3月21日>中国7日目

成都滞在

 楽山大仏 ⇒ 烏尤寺(うゆうじ)

朝食7:30、ホテル発8:20。今日も長い一日になりそうだ。

というのも、今日は成都から約160Km南西の楽山大仏を見学します。
そして、時間的に帰ってくることが出来ないので、今日は楽山で宿泊します。

 

 
それでは、楽山までの街の風景を紹介します。
ホテルを出てすぐ、学校の前で上海映画の撮影をやっていた。
この場所が映画の場面にふさわしいと言うことらしい。早く、撮影しないと学生が登校してくるから早朝ロケとのこと。 途中でガソリンを給油。
出口と入口が一方通行で、大きく離れている
 
交通が渋滞して、立ち止まったところにお茶屋がある。
みんなバスを降りて、冷やかし始めた。理由は多分、そこに可愛い女の子がいたからだ(^O^)
 
赤茶色の土を掘っている。と、思ったら、「カーンカーン」という甲高い音が鳴り響く。
楊さんに訊くと、あれは石を切っているところだという。
ちょっと前まで、この辺りは車が通れるような道路ではなかったと言う。
道路整備のため、石を丁寧に切り出しているのだ。
これらの石は、このような石碑や墓石になる。即売しているようだ
 
鉄道貨物列車 お茶畑
 
未舗装の道路を走ってきた車は、ここで洗車してからでないと市内に入れない。
先ほどの赤茶けたドロドロ道を走ってきた車を、そのまま市内に入れると、街は埃まみれになるからだ。
 
どこに行っても見られる、自転車と人と人と人。
極端に多い人だかりは証券取引所だという。取引所前の道路は人で溢れていた。
 
交通事故の速報板。経済損失6.6765万元(約140万円) 沿道にたくさんの白い紙が吊るして貼ってある。大勢の人がそれを見ている。何だろう??
 

 
楽山の宿泊所「嘉州賓館」に到着。
 
チェックインし、部屋に荷物を置き、少しくつろぐ。
 
ホテルのパンフレットから
 

楽山大仏

この辺りはホテルの名前にもあるように、昔から「嘉州」と呼ばれている。
バスで渡船場まで来る。目の前に川が流れている。
川の名前は昨日行った「都江堰」と同じ「岷江」だ。
都江堰と楽山とは200Km以上離れているが、正しく同じ川だ。

大仏は玄宗皇帝(唐)が即位した712年から約90年間掛けて彫られたもので、高さ71m、世界最大の石仏像である。

 
楽山大仏の修繕計画>引用:日中新聞(2010年6月23日)

 

世界最大の佛像「楽山大佛」(引用:大紀元日本2013年7月15日)
 
【大紀元日本2013715日】中国四川省楽山市凌雲山の岩壁に彫られた巨大な楽山大佛(らくさんだいぶつ)。世界最大の佛像として知られており、近隣の峨眉山とともにユネスコの世界遺産に登録されている。

 大佛建造の経緯

 楽山大佛は唐代の開元元年(713年)から彫られ始め、貞元19年(803年)に完成するまで90年の歳月が費やされた。唐代・韋皐の『嘉州凌雲大佛像記』と明代・彭汝実の『重修凌雲寺記』などの本の記載によると、楽山大佛建造の発起人は海通和尚である。和尚は貴州人で、凌雲の山の中で修行していた。凌雲山麓は岷江と大渡河、青衣江の合流する場所であり、水のいきおいが激しく、よく船が転覆した。特に夏の増水期には多くの悲劇が生まれた。

 海通和尚は山の岩崖に弥勒佛像を彫り、佛像の神通力に頼って暴れている川の水を鎮めようとした。和尚はあちこちを托鉢して回り、数年がかりで必要な資金を用意したという。 

 早速、建造工事を始めようとした時だった。欲深い地方官吏が、補償費を納めなければ工事を始めてはいけないと言いがかりをつけてきた。海通和尚は憤慨し、「たとえ私の目玉を持って行ったとしても、決して佛財をあなた達に譲るわけにはいきません」と言った。

