結婚式2003

2003年8月24日
葛君と呉さん
2003年9月6日
宋君と楊さん
2003年9月14日
潘君と万さん
2003年9月27日
朴永慶君
2003年9月28日
孫君と柳さん

2003年9月7日>結婚ブーム到来

こんにちは!お父さんです!元気だかね!
9月は会社で結婚式がほぼ毎週あります。しかもです、社内結婚大増産なのです(^O^)

4月から7月まではSARSにより、結婚は許可されませんでした。
昨年から申請していた人もあり、許可までに半年以上かかっています。
会社の社員も堰を切ったように、結婚式を挙げます。昨年11月以来、9ヶ月ぶりです。
全部社内結婚で、9月は毎週の予定です。
お祝い金はカップルによって多少変えますが、最低200元最高500元にしています。
(中国人の一般的な額は100元です)
私たち日本人はほかに、通訳のお祝い金も肩代わりしていますので、プラス100元となります。

さて、3組の案内状を紹介します。写真のあるものないもの様々です。
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案内状は大体、1週間くらい前に持ってくることが多い。
日本では考えられません。が、これが中国式なのです。

ほかの日本人は解りませんが、私の日曜日には特別な予定などありません。
大石さんのように、ゴルフの好きな人は毎週行っているようですが、私はゴルフを止めましたから、大連の街を散歩するくらいです。

結婚ブームの口火を切ったのは、8月24日(日)製造の葛君と呉さんです。
お似合いのカップルでしょう(^O^)詳しくは後ほど報告します。

9月6日(土)は、設計から営業に変わった宋君と経理の楊さんです。
場所がちょっと遠い、海岸沿いの付家庄です。
会社から大巴士(送迎バス)をチャーターします。

式は11:30始まりですが、今日、大連では空前絶後の結婚式数ですから、道路の渋滞を考え、会社を10:30に出発しました。
会場に着くまでに8組の自動車パレードがありました。すごいのは白バイの護衛付きでした。
後に黒塗りのベンツ、アウディなど高級車が20台くらいつづく。
よっぽどの金持ちか政府関係者と言います。

この日は大連市内で5000組の式があります。この日のお祝い金の試算が新聞にあったそうです。
すなわち、一組100人で一人200元とすると、一億元の金が市内に落ちると言う計算です。

この日は薄曇の天気でした。私は結婚式とは思えないラフなスタイルで、失礼しました。
詳しくは後ほど説明します。

来週9月14日(日)は製造の潘君と、昔、設計にいた万さんの結婚式です。

次はこれまた設計にいた、孫君と総務の柳さんです。
彼らには既に新居があり、私はお宅訪問しています。どんなお宅かはそちらをご覧ください。

ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
From Dalian With Love

葛君と呉さん

大連に来て以来、出席した結婚式は16組です。
8月終わりから9月末までに5組あったから、合計で21組となりました。

それでは、空前の結婚ブームをリポートします(^O^)。
まずは8月24日の葛行義君と呉文玉さんです。

場所は昨年11月3日の薫暉君と同じ、渤海大酒店です。
薫暉君のときは雪がちらつく寒い日でした。
が、この日は秋とはいえ、汗ばむほどの残暑がありました。
 
会場のホテルです。
 
ホテルロビーの結婚案内板 式場の雰囲気
   
会社の上司、先輩、同僚がお祝いに駆けつけています。
   
 
今回初めて、結婚証を見せてもらいました。
 
新郎新婦の入場です。
右側に座っているのが二人の両親です。
今回の結婚でお世話になった、会社の管理部由部長に感謝のお礼をします。
   
  韓忠課長にご挨拶する二人。

   
かわいい子供が正面台に上がって遊んでいます。 我々も別のテーブルに出かけて、二人の前途をみんなで祝います。 奥のほうでは新郎新婦が一人づつご挨拶をしています。

   
于阿琴の子供。お母さんにそっくりで、とてもかわいい。
お母さんの于阿琴は30歳近いのですが、まだ子供のように見えます。

お祝いの歌を通訳の黄晶さんと歌います。
曲は「北国の春」です。

   
常盤さんも通訳の徐さんとデュエットです。 花嫁がお色直ししてきました。
上目ずかいがとてもセクシーです。

   
早速、記念写真です(●^o^●)  

