前は「象牙山」といいます。 そして、この山の名前は母長山包丁公司の包丁の商標になっています。 |
全景 | |
登山道入口(左端:運転手、右端:通訳の馬さん、私の左隣が張親子、右隣が母社長) | |
登山道>御在所にも有る、急勾配のトンネル道 | |
山を彩る自然の梨子ノ木 | |
昼食は母社長の娘婿が経営する小吃部(小さい食堂)でした。 地元のアルコール60°位の赤ぶどう酒を飲みながら、田舎料理を満喫しました。 |
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後は、折角来たのですから、彼女の実家を訪問することにしました。 家はレンガ作りの平屋で、一般の農家と同じ住居です。 高層マンションよりよほど風水の良い、人間が人間として生きていける家です。 お姉さんがいました。お母さんはとても背が高い人でした。 しばらく、雑談して失礼した。 昼食が少し遅かったこともあり、夕食はあまり食べたくなかったが、母社長と通訳の馬さんと彼女の4人でホテルから駅前を経て、繁華街まで散歩しました。少し雨がぱらついてきました。 11:38開原駅発大連行きです。
しかし、乗客が多いので、指定座席も寝台座席も取れません。 彼女は沈陽駅の手前で空いた寝台座席を買ってくれるのです。 |
開原市訪問最後のリポートです。 朝、9時頃彼女が迎えにきた。 列車時間(11:38)にはまだ早いが、おみやげを買いたいので、無理いって早く来てもらった。 ブラブラ散歩しながら、途中のマーケットで開原名物を買いました。 「棒子」という木の実です。名産はこれだけでした。 大きい実と小さい実を500gづつ買いました。大きい実は20元、小さいほうは10元。 小さい方は実のないものが多かった。ちょっと損した気持ちです。 10時半頃駅前についた。発車までまだ1時間有る。 |
昨日降った雨の性で少し肌寒いが、風を切ってなかなか快適でした。 学校の話が出て、彼女の出身校(開原高中)が近いというので、そこに行くことにしました。 この高校は進学率90%の進学校のようです。 通常は10%程度だそうです。 (ちなみに私の住んでいるマンションの前の第八中学は100%です) |
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駅前広場の大きな牛像の前で記念写真
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汽車は予想通り、超満員でした。
当然座席はありません。 普通乗車券(大連まで36元)と座席券 |
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まだ沈陽まで時間があったので、食堂車で昼食を取りました。 行きの食堂車はテーブルも椅子も汚かったが、今度は白いテーブルクロスもひいてあり、清潔そうでした。 店員は食べ物は女性、飲み物は男性でした。 お金を払いましたが、彼らの連絡が悪く、後で計算すると、お釣りが5元ほど多かった。儲けた(^O^) 席につくと、ちょうど列車は沈陽に到着した。彼女にお礼をいい、別れた。 |
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普通快速の通路はこんな具合です。 |
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窓際には誰が置いたか、紫色の可憐な花が、缶ジュースの空き缶に生けてありました。 |
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帰りは横になり、金州付近まで寝ていた。2日間の疲れは取れました。 ではでは。再見!(^O^)/〜〜 |