2003年8月24日 葛君と呉さん |
2003年9月6日 宋君と楊さん |
2003年9月14日 潘君と万さん |
2003年9月27日 朴永慶君 |
2003年9月28日 孫君と柳さん |
2003年9月7日>結婚ブーム到来 こんにちは!お父さんです!元気だかね! さて、3組の案内状を紹介します。写真のあるものないもの様々です。 案内状は大体、1週間くらい前に持ってくることが多い。 ほかの日本人は解りませんが、私の日曜日には特別な予定などありません。 結婚ブームの口火を切ったのは、8月24日(日)製造の葛君と呉さんです。 9月6日(土)は、設計から営業に変わった宋君と経理の楊さんです。 式は11:30始まりですが、今日、大連では空前絶後の結婚式数ですから、道路の渋滞を考え、会社を10:30に出発しました。 この日は薄曇の天気でした。私は結婚式とは思えないラフなスタイルで、失礼しました。 来週9月14日(日)は製造の潘君と、昔、設計にいた万さんの結婚式です。 ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜 |
大連に来て以来、出席した結婚式は16組です。 8月終わりから9月末までに5組あったから、合計で21組となりました。 それでは、空前の結婚ブームをリポートします(^O^)。 まずは8月24日の葛行義君と呉文玉さんです。 場所は昨年11月3日の薫暉君と同じ、渤海大酒店です。 薫暉君のときは雪がちらつく寒い日でした。 が、この日は秋とはいえ、汗ばむほどの残暑がありました。 |
会場のホテルです。 | |
ホテルロビーの結婚案内板 | 式場の雰囲気 |
会社の上司、先輩、同僚がお祝いに駆けつけています。 | |
今回初めて、結婚証を見せてもらいました。 | |
新郎新婦の入場です。 右側に座っているのが二人の両親です。 |
今回の結婚でお世話になった、会社の管理部由部長に感謝のお礼をします。 |
韓忠課長にご挨拶する二人。 | |
|
|
かわいい子供が正面台に上がって遊んでいます。 | 我々も別のテーブルに出かけて、二人の前途をみんなで祝います。 奥のほうでは新郎新婦が一人づつご挨拶をしています。 |
|
|
于阿琴の子供。お母さんにそっくりで、とてもかわいい。 お母さんの于阿琴は30歳近いのですが、まだ子供のように見えます。 |
お祝いの歌を通訳の黄晶さんと歌います。 |
常盤さんも通訳の徐さんとデュエットです。 | 花嫁がお色直ししてきました。 上目ずかいがとてもセクシーです。 |
|
|
早速、記念写真です(●^o^●) | |
|
|
みんな大いに飲み、食べて、顔は真っ赤です。 |
|
|
|
通訳二人がお祝いの歌を披露しました。 |
|
|
|
帰りは天気が良かったので、歩いて中山広場へ行きました。 昼ちょっとすぎでしたので、恒例の日本語や英語を勉強中の若い中国人に捕まりました。 |
|
日曜日の午後、この広場に来ると、外国語を勉強中の学生がたくさんやってきて、我々のような外国人に話しかけてきます。 生きた言葉を勉強するためです。左端の彼は社会人ですが、わざわざ開発区から出かけてきた人です。 片言の日本語で会話しました。 | |
これで葛君と呉さんの結婚式はおしまいです。次は9月6日(土)の宋君と楊さんです。
ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
From Dalian With Love
2003年10月15日、こんにちは!お父さんです!元気だかね! 9月6日(土)は元設計者で営業技術に変わった、宋辰君と管理部経理課の楊秀英さんです。 式場は海岸のリゾート地「付家荘」です。 通常土曜日は出勤ですが、今日は11時30分予定の結婚式のため、10時ころまで仕事して、みんな会社のバスで、式場に出かけます。 今日は新聞によれば、5000組の結婚式があるといいます。 道路はこれらの車でたいへんな混雑が予想されます。 会社から付家荘までは普通なら30分かかりません。が、心配なので早めに出発します。 ところで、一口に5000組の結婚式といいますが、いったいどのくらいの金が動くのでしょうか(^O^) 今日の新聞にお祝い金の試算があったそうです。 すなわち、出席者数が式一組100人で、お祝い金が一人200元とすると、一億元の金が市内に落ちると言う計算です。 この日は薄曇の天気でした。私は結婚式とは思えないラフなスタイルで、失礼しました。 奥林匹克広場近くの高架道路ですれちがったグループ。 私たちのバスも結婚式に行くのですが、このバスには何も飾りつけがなく、寂しいかぎりです。 会場に着きました。 ホテル前の道路「濱海路」でも、何組かの結婚式が通過しました。 舗道ではこれから商売を始める人が、商品を並べています。 |