   

みんな大いに飲み、食べて、顔は真っ赤です。

 

通訳二人がお祝いの歌を披露しました。

 
帰りは天気が良かったので、歩いて中山広場へ行きました。
昼ちょっとすぎでしたので、恒例の日本語や英語を勉強中の若い中国人に捕まりました。
日曜日の午後、この広場に来ると、外国語を勉強中の学生がたくさんやってきて、我々のような外国人に話しかけてきます。 生きた言葉を勉強するためです。左端の彼は社会人ですが、わざわざ開発区から出かけてきた人です。 片言の日本語で会話しました。

これで葛君と呉さんの結婚式はおしまいです。次は9月6日(土)の宋君と楊さんです。

ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
From Dalian With Love

宋君と楊さん

2003年10月15日、こんにちは!お父さんです!元気だかね!

9月6日(土)は元設計者で営業技術に変わった、宋辰君と管理部経理課の楊秀英さんです。

式場は海岸のリゾート地「付家荘」です。
通常土曜日は出勤ですが、今日は11時30分予定の結婚式のため、10時ころまで仕事して、みんな会社のバスで、式場に出かけます。

今日は新聞によれば、5000組の結婚式があるといいます。
道路はこれらの車でたいへんな混雑が予想されます。
会社から付家荘までは普通なら30分かかりません。が、心配なので早めに出発します。

ところで、一口に5000組の結婚式といいますが、いったいどのくらいの金が動くのでしょうか(^O^)
今日の新聞にお祝い金の試算があったそうです。
すなわち、出席者数が式一組100人で、お祝い金が一人200元とすると、一億元の金が市内に落ちると言う計算です。

この日は薄曇の天気でした。私は結婚式とは思えないラフなスタイルで、失礼しました。
理由は後ほど説明します。

奥林匹克広場近くの高架道路ですれちがったグループ。
女性の白バイ先導車付で、黒塗りの大型ベンツが20台くらい続き、
その後、一般の小型車、タクシーなど延々と続きました。
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私たちのバスも結婚式に行くのですが、このバスには何も飾りつけがなく、寂しいかぎりです。
会場に着くまでの30分くらいに、8組とすれちがいました。こんなことは初めてです。

会場に着きました。
会場のホテルは華能大連賓館といい、このあたりは、大連でも一番の海水浴場です。
この近くには大連日本人学校があります。
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ホテル前の道路「濱海路」でも、何組かの結婚式が通過しました。


辺りを散策しました。バス停の近くでは、水着や浮き袋を売っています。
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舗道ではこれから商売を始める人が、商品を並べています。
並んでいるものは貝殻やガラスの細工物が多い。
価格は2元くらいから30元くらいです。
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と、突然記憶にある人がジョギング姿で走ってきました。思い出しました。大連日本人学校の先生です。
記念写真を撮ってあげました。 先生もデジカメ持っていましたが、電池切れで使えません。
先生も自分のジョギング姿を見たことがないからたいへん喜んでくれました。
 
写真はメールで送りましたが、学校のパソコンが更新中とかで、何度も送信エラーとなりました。
以下はそのメールの内容です。

Sent: Thursday, September 11, 2003 8:27 AM Subject: Fw: 写真送ります。
> もう一度送ります。

> Sent: Tuesday, September 09, 2003 8:59 AM Subject: Fw: 写真送ります。
> > 再びアドレスエラーでした。

> > Sent: Monday, September 08, 2003 7:10 AM Subject: Fw: 写真送ります。
> > > アドレスを間違えてエラーになりましたので、再送します。

