痴呆とともに 2009年

 

5月 ・ 9・10月
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2009年5月1日、デイサービスの利用開始。(母87歳)

しかし、本人はあまり気乗りしない様子。毎回迎いの車に乗るのが大変だった。迎えが若い男性だと渋々ではあるが、手を取られて出かけるが、女性だと文句ばかりでベッドから出ない。なので、私が機嫌を取り、後から連れて行くことも多くなる。帰りは問題なし。

デイサービスが半年くらい経過するころ、「面白くない」とか、「あんなとこは私が行くところではない」とか言い出し、拒否反応が激しくなってきた。最終的には約1年で利用中止となった。理由は母の利用態度が施設の受容能力を超えてしまったからである。詳しくは以下の利用状況詳報 参照。

 
年月>回数 サービス内容概要 利用状況概要

20095

5

(週1回)

 

投薬あり

入浴なし

風呂は自宅で一人で入れるので不要であるが、2ヶ月に1度ほど入れてもらう。

 

年齢87

 

食事摂取量>810

活動>塗り絵、貼り絵、カレンダーづくり、

写真立てづくり、
体操(毎回、午後
2時から30分)


写真立て

@ 活動には比較的素直に参画。

 

A 塗り絵や貼り絵を作りながら、他の利用者と昔話をしている。

 

B 準備されたクレヨンとかシールなどを自分で選択して使っている。

 

C 作品には自分で署名している。


塗り絵

デイサービスと自宅とでは当然のことながら態度(行動、言動)は違うものである。他人に対しては自己主張を抑えて、相手と妥協しながら、穏やかに共存する理性が働いている。これがすなわち「処世術」である。しかし、自宅では親子関係、嫁姑関係などで自分の立ち位置を判断し、共存する理性より自己主張の方が強くなりがちである。 俗に言う「内弁慶」で、外面は温厚な立ち居振る舞いで尊敬されるが、家では自分勝手な我が儘人間に豹変する。

しかし、自分勝手もある程度のところに留まっておれば、年寄りの我が儘として許されるが、これが度を起こすと人間関係が悪化する。我が地方ではこういう人のことを「意地を固辞」するという意味で「意 固辞」(いこじ)と呼ぶ。意固辞な人は大方が周囲に陰口叩かれ、嫌われている。

痴呆が進むと我が儘の度が高まる人が居る。わが母は姉妹の様子から遺伝的にこのタイプのようだ。今後どのように進展するか不安である。できれば「カワイイ我が儘」の段階で留まって欲しいのである。

例えば、子供が自分の欲しいものが買ってもらえないとき、店先の床に座り込んで「ダダ」をこねる状況である。ダダをこねた時、相手が折れてくれれば自分の言い分(我が儘)が通ったことになり成功である。通らなければ失敗で、今後のダダのこね方を再検討しなければならない。子供ならダダをこねて行くうちにこのような場合の対処法を学習し、さらに進化させていく。

しかし、思考回路が子供に戻っていく老人の場合は学習機能が劣化しているので、なかなかこのようには出来ない。また状況は刻一刻、変わっていくので相手をする人間には俄かには対応でき ず、悩みは尽きない。

一人暮らしが出来ている時代は買い物、来客対応、畑での野菜作り、庭での花樹栽培(特に菊花)、老人会でのカラオケなどなど、刺激は盛りだくさんあった。しかし足がしびれはじめ、歩くことが不自由になり、同居するようになると野菜作り以外は遠ざけるようになった。その野菜作りも少しづつ手抜きし始め、見るに見かねて私が手を貸すようになると、それを理由にますます後退して行った 。 

ときどき隣町に住む母の弟がバイクに乗って遊びに来てくれた。ネギの苗を持ってきて畑に植付けるなど、いろいろ気を使ってくれたが、その彼もバイク運転が覚束なくなり足が遠のいた。
外部との刺激が少なくなっていくと会話も対面も家族だけとなり、どんどん内弁慶化していく。
(外に出るのは、ほぼ毎日の家の前の散歩と週1回程度の外食・畑散策)

かくして、デイサービスの目的は只一つ、「非日常の強化」である。

このような悩み尽きない介護者両者が正しく状況を把握するため、デイサービスでは「連絡帳」により利用状況を私たち家族に報告する。私たちは本人の家庭での生活状況を同じ「連絡帳」に記述し、施設に報告する。こうすることにより双方の疎通が図れるのである。

前表は最初のデイサービス(20095月)の5回の利用状況をまとめたものである。

この時点ではほとんど何の問題もない。が、5月半ば頃、何か変であることに気がついた。
連絡帳だけでは母の痴呆を理解しきれないので、介護日記をつけることにした。
 

以後、デイサービスの連絡帳と私の記録を元に痴呆の程度を追う。


 

【2009年5月の介護日記】

 

<5月16日(土)>雨

20:00>【眠たいので薬ください】と、毎日の恒例意思表示。トイレに行っている間に眠剤準備。

20:15>【おやすみなさい】と、就寝のあいさつ。これも毎日の恒例。

20:20>服用後、部屋でゴソゴソなにかやっている。

20:30>消灯。寝るかと思いきやすぐに点灯。廊下に出て猫のナナとしゃべっている。

20:40>10分間の間に3回、廊下に出たり入ったりしている。

20:45>部屋の中で何かやっているが、何をやっているのか分からない。

20:52>消灯。そのあとすぐ出てきて再び【おやすみなさい】とあいさつ。続いて、【廊下の豆球(夜灯)を付けてください】と要求。

就寝

21:15>トイレ
21:37>トイレ
21:55>トイレ
22:25>トイレ
22:42>トイレ

 
<5月17日(日)>雨

06:20>トイレでばったり出会う。【耳鳴りで眠れないので医者に連れて行って!】という。
眠れないのはとてもツライともいう。

08:25>トイレ
08:30>朝食(菓子パンと牛乳)を食べながら薬の袋を持って【薬はもうないの?】という。
一日3回(朝、昼、夜)の薬を用意し渡す。

11:30>トイレ
13:35>トイレ
20:15>トイレ
22:00>トイレ
以降、夜中2回トイレ

 
<5月18日(月)>晴れ

08:50>起床、トイレ(耳鳴りで寝れないと言う)
10:00>散歩(5分程度)、トイレ
11:30>トイレ
12:20>昼食、トイレ、午後畑に行こうと誘ったが拒否

この間、トイレ3回

19:00>夕食。【眠剤がない】と言うので、「明日もらってくるから今日は我慢してね!」と答える。実際はあるが「ない」と言ったらどう反応するか調査。5分ごとに【眠れんといかんのでもらってきてくれ】と要求。

20:10>【眠たいので薬ちょうだい】という。1時間前薬がないので騒いでいたことをコロッと忘れ、いつも通り眠剤を請求。「眠いなら電気を消して暗くして目をつむっていれば寝れる」と断る。

20:30>風呂(一人で入る)

この間、トイレ2回

21:50>【眠れない】とこぼす。耳鳴りはしているようだ。最近、眠剤を服用した後、22:00頃眠れないと困ることが多くなった。眠剤はいつも20:30頃に出すようにしているが最近は20:00頃欲しいと言ってくる。
決まり文句は【眠たいので薬ちょうだい】である。私が「眠たいのなら電気消して布団に入れば、薬飲まなくても自然に寝れるのではないか?」というと、【薬飲まなければ寝れない】と答える。矛盾だ!

しかし、本人はこの矛盾に気が付いていない。眠たいのであればそのまま寝ればいいのであり、眠剤など飲む必要はない。最早、眠剤は睡眠誘発剤となっており、飲むという行為そのものが就寝の儀式となっている。長年の服用で眠剤の服用が生活習慣化しており、眠剤中毒になっていると判断し、止めてみようと決意。
 
<5月19日(火)>曇り

08:30>朝食時、【私のミルクカップがない】と、騒ぎ出す。この人の紛失事件は多々発生している(眼鏡、入れ歯、保険証、診察券・・・・)が、自分の部屋をそこそこ探して見当たらないと私たちの部屋に来て探し始める。私たちが手分けして探すと大抵、自分の部屋からでてくる。

時には嫁さんにも訊ねるがいつものことなので「知りません」と、素っ気ない。 

しかし今日はなかなか見つからない。母の部屋が臭いので東と南の窓を開け網戸にする。
と、以前から私が探していた10日(日)の新聞が見つかる。
小机の上には爪楊枝が束になって放置してある。母は食事後必ず楊枝を使う。

が、使い古しを捨てずに再利用する癖があり、それがあちこちに転がっている。ゴミ箱にピンク色のオムツがグチャグチャに突っ込んである。これには驚いた!!オムツ使っていたのだ!(下はしっかりした人なので心配はしていないがひょっとしてと言うこともあるので押し入れに入れておいた)

訊ねると、【夜、漏れそうなので、時々使う】という。オイ!オイ!早く言いなさいよ! 

嫁さんにゴミ箱のオムツを見せる。蓋のないゴミ箱では臭いので物置にほってあった生ごみ用の足踏み式蓋付ゴミ箱に交換。嫁さんはトイレにレジ袋を設置し、母に「これからここに入れて!」と説明している。はたして実行してくれるかどうか疑問。

さてさてミルクカップであるが、台所と洗面所と母の部屋を2周り捜したが見当たらない。ふと、電子レンジに気がつき開けると、そこにあった!!怒り心頭の平手が母の頭に飛んでいた。親を叩いたのは生まれて初めてだ!さすがにこれには母も驚いた様子。子供に叩かれたことがくやしいのか、理不尽なのか、信じられないのか、何度も何度も私のことを【昔はこんな子ではなかった】と責めた。 

<折檻の思い>

怒り心頭になったのは電子レンジからミルクカップが出て来た時の母の第一声、『こんなところに誰が入れた?』が、あまりに脳天気だったからだ。牛乳は毎朝、自分でパックからカップに注ぎ、自分でレンジに入れ、牛乳ボタン⇒スタートボタンで沸かし、「チン」と鳴ったら取り出して飲んでいる。

今まで誰も手伝ったことはない。それを大騒ぎしたあげくが人ごとのような発言だ。

このようなときには、まずは謝り、次に探してくれたことにお礼を言わなければいけない。しかし、母にはいつものことであるが「謝る」ということがほとんどない。これが痴呆の症状であるとするならばそれなりの対応方法もあるのであろうが、私にはボケているからというより、この人の本質的性格のような気がしているので、絶対に妥協せずに普通の人間と同じように対応してきた。 

従って、ミスを起こした時も真剣に怒ってきた。私が怒れば、母は自分のやったことが悪いことだったと理解し、以後注意するかもしれないと考えたからである。もし、怒ることの効果がなければ、怒っても意味のないこととなる。が、しばらくは怒ることを続けたい。学習効果により私の善悪判断を少しでも習得してくれたら嬉しい。 

今後とも同様な事態が起こることは容易に想定できる。そこで、物の言い方について懇請。

1、これから、あなたのものがなくなることが増えてきます。
そのとき、次のような言い方をして欲しい。

『メガネを失くしてしまった。すまんけど一緒に探してくれないか』

今までは、「メガネ知らないか?」だったが、これでは相手が知っているような聞き方であり、失礼だ!失くしたのは自分の責任であって他人には関係のないことである。

実は今日も台所で小声でこう言う。『最近、物がよくなくなる。どうしてだろう?』。
こういう発想は紛失の責任は自分ではなく、誰かが隠しているということである。
 

母の頭はいつもこのような論理で組み立てられている。自分は正しい、悪いのは周りの人間だ!と聞こえてくる。このような発想では一つ屋根の下で生活はできない。家族でもない。コンコンと諭したが最早手遅れであろうか? 

2、人にものを頼む時は心からお願いして欲しい。そして、あとで心から感謝して欲しい。

頼む時の言葉>「すまんけど・・・・・・・・・・して欲しい」
あとでの言葉>「ありがとうね、助かりました」
 

09:00>朝食が終わって、【昨夜は耳鳴りがしてほとんど眠れなかったので医者に連れて行って欲しい】という。3月にも耳鼻科医院に出かけたが、超満員で診察まで3時間待ちであった。

10:30>耳鼻科医院に電話予約。午前の部受付番号69(現在診察者19番)いつになることやら!診察券と保険証を用意し、しばし待機。

11:30>耳鼻科医院に電話確認。現在電話予約番号39診療中。まだまだだ!

