2003年4月現在、大連駅横の「天津街」は大改装中です。 | ||
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新装天津街は21世紀型の巨大なショッピングモールです。 この完成予想図近くに並立して、中山広場を上空から撮った写真がありました。 |
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大連駅前横断歩道から、中山広場方面(友好広場)を眺めます。 道路の前方に見える球体モニュメントは、友好広場の真ん中に位置する、大連名物のサッカーボールです。 |
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夜になると七色に輝きます。![]() |
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中山広場から友好広場方面の写真です。 この写真の右側の建物から紹介していきます。 | ||
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ただ、これらの建物がいつ建てられたかとか、歴史的背景とか、については解説しません。 昨年、ここの建築物はすべて、大連市政府の重要保護建築物に指定されています。 それぞれにすべて銘板が取り付けられており、解説の必要もないからです。 |
最初の建物はこれで、こんな感じです。 | |
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隣に移動します。 | |
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2つ目は郵便局です。場所は民康街です。 |
この街の奥に中国で有名な本屋さんがあります。「新華書店」本店です。 私の住んでいるマンションの1階にもあります。目の前に第八中学があるからです。 |
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こんな感じの建物です。 | |
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隣のエキゾチックな建物に進むため上海路を渡りかけたら、 その道の奥に古い建物が見えました。 予定を変更してそちらに行くことにしました。 |
上海路は大変人通りが多い。 上海路と長江路との交差点「勝利橋ロータリー」に面して、 大きな古い建物がありました。 (勝利橋については大連リポート139で紹介しました) |
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この建物は見覚えがあります。思い出しました。蚕布布団を航空便で送った郵便局でした。(番外@) | |
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逆光で写りは悪いですがご容赦ください。 | |
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入口の路上には中国独特の緑色の四角いポストがあります。 また、建物の玄関上部に昔の名前「郵電局」が見えます。 (文字は中国の新字です) |
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コーナーに巨大な石造りの時計があります。 時計は5時10分で止まっています。いつ止まったのでしょうか? |
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上海路方向から勝利橋方向を見ます。路の正面にロシア街の建物が見えます。 | |
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上海路を引き返し、中山広場に戻りました。3つ目は緑色のドームを持つ、ひときわ鮮やかな建物です。 | |
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夕方 | 広場では真っ赤な装束で太鼓を叩きながら踊っていました。 |
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隣の建物「人民文化倶楽部」は4月26日は改装中でしたが、5月11日にはほぼ終わっていました。 | |
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4つ目は何度も大連リポートで紹介した、音楽や演劇の公演会場「人民文化倶楽部」です。 | ||
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4月26日来たときは全体が工事ネットで覆われていた。が、5月には正面が終わっていた。 | |
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バロック風の入口です。 |
民生街から人民文化倶楽部の隣の5つ目の建物を望む。 | 5つ目の建物は七一街に面した、旧中国銀行です。 |
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だいぶ屋根が傷んできました。そろそろ修理しなくてはならないでしょう。 人民文化倶楽部方向を見る。 | |
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6つ目はこの建物の裏にありました。 | |
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7つ目 | |
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8つ目の建物「旧大連市役所」は魯迅路沿いにあります。 旧大連市役所はこの広場で最も大きな建物です。 | |
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旧大連市役所の隣は9つ目の建物「大連賓館」です。 | |
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大連賓館は解放街沿いにあります。 | |
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大連賓館には私が来る少し前、 正面玄関屋上に巨大な電子掲示盤がつきました。 夏になると大勢の人が夕涼みを兼ねて見ています。 |
大連賓館の隣に10個目の建物があります。 しかし、今まで見てきた建物とはちょっと違います。 歴史の重みを感じないのです。ここには昔、 イギリス領事館があったのです。 1995年に取り壊されて、 鉄筋コンクリートのビルができました。現在は銀行のようです。 |
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中山広場の重要保護建築物も最後の11個目となりました。 この建物はネットが掛けられている。 |
11個目は左側の建物です。 ネットで保護されていますからお色直しのようです。 その向うに中山路があり、その右は最初に紹介した「旧朝鮮銀行」です。 |
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全面ネットで覆われており、見られません。もちろん、銘板も見ることはできません。 | |
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完成したらまた報告します。ただ、ここにどんな建物があったかは解ります。 2年前(2001.7)撮った写真がありました。 |
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これで中山広場の名物建築物の紹介を終わります。 ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜 |
2003年6月21日
こんにちは!お父さんです!元気だかね!