> > > Sent: Sunday, September 07, 2003 12:01 PM Subject: 写真送ります。
> > > > こんにちは。鈴木です。
> > > > 昨日はトレーニングのお邪魔をして申し訳ありません。
> > > > ただ、天気は涼しい曇り空で、走るには絶好のコンディションでした。
(少しぱらついてきましたが、いかがでしたか?)
> > > > さて、私たちの結婚式は愉快な雰囲気の中で、滞りなく終わりました。
> > > > 式場前で撮った先生のアスリート姿(自分でも見たことがない、貴重な写真(^レ^;)をお送りします。
> > > > (写真はあまり圧縮していません。写真屋さんにFDを持って行けば焼いてくれます)
> > > > ついでに結婚式の雰囲気と新郎新婦をご紹介します。
> > > > いつもはスーツですが、この日はこの後、1年ぶりに濱海路を歩きたいと思い、ラフなスタイルで失礼しました。
> > > > しかし、中国式結婚式は服装に拘らないので、こんなときとても便利です。
> > > > 曇天で見通しは悪かったですが、無事、第八中学前の自宅まで帰れました。
> > > > 最後に、先生にとって、10月26日の大連マラソンが好成績で、終わることをお祈りいたします。
> > > > 再見!

先生からは14日にお礼のメールがありました。

お礼が遅くなりました。写真頂きました。昨日は博愛から開発区までランニングしました。今朝はとてもテニスできそうにありません。
まずは、お礼まで・・。付家庄国際村
 
新郎新婦はまだ来ません。道路が混んでいるのでしょう。到着を待つ間、記念写真を撮ります。
 
左から設計の劉宏敏、総務の柳瑩穎、通訳の黄晶  
黄晶と@>右後方になにやら怪しげな宮さん、左後方に楚さん、王さんほか。

 
黄晶とA>左後方は朱さん、右後方は林宏、陳娟 待つこと30分やっと新郎新婦の到着です。

みんなの祝福を浴びます。

新婦が足で風船を割っています。
このような光景は初めてです。何か意味があるのでしょう(^O^)
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カメラの前で神妙な二人。

   
ホテル玄関前ではロシア人らしき家族が、海水パンツ姿で珍しそうに見ていました。

式場の雰囲気です。どこも同じなのですが、なぜかついつい写真を撮ってしまうのです。

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窓から外を見ると、付家荘公園が見えます。ここは有料の海水浴場です。
この辺り一帯は付家荘風景区といい、景色の良いところです。
帰りはこの前の道「濱海路」を歩いて、自宅まで帰ります。
Tシャツの理由は実はこれだったのです。
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お祝いに来た社員の皆さん>写真左の左奥が日本人卓で、写真右は営業部の皆さんです。
   
記念写真>前左から朱さん、奥さん、由さん、劉さん。
後左から丙業新さん、柳さん
やっと式の始まりです。司会者が開宴を宣言します。
両親の席はなぜか女性(お母さん)が二人でした。
 
カメラの放列ができます。手前テーブルは左から通訳趙さん、加藤君、通訳徐さん、常盤さん。 新郎新婦と記念写真。花嫁の楊さんは恐ろしいほどの美しさでした。

これで9月最初の結婚式を終わります。
ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
From Dalian With Love

潘君と万さん

 
2003年10月25日、こんにちは!お父さんです!元気だかね!
今年度結婚式第3弾です。9月14日(日)の潘永峰君と万君傑さんです。
 
時間は10時48分からですが、なかなか新郎新婦がみえません。
晴れてはいましたが、風の強い日でした。 お祝いに来たみんなはロビーや風除室で待ちます。
 
式場は会社に近い「三合大厦」です。

左から製造の韓部長代理、陰に隠れて見えない人が実は管理部の由部長。 その右は検査の劉さん、つぎは製造の・・・さん、次は宮崎君の通訳権さん、そして製造の王部長。この写真は全体的にひずみが大きいです。
権さんはとてもかわいいのですが、笑ったときに歯が出てしまったようです。カメラが悪いのです。

