お宅訪問2000

2000年8月13日、こんにちは!お父さんです。元気だかね!
大連に来て、中国の文化を知りたいと考え実施していることがあります。 それはお宅訪問です。

山本さんからは訪問される家庭がもてなしに困るので止めたほうが良いといわれたが、わたしは私の考えを実践するため、一応くれぐれも大げさにしないよう事前にお話をし、実行してきました。
日本人としては初めての試みのようです。

3ヶ月経った今、定着しつつあります。(^O^)
とはいっても、中国語の出来ない私ですからどのお宅でも良いというわけにはいきません。
そこで、日本語の解る社員に限定してスタートすることにしました。

計画は月2人のペースとしました。
当初は毎日曜日、月4回と考えましたが、さすがにこのスケジュールは無理です。
毎週出かけていると、洗濯とか買い物などが出来ません。

訪問すれば家の写真、家族の写真などいろいろ撮りたいのですが、なんとなく撮りにくい場合もあります。 失礼のないよう了解を貰いながらでは私が知りたい本当の姿は撮れません。
これまでのお宅訪問では、まったく写真のないお宅もあります。 失礼のないように配慮した結果です。

自分が住んでいる家とのギャップを考えると、今の中国の住宅事情は日本の約30年前に相当します。
もちろんこれは大都会、大連の話しです。
実態は私の青年時代、40年前といったほうがいいでしょう。

ですから、写真を撮るのも大変な勇気が必要です。 お宅訪問では必ず、パソコン持参です。
それは私の家族をまず紹介したいからです。特に皆さんの知りたいのが Wo de qizi です。

私のホームページを見せれば私の全てが紹介できます。
そしてそれは平均的な日本の生活文化を紹介することになるのです。
これで一気に両家族は一体化します。面白いものです。
片方はバーチャル(パソコン)、片方は実態、どちらも事実を伝えています。
嬉しいことに、どの家庭でも大変喜んでもらえます。

私がパソコン活用に悪戦苦闘していても、このことで全ての苦労が吹き飛びます。
パソコンを学び、インターネットを活用してきた成果が国籍を超えて生きているからです。
相変わらずですが、かなり理屈っぽい話で、申し訳ありません。 それでは、お宅を紹介しましょう。

5月28日
何 忠
6月11日
王 秀梅
6月18日
趙 陸
7月1日
朱 軍生
7月30日
薫 暉
11月5日
高 海声
11月12日
孫 福貴
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2000年5月28日(日)>「何忠」宅
開発班班長「何忠」君とNC班「張仲偉」夫婦宅。 両親と同居。男の子一人。
(残念ながら写真は撮れなかった。)



2000年6月11日(日)>「王秀梅」宅
通訳の「王秀梅」宅。婚約者の「薛涛」xue1tao1君と同居中。もうすぐ結婚できます。?
未完成の家と若い二人を見ていると胸にじんと来るものがあります。
飯台も茶碗もないのです。 「神田川」を彷彿とさせる新居に思わず、目頭が熱くなりました。

7階建てのアパートが林立している、7階の窓からの眺め。
最上階の7階が一番安い。2DKで13万元(200万円)くらい。
アパート入口で彼氏と熱烈歓迎を受ける。
00081301.jpg (49665 バイト)
     
部屋に入って驚いたのはまだ床がコンクリートのまま。
それでも靴を脱いでスリッパに履き替える。
土間みたいな床に冷蔵庫がデンと構えている。右側は寝室。
コンクリート打ちっぱなしの床、調度類はほとんど何もない。
ガランとした部屋にでんと構えるベッドとテレビ。
この写真は寝室から台所を見たもの。
王秀梅は窓際の厨房で一所懸命料理を作っています。
中国の一般的アパートはすべてこのような設計になっている。
玄関口のこの部屋はいづれ、居間兼食堂となることでしょう。
今はまだ食卓すらありません。 簡単なテーブルを食卓代わりにして、
出来た料理を並べていきます。椅子もまともなものではない。
     
  彼はお酒が飲めない。乾杯で少し飲んだら、
料理もそこそこ食べただけで、休んでしまった。
ベッドの上のノートパソコンは私のです。
机がないのでここで家族を紹介しました。
残った料理はもらって帰り、夜いただきました。
     

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2000年6月18日(日)>「趙陸」宅

通訳の「趙陸」さん宅。男の子一人。
ご主人は清水建設勤務(日本研修経験あり)
マンション「万達高層」は中心街の一等地にある。
28階建ての23階。3LDK。
このレベルのマンションは80〜100万元する。
豪華な室内
中国のアパート形式の住宅は日本のような玄関(靴脱ぎ場)はない。
右の写真に見られるようなドアーの高さと床面が面一のため、靴を脱ぐ場所が室内と一体化している。
日本のように、雨があまり降らないのでホコリだけを落とせばいいのかもしれません。が、室内がホコリっぽくなってしまう。
 
腕白坊主
お父さんは奥に見える立派なコンボを見せたいので覆いを取り払ったが、
とたんにこのお坊ちゃまが触り始め、部品が外れた。
手前のパソコンで私の家族を紹介した。
お昼をご馳走になった後、記念写真。ご主人はラフなランニング姿。
中国ではこのようなスタイルは一般的らしく、失礼には当たらないようである。