11:40>「お昼にしよう」と声をかける。食卓を見て【お菜が何もない】という。

このもの言いも毎度のことだ!今日は徹底的にコゴトを言うた。「今後、今のような気分が悪くなるようなことを言ったら承知しないよ!」と。

嫁さんは毎日、あんたの体調を考えて気をつけてくれている。あんたの好みでお菜があるとかないとか文句言うことは断じて許さない。冷蔵庫の中にもいろいろ入っている。2人が食べる分くらいなんとでもなるのである。敗戦直後の食糧難の時代を必死に生きて来た人とは思えない態度に痴呆の恐ろしさを感じる。

12:00>昼食中、眠剤の袋のないことに気がついた。【どこへやった?】と、訊いてくる。

「昼間から寝る前の薬の心配などしなくてよい」とまた叱責。【薬のことはおまえに任せた】と言われ、病院並みに朝・昼・晩・寝る前と一日4回手渡している。しかし、本人の最重要事項は薬だけのため、四六時中薬のことが頭から離れない。【まかせた】というのなら「心配するな」と注意。 

「そんなに気になるなら自分で薬の管理をせよ!」と突き放すと、情けない声で【そんなことはできないからよろしく頼む】という。「頼んだのなら何も心配せず、私に任せればよい。それより、もっと自分のこと(足の衰え)を心配し、悪化しないよう散歩などの運動をしなさい」と、注意。

12:30>食後トイレに2回

14:40>散歩5分

15:00>朝予約した耳鼻科医院へ連れていく。時間がかかりそうなので私は畑で野菜の点検。

16:45>耳鼻科医院に迎えに行くと医院前の薬局から出て来るところであった。

診察は終わっており、領収書によれば前回同様点滴を受けたようだ。

前回とはいつだったか記録していないが、あまりに耳鳴りを訴えるので、ここに連れて来た。

現在、高血圧症関連の薬を複数服用しているので、薬剤の併用障害を確認するため7日分しか薬はもらっていない。しかし、今回は薬の種類も異なり、さらに量も30日分と多い。 

「領収書」で思い出した。母の特筆すべき能力はお金の出し入れができることである。

長い間の一人暮らしで買い物や医療や銀行や郵便局などのやり取りを全部一人でやってきた。

金銭の授受に関しては普通人並みである。釣り銭なども自分で全部計算して確認できる。すばらしい!

17:00>帰宅してまずはトイレ。疲れた!疲れた!と言いながらベッドに入り、横になる。

この人は基本的に日中は就寝しない。というより眠ることが出来ないと本人は言う。

18:00>【医者へ行くときには耳鳴りが治っていたのに、医者から帰ったトタン耳鳴りがしてきた。どうしてだろう?】と、クソババアが言ってきた。そんなこと知るかよ!

耳鳴りがするから、医者に連れて行け、医者に連れて行けというから連れて行ったのに、帰ってきたら耳鳴りがひどくなったダとーーー!いいかげんにしろーーー!

頭にきたので怒鳴り散らしてやった。今日は最悪の日だ! 

自分の体に異常があると、原因をすべて他に求める典型的な他人責任人間だ!こんな人間は企業では最も不要な人罪である。いやはや、ちょっと興奮してしまった(-_-;)

今後このようなことが増えて行くのであろうか?

とすると、血圧が上がり、血管もぶち切れするかも(-_-;)あーあ!いやだいやだ! 

今、医者に診てもらい、薬を処方してもらい、これから薬を飲んで効果を確認するのである。

それまで待てないのか!しばらく我慢できないのか! 

親父が死んで25年間、一人暮らしのストレスを貯めない生活の知恵をしっかり構築してきた。

すなわち、だれにも気兼ねせず、自由気ままに生き、何か起きれば、それを他人の所為にする。

25年間の独居生活は文字通り大変だったと思う。このことが持って生まれた勝気な性格をさらに強化させてきた。「老いては子に従え」とは古くからの言い伝えであるが、強化された勝手気ままな性格には通用しないようだ。かくして思うようにいかない子(私)はついつい大声で怒鳴ってしまう。 

ただ、この怒鳴り声がなくなったとき、母親としての尊厳が喪失したときと覚悟している。

世のため人のためになってこその人生である。

私が誰だか分からず、ただただ生きているだけの「ボケ老人」なら生きる意味がない。

こんな事態が一日でも遅くなるよう、もうしばらくはばあさんの脳ミソをひっかき回すため、大声で怒鳴らねばなるまい。ガンバルゾーーーー! 

19:00>夕食。食べながら【薬もらってきてくれた?】と、問いかける。勿論、眠剤のことである。昨日は「ない」と言って困らせたが今日はウソついても可哀そうなので「もらって来た」と返事した。 

食後、足にヒジキがくっついている。嫁さんが指摘すると、【なんでこんなものが足についているの?】と、私たちに聞いてきた。「バーカ!自分が落としたものが足についたに決まってるだろうが!」というと、【そんなことはない】と言い切る。食卓の足元をみると濡れている。

「ここにヒジキが落ちているよ」というと、【私が落としたんだね】と認める。つまり、証拠をはっきり示せば認めるが、事実を見せつけないと絶対に自分ではないと言い張る。中国人の《死不認錯》である。日本人なのに、いつからこうなったのか?ひょっとして生まれつき?

かくして、折檻第1号の緊迫した一日は終わった!疲れた!これからを予感して身震いする!

 
<5月20日(水)>晴れ(真夏日32℃)

08:45>起床

09:00>朝食。耳鳴りは多少良くなったようだ。

12:00>昼食。【お菜は何かある?】いつもの質問だ!これに対して私はいつも「何でもあるもので済ませること」と言い続けて来た。私は勝手に先に食べ始める。ばあさんは自分で好きなだけご飯を碗によそうよう昨年から習慣化の努力をしてきたが、最近ようやく定着してきた。ご飯はいつも嫁さんがタイマー設定してくれるので昼前には炊き上っている。 

今日のお菜>@ 昨日の残り(肉じゃが)をレンジでチーン、A カツオふりかけ、B おかず味噌

お菜を食卓に出すと、突然「梅干し」を探してきて、【今日は久しぶりにこれで食べよう】という。
私は激怒して「肉ジャガがあるのになんで梅干しなんだ!と怒鳴る。

いつもは梅干しなど食べないのに、なぜ今日に限ってたべるんだ!自分の好みでないお菜のときは勝手にふるまう。こういうことは絶対に許さない。ということで、今日は夜までおとなしかった。 

21:00>風呂に入り、眠剤のんで就寝。叱った効果なのか?今夜は驚愕の静けさであった。
 
<5月21日(木)>曇り

08:30>起床。早朝、畑に行き玉ねぎ50個収穫。
【今年はなんと良くとれるのか!】と、ばあさん驚く。

終日、特に異常なし。親子の喧嘩もなし。穏やか過ぎて気持ちが悪い(^_^)v

 

<5月22日(金)>曇り

08:00>今日はデイサービスの日。なので、強引に起こす。ベッドの中で【今日は何?】、【デイサービス?、いやだねー】。この発言が早く無くなることを願いつつ叩き起す。でも、なんだかんだ言いいながらシブシブでもサービスを利用してくれるので喜んでいる。 

15:00>デイサービスから帰宅。かなりお疲れのご様子。玄関の上がり框をやっとの思いで上がる。今日は@ 6月のカレンダーづくり(金曜日のみ色分け表示)ベリーグッド(^_^)v

A 5月はばあさんの87歳の誕生月なので素晴らしい音声入りグリーティングカードをもらう。

自宅でブラブラしているのとは大違いの非日常が必ずばあさんのボケ防止に役立つものと信じる。

これからも金曜日を忘れないよう刺激を与え続けることを決意する。 

19:15>夕食。(今日は嫁さんが遅番勤務のため帰宅が18:30)

食事中、デイサービスの話をした。「今日は7人で少なかった」という。

今利用している施設は利用者人数が少ないということで希望したのである。

ばあさんは【人の多いところは頭がボーとする】といって好まない。

利用者の多寡は問題ではない。問題は“何をやったか”、“お昼は何を食べたか”であるが、残念ながらほとんど覚えていない。しかし今日はびっくりするような発言が飛び出した。

【看板屋のおばちゃんと話した】である。利用者の中に昔住んでいた家の近所の人がいたのである。比較的新しい出来事を思い出してくれた。うれしいーーーー(^O^)

 
5月23日(土)>曇り 5月24日(日)>曇り

08:30>起床

09:00〜18:30まで終日仕事で外出したためばあさんの様子不明

夜はただただ元気な様子であった。

終日、異常ない

 

5月25日(月)>晴れ

昼食時、台所に来ないので部屋をのぞくとベッドでお休み中。「どうした?」と訊ねると、【朝から気分が悪い】という。【頭がボーとする。眠い】という。ばあさんが昼食とったのは約14時ころだった。

この頃、私は深津さんからもらったラッキョウの皮をむいて水洗いしていた。ばあさんも昔はラッキョウ漬けを良く作ったといい、何度もアドバイスにやってきた。シツコイくらいにだ!こういう状況を「ウザイ」というのであろうか(-_-;) 

20:00>【薬ください】とやってくる。「まだ早い!」と突っぱねる。【風呂はある?】、「ありません!」

20:30>眠剤準備

21:30>【おやすみなさい】と言いつつトイレに行くので、「薬のんで1時間も経つのになにやってんだ!」と、怒鳴る。「眠たいから薬くれというからあげたのに、1時間も起きているのはどういうことだ!」ブツブツ言いながら再び【おやすみなさい】

21:50>消灯

ばあさんの気分が悪い原因はひょっとして耳鼻科医院で処方してもらった薬とこれまで服用している血圧関連薬との併用作用かもしれない?明日からしばらく止めてみよう!

 

5月26日(火)>晴れ(耳薬抜き)

08:00>トイレで会う。「気分はどう?」と訊ねる。【歳とると毎日毎日変わってやだねー】と答えた。耳鳴りは治まったが、頭がボーとして気分の悪い状況が起こりやすくなっている。そこで、耳鳴りの薬を中止する。

 

5月27日(水)>晴れ(耳薬抜き)

早朝、畑へ出かけゴボーを試験収穫。根が深いので掘る時クワで引っかけ途中で切断。それでもばあさんはこのゴボーを見て【大きなゴボーができたね!】と褒めてくれた。ばあさんも昔はよく作ったという。【醤油漬けにするとおいしいよ!】とすすめる。作ってみよう(^^ 

朝食が終わって廊下のユリの花がだいぶん痛んできたのを気にして萎れた花を摘んでいる。花粉が床に落ちて汚れている。私は「この花は母の日プレゼントで娘がお母さんに送ってきたものだから触らない方がいいよ!」と、警告。

嫁さんが大切にしている花だ!もう捨ててもよいのだが思い入れがあるのかなかなか処分しない。しかし、花粉が落ちてばあさんには気になって気になってしょうがないのである。 

「片付けるのは本人がやるからそのままにしておきなさい」というと、【ちっとも片付けないので、このくらいのことはできるので手伝う】という。それでも私は「この花は嫁さんのものだから触らない方がいいよ!」と繰り返す。

さらに、「自分のものはいくら触ってもいいから、自分の部屋の掃除とか、衣類の整理とか、自分でできることをやったらどう?」と勧める。と、しばらくしてガラス障子を拭く音が「ガタガタ」と聞こえて来た。

こんなに従順なのは本当に珍しい。私と喧嘩しても面白くないと悟った感がある。海馬の崩壊を目前にして不思議な行動力である。今後の悪化を予兆する仲治りかもしれない。 

今日は日中、数度の散歩、気分は良さそうだ(^v^)耳鳴りの薬は当分止めよう。

 
5月28日(木)>雨(耳薬抜き)

いつも通り、8:30頃起床。耳鳴りなし。

「年寄りは早寝早起が相場だ!あんたは典型的な遅寝遅起人間だ!少しは考えろ!」と文句いう。
 

5月29日(金)>晴れ(耳薬抜き)

08:00>叩き起す。今日はデイサービスの日だ!

朝食の時、小奇麗にしているので「今日はどうしたの?」と訊くと【普段通り】と、澄ました返事(^v^)「今日は何の日」と訊ねると、外を見て【暑そうだね】と答える。
マイッタ!マイッタ!完敗だ!
 

「今日はデイサービスの日ですよ!」と言うと、いつもとは違った返事が返ってきた。

【今日行く日だったかね!】感激だ(^O^)/いつもこの調子だと素晴らしいのに。 

5月1日から今日で5回目のデイサービス参加。今まで4回ともすべて『イヤイヤ』出かけていた。それが今回初めて出かけることに抵抗しなかった。少しずつ慣れて来たか?自宅よりも楽しくなってくれることを節に願うものである。
   

15:00>帰宅。今日の作品はダンボール紙を切り貼りしたフォトスタンドだ!ダンボールの枠は事前にできており、ばあさんのやったことは前面にカラーシールを貼っただけ。

それにしてもこのダンボールの切り込みは見事である。

手間暇かけてボケ老人のためにいろいろ考えてくれている。本当に感謝感謝です。さらに嬉しい事が起こった。嫁さんが様子を尋ねると「もっと行きたい」という。

これは週2回OKということか?(^^

少しずつ慣れて来たようだ。楽しさも味わえるようになってきた。知り合いの看板屋のばあさんとよく一緒になるようで話し相手となっている。本人の意志をそれとなく確認し、増やしても良さそうなら週2にしよう。

あくまで「それとなく」が大切だ!この人は天の邪鬼だから強制するとへそを曲げてしまうからだ。

5月30日(土)>曇り一時パラパラ雨(耳薬抜き)

最近は耳鳴りも治まり気分も良さそうだ(^v^)

散歩も適宜やっており、松葉ボタンの種切除に余念がない。なぜ種を取るのかと訊ねる。すると花づくりでは一家言あるばあさんならではのうんちくが出た。すなわち【花が咲いたあと、それを放置すると種の保存のためタネを作ろうとする。

タネを作っている間は栄養分がほとんどタネ生成に向けられるため花の咲きが減る】という。そこで、せっせせっせと枯れた花を手で摘み取る。根気のいる作業だが熱心にやっている。結構!結構! 