待っている間、ロビーには新婦側の来賓らしき人が数人いました。
日本語をしゃべっています。間違いなく日本人です。あとでその訳が解りました。
 
新郎新婦がやっと来ました。
風が強いので、お祝いの紙ふぶきがあっという間に飛んでいってしまいました。
 

   
宴会場の雰囲気です。 いつもながらのように見えるでしょうが、私はいつも新鮮な気持ちで見ています。 由部長が二人の結婚証明証を、にやにや笑いながら見せてくれました。 潘君の出生日が1917年となっているのです。
今、2003年ですから彼は86歳です。珍しいミスです。
この証明証は記念になります。

   
ロビーで見た日本人がやはり居ました。開発区で操業中の衛生陶器の「TOTO」でした。
新婦の万さんは大連富士の技術部をやめて、ここに就職したのです。
   
新郎新婦登場です。
後に居る二人ももうすぐ結婚するそうです。
男性のほうが社員で、潘君の部下です。
隣の彼女は社員ではありません。
新郎側大連富士の総経理が挨拶した後、珍しく新婦側TOTOの来賓の挨拶がありました。 彼は開発部の部長でした。彼女は開発の仕事を担当しているということでした。 TOTOで立派に仕事していることを聞いて、本当に安心しました。

 
この部長はたいへんなエンターテイナーであることがすぐわかりました。
宴たけなわになって、彼は舞台に上がり、手品を始めたのです。 手品はプロ級の腕前です。ネタも豊富で、十分楽しめるものでした。 大したものです。
 
新郎新婦と記念写真

向こうの壁面が鏡になっています。
左に移っているのが私です。

 

宴席>宮崎君が王工場長とビールで乾杯しようとしています。 王さんは白酒は飲めるが、ビールは苦手です。

宮崎君はその逆です。いつも白酒でいじめられているので、今日は宮崎君が王さんをいじめています。

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ただ、料理はあまり良くありません。
今までの中では、下のクラスです。
安上がりに仕上げたという感じです。
ま、中途半端に豪華より、いいかもしれません。

はっきり言って、どの結婚式も料理は似たり寄ったりです。 おいしくて、お代わりするような料理はほとんどありません。

 

万さんがお色直ししてきました。記念写真です。

新郎新婦にはもちろん新居があります。
潘君に家訪可以馬と尋ねたら、OKという返事。
来月訪問することを約束しました。

朴 永慶

招待状を紛失しました(~_~;)

こんにちは!お父さんです!元気だかね! 今年度結婚式第4弾です。
 
10月27日(土)の朴永慶君と張立萍さんです。朴君は会社でも1,2を争う、腕の良いフライス工です。
日本にも研修に行っています。 お嫁さんはどこの人かわかりません。が、嫁さんの勤めている会社があとで解り、本当に驚きました。
 
夕方の開始(時刻17:45)は初めてです。理由は後で解りました。
会場は黄河路と長江路間の、新開路沿いの「天和玉大酒店」です。
結婚式は既に終わっているので、今日は披露宴だけのようです。従って、新郎新婦の家族親族は来ません。会社関係と友人だけです。

会場はうなぎの寝床のように細長い。
 

 
待てど暮らせど新婦側来賓が来ない。
お腹が減ってきました。コーラとかぼちゃの種を食べて、一息つきます。
どこから来るかと聞けば前回と同じ「開発区」です。
5時定時で会社を終わり、電車に乗ってやってくるのですが、少し遅れているようです。

約1時間遅れの18時半頃到着しました。
ひょっとして、新婦はまたTOTOでは?などと冗談言っていたら、本当でした。
会場に入ってきた男性に見覚えがあるのです。潘君の相手万さんの上司です。

