マイホームものがたり
(日本式住宅の建築風景)

親父は大工である。
大足では「偏屈な大松」を略して「偏松」と呼ばれる親を持つ。
家系はその名に恥じない頑固一徹の職人たちばかりである。

伊勢湾台風(1959年)までは大足で借家住まいであった。が、
伊勢湾台風の高潮で借家が倒壊。命ガラガラ脱出し、九死に一生であった。

これを契機に、親戚の紹介で高潮の来ない長尾の高台に引っ越す。
親父は被災者支援の国家融資を受けて、自分で平屋の家を作った。

私は「自分の家は絶対に親父に作ってもらう」と心に決めていた。
しかし、この願いはかなわなかった。交通事故で他界したからだ。
1984年10月9日、私が43歳のときで、親父74歳だった。

親父は当時、とても元気であった。
大工としての腕は万人が認めるところで、多忙な毎日を過ごしていた。
私の家を作ろうと決断する時期が遅れたことが、結果的に親父の死期を早めてしまった。
親父が私の家づくりを始めれば、外に出かけることもなく、交通事故に遭遇することもなかった。
私と親父のタイミングのずれが、2人の人生のほんの一瞬のずれが悪夢のような結果となった。
悔やんでも悔やみきれない。

親父への悔恨を踏まえて、翌年(1985年)に土地を購入し、住まいの基本設計を行う。
私の基本設計を元に、親父の代わりとしての叔父さんに棟梁をお願いする。
部屋数、間取りなどの基本だけを提示して、あとは全てお任せでお願いする。
もちろん建築費用についても一切口出ししない。

私の家は小さな家ですが、偏松の子、すなわち私の叔父さんたちが総動員して作ってくれました。
最近ではこのような家作りは珍しくなりました。 風化しつつある日本文化を残したいとアップを決断。

それでは、日本式家屋の建築風景をご覧ください。
作成:2009年12月19日(居住後23年経過)

1985年3月>不動産屋から土地購入

1985年9月>造成完了(11歳の娘と9歳の次男)



1986年4月>地形開始

写真奥左から建築中のTrさん宅、中央の同じく新築中は完成直前のYさん宅、その右はFさん宅。
 
左奥はSさん宅、右奥は手前Trさん宅とその奥がNさん宅。
 
造成したばかりなので、基礎杭を30本ほど打ち込み、この上に家を立てる。
 
 
 
 
 
 
棟上げ準備
 

1986年4月29日>棟上げ(別名、建前とも言う)

静かにその時を待つ

光回線の方はこちらの「フォトストーリー3」でご覧下さい>7.56MB、3分30秒、大きさ640X480

回線が遅い方は棟上げの様子を写真でご覧下さい。開始から1時間ごとに建築状況をご覧になれます。
中に、今ではほとんど見られなくなった、昔ながらの建前風景が見られます。それではごゆっくりお楽しみください。

8時、棟上げ開始<昔はすべての材料を人力で上げたが、
今は重機があるので楽です。
2時間後
 
3時間後 4時間後
 
お昼>このような風景は今はほとんど見られません。
親戚で都合のつく人は全て手伝いに来てくれます。これが日本の家づくりの習慣です。
休憩のお茶やお昼御飯などは、すべて家主が準備します。
 
アルコール類は終了まで我慢してもらいます。高所作業ですから、酒酔い状態では危険です。
親父も酒は飲みません。兄弟の叔父さんたちも全員酒は飲みません。大工としての当然の心構えです。
 
 
6時間後 7時間後
 
8時間後 9時間後
 
9.5時間後>夕日が沈みかける 10時間後>鬼門に向かって家内安全、無病息災を祈願する棟梁と私
 
棟上げ、無事故で無事終了\(^o^)/
お疲れ様でした。棟梁以下お手伝いの皆さんもほっと安堵。
ささやかに祝杯を上げる。
 
 
 
1986年4月30日>中の造作と土壁のエツロを掛ける<大工も左官もみんな叔父さんたちです。
 
休憩タイム
 
 
 
 
 
5月5日>エツロ掛けとルーヒングが終わる
 
エツロは私たち家族も手伝います。自分の家だから、自分が出来ることは手伝う。これが、日本の伝統的な家づくりです。
最近の家は工務店主体で、工場でできたパネルをパンパンパンと組立てて完成。建築過程で家主はほとんど出てこない。
 
 
5月7日〜9日>荒内壁
 
 
   
