大連の春 2005

こんにちは元気だかね!
4月9日、10日の春祭りが終って、ほっとする閑もなく、4月14日から1週間、10ヶ月ぶりに大連に行ってきました。目的はいろいろです。

一つは日本の友人から頼まれた仕事の調査をすること。
一つは大連の街のその後を確認すること。
一つは大連在住の日本人メル友に会うこと。
そして、もちろんのことですが、大連の友人に会うこと、です。

大連ではいうまでもなく、たくさんの写真を撮ってきました。まだ、整理できていません。
写真と言えば、春祭りの写真もまだ整理できていません。
大連の写真を少しずつ整理しながら、リポートしたいと思います。
それでは、はじまりはじまりーーm(_)m

日程は4月14日(木)から4月21日(木)までの1週間です。

まずは目の前の新空港「中部国際空港」です。 はじめてここから海外に出ます。
素晴らしいことは、新空港が自宅のすぐ近くにあることです。
車で20分くらいです。14日は素晴らしい天気でした。
出航時間は12:15ですが、空港内を見物したいので、少し早めに出かけました。

連絡道路(料金350円)を渡ると、空港島です。駐車場は巨大で、空港施設の半分くらいの感じです。平日なのか駐車場は空いていました。 ターミナルに一番近いところは野外でしたから、隣の駐車ビル「J」に入りました。ガラガラでした。
搭乗手続きはターミナルビルの3Fですから、エレベーターで3Fへ上がります。

まず、航空券を受け取らなければなりません。航空券はネットで買いました。
安いところをいろいろ探し、最終的に「アルキカタドットコム」にしました。
4月14日大連便は57,900円でした。
これに空港使用料、保険料、手数料を6,000円加え、合計63,900円(往復)です。

中部空港からの大連便は中国南方航空で、週4便(火、木、土、日)あります。
ちょうど、次の土曜日からは5,000円アップし、GWは更に5,000円アップします。

航空券受け取り場所はネットで確認済なので、そこへ直行。
窓口で名前をいうと、大連行きを確認後、スムーズにもらえた。
料金は既に銀行から振込み済みです。
はじめての買い物でしたが、無事終ってホッとしました。

このようなことは、今まですべて会社が準備してくれましたので、あまり気にしていませんでした。 いざ、個人でやるとなると、あちこち電話したり、出歩いたりと、かなり大変な事態になると、心配していましたが、幸いにも今はインターネット時代です。自宅から簡単に注文できます。ありがたいことです。

次は、空港内をお母さんと見学です。早めに来たのはそのためです。
念のために搭乗手続き時刻を確認したら、しばらくして始まるようだったので、窓口に並びました。

私のいでたちは、ネクタイと背広でビジネスカバンを持った、普通のビジネススタイルです。 だいぶ温かくなってきたので、スプリングコートは止めました。
(幸いかな大連も温かく、コートは不要でした(^O^)

今回は1週間ですから、大きなスーツケースは要りません。
そこで、小形の旅行用ケースを買いました。
新調した小形スーツケースには、お土産がびっしり入っています。
会社の仲間には140個の菓子を用意しました。(米せんべい90枚、チーズ菓子50個)

技術部には私が継続して購読している機械雑誌2種類を昨年7月からのバックナンバー各10冊。 日本語のわかる王鴻雁には、「プレジデント」誌10冊程度。
更に、 中部国際空港と愛知万博記念切手各二枚をポートレートケースに入れたもの6個。
お母さんの作品シャドーボックスアート3個。 そして、着替えのブレザー、セーター、スラックスです。これだけですが雑誌が入っているため、とても重いのです(約19Kg)

ところで、スーツケースですが、お母さんからユニーの商品券を15000円もらったのでこれで買いました。 ケースは大小いろいろありましたが、機内持ち込みタイプでは小さすぎます。 また、帰りに内緒で白酒を忍び込ませなければなりませんので、華奢なものではだめです。 いろいろ悩んだ挙句、写真のような頑丈なものにしました。

値段も布製の倍くらいしました(12,000円)
スーツケース

旅程概要

日程・天候 行程
4月14日(木)
晴れ
@ 中国南方航空CZ620<中部空港12:15発>大連空港13:45着(現地時間)
A 離陸風景を連続的に撮る
B 会社に立ち寄り、お世話になった皆さんにおみやげ進呈
C ホテルチェックイン>大連賓館(三つ星)
( 中山広場南側)
   TEL
:0411− 8263−3111。部屋シングル1泊300元(5000円)
D 夕食>会社駐在員と火鍋(シャブシャブ)>昌隆
4月15日(金)
晴れ
@ 散策> 中山路 → 勝利広場 → 長江路 → 黄河路 → 中山公園 → 西安路周辺 → 開店「大連商業城」店内紹介 → 市電202 → 星海広場 → 中山広場
A 
夕食>「サンパウロ」 ブラジルの焼肉バイキング(北方大酒店の5F)>楊さん、王さんと
4月16日(土)
晴れ
@ 大連賓館の朝食
A 散策>ロシア街の保護建築物、天津街「VIVO」早くも倒産、伊都錦8Fラーメン
B 友人会社訪問
C 夕食>友人会社の皆さんと晩餐会>中国料理(五一広場)
4月17日(日)
晴れ
@ 大連就業中のメル友と終日デート
   昼食>麦凱楽の回転寿司
   夕食>メル友行きつけの居酒屋>竹馬(人民路)
4月18日(月)
晴れ
@ ショッピング>家楽福魯迅路店、友誼商城ほか
A 
散策>再開発中の高爾基路(中山路との交差点から星海手前の馬蘭河、高爾基路橋まで
B 散策>マンション周辺
C 夕食>昌隆シャブシャブ(メル友と大連友人)
4月19日(火) 友人から頼まれた会社訪問(開発区、金州)
4月20日(水) 大連友人の会社訪問(旅順)、水師営会見所見学、昼食馳走、夕食馳走(大連大名)
4月21日(木) 帰国>中国南方航空CZ619<大連08:05発>中部国際空港11:15着(日本時間)

2005年4月14日(木)>1日目

はじめての中部国際空港を散策

さて、搭乗手続きを終え、荷物を預けて身軽になったところで、
早速、3階出発ロビーからエスカレーターで、4階の商店街スカイタウンへ上がった。
正面の明るいところがスカイデッキのようです。
3階出発ロビー 4階商店街スカイタウン
 
スカイデッキは空港ビルのほぼ中央部に位置し、国内線と国際線を分離するように三重県側に突き出ています。
 ぐるっと一回りしました。 離着陸がひっきりなしです。今まさに離陸する飛行機。
スカイデッキ1 スカイデッキ2
 
スカイデッキの先端部には離着陸機を見ようと、大勢の人が集まっている。
離陸する飛行機を撮っていたら、東南アジア系の若いカップルが割り込んできた。
スカイデッキの先端から空港ビルを見る。国内線ウイング側に管制塔が見えます。

スカイデッキ3

スカイデッキ4
 

国内線ウイング側(名古屋港方向)

スカイデッキ5
 
つづいて、記念品をもらうためJAの店を探す。
4階のスカイタウンには中央部のイベントプラザを挟んで、両側に和風(ちょうちん横丁)と洋風(レンガ通り)に分かれて、たくさんの地元料理店や特産品店が出店している。 JAアグリスは両方に店があり、それぞれの記念品贈呈券をもらっている。
 

まずはちょうちん横丁側です。 ここはイベントプラザ通りの面しているので、すぐ見つかりました。
ここでもらったのは「手作りいちじく甘露煮」です。 これはジャムのように見えますが、名称は「惣菜」となっています。

あぐりす1

アグリス1の記念品

 

レンガ通りの店はなかなか見つかりません。路地のような狭い通路を人ごみを掻き分けて、探しました。
そこで、偶然珍しい人に会いました。 藤堂君のお母さんでした。仕事の関係があるようでした。
ここでもらったのは、ラベンダーの鉢でした。どんな花が咲くでしょう?