奇遇です。本当に珍しいことだと思います。新婦が二人とも同じ日系企業TOTOの社員でした。
相手から見ても同じことです。 新郎が二人とも同じ日系の会社ですから。
 
新郎新婦が登場しました。
司会者もプロではなく、友人のようです。
宮崎君も新郎になにやら訴えているような目つきです。
フライス工程の指導者でもある宮崎君は、彼の力に大いに期待しているのではないでしょうか。

   
私も負けじと、記念写真です。 お色直し後にまた一枚。

   
朴君が改めて回ってきました。

珍しい写真を撮りました。宮崎君と由部長です。
二人ともいい顔をしています。これほどいい写真はめったに撮れるものではありません。
写真は瞬間芸ですから、ある程度の量を撮らないと、気に入ったものはなかなか手に入りません。
このことは解っているのですが、編集がたいへんだから、たくさん撮ることができません。

 

ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
From Dalian With Love

孫君と柳さん

こんにちは!お父さんです!元気だかね!

今年度結婚式第5弾は、9月28日(日)の孫福貴君と柳瑩穎さんです。
結婚式が昨日と今日の2日連続というのは初めてです。 二人は会社で知り合った社内結婚です。

花嫁の柳瑩穎さんは管理部で総務を担当しています。新郎の孫君は今年の4月に退社しました。
優秀な設計者になる可能性を秘めていましたから、辞めさせたくなかったのですが、本人の一方的な考えで辞めていきました。 辞めるとき、「お世話になりました」と挨拶に来ました。
これから一緒にいい仕事をしたいと思っていたのに残念です。

なぜ辞めるのかははっきり聞きませんでした。が、「給料が安い」というのも一つの理由です。
今までにも設計者はかなり辞めていった。
彼は今、急成長の自動車関連の生産技術部門に就職しました。給料は今の2倍くらいだといいます。
急成長の産業分野ですから、当然、人材は不足しています。
良い条件で自分を売り込める環境が中国にはあります。

「世話になった」と言うセンチな気持ちはこちらの人にはほとんど見られません。
良い条件を求めて、ドライに割り切っています。従って、会社も同様に割り切らざるを得ません。
定着率云々なんて概念は中国では無用なものです。みんな自分勝手なのであります。
お金だけが人生の目的ではないと思いますが、されどお金なんでしょうか?

珍しいかもしれませんが、私は社会人なってこの方、給料について不満を言ったことが一度もありません。(相当な変わり者です(^O^)) つまり、お金のために働いた記憶がないのです。
これは職人であった親父の影響だと、今つくづく思います。

60過ぎの今になってもこれは変わりません。
親父の仕事振りから、金で買えないものの大切さが子供時代から身についたのだと思います。
しかし、お金に執着しない性格ですから、経営者には向いていないようです。(~_~ ;)

大連で若い人にこのことを言うと、わたしは特別だと言います。
現在の中国は私が社会人になった40年前と同じ、給料レベルです。(私の初任給は10,000円)
ですから、私も今の中国の若い人たちとまったく同じ環境の青春時代だったと言っているのです。
しかし、彼らは金の亡者のようで、かわいそうです。

中国社会には、あるいは中国人には、日本人では理解できない何かがある。

さて、
会社は中日合弁ですから、部門にもよるが社員には日本研修のチャンスがあります。
研修期間は基礎知識や作業の基本を習得するため、短い人で半年、通常は1年間です。
研修手当は安いですが、日本での生活費を含め、かなりのお金が毎月もらえます。
1年間切り詰めて生活すれば、帰国する頃には数十万円貯金できるそうです。
ですからみんな日本に行きたいのです。

それには日本で生活するための、最低限の日本語を勉強しなければなりません。
会社も教育していますが、自らも日本語学校へ行って勉強します。みんな一生懸命です。
それもこれも日本研修者に選考されれば、1年間で約10年分の手当をもらえるからです。

今まで結婚した人は、ほとんど日本研修しています。
日本研修後、貯めたお金を頭金にして、マンションを買う人も多いのです。

孫福貴も3年前買いました。このとき私は、招待され、訪問しました(2000.11.12)

