第62回神宮式年遷宮「御木曳き」

 

20年に一度の伊勢神宮最大のお祭り「式年遷宮」の行事
「お木曳き」(おきひき)の「陸曳」(おかびき)に「一日神領民」として参加しました。

お木曳きは遷宮(平成25年/2013年)の7年前(平成18年/2006年)に2年次に渡って執り行われる。
建築に必要な材木(檜)約1万5千本を長野や岐阜の御杣山(みそまやま)から伐採し、
これを昔ながらの方法で外宮と内宮に奉納する行事です。

現在、65歳の我が身としては、これが参加できる存命最後の式年遷宮となる。
20年後の85歳では多分、身体のアチコチにガタがきており、無理でしょう。

私にとって一日神領民として「お木曳き行事」のチャンスは過去に2度ありました。
昭和48年の第60回(1973年)と平成5年の第61回(1993年)です。

この「お木曳き」は元来、伊勢の神領民に許された特別の行事だったようですが、第60回(昭和48年、1973年)の式年遷宮から伊勢以外の全国民が「一日神領民」として参加できるようになった。

従って、私が11歳の昭和28年(1953年)第59回式年遷宮は権利なしでした。
次の第60回式年遷宮(昭和48年)は人生の岐路に立ち「いかに生きるべきか」を真剣に考えていた時でしたから、このような行事にはまったく感心もありませんでした。

次の第61回(平成5年ー1993年)は熟年51歳でしたが、お木曳き行事に付いて無知でしたから思いもかけていませんでした。
ただ、20年に一度の式年遷宮については当時、子供達を連れて毎年正月に伊勢参りしていましたから理解はしていました。

この年1993年は1月2日に家族5人で8回目の伊勢初詣を行いました。
しかし、家族全員参加の伊勢参りはこれが最後となりました。
子供たちも大きくなり、大学生活で多忙です。また、私も会社幹部として正月休み返上で新年度の経営戦略・戦術を考えなくてはなりません。
ということで、5人全員がOKということが難しくなったのです。

ちょうどこの年(1993年)はこのホームページで連載中の「1993中国見聞録」にてお分かりの通り、3月に中国の北京・西安・成都を2週間かけて日中人材交流の旅に出ていました。

私達家族の最後の伊勢初詣は1996年(平成8年)です。
この年は一番上の子供が無事大学を卒業するので、お礼参りをしたかったのです。
そこで、無理矢理連れて奥さんと3人で出かけました。(2人の子供は無理でした)
この年は「お伊勢さん2000年」のお祭りが行われていました。

蛇足ながら、昔の写真をスキャンして、ご紹介します。(若々しいお父さんお母さんでした)

 

 

 

今回第62回から、今までとは変ったお木曳き行事となったようです。

その@ 従来は主に長老による行事であったが、次代を見据えて20〜30代の若い衆が全面参画。
そのA 「神事に女はご法度」とは昔からの慣習。これを打ち破り、曳き手、木遣りに女性大参画
そのB バリアフリーお木曳きで障害者も式年遷宮に積極参画。

新聞報道によれば、障害者お木曳きは5月6日(日)生憎の大雨の中、雨合羽を着た参加者23人(車いす、視覚障害、聴覚障害)が2列になって綱を曳いた。ただし、この日お木曳きに参加したのは障害者のみの貸切行事とされた。

陸曳(おかびき)最終日の6月3日(日)は過去2年間の行事でも最多の2万5000人が訪れている。
今年15日間の陸曳で全国から参加した一日神領民は約4万2千人、観客は19万人とのこと。

このあと7月下旬の川曳(かわびき)(7月21、22日と28、29日の土日4日間)でお木曳きは終了。
(川曳は用材を木ぞりに載せ、五十鈴川をさかのぼり内宮に納める)
川曳きは地元神領民と神学校の学生などによって奉曳され、一般住民は参加できない。

一般が参加できるのは平成25年(2013年)の完成した神殿の敷地に白石を敷き詰める「御白石持行事」(お しらいし もち)だけとなる。
私は元気なら71歳になっておりますが、この行事の参加募集があれば是非応募したいです。

26日のお木曳き前に二見浦に浜参宮して心身を清めなければなりません。
そこで、出発は前日の25日(金)9時とし、ゆっくりと伊勢への旅に出ました。
折角ですからと、途中2つほど神社にお参りする旅程になっていました。

2007年5月25日(金)

今日は二見浦で心身清めのみそぎがありますので、家を出るときからお木曳き装束で出発します。

神事に望むということで、装束はすべて白が要求されています。

法被、鉢巻、帯は別途購入したものです。
丸首シャツ、ズボン、軍手、靴などは適当に準備するつもりでいました。

ズボンは白のジャージーがあったのでこれを流用。
靴はどうしようかと思案していたが、亀崎潮干祭りで「わらじ」を売っていたので、ピーンとひらめいた。
白足袋にわらじを履けば文句はないでしょう(^O^)そこで、わらじを一足購入650円であった。
この風体を奥さんから反対されたので、カーマで買い物ついでに調べたら白のゴム靴を売っていた。
なんと500円だった。このほうが履き易いので決定。