アグリス2 アグリス2の記念品
 
歩き疲れました。一服しましょう。喫茶店もたくさんありますが、 店の奥に入り込んでしまうのも、面白くありません。 そこで、コーヒーを買って、イベントプラザの休憩テーブルで飲みました。
イベントプラザの中央部には、トヨタのF1レーサーが展示されています。
 
記念写真撮りました(^O^)
4階イベントプラザのF1レーサー前で記念写真
 
手荷物と服装チェックが終り、出発ロビーに入ると、
ずらっと免税店が並んでいる。
出発ロビーの免税店1 出発ロビーの免税店2
 
ここで、個人用のお土産を買わなければなりません。ひとつはお母さん推奨の化粧品で、シャネルのグロスです。もう一つはタバコです。 空港にしか売っていない銘柄がありました。
マールボロのスーパーライト(2,100円)です。これを3箱買いました。たばこ好きな友人に送ります。

ロビーには大連行きの客が搭乗案内を待っています。乗客はあまり多くないようです。
ゲートは30分前に開きました。
私の座席は10Aでしたから、翼の少し前です。写真が取りやすい位置で幸いでした。

すぐ前がビジネスクラスの座席でしたが、数人しか座っていません。エコノミーも半分くらいでした。 週4便でこの程度の乗客数だと、いずれ便が減らされることになるのではと、心配です。

いよいよ離陸です。私としては中部国際空港からの初めての出発です。
いつになく緊張しました。機は順調に離陸しました。ほっ!(^O^)

以下は離陸の様子です。 離陸をこれほど詳細に観察したことは、過去にありません。
離陸は知多半島の先端方向(東側)です。
座席が左側で、ちょうど我が家の方向だったので、いっぱい写真を撮ってみたかったのです。
うんざりするかもしれませんが、ご容赦くださいm(_)m
 
まずは、3000m滑走路までゆっくり移動します。
国際線ウイングから国内線ウイングの端っこまでですから、かなり時間がかかります。
滑走路1 滑走路2
 

エンジンが最高回転数に到達したようです。
機は向かい風方向の太平洋側に、ゆっくりと動き始めました。
徐々に速度が上がり、空港ビルの真横を疾走します。
遠くに管制塔が見えます。

スカイデッキの少し手前あたりで、前輪が浮上しはじめ、
国際線ウイングを通過する時には完全に浮上しています。
これがジャンボ機以上の超大型機になると、
スカイデッキあたりから前輪が浮上しはじめ、
際線ウイングの途中くらいから、やっこらさ浮き上がります。
見ていてハラハラします。

離陸1 離陸2
 
国際線ウイングの前方に我が家があります。
この先に古場があり、そこから桧原街道が始まり、
我が家につながっています。
離陸4

離陸3

 

機はますます機首を上げ、上昇します。エンジンの傾きを見ると、このことがよく解ります。機は少しずつ飛行場から離れていきます。

離陸5 離陸6 離陸7
 
しばらくすると眼下に琵琶湖が見える。 またしばらくすると湖岸?海岸?よく解らないが、
山の斜面(北側?)に残雪を見える。
琵琶湖上空 残雪を見る
   
さらにしばらくすると雪で白い山の尾根が続いている。多分、アルプスであろう。
この後、眼下には雲海しかみえなくなった。
アルプス上空2 アルプス上空1
   
通路側にちょっと太った、色の少し黒い、声のかれた男性がいました。
名前は神山(こうやま)さんといいます。 3月から大連に事務所を設置したといいます。
会社は名古屋を本拠地とする「チケットセンター」です。名刺にURLが書いてありました
http://www.ticket-center-inc.com/

縁あって隣り合わせになったので、私の大連4年間の経験を少し、お話しました。
彼は大変参考になったと、大喜びでした。
まだ大連での名刺がないので、日本の名刺に大連の連絡先(電話番号、携帯番号、メールアドレス)を書いてくれました。

大連空港には予定通り着きました。大連はこの時期特有の春霞がかかっていました。
うららかで、温かい天気でした。コートを持ってこなくて正解でした。

神山さんには空港へ迎えに来る中国人がいるようです。
私はいないといったら、通り道だから送ってくれると言う。ありがたくお願いしました。
 
会社に着いたら、守衛がまず驚き、次ぎに偶然、総務部室から出て来た部長が驚き、みんな突然の訪問にびっくりしていました。 私が今日来ることは、日本人は知っていたが、個人的な訪問ですから、従業員には内緒にしていました。 早速、お土産(お菓子)を配りました。おかげで、スーツケースがすっきりしました。

夜、日本人駐在者および出張者と食事をする約束をして、ひとまずホテルに向かった。
ホテルは一度は泊まってみたかった、中山広場の旧大和旅館「大連賓館」です。
1909年着工1914年完成ですから、90年経過しています。どんな建物かは別リポートを参照ください。

予約はやはりインターネットでした。
このホテルの格は三ツ星です。歴史的価値だけでは五ツ星にはなりません。
従って、宿泊料も安いです。シングルで1泊5000円です。

ところで、
大連には五ツ星の超高級ホテルが6つあります(ホテルオークラクラス)。
大連富麗華大酒店(フラマ)、富麗華南山花園酒店、希楽頓酒店(ヒルトン)、香格里拉大酒店(シャングリラ)、瑞士酒店(スイスホテル)、大連海景最佳西方精品酒店(ハーバービュー)です。
場所はなぜか、全部中山区にあります。 1泊10,000円から15,000円です。

また、四ツ星ホテルは24あり、1泊7,000円から10,000円くらいです。

 
フロントで名前を言うと、すぐわかりました。
フロントの女性は中国人ですが、日本語ができます。部屋は4階でした。
 

ボーイが荷物を持って、エレベーターで案内してくれます。
 エレベーターを降り、分厚いカーペットの通路を歩いて、部屋に向かいます。ホテルの真ん中は最上階まで吹きぬけの階段です。

大連賓館4階廊下 大連賓館吹き抜け階段
 

部屋の鍵は電子カードです。ボーイにお礼を言って、部屋に入ります。チップは不要です。室内はこんな感じです。

大連賓館ルーム1 大連賓館ルーム2
 
大連賓館ルーム3
   
大連賓館ルーム4>バストイレ 大連賓館ルーム>洗面台
 

夜は今回大連訪問の目的の一つ、中国式シャブシャブ火鍋(huo3guo1)を会社の友人と食べます。
場所は五四広場近く、家楽福黄河路店の裏です。 (新しく出来たマイカルー西安路店の真ん前)

店の名前は「昌隆」です。「火鍋」は読んで字の如く、鍋料理です。
しかし、とてもうまいので、大連駐在中は寒い冬はもちろんですが、
真夏の暑い時も、汗をかきかき月に3回ほど来ました。
どれだけ飲んで食べても一人60元(1000円)くらいです。
円テーブルに5人のメニューがこんな感じで並びます。

中国式シャブシャブ

 
鍋は二通りあります。ひとつはここのように小さな鍋がひとりずつ出てくる形式。
もうひとつは大きな鍋を真ん中で二つに仕切り、片方を辛い汁、片方を辛くない汁とし、メニューによって使い分けて食べる形式です。

大連市内にもたくさん火鍋店があり、鍋もいろいろです。ただ、重慶火鍋の鍋は後者の形式が多く、辛い汁の辛さは強烈です。 一口食べただけで、口の感覚がなくなるほどです。

一つ鍋で和気あいあいもいいですが、焼肉パーティと同じで、食べるものがすぐなくなってしまいます。
まめな人は鉄板に載せるだけで、いつまでたっても食べれない。
これよりはひとりひとりが自分の食べる分だけを、自分の鍋に入れて食べるほうが気楽で合理的です。

それでは、食べ方を簡単に説明します。
鍋が噴きたってきたら、食材を入れ、適当に煮えたところで、箸につまみ、写真手前の鍋とビールの間にある付け汁に浸けて食べます。

浸け汁はしょうゆ味に各種香辛料を入れたもので、これがおいしさの秘密です。
作り方は企業秘密で、教えてくれません。 お代わりは自由です。
もちろんだし汁も追加自由です。

さて、テーブルに並んでいるメニューを少し紹介しましょう。

中央あたりに赤く見えるのが肉です。 大きな丸い皿に入った上牛肉(1000円)、その手前の角皿に入った肉も牛肉「眼肉」(400円)、大皿の右の丸皿に入った肉は羊肉です。

通常眼肉と同じ角皿に入っている(1皿150円)が、これを3人前くらい集めたようです。
中国式シャブシャブの醍醐味はこの羊肉で汁のダシを取り、海鮮や野菜やうどんを食べることです。

牛肉大皿の真ん中に載っているのが、中国式面(うどん)です。茹で上がるまで時間はかかりますが、それはそれはおいしいのです。 今日の面は初めてみるもので、薄い緑色です。お茶葉が入っている茶面だそうです。だし汁がよくしみ込んで、とてもおいしかったです。

他には野菜(キャベツ、春菊、えのきだけ、黒木耳)、海鮮(生えびの団子、貝柱)などです。
この中で私が最も好きなのは生えびの団子です。 鍋に入れてしばらくすると、プカーと浮いてきます。
このときが食べごろです。甘く、とろけるような食感が特徴です。

テーブルの手前の鍋の奥にある黄色いものは、豆腐を揚げたものです。中国人はこれがとても好きです。 肉や海鮮のダシをたっぷり吸って、とてもおいしくなります。最後はもちろん、面です。

以上中国式シャブシャブ(火鍋)についてリポートしました。
皆さんにも是非一度食べていただきたいメニューです。 ご希望があれば、ご案内いたしましょう(^O^)

これで初日の4月14日を終ります。再見!