家庭訪問も彼が会社を辞めた後です。
今回の結婚式もそうですが、正直言って、出かけることに抵抗がありました。
手塩にかけて育てた人材が、今までの恩義も忘れ、いとも簡単に別なところに変わっていく。
中国では日常的な出来事ですが、日本人の古い価値観を持つ私としては、釈然としません。

今までにも、未熟な段階で辞めた人もいます。
私から見ればまだまだの人材でも、知らない人(会社)は、売り込みにだまされて採用します。
人材が欲しい会社は、少々未熟でも構わないのです。

そのような彼らは、新しい会社に行っても、多分かなり苦労しているのではと推察します。
彼らはたいてい、いままで勉強した内容を生かせる会社(部署)に就職しています。
そして時々、古巣(会社)にやってきます。 ある人はお客さんの立場で、ある人は商売のためです。その彼らを見ているとそう思えるのです。

少なくとも自分の専門について、ある程度極めてからでなければ、どこへ行っても使い物になりません。
のどから手が出るほど欲しい会社から、今よりちょっと高い給料で、甘い誘いを受け、その気になるなどは、思慮が浅すぎる。 残念ですが、今の大連では、特に若い世代にこのような考え方の人が多いのです。憂慮すべきことです。

わたしは事あるごとに、金では買えない大切なのものが、人生にはあるのだと説いているが、理解できる人はいません。 ただ一人、王鴻雁だけは最近少し、理解できるようになって来ました。
人生は短いようで、長いものです。
目先のことにとらわれず、しっかり足元を固め、自分の人生を生き抜いて欲しいものです。

 

ところで「給料」と言えば、中国には面白い現象があります。
大河「長江」を境に南の広州地区(上海や深セン)と、北方3省との平均所得格差は3〜5倍といわれます。
北の玄関「大連」は北方3省の中でも突出した成長都市です。それでも1000元程度です。
が、上海付近は3000元といいます。 なぜでしょう??

仕事ぶり、働きぶりと関係がありそうです。南の人は良く働くそうです。
北の人も南の人に負けないよう、しっかり働けば会社も利益が出て、たくさん分配されるでしょう。
どうやら、ロシア、日本という長い統治下の元、自分の意思で働くということを忘れてしまったようです。

最近では、未曾有の経済発展で少しずつ変わりつつあるが、まだまだサボる体質が残っています。
しっかり人事管理しないと勝手な行動ばかりで、仕事もうまくすすみません。
ながなが、憤懣をしゃべりました。先に進みましょう。

 
孫君は辞めたが、柳さんは今まで通り、社員です。その彼女が案内状を持ってくれば、断ることもできません。出席することにしました。 もちろん常盤さんも一緒です。
 
会場は9月6日宋辰君の式場に近い付家庄の、
「金海岸大酒店」です。
新郎新婦が到着しました。例によって、テープや紙ふぶきで歓迎します。 付き添いは営業の「王海涛」と「許」さんです。

 

 

会場の雰囲気です。 新郎新婦入場。
司会者が場内を盛り上げようと、声を張り上げています。
 
営業課長の李さんと息子です。 王さんの彼女とご挨拶しました。
   
新郎新婦と記念写真
(1回目のお色直しした花嫁はたいへん嬉しそうです)
2回目のお色直しした 新婦と記念写真
   
記念写真@
左から、私の通訳、新郎、副総経理、総経理通訳、新婦、総経理、管理部長、製造部長、わたし。
03092812.JPG (80516 バイト)
 
記念写真A
左から総経理通訳、新郎、管理部長、新婦、姜(jiang1)さん
記念写真B
営業部の全員と
 
記念写真C
管理部の全員と(新婦の職場仲間)
記念写真D
技術部、その他の部員と(新郎の元職場仲間)
 

2003年おしまい(●^o^●)
以上で結婚ブームはひとまず終了です。

ではでは再見!!

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