 すると官吏は、「本当にあなたの目玉をもらえるのなら、お金を納めなくても良い」と言った。官吏は和尚が本当に目玉をえぐり出すはずがないと思ったのである。しかし、海通和尚は話を聞くやいなや刀で自分の目玉をえぐり出し、皿の上に載せて官吏の目の前に差し出した。驚いた地方官吏は慌てて現場から逃げ出したという。海通和尚は激痛に堪えながら建造工事の開始を命じたが、完成を見ずに亡くなった。その後、彼の弟子が建設を引継ぎ、90年間の歳月を経て完成した。

 楽山大佛は岷江、大渡河、青衣江の合流するところにそびえ立ち、工事で出た大量の土砂を川の中に投入したことにより、水の流れはかなり緩やかになり、水害は大幅に減ったという。

 大佛の構造

 楽山大佛の頭は山頂と同じ高さにあり、両足は川岸を踏みつけ、両手は膝にあてられている。体のバランスがよく、表情は厳かで、川に面して座っている。

 頭から足までの高さは71メートル。足甲部は百人以上が座れるほどの大きさだ。

 大佛は巧みに設計されており、風雨の浸食を防ぐために隠れた排水溝が造られている。頭部の18層の髷の中には第4層、第9層と第18層にはそれぞれ1本の横方向の排水溝があり、胸部から腕にかけても排水溝がある。両耳の後方で洞穴に連通している。胸部には洞窟があり、効率的な排水と通気作用を果たしている。これらの造りが、大佛の侵食や風化を有効に防いできたといわれている。

 目を閉じた大佛

 1959年から1961年までの3年間、共産政権の大躍進政策により中国は大飢饉に陥り、全国で3千万から4千万の人々が餓死した。その時、四川省でも多くの死者が溢れ、埋蔵する気力をなくした地元民は、死人を莚で巻いて川の中に投げ込んだ。

 大佛の足元は三つの川の合流地点であり、毎日多くの屍骸が大佛の目の前を流れた。これを見るに耐えなかった大佛が、ある日突然、目を閉じたといわれている。当時科学的な方法でその原因が調査されたが、答えは得られなかった。その後、佛像が目を閉じるのは不吉だと判断した現地政府は、改めて目を開けるように彫り直したという。当時目を閉じた大佛像の写真は今でも楽山陳列館に保存されている。
 

 
船着場まではみやげ店がびっしり。
 
 
記念写真の後、仮設の木製階段を下りて、船に乗る。
観光船の上から、2本の櫓(オール)を巧みに漕いで、進む小船を見ながら、全員感嘆の声を上げる。
 
このパンフレットは船着場から絶壁に彫られた大仏方向を見ている。
 
船に乗って、ゆったり進む。すると突然、ガイドがなりはじめた。前方にらしきものが見える。
 
私も急いで船べりに寄った。見えてきた!巨大な坐像が!
人がうごめいている。足の爪の上にたくさんの人が立っている。巨大だーー!!
 
 
薄目を開け、唇をきりりと閉じ、しっかりとした首筋である。
 
高さ71mの仏像を改めてながめる。
団員の皆さんも驚きの表情です。
 
船着場に戻ってきました。
奥に見える緑色の船ですが、ひっくり返りそうで心配しました。
 

 
途中の烏尤寺を経由して、歩いて石仏像の頭あたりまで登る。ひたすら登る!
 
烏尤寺
 
さてさてここでクイズです。いったいこれは何でしょう??
 
山腹の路上でみやげ物店に混じって、老人がなにやらやっています。
覗き込むと、ハサミを持って似顔絵を切っています。
「剪影」と言うようです。私も作ってもらいました。
 
キャッチフレーズが「真絶」、「神速手法」とは恐れ入りました。
私は約2分くらい、眼鏡を掛けていないと約1分。しかし、料金は同じ1.5元(約40円)

英語のガイドもあります。「PAPER CUT CHINESE ART」なかなか国際的です。

 

楊さんは首飾りを買ったらしく、歌を歌いながらはしゃいでいる。

 
どこをどう歩いているのか分からないが、突然目の前に河原が現れる。
新しい橋を建設中らしく、仮設の橋を渡る。

 
橋の材料は来る時、道路工事現場でみた「赤茶色の石」であった。
土台部には赤い石で作った、龍のモニュメントが大きな口をあいてにらんでいる。
しばらく見ていたが、重機も使わず、ほとんど人海戦術だ!
 