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2005年4月15日(金)>2日目

 

ホテルの窓からみた大連の早朝。右側が渤海大酒店、左側が大連五一国際酒店。中央に見える低い建物は鉄路医院(鉄道病院)。

 
今日の予定は黄河路のその後を確認することと、西安路にできた「大連商業城」をウインドショッピングすることです。 そして、夕食は楊さん、王さんと一緒です。
まだ、場所は決めていませんが、飲茶などいいなと思っています。

さて、今日の 行程ですが、ホテルから中山路を通り、駅前長江路から、旧電子城前を通り、黄河路に入ります。 大連市政府までの完成状況と、その対面の開発状況を確認します。

ホテルを出て、中山広場をぐるっと見回します。こんなに早く、この広場に来たことはありません。
景観に変化はなさそうですが、ホテルの横と広場の中に公安の車が停まっています。

反日デモが各地で起こっていますから、警戒しているのだと思います。
この状態は私が帰る21日までずっとでした。多分、私が帰った後も、この警戒体制は継続しているのではと思います。 ただ、日曜日17日が山です。この日は中国全土で反日活動が起こると言われています。ここ大連ではどうなるのか興味深々です。

 
 
友好広場にでます。このあたりも大きな変化はありません。
 
大連駅から旧電子城あたりまでも、同じく大きな変化なし。
 
勝利広場から郵便会館方向 まだ健在の天添楽快餐店
 
  市電通り長江路と友好街との三叉路(正面の新地が旧電子城です)
 

市電通りをさらに進み、駅方向を振り帰る。左側の電子城跡地は完全に新地になっていました。
ここに何が出来るのでしょうか?楽しみです。

 

長江路から三叉路を曲がり、黄河路へ入ります。 しばらく進むと、長屋が取り壊されていました。
この長屋は大連リポート194で紹介しました。
長屋のほぼ中央部に「大連市第三十七中学」という表示がある建物です。
 この前を通ったのは、ちょうど1年前の5月9日でした。 当
時もほとんど空き家でしたから、いつ取り壊されても不思議ではない建物でした。

 
またひとつ歴史的建築物が消えます。まことに残念です。
 
面白い、車を見つけました。結婚式披露宴に使うものです。
新郎新婦が披露宴の会場に到着すると、爆竹を鳴らし、紙ふぶきや風船を飛ばします。
お金を出せば、このような車が来て、色とりどりのリボンや紙ふぶきを打上げてくれます。
 
特に春節とか国慶節などの行事やレストランなどの開店祝いでは、はでに打ち上げます。
2001年の春節(星海会展中心前広場)
 
2003年>日本焼肉屋の開店(長興街)
 
黄河街との交差点もすっかり壊されて、前方のテレビ局が丸見えになりました。 左側のマンション群はもうすぐ完成します。
 
しかし、市内いたるところにこのようなマンションが出来ています。
値段は30万元から60万元はします。 売り出されたマンションのなかには、既に空き室もたくさんあるようです。いったい誰が住むのでしょうか?

一般庶民が住める、10万元から20万元程度の安いマンション(アパート)は市内からずっと遠い位置(馬蘭子、辛塞子、甘井子、泡崖子・・・)に、 これまた大量に建設されています。 市内に住んでいる人達も、立ち退きの保証金だけで、同じ場所に出来た、新らしいマンションは購入できません。
ですから、みんな不便でも郊外に住まざるを得ないのです。

ただ、大連は小さな町ですから、郊外といってもバスで30分くらいで中心部に来れます。
市政府は市民の足確保のため、バスだけでなく、有軌電車(市電)の整備も強化しています。
現在3路線が開業しています。

201路線>沙河口駅から大連駅まで
202路線>興工街から北河口まで(旅順の手前)
203路線>大連駅から東海公園まで

 
さらに、黄河路を進みます。 どこで写真を撮っても、
テレビ局のアンテナ塔が見えるようになりました。

老虎灘につなぐ長春路まで来ました。
この路は人民広場と奥林匹克広場との間にあります。

 
長春路の再開発は完了し、中山路との交差点では「百盛」が既に営業していました。
角に大好物の「チャイナケンタッキー」があります。が、先を急ぎます。
長春路側
 
中山路側
黄河路と中山路との間の外観はほぼ完成しています。
道路の拡幅は当然ですが、大連のような小さな町でも、中国独特の都市計画が実践されています。
それは、バカ広い歩道です。このような設計方針は日本でも見習って欲しいところです。が、
大連ではこの広い歩道が人間の歩く道ではなく、車の置き場所<駐車場>となることが多いのです。
後ほど、駐車場化した歩道を、証明しましょう。
 
奥林匹克広場方向>正面に大連市体育場が見えます。 約1時間で中山公園です。見慣れた「華宮」が変らぬ姿で迎えてくれます。
ここへ来たら必ず、写真を撮る場所があります。
華宮の階段を登り、砦のようになった壁の上に立ち上がって、
奥林匹克広場方向と大連駅方向を撮ります。両方向は今や、対照的です。
 
まず、奥林匹克広場方向です。中山路と黄河路との間はほぼ再開発が完了し、
高層マンションやショッピングセンターが出来つつあります。
 
次ぎに、黄河路と長江路との間は今、取り壊し中です。
ほとんどが平屋と2階建ての住宅街でしたが、今ここ、華宮から眺める景色は新地状態です。
 
華宮には数え切れないほど来ていますが、中を詳しく見たことがありません。
時間はたっぷりありますので、裏側に入ってみました。 正面の階段を上がって、
右に回り、1周するとここに出てきます。 ゆっくり歩いて、15分くらいです。
 
振り返ると、「古文化市場」のボロボロの門があります。
 
驚きました。ここは「古文化市場」でした。
くねくねと曲がりくねった長屋のような、中国独特の建物の中に、小さな骨董品店が何十もあったのです。 誰もいないような店を覗くと、薄暗い店内には人がいるのです。
みんなお客さんが来るのを待っているようです。

が、私以外客らしい人は誰もおりません。これで商売が成り立っているのでしょうか?
不思議な場所です。今回は1人でしたから、店の中には入りませんでした。
恐いですから(^レ^;

次回、来た時は買い物してみようと思います。
しかし、1人では恐いので、地元の人に案内してもらいます。

華宮から、中山公園に入ります。さすがに足が疲れました。少し休みたいです。
ベンチのあるところは分かっています。 散歩している年寄りがたくさん歩いています。
中国は日本以上に高齢化社会なのではと思うほど、公園や広場には老人があふれています。
今日は、ここに日本の老人が加わりまして、誠に申し訳ありませんです(^レ^;

孫文の立像の在る広場周辺にはベンチがあちこちにある。11時半くらいでしたが、温かい陽射しが心地よかった。 スニーカーを脱ぎ、疲れた足を自分でマッサージしながら、のんびりと30分くらい休んだ。

隣のベンチには私服の青年と中年の男性がなにやら話していた。
親子のようでもあり、会社員のようでもあり、生徒と先生のようでもあった。
ただ、金曜日の正午頃、公園のベンチで、閑そうに話している姿は異常である。
しばらくして2人とも立ち上がった。

 
中山公園を連合路方向に抜け、昨年、建設中だったマーケットを確認した。
手前のガラス屋根がマーケットで、通りの向こうが「第七十九中学」である。
 
連合路側から中山公園を見る。
マーケットは公園の一部の地下に建設されている。(名前は「大連東方隆商場」
狭い大連市の土地有効利用だと思う反面、市政府のがめつい商魂が見え見えでもあり、脱帽です。

奥に見える鉄塔のある建物は、お馴染みのテレビ放送局である。この建物は大連のどこからでも見ることが出来る。 私達の住んでいたマンションはこの近くでしたから、道に迷ってもこのアンテナ塔を目印にできました。

 
 
長興街を五四広場に向かって進みます。このあたりにも駐車場化した歩道があります。
 
 
五四広場を通り、聖金広場手前から、西安路方向を見ます。
このあたりの変化は凄まじいものがありました。

右側手前から改装されてピカピカの消防署。 その向こうがいつも真赤な垂れ幕を、派手派手に張り巡らして大売出し広告する、デパート「二百大楼」。

正面右は西安路の向こう側にある旧長興市場。地階と1階が昔ながらの巨大市場で、2,3階が大連電子城(駅前の電子城がここに移転した)、 4階は開店当時、家具専門店街でしたが、成績不良のためか廃止されました。今回見たら再び、家具城にするつもりのようでした。

この市場は前にもリポートしましたが、市場の魚の生臭い匂いが、上の階まで漂うので、化粧品とか、貴金属とかを買うような雰囲気ではない。 また、衣類とか家具などは、匂いが染み付いて臭くなってしまい、これまた、売り物にはなりません。 従って、何を売るかはとても難しいと思う。

 
完璧に駐車場 化した広場や歩道
 
特に、今となっては、この左隣に巨大なショッピングモール「大連商業城」が完成しています。 また後で紹介しますが、西安路を興工街方面に進むと、大連商業城と同じくらいのショッピングモール「新天地広場」が建設中です。 すなわち、このあたりは東京の副都心「新宿」のような、大連の副都心になりつつあります。

さて、写真の説明に戻ります。正面左が完成直後のショッピングモール「大連商業城」です。詳しくは後でリポートします。

左側手前には懐かしき肯徳基があります。早く、大連の肯徳基を食べたいものです。鶏肉がピリ辛で最高です。日本のケンタッキーはとてもまずい。日本人はあんなまずいものをよく食べているな、と不思議に思います。今回、大連に来た目的のひとつがこれを食べることです(^O^)

ただ、値段がセットで1元値上がりしていました。昨年は17.5元でしたが、今回18.5元でした。いつの間にか値上げしたのです。
 
ショッピングモール「大連商業城」のトリプルタワーが壮観です。
このビルは今までに何度となく、マンションの13階から建設中の写真を撮っています。
 
2000年5月にこの一画は取り壊されました。その後、ちょうど5年で新しい街が生まれました。 よく見るとまだ内装が残っているようですから、完成までにはもう少し時間がかかりますが、それにしても、ものすごいスピードです。

聖金広場前の西安路ではカーネーションを売っています。中国の人はこのような路上でものを買うことがとても多いです。 理由は普通の店で買うより、値段が安いからです。流通経路がどうなっているか解りませんが、とにかく驚くほど安いのです。

買う人がいるから、売る人がいるのです。このような関係はとても社会主義国とは思えません。 ですから、活気ある大連には地方(田舎)から、物売りがどんどんやってきます。

 
従って、公安がいくら追い払っても、次から次と露店は生まれます。 それにしても、ここはばかに人通りが多い。
昨年、信号は出来たが、守っている人は少ない。これ中国式あるよ!
 
