2003年8月10日〜16日
8月13日(水)は朝6時に起きて、ホテル前のタクシに延吉市までの料金を聞く。 私が150元でどうだ。というと、250元ならOKという車が現れた。 発車時間は6:45。 食べかすは例によって、ゴミ袋にではなく、バスの床にかまわず捨てるのである。 |
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龍井市から延吉市まではできたばかりのような、高速道路がある。料金所の事務所も中国風です。 | |
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龍井市を10:30頃通過すると約15分で延吉市に到着。 ホテルを探さなければなりません。そこで、市内の途中で下車する。 建物の看板を見て驚きました。すべてにハングル文字が譜ってあります。 |
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この地方の地図を買おうと、アチコチ聞いて回りましたが、ありません。 舗道に設営された小店にも雑誌はあるが、地図までは持っていません。 困りました。地図にはホテルの名前も載っていると思ったのです。 そこで、本屋さんの場所を聞いたら、すぐそこに「新華書店」があるという。 今日はとても暑い日です。 大きな旅行用のバッグを持って、私は汗だくだくで歩きました。 私たちは公園を見たいのではなく、ホテルを探したいのです。 私はビール(10元)とソーセージ(6元)を頼む。トイレに行きたい。 改めて、地図を見たが、よく分からない。 これでは何のために連れてきたか分からない。 これも全部、私一人である。呉さんはどこへ行ったのかそこらにいない。よほどこういうことが嫌いなのであろう。 |
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ホテルの前に花屋さんがあります。ホテル名もそうですが、ハングル文字がふってあります。 | ||
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ここに江沢民の書「中国前門口岸」と書いた碑がある。遠景に北朝鮮へ通じる橋がある。 | ||
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国境の碑の前で | ||
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巨大な門がある。名前は「中国前門口岸」。左の写真(柵のある入口)で境門登上料30元を払い入場した。 | ||
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この門の向こう側に橋があり、その中間が国境です。 橋の中間辺りにはたくさんの人が歓声を上げています。 私たちも行ってみました。みんな記念写真を撮っています。 そうです(^O^)ここが国境です。 |
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紛れもなく、ここは国境でした。私たちも写真を撮ろうとしていると、軍服を着た係官が寄ってきて、撮ってくれました。
なかなか粋なはからいに驚きました。ここは中国政府にとっても重要な観光地なのでしょう。 北朝鮮に足を一歩踏み込んで写真を撮りました。呉さんは感激していました。 |
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国境の橋の上から北朝鮮をみます。橋の周りに少し建物がある程度で、うしろは青々とした山でした。 | ||
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門に登ってみました。上にはビーチパラソルで日除けされた、売店があり、お土産を売っていました。 朝鮮系の人が、飲み物を注文しました。 小さいポリタンクに入っています。 これを紙コップに注いで、スルメのようなつまみを食べながら飲んでいる。 その前では無料の双眼鏡が用意されており、北朝鮮を見ることができる。 呉さんは是非見るのだと、並んでいる。 |
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北朝鮮へ通じる、国境の橋です。 | デジカメの3倍ズームで橋の向こうを見る。 そこには顔を描いた大きな画が掲げてあった。 多分「金日成」でしょう。 北朝鮮側からこちらに来る人がいます。 |
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改めて、右と左を眺めます。 | |
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門の上から中国側を見ます。左方向には駐車場と土産物売り場、右の写真は門正面です。 | |
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呉さんはやっと双眼鏡の順番が回ってきたようです。 私も勧められたが、何もなさそうだったのと、後で待っている人の視線が気になって止めました。 この中にデジカメを持った人が2人いました。もちろん、日本人でした。 |
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タクシーの運転手がいつまで見ているのだ! と、言わんばかりの顔で私たちを見ている。200元だからそんなに時間はないのだよ。 と、言いたげであった。来たときと同じ道を帰る。 帰り道で運転手に飛行機の切符売り場を尋ねた。帰りも汽車では身体が持ちません。 幸い「延吉市」には飛行場があり、大連行きの便もあることを、事前に調べてきた。 ホテルのフロントでも聞いたが、はっきりしない。 小さなホテルだから、飛行機に乗るような客もないのか、よく解らないが、まったく要領を得ない。
タクシーの運転手は航空券の予約場所を知っていた。延吉市に着いたとき、最初に行った青年湖公園だと言う。 足も痛いので、あまり歩きたくはない。ブラブラ歩いたが適当なところがない。 呉さんは食欲がなかった。冷面を半分以上残してしまった。 |