と、突然記憶にある人がジョギング姿で走ってきました。思い出しました。大連日本人学校の先生です。 記念写真を撮ってあげました。 先生もデジカメ持っていましたが、電池切れで使えません。 先生も自分のジョギング姿を見たことがないからたいへん喜んでくれました。 |
|
写真はメールで送りましたが、学校のパソコンが更新中とかで、何度も送信エラーとなりました。
以下はそのメールの内容です。 Sent: Thursday, September 11, 2003 8:27 AM Subject: Fw: 写真送ります。 > もう一度送ります。 > Sent: Tuesday, September 09, 2003 8:59 AM Subject: Fw: 写真送ります。 > > 再びアドレスエラーでした。 > > Sent: Monday, September 08, 2003 7:10 AM Subject: Fw: 写真送ります。 > > > アドレスを間違えてエラーになりましたので、再送します。 > > > Sent: Sunday, September 07, 2003 12:01 PM Subject: 写真送ります。 > > > > こんにちは。鈴木です。 > > > > 昨日はトレーニングのお邪魔をして申し訳ありません。 > > > > ただ、天気は涼しい曇り空で、走るには絶好のコンディションでした。 (少しぱらついてきましたが、いかがでしたか?) > > > > さて、私たちの結婚式は愉快な雰囲気の中で、滞りなく終わりました。 > > > > 式場前で撮った先生のアスリート姿(自分でも見たことがない、貴重な写真(^レ^;)をお送りします。 > > > > (写真はあまり圧縮していません。写真屋さんにFDを持って行けば焼いてくれます) > > > > ついでに結婚式の雰囲気と新郎新婦をご紹介します。 > > > > いつもはスーツですが、この日はこの後、1年ぶりに濱海路を歩きたいと思い、ラフなスタイルで失礼しました。 > > > > しかし、中国式結婚式は服装に拘らないので、こんなときとても便利です。 > > > > 曇天で見通しは悪かったですが、無事、第八中学前の自宅まで帰れました。 > > > > 最後に、先生にとって、10月26日の大連マラソンが好成績で、終わることをお祈りいたします。 > > > > 再見! 先生からは14日にお礼のメールがありました。 お礼が遅くなりました。写真頂きました。昨日は博愛から開発区までランニングしました。今朝はとてもテニスできそうにありません。 まずは、お礼まで・・。付家庄国際村 |
新郎新婦はまだ来ません。道路が混んでいるのでしょう。到着を待つ間、記念写真を撮ります。 | |
左から設計の劉宏敏、総務の柳瑩穎、通訳の黄晶 | |
黄晶と@>右後方になにやら怪しげな宮さん、左後方に楚さん、王さんほか。
|
|
黄晶とA>左後方は朱さん、右後方は林宏、陳娟 | 待つこと30分やっと新郎新婦の到着です。 |
|
みんなの祝福を浴びます。
新婦が足で風船を割っています。
このような光景は初めてです。何か意味があるのでしょう(^O^)
カメラの前で神妙な二人。
|
|
ホテル玄関前ではロシア人らしき家族が、海水パンツ姿で珍しそうに見ていました。 | |
式場の雰囲気です。どこも同じなのですが、なぜかついつい写真を撮ってしまうのです。 |
|
|
|
窓から外を見ると、付家荘公園が見えます。ここは有料の海水浴場です。 この辺り一帯は付家荘風景区といい、景色の良いところです。 帰りはこの前の道「濱海路」を歩いて、自宅まで帰ります。 Tシャツの理由は実はこれだったのです。 |
|
お祝いに来た社員の皆さん>写真左の左奥が日本人卓で、写真右は営業部の皆さんです。 | |
記念写真>前左から朱さん、奥さん、由さん、劉さん。 後左から丙業新さん、柳さん |
やっと式の始まりです。司会者が開宴を宣言します。 両親の席はなぜか女性(お母さん)が二人でした。 |
カメラの放列ができます。手前テーブルは左から通訳趙さん、加藤君、通訳徐さん、常盤さん。 | 新郎新婦と記念写真。花嫁の楊さんは恐ろしいほどの美しさでした。 |
これで9月最初の結婚式を終わります。
ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
From Dalian With Love
2003年10月25日、こんにちは!お父さんです!元気だかね! 今年度結婚式第3弾です。9月14日(日)の潘永峰君と万君傑さんです。 |
|
時間は10時48分からですが、なかなか新郎新婦がみえません。 晴れてはいましたが、風の強い日でした。 お祝いに来たみんなはロビーや風除室で待ちます。 |
|
式場は会社に近い「三合大厦」です。 |
左から製造の韓部長代理、陰に隠れて見えない人が実は管理部の由部長。
その右は検査の劉さん、つぎは製造の・・・さん、次は宮崎君の通訳権さん、そして製造の王部長。この写真は全体的にひずみが大きいです。 |
待っている間、ロビーには新婦側の来賓らしき人が数人いました。 日本語をしゃべっています。間違いなく日本人です。あとでその訳が解りました。 |
|
新郎新婦がやっと来ました。 風が強いので、お祝いの紙ふぶきがあっという間に飛んでいってしまいました。 |
|
|
|
宴会場の雰囲気です。 いつもながらのように見えるでしょうが、私はいつも新鮮な気持ちで見ています。 | 由部長が二人の結婚証明証を、にやにや笑いながら見せてくれました。
潘君の出生日が1917年となっているのです。 今、2003年ですから彼は86歳です。珍しいミスです。 この証明証は記念になります。 |
|
|
ロビーで見た日本人がやはり居ました。開発区で操業中の衛生陶器の「TOTO」でした。 新婦の万さんは大連富士の技術部をやめて、ここに就職したのです。 |
|
新郎新婦登場です。 後に居る二人ももうすぐ結婚するそうです。 男性のほうが社員で、潘君の部下です。 隣の彼女は社員ではありません。 |
新郎側大連富士の総経理が挨拶した後、珍しく新婦側TOTOの来賓の挨拶がありました。 彼は開発部の部長でした。彼女は開発の仕事を担当しているということでした。 TOTOで立派に仕事していることを聞いて、本当に安心しました。 |
|
|
この部長はたいへんなエンターテイナーであることがすぐわかりました。 宴たけなわになって、彼は舞台に上がり、手品を始めたのです。 手品はプロ級の腕前です。ネタも豊富で、十分楽しめるものでした。 大したものです。 |
|
新郎新婦と記念写真 |
向こうの壁面が鏡になっています。 |
|
|
宴席>宮崎君が王工場長とビールで乾杯しようとしています。 王さんは白酒は飲めるが、ビールは苦手です。 |
|
宮崎君はその逆です。いつも白酒でいじめられているので、今日は宮崎君が王さんをいじめています。 |
|
|
|
ただ、料理はあまり良くありません。 今までの中では、下のクラスです。 安上がりに仕上げたという感じです。 ま、中途半端に豪華より、いいかもしれません。 はっきり言って、どの結婚式も料理は似たり寄ったりです。 おいしくて、お代わりするような料理はほとんどありません。
万さんがお色直ししてきました。記念写真です。 新郎新婦にはもちろん新居があります。 |
招待状を紛失しました(~_~;)
こんにちは!お父さんです!元気だかね!
今年度結婚式第4弾です。 |
|
10月27日(土)の朴永慶君と張立萍さんです。朴君は会社でも1,2を争う、腕の良いフライス工です。 日本にも研修に行っています。 お嫁さんはどこの人かわかりません。が、嫁さんの勤めている会社があとで解り、本当に驚きました。 |
|
夕方の開始(時刻17:45)は初めてです。理由は後で解りました。 会場は黄河路と長江路間の、新開路沿いの「天和玉大酒店」です。 |
|
結婚式は既に終わっているので、今日は披露宴だけのようです。従って、新郎新婦の家族親族は来ません。会社関係と友人だけです。 会場はうなぎの寝床のように細長い。
|
|
待てど暮らせど新婦側来賓が来ない。 お腹が減ってきました。コーラとかぼちゃの種を食べて、一息つきます。 どこから来るかと聞けば前回と同じ「開発区」です。 5時定時で会社を終わり、電車に乗ってやってくるのですが、少し遅れているようです。 約1時間遅れの18時半頃到着しました。 ひょっとして、新婦はまたTOTOでは?などと冗談言っていたら、本当でした。 会場に入ってきた男性に見覚えがあるのです。潘君の相手万さんの上司です。 奇遇です。本当に珍しいことだと思います。新婦が二人とも同じ日系企業TOTOの社員でした。 相手から見ても同じことです。 新郎が二人とも同じ日系の会社ですから。 |
|
新郎新婦が登場しました。 司会者もプロではなく、友人のようです。 |