西安路と黄河路との交差点は今や、大連で最もHOTな場所です。
大連商業城の中心的ビルは羅斯福天興国際大厦です。
このビルの一画には巨大なデパート「MYKAL(麦凱楽)」が、既に営業していました。
この前にはフランス系スーパーマーケット「カラフール(家楽福)」が何年も前から、営業しています。
私もよく買い物に行きます。
  
 
しかし、西安路は市電202路線があり、とても狭いのです。
そこで、反対側の舗道を削って、車道を拡幅していました。
舗道は最近、パーキングエリアですから問題です(^レ^;
 
新しい大連商業城側の舗道はバカ広い。
昨日食べた、シャブシャブ店「昌隆」が右手に見える。
その隣の舗道は工事中で、ネットが貼ってあった。
右から2つ目の高いビルが、元、住んでいたマンションです。
 
大連商業城のショッピングモール街とデパート「麦凱楽」は既に営業していました。
中はこんな感じです。 長さ200mくらいのショッピングモール全体が天井まで吹き抜けです。
なにしろスケールがでかい!
   

 
長興市場の2階から五四広場方向を見る。肯徳基のある手前の空き地に何かが出来るようです。 聖金広場方向
 
西安路の狭い歩道ではたくさんの露店が開いています。
なかに珍しいものを売っている人がいました。
動物の一部のようですが、解りますか??
ひとつひとつをよく見てください。
長興市場の前では木の実を山のように積んで、秤売りしていました。
中国では極々、普通の眺めです。が、交通量の多い西安路です。
こんなホコリっぽいところで売っているものは、とてもそのままでは食べる気がしません。
こちらの人は、指でつまんで試食し、好みに合えば買います。
秤売りの商品は大抵、試食できます。
 
ちょっと足を伸ばして、興工街の交差点方向に進みました。ここは新天地広場の建設中です。 高層ビル3棟はまだ外観が終ったところでしたが、通りに面したところでは、なんと「WAL☆MART」が営業していました。
ウオルマートの大連1号店は奥林匹克広場の地下にあり、回転寿司を食べによく行きました。2号店は開発区。ここは3号店です。

昔からのデパート「百盛」と昔からの市場「長興市場」を挟んで、「麦凱楽」と「WAL☆MART」が西安路に殴りこみを掛けてきたようです。 全部が順調に経営できるとは思えません。さてさて、生き残れるのはどこでしょうか??この勝負の決着は何時つくでしょうか??
 
 

今日は、夕食を楊さん、王さんと食べることにしています。その時刻まで、まだまだたっぷり時間があります。 そこで、ここから市電に乗って星海広場へ行ってみることにしました。 市電の来るのを待つ内、あることに気が付いた。

大連駅行きの201路線はすべて、旧型の市電。星海方面行きの202路線はほとんどが上の写真のような2両編成の新型電車でした。 たしか、乗車賃は旧型が1元、新型は2元だった。とすると、202路線に乗る人は倍の2元払わなくてならない。これで文句ないのだろうか??

要らぬ心配をしながら市電を待っていたが、地元の人も大勢待っているので、みんな2倍払うことを了解しているのだなと勝手に判断。 市電がやってきた。ドアが開いた。
乗り込んだ。料金を払う。ちょっと待て、2元ではない。1元だ!!

昨年は乗車賃を入れる箱に2元と書いてあった。が、今はそれが消えている。
ということは、新型も1元になったのだ!! これなら誰も文句言わない。メデタシめでたし(^O^)

星海は金曜日というウイークデーにもかかわらず、たくさんの人でした。
観光客もかなりいるようです。 とりあえず、海の見える先まで行くことにします。
豪華客船「ORIANA」を見たいからです。

 
星海広場中央部の広場には酉年にちなんだ、真っ赤な「電飾にわとり」が飾ってある。
左側が会展中心の建物ですが、右側にはガラス張りの建物が完成しています。(昨年は鉄骨だけ)
 
濱海路西路方向でも背の低い建物を建設中です。何ができるか楽しみです。 広大な星海広場はとても歩きでがあります。

 
中央通路の左側では凧を揚げています。この広い大空は格好の凧揚げ場です。 中央部から星海広場全体を見ます。壮観でしょう(^O^)

 
海を見ると豪華客船「ORIANA」が見えます。が、ちょっと変です。
写真見てください。変でしょう?? 船が傾いていませんか??
左側の上船用桟橋も壊れています。いったい何があったのでしょう?
更に詳しく見るため、近くまで行こうとしましたが、入場禁止になっています。
遠くから見てもやはり、船は傾いています。どうやら座礁したようです。

 
これ以上、前にいけません。船体はあちこち錆び付いています。座礁してから、相当経過しているようです。
夜、楊さんに確認したら、昨年秋の台風で浅瀬に乗り上げたそうです。それにしても修復に時間がかかりすぎです。
タグボートなども出ていましたが、良い方法はないのでしょうか?
日本などの先進国に相談すれば、良い考えが出るかもしれません。
 
今の状況では、朽ちるのを待つだけのような感じがします。
なんともいやはや、もったいないことです。
帰りに、広場でたくさんの人が凧揚げしていました。壮観でしょう(^O^)

 
どこからか、ビューンビューンという音が聞こえます。よく見ると、こちらも凧でした。遠くからしばらく見ていました。
 この凧はすごいスピードで上空に揚がったり、地上スレスレまで落下して、そのまま水平に走ったりしていました。
何度も何度もこのような飛行を繰り返し、絶対に落下しないのです。本当に不思議です。いったいどんな凧なんでしょう?
 
私もこの不思議な凧揚げを見たいと思い近づきました。
驚きました。両手で凧を操っています。鮮やかな手さばきです。
急上昇、急降下、水平飛行、宙返りなどなど自由自在です。
しばらく妙技に見とれていました。
 
会展中心では「杭州の絹織物」即売展をやっていました。 昨年、私はここで奥さんと子どもの土産を買いました。 今年も何か、買おうと探しましたが、適当なものが見つからなかった。残念!!
ただ、日本へのお土産として、中国茶(麻莉花茶)を10軒分買う予定でしたが、 ここに福建省のお茶があったので買ってしまいました。

おお荷物を持って市電に乗り、終点興工街まできました。 建設中の新天地広場には、スーパー「WALMART」が営業していた。 後方の高層ビルと同じ高さのビルが「コの字」に3棟出来る予定です。

 
多分、マンションだと思いますが、誰が入るのでしょうか?
 
楊さんとの食事の約束18:00にはまだ時間があります。
それにしても、10軒分のお茶は重いです。 そこで、夕食の場所、勝利広場まで市電に乗って行きました。皇賓楼3F,4Fは外から見ると改装中のようです。 2Fの喫茶店Papa’sはやっていますが、3Fへのエスカレーターは停まっており、上は真っ暗です。 ということは、ここで飲茶を食べることはできません。

場所は楊さんに決めてもらいましょう。
ということで、私は重い荷物(お茶)を持って、ホテルに戻り、楊さんから電話が来るのを待つことにしました。

一服していると、電話があり、食事は中山広場に近いところに決定。
ブラジルの焼肉バイキングになりました。 場所はホテルシャングリラ手前の北方大酒店の5F?「サンパウロ」という店です。このあたりは日本料理店もたくさんあります。
レストラン「サンパウロ」の雰囲気は写真を撮らなかったので、お伝えできません。
費用は食べ放題で1人約60元です。

 
 
食事の後、懐かしいところとして、人民広場裏の 「ノアの箱舟」 に寄りました。
スキンヘッドのマスターはとてもお元気な様子でした。ここでお茶を飲み、2人を家まで送りました。

今日は一日、大変な運動量でした。足が棒のようになりました。これで2日目、15日は終りです。

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2005年4月16日(土)>3日目
 
今日は土曜日ですが、大連の大方の会社は仕事をしています。
そこで、友人の会社へ遊びに行きました。もちろん、事前にメールでアポは取ってあります。

昨日はたくさん歩いたので、足がまだ、腫れたような感覚です。筋肉痛は3日くらい遅れてくるかな(^レ^;
筋肉痛が起こる前に、それ以上の運動を行えば筋肉はほぐれて、痛みは出てこない。これ、経験則(^O^)

 
さて、大連賓館のレストランはこんな感じです。
歴史を感じるでしょう!厨房はボロボロかな?失礼m(_)m
朝食をご紹介します。毎日だいたいこの献立です。
右がお粥。惣菜は漬物類、卵・春雨・野菜などの料理です。
 
友人の会社訪問は午後ですから、午前中は閑です。そこで、目の前のロシア街に出かけました。
中山広場から上海路を臨むと、勝利橋の向こうにロシア風情を保存するための一画があります。
ここが、「俄羅斯風情街」すなわち、ロシア街です。
 