出発前に記念撮影(靴だけ違います)
モモは昨日、左前足裏にできた腫瘍を切除するため、
全身麻酔で2時間の大手術をしました。
今朝はもうピンピンしています。

ただこの装束は正直言って、気恥ずかしい思いです。

お木曳きでは全員同じ装束ですから、違和感ないが、
途中工程でのトイレ休憩などでは一般の人から物珍しく見られることでしょう。

日本人と言うのは集団で何かやるとき、このように一糸乱れぬ井手達で望むことが多く、
特に、外国人から見ると異様な印象を与えるのではないでしょうか(^レ^;

しかしです。このような懸念は取り越し苦労でした。

途中工程では我々のようなお木曳き行事参加者を乗せたバスがそれはもう何十台と走っており、
有料自動車道のサービスエリアではこのようなバスで埋まっていました。
つまり、今日明日は伊勢方面への道路は我々のような人々で埋め尽くされそうです。
至るところ一日神領民ばかりで、どこへ行ってもまったく違和感がないのです。

こうなると人間はまったく変ります。図々しくなり、平然と闊歩できます。

最初の寄り道は鈴鹿ICを下り、滋賀県側の山に向かい5Kmくらいのところにある伊勢国一宮「椿大神社」です。
ここは猿田彦大本宮でもあります。パンフレットに寄れば「椿」は仁徳天皇の夢に出てきた字とのこと。

小雨降るうっそうとした参道をジャリジャリと踏みしめながら、神殿に進む。
椿大神社の読み方>つばきおおかみやしろ

 

詳細は椿大神社のホームページをご覧ください。

再び鈴鹿ICから東名阪自動車道に入り、2つ目の拠り所伊賀国一宮「敢国神社」へ向う。
敢国神社は国道25号通称「名阪国道」を西進し、伊賀一之宮ICで下りるとすぐのところにある。
敢国神社の読み方>あへくにじんじゃ

駐車場から神社までの裏参道には旧家が立ち並ぶ。
今時珍しい瓦屋根の塀に、これまためずらしい福笑いの大仏。
 

参道入口には苔生した松尾芭蕉の句碑
 

手はなかむ おとさへ梅の にほひかな(貞享5年)

敢国神社の詳細はここをクリック

関IC脇のドライブインで昼食。その後、伊勢自動車道の伊勢IC下車。
浜参宮のため、二見興玉神社へ。

興玉神社前にはみそぎを待つ一日神領民の団体でごった返しています。
雨降りのためテントが設営されており、我々はここでしばし待ちます。
すると、浜参宮お参り記念の木札を売りに来た。1個300円です。
「明日のお木曳きとは無関係だ!」と言われても、折角だからと買う。

 

浜参宮は撮影禁止

今日の宿泊地はズッと南下して、志摩市は英虞湾沿いの浜島温泉の国際観光旅館「紫光」です。

 

2007年5月26日(土)

昨日は終日シトシトと雨が降っていましたが、夜半から雨音が消え、今朝は快晴となりました。
みんなの心がけの良さを大いに讃えあったものです。伊勢での御来光は特別の感傷があります。

つづく

朝食は6時ちょっと過ぎにいただく。
ご当地名物伊勢海老入りのダイナミックなみそ汁が圧巻でした。
しかもお代わりは自由なのです。豪華な朝食にご飯お代わり3杯してしまった(^O^)

部屋に帰って、お木曳き装束に着替えます。
とにもかくにも天気が良くなって何よりです。
爽やかな陽射しが室内に柔らかくそそぎます。

8時半頃バスに乗る。全員お木曳き衣装です。鉢巻がちょっと異様な感じです(^レ^;

ここで、お木曳き一日神領民を証明する木札をいただく。
  
 
この木札には意味があります。

<3個の木の玉>
曳き綱先頭集団は玉1個、順次2個集団、3個集団と続き、4個の集団はご用材を載せた奉曳車に最も近い集団

<神の文字>左写真の下に描かれた象形文字
木札には玉数毎に「伊」「勢」「神」「宮」の4つの文字が描かれている。
2本の曳き綱を挟んで、奉曳車に向って左側から「伊」「勢」と「神」「宮」に分かれる。

所定の場所でバスを降り、歩いて奉曳車に向う。

お木曳きの様子は、圧倒的な画像でお伝えします。
参加者ひとりひとりの表情をよくご覧ください。
この行事がどんなものかよく分かるでしょう。

高柳商店街で三玉集団が「伊」「勢」「神」「宮」の幟の前に整列。
商店街アーケードの前方「宮町」が奉曳車の出発点である。

ここで、地元の若い衆が木遣りの合いの手を教えてくれた。

今年から大幅参加の女性ボランティアの向うに見えるのが奉曳車に載る御用材
立て看板に書かれた「太一」は「たいいつ、または「たいち」と読み、神宮からもらう印。
意味は「天に唯一の尊いもの」という。