 
橋を渡ったところに「都江堰」と同じ、エアーライフルの射撃場があった。
今度は、傳さんと侯さんと劉君が始めた。ものすごい眼差しで、真剣そのものだった。
結果は以下の通りです。
私もやりましたが、1回目は中心を外してしまった、そこで2回もやってしまった。
 

 
さて、いよいよ大仏の頭を目指します。寺全体の案内図を見て、自分たちの位置を確認します。
入場料3元の看板横に洒落た四字熟語がある。これなら訳す必要もなさそう(^O^)
「楽山楽水」 「如詩如画」
 
この山全体が赤い石で出来ているようです。赤土みたいですが、実際はカチンカチンです。
ですから1300年を経過する今でも石碑は鮮明に残っています。

 
ここにも碑林がある。ものすごい量の碑が林立している。
たくさん写真を撮ってしまった。お楽しみください(^O^)
私のよく知っている、

ケ小平や郭沫若の名前が出てくる。

ところで、
郭沫若はここ楽山出身の大学者とのことです。

   

 
碑林を出て、しばらくすると、右手に数珠を持ち、左手を蹲踞させ、目を吊り上げて怒っている坊さんの坐像があった。

私が楊さんに「なぜこの坊さんは怒っているのか?」と質問すると、「悪いやつがここの宝物を盗んでいくので、怒っている」のだという。

 
大仏の真上に到着。素晴らしい記念写真です。
帰り道>岩肌にも所狭しと碑が彫られている。
祠のような洞穴がたくさんあり、そこに碑が彫られている
   
出口の山門には江沢民書の横額が掲げてある。
 
 
ホテルに帰着後、3日ぶりに風呂に入る。湯もたっぷりあり、久しぶりにリラックスできた。
夜は楽山市の歓迎宴がホテル内で行われた。
にこやかな受付嬢。このアーチをくぐるとレストラン。レストランの雰囲気。
ここの箸入れ

出てきたのは素晴らしい料理でした。
さらにすごいのは、野菜で作った「孔雀」です。さすが中国4000年の食文化。
 
みんな乾杯!乾杯!でよく飲みました。最近宴席では隣に必ず劉君が座ります。
主催者からお茶のおみやげをもらう。
   
帰り道できらびやかなネオンが輝いていた「文化夜市」と書いてあったように思うが、なんだろう??あと、お寺のような建物の前を通ったとき、こんな大看板が見えた。土地問題のようである。
   

   
食事の後、団員2人と3人で町に繰り出した。
途中、2人の警官が、サトウキビを売っていた人に、強烈な取締りを行っていた。

楽山市内は緑化・美化地域になっている。サトウキビは食べた後、皮と噛んだ後の殻を捨てるので、道路が汚れることから、この地区の露店は禁止されている。

帰り道、輪タクの誘いを受け、初めて乗った。3人で10元払ったらたいへん喜んでいた。
中村さんはさらに10元払って、市内巡りに出かけた。ちょっと危険でもあるので心配だ!
明日の朝、顔を見られれば、無事だったことになる(^レ^;

井部さんに名古屋空港で買ったという「キリンラガー」缶を1個もらう。
久しぶりに日本製ビールを飲んで、懐かしさいっぱいであった。

 

 
青海省の李津成に20:30頃、電話したが奥さんが出た。劉君にお願いして話を聞いてもらう。
遼寧市に出張中で23日に帰るという。
北京、西安、成都と3回電話するが、1度も会話できず(^レ^;
ああ!なんと不運なことよ!!23日か24日に北京から最後の挑戦をしよう。

日本の自宅に3回目の電話せり。
日本時間11:40頃のためか、奥さんの眠そうな声が返ってきた。
そういえば、今日は日曜日だ。明日から仕事なのに!ごめんなさいm(_)m
電話料金は105元(2236円)

お腹の具合もよくなり、後半は快適な旅が楽しめそうだ(^O^)
御岳山の「日野百草丸」に感謝感謝!

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