中 山 広 場

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2000年10月1日(国慶節)の町の風景をリポートします。

巨大な国慶節の飾付け「空気アーチ」。子供連れが遊んでいました。

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2001年7月15日>ぐるっと広場を1周

歴史建築物の宝庫「中山広場」をスライドショーで堪能ください
@ WMV>サイズ10.1MB(640X480)
A MP4 >サイズ19.5MB   (全画面)

2001年7月29日 2001年9月15日
2001年9月15日
2001年9月15日

2001年10月>日本式たこ焼き屋台開店

2001年11月18日

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2002年2月4日>春節

中山広場は見事な飾り付けです。グルッとご覧ください。

港湾広場方向
 
  友好広場方向                     大連賓館方向
 
 
2002年3月5日
 
 

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2003年4月

2003年4月>天津街改装工事現場に掲示された看板

広場周辺を含めて、建物を詳細に観察

郵便局

中国銀行、文化会館 

周  辺
 
 

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2004年1月21日>春節大晦日

中山広場の昼と夜
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復元した保存建築物「遼寧省外経貿委合作事務所」
(夜の写真は画像ソフトのぼかし機能で街灯を消してあります)
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中山広場につながる中山路には、光のカーテンが頭上に輝いています。
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それでは、光の祭典「中山広場」をぐるット紹介します。
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なんだこの写真は?と思いますか?ごく普通の風景のようです。
が、よく見てください。この寒い日でも掃除のおばさんがいます。ご苦労様m(_)m
汚さなければ、掃除する必要はないのですが?しかし、あまりきれいでは彼女たちの仕事がなくなります。
ですから、ある程度はゴミが落ちていないといけません。つまりは雇用対策でもあるのです。
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反対側にきました。
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昼と夜の撮影ポイントがちょっと違います。
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中山広場の中央部に立ち、左回りに四方を撮る。 友好広場方向、大連賓館、港湾広場方向、中国銀行址。
 
まずは友好広場方向。中山路はここが終点です。
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大連賓館。 電光掲示にはいろいろ出ていたが、うまく写りません。
例えば、「新年快楽」とか「拜年」のあとに広告が入ります。また、大連市の宣伝映像もあります。
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港湾広場方向。ここから人民路です。
この方向には日本人観光客がよく泊まるホテルがあります。
香格里拉酒店(シャングリラ)と富麗華大酒店(フラマ)です。
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次は緑色のドーム屋根「旧中国銀行」です。ドームに雪が積もりエキゾチックです。
久しぶりに来ましたが、いつの間にか後に巨大なビルが出来ています。
先鋭的なデザインですが、なぜか旧中国銀行と調和が取れています。
まだ建築途中ですから照明もありません。完成したら、ライティングされさぞかしきれいでしょう。
大連の新しい名所となりそうです。 その時はまた、紹介します。
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中山広場には地下道が二つあります。中山路と人民路へ通じる部分です。
ここを渡る人がたくさんいるからです。
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地下道を通って、地上に出たところで、もう一度広場を見ます。
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2005年4月

大連賓館の窓からみた早朝景色>右側が渤海大酒店、左側が大連五一国際酒店。
中央に見える低い建物は鉄路医院(鉄道病院)。
今日の予定は黄河路のその後を確認することと、西安路にできた「大連商業城」をウインドショッピングすることです。 そして、夕食は楊さん、王さんと一緒です。まだ、場所は決めていませんが、飲茶などいいなと思っています。

さて、今日の 行程ですが、ホテルから中山路を通り、駅前長江路から、旧電子城前を通り、黄河路に入ります。 大連市政府までの完成状況と、その対面の開発状況を確認します。

ホテルを出て、中山広場をぐるっと見回します。
こんなに早く、この広場に来たことはありません。
景観に変化はなさそうですが、ホテルの横と広場の中に公安の車が停まっています。

反日デモが各地で起こっていますから、警戒しているのだと思います。
この状態は私が帰る21日までずっとでした。多分、私が帰った後も、この警戒体制は継続しているのではと思います。 ただ、日曜日17日が山です。この日は中国全土で反日活動が起こると言われています。ここ大連ではどうなるのか興味深々です。

 
 
広場の中央部で民族芸能の練習をやっています。
温かくなってくるとこのような自主文化活動が活発化します。
小太鼓と踊りのセクションが交互に練習しています。
中央には指導者らしき女性が振り付けながら大きな声でリズムをとっていた。

2005年8月

中山広場では家族連れが鳩と記念写真を撮っていました。鳩は餌を目当てに集まってきます。
 
大連の女性交通警察官はファッションモデル並みのスタイルを誇ります。
そして、要所には必ず配置されている。日本も見習ったら交通事故が少しは減ると思う。

今回の大連訪問での新しい発見その1>かっこいいミニパトカー

夜、ぶらっと広場を散歩すると、猿の見世物があった。 「老人と海」ならぬ、「老人と猿」です。
老人の前には賽銭箱が用意されており、その前で若者のカップルが老人となにやら話し込んでいた。
猿は誰にもらったのか、アイスキャンデーをうまそうにもくもくと食べていた。

若者が立ち去り、見物人が減ったので、私は1元寄進して立ち去ろうとした。
その時、上海路から公安2人が老人に近づいてきた。
老人は急いで賽銭箱を片付け、何食わぬ顔をしてそこに座った。
公安は「ここで何している?」とか何とか、質問しているようであった。

老人は悪びれる風もなく、ニコニコしながら猿を小脇に抱え、静かにその場を立ち去った。
公安はそれ以上追及はしなかった。 公安も立ち去り、あたりは、また元のような平穏さを取り戻した。

中山広場の真ん中を突っ切って向こう側に出ようとしたとき、今までなかったものが見えました。
左の大木(雪松)の下に見える茶色いものです。

茶色い石版には「大連中山音楽広場」と大書されている。
寄贈者は大連冰山集団と合弁事業している、「三洋電機の井植 敏先生」と書かれている。
寄贈は1995年10月ですから、どこかにおいてあったものをここに移設したのでしょう。

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2007年10月>国慶節

9:40>広場を見ると、ロータリー車道に車が止まっている>車の衝突事故のようだ!

中山広場の保護建築物は夜になるとライトアップされてとてもきれいである。
今日は雨で濡れた道路に反射して、特にきらびやかである。

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