勝利橋を渡って右側の通り。左がロシア街です。観光バスが何台も停まっています。
右端に移っているのは中国式コンビニ(屋根付き露店)です。
観光バスの向こうがロシア街です。ロシア風の建物が500mくらい続きます。
右側の建物は修復中です。 手前の車はタクシーです。昔はすべて赤でした。
これが、昨年から、このような明るく、清潔感ある色調に変わりました。

その向こうを、黒い服を着たおじさんが、
自転車リヤカーに荷物(ダンボール)を積んで、
走っています。これが大連の姿です。

 
それでは、ロシア街を歩いて見ます。まずは、正面の改修中の建物です。 この建物は大連市の重要保護建築物に登録されていました。
今まで、何度もここには来ましたが、気がつきませんでした。
 
2月に開催された、愛知万博の中国館に展覧する
優秀写真の全国巡展案内が掲示されていた。
 
 
とんがり帽子のような屋根を葺き替えています。現場監督らしい色の白い男性が上にいます。
ロシア人かもしれません。 家づくりは個人的にもはなはだ関心が強いので、しばらく工事を見ていました。

 
 
ふと、右側を見ると、重要保護建築物の銘板をつけた建物を見つけた。勝利橋を渡って、右側にある建物です。
これまた、今まで気がつかなかった建物です。他にもありそうなので、今日はロシア街の建物を全部調査してみました。
  
 
ロシア街に入ります。
 
ロシア街入口の左側建物では入口階段が綺麗に飾られ、今まさにイベントが始まろうとしていました。
爆竹を通路真ん中に置き、打上げ花火の大きな箱が4個、歩道に並んでいる。
  
 
4,5人の係員がライターで一斉に火をつけると、すさまじい爆竹の炸裂音と花火の轟音と煙で充満します。
約15分の宴でした。 爆竹は破片が飛んでくるので、とても危険です。しかし、みんなこれがとても好きのようで、
大人も子供も集まり、遠巻きに見ています。 終ったあとはあたり一面、ゴミだらけです。
掃除は清掃婦の仕事で、当事者は何もやりません。これが中国式なのです。
 

過去に、何度もロシア街の主要な建物はリポートしているので、今日は今まで見落としていた、アングルに絞った。 例えば、脇道に入ったところの、煙突のある建物。保存されるのか、壊されるのか解りません。

 
正面の細い通路の突き当りがロシア街と民家との境界(出入口)です。
通路の両側にも小さな店がひしめき合っていますが、まだシャッターが降りている。
 
ロシア街を歩いていると見えるレンガ造りの住居。(むかしロシア人が住んでいた?)
 
ロシア街を出て、勝利橋の上で人だかりが出来ている。見ると、伊勢海老2匹を売っている。
今朝、海で採ってきたのであろう。「いくら」と尋ねたら、一匹200元という。
しばらく見ていた。みんな珍しがってはいるが、誰も買わない。いったいいくらなら買うのであろうか?
 

昨日、楊さんから聞いた、新装天津街で開店間もなく、つぶれた百貨店を見に行った。
店の名前は「VIVO」である。 100m四方で、3階建てのこのデパートは中国人経営だが、
商品も高価な日本人向けが主であったという。 結局、天津街のデパート「VIVO」まで、
日本人が出向かなかったということなのであろう。残念!!

お昼は楊さんと待合せて、イトキン8Fの「菊水」でラーメン食べました。
イトキンの前の通りから駅方向を見ると、あのあたりも近いうちに「再開発されるな」と感じた。 もうすぐ風景が変わりそうです。

 
 
久しぶりに日本式餃子を注文したら、分厚い中国式焼き餃子が出てきました。味もまた中国式でした。
いつから変わったのか、文句言ってやろうと思いましたが、文句はまずい餃子と一緒に「グッ」と飲み込みました。
友人の会社へ行くのは初めてです。旅順の近くでしたから、タクシーで50元くらいかかりました。
会社の周囲には中国の田舎では極々、普通に見られる民家があります。
 
 
 
 
 
今日の訪問には別の目的もあります。それはソラマメのような植物の名前を調べることです。
友人は南方出身者ですから、多分知っているはずと予想しました。案の定、知っていました。
名前は「p角」zao4 jiao4といいます。pzaoは文字化けするかもしれません。上が「白」、下が「七」です。実の大きさは1cmX2cmくらい。

このマメ科の植物は、4月10日のわが町の祭りで、山車を曳いているとき、通りかかった民家の垣根に巻きついていたものでした。 みんながこの木を自宅に植えたいと言い始め、民家の主に尋ねたら、中国南方の植物と答えてくれたのです。

ちょうど、私が大連に行くと言うことで、調べて欲しいと頼まれました。
私には南方出身の友人がいましたので、自信はありました。
彼にこの植物を取り寄せてもらうようお願いしたところ、こころよく受けてくれた。
あとは届くのを待つだけです。

その夜は会社の幹部が集まって、市内の中国式レストランで夕食をごちそうしてくれました。 場所は元住んでいた興工街に近い、五一広場でした。そのレストランも昔はよく食べに行ったところです。
最近は、マンションにもっと近いところに安くて、うまい店がいっぱい出来たので、わざわざここまで来ることがなくなった。 写真を撮ることを忘れるほどに、楽しく飲んで食べました。

 
これで3日目、4月16日土曜日はおしまい!

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2005年4月17日(日)>4日目
 
今日は、今回の大連旅行でもっとも楽しみな一日です。
それはメル友に逢えるからです。そのメル友は若き?(初対面ですから)女性なのです。
メールから判断すると、かなりしっかりされているので、20代の後半、てとこでしょうか?

年甲斐もなく、期待で胸が弾みます。 名前は解っていますが、NETですから伏せておきます。彼女も当初は、私のことをYOHKAIさんとしか知りません。
彼女とメールの交信を始めたのは、彼女からの問合せ(2004年12月14日)がきっかけでした。

 
はじめまして。
突然メールする失礼お許しください。
私は現在大連で日本語を教える仕事をしている者です。
実は「大連音楽クラブ」について調べようとしたところ、YOHKAIさんのホームページ1件だけにあたり、読ませていただいてぜひお話を聞きたいと思いメールさせていただいた次第です。

YOHKAIさんの聴きに行かれた演奏会はだいぶ前のようですが、今年も演奏会があったようですね。関さんにもお会いしたのですが、YOHKAIさんの文を読むまでそんなにすごい方だと知りませんでした・・・。

私は音楽については無知で下手なのですが、打楽器が好きで続けており、中国では無理だとあきらめていたところ、情報誌でこの団体のことを知りました。だから、YOHKAIさんのページや写真で少し雰囲気を知ることができてうれしかったです。長々とすみません。この喜びをお伝えしたくて違う項目からと承知でメールさせていただきました。失礼いたします。○○
 

私の返信

こんにちは!○○さん!YOHKAIです。あなたのお役に立ててうれしいです。
大連音楽クラブは年1回、大連の若い音楽家志望者とともに発表会を開いているようです。
大連の文化的インフラはまだまだの感が強いです。演奏会や演劇会などの催しも非常に少ない。
大連音楽クラブのような同好クラブは他にもあります。領事館やJETROに問合せするとわかります。

さて、大連から7月に帰国し、少しずつ大連の情報が少なくなってきました。
そこで、○○さんにお願いがあります。大連の変化を教えて欲しいのです。
私の大連リポートを見ていただくとお分かりの通り、私は大連の20世紀と21世紀を見てきました。
今後も時折、大連に出かけ、変貌振りをリポートしたいのです。

○○さんは大連にいつ来られましたか?そしていつまで滞在しますか?
日本語の先生をいつまでやられるか解りませんが、できましたら大連の町の様子を教えて欲しいのです。タイミングよく出かけることは出来ませんが、そのときは必ず、そこに出かけ、大連リポートの続きを書きたいのです。ご検討ください。ではでは再見!

ということで、交信がはじまりましたが、今年に入ってはさほどの交信もないまま過ぎていました。
今回所用で大連に行くことになり、是非ともお会いしたいと考え、私から彼女に連絡を取りました。

 
2005年3月24日  
こんにちは!YOHKAIです。
ご無沙汰しております。大連生活も1年になりますね!
仕事も順調で、パソコンにも慣れ、大連にもすっかり慣れたのではと、推察します。

正月は日本に帰省されましたか?
日本は3月に入って、暖かい日が続いています。梅はもう終わり、桜前線便りが南からやってきました。
大連も少しずつですが、温かくなってきますよ。来月はアカシアの花も咲きます。

さて、5月の労働節前、4月中旬(16〜20日)頃、大連行きを計画しています。
目的はその後の大連の変化をリポートするためです。そこで、是非ともご案内をお願いしたいのです。
ご都合をお返事ください。那モ再見!
 