夕方、子供(次男)から電話あり。しかし、私は収穫した玉ねぎの整理をしていたのでばあさんに出てもらう。いろいろ話をしていたようであったが内容はよく解らない。久しぶりに孫の声を聞きしきりに感激していた。嫁さんが帰って来たので子供との電話の内容をばあさんに聞くよう指示。すると驚くべき発言あり! 

【孫がもうすぐここに来る】そんなバカな!何のために!嫁さんが子供に電話して確認すると、こちらに来ることなど一言も話していないという。作り話は物がなくなったときの被害妄想と同じく妄想であろう。最近は何気ない所作や言葉遣いの中に、着実に作り話が増えている。 

一人住まいの家からここに移ってきたのも自分の判断(火の不始末)で来たと言うが、実際は私が火事を心配して無理やり連れて来たのである。私がこのこと(火災の心配)を近所の皆さんに話しているうちに、いつのまにかこの決断を自分がしたと思い込んでしまったようだ。こうして様々のことを頭の中で妄想化していく。 

このほかいろいろと心配することも多い。例えば、近所からもらったフキ料理、冷蔵庫に入っている葬儀のお下がりの「りんご」や「ミカンの缶詰」などが気になって気になってしょうがない。早く食べようとしきりに勧める。

 

5月31日(日)>雨(耳薬抜き)

いつも通り8:30起床。日曜日も月曜日も何曜日も関係なし(-_-;)

私が栽培したゴボーを収穫したらキンピラを作ると言いだし、包丁でささがきにして水に浸す。

ばあさんには出来ることがたくさんある。しかし、最近は消極的になっている。

原因は私の対応の仕方にありそうだ。一生懸命やって失敗したとき、文句言われるとやる気がなくなる。これは年齢性別に関係なく不変の理である。最近、私も文句ばかり言っていた。特に台所に入ることをことさら注意してきた。火の不始末が心配だからだ。

 

しかしデイサービスに行くようになってから変化があった。

ばあさんの経験をスタッフの皆さんが上手に引き出してくれるからだ。私にとってばあさんの料理や野菜づくりや花づくりや若い頃のことは目にも、耳にもしてきた。最近改めて聞くことになり、正直「またか!」と、ウザイ感情しかでてこない。

しかし、デイサービスの皆さんは違う。ばあさんの一言一言、一挙手一投足に新鮮な気持ちで対応してくれる。いつまで続くか分からないが、とりあえず非日常は実現している。 

それがばあさんの積極性を引き出す原動力になっている。「親子だから身勝手なこと言うたらあかん!」と、いつも言っているが、自宅にいるときは聞く耳を持たない。

しかし、他人の集まり『デイサービス』では自分勝手は許されない。ばあさんはまだ要支援2、このことが理解できるような時期だからかもしれないがうまく対応できている。とにかくデイサービスはばあさんの今後に重大な影響を及ぼすだろう。結果が『好!』となることを心から願う。
(2009年5月完)


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2009年6月のデイサービスと介護日記】

 

年月>回数

デイサービス内容

利用状況

20096

4

(週1回)

投薬あり

入浴1

食事摂取量>810

活動>頭の体操(国語辞典で文字探し、計算問題)、まちがい探し、七夕飾りづくり、体操(毎回)

 

@ 昔住んでいた近所の人と思い出話

A 計算問題は解けず「頭が痛い」と放棄

B 七夕飾りの短冊作成、「元気で暮らせますように」と自分で書いた

 

 

6月1日(月)>晴れ(耳薬抜き)(耳鳴りは苦にならない様子)

20:30>眠剤を出したが21:30ころ「新聞を見せてください」とやってきた。???何だーーー??眠剤渡してから1時間経つのに何しに来るんだーー!

22:00ちょっと前>【寝る前の薬がないからちょうだい】とやってきた。

袋の中には二つあるはずの錠剤のカラが1個しか入っていない。探すとゴミ箱に入っている。指摘すると「これは昨日の薬だ!」と言い張る。昨日はカラ袋が2個あったので、これは今日の分である。

いつも注意することであるが、「薬のカラ袋は必ずビニール袋に入れて私に返すこと」と言っているが、久しぶりに違反した。昨日も今日も、【薬ちょうだい!】と、言ってくる前に用意しておいたが、気を利かせるとこの始末だ。明日からは要求されるまで出さないことにする。 

6月2日(火)>晴れ(耳薬抜き)

08:00>嫁さんが叫ぶ!「植木鉢の花が抜かれている!」。
再び玄関で叫ぶ!「メダカのカメの水が半分しかない!」ばあさんの仕業だ!
 

寝ているばあさんを叩き起して、「何やってんだ!」と怒鳴る。

常々私は「他人が世話しているものには手を出すな」と注意している。

自分が面倒みている花やメダカなら何やってもよいが他人のものは駄目だ。すると決まって帰ってくる返事がこれだーーーー【鉢がカラカラだったので】あるいは【なにかやれることがないか考えてやった】だ! 

やるのは良いが、最近は途中がデタラメだ。嫁さんは「水道の水を使ってくださいね」と、再三頼んでいるが本人は【これからは何もやりません】と、これまたいつもの捨て台詞。しかし、しばらくするとまた同じことをやっている。最近は毎日がこの繰り返しだ。 

ところが騒ぎの原因は自分ではなく他にあるとしっかり主張できている。これは喜ぶべきことなのか、はたまたアルツハイマーの前兆なのか?このような騒ぎを起こした後に特徴的な行動がある。

しばらくしてから(30分くらい経過後)言い訳に来るのである。 自分を正当化する屁理屈を考える時間が30分くらいなのであろう。いかにも根性ワルである。が、これがばあさんの真骨頂なのであり、なくなったらさびしい。ガンバレ!ばあさん!GoGoLet’sGO!Let’sGo!ばあさん! 

風呂の後、【薬ください】と顔を出す。今日は遅い21:00だ。年寄りは早寝早起きが一般的だがばあさんは逆だ。 

6月3日(水)>曇り(耳薬抜き)

驚くほど平穏な一日であった。神様はときどき安息日を作ってくれる(^_^)v 

6月4日(木)>曇り(耳薬抜き)

昼前に【入れ歯がない】と騒ぎ出す。そして、【ひと通り探したがないので聞いてみた】と、決まり文句。「朝はあったの?」と訊ねると【なかった】という。「なぜ今まで黙っていた?」と訊ねると【自分で探していた】という。私たちに入歯がどこにあるのか知るはずもない。

改めて、ばあさんの部屋(TVの上、飯台の周り、ベッド周り、フトンの中、押入れなど)を探すが見当たらない。次に洗面所を探すが、ここは狭くすぐにないと分かる。次は台所の飯台と炊事場周りであるがない。嫁さんと手分けして2度調べたが見つからない。

すると、再び2つ目の決まり文句が出たので激怒!「ばかもーーーん!」 

その決まり文句とは、私に近寄ってきて小声で【最近、わしのものがよくなくなる。どうしてだろうね?】自分の不始末を他人の所為にする、なんとも恥知らずな言動である。

小声で私に話すということは、もう一人の住人、嫁さんを疑っているということしかない。

「お前の入歯を隠して何の得があるというのだ!バカヤロー!私たちを疑うなら一緒に住む必要はな――――い!出て行けー!前の家に行けーーーー!」 

親子なら大概の事は許されるが、嫁さんは最初から他人だ。ちっとは気をつけてしゃべりなさい。年寄りの年輪を感じさせるような発言をして欲しい。しかし、ばあさんは着実に痴呆が進んでおり、自分の言ったことに責任を持つということができなくなりつつある。

しかし、普通の時の普通(正常)の発言も多々あることから、何かを引き金として思考のスイッチが切り替わり生まれつきのいやな性格(本性)が表出してしまうのではないだろうか?自分は正しく、他人を疑う性分は根っからのもので多分、死ぬまで出てくるのであろうが、いづれの時期にはこのスイッチがなくなり、日常的になるのであろう。悲しい!! 

21:30>就寝。【薬ください】というまで出さない。 

6月5日(金)>雨(耳薬抜き)耳鳴りの訴えなし

8:00、過ぎても起きてこないので、8:15、「いつまで寝てんだ!」と、大声で起こす。

「今日はデイサービスの日」というと、【いやだー!やめる!】とフトンに潜り込む。
「迎えに来てくれるし、みんなが待っている」というと、しぶしぶ起きる。
 

顔を洗って、歯を磨いて、顔を合わせるとしゃきっとしたのか【デイサービス行かないといけないね】と照れ笑い。本音は楽しみなのであるが「行け」と言われると天の邪鬼だから反対するのである。

この性格もこの人特有のもので、痴呆のなせる技とは思っていない。今後ますますひどくなっていき、良くなることはない。かく言う私も大いなる血筋であり、覚悟しなければならない(-_-

6月6日(土)>(耳薬抜き)耳鳴りの訴えなし

8:30起床

夕方、畑に出かけ、帰宅すると夕食は終わっていた。最近は日が長くなったので19:00ころでも明るい。帰宅は19:10であった。食卓も綺麗に片付いているので嫁さんに尋ねると、ばあさんが腹減って待ちきれないので先に済ませたとのこと。私なら絶対に先には食べさせないが、嫁さんはばあさんの強い口調に逆らえない。それにしても毎度のことながらばあさんの我が儘はエスカレートするばかり。かくして私は一人さびしく夕食を食べる。 

食事中、ばあさんがやって来て【薬もらいに行ってくれたの?】という。バカモン!17:00、出かけるときに「畑に行ってくる」と伝えたはず。また「最近は本人が診察を受けないと薬はもらえない」と、1年も前から話していることを伝える。

「薬のことは私にまかせているのだから気にしなくてよい」と、安心させる。しかし、今日は夕食のこともあって、腹の虫の居所が悪い。 

「薬は毎日、私が責任もってあなたに渡しており、心配しなくてもよい」、「しかし、いつもいつも同じように薬のことを心配するのは私を信頼していないからではないか?」、「そんなに心配なら薬全部あげるから自分で管理しなさい!」と、怒る。

ばあさんは会社勤めなどの経験がないので、組織の中で赤の他人との人間関係を考えながら行動する習慣がない。痴呆が進んでも、このような人間関係の良好な思考回路が構築されておれば、ばあさんのようにはならないと思う。 

6月7日(日)>(耳薬抜き)耳鳴りの訴えなし

平穏無事 

6月8日(月)>(耳薬抜き)耳鳴りの訴えなし

夕方、畑から帰宅すると【薬もらいに行ってくれたのかい、ありがとう】という。3時頃、畑衣装で「畑に行ってくる」と、出かけたが3時間を経過して全部忘れている。薬については、いつも通り「そんなに気になるなら自分で管理しろーーー!」と怒鳴る。

そして、さらに「今は診察を受けないと薬はもらえない」と、今まで再三話してきた言葉を繰り返し追加する。駄目だと分かっていても、同じことを何度も言われると、ついつい怒れてしまう。そろそろあきらめねばと思っていても、最後の望みを託してしまう。しかしいつもいつも大声で怒っていては近所迷惑だ! 

夕食後、何を思ったか【ダイヤの指輪がなくなった】という。びっくり仰天!インド人もびっくり!である。以前、金の指輪を失くしたことは聞いた。【痩せて指が細くなったので畑で抜けたかもしれない】と。オイオイ!畑に行くのにダイヤの指輪など着けないでくれよ!

しかし、ダイヤの指輪も持っていたのだ!お父さんに買ってもらった大事なものだという。指が細くなってずり落ちたようだ。「どこで落としたの?」と、聞くとこれまたびっくり!【センター!】だという。センターと言うのは昔よく行った老人センターのことであるが、今は「デイサービス」のことであろうか? 

まさか、先週金曜日のことを3日後に思いだした?これが本当ならばあさんも女だ!女はいくつになっても女だ!着飾りたいのが性と言うものか!何もデイサービスに出かけるのにダイヤの指輪を指していくこともなかろうに。

失くした場所がデイサービスとは限らない。ばあさんは思い込みの激しい人だから勘違いではあっても自分の主張を曲げない。以後、寝るまで何度も何度も【ダイヤの指輪】、【ダイヤの指輪】と繰り返す。 

家の前を散歩する時、よく庭の草取りをしているがここで落とした可能性もある。明日探してみよう。

6月9日(火)>曇り(耳薬抜き)耳鳴りの訴えなし

昨夜のダイヤの指輪紛失問題をケロッと忘れ、平常通りのお目覚めだ!
今度、いつ紛失したダイヤの指輪の話をするか楽しみである
(-_-;) 

6月10日(水)>雨(耳薬抜き)耳鳴りの訴えなし

今日は毎月1回の診察日である。以前は、【診察日はいつだ!いつだ!】と、うるさいぐらいに聞かれたが、最近は全く忘れてしまったようだ!うるさく聞かれるのもうんざりだが、全く聞かれないのも寂しいものがあり複雑である。

ばあさんが病院受付で何やら困っている。【保険証がない?】最近は診察券、診察予約券、保険証の3点をセットにしてお気に入りの黒いハンドバックに入れられると言って喜んでいた矢先の事件にガッカリであった。 

一人暮らしの時代から大切なものは失くすといけないからバックから抜いて別の場所に保管する習慣がある。私はばあさんがどこへ行くにも黒いハンドバックを持ち、その中に大切な財布を入れているのを知っている。

お金については人一倍神経質な人だからこのバックを失くすことはまずあり得ない。そこで、大切なものはすべてこのバックに入れ、他の場所に移さず、どこへ行くにも持参するよう指示した。

最近、ようやく習慣化して喜んでいたが海馬のお世話になる前に忘れてしまった。
チャハーーー
(-_-;)残念だ!まっこと残念である! 

