(知多郡美浜町大字小野浦字清水18番地)
持宝院の住職に書いていただいた地図では、名鉄電車のガードをくぐり、最初のお寺を右に曲がる。お寺の手前に小さな看板が目に入った。 ここで住んでいるわけでもなく、生れた家でもないので素通りした |
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ところで、私が梅原 猛先生の名前を知ったのは、1971年に創刊された季刊誌「創造の世界」(小学館)であった。 この創刊号で先生は「神話の世界 新しい記紀解釈をめぐって」を発表されている。 この中で出雲の神話の「イナバのシロウサギ」はとても面白かった記憶があり、また読み返したものです。 さらにこの創刊号では、記紀解釈についての誌上シンポジュームが開かれており、先生はコーディネーターを務めている。 この本は当時、地元の書店では売っていなかったので名古屋の「丸善」に注文し、取り寄せていた。 季刊誌「創造」は創造性研究会が編纂したもので、メンバーは湯川秀樹先生ほか6名であった。 しかし、この季刊誌「創造」は途中から注文制に変わったが、手続きを書店にしなかったため、1969年8月のNo.5で購読をストップした。 平成7年(1995年)、わが町は文化講演会に先生を招聘しました。 哲学者「梅原 猛」は、私の青春時代の師でもあります。今日のこの日は千歳一隅のチャンスです。 |
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さて、本題に戻ります。持宝院住職の地図を片手に進みます。 |
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右に曲がって直進すると、突き当たる。ここを左に曲がると、右側に白塀の大きな屋敷がある。 |
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ここを真っ直ぐ進むと、またまた突き当たる。 |
このあたりの海岸は「内海」「小野浦」の海水浴場として繁栄したところである。その名残がこの道にも見受けられる。 今は閉鎖された「海の家」の前を通る。 |
この洋館風の建物も間違いなく、以前はどこかの?だれかの?別荘?海の家?だった?。 | |
地図によるとここからが山道のようだ。足元に黄色のプレートが貼ってある。 |
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驚くことにこの道は最後まで舗装されていました。 |
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山間の素晴らしい眺め。このような景色を見られることに、幸せを感じずにはおれません。 |
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ここが峠です。両側の切り立つ山肌を越すと、あとは下りだけとなる。 |
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ドンドン坂道を下ると、はるか前方に海が見えた。 |
一気に山を下る。中日キャンプバンガロー村にでる。 |
バンガロー村のすぐ下が国道247号「小野浦」信号交差点である。 この道を野間方向に進む。 |
良参寺の案内看板を発見。目指すはすぐそこだ! 良参寺は247号線を右に入り、突き当たりを左に曲がるとすぐであった。 |
山門前で早速、記念撮影。 |
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山門右手にはこの寺が漂流民三吉(音吉、岩吉、久吉)の菩提寺であることの説明書きがある。 |
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南国情緒のソテツが本堂両脇に植えられている。 |
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大師堂の前の説明看板には48番札所が「お助け大師」とよばれるいわれが3つ書いてある。 |
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境内入口右手になぜか、亀の形をした石と、その背中に真丸い石が載っているモニュメントがあった。「宝珠正覚坊」の銘板とともに、なにかいわく因縁があるようにも見えるが、説明がないところを見ると、骨董品を陳列しただけのようにも見える。 おっと失礼m(_)mバチが当たる前に納経印をいただき失礼した。 南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛 |
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