海 王 九 島

2001年5月1日〜3日
hai3 wang4 jiu3 dao3

2001年5月27日、こんにちは!お父さんです。元気だかね!

ちょっと遅くなりましたが、5月のゴールデンウイークをリポートします。
4月の半ば頃、連休でも特にやることの無い私のためを思って、会社の仲間が小旅行を計画してくれました。 しかし、5月の黄金週間は大型連休を楽しもうという人で、どこの旅行社もいっぱいの人です。

今回の旅行計画は本当に小さな旅行社(大連億朋旅行社)の企画でした。
私も一度そこへ行きましたが、事務所はマンション近くのボロボロの5階建雑居ビルの最上階にあり、狭い一室に社員3人くらいが忙しそうに仕事していました。
私を見ると「日本人?」と質問し、愛想よく「請座請座」と椅子をすすめる。

企画は「海王九島三天二夜游」つまり、「2泊3日で海王九島を楽しもう」です。
費用は一人390元(約6000円)

会社でいっしょに行く人が10人ほど集まりました。
出発当日の5月1日は人民広場反対側に9時集合です。

マンションに宮さんと彼の弟が迎えに来てくれました。弟さんは初めてお会いします。
兄弟よく似ています。 昨日準備した飲み物や菓子類を運んでもらう。
アサヒ缶ビール一箱、ジュース「露露」適当量、果物、ゆで卵、菓子などです。

人民広場の裏通り(ライブハウス「ノアの箱舟」のある通り)には、大小さまざまなバスが待機していました。
みんな連休を利用してどこかへ行くのでしょう。人でごった返している。
我々の乗るバスは20人乗りくらいのマイクロバスだった。

旅行社との当初契約では「貸切」ということのようであったが、バスには既に知らない人も載っており、補助席も使ってほぼ満席です。宮さんは約束が違うといって旅行会社のガイド嬢に食い下がっていたが、ときは既に遅い。

金は先に払っており、気に入らないからといって止めても、もう戻ってこない。
騙された気持ちで腹立たしいが、最早、後の祭りである。我慢するしかない。
だが、私にとっては知らない人がいっぱいのほうが、結果的には楽しかった。

ギューギュー詰のバスは一路「海王九島」目指して出発しました。
「海王九島」は呼んで字の如く、島です。
大連市内から「黄海」沿岸線を高速道路で約2時間のところにある「庄河市」の「海洋楽園」にあり、海洋楽園は庄河市の港から船に乗って、さらに約3時間くらい南下したところにあります。 地図を見てください。

我々の宿泊施設は九つの島の中で最も大きい「大王家島」にあります。
篠島程度の島です。

 
それでは第一日目の写真です。
バスの中 庄河市市内で昼食>
珍しい毛沢東の肖像画が頭上に掲示されていた。
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庄河港
 
乗船切符>三等切符15元  
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船内風景2景(子供があやとりをしていた)

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宮さん兄弟(それにしても良く似ています)

 
庄河市港から大王家島の港までは船で約3時間でしたが、霧が深く、何も見えません。
残念です。 多分、途中で漁をしている船とか、島などが見えるはずです。が、何も見えません。まことに残念でした。
このような状態を中国語で「看不見」と言います。 船の中でじっと3時間は辛いものがありました。
 
大王家島港
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民宿「新世紀度假村」の玄関。 ここは辺ぴな田舎島にしてはなかなかきれいな民宿でした。 次回はそれをご紹介します。
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ではでは、再見!
From DALIAN With Love!

2001年6月3日、こんにちは!お父さんです。元気だかね!
大連リポート63は引き続き「海王九島」です。

さて、中国を旅するとき、一番気になるのはトイレです。
私が8年前、北京・西安・成都を2週間ほど旅行したとき、困ったのはトイレでした。
外国人がたくさん来るような観光地でもなぜかトイレは私が子供の頃の便所そのままでした。
いやそれ以上です。

汚い、臭いは便所ですからやむをえないが、隣との仕切りやドアのない便所が多いのです。つまり、
隣の人も丸見えの状態でトイレするのです。これでは出るものも出なくなってしまいます。(^レ^;

わたしはまだ子供の頃経験ありますから我慢できますが、若い人はとてもいやでしょう。
 多分、2度と来たくないと思うでしょう。
そういう話を聞いて、中国観光はいやだという人もかなりいるといいいます。

しかし、この民宿は結構清潔でした。ドアもあり、水洗なのです。水もちゃんと出ます。
なぜこんなことを言うかというと、水洗の水が出なかったり、水圧が低くて流せないことも多いのです。
従って、前の人のうんちが残ったまま、ということなのです。
また、驚くことに、水が出るのに流さないで、そのままにして出て行く人もあります。

ずいぶんいろいろ中国の悪口を言いましたが、これは事実です。
私はいつもこのようなトイレを使うとき経験します。
中国文化の中で国際化が一番遅れている部分がトイレです。
しかし、トイレをいくら水洗にしても、流してくれなければ意味がありません。
中国人のトイレ習慣が変わるのはいったいいつになるのでしょうか?