ではでは、再見!
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2000年7月1日(土)>「朱軍生」宅
ホルダ班班長「朱軍生」君宅。最近内装したばかりでピカピカ。 費用は約100万円。子供なし。
奥さんは大連外語学院の院生でロシア語専攻勉強中。所得ゼロ。 旦那は大変です。

玄関入って左側が居間。 右側が台所 ドアーには朱さんのこだわりガラスが取り付けられている。
 
中から奥さんがスタイシュに出てきた。
ユーモアのある人ということがわかる。
ここは寝室で、カーテンにこだわりがある。
ここにはクーラーが付いている。
最後に奥さんと記念写真
(圧縮しすぎて奥さんの目がおかしいです)
対不起m(_)m

2000年7月30日(日)>「薫暉」宅
ホルダ班「薫暉」君宅。 お父さんは学校の先生。
マンション名は「教師大廈」といい、入居しているのは学校の先生ばかり。
場所は奥林匹克広場の人民体育場横。 体育場を眼下にする30階建ての28階にある。
同じビルが5棟林立している。出来たのは1995年。 妹夫婦もやってきて大変賑やかでした。

家から近いので散歩方々歩いて行く。 中山路から競技場方向を見る。
右側の高いビルが董暉君のマンションか?右写真は五四路からマンションを正面に見る。
   

奥林匹克広場前の駐車場にサッカープレーの巨大な像があります。

   
これがワールドカップサッカー会場となった人民体育場です。 この競技場の裏辺りに教師大廈はあった。
   
尋ねながら董暉君の棟を探し、エレベーターで28階に上がる。
   
これがご家族です。真ん中が董暉君。
左端がお母さん、右端がお父さん。
お母さんの隣が妹とその子供、お父さんの隣が妹さんの旦那さん。
董暉君が日本で買って来たニコンで私を撮っている。
 

その写真がこれだ!写真を整理していたら結婚披露宴の写真集の中に紛れ込んでいた(2016年2月15日)(●^o^●)
手に持っているカメラはデジカメ1号機230万画素のFinePix2700(富士写真フィルム)>価格59,800円

 
窓から外を見ると競技場が眼下に見える。
これなら、行かなくてもサッカー見られるね(^O^)
   
帰り道、再び駐車場に立ち寄ったら、派手な衣装を着た一団がいる。
大連では良く見受ける舞踏集団である。
これからバスに乗って行くのか?終わって帰るのか?です。
五四路ではポケモン風の日傘を差して歩いている親子がいた。
断って写真を取らしてもらう。

ではでは、再見!
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2000年11月5日>「高海声」宅

彼は沙河口駅裏の疏港路沿いの安アパートに両親と3人で暮らしている。
一人っ子ですからかなりのわがままです。(大連大学卒業)

用意していただいた昼食を食べながら、まだ若いお父さんと白酒を飲み交わす。

白酒も、今日の私のために特別に用意されたものでした。
 

帰りに、中国茶器をいただいた。大切に使わせてもらいます。

2000年11月12日>「孫福貴」宅

訪問したのは婚約し、同棲している「孫福貴」と「劉さん」の新居です。
場所は夕日が静かに沈む、私のマンションから車で約20分くらいのところです。
理工大学の奥、夕日が沈む「西山水庫」という水源池のある大山村です。
私は、ここ「百合山荘」まで歩いて行きました。所要時間約2時間、足が超硬になりました。

 
前方に白く光っている建物群が大山村の団地「百合山荘」です。
この辺り(湾家村?)も徐々に開発されることでしょう。
ここら辺りが大山村で百合山荘という団地です。
団地の裏側にはレンガを積み重ねた昔の住宅が取り壊されていた。 同じような建物が続くのでよく解りません。
携帯で場所を確認しながら進みました。
ここです。6階建てでした。
   
婚約者劉さんとお兄さんが食事の支度をしていました。ご挨拶もそこそこに馳走になりました。
孫福貴はお酒が飲めませんので、お兄さんが私のお相手としてやってきたのではと思います。
これまで何回かお宅訪問しているが、このようなことは中国では普通のことのようです。
   
あつあつの二人にちょっと!ちょっと!でした(^O^)

わたしも記念写真撮りました。孫さんごめんね(^O^)
室内はガランとして、家具などはまだありません。

 
食事の後、孫さんが「酔い覚ましに水庫へ行こう」と、
誘ってくれました。歩いて約20分くらいのところです。
途中、漁師の仕掛けがたくさんあった。
   

ここが、西山水庫です。が、水量は少ないようでした。一応、ダムのようになっています。
「水庫」というのは貯水池またはダムのことです。
 
きれいな池を背景に記念写真を撮りました。
写真には写っていませんが、左側で洗濯している女の人がいました(*_*)

彼は今年、日本研修を終え、アパートの内装を完成させました。
そこでまた招待を受け、7月に2度目の訪問をしました。

誰のお陰でこのような内装が出来たのか、二人は何も考えていない様子でした。
感謝の気持ちが見受けられないのです。

   
早速、歓迎してくれました。暖房も入っています。この辺りはとても寒そうです。 居間はこんな具合です。冷蔵庫とテレビが同居している?
   
明るい台所では劉さんが料理の真っ最中。
台所との仕切り戸にはこだわりのデザインガラスがはまっている。
   
ゆったりとした寝室 完成した新居で記念写真

ではでは、再見!
From DALIAN With Love!

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