藁を切り、土に水と藁を入れ、足で踏みつけて万遍なく混ぜ合せる。これも我々の仕事です。 また、混ぜ合わせた土を刺し棒に刺して左官に投げ渡すのも我々の役目です。

1階は問題ないが、2階となると距離があるので、放り投げるタイミングが合わないとうまく左官に届かない。これは難しい作業です。 しかし、このような作業を通して、自分の家を多少なりとも作ったという気持ちが家を大切にすることにつながるのではないかと思う。

荒壁ですから、多少凸凹していても問題ありません。
そこで、私もかなりの広さ手伝いました。 翌日はものすごい筋肉痛ですが、自分の家ですから楽しくて楽しくてたまりません。

   
外観
 
 
 
5月21日〜28日>壁裏返し、屋根葺き、シロアリ防除処置完了。
 
表側 裏側
 
玄関屋根 大屋根

6月5日>窓枠取付け作業風景
   
6月14日>アルミサッシ全戸設置完了

6月18日>東邦ガス見積完了

6月24日〜約2週間作業休み(壁養生)

7月10日>囲い作業風景
 
 
10月2日>内装作業風景
玄関 廊下
 
我が家の設計で際立っているのが、玄関から裏が見えることにある。夏を涼しくしたいと思ったからである。
通常、どんなに立派な家でも玄関の正面には、トイレか風呂などが配置され、向こう側が見えることはない。
小さいながらも典型的な日本家屋を作りたいという願いから、ここを坪庭としたが、間取りにはとても苦労した。
 
内装は八一さんの仕事だ
 
 
左官は内外壁、トイレ・洗面所・風呂・炊事場などの水周りはすべて重松さんの仕事です。
水周り器財は奥さんの兄がINAXに努めているので、代理店に声を掛けてもらい、安く分けてもらった。
 
2階の子供部屋(2室和室、1室洋間)

10月11日>外囲い<正面:玄関、左側:居間(洋室)、右側:居間(和室)
 
10月20日〜25日>トイレ、風呂、キッチンのタイル張り終了
 
10月29日>ほぼ竣工、12月14日(日)8:30からお祓い(12,000円)
洗米5合、スルメ、昆布2本、干しシイタケ5個、大根1本、人参1本、みかん、リンゴ、酒2合、塩2にぎり・・・・
 
 
1986年12月19日(土)居住
 
我が家の家族
私45歳、奥さん40歳(結婚15年目)
長男14歳、長女12歳、次男10歳
ばあさん64歳、親父3回忌(76歳)
 
玄関廊下奥、2階への階段脇の柱に住んだ日にちを書きました。
(この写真は2009年12月19日撮影したもの)
   
柱には23年間の「背比べのキズ」が生々しく刻まれています。
今では孫の背比べも追加され、グチャグチャです。が、
ここに刻むことをみんなとても楽しみにしています。
 

居間(今)のところ、家具はコタツとテレビだけ(−−〆)。ガランとして殺風景ですが、なんだかみんな嬉しそうです。
当然です!今までは、親父が増設してくれた6畳一間で、家族5人が5本川で寝ていた。今はそれぞれに個室がある。
 
 
1987年元日は兄弟家族とともに新年会を行いました。
座敷で親父と一緒に記念写真
 
外も同じく殺風景です。郵便ポストは玄関脇、自転車は物置もないので空いてる所へ。
物干し台は日当たりのよい南側一等地に設置。洗濯物も多いので当然です。
この当時はテレビアンテナ(VHFとUHF)が必要でした。
 
 
1987年7月>物置を建てる(車庫はまだ青空でしたが床はコンクリートを張ってあります)
 
富ちゃんは立派な物置を作ってくれた。これならなんでも入る。
ありがとう(*^_^*)

 
 
1987年8月>室内の様子
台所
 
居間には少しづつ家具が入ります。
 
 
1987年11月>玄関へのアプローチと石垣工事。さらに車庫に屋根設置。
玄関へは3段階で、緩やかな傾斜であがるように設計。石垣は青石と赤目石を組合せた。
 
 
うちよりもっとすごい入母屋造りのKさん宅はもうすぐ完成します(うちが建前の時はまだ、倉庫風の背の高い建物がありました)
右奥は大地主のTさん宅です。うちが建前の時、地形をやっていました。平屋ですから早く竣工したようです。
 