保険証の紛失事件は病院で待っている間、繰り返し繰り返し【どこにあるのだろう?】と訊ねてくる。

「自分の部屋のどこかにあるよ!」と、何回応えてもきりがないくらい聞いてくる。この人はとにかく神経質でしっかりしており、納得いくまで絶対に諦めない。クヨクヨしだすときりがない。 

ひとつ気になることがあると、そのことを延延と際限なく思い、解決するまで繰り返す。はっきり言って『損な性分だ』。どうにもならないことはいくら思っても考えてもどうにもならない。特にばあさんの年齢では尚更である。こういう場合は私なら『一呼吸置く』ことにするが、ばあさんの性分では出来るはずもなく、いつも出る愚痴は【若い頃は何でもやってきた私がなんでこんなになってしまったのか!歳はとりたくないねーー!】である。 

6月11日(木)>(耳薬抜き)耳鳴りの訴えなし

夏物の衣類を探すため、久しぶりに以前住んでいた家へ母を連れていく。 母の様子から、懐かしさいっぱいの風情が感じられる。押し入れなどを探し始めたので私は庭の草取り。ドクダミがムチャクチャに繁殖している。その他は除草剤のおかげで左程伸びていない。

ドクダミの根っ子は竹の根のように縦横無尽に伸びている。しかも根は弱いので強く引っ張ると簡単に切れてしまうため根こそぎ除去は困難である。このため取っても取っても伸びてくる。梅の木の根元を残してほぼ除去。残りは後日取ろう。 

私はさらに玉ねぎを車庫に吊るすため、今は使っていないステンレス製の物干し竿を車に積み込む。

帰りに鍛冶屋に寄り、おじさんおばさんに線香を上げる。おじさんの49日法要が6月21日(日)9:30から自宅で行われるとの連絡があった。ふとばあさんの足の裏に目がとまる。真黒だ!

押入れに入り込んで夏着を物色していたかである。早々に退散する。 

6月12日(金)>晴れ(耳薬抜き)耳鳴りの訴えなし

今日はデイサービスの日であるが、私が起床させると事態を感じて、【今日は行きたくない】と甘えるので早朝6:00から畑に出かける。スイカとカボチャを植付け、ジャガイモを収穫して、イチゴのランナーを鉢に入れて持ち帰る。

帰宅は9:45だった。嫁さんが畑の私に携帯電話かけたが出なかった(電源がOffだった。すみません)ので今日は連絡帳なしで出かけた、とのこと。あとで持っていこう。 

デイサービスには先日、玉ねぎを20個ほど進呈した。今日は収穫したジャガイモを適当量進呈しよう(男爵5Kg 

6月13日(土)、14日(日)>晴れ<暑い日が続く。顔を合わせれば【暑い暑い!】とうるさい。

13日は八一さんの奥さん(春さん)の3年忌法要
(今年はちょうど八一さんの23回忌なので同時法要)
 

6月15日(月)>

お昼時、久しぶりに薬のことで口論せり。食卓においてある今日分の薬が「夜」用しかないので、薬をもらってきて欲しいという。「薬は毎日、その日の分しか出さないが、先週1ヶ月分を貰って来たので安心しなさい」と答える。

しばらくしてまた【薬をもらってきて欲しい】というから、「薬はあります。最近、病院に行ったばかりですから」と、再び答える。しばらくして再び薬の心配をして、【今度はいつ病院にいくのか?】などという。 

「予約券で確認しなさい」というと、予約券を出してきて【7月8日】といい、【今日は何月何日ですか?】と訊いてきた。「新聞で調べなさい」と、突き放す。新聞が見当たらないので、また訊きに来る。そこで、デイサービスで本人が作った6月版塗り絵カレンダーを見るように指示(ここには私がマーキングしてある) 

6月のカレンダーを見て【10日になっている。今日は何日だね?】と訊くので「今日は6月15日」と答える。すると、予約券の日付けを見て、過ぎていると騒ぐ。「そのカレンダーは6月です。6月は先週行ってきたから薬はまだまだたくさんあります。心配しなくてもいいよ!」と、再度念を押す。 

今度は診察券や予約券を自分が持っていると失くすから、私に預かってくれという。

そこで、「私が預からなくてもあなたは外出する時、必ず黒いバッグを持っていくのでその中に入れておくのが一番間違いないと思う」と提案するが、どうしても失くしてしまうときかない。先日の病院での紛失騒ぎがよほど堪えているようだ。 

再び私は「失くさないように黒いバッグに入れておくのです。ここに入れておけば、あなたが忘れても外出する時、このバッグを持てばその中にあるのです。これが一番確実な保管場所です」と、諭す。 

それでも心配は消えない。大事なものは別の場所に保管するという習慣が障害となっている。別の場所に保管(隠す?)するとその場所を忘れてしまうので、今まで何度も大探ししてきた。

「どうしたらよいか」の行きつくところは「大切なものは最も大事にしている財布を入れている黒いバッグに入れること」という結論になるのであるが、過去の失敗が教訓としてほとんど生かされていない。そこで苦肉の策として、玄関廊下の手すり部に薬の入った大袋をぶら下げて家族の全員が見えるようにした。これで【薬がない】ということはなくなるであろう。 

6月16日(火)>

早朝、畑に出かけた。嫁さんから電話あり。「廊下にぶら下げてある薬を物色してのんでいるよ!」と。薬はいつもの通り、朝・昼・夕の3回分をそれぞれの袋に入れて食卓のいつもの場所に置いてある。食卓に置いてある「朝」の薬をのんだ後、決められた通りに、そのカラを同じ袋に入れてくれれば、のんだことを忘れてもカラが残っているので、のんだことが分かる。しかし、カラをゴミ箱に捨ててしまうと薬の入っている袋にはカラがないので、まだのんでいないと錯覚する。 

ばあさんはこのような思考回路から、まだ朝の薬をのんでいないと判断し、廊下の袋から薬を取り出しのんだものと思われる。コリャーダメだーーー! 

最近、食事が終り、薬をのんだ後、【薬がない!薬がない!】と騒ぐことが多くなった。特に、夕食後の薬をのんでしまうと「朝」と「昼」と「夕」の3つともが空になるので、大いに心配して【薬がなくなったのでもらってきてくれ】と懇願する。 

「薬は私が保管しているので心配しなくてもいいよ」と、話すと、そのときは納得するが、しばらくすると再び同じ心配をする。薬の心配をしなくてもいいように見える場所に置いたがこれはかえってまずかったようだ。嫁さんに急いで隠すように指示。 

畑から14:00ころ帰宅。いつものことであるがばあさんは嫁さんが準備した昼食を先に食べ、ベッドに寝転がっている。居間のテーブルの上にはばあさんの大好物の歯ごたえ十分の「たまり煎餅」がある。誰もいないので、ひとりで近くのスーパーに出かけ、おやつを買ったのであろう。

自分の欲求を満たすためならどんなウソをついてでも実行する。これぞ我がばあさんの真骨頂だ!

出かけるときは私がいるときにしてね!」とか、「火を使うときは私がいるときにしてね!」とか、「たまには○○スーパーに行って買い物するのもいいよ!」とか勧めると、【この足の悪い私がそんなことできるわけがない!】と、きっぱり拒否する。いつもだ!ところが、誰もいないと内緒で何かコソコソやる。 

私が「コソコソしないで堂々とやりなさい!」と、文句を言うと、やったことを忘れたのか、トボケているのか分からないが、出来ない理由をしゃべってその場をごまかす。いつも、いつも、いつも、この調子だ!私自身、結構疲れてきた。 

6月17日(水)>晴れ(ずっと耳薬抜き)

21:00ころ、「頭がボーとするので気分が悪い」という。久しぶりの症状だ!

この時のために主治医に頼んで準備している薬がある。それは頓服薬「デパス錠0.5mg」だ!

この前この薬を服用したのは昨年(2008年)7月30日だから約1年ぶりだ! 

この薬は2005年2月に初めて処方してもらい、精神安定剤として適宜服用してきた。

以降も余程でない限り服用させていないが、欠乏したので2007年9月に2回目の処方をしてもらった。2008年7月30日が12回目の服用であるから今回は13回目の服用になる。眠剤はこの薬との複合を恐れ止めることにする。

22:00ころ、【なかなか眠れない。さっきのんだ薬の所為でオシッコがしたくなって困る】という。さらに、【耳鳴りがうるさくてどうしようもない】ともいう。 

耳鳴りの薬は5月26日から約20日間止めている。久しぶりに耳薬を渡す。それでも寝付けないようで、部屋は明るいままだ!結局23時頃消灯した。 

6月18日(木)>

いつもより早い7:40起床。「身体の具合はどうですか?」と訊くと、【寝つきが悪く、困った】と答える。今回の騒動で、眠剤がなくてもそれに代わる代替薬があれば支障なしと言うことが分かった。

朝食食べながら薬の袋を触っているので「薬は食事が終わってからにしなさい」と、注意すると、【いいがね!好きで出しているのだから】といい、続いて、【昔から私はながら仕事をして過ごしてきた。一つ事だけでなく、同時にいろいろなことをやる性分だ!】という。 

いつものことだが、この人は他人の言うことを素直に聞かず、自分を肯定する言葉が即座に口から飛び出す。相手の気分を悪くする、嫌な性分だ。このとき、ふっと子供の頃の記憶が甦った。

それは夫婦のやり取りの中で、親父が母のことを《意地くそが悪い》と嘆いていたことである。 

しかもこの言葉は何度もであった。この人はもともとこのような意地の悪い性格だったのだ!

子供心に気にしていたが、今やっと親父の気持ちが分かる。 

9:00、部屋の電灯のヒモが切れた。笠の上はホコリいっぱい。玄関に出してまず掃除。

ドライバーで分解し、新しい紐に交換。無事修理完了!

今日一日、気分は悪くならなかった!ホッ(^O^) 

6月19日(金)>デイサービスの日

08:00>「今日は何の日?」と、寝ているところに質問。と、決まり返答【なんだったかねー?】

「もうすぐ迎えが来るからねー!」、【だれがー?】、「さーて、誰かなー?今日はデイサービスだよ!」【今日は行きたくないね――】、「そろそろ起きて準備しようか」。やだやだといいながらばあさんは衣服の準備を始めた。ホっとする。 

今日は先月5月分の利用料を支払う日>7,906円

内訳>基本料4,406円、飲食代700x5日=3,500円(食事@500+材料@100+おやつ@100) 

6月20日(土)>

終日、いつもの親子の言い合い。でもこの言い合いのなかに貴重な教訓がある。

それは<年老いてからのものの言い方>である。 

我がばあさんは、自分勝手で家族への配慮が希薄である。今更の感はあるが私がいろいろ進言・提案してもほとんど聞く耳を持たない。しかし若い頃では、近所付き合いでの進物のやり取りは極めて律儀である。出しておけば必ずお返しがあり(損得勘定?)、これが積もり積もって人間関係が出来て行くと固く信じている。冠婚葬祭を含めて、我が地方ではこれが風習であり生活の基本的な智恵でもある。 

家族との関係と世間との関係を微妙にやりくりして自分の立場を有利に運ぶ智恵は素晴らしいものがある。老後においても他人への心遣いは維持されている。しかし、その反動なのか痴呆によるものなのか解らないが、家族の天下人として君臨している。 

かく言う私もばあさん同様、これまで頑張ってきた。自信満々の人生であるがゆえにばあさんと同じ『自分勝手な老人』になる可能性が高い。ばあさんの教訓を生かせるかどうか自信はないが、努力しなければならない。しかし、その努力も無駄になるほどボケまくったら意味がない。アレコレ悩むこと自体が無駄になる。 

6月21日(日)>

鍛冶屋のおじさんの49日法要。ばあさんを誘ったが拒否!気位の高い人なので、自分の今の状態をよく理解しており、親戚のみなさんにそれを見せたくないということであろう。 