彼女の返信  
YOHKAI-san

こんにちは!
こちらこそ、ご無沙汰してしまって申し訳ありません。メールありがとうございました。
実は私の住んでいるマンションのインターネットの調子が非常に悪く、ほとんど使えない状態なのです・・・部屋のPCで「大連レポート」を送るつもりでいたのですが、YOHKAIさんからのメールのほうが先になってしまいましたね^^;

なんと、今日でちょうど入社1周年なのです!
しかし私は結局中国語はカタコトのまま、現在に至っています。
YOHKAIさんのお役に立てないと思うので本当に恐縮ですが私の方はいつでも大丈夫ですのでご一緒させていただきたいと思います。(週末もあまり出かけないので本当に「変化」も知らないのです・・・)

役に立つ立たないは別としてぜひお会いしたいです。詳しい日程等が決まりましたらご連絡ください。
よろしくお願いいたします。
 
ということで、今回めでたく大連でデートできることになったのです\(^o^)/
 
昨日、彼女と電話連絡し、待ち合わせ場所と時間を決めました。場所は大連賓館、時間は10時ころです。
早めに、ホテルのロビーで待つこと30分、少し遅れるという電話あり。
待っている間にフロントの彼女に頼んでロビーで記念写真撮りました。
ただ、いかにも彼女はへたくそでした。シャッターを押す時、明らかにカメラが動いているのです。再生してみるとやっぱりです。 そこで、カメラの持ち方(左脇を締める)やシャッターの押し方を教えました。

しかし、その後、何度やっても同じでした。困っていると、私が撮りましょうと、ドアボーイがやってきました。彼はカメラの心得があるようです。1回で撮れました。

それでも、薄暗い室内ですから、光量が不足します。
フラッシュつけるとロビーの雰囲気が写りませんので、フラッシュなしで撮影します。
ですから、わずかでもカメラがぶれるとピントがボケるのです。
なかなか難しいですが、幸いにもレンズの性能が良いので明るく撮れます。

 
 

外に出て、広場の周りを見渡すと、やはり公安が3ヶ所で見張っています。 実は今日、
日曜日は中国各地で大規模な反日デモが行われるという噂が流れています。
私が来た14日から今日まで、広場周辺は厳重な警戒態勢です。
何事もなければいいのですが?

結局、彼女は11時頃になって、やってきました。小柄なお嬢さんでした。
ロビーで初対面のご挨拶のあと、私はもっぱら彼女の身上調査をしていました(^レ^;
(私のことはホームページで十分すぎるくらい理解されている(^O^)

驚いたことは、彼女は日本で就職(採用)して大連に来たのではなく、大連で就職したということです。 IT 関連の企業は日本向けのサポートをコストの安い、ここ大連でやっているという。 そこで、日本語の先生が必要なのです。

ただし、給料は日本人でも日本の給与ベースではなく、中国の給与ベースです。
企業もうまいことを考えたものです。 もらう給料が低いといっても中国大卒の3〜5倍くらいですから、生活費の安さを考慮すると、ゆうゆう貯蓄できます。

さてさて、今日実は、彼女の会社のボーリング大会で、これが遅れた原因でもあります。
場所は勝利広場の地下です。 もし、レーンが空いていたら、私達もやりましょうということで、出かけました。

 
その前に大連賓館の玄関で記念写真を撮りましょう。
デートのお相手はこの方です。小生いつになく緊張しています。
私ひとりの写真を彼女に撮ってもらいました。カメラの使い方は問題ありません。
なぜか、いつになく楽しそうに写っています。
 
ついでと言っては何ですが、中山広場方向でも写真を撮ってもらいました。
ここでちょっとしたハプニングがありました。とりあえず写真を見てください。
 
 
欲しい写真は最後の1枚です。が、このロータリーにはたくさんの市バス、タクシーが走っています。
前の2枚は偶然、市バスが通っているときにシャッターを押したのでした。なかなか面白い写真でしょう(^O^)
 

ボーリング場へ行く途中、男性社員に遭遇。
ボーリング場は地下3階だが、いつもと違う入口を入ったので迷いに迷った。
やっとたどり着いたら、彼女の上司(日本人の課長)がにこやかに立っていた。
フロントに確認すると、1時間待ちという。
今日は、この会社の貸切みたいであった。私達はあきらめて、お昼の食事を取ることにした。

彼女もまだ、さほどアチコチ歩いているようでもなく、食事の場所をあまり知りません。
いや、知らない振りをしていたのかも(^レ^;
皇賓楼は改修中ですから、好きな飲茶や四川料理が食べられません。

そこで、イトキンでラーメンでもと外に出たが、ふとマイカルの回転寿司を思い出しました。
実は大連生活4年の私も、まだ一度も行ったことがないのです(^レ^;
建物の隅にへばりついているような狭くて、細長い小さな店です。
お客さんは2組だけでしたが、もういっぱいの雰囲気です。

回転テーブルの長さは約10m、入口の壁に皿が貼ってあり、金額が書いてある。
お茶、ガリ、調味料など、すべては日本のシステムと同じです。
まずは中国製スーパードライで乾杯しました。楽しい1日になりますよう、かんぱーーい!!

味はイマ2でした。ネタが古い感じ。何よりも重要なシャリがまずい。これは最早、寿しとはいえない。「清水」のほうがまだましである。 海の幸が豊富な大連だからして、肴は新鮮なはずであるが、これはなんとしたことか? これを寿しとして食べている中国人に言ってあげなくてはいけない。

「これはニセモノです。 これが寿しだと思わないでください」と。

 
帰り際、店の写真をこっそり撮りました。彼女も同じように撮っていました。
彼女もデジカメ持っています。最近買ったのです。ある目的のために! それはまたあとでお話しします。
 

さて、腹ごしらえは済みました。
特に決めたスケジュールがあるわけではないので、思いつきで行動します。
中国結びを買いたいので、駅裏の韓国系ショッピングセンター「双興韓国服装城」に行くことにしました
マイカルーから地下商城を通って、勝利広場から長江路を渡り、大連駅横の通路を抜けます。

昨年、駅裏の広場はまだ工事中で、ショッピングセンターまで迂回したが、今はほぼ完成し、真っ直ぐ進める。

次の写真は別リポート(2004年春節)でお見せしたものです。
手前が大連駅、その向こうに広場があり、広場の向こうに見える横長の建物が巨大ショッピングセンター「双興韓国服装城」です。(向こうに見える海は大連港)

 
実は今回、新しい発見をしました。広場の左側に駅が出来ていた。
金石灘行きの路線です。今までは香炉礁駅が始発でした。注)この路線は別リポートを参照ください。
 

彼女はこのショッピングセンターに来るのが初めてでした。5階建てのショッピングセンターは小さな店がひしめき合っている。 細長いので、端から端まで歩くだけでもたいへんです。
店内は狭いので、それだけで暑苦しく、汗ばんできます。

ここへ来れば、生活用品は何でもあります。しかも、びっくりするほど安い。
もちろん私は中国結びの飾りです。 中国結びが小さな店にグチャグチャに置いてある。
写真を撮らなかったので、この雰囲気を伝えられなくて、残念!

さて、次はどこへ行こうか??
一般的に女性はショッピングが好きでは?などと勝手に決め付けて、中国名産品のデパートへ行くことにしました。 そこは、富麗華大酒店か?香格里拉大酒店?の近くです。 歩いても良いのですが、それでは味気ないなと考えていたら、最近増え続けている3輪タクシーが目に入った。これに乗って行きましょう(^O^)。

行き先はどちらだか定かでない(このデパートへ行く時はいつも迷い、いつも間違う)
運転手に「富麗華」と伝える。料金は5元。バタバタバタと騒々しく、ガタガタガタと揺れながら。
 

彼女もパチパチ写真撮っていましたが、うまく写ってましたかね?
 

約5分で到着。辺りを見回したが、それらしい店がない。ということは、香格里拉か(^レ^;
富麗華の横から香格里拉の横に行くには、人民路か長江路に廻らなければいけない。
ふと見ると、富麗華の裏口通用門が見えた。

ここから向こうを見ると、香格里拉が見える。これはいいぞ!!ここを横切れば早い。
一般人らしき人も向こうから歩いてくる。ということはOKかな?
不安な気持ちで通用口に入ると、管理室から声がする。 聞こえない振りして、足早に進む。
なおも背中に声が迫る。さらに無視して前進する。声がしなくなった。あきらめたか(^O^)太好了!

 
目的地はここです>大連古文化市場<大連中国工芸品旅遊品交易市場
 

ここは中国工芸品ばかりを集めている市場です。
外国人が泊まるホテルの裏ですから、さぞかしたくさん売れることでしょう。
品物は信頼でき、しかも安い。私はいつもここで刺繍のテーブルクロスを買います。

彼女も楽しそうにウインドショッピングしてました。絹刺繍のレターケースが気に入ったようです。
1枚20元くらいですが、友達へのお土産にしようとアレコレ選んでいました。
あまり時間がかかるので、私は他の店へ廻りました。

とある店で、3人がしきりにジーベン、ジーベンレンと興奮している。聞いていると、最近の反日デモについて議論しているようでした。 今日17日は全国的に反日デモが起こることが懸念されています。事実、あの上海で発生しました。大連は今のところありません。

元に戻りました。が、まだ悩んでいる様子です。
いい加減にしてよ!といいたいところですが、結果的にかなりの枚数買うようです。
さてさて、これから値段交渉です。まだまだ時間がかかりそうです。
私なら2,3回の交渉であきらめますが、彼女はしつこく、しつこく、交渉していました。
中国人の女店主があきれるほどです。日本女性万歳(^O^)/

私はと言えば、例によって王さんとこ(刺繍のテーブルクロス屋さん)で、ピアノのカバーをまた買いました。 常連ですからと、350元にまけてくれました。前と同じでしたから交渉もしません。
本当は彼女のように改めて、しつこく交渉すべきなんでしょう!
そうそう、王さんは4月28日に引っ越すといっていた。
新しい店は港湾広場の古芸楼2階です。今度来たときは是非訪問しますといって別れた。