それにしても我が家の庭には何もありません(−−〆)。
しかし、ポストを設置したので、郵便屋さんや新聞屋さんはバイクを降りることなく、配達できます(*^_^*)
このポストは石垣工事屋がサービスしてくれました。以来、20年以上、周囲の景色とは無関係にずっとここに位置します。
 
それでは、我が家の周囲をパノラマでご紹介します。1987年は周囲には何もなく、田畑が広がっています。

 
それが22年後の2009年9月ではこの通りです。前の田んぼに8月アパートが出来、見晴らしが悪くなりました。
しかし、これから台風が来ても風が遮られ、台所の出窓を手で押さえる必要がなくなります\(^o^)/
 
私の書斎兼、リスニングルーム兼、居間も充実してきました(*^_^*)
 
デスク設置、自作のプレーヤーセット設置、スピーカーは富ちゃんに無理言って、天井から吊るす。
   
壁に書棚設置    
 
娘の部屋は2階の洋間 東側の和室はばあさん用であるが、まだ一人で親父の作った家に住んでいるので、
空き部屋になっている。 今やこの部屋は子どもたちのゲームセンターになっている。

1988年正月(居住2回目)
 
1988年5月3日>ゴールデンウイークに庭づくり
 
植木屋で飛び石として「青石」、「玉柘植」、「つつじ」、「しだれ桜」、「梅の木」、「貝塚」購入植付け
 
 
車庫の横に「しだれ桜」と「つつじ」
 
ポスト横に「梅の木」、通り沿いに紅白の「つつじ」を交互に植え、西に貝塚を生垣として植える。
 
1988年7月>向日葵が生垣のようにそびえ立つ。奥さんの傑作です(*^_^*)
 
1988年10月>秋晴れの良き日、姑と歓談する嫁さん
 
1988年12月31日>年賀状作成で大わらわ。当時は「プリントごっこ」全盛でした。 お母さんは大晦日になると大掃除です(*^_^*)
当時、台所は殺風景でした。
 
1989年元日>子供たちは思い思いに過ごす。
 
1989年2月>うららかな陽射しを浴びて!(梅が咲いている(*^_^*)
 
1989年4月>末の弟家族が遊びに来る。庭は花爛慢。
 
おばあちゃんといっしょに記念写真
 
1989年7月>おばあちゃんが遊びに来た。
 
子供たちの様子
 
1989年8月>ミミの元気な姿
 
 
1990年4月>つつじがきれいに咲き始めた。
 
 
 

1991年4月>自慢のつつじが心ない人に盗まれた。
 
これ以上盗まれないよう、警告看板と根元を紐で連結する。

しだれ桜が大きくなってきた。

居 住 25 年

1992年4月>西のTさんが犬の散歩で立ち寄る。野鳥の糞から、いつの間にかの八重桜

1992年5月>同じく、野鳥の糞からいでました「いつのまにかの合歓木」がしだれ桜の根元からにゅにゅうと伸びてきた。
 
1992年12月大晦日(

1993年元日(居住7 年目) 1993年2月>隣のYさん宅はもうすぐ完成します。
 
1993年5月>中国成都からの研修生2人(楊さんと夏さん)
を知多半島観光と新鮮魚料理をごちそうする。
 
1993年10月

1994年8月>ゲームセンター化した東の和室は毎日盛況です(−−〆)

1994年9月30日>台風で車庫損壊
 
長男に買って与えようと置いてあった新車が凹んだ(修理代5万円) 私の車はこの車の陰で無傷だった(*^_^*)
 
車庫は設置後6年経過しており、保証期間を過ぎている?
私が調査の結果、ボルトが抜け落ちており、問題提起して、工事代を半額にしてもらった。
 
 
 
1994年10月>コスモスいっぱいの庭で!
 
 
1995年元日(居住9年目)>兄弟家族全員で新年会
 
1995年5月>和室縁側外の犬走りは花盛り 1995年7月>しだれ桜の横で、いつの間にかの「合歓木」が急成長してきた。
 
ミミ と モモ
 
 
1996年3月>梅が満開(道路右側奥には、田んぼを埋め立てて家が出来た)
 
1996年4月>愛犬モモが隠れています(*^_^*)
 
 
 
1996年5月>1995年12月に発売されたWindows95
COMPAQオールインワンパソコン

1998年1月>ミミ亡きあと、我が家にやってきた真っ黒ねこミミ
このような、妖艶な「ちょっとだけよ!」スタイルが得意です。

1998年大晦日>居住12年目

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