知多四国八十八ヶ所めぐり

2005年11月26日(土)第7回巡拝>第40番〜第53番+番外

第48番
曹洞宗 禅林山 良参寺

(知多郡美浜町大字小野浦字清水18番地)

御本尊 聖観世音菩薩

はるばるとまゐる禅林良参寺 吹き来る風も御仏の声

持宝院の住職に書いていただいた地図では、名鉄電車のガードをくぐり、最初のお寺を右に曲がる。お寺の手前に小さな看板が目に入った。
「南知多町名誉町民 哲学者 梅原 猛先生 本家」
とある。

ここで住んでいるわけでもなく、生れた家でもないので素通りした

 
ところで、私が梅原 猛先生の名前を知ったのは、1971年に創刊された季刊誌「創造の世界」(小学館)であった。
この創刊号で先生は「神話の世界 新しい記紀解釈をめぐって」を発表されている。

この中で出雲の神話の「イナバのシロウサギ」はとても面白かった記憶があり、また読み返したものです。
当時、先生は46歳。あふれる泉の如く、いくらでも新説が浮かび、これを論文にしているといいます。

さらにこの創刊号では、記紀解釈についての誌上シンポジュームが開かれており、先生はコーディネーターを務めている。
シンポジューム参加者は湯川秀樹先生、市川亀久彌先生ほか当時の自然科学、社会科学で活躍中の9人です。

この本は当時、地元の書店では売っていなかったので名古屋の「丸善」に注文し、取り寄せていた。
実は小学館の「創造の世界」が発刊される前に、前身ともいえる季刊誌「創造」の創刊号が1968年5月雄渾社から発行されている。
当時、機械工学系の私としては、ただがむしゃらに仕事するだけでよいのか?「人間いかに生きるべきか」を切実に考える時期でもありました。

季刊誌「創造」は創造性研究会が編纂したもので、メンバーは湯川秀樹先生ほか6名であった。
私にとっては専門外の単語、言葉がびっしり並んだ、たいへん難しい哲学書であった。
が、この本のお陰で「創造とは何か」、「人間はなぜ新しさを求めるのか」、「人間の心はどう動くのか」などなど、
私にとっての非日常を満喫することができました。

しかし、この季刊誌「創造」は途中から注文制に変わったが、手続きを書店にしなかったため、1969年8月のNo.5で購読をストップした。
「創造」の編集方針はメンバー7人の研究成果発表と自由な討論であった。
とくに誌上シンポジュウムに重点が置かれており、この精神はつぎの小学館「創造の世界」にも引き継がれている。

平成7年(1995年)、わが町は文化講演会に先生を招聘しました。
演題は「既成にとらわれず、視点を変えてみよう」でした。もちろん、私も拝聴しました。
公民館の講堂はいっぱいの人で埋まりました。
知多半島の訛りをたくさん入れて、先生の研究の一端を平易に、面白おかしく話されたことを記憶しています。

哲学者「梅原 猛」は、私の青春時代の師でもあります。今日のこの日は千歳一隅のチャンスです。
そこで、この講演が始まる前に、先生の控え室に押しかけ、ずうずうしくもの「創造の世界」1971年創刊号を持って行き、サインをお願いしました。(正直言って字は下手ですm(_)m

 

さて、本題に戻ります。持宝院住職の地図を片手に進みます。
名鉄内海線のガードをくぐるとすぐに最初の曲がり角であるお寺がある。

右に曲がって直進すると、突き当たる。ここを左に曲がると、右側に白塀の大きな屋敷がある。
ここが二つ目のお寺だ。

   

ここを真っ直ぐ進むと、またまた突き当たる。
正面には2階建てのアパートがある。

このあたりの海岸は「内海」「小野浦」の海水浴場として繁栄したところである。その名残がこの道にも見受けられる。
今は閉鎖された「海の家」の前を通る。
この洋館風の建物も間違いなく、以前はどこかの?だれかの?別荘?海の家?だった?。
 

地図によるとここからが山道のようだ。足元に黄色のプレートが貼ってある。
プレートには「古道」野間・内海とある。この道が内海と野間を結ぶ、昔からの道のようです。
昔はすべてのお遍路さんがこの道を利用したのです。それでは、紅葉の古道を堪能してください。

驚くことにこの道は最後まで舗装されていました。
が、きつい坂道ですからほとんど押して歩きました。

 

山間の素晴らしい眺め。このような景色を見られることに、幸せを感じずにはおれません。

 

ここが峠です。両側の切り立つ山肌を越すと、あとは下りだけとなる。

 

ドンドン坂道を下ると、はるか前方に海が見えた。
そこにチラチラと白い灯台がみえる。

一気に山を下る。中日キャンプバンガロー村にでる。

   
バンガロー村のすぐ下が国道247号「小野浦」信号交差点である。
この道を野間方向に進む。
良参寺の案内看板を発見。目指すはすぐそこだ!
良参寺は247号線を右に入り、突き当たりを左に曲がるとすぐであった。

山門前で早速、記念撮影。

 

山門右手にはこの寺が漂流民三吉(音吉、岩吉、久吉)の菩提寺であることの説明書きがある。

 

南国情緒のソテツが本堂両脇に植えられている。
境内中央部には老木「まきの木」がデンと構え、右手には亀のような置物が鎮座している。

 

大師堂の前の説明看板には48番札所が「お助け大師」とよばれるいわれが3つ書いてある。

 
境内入口右手になぜか、亀の形をした石と、その背中に真丸い石が載っているモニュメントがあった。「宝珠正覚坊」の銘板とともに、なにかいわく因縁があるようにも見えるが、説明がないところを見ると、骨董品を陳列しただけのようにも見える。
おっと失礼m(_)mバチが当たる前に納経印をいただき失礼した。

南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛

次は第49番「吉祥寺」です。

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