このひなびた休暇村になぜこんな立派なトイレがあるのか驚きです。
多分、大連市などの都会から来る観光客の声を謙虚に聞いているからだと思う。
さすがにトイレの写真までは撮りませんが、室内の雰囲気を見ればどのくらい清潔か、お解りいただけると思います。
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ここの服務員(女性)がこれまたたいへん気の付く、好人なのです。表彰してあげたいほどです。
 

島に着いて、少し休憩した後、島の旧跡巡りです。
このバスで行きます。 会社参加者全員で記念写真。

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ここで、たいへん珍しいものを見学しました。
旧日本軍(関東軍)の要塞です。 写真を見てください。灯台、砲台、トーチカなどがあります。
 

灯台遠景(要塞トーチカ上から撮影)

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灯台>灯台建立>康徳六年(西暦1936年)
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旧日本軍の置き土産 こっそり乗ってみました。すみませんm(_)m
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こんなところでも、結婚記念写真を撮っていました このあと向こうに見える山頂の要塞を見物します。
バスに乗って、向うの港までぐるっと廻ります。
 
バスを降り、長い階段を登ると、眼下に港が見えます。 階段を登ると右手に、今は閉鎖された砲台用の要塞がある。
 
頂上への途中にも、砲台がいくつもある。
中に入ると、迷路のような通路は複雑につながっていた。
その要塞の上には、岩肌に山ツツジが可憐に咲いていた。
この山道を登って、トーチカのある山頂に向かう(これは灯台側から見た写真)
 
要塞頂上のトーチカ
 
 
 
 

ガイド曰く
「今日は日本人がいますので説明しにくいのですが、この灯台や要塞は一人の日本人の指揮のもと、非常に短時間に作られたものです。 日本人というのは、すごい国民です」

いつもこんな説明はしていないと思うが、今日は私のために少し内容を変えたようです。
しかし、要塞を見て、彼の説明は十分納得できました。
私も人生60年、こんなものは見たことがありません。
私たち日本人のほとんどが知らない事実がここにはあります。
私が生まれる5年程前、つまり、今から約65年前にどのくらいの人数の日本人か解らないが、この地で生活していたのです。

この要塞を見て、私は本当に感激しました。
 時は5月。大砲庫の山肌にはたくさんの山つつじが咲いていました。
このつつじは、もう50年以上も咲いてきたのではないでしょうか?
なんとも物悲しい、哀れな風情でした。一句浮かびました。

「戦いを偲んで悲しい山つつじ」

この句を、この戦いの巻き添えを受け苦しんだ島民と、ここで戦い敗れ、故国の地を踏めなかった日本人のために捧げます。

ではでは、再見!
From DALIAN With Love!

2001年6月9日、こんにちは!お父さんです。元気だかね!
続いて「海王九島」です。

二日目は午前中「釣り、潮干狩り」、午後は「九つの島巡り」です。

その前に食事についてお話しておきましょう。
到着した日の昼食は庄河市の街の食堂でした。
内容のあまりのお粗末さに驚きました。これは旅行業者に騙されたかなと不安でした。

しかし、豪華な夕食を見て安心しました。 さすが、島です。新鮮な海鮮がいっぱいです。
そして、最後の日まで食事は満足すべきものでした。

さて、二日目も天気は昨日と同じく、深い霧に包まれて遠くがよく見えません。
従って、楽しみにしていた海に沈む夕日「晩霞」は見られません。
この「晩霞」は残念ながら、三日間とも駄目でした。

「九つの島巡り」もあまりよく見えなかった。
よく見えないと言うことを中国語で「看不見」といいます。

何しろ三日間とも深い霧が島全体を包み、晴れることがなかった。
島のガイドもこんなことは珍しいと言い、暗に我々の心がけが悪いからだと言わんばかりであった。

バスで島のはずれの海岸に出る。にわか作りの釣竿と潮干狩り用のかぎを持って。
写真を見てください。どちらも大まかな道具です。

 
特にかぎは鉄棒を曲げて先端を尖らせただけのもの。
かすがいのような形です。
つりは引き潮で全く駄目だった。潮干狩りは逆に好調だった。
貝は「あさり」だけであったが、みんなで必死に採ったお陰でたくさん採れた。
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潮を吹かせ、今晩、酒蒸しにしてもらおう。
アサリに潮を吹かせるため、海水を買い物袋に入れて休暇村に帰る。
海水を入れた袋を若い人が持ってくれたのはいいが、途中で穴をあけたらしく、着いた時は空っぽであった。