一旦、ホテルに戻り荷物を置いて、ホテルの喫茶店で休憩。

実は、彼女がデジカメを買ったのは、まだ最近のことです。
目的は友人の日本女性が中国人の男性(日本留学生)と結婚するので、その結婚式の様子を記録するためです。 男性の故郷は北朝鮮との国境沿い、丹東市(遼寧省)です。
この結婚式が例によって、突然発表されました。4月16日(土)です。

実は、デートの予定は16、17の2日間でした。
が、友人の結婚式に出席したいので、16日がダメになってしまったのです。残念!!
中国の結婚式は私のホームページを見ればよく解ります。
しかし、実際に本物を見ることが出来る機会はめったにないでしょう。

一度は体験したい中国文化です。ということで、16日は丹東に行きました。没有バン法!
ただ、私も丹東の結婚式がどんなものか知りません。
そこで、彼女にはいっぱい写真を撮ってきてもらい、見せてもらいたいと要望しました。

とりあえず、カメラのメモリーに入った写真を見せてもらいました。 たくさん写真はありましたが、写真の整理が出来たら、メールで送ってもらうようお願いしました。

そろそろ夕暮れです。どこかでいっぱい飲みながら、食事がしたいです。
どこがいいかと思案中のとき、彼女がこの近くに焼き鳥屋があるという。
会社の仲間と来たことがあるらしい。 たしか日本料理店「竹馬」のビルという。竹馬なら私も知っている。

ホテルを出て、中山広場に立ち寄る。
この広場には日曜日になると、アチコチで人の輪が出来る。今日も何箇所か出来ている。
彼女にこの輪がなんであるか説明しながら、広場に向かう。 この輪は青空外国語会話教室である。

近くに大連外国語学院がある。
ここの学生が生の外国語を勉強するため、広場に来た外国の観光客を捕まえて会話をしに来る。 いつもは日本語、韓国語、英語など様々であるが、今日は英語の輪しかなかった。

なぜだろう??と、輪の中のひとりに尋ねたら、今日は日本語はダメです。
そうか、反日デモで揺れる中国です。
他の都市とは異なる大連でもひょっとしておかしな人間がいるかもしれない。
こんなときに日本語でしゃべっていれば、疑われて、巻き添え食うかもしれないのだ。
くわばらクワバラ!早々にここを抜け出し、人民路を港湾広場に向かって歩く。
見覚えのある通りを覗くと、日本料理点「竹馬」の大きな看板が目に入った。

 
3階の居酒屋「ふぶき」が目指す焼き鳥屋さんです。
 

入ってみると、ひっそりとしている。もちろん客もいない。
恰幅のいい主人らしき男が「今日は貸切なんです」といって、断り始めた。
ぐるっとカウンターがあり、その横にテーブルを4つほど重ねて、イスを並べ、団体客を受け入れる準備が整っていた。 彼女はすかさず、この前来たとき、とても焼き鳥がおいしかったとほめたたえた。

ご主人は我々が2人だということを確認して、カウンターでよければどうぞ!と招いた。
結構ですということで、腰を下ろした。

まず、ビールを注文。焼き鳥、つくね、その他適当に注文する。
彼女はなかなか飲めますよ(^O^) 仕事のストレス解消のため、毎日飲んでるようですね。
何しろ安いですから、変なジュース飲んでお腹壊すよりずっとグッド。

しばらくすると、団体客が入ってきた。
彼らはみんなここの常連で、今日はこの店の親睦ボーリング大会だったのだ。
多いに盛り上がっていた。日本人だけでなく中国人もたくさんいた。 反日デモなんかどこ吹く風です。

私達も飲んで、食べてすっかりご機嫌になりました。
彼女は食事は要らないというので、帰ることにしました。
カウンターの中のご主人に「一緒に記念写真を撮りたい」といったら、彼は、ここの店主はカウンターの外で接客している彼女だという。 それではと、2人と記念写真を撮ることにしました。

 
時間はまだ早い。バスもたくさん出ている。住いは海事大学付近という。友好広場のバス停まで送っていく。 今日一日、とても楽しく過ごせました。これもインターネットのおかげさまです。感謝感謝!!

彼女もまだ1,2年居るとのこと、再会の楽しみが残っています。今度逢う時は、バリバリの大連っ子になっているでしょう。 そのときはアチコチ案内してもらいたいものです。これで4日目、4月17日日曜日はおしまい!

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2005年4月18日(月)>5日目
 

今日の最大イベントは、楊さんと王さんとメル友とその仲間たちと夕食を食べることです。
日中は特に予定がありません。 そこで、今日は中山路と高爾基路の間の再開発状況を確認のため、高爾基路を散策することにしました。外に出て、朝靄のかかった広場の周りを見渡すと、やはり公安が3ヶ所に分かれて警戒しています。ご苦労様です。

広場の中央部で民族芸能の練習をやっています。温かくなってくるとこのような自主文化活動が活発化します。 小太鼓と踊りのセクションが交互に練習しています。中央には指導者らしき女性が振り付けながら大きな声でリズムをとっていた。

9時になりました。早めにお土産を買っておこうと、近くに出来たスーパーマーケット「家楽福カラフール」へ行きました。お茶は既に10軒分買いました。後は、酒です。
それも呑助連中に飲ませる酒です。それはもちろん「白酒」です。

「家楽福」は魯迅路の旧満鉄本社前を通って、三八広場手前にあります。
途中「鉄路文化宮」に立ち寄りました。 ここには日本人が経営するカラオケスナック「大連倶楽部」があります。 昔から日本人観光客のコースになっています。
しかし、なにやら変です。もともと幽霊屋敷のような建物でしたが、さらに寂れた感じです。右側にあった中国式カラオケもつぶれたようです。

 
そういえば、「大連倶楽部」の白い照明入り看板が撤去され、電線コードがむき出ている。 ということは、ついに倒産したのか、あるいはどこか別の場所で営業しているかです。
尋ねようにも人っ子一人いませんから解りません。
ただ、コンシェルジュ4月号のクラブ&カラオケ完全Listには掲載されている。ということは、看板が外されたのは極々最近なのか?

わたしがよくここに来たのは、客が少ないからです。 また、落着いたカウンターが私の好みでもありました。

ここに来ると、いつも不思議に思うことは、こんなにお客さんが少なくて、よく経営できるな? と、いうことです。

ここの経営者がお客が少なくても営業してきたのは、歴史ある「大連倶楽部」の伝統を守ろうとしたからではないか?と思ってやりたい。

歴史的な「大連倶楽部」がどこか別な場所で、たくましく営業していることを願うばかりです。 今回は調査する時間はなかったが、次回来たとき消息を確認しよう(^O^)

昔の大連クラブ

 
さて、「家楽福」店内には手荷物持込禁止です。入口に無料ロッカーがあります。
使用方法は掲示されているが、なかなかうまくいかない。 困っていると、係員が来てサポートしてくれる。
最新式の道具もいいが、使い方が問題です。 アチコチで質問攻めにあっていた。
  
 
お酒の機内持込みは2本までです。従って、空港の免税店で買えるのは2本だけです。 これでは呑助連中を満足させられません。 そこで、ここで買った酒は、スーツケースに入れます。 ですから、最悪、びんが割れても酒が外に漏れないよう、完璧に梱包します。
左の「紅星二鍋頭酒」が56度、右の「金六福」が52度です。

 

昨日、メル友と買い物した時、ママ先生の化粧品を買おうとしたが、記憶の「友誼商城」にはなかった。 思い出せないまま昨日はあきらめた。 今日はまず、それを買うことにした。
もう一度、「友誼商城」に入り、再確認したが、やはり見当たらない。

確か、よく似た名前の店があったような?

場所がこの辺りであることは確信しているので改めて、 人民路を富麗華大酒店方向に進むと香格里拉大酒店との間に、 「新友誼商店」があった。ここです。間違いありません。

記憶を頼りに地階に行ったが、 そこは日用雑貨のコンビニだった。
私の記憶はでたらめです(@_@)それではと、エスカレーターで2階に上がり、
右に曲がると、 そこに中国製品コーナーがあり、化粧品もありました。

   

 

折角ここまで来たのですから、大連駐在中よく遊びに行った、カラオケスナック街を見たくなりました。
昨日行った、大連古文化市場(大連中国工芸品旅遊品交易市場)の向こう側、長江路沿いに細長く並んでいます。
昼間ですからひっそりとしています。店の名前もずいぶん変わっています。相変わらず出入が激しいようです。どんな仕事もたいへんですね!