8月14日(木)、
今日は予定が1日延びたので、ゆっくり起床した。 8:15頃メイドがやってきて、室内の清掃を15分くらいで済ませた。 1日延びたことで財布の中身が心配になってきた。明日もここに泊まると220X2=440元が追加出費である。残りが1000元しかない。
従って、今後は金のかかるタクシーではアチコチ移動できない。 今日は、汽車に乗って、ロシアの国境付近に行き、そこからタクシーで国境の町「防川」に行く。 全さんはこんな感じの人です。ちょっとふけて見えるが、私と同じくらいでしょう。 その後、なぜかカラオケに行こうといわれ、再びお言葉に甘えて付き合う。 全さんは張りのある声でとても上手です。 |
帰りも同じ道をタクシーで帰りました。 日暮れまではまだ時間があるので、延吉駅を見に行きました。 駅名はもちろんのこと、すべての看板にはハングルがふってあります。 |
駅から正面の大通りを見る。 | |
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駅に入って見ました。壁面には大きな長白山天池が描かれています。 | トイレは昔風のオープン型式でしたが、きれいに清掃され、清潔感がありました。 | |
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ここ延吉市は松茸の産地かもしれません。 |
しばらく進むと、自動車屋があった。三菱のパジェロが停まっていた。 |
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8月15日、
今日は17:35発大連行きの飛行機で帰るだけです。 |
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それでも、時間は有り余っています。池にはボートがありました。 そこで、時間つぶしに乗りました。料金は1時間10元。 30分くらいで飽きてしまいました。 |
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手前で停めてもらい全体の写真を撮ります。 小さな空港です。大連空港の半分くらいです。 |
空港もハングル表示があります。お客さんも少ないようです。 採算性ではなく、必要だから設置しているのではないでしょうか?。 これが社会主義国の良さかもしれません。 広い駐車場ですがほとんど車がありません。 |
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こんにちは!お父さんです!元気だかね! いよいよ最後の長白山リポートです。 |
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閑散とした延吉空港ロビーです。 ここで約1時間半ほどぶらぶらしていると、搭乗手続きが始まりました。 |
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搭乗券をもらって、通関するとき大事件が起こりました。 パスポートがコピーだったからダメだと言うのです。ビザが確認できないという。当然です。 過去にもこのようなことがありました。そのとき教えてもらったのは、パスポートがコピーでも、大連市の居住証があれば良いと言うことでした。 そこで、遊びで旅行するときは安全のため、本物のパスポートは持たず、コピーにしたのです。 飛行機代1800元は大金だから、航空券の払い戻しをして、明日帰りたかった。 明日の汽車がないと、帰りは明後日17日日曜日となる。 |
軟座は一人265元ですから、残りは160元です。これだけあれば、ぎりぎり帰れます。 汽車に乗って、寝台に座ったとき、ほっとして、どっと疲れが出てきた。 呉さんは若いです。トランプを始めました。 |
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汽車が動き始めた。眠くなった。少し寝たようです。 しばらくして、女性が入ってきた。大連に仕事しに行くといっていた。30歳は過ぎている。服装や仕草などが水商売風である。 しかし、これは誤解であった。中国人女性は、普段から衣服や靴やイヤリングなどのアクセサリーが、かなり派手です。 ですから日本人から見ると、銀ぎらぎんのおばさんに見えても、中国では極々普通なのでしょう。本人はあまり気にしていないようです。 |
8月16日(土)になりました。
行くときは食堂車では食べていません。帰りは食べてみようと入りました。が、お粗末でした。 | |
まだ、利用する人は少ないのです。
客は若い女性が2人いました。 彼女たちは飲み物だけ注文し、食べ物はなにやら持参していました。右は調理場とウエートレス? |
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帰りは昼間が多いので、窓の外がよく見えます。 日本も同じですが、車窓はあまり代わり映えありません。 それでもじっと眺めていました。 |
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同室した女性と呉さんはよく話をしていました。大連の様子など聞いていたのかもしれません。 この女性は大連に着くちょっと前に着替えました。薄いグリーンの落着いた服装です。 髪も丸髷を少し変えました。服装が変わると別人のようです。 女は化け物なんでしょうか。これから仕事をするというイメージに変身しました。 大連は雨模様の天気でした。若い呉さんもさすがに疲れています。彼女の住い、学校の寄宿舎まで送りました。 マンションに着いたとき、手持ちの金は100元を切っていました。波乱万丈、ヒヤヒヤの旅行でした。無事、帰れたことを感謝しなければなりません。 |
みやげはこのタバコ「長白山」一箱です。 |
これで、大作「長白山」旅行記を終わります。
ながながのお付き合いお疲れ様でした。
ではでは。再見!(^O^)/〜〜〜
From Dalian With Love