いよいよお木曳きの準備です。
一玉集団から四玉集団までがそれぞれ奉曳車に向って「伊」「勢」「神」「宮」と4列に並びます。
綱は「伊」と「勢」、「神」と「宮」の間に1本づつ送られてくる。

奉曳車の前で、これからのお木曳きに付いて説明があります。

一日神領民は思い思いの格好でスピーカーから流れてくる説明を聞いている。

私も記念写真を撮ってもらいました。暑いので軍手は外しました。

ロープが送られてきます。太さは約6cmと、思ったより太い。
先頭集団まで送るのでものすごく時間がかかります。

さあーーー!出発準備完了!緊張した一瞬です。

「エンヤ!」と木遣り一声!老いも若きも、男も女も、全員がロープを持って「エンヤ!」と応えて曳きます。
しばし、みなさんの曳き姿をご覧ください(^O^)

ロープは道路の両端に配置され、真ん中部分に空間が出来る。
ここに「木遣り子」と呼ばれる、男女が「エンヤ!」「エンヤ!」といって囃し立てます。
それに呼応して、私達も「エンヤ!」「エンヤ!」といいながら綱を曳きます。

ときどき曳く手を休み、木遣り子の木遣り唄を聞きます。もちろんみんな合いの手をします。
木遣り唄 ホーランエー  めでためでたの  ヤーエー
合いの手 ヤットコセー  ヨーイヤナ
木遣り唄 めでためでたの  若松様は 枝も栄える  葉も繁る  ハーヨーイトナー
合いの手 ソリャ  ハーリワ  アリャリャリャリャ 
ヨーイトコ  ヨーイトコセー

合いの手は全員で唄います。

女性の木遣り子もたくさんいます。

一緒に記念写真を撮りました。気楽に応えてくれます。

采(ザイ)を借りて、記念写真を撮ってもらいました。

すると、俺も俺もとやってきます。ザイは快く貸してくれます。

約800m曳いて、到着点「外宮の北御門」に到着。

曳き綱をきれいに巻き取ります。

曳き込み完了。

一日神領民は一玉グループから順番に外宮にお参りする。
参拝は神殿の敷地内に入り、グループ全員が同時に2礼2拍手1礼で行う。

この後、もてなし広場へ向い、休憩する。
 

もてなし広場手前の奉曳車を前に集合記念写真を撮る。
 

もてなし広場で記念品をいただき、しばし木陰で休息。

ここで、仲間から奉曳車前で記念写真撮って欲しいとリクエストあり。

ここで、ザイが紙製ではなく、鉋屑(かんなくず)製を持った粋な女性が2人やってきた。
ザイを見せて欲しいと接近し、持たせてもらう。さらに、図々しくも一緒に写真を撮る。ちょっと緊張!

しばらく休憩したのち、バス停車場まで歩く。途中に奉曳団の幟がはためいていた。

内宮の「岩戸屋」で昼食後、内宮参拝せり。式年遷宮の敷地はそのときを待っている。
岩戸屋ではもちろん「生姜糖」を買いました。このほかお土産は来る時のバス車中で注文した「赤福」です。

つづいて徴古館と農業館を見学 (パンフレットより)

徴古館は内宮を真北に進み、伊勢自動車道を通過して、外宮の真東に位置する。
ここには有名な神学校「皇學館大學」がある。

徴古館前

玄関ロビーに樹齢不明の巨大なヒノキが展示されていた。
 

その隣にはお木曳きの情景を伝える模型がある。

奥には奉曳車の模型が2台設置されている。ピンボケで残念(^レ^;

昔の川曳きの様子を伝える絵。宇治橋と五十鈴川を運ばれる御用木。

この絵は陸曳きと川曳きを描いている。

一番奥には地元奉曳団の法被が展示されている。

15時ころ、お木曳き関連のすべての活動が終了し、帰路につく。

この後、皇大神宮(内宮)の別宮「滝原宮」(たきはらのみや)に寄る 。
伊勢自動車道を西進、勢和多気ICを下りて国道42号を南進すると、紀勢本線の滝原駅近くに鎮座する。
 

うっそうとした参道を進むと、広大な敷地に光が差し込み社が浮かび上がる。
ここには4つの社が整然と居並ぶ。

帰宅して、記念品を開けてびっくり!

奉曳車のミニチュアが入っていた。
陸曳き行事に参画した一日神領民全員に配布すると、約4万2千個である。

このほか記念品の入った伊勢神宮の袋には「伊勢」と書かれたハンカチタオルも入っていた。
この文字は法被の背中にも入っていたが、独特のくせ字です。誰の作品でしょうか?

式年遷宮の各種行事について

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