 

 
買い物したものをホテルに置いて、いよいよ高爾基路を歩きます。
 
途中>労働公園前(右側に入場門がある) (左の高いビルが瑞士大酒店俗称「スイスホテル」) 途中>希望広場
 
森ビル、大連理工大を過ぎると、高爾基路と中山路との三叉路に出る。ここから高楽基路に入る。
2003年(6月)の中山路全面改装工事での交差点の写真を改めてご覧ください。
 
労働公園方向(正面の高い建物は森ビル)。 人民広場方向(正面道路が中山路、左斜めが高爾基路)
 
この高爾基路の風情はあとしばらくで、見られなくなります。
そこで、今回のリポートでは、写真のサイズを少し大きめにし(70KB〜100KB)、細かいところを表現したいと思います。
受信に少し時間がかかりますが、余命いくばくもない高爾基路沿線を十分楽しんでいただくためと、ご理解ください。
   
撤去され、新地なったここからもテレビ局の電波塔が見える。 しばらくして、五四路との交差点にでる。左側が中山路方向。
 
市場街との交差点で中山路方向を見る。青い工事塀の中は新地である。 古い家並みが歴史を感じる。取り壊し中の家から不用品を回収する人が往来する。
 
もうすぐこの辺りもなくなります。歩道に新聞紙を敷いて、
おじいさんが孫と寝っころがっていた。
こんなのんびりした風景はもうすぐ見られなくなる。ちょっと淋しい感じです。
この辺りは部分的に開発が終っている。
正面にはカフェバーやスナック店が並んでいます。私もよく行きました。
 
再び、古い家並みが続く。私にはとてもよい雰囲気に思える。
 
 
この家にはまだ、人が住んでいます。なんとも優雅なたたずまいです。
上下水さえ整備できておれば、これほど風水の優れた住居はないのです。残念です。
 
交差点角の一膳飯屋です。中国にはこのような食堂>小吃部<がたくさんあります。
しかし、衛生面で問題があり、若い人たちから敬遠されています。
この店もあとしばらくで閉鎖するでしょう。
奥林匹克広場を過ぎると、東北路の高架道路です。
この道路は北へは、沈陽市への高速道路「沈大高速」に、
南へは、長春路から八一路、解放路を経て、老虎灘につながっています。
 
奥林匹克広場脇の高層マンション「教師大厦」です。
ここには昔(2000年7月)お宅訪問しました(大連リポート19)
その裏には何十年も昔から、このような住宅街が広がっています。
少しずつ取り壊され、歩道の整備が進んでいます。
この近くに外国人向けの大きな免税店があります。
パスポートを見せると、免税になります。
 
東北路から少し進んだ位置。 白山路を過ぎ、太原街との交差点付近
 
黄海に流れる川(水はほとんどない)に差し掛かった。遠くに見えるとんがり屋根の建物は星海の高級リゾートマンションです。
 高爾基路はここまでです。この先は中山路となり、星海公園先から、旅順南路につながっています。
端の手前で右に曲がり、川沿いに興工街方向へ進む。
 
川底はコンクリートで埋められ、水が流れていません。
川に沿って公園が出来ています。
仕事がないのか、昼時でもないのに、若者が昼寝しています。
解放広場角から興工街方向を見る。
市電道路(西安路)の車道拡幅工事がずっと先の興工街交差点までつづく。
左後方に羅斯福・天興国際中心の高層ビルが見える。右手前は中学校。
 
ちょうどこれからサッカーの対校試合が始まるところです。相手はすぐ近くの遼寧師範大学付属中学です。
オレンジのユニホームはホストチーム(四十八中学?)です。掃除のおばさんもちょっとひと休み。
閑そうな人がこれからドンドン増えます。残念ながら、わたしもその内のひとりです(^レ^;
 
それにしても、グランド脇のベンチや日除けのパラソルには、
堂々と「コカコーラ」の宣伝が入っています。日本では考えられません。
 
延々と続く、車道拡幅工事。 スーパー家楽福前の黄河路は中央分離柵が出来ている。
こちらの人はいつでも、どこでも横断しちゃいますからとても危険です。
ようやく当局は無断横断禁止措置をとったようです。
すぐ近くに信号付きの横断歩道があるのですから、そこを渡りましょう!
 
時刻は午後4時ころ、影が長くなってきた。小腹が空いてきました。
6時半の夕食時間まで、まだ2時間以上ある。 何かおやつでも探そう。
家楽福の周りの歩道では、あらゆるおやつ屋さんがそろっている。

「ゆでトーモロコシ」 「イカの姿焼き」 「ポップコーン」 「羊肉の焼肉」
 「クレープ」 「こんにゃく風の煮物」 「パイナップル」 などなど、です。
 わたしは久しぶりに「トーモロコシ」を食べました。1本2元(30円)

 
 
長興市場の広場から西安路を星海広場方向を見る。
 
長興市場の2階から五四広場方向を見る。
新式の市電がかっこいいです。ケンタッキーの裏に何かが出来ます。
 
 
同じ場所から、百盛方向
 
同じ場所から、家楽福方向
 
少し早めの18時に昌隆4Fのシャブシャブレストランに入る。 そして、事前に注文して、みんなの来るのを待つ。
 
最初に楊さんと王さんが来た。しばらくしてメル友の彼女から少し遅れるとの電話あり(仲間がひとり増えるという)
みんなうまいうまいと言ってよく食べ、よく飲んだ。強い印象ひと言>ひとり増えた男性は相当なのんべえであった。
 
最後に全員で記念写真(メル友の写真)
食卓は見事に平らげられて、綺麗さっぱりです。締めて400元!ごちそうさまでしたm(_)m
 
日中友好食事会は、この写真が物語るように、盛況の内に終りました。太好了!
今後とも、うしろに立つ5人が、引き続き交際してくれることを、切に願うものです。

このあと、日本人グループとは別れ、我々3人はどこかでコーヒー飲もうと、よく行く高爾基路の喫茶店に出かけた。 すると、偶然にもそこに日本人グループが来ていた。
世間は狭いものです。彼らもここにはよく来るようです。
次回も、そのまた次回も、できれば彼らと一緒に食事したいものです。

これで5日目、4月18日月曜日はおしまい!

 

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2005年4月19日(火)>6日目
2005年4月20日(水)>7日目
&4月21日(木)帰国
 
大連6日目、2005年4月19日火曜日。
 
今日は、私の友人から頼まれた仕事の調査のため、開発区と金州区に出かけました。
詳細は企業秘密です。
 
 
大連7日目、2005年4月20日水曜日。
 
明日は大連空港8時10分発なので、今日は、行動できる最後の日程です。
今日も友人の仕事がらみですから、仕事関係のリポートは出来ません。
しかし、今日訪問する大連の友人の会社が旅順にありまして、昼食をご馳走になった食堂が、偶然にも復元された「水師営会見所」の前にありました。

一緒に食事される2組のお客さん(広州とハルビン)とまずは、水師営会見所を見学しました。 ここは市内から少し離れているので、日本人も見ることが出来ます。 旅順には何度か訪れているが、水師営は初めてです。

入口は鳥居のような形をした、木製のみすぼらしいものであった。
正面に見えるレンガ造りの建物が復元された会見所です。
写真左側を歩いている背広姿の老人がここのガイドです。

入口を入って、右側に「八一水庫」の記念石碑が2個保存されていた。戦車とトラックが見事に彫り込まれていた。 その前に、小さく写っている石碑には「関東郡督」とある。これが何なのか説明は無いが、記念すべきものなのでしょう。

 
ガイドの文立久さんと記念写真撮りました。
名刺には「中国大連旅順口区水師営会見所」日本語通訳とあり、
住所は大連市大連交通大学院内となっていた。
 
「ここが水師営の跡です。この建物は昔の建物を元にして、旅順区政府が100万元をかけて復元しました」
と、流暢な日本語で説明します。この会見室の壁にはかの有名な「会見記念写真」が掲げてある。
 
ただ、こんなにへんぴな場所で、勝利者「乃木将軍」と敗者「ステッセル将軍」が旅順開城を交渉したとはとても思えなかった。
 
なにかお土産はないかと探すと、ガイドさんが写真集を見せてくれた。
最近の大連は私が撮った写真がたくさんあるので不要です。
そこで、昔の大連を集めたA4判232頁の「老大連」を買いました。
出版は最近の2004年4月です。 ただ値段は260元の2が修正液で消され、
3に変わっていた。 つまり、360元でした。
ガイドさんは記念のスタンプを表紙裏に押してくれました。
スタンプの下にサインらしき文字が見えます。
多分、自分の名前だと思いますが、達筆すぎて読めません。
 
このすぐ近くに海があります。レストランの海鮮料理は最高にうまかった。遠路はるばるのお客さんも大満足です。
中国の習慣で、昼食時でもアルコールが出ます。もちろん飲んでも大丈夫な人しか飲みません。
 

夜は、友人が日本食をごちそうしてくれました。場所は森ビルの裏、「大連大名」です。
ここの自慢は、直径13cmくらいの黒いウニです。1匹80〜100元します。
相変わらずほっぺたが落ちるほど美味しい。 久しぶりの再会に、奥さんも来てくれました。
3人でよく飲み、よく食べました。大満足(^O^)

私からのお土産は空港で買った、シャネルの「グロス」と、私の奥さんが作った「シャドーボックスアート」です。 特に、シャドーボックスアートはとても気に入ってもらえました。明日は早いので、ほどほどの時間でお開きにしました。たいへん高価な料理をいただき、ご馳走さまでした。

2005年4月21日木曜日。

大連空港での搭乗手続きも順調に進み、待合中に白酒を2本、中国タバコ「中南海スーパーライト3mg」を3箱、購入。 すでに白酒は、厳重な荷造りのもと、スーツケースに2本入れてある。それもこれも、すべて日本の呑友達のためである。

飛行機は定刻に大連を出航し、定刻に中部空港に着きました。
着陸20分前くらいに飛行機が上下に大きく揺れました。
気流の乱れだとアナウンスがありましたが、久しぶりに肝をつぶしました。

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