宮崎君も新郎になにやら訴えているような目つきです。 フライス工程の指導者でもある宮崎君は、彼の力に大いに期待しているのではないでしょうか。 |
|
|
私も負けじと、記念写真です。 | お色直し後にまた一枚。 |
|
|
朴君が改めて回ってきました。 |
珍しい写真を撮りました。宮崎君と由部長です。 |
|
|
|
ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
From Dalian With Love
こんにちは!お父さんです!元気だかね! 今年度結婚式第5弾は、9月28日(日)の孫福貴君と柳瑩穎さんです。 結婚式が昨日と今日の2日連続というのは初めてです。 二人は会社で知り合った社内結婚です。 花嫁の柳瑩穎さんは管理部で総務を担当しています。新郎の孫君は今年の4月に退社しました。 優秀な設計者になる可能性を秘めていましたから、辞めさせたくなかったのですが、本人の一方的な考えで辞めていきました。 辞めるとき、「お世話になりました」と挨拶に来ました。 これから一緒にいい仕事をしたいと思っていたのに残念です。 なぜ辞めるのかははっきり聞きませんでした。が、「給料が安い」というのも一つの理由です。 「世話になった」と言うセンチな気持ちはこちらの人にはほとんど見られません。 60過ぎの今になってもこれは変わりません。 大連で若い人にこのことを言うと、わたしは特別だと言います。 中国社会には、あるいは中国人には、日本人では理解できない何かがある。 |
孫福貴も3年前買いました。このとき私は、招待され、訪問しました(2000.11.12)
家庭訪問も彼が会社を辞めた後です。 今回の結婚式もそうですが、正直言って、出かけることに抵抗がありました。 手塩にかけて育てた人材が、今までの恩義も忘れ、いとも簡単に別なところに変わっていく。 中国では日常的な出来事ですが、日本人の古い価値観を持つ私としては、釈然としません。 今までにも、未熟な段階で辞めた人もいます。 私から見ればまだまだの人材でも、知らない人(会社)は、売り込みにだまされて採用します。 人材が欲しい会社は、少々未熟でも構わないのです。 そのような彼らは、新しい会社に行っても、多分かなり苦労しているのではと推察します。 わたしは事あるごとに、金では買えない大切なのものが、人生にはあるのだと説いているが、理解できる人はいません。
ただ一人、王鴻雁だけは最近少し、理解できるようになって来ました。 |
ところで「給料」と言えば、中国には面白い現象があります。 大河「長江」を境に南の広州地区(上海や深セン)と、北方3省との平均所得格差は3〜5倍といわれます。 北の玄関「大連」は北方3省の中でも突出した成長都市です。それでも1000元程度です。 が、上海付近は3000元といいます。 なぜでしょう?? 仕事ぶり、働きぶりと関係がありそうです。南の人は良く働くそうです。 北の人も南の人に負けないよう、しっかり働けば会社も利益が出て、たくさん分配されるでしょう。 どうやら、ロシア、日本という長い統治下の元、自分の意思で働くということを忘れてしまったようです。 最近では、未曾有の経済発展で少しずつ変わりつつあるが、まだまだサボる体質が残っています。 |
孫君は辞めたが、柳さんは今まで通り、社員です。その彼女が案内状を持ってくれば、断ることもできません。出席することにしました。 もちろん常盤さんも一緒です。 | |
会場は9月6日宋辰君の式場に近い付家庄の、 「金海岸大酒店」です。 |
新郎新婦が到着しました。例によって、テープや紙ふぶきで歓迎します。 付き添いは営業の「王海涛」と「許」さんです。 |
|
|
|
|
|
会場の雰囲気です。 |
新郎新婦入場。 司会者が場内を盛り上げようと、声を張り上げています。 |
営業課長の李さんと息子です。 | 王さんの彼女とご挨拶しました。 |
新郎新婦と記念写真 (1回目のお色直しした花嫁はたいへん嬉しそうです) |
2回目のお色直しした 新婦と記念写真 |
記念写真@ 左から、私の通訳、新郎、副総経理、総経理通訳、新婦、総経理、管理部長、製造部長、わたし。 |
|
記念写真A 左から総経理通訳、新郎、管理部長、新婦、姜(jiang1)さん |
記念写真B 営業部の全員と |
記念写真C 管理部の全員と(新婦の職場仲間) |
記念写真D 技術部、その他の部員と(新郎の元職場仲間) |
2003年おしまい(●^o^●)
以上で結婚ブームはひとまず終了です。
ではでは再見!!