洗面器にアサリを入れ、私は急いで近くの海岸へ海水を汲みに出かけた。
帰ってくると、アサリは既に水の中。聞けば塩も入れていない真水という。
「ばかもん」と大きく怒鳴って、これをすぐ捨て、今汲んできた海水と交換。

しばらくすると、アサリが動き始めた。太好了!
みんなになぜ潮を吹かせなければならないのか。 なぜ真水でなく、塩水でなければいけないのか。
このとき、なぜ海水がいいのか。など少し説明せり。

海に囲まれた大連の若者なら子供のときから潮干狩りはやっているはずなのに、知らないのである。

昼食後少し休憩してから、次の予定である「九つの島巡り」に出かける。
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島巡りは20人乗りくらいの屋根のない小型船である。みんな思い思いに乗り込みます。

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楊さんと劉くんがとても仲良くしています。どの程度の愛なのかまだ解りません(^レ^;

 

折角ですから、私も船の上の写真を撮ってもらいました。
が、こんないたずらされているとは家で写真見るまで気が付きませんでした。
ニャロメーーーー!

 
楊さんがなにやら狙っています ⇒ ピースなどやっています ⇒ とうとう悪がきの本性がでました。

 
島のあるところまでが約1時間、島巡り約1時間、帰り約1時間の計3時間であったが、この日は非常に寒かった。 そして何よりも残念なことは霧が深く、看不見なのである。 写真の映りは悪いが少し見てください。

帰りの船は寒くてみんな震っていた。 港につくと我先にと走って帰った。
私も子供とかけっこをしたが、この後大変なことが起こりました。
これはまた次にリポートします。

ではでは、再見!
From DALIAN With Love!

2001年6月10日、こんにちは!お父さんです。元気だかね!
「海王九島」3日目、最後のリポートです。

前回リポートの意味深な「大変なこと」から報告しましょう。

寒くて身体が凍るような島巡りを終え、陸に上がってから子供とカケッコしたのは良かったのですが、前を走る子供が急に止まったので、ぶつかりそうになった。
もしぶつかると子供を跳ね飛ばし、怪我をさせてしまうので、とっさに私は身体を横に倒し、転んだ。

倒れたのはコンクリートの岸壁であったため、手足を強打した。
左手の小指、薬指、中指の関節部分、左足ひざ関節部分、右腕ひじを強く打って擦傷した。
特にひどかったのは左手の傷で、血が吹き出ていた。

自分の身体より何より気になったのはデジカメです。
転んだとき、デジカメをコンクリートにぶつけてしまったのです。
急いで作動を確認したが、レンズキャップがうまく動かず、レンズが前に出てこない。
これは大変だ。怪我は治るが、壊れたカメラは今日明日には直らない。
とすると、このあと写真が撮れない。 貴重なこの旅行の記録が出来ないのは、誠に残念です。

左ひざは打撲で歩けないほど痛い。宿舎の休暇村のすぐ近くに島の診療所があった。
バスは臨時にここへ立ち寄り、私を治療してくれた。
島の人口と比べると、立派すぎる診療所であった。

女医さんが丁寧に消毒し、マーキュロを塗ってくれた。
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夕食まで静かに仮眠した。
夕食は潮干狩りで採った、あさりを酒蒸しにしてもらった。あまりに多いので全員に振舞った。 半日潮を吹かしてあったので、砂もなく、大変うまかった。

さて、3日目は午前中自由時間(島の市場で土産を買う)で昼食後帰路につきます。
島の市場では、通常その日に採れた魚やかにが並ぶが、今日は連日の悪天気のため漁は不調で、残念ながらめぼしいものがない。

幸いにもカメラのレンズは動くようになった(^O^)/この時ほど神のご加護を感謝したことはない。
異国の地で記念すべき風景を残すことができないほど残念で淋しい事はない。非常感謝!

 
折角の自由時間であるからと、島の中を写真を撮りながら散歩した。
島全体が漁を生業としているため、家には魚網や浮などがうずたかく積んである。
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島のおばさんは本当に屈託がない。 潮焼けした顔と大きな声がとても印象的だ。

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丘の中腹にはお墓がたくさんある。お墓には通気口のような窓がついている。 どんな意味があるのであろうか。
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最後の写真は休暇村の裏山から美しい景色を背景に撮ったものです。
Vサインの左手指に包帯が見えます。
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ではでは、再見!
From DALIAN With Love!

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