中山広場の保存建築物最後の一つがお色直しできました。
まだ、舗道の整備や内装はこれからのようですが、外観は文字通り、お色直しされました。
15日日曜日早速、出かけてきました。まず、保存プレートを紹介します。
友好広場方向、左側の建物です。 | 大連賓館前から。 |
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周りにお巡りさんのいないことを確認して、芝生の中に入り、撮影しました。 | ここも中山路同様に舗道の拡張工事をやっていました。 |
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玄関前も広々しています。この建物ではいったいなにをやるのでしょうか? 完成したらまた、リポートします。 |
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2004年1月雪が降りました。 | |||
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2007年10月、大連訪問でこの建物から保護建築の銘板が剥がされていた。 入口右側下方の銘板を取り外した後が見える。いったい誰が外したのか? 市政府の許可は得ているのか?あの銘板の重みはあるのか? あるいは、民間に売却されたのか? まったく不思議である。 |
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2005年8月>保護建築物を探索(●^o^●) @ 中山広場から魯迅路に入り、すぐのところにある建物に保護建築物の銘板発見(その隣に日本式スナック) |
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蘇聯su1lian2(ソ連領事館)
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A 魯迅路をさらに進むと、いつも保護建築物と思える建物があります。
すでにボロボロの建物です。 登録プレートを探しましたが見当たりません。保存するならそろそろ手当てしないと手遅れになります。 いったいどうするのでしょうか? |
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B 樹の陰に隠れている、この建物は過去(2001年)に一度、
中に入ったことがあります。 「大連図書館魯迅路分館」です(日本占領時、”満鉄”図書館) |
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再度、近づいて確認したら保存建物のプレートを見つけました。 | |
由来の石版も設けられています。中国語と日本語の2国語です。 | |
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改めて建物をよくみました。親子連れが朝食を食べながら休んでいた?開館を待っていた? | |
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魯迅路沿いに旧満鉄本社がある。 |
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2005年8月
中山広場に戻る途中、旧満鉄本社の前に大きな石碑が横たわっていた。 「大連鐡道有限責任公司」と書かれていたが、これも4月にはなかった。 |
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改めて、ギリシャ風バロック調??ロココ調??建物を詳しく観察。 | |
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2007年2月
どこから持ってきたのか「満鉄本社跡」の石碑が通りに面して設置してあった。
春節では夜間照明されるようです。 | |
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2007年国慶節
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2005年8月
4月の時は元中国式カラオケを取り壊し、改装中でした。
が、いま新しい娯楽場が完成していた。
2007年2月
私が大連在住中は一度も開いたことの無い観音扉が開いている。
扉に取り付けられている「満鉄の社章」は真っ赤に塗りなおされ、鮮やかである。
また、頭上には真っ赤な文字で「鉄路文化宮」と大書されたアーチができた。
久しぶりに中に入ってみる。ここには古い建物が2つある。
いつの間にか、これらの建物は「保護建築物」に指定されていた。
正面の建物は元「連鉄劇場」であった。
右の建物は「大連倶楽部」で、日本人の憩いの場所であった。
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旧 満鉄共和会館(1945年改築>ソ連鉄道倶楽部) 1953年改築>大連鉄道工人文化宮 |
旧 満鉄大連社員倶楽部 |
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裏側2階に図書館が出来た。どんな図書館なのか?
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正面の青い屋根が「連鉄劇場」、右の赤い壁が「大連倶楽部」 |
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連鉄劇場 |
大連倶楽部 |
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大連倶楽部は日本式カラオケクラブでした。
雰囲気が私にはピッタリで、よく遊びに行きました。
こんな感じです。
日式カラオケスナック「大連倶楽部」は囲碁荘になっていた(^レ^;
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勝利橋の正面にとんがり帽子の屋根を持つエキゾチックな建物が目に飛び込む
2005年4月>改修工事、屋根吹き替え
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大連芸術展覧館
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2005年8月、改修工事が終わりました。
2009年1月
2005年4月
勝利橋を渡り、右側に青色の屋根の古風な建物がある。近づいて良く見ると、これも保護建築物
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2005年8月>詳しく 調査 | |
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