観音様ミミをお守り下さい。
そして、彼岸におつれください。
97/7/16
(水)午後11時、大きく深呼吸したミミは手足を少し伸ばしたあと、静かに息をひきとりました。まことに静かな、これほどに安らかな死があるのかと思えるほどの死でした。
動物の死を目前にしたのは初めてですが、ミミの死は死を自然に受け入れ、死と堂々と対面する崇高さがありました。
1
ヶ月ほど前から高齢化に伴う内疾患で医者からは寿命との診断を受け、覚悟はしていたものの、特に最近の
3年ほどは子供たちも県外就学、県外就職し、家は夫婦二人っきりとなり、
大好きな車に乗って満足そうですが、モモは悲しそうです。
この一ヶ月ミミはほとんど何も食べず、水だけで生きてきました。
歩く力もないのにしきりに外へ出たがります。死に場所を探すためでしょうか?
すなわち、間違いなくミミは自分の死を予知し、往生の時と場所を探していました。
水、水
近づくと怒ったように威嚇したモモに対しても最早、寛容です。
悲しい顔、顔
散歩のコースはほぼ決まってきました。
畑から木陰です
無理矢理おかあさんが大好きな「ニボシ」「ハム」を食べさせようとしましたが食べるしぐさはするものの喉を通らない。
いや、喉を通さないのかも知れません。
食べて食べて
少しでもと思い、砂糖水など喉とおりの良い物を飲ませもしました。
これが最後の散歩になりました。さようならミミ。
ゆっくりとしずかに 最後の探検を楽しむミミ。そして大好きな木陰で一休み
体温は
1日1日確実に低下してきました。死の三日ほど前から硬直現象が起こり、歩行困難な状態になりました。
この頃からです。
お母さんを大きな声で呼ぶようになりました。
泰然自若のミミ、いまだかって他者を頼ったことのないミミ、どんなに可愛がってもツメを出すミミ。
が、お母さんが食事の支度、トイレ・風呂などでミミの側を離れると大きな声で、
本当にビックリするような大きな声でお母さんを呼びます。
「側に居て」
「離れないで」 と哀願しているようでした。この
10年、ほとんど毎日、添い寝してくれたお母さんへの想いが、残された命の叫びとなったのでしょう。1997年7月16日いつものようにミミは大好きなお母さんといっしょに寝ました。が、
いってらっしゃいミミ、旅の無事を祈ります。
観音様ミミをお守り下さい。そして、彼岸におつれください。
ミミを偲ぶ
ミミは丁度
10年前、当時中学生だった寿恵が下校の途中、これです。物置で物入れになっていましたが今でもあります。
何の変哲もない普通の「黒トラサバ」模様の猫でした。
生き物を飼うことは子供の教育にも役立つと考え認めました。
仕草はとてもかわいらしく、子供たちの気持ちを捕らえて放しませんでした。
89-1
89-8
91-1:暖かいガス暖房機の上で娘と 91-1 91-191-10 91-12
とにもかくにも暖かいところ大好きです>こたつ、ベランダ、出窓、車のボンネット、縁側・・・
94-195-796-10
ひな壇探検。これは私のお雛様よ!
さて、ながながとミミを偲んできましたが、
終わりに、今は亡きミミの足跡を残すものを紹介しましょう。
爪とぎ用に準備された各種、板材>内一つがお気に入りです
* 爪害あれこれ
(1)納戸、座敷の襖ボロボロ>ミミの「開けて下さい」という表現方法が「襖ガリガリ」でした。
(2)極め付きがこれです。新築の玄関柱を爪研ぎにされ、あわてて木っぱでガードしたら
止めてくれました。が、時すでに遅くボロボロになっていました。
* ミミのきらいな怒りんぼ父さんが作ったミミ専用の玄関
ここからジャンプして風呂場の格子窓をくぐり家に入れます。
ここは涼しいので避暑地ともなります
長々ご覧いただきありがとうございました。以上でミミの追悼番組を終わります。
ここに流れているBGSOUNDは
からダウンロードしました。