夜9:00ころ、従兄弟から入院中のお母さんの死亡連絡あり。葬儀は後日連絡あり。

親戚のおじさんやおばさんが次から次に亡くなっていく。親の歳がその年周りに入ったようだ。 

6月22日(月)>

早朝、畑できゅうり4本初収穫。ばあさんが起きてきて、【すごいキュウリだね!どこにあった?】と驚嘆の声。「我が家の畑で採れました」というと、【すごいね!】1本は塩を振って、即試食。1本は輪切りにして黒糖酢漬けにする。 

09:30>従兄弟のお母さん死亡のお見舞いに出かけようとばあさんを誘う。(今は亡き、従兄弟の父親はばあさんの兄さんである。)【足が不自由だから、お前一人で行っておくれ】と、いつもの泣き落とし。だが、このような儀礼には今ならまだ行けるが、今後難しくなっていくことは明らかだ。

脅しまくって無理矢理強引に引きずり出す。
親戚の皆さんと久しぶりに会い、懐かしい言葉を交わしている。
 

出かける前の拒否とは裏腹に皆さんが驚くほどの応対ぶりにビックリ!普段の自宅での挙動とは大違い。見事にスイッチが切り変わっている。別人のようだ!これが我が家のモンスターなのか!改めてその凄さに脱帽(^_^)v仏さんは半月ほど前、病院に入院。肺炎をこじらせて他界した。 

6月23日(火)>

17:00>従兄弟のお母さんの通夜に出かける(18:30開始)

親戚間の取り決め生花一対2段依頼(値段19,800円)、香奠3万円準備。 

20:30ころ>【頭がボーとする】という。「もうすぐ眠剤あげるからそれをのんで眠るといい」と答える。ただ、頓服との併用は好ましくないと思うので、両方は出さない。静かになったので寝たかなーと喜んでいたら【ちっとも眠れない】と、トイレに起きてくる。 

そういえば日中、部屋をのぞくとベッドに横になって何やら考えている様子。だいたいいつもこんな状態だ!眠ってはいないが、日中ベッドに横になっておれば身体が疲れることはない。人間は身体の疲れで汚れた血液を浄化するために睡眠を取るのである。 

眠らなければ血液が汚れたままとなり、最悪死んでしまう。しかしこの人は疲れてもいないのに無理矢理寝ようとしているから眠剤が必要となる。過去に眠りに対する脅迫観念が出来たのか?とにかく夜は眠らなけれならないと信じてやまない。このことはちょうどばあさんが<食事は白米>にこだわっているのと同じ理屈である。 

6月26日(金)>今日はデイサービスの日(累計9回目)

朝、私は畑に出かけ留守にした。デイサービスのこの日、私が起こすとばあさんは必ず「行きたくない」と拒否する。嫁さんではこのような発言はない。これは多分、親子であるが故の甘えからだと思う。 

6月27日(土)>

最近は法事が多く、親父の仏壇には多くの引き出物が山積みされている。ばあさんはそれを見て【腐ってしまうから食べよう】と、勧める。言いだした本人が食べたい気持ちよりも食べ物に対する関心の異常さなのであろうか。ほっておくと、いつのまにか自室に持ち込んで少しづつ食べている。

自分ではいつも【私はオヤツは食べない】というが、ゴミ箱の中には菓子の袋や果物の腐ったにおいがする。時々、掃除しよう! 

20:30頃>寝ると言うので眠剤を用意、のませる。

部屋の電気も消えて寝たのかと安心していると22:50ころ、【今日は仏さんにお参りしていない】と居間に入って来た。私は今まさに寝るところだった。いやー!襲われるかと思った!こんなの初めてだ! 

夜中の11時少し前に何を思ったのか【線香をあげる】という、驚愕の事態が現実に起こった。
私が「こんな遅く、なんで線香なんだ!明日にすればいい!」というと、【今日お参りしなかった】のいってんばり。

私が「昼間に何度も線香上げたんではないのか?」と問うと、【私には考えることがいっぱいあり、いつもいろいろ考えている】総理大臣で麻生さんの前に突然辞任した福田さんみたいな言い方だ!これには参りました。そろそろ、その時がやって来たな!これからはこういうことが多くなるのであろうか?

地獄の前兆が今まさにスタートしたようだ!! 

6月28日(日)>

【耳鳴りがひどくて眠れない】という。
しかし、耳鼻科医院の薬は強すぎてのませられない。悪いけど、我慢してもらうしかない。
 

6月29日(月)>

最近、耳鳴りがひどいようだ!【ジージージーと鳴って困る】としきりに愚痴る。
耳鼻科医院の処方薬もあるが余程、状況が悪くならない限り服用させたくない。耳鳴りがひどくなったからと言って死ぬことはない!
 

6月30日(火)>

仏壇前のお供え物が気になって、気になって、気になって、しょうがないのである。毎日、毎日、毎日・・・そして、【マスクメロンが腐ってしまうので早く食べよう!】と持ち出す。
(2009年6月完)


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2009年7月のデイサービスと介護日記】

 

年月>回数

デイサービス内容

利用状況

20097

5

(週1回)

 

投薬あり

入浴なし

食事摂取量>ほぼ10

活動>頭の体操、貼り絵(ちょうちん)、

カレンダーづくり、昼食づくり、体操(毎回) 

貼り絵>ちょうちん

@ 頭痛訴える。認知症の初期症状か?
(病院でのCTスキャン、MRIでも海馬異常確認済)

A 知った人の出現でデイサービスのイヤイヤ感が減退か?

B そうめん流しが気にいった様子 

そうめん流し

7月に入り、1日4回ほど散歩。気分は良さそうである。 

7月3日(金)>今日は10回目のデイサービスの日。

朝、耳鳴りで眠れなかったという。辛い夜だったに違いない。そこで、今夜は耳鳴りの薬を出そう。 

いつもの通り、デイサービスに誘うと、【いやだねー!】の一声が出る。それでも、いやいやながら準備してくれる。と突然、デイサービスに【菓子を持っていく】という。持っていった菓子を自分一人で食べるならまだしも、多分この人のことだから周りの人にも勧めるはずである。 

もしも、振る舞った菓子を食べた人が腹痛を起こしたらたいへんである。原因がその菓子でなかった場合もあり得るが、そんなことが起これば施設の責任になるので絶対に認められない。

などと、ダメな理由を説明するが、敵もさる者味な者、【そんなことは起こらない。私も食べるから】と即座にトンチンカンな反論。 

今や昔のような繊細な心遣いができないのである。体調が悪く、偶然お腹をこわす人が出るかもしれない。最近はレストランでも持ち帰り不可が多くなった。特に日本食店では刺身などの生ものもあるのでほとんど認めてくれない。 

とにかく、訪問先の安全基準に任せるしかないのであるが、今まで古き良き時代を生きて来た人間からすると「なんで?」となる。しかし、人生何が起こるか分からないのである。持ち帰りがだめなら、当然持ち込みもダメなのである。施設に行くならすべてを任せ、余分なものは絶対持ち込まないことがマナーである。 

だが、ばあさんに悪気はない。みんなが喜んでくれると思うから持っていくのだ。しかし、純粋な善意であっても思わぬ事態の発生で悪意に変わることもある。よくよく注意しなければならないが、ばあさんに最早そのような判断を期待することはできない。 

7月4日(土)、7月5日(日)は小雨まじりのぐずついた天気が続く。

7月6日(月)>耳鳴りがひどいようだ。

耳鼻科医院の処方薬をあげたいがこの薬はかなり強いようなので出したくない。あれこれ言い訳して我慢してもらう。いつもなら、【医者に連れて行け!】とか、【薬をのませろ!】とか言ってうるさいが、この薬だけは我慢できるようだ。最初にのんだ時の気分の悪さが壊れかけた頭でも消えないくらいの記憶になっているのであろう。 

22:00過ぎ>【耳鳴りでちっとも寝れない】と、何度も何度もトイレに起きる。

「もうすこし我慢しなさい」となだめる。日中ベッドに横になっているだけなので身体は疲れていないはずだ。夜、寝られないのは当たり前である。 

7月7日(火)>

【耳鳴りがジャージャーして寝れなんだ!】と話す。あまりひどいようなら薬を上げようと準備したが、しばらく様子を見ることにした。

9:30頃「どうだね?」と訊ねると、【どうもない】と答えた。今後、このような調子で頭は元より全身のパーツが少しづつ壊れて行くのであろう。 

7月8日(水)>

昼過ぎ帰宅したら耳鳴りがひどいという。2〜3日同じ症状が続いているので頃合いだと感じ、耳鼻科医院の薬を出そうと保管袋を見ると物色した跡がある。問い詰めると、薬があるかどうか確認したという。これは、驚愕の事実である。いままでこのような薬探しはなかった。 

薬は彼女にとって命より大切なものである。しかし、薬の管理はズッと前から自分では出来ないので私がやっている。だがしかし、留守の間に物色されたことは一度もない。久しぶりに怒る。

「そんなに薬が心配なら自分で持っていなさい」と。気まずさそうに【そんなことできない」。 

今日は月1回の定期検診日です。このことは昨日からズっと言っているので解っているはずだ!

薬も今晩からの分がありません。探してもどこにもないのです。しっかりしてください!! 

7月9日(木)>

午後は所用で出かけるので留守にするが、嫁さんがお休みなので安心だ。

夕方、包括支援センターから電話あり。支援デイサービスの評価のため訪問日程打ち合わせ。 

7月10日(金)、7月11日(土)>毎日、同じ言動の繰り返しでうんざりだ!

痴呆はこの半年で確実に進展している。私たちは覚悟はしつつあるが日に日に近づいてくる事実に面食らうばかりである。にもかかわらず、本人はこのことを自覚していない。 

かくして、自分のことをさておいて周囲にさまざま文句や愚痴をいう<口害ババア>となっていった。 

親父の兄の嫁さんはまだ元気であるが、いつ会っても感心することがある。

それは我がばあさんのように周囲に口害をまき散らすことがない。まき散らすのはいつも「感謝!感謝!」と言う言葉だけだ。家族に対しても全く同じ態度である。

今、自分が生きていることに心底、ただただ感謝の念でいっぱいであるという心情が伝わってくる。うらやましい生き方だ!我がばあさんに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。 

7月12日(日)>

久しぶりに末弟がきた。魚釣ったので持ってきた。次弟にも早速連絡。海岸散歩中だったが釣り人がいないので急いで帰って来た。本当に久しぶりに兄弟3人揃った。ばあさんに末弟の来たことを知らせ、居間に呼ぶ。しばらくして、次弟もやって来た。嫁さんがコーヒーを準備し、親子4人でしゃべりながら飲む。嫁さんはこの後、毎週の手習いSBAのため岡崎に出かけた。 

3人で釣りの穴場やその他、積もる話をしていると、いつのまにかばあさんがいなくなる。2人が帰った後ばあさんに苦情!子供2人が本当に久しぶりにやって来たというのに話もしないで自室に戻り、ベッドに横になっている。「いったいどうしことだ!」と、大声で叱る。すると、【疲れた!】、【話すことがない】、などと言い訳ばかり。だったら【2人が来ない来ない】と待ちわびる必要はない。 

せっかく来てくれても話もしないのなら、来ても楽しくないだろうが!

「分からないはなしでも聞いておればよい!」、「話すことがなかったら3人の話をよく聞くことだ!」、「疲れてもじっと我慢するのだ!」、兄弟3人が集まるのは何年振りかだ!そういう事態も、このような貴重な時間も、その重要性も理解できない。

<最早、常人とは言えない>そろそろ自分のことも分からなくなってきている? 

7月13日(月)>

9時頃、役場福祉課から、介護保険更新のための面接日程の打合せ電話あり 。
>28日(火)9:30決定
 

09:30>福祉課包括支援センター来宅。7月と8月のデイサービス計画の確認。引き続き、今のデイサービスの継続を希望する。 

@ 本人は足がおぼつかないので【行きたくない】と、繰り返し、しつこいほどに拒否していた。 

A 今、世話になっているデイサービスは【人が少なく寂しいところだ!】というが、もともとここを選んだのは【人の多い所へ行くと頭がボーとするからいやだ】という本人の希望で、5〜10人くらいのまでの小規模施設に決めたのである。 つまりは、ばあさんの性格の悪さ、天の邪鬼のなせる技であろう。【人の多いところはいやだ!】というから、少ないところを紹介すると、こんどは【人が少なくてさびしい!】という。いい加減にしろ!ばかもんが! 

ああ言えばこう言う、ねじ曲がりひねくれた性格は一体どこからきたのか。 

B 支援センターの担当者は辛抱強くひねくれたばあさんに付き合ってくれた。

仕事とはいえ年寄りも10人10色だ!骨の折れることだろう。できればデイサービスをもっと活用させたいが、無理強いすると拒絶反応が出るので、なだめ、すかし、ご機嫌をとりながらがよい。 

C 編み物の話>子供たちの着るものは全部自分が作って来た。

D 料理の話>料理が好きで何でも作って来た

E 畑の話>20年以上の野菜作り、畑の土地を買った時のエピソード

F 昔の家の話>親父と2人で作った家だから今どうなっているかとても心配である。

G 長い間の一人暮らしの話>親父が死んでから約20年の独居生活の話
       自由気まま、勝手に生きてきたことへの後ろめたさ、自信、自負など入り混じっている。 

11:00頃>支援センターの担当者がいつまでも同じような質問をするので、ばあさんはとうとう泣いてしまった。仕事とはいえ帰ってもらうよう促さないといつまでもしゃべっている。 

昼食後、扇風機をかけていても暑いという。窓は網戸になっているが、扇風機が南側の縁側付近に置いてあるので、南の熱い空気を部屋に取り込んでいる。そこで、東側に位置を変える。それにしてもいつもカーテンを閉めている。 

薄暗いうっとうしい雰囲気にもかかわらず、永年の一人暮らしの安全確保のためか「しっかり戸締り」が習慣化している。窓は毎朝、一番に開けるよう進言するが聞く耳を持たない。 

空気のよどんだ薄暗い部屋で、ベッドに横たわって、終日ボーとしていて、何が楽しいのであろうか?不思議である。

時々、【退屈で困る」と私の部屋に来るが、PCやっていると【あんたはやることがあっていいね】と、うらやましがるだけである。【何でもやって来て、何でもできる】が自慢のばあさんであるが、今ではもう自分から何かやろうという気持ちも意欲もない。 

7月14日(火)〜18日(土)>特に異常なし 

今や親子げんかみたいなことは日常的なので、我が家では異常ではなくなってしまった。

私は時として母の言動に違和感を覚え、大声で叱責することがある。このときの母の反応は私の思いとはほど遠い事が多い。叱られた内容を理解せず、叱られたことを嘆くばかりであるから、私の激怒は治まらない。 

普通、叱られる者がその内容を理解し、謝ることで事は治まるが、痴呆症状者では無理のようだ!

我が家では、親子げんかは常態化して異常ではなくなったが、親子げんかの理由が新たな異常になってしまった。また、母との言い合い、口論などはかなり大きな声であるから、当初は近所も驚いていたと思う。しかし、これが常態化してくると日常行事と思われ、あまり気に留めなくなる。これも新たな異常であろうか! 

7月19日(日)

弟夫婦が久しぶりにやって来た。ばあさんは懐かしさで大変な喜びようだ!嫁さんが入れてくれた冷たいお茶を飲みながらみんなで話す。 

夕食は久しぶりに外食(うどん屋)。3ヶ月ぶりだ!嫁さんが初めて「外で食べよう」と、進言してくれた。

<注文内容>

ばあさん>きしめん定食(きしめん、ミニ丼、漬物、味噌汁)

嫁さん>天ぷらそば定食

わたし>かつ鍋定食+生中 

ばあさんは付属のミニ丼だけ食べ、メインのきしめんは手つかず 。(二人で食べたが残してしまった)、ご飯がまずい!味噌汁が薄い!などなど、出てくる料理に対する文句の多いことは相変わらずである。 

私達は予期していることとはいえうんざりだ!。気分転換になるだろうと思い、連れてくるが楽しくない様子がとても残念である。しかし、本人はいつも【家で食べる方がうまくていい】と、うれしい事を言ってくれるが、このような時期はもうしばらくするとなくなる。 

嫁さんの作ったものも同じように文句タラタラで食べなくなってしまうのである。そして、私とばあさんの口論はさらに激化し、時として爆発し、暴力を振ってしまうことにもなるのである。嫁さんの作った家庭料理が、ばあさんの口に合わなくなったころから、我が家に新たな異常がスタートした。 

7月20日(月)

ちょっと前からばあさんの食事の仕方がおかしい。それは、必ず少し残し、完食しないことである。
デイサービスの連絡帳によれば、ばあさんは昼食をほぼ完食している。
 

しかし、我が家では朝食(菓子パンと牛乳)以外必ず残す。量が多すぎると思い、嫁さんに「少な目に出し、不足するならお代りさせればいい」と言っているが、量を少な目にすると、ばあさんが意地の悪い顔をして嫁さんをにらみつける。 

今や食べることしか楽しみのないばあさんに対して「少な目」の食事は可哀そうなので、嫁さんはついつい少し多めに盛り付けしてしまう。だから、いつも少し余る。 

余ったものはお菜もご飯もラップし、冷蔵庫に保存する。次の食事でこれを電子レンジで温める。ずっとこの繰り返しだ。昼間残した味噌汁が見当たらないので探すと、流し台のゴミ袋に棄ててあった。

嫁さんはひそかに激怒している。 

私は嫁さんを叱責する。「怒れるなら、いつも言っているように少な目に盛り付けよ!」と。

食事中、またまた近所中に聞こえるような大きな声でばあさんを叱る。

返す言葉はいつもの通り、【なんで怒るの?】、【怒られるようなことなんかしていない!】 

7月21日(火)

朝、【耳鳴りがひどくて眠れなかった】という。さらに、【ずっと、ジージーいっている!今も!】というから耳鼻科医院の処方薬を与える。ただこの薬をのむと“頭がボーとする“からあまり出したくない。夜は久しぶりにばあさんの大好物<うなぎ>だ!スーパーで買ってきたものであるが、ペロッと(私と同じ量を)食べた。ビックリ仰天(^O^) 

7月22日(水)

朝、「耳鳴りはどうだった」と訊ねる。と、【大丈夫だった】と答える。しかし、【頭がボーとして気持ちが悪い】と、つけ加える。案の定だ!この薬はかなり長時間効果があるようで、翌日まで効いている。今後、このような耳鳴り苦情が増えてくるものと思われる。痴呆との関係は分からないが、耳鳴りが脳機能に関係しているとすれば、今のような生活態度がよくなることはないだろう。 

介護日記を2ヶ月間つけてきたが、ちょっと疲れた。

状況が毎日、ほぼ同様の繰り返しになってきたので、今後は今までにない状況が起こったときだけ付けることとする。( 2009年7月完)


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2009年8月のデイサービスと介護日記】
 

年月>回数

デイサービス内容

利用状況

20098

4

(週1回)

 

投薬あり

入浴なし

食事摂取量>810

活動>文章の書き写し、50言書き、夏祭り、

暑中見舞いハガキづくり、昼食(焼きそば)づくり、体操(毎回)

 

@ 「字が下手になったなあ」と言いながらも「ボケ防止の10カ条」を頑張って書き写した。

A 50言(あいうえを)は良く書けていた。

B 夏祭りの輪投げ、サイコロふり、アメつかみを大いに楽しむ。

C 暑中見舞いは一生懸命に書けているが、自宅では絶対にやらないことであり、これがデイサービス効果か?ただ、家庭ではピントはずれの会話が増えており、心配である。

 

輪投げ

アメつかみ

 

昼食>焼きそばづくり

8月5日(水)

今日は月一の検診日だが、うっかり忘れてしまった。夕食後の薬を準備しようとした時、ない事に気がつく。今晩は眠剤がない事を話し、無理矢理納得させる。明日、病院に出かけ、一週間分だけ出してもらうようお願いしてみる。 

8月7日(金)

今日はデイサービスの日であるが、これまたうっかりしてしまった。迎えが来て気が付き、ばあさんに出かける支度を促すと、いつもの通り【今日は行きたくない】だ!迎えの彼氏が、「半日だけでもどうですか?」とか、「気分が悪くなったら、休む場所もありますよ!」とか言ってくれたので、その気になって準備。 

外出用の黒いハンドバッグを取り上げてしまったので、「デイサービスでは必要ない」と、繰り返し説明。納得いかない様子でハンカチだけ持って出かける。ホッと安堵!


以降、特筆すべきこともなく、今まで通りの生活が続く。


 
【2009年9月のデイサービスと介護日記】

 

週1回のデイサービスも習慣化してきた。そこで、9月から週2回に増やすこととした。

 

年月>回数

デイサービス内容

利用状況

20099

9

(週2回)

 

投薬あり

入浴なし

食事摂取量>810

活動>カレンダーづくり、頭の体操(秋の七草?)、飾りづくり、計算問題、箸で豆つかみ、寄せ書き、貼り絵カレンダーづくり、漢字書き、紅葉づくり、体操(毎回)

寄せ書き

5月デイサービス開始から4ヶ月経過。

デイサービス参加にも慣れて来たので利用回数を1回増やし週2回とする。 

@ 当初あった迎えに対する抵抗は減り、素直に出かけるようになった。また、当日は早起きもし、デイサービスを楽しみにしているようだ。 

A 帰宅時での態度も当初より晴れやかな感じに変わった。

B 「みんなの顔を見るのが楽しみ」などと積極性も出てきた。大きな声で笑ったり、他の利用者やスタッフと楽しそうに話をしている。 

C 建物の周りを一周散歩

D いろいろな活動に他の利用者と積極的に参加できている。

E デイサービスの日は早めに就寝。
いろいろな活動で疲労か?自宅では何もやらないので疲れない。サービスは身体に良い。 

敬老の日お祝い(歯磨きグッズ袋)いただく。

 

9月も日常生活に特記事項なし


 

【2009年10月のデイサービスと介護日記】

 

デイサービスは10月も引き続き週2回世話になる。

しかし、1回(10/27火)体調不良でお休み 

夜中に再三、【寝れない】、【耳鳴りがひどい】と、私を起こす。定期検診の時、医師にお願いし、強い眠剤を処方してもらう。ただし、2005年から5年間服用している眠剤レンドルミンD錠0.25mgは廃止。

新しい眠剤は今までのように常用するものではなく、眠れないときにのみ服用する物で、朝までぐっすり寝れるので夜中の頻繁なトイレはなくなるが、翌日頭がボーとするかもしれないと注意される。 

<付記>

夜寝る前に当たり前に服用している眠剤であるが、薬を要求する時の言い方が気になる。

すなわち、【眠たいから薬くれ】である。眠れないので睡眠剤が必要なのであり、眠たいのであればそのまま寝ればよく眠剤は不要である。長年の服用で眠剤は寝るための誘発剤化し、眠剤中毒になっていると判断し、止めてみようと決意。

年月>回数

デイサービス内容

利用状況

200910

8

(週2回)

 

投薬あり

入浴なし

 

 

1回(27日)

体調不良で欠

食事摂取量>810

活動>紅葉づくり(完成)、塗り絵、昼食づくり、塗り絵カレンダーづくり、体操(毎回) 

紅葉づくり 

連れ合いが死んで約20年間、自分ひとりで生活(炊事洗濯)してきたが、身体の変調(高血圧、耳鳴り、物忘れ、足のしびれ)を察し20047月、同居することにした。 

以来、薬漬けの毎日(最大8種類)で5年間生活してきた結果は足のしびれだけが治癒し、血圧は低下傾向、他は悪化傾向である。 

1029日、1ヶ月以上前から眠れない日が続いているので、定期検診で主治医に眠剤を強力型に変更依頼。ただし、これにより朝まで効果が続きデイサービスにおいて頭がボーとしている可能性あり

@ 自宅でいろいろやってもらおうとしても家族3人(私と奥さん)の中で自分が一番上だと思っているから、意に反したことには言うことを聞かない。特に奥さんから言われると怒りだす。
しかし、他人さまの前では処世術よろしく、見事に態度は切り替わり、如才なく対応する。
 
現在はまだ痴呆も初期段階であるため、このような場面では我慢するという理性が働いているのではと思う。 

A 昼食(カレー)づくりでは玉ねぎ切りを担当し、張り切って手伝った。 昔から料理は自他ともに認める特技である。

誰にも負けない自負があるがゆえに全ての他人の料理を愚弄してしまう。

(外食してもその店の料理に苦情を言う)

残念なことは「全ての他人」の中に毎日食事の仕度をしている奥さんが入っていることである。 

B デイサービスでは様々な活動にかなり積極的に参画しているようだ。自宅ではほとんど自室のベッドで横になっており、散歩もしない。 

「若い頃、何でもやってきた」という自信が身体の変調で萎え、気力をもそいでいる。家族があれこれ進言しても反発するだけでやろうとしない。 

C 「頭がボーとする」という発言あり。

耳鳴りの訴えや薬の要求はない。


10月も比較的平穏な日常であった。特記事項は上表参照( 2009年8月・9月・10月完)

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2009年11月のデイサービスと介護日記】

新しい強力眠剤の所為なのか分からないが、11月に入ってもの言いが変わってきた。そして、やたらに私達に言いがかりをつける。例えば最近、物がなくなることが多くなった。 

3大物忘れ物件>@ 入れ歯、A メガネ、B 杖

この場合、自分が失くしたのではなく、私か又は嫁さんがいじわるして、隠したと言い張る。そして、このことを徹底して繰り返し言い続ける。攻撃的な物言いには本当に参ってしまう。 

年月>回数

デイサービス内容

利用状況

200911

7

(週2回)

 

投薬あり

入浴なし

 

 

1回(24日)

体調不良で欠

食事摂取量>810

活動>手工芸(写真立てづくり)、昼食づくり、貼り絵カレンダーづくり、間違い探し、塗り絵、クリスマスの飾りづくり、ハーモニカ演奏、体操(毎回) 

スーパーマーケットに行きたいと希望あり。半年ぶりである。すぐ近くにあるので歩いて出かける。買ったものは惣菜のみ。 

奥さんが作る毎日の食事は高血圧対策のため薄味にさせたので自分の好みの味(こってり、濃い味)ではない。 

いつもまずそうな顔して食べるが、薄味に慣れてもらうため心を鬼にする。しかし、我々の気持ちとは裏腹に、いつのまにか嫁さんが作った食事は「まづいもの」となり、さらに嫁は料理が「下手だ」となってしまった。 

以降、嫁さんの作ったものは少しづつ食べなくなっていくが、それでも一日3度の食事は欠かさない。 

ただ、料理についてのこだわりは人一倍あり、デイサービスではいろいろ料理のうんちくを語るという。 

自宅では「もうできない!」とギブアップ宣言し、「この歳まで一人でやってきたのだからもういい」と自分をほめている。 

ただ、実績があるのでデイサービスなどではついつい口が出てしまうのではと思う。

デイサービス開始から7ヶ月経過。
出かけることに反発がなく、習慣化してきた。
 

@ やはりというべきか「頭がボー」発言あり。が、新聞読みやレク活動には参画している。 

A 昼食づくりでジャガイモの皮むきなどお手伝い(これは得意中の得意、自尊心をくすぐる最高の催しである) 

B 毎回午後2時頃から30分ほど手足を軽く動かす体操を行うが、これを自宅でもやってもらおうと要請するも拒否。デイサービスでは自分から手足を動かすという。

C 本人が「何かやりたい」と希望。「間違い探し」をやらせたら熱心にやった。

D 画用紙を丸く切る作業は上手く出来ている。

E帰宅直後「もう行きたくない」と驚愕発言。(この発言は送迎の彼氏も聞いている)

出かける時も相当グヅッたが、先週体調不良で休んでいるので、無理やり追い出した。これから寒くなるので行く気はさらに減退する。 

物忘れがひどくなってきた。紛失を訴えるので探すが見つからないとこちらが盗んだとドロボー呼ばわりする。(認知症の初期症状「物盗られ妄想」とのこと)

8月8日以降、デイサービス効果(非日常の体感)で生活態度に大きな変化はなかった。
しかし、10月中旬頃から少し気になる言動が出始めた(上表参照)ので、介護日記を再開した。


11月20日(金)>朝、大げんか

昨夜から嫁さんに対し、集中口撃あり。1ヶ月前からあることないこと被害妄想激化。

私も嫁さんもどちらもドロボー呼ばわりされる。 

【物がなくなる】、【財布の金が足りない】、夫婦の会話を廊下越しに聞いて【自分の悪口を言っている】、台所での夫婦の会話を押入れ越しに聞いて【2人で悪口言う】、などなど妄想が激しくなってきた。 

今朝は嫁さんの頭を見て、【ボサボサだでパーマに行きなさい」と強い口調で命令。嫁さんは「明日の朝行ってきます」と答える。しばらくして再び同じことを言いに来る。 

嫁さんが「今、ばあちゃんのようなチリチリパーマをやる人は少ない」と答えると、【すぐそう言って逆らう】と怒る。なぜかばあさんは嫁さんのやることなすことが気に入らないようで、嫁さんが何を言っても怒られたという被害妄想が働くようだ。 

しばらくするとまたやって来て、【私が何か言うと、なんで逆らうのか!】と怒る。この状態が何回か続くのである。この現象は子供が“滑り台“が気に行って、「もういっぺん!」、「もういっぺん!」と、延延と続くことと同じ現象と思う。自身が納得できるまで執念深くやりきるばあさんは、今や幼児と同じレベルである。 

嫁さんには「ばあさんの発言を無視し、適当に受け答えしておけばよい」と、助言するが、嫁さんも我の強い女なので、どうしても自分の言い分をしゃべってしまう。するとすかさずばあさんは【なんで私の話を聞かないのか!」と怒る。 

ばあさんが自室に戻ったのでほっとしたのもつかの間、台所で話し声が聞こえる。ばあさんが食器洗い中の嫁さんに再びグダグダ言いがかりをつけている。 

頭にきた!「あんたのしつこさも半端じゃないね! 自分のことを棚に上げてー、いい加減にしろー!」 

しばらくすると、ばあさんが私のところにやって来て、こう言った。【今日はデイサービスへ行って留守になるから助かる】と、嫁さんが言ったと。

嫁さんに確認したところそんなことは言っていない。最近はこのような妄想発言が増えてきた。

このことを注意すると、【自分はウソはついていない】と、あくまで本当だと言いはる。 

毎日、掃除洗濯炊事で世話になっている嫁さんに対し、一言も感謝の気持ち(言葉)がない人間の言うことを信用できるわけがない。堪忍袋の緒が切れた。ばあさんを台所から廊下に引きずり出し、手に持っていたノートで思いっきり頭をひっぱたく。(2回目) 

【親を叩くとは何ということだ!】、「それが子供のやることか!」などなど、ありとあらゆる罵声が次から次へと出てくる。この冷静さはとても痴呆者とは思えないほどだ!この間、ばあさんはしっかりとした脳状態にあった。折檻はまことに効果絶大である。

最早、体罰以外に脳を活性化させる手段はないのだろうか!? 

ただ、このような時としての冷静沈着な応答こそが痴呆の症状なのだ、と言われると返す言葉もない。こんな人間と生活を共にするということは正に生き地獄である。私は子供であるからある程度は我慢するが、赤の他人の嫁さんには強制できない。とにかく適当に対応して欲しいのが私の切なる願いである。 

9:00少し過ぎ、デイサービスのお兄さんが迎えに来た。

ばあさんお気に入りの彼なので、顔を見ると必ず甘えるように【行きたくない】という。しかしそれは彼女独特のへそ曲がり態度であり、実際はいそいそと仕度している。が、部屋からなかなか出てこない。嫁さんと2人で何やら探し物のようだ。この間デイサービスの若者はジッと待つ。5分くらいで出発。嫁さんから探しものでショッキングな話を聞く。

「探し物」とは「入れ歯」であったが、隠したのは「私」だという。そして、ばあさんは確信を持って私しかいないと言ったそうだ。入れ歯は小テーブルの上にティッシュペーパーを被せてあったとのこと。

犯人扱いしたことをコロッと忘れて謝罪なく、探してくれたお礼も言わずに、はずかしいという風態もない!!ババアは「あやまる」ということが極端にきらいな女だ!これは痴呆が進んでいるからではなく、基本的にこの人の生きてきた処世術としての信念のように思える。とすると、中国人と同じだ!

中国には「死んでも謝らない」<死不認錯>(死んでも誤りを認めない)という言葉があり、自分にミスがあっても絶対にそれを認めない。欧米諸国もまた同様で、本格的な謝罪「I’m Sorry」は少なく、一般的には「Pardon」で済ませる。 

今後、母に対する呼び方を3つに分ける。

@ 親として尊敬できる場合>母

A 普通の痴呆状態>ばあさん

B 私が激怒するほどの場合>ババア 

それでも帰って来た時(PM3:00)は朝の大事件をコロッと忘れ、【ああ疲れた!】といいながら上機嫌だった。記憶がすぐに消えるということは素晴らしい事だ!(^O^) 

夕方、嫁さんが帰宅した時、【おかえりなさい】と、機嫌良く迎える。

時々ではあるが、【疲れるからそろそろ仕事止めるといいね】と、やさしい言葉をかける。

私は、「年金の受給資格の関係で、元気なうちに働かないといけないのだよ」と説明。

理解できたようで、その後いつもの嫌味な発言はなかった。これが母親というものだ(^v^) 

夕食が終って、7:30ころ突然、嫁さんに向かって【なんでそんな物言いをするのだ!○○が可哀そうだ!】と、叫ぶ。<さわらぬ神にたたりなし>嫁さんは台所から逃げる。

居間にばあさんが追ってくる。嫁さんは玄関廊下側に抜けて再び台所へ隠れる。 

ばあさんは私に向かって嫁の悪さを強く主張する。

多分、多分であるが、ばあさんが嫁さんに意地の悪いことを言ったのだと思う。

それに対する応接がばあさんの気分を害したのだと思う。

ばあさんは嫁の一言一句に大変神経質である。 

このような事態は今後、ほぼ毎日起こるのではないかと覚悟しなければならない。

嫁さんとも、こういうときは絶対に反論、反発しないことを誓う。 

2人が居間でテレビを見ている間、トイレに行ったり、台所へいったり、玄関廊下をウロウロしたり、騒々しい。この状態は9時頃まで約1時間続く。 

11月21日(土)

今日、私は日帰り旅行で中学校の同級生と京都嵐山に紅葉狩りに出かける。嫁さんはパートがあるので夕方まで留守になる。こういう場合、口頭で連絡してもすぐ忘れてしまうので、留守にする理由を広告などの裏面に書いて、食卓テーブルの上に置いておく。

私は20:30頃帰宅したが、嫁さんから愚痴がでる。

私の帰りが遅い場合、ばあさんは夕食を待ちきれないので早めに食べる。その後、食後と寝る前の薬各1個をのむが、そのうちの1個が紛失。

それを嫁さんが洗面所で見つけ、渡すと、それを再び紛失。ばあさんは怒って、嫁さんに【あんたが失くした!どういう人だ!出て行け!】とわめき、叩いたという。 

覚悟していたこととはいえ、嫁さんを叩いたことは重大事件だ!今後このような事態は激化の一途か? 

11月22日(日)

今日は、嫁さんの兄さんの息子の結婚式である。2日連続で2人とも留守にする。

結婚式であることを明記して、食卓テーブルに置くが、その瞬間は理解するが、その場を離れると忘れてしまい、【今日はどこへ行くのか?】とか【嫁さんは仕事か?】とか質問する。 

そこで、ばあさんの部屋の前の廊下のカーペット上に2枚の書置きをガムテープで貼る。

最近、勝手にガスをつけて料理する事件があったので今回初めてガスの元栓を閉める 

さらに玄関、勝手口、窓などすべての出入り口に鍵をかけ、電話や玄関チャイムが鳴っても出ないように念を押す。(電話は多分出るだろうが、相手との会話はできないだろうから、相手が切ってくれる) 

11月24日(火)

今日はデイサービスの日であるが、なかなか起きてこない(8:15頃)

「今日は行く日だよ!」と告げるが、布団にもぐって起きようともしない。何度か呼ぶうちに頭をもたげて【今日は行きたくない】という。 

今日は私も8:30頃には出かけなくてはならない。嫁さんも8:45頃には出勤だ!迎えに来ても誰もいないことになるので、電話で辞退する。 

夕方5時頃、【メガネがないがあんた知らんか?】と、仕事中の私に問いただすような言い方(いつもの口調だ!)で部屋に入ってきた。失くした本人が《悪いけど探して欲しい》と懇請するのが普通であるが、この人はそのような丁寧な頼み方はしない。 

親子であるから頼み方がゾンザイなのはやむを得ないが、もう少し年寄りらしい穏やかな言い方があってもよさそう。私はズッと自室で仕事しており、ばあさんのメガネのことなど知る由もない。それをいくら説明しても、

《この家にはお前しかいないのであるから、メガネを隠したのはお前しかいない》とでも言いたげに決めつける。ばあさんの根底にある考えは、《メガネは、他の人間がいじわるして隠した》で、ある。

しょうがないのでばあさんの部屋に入り、アチコチ見渡すと、なぜか小机の下に転がっている。
本人は、【ここで写真見ていたがトイレに行くのに外して行った】という。
 

【アルバムの近くにないのはお前が持っていったからだ】と、あらぬ疑いを懸けられ、さんざん嫌味を言われ、怒り心頭に達していたが、グッと我慢して「私にはメガネがどこにあるか分かったよ!あんたの背中の方向にある」と、ヒントを与える。 

しばらくして、【メガネがあった】と、報告あり。その後で言った一言がなんともやるせない。

【なんであんなとこに隠したんだ!】、【あんたはどういう子だ】と、責める。 

再び、「私はここでズッと仕事しておりあなたの部屋へは入っておりません!」さらに、「あんたのメガネを隠して何の得があるの!」と、いいがかりを止めるよう話すがばあさんも強情だ。

あくまで私が隠したと言って、自分には非がないと言い張る。 

17:40>またまたやって来て、【またメガネがなくなった!】という。

また、私が盗んだという。またまたグッとこらえてばあさんの部屋を探す。

が、今度は畳の上には無い。先日、メガネケースのなかから出てきたことを思い出し、ケースを開けるとそこにあった。「ここにあるよ!」と示すと、ありがとうという礼ではなく、【どうしてこんなところに隠すのだ!】と、えらい剣幕で怒られた。再び怒り心頭!そして、思わず平手が出ていた(3回目)

このあととても心配なことに気がついた。それは、ひっぱたいた後しばらくすると何事もなかったようにケロッとしているのである。叩いた直後はその痛みで【なんで叩いた!】、「親に手を出すとは!」などと騒ぐが、10分もすると忘れてしまったのか元の自分に戻っている。 

17:50頃、台所で音がするので見に行くとガスをつけて芋の煮ころがしを温めている。以前にもこのようなことあり鍋が黒焦げになった。それ以来、私達夫婦が留守する時はガスの元栓を閉じて点火できないようにしてきた。 

「何かを温める」ことが問題なのではなく、「温めていること」を忘れてしまうこと だ。20年近く自分で食べることをやってきた人ですから水道、ガス、電気、風呂などすべての光熱は管理してきたのです。 

ですから、そういう設備を使うことには何の問題もないのであるが、火を付けたことを忘れてしまえば災害が起こります。火事でも起こせば隣近所に大変迷惑かけます。一人暮らしを止めさせた最大の理由がここにあります。 

18:00頃、再び台所でカタカタ音がする。そっと見ると食事している。腹が減ってしようがないのであろうか?最近頻発している。 

一人で食事できるので手間がかからず助かると言えば助かるのであるが、まだ嫁さんが仕事から帰ってきていないのに自分の都合だけで先に食事している脳天気さに驚く!

食事が終わった後、【おまえも腹が減っただろう。食べたらどうだ!】と、嫁さんのことなど無視! 

さきほど思い切りひっぱ叩いたことの恨みも消え、ヌケヌケと食事を勧める神経には驚くばかりである。私が「まだ嫁さんが帰っていないのに先に食べることはできません!」と、怒ると、【わしゃ、腹が減ったので食べた】と、こともなげだ。 

19:15>二人が食事を終えると、ばあさんがやって来て【腹が減ったので何か食べるものある?】という。1時間ほど前に食べたばかりだ!2度目の夕食を要求するのは初めてだ!!

いよいよ来るべき時が来たか!! 

11月25日(水)>今日は月一の定期診察日。そして、嫁さんもお休み。

診察日は今、月1回となったので、本人はほとんど忘れている。 

そこで、このような日は事前に知らせるため、ばあさんが一番多く足を運ぶトイレに貼り紙(広告の裏面活用)をすることにしている。
 

このほか、

@ デイサービスの日を知らせる張り紙

当日だけだと驚いて行きたくないというので、前日から掲示することにした。

 

A 留守するような場合の貼り紙(仕事、畑、旅行、床屋など)

長時間、誰もいないと家中を探しまわり、心配する。

 

B 留守でも心配しないように電話の近くに貼り紙

 

などなど、たくさん作ってきた。しかし、1ヶ月経過した今、この貼り紙の効果が疑わしくなってきた。眼は見えるし、字も読めるが、貼り紙の常態化で目を向けることがなくなってしまったか?

時として、【字が上手に書いてあるね!】などと、内容ではなく、とぼけたお世辞がでてくる。まいった!そこで、ばあさんが出入りするほかの場所(食卓テーブルの上や自室を出た廊下の床面など)にも置くことにした。今後効果のほどを確認し、さらに掲示場所を増やすことも考えよう。 

17:00>畑から帰ると、ばあさんに「そろそろ病院に行くよ」というと、驚いた様子で【何!今日医者に行く日?】、【行きたくない!お前、薬もらってきてくれ】と、いつもの決まり文句を並べる。

こちらも毎月の決まり文句で「今は本人が診察を受けないと薬は処方してくれない」と答える。

こんなやり取りを3,4回繰り返したあと、私の最後通告「医者に行くのがいやなら入院するしかない。入院すれば病院が毎日キチンと薬をくれる。入院するか!」 

本人は入院だけは絶対にイヤという気持ちがある。【足が悪い、足が悪い】というが歩けないことはない。こんな状態でも今までイヤイヤ連れ出していたが、先月、あまりにも拒否するので無理矢理引きずり出して車に乗せた。それ以来、ますます固辞するようになった。これが痴呆症状なのであろうか?

主治医に「その後どうですか?」と、ばあさんに質問。

【特に何もない】と、答える。家では【足のしびれ】、【耳鳴り】、「気分の良し悪し」、「頭がボーとする」などいろいろな体調異変を訴えるが、医者の前に出ると【足がしびれる】だけとなる。

ただ、最近は“足のしびれ“や”耳鳴り“を訴えることがなくなった。先月処方してくれた眠剤の所為と感謝している。このため、夜中に何度も起こされることがなくなった。

先生は本人から“足のしびれ”を聞いて、それを確認した。 

@ 本人を立たせ、杖なしで前進させる>結果:何の異常もない(素人目には!)

A 続いて、ベッドに寝かせ、足先を反対の足の膝に載せ、下の方に滑らせる動作をさせる。

これを左右の足を交互にやらせる>結果:これも素人目には上手にやっているように見え、何の異常もないと思う。先生から結果についてのコメントが何もなかったということは、異常なしなのであろう。

B 脚気のチェックもしたが異常なし。

C 血圧測定(今日はいつもの婦長さんではなく、新人であった)

測定器をなかなか持ってこないので、先生はイライラしている様子。新人のためどこに置いてあるか分からず探していたのであろう?測定結果は180であった。 

私は驚いた!「いつもは160くらいです」と私が答えると、再測定する。結果は同じだった。先生は血圧降下剤の処方を追加する。診察後、本人が退室した後、最近の母の状況について先生に報告し、アドバイスをもらう。 

@ 最近、自分の物がなくなることが多く、その原因として私達夫婦が隠しているという責めが続いている。先月までは物がなくなっても私達が探してやると感謝の言葉はないが、なくなった原因を二人に押し付けることはなかった。(今まで母から礼を言われたことはほとんどない。当り前だと思っているようだ!) 

A 過去1ヶ月間で、どうにも我慢ならなくて母を叩いたこと。

B 物忘れの責任を自分以外に求めるようになり、追及は陰湿であること。

C 物忘れの物件は本人が最も多く利用する「メガネ」、「入れ歯」、「杖」であること。

D 昨日は嫁さんに【出て行け!】と怒鳴ったこと。

E 最近はほとんど散歩しなくなったこと(しつこく勧めると意地になって拒否)

F 今まで一人で、時々行っていた、近くのスーパーにも行かなくなったこと。

G 物を買ったときの支払いや、病院の精算などはまだ自分で出来る。しかし、勘定しているかどうかは疑問。見ていると、支払いする金額より大きなお金を出し、釣り銭をもらうやり方をしている。

(日本では大概の店員は釣り銭をごまかすことをしないので問題はない) 

11月27日(金)

今日は肌寒い日だ!案の定、寝起きが悪い。

昨日は8:00には起きていたが、今日はデイサービスの日なのに起きてこない。無理に起こそうとするとヘソを曲げて【行かない】というので、8:30ころまで様子見していたが、一向に起きる素振りがない。もしかして、今日がデイサービスの日なのでそれを察知して知らんぷりを決め込んでいる?!

としたら、知能犯であり、とてもボケ老人とはいえない。 

「今日はデイサービスの日ですよ!もうすぐかっこいいお兄さんが迎えに来るよ!」とやさしく話す。2度3度繰り返すが、大抵それでも起きない。そこで、「火曜日はお休みしたので、今日休むと2回連続だよ!」と、2回も休むことを強調。 

それでも黙っているので、「デイサービスがいやならことわろうか?」、「無理して行かなくてもよいよ!でもね、看板屋の○○さんあんたが来るのを心待ちにしているから、行かないと寂しがるよ!」などなど行くように勧める。 

まだ、起きてこない。見ると布団の中だ!さらに、「2回も連続で休むなら向こうも困るだろう。本当に行きたくないのなら、サービスを断りこともできるよ!断ろうか?!」と、半分脅す。と、ムクッと頭をもたげ【迎えが来るのかい】という。 

誰が、いつ、どのように迎えに来るのか、5月から半年世話になっているが全く覚えていない。さらに加えて、「行きたくないのなら、デイサービスの契約を取り消すよ!」と、3回ほど脅かす。すると、【行こうか】と言って起きてきた。 しかし、外出にはかなりの時間が必要だ!

顔を洗って、歯磨きして、トイレして、食事して、衣服の準備などなど、仕度に30分はかかるからだ。今日はデイサービスのお兄さんもいつもより遅い9:10ころやってきたが、その時ばあさんは食事中。まだ15分以上かかりそうなので、あとで送っていくとして帰ってもらう。 

迎えのお兄さんが帰った後、【お兄ちゃんはいつ来るのか?】という質問を4,5回受ける。

自分の起床が遅れて迎えの車に乗れなかったことを全く気にしていない。

痴呆進行状態とはいえ、普段の言動がいたってまともなことも多いので、この問いかけは相手を困らせる「いじわる」としか言いようがない。 

デイサービスに送っていく途中の車中で、嫁さんが自分の悪口を言っていると再三訴え、自分はいじめられていると嘆く。いじめられているのは私達夫婦だと思える日が増えているが、その時のなにげない一言がボケた老人の頭に強烈に残っているのであろうか! 

帰りは15:30頃。【疲れた!】と言いながら、家に入ってくる。

お兄ちゃんに手を取られてうれしそうだ!彼からは特別変わったことはなかったと報告あり。 

11月28日(土)

今日は外孫の生活発表会(保育園)を見学するため朝8時に出発。

2人とも留守にするので、貼り紙を要所要所に掲示する。 

会場には婿さんのお母さんも来ていた。発表会の後、昼食を自宅で食べながらばあさんのことで話し込む。痴呆が進み最近では物がなくなる犯人にされているという話をすると、お母さんも昔、義父の介護で相当ひどい目にあったようで、鬼嫁として対応したという話を聞く。 

自身の体験から、今後、何が大変かといえば、「奥さんが負けてしまわないようにすること」との提言をもらう。十分承知しているつもりであるが、痴呆はドンドン進むので想像以上の事態が起こることもあり得る。夫婦2人でなんとかばあさんを彼の地に送ってやらねばならない。嫁さんもそのことは理解してくれているようで嬉しかった。 

ばあさんが風呂に入らなくなって10日ほどになる

そこで今日は7時頃には入れるよう準備。7:15、「風呂に入れるよう!」と優しく誘うと、【本当かい!】と、嬉しそうに入った。8時過ぎでは眠くなりつつあり、無理に入るよう勧めると逆上して怒る。今後は眠たくなる前に風呂を沸かすこと!大体、7時30分から8時ころ 

11月29日(日)

昼食後の食器が洗ってない?!

今までは自分の茶碗や箸、皿などは自分で洗い、さらに私の物も洗ってくれていたが、初めて、洗わずに放置された。少しづつやることが減っていく。 

14:00頃、【ゴーと音がしている。何か私の悪口を言っているのか?】という。ばあさんの部屋に入って「どこで音がする?」と訊ねると、ベッドに横になったまま【今は止まった】と答える。

しばらくして【私の靴下が片っぽない】と来て、【どこへやった?】と私を犯人扱いし、座敷を探している。と、突然話題が変わり【電気毛布は出した方が暖かい。でもコードがない。

どこへやった?】と訊いてきた。 

「私は電気毛布は使わないので要りません」と答えると、再び【靴下の片っぽはどこへやった?】と質問。「洗濯物を取り込む時に落としたのではないか?」と答えると、【なんでそんな悪い事をするのだ!】と、怒る。話にならないので無視すると、しばらく私の顔を見ていたがスゴスゴと下がり、再びフトンにもぐる。 

履いている靴下を見るとそれは靴下ではなく室内用の上履きであった。

これは洗濯していないのでどこかにあるはずと、布団の足元を調べると出てきた。

靴下を履いたまま寝るので、寝返りを打ったときに外れたのであろう。 

「ここにあるが!」と指し示すと、【なんでこんなところに隠すのだ!」と怒鳴る。

思わず平手が顔に飛んだ。ばあさんはベッド脇に吹っ飛び、転がった。これが4回目の石諫となる。

恐ろしいのはこのことを10分もすれば忘れることである。今は10分であるが、これが徐々に短くなり、すぐに消えるときが来るのであろう!なんとも悲しい事である。 

11月30日(月)

朝、食事しながらシクシク泣いている。「どうした?」と訊くと、【お前たち二人して私の悪口ばかり言って!】という。「何も言ってないよ」と答えると、【ウソつくな!】と怒る。

その後、ずっと泣いていた。しかし、食事が終わり、食器をいつものように洗い、片付ける頃にはケロッとしていた。(2009年11月完)


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2009年12月のデイサービスと介護日記】 

「足のしびれ」の薬は「眠剤」同様、必ず本人が要求してきた。しかし最近は完全に忘れている。

最早、足のしびれは完治したのである。そこで、主治医に当該薬剤の服用中止を希望する 

年月>回数

デイサービス内容

利用状況

200912

8

(週2回)

 投薬あり

入浴4回 

施設の風呂は抵抗もなく入っている 

1回(25日)

体調不良で欠

  

私が栽培しているキャベツや白菜や大根を昼食の総菜に使ってもらうべく提供

 

 デイサービス利用8ヶ月

食事摂取量>810

活動>サンタ作り、塗り絵、年賀状作成、カレンダー作成、

 

役場福祉課の担当が来宅。

1時間くらい近況報告。担当者は「認知は人それぞれで画一的でないためなかなかアドバイスしにくい」とのこと。これをふまえデイサービス施設の担当に「気がついたことがあったら連絡して欲しい」と要請。

@ 来所時では少し元気ないが、他利用者との会話などで取り戻す。ただ、家庭ではほとんど「やる気」が喪失した。激励すると怒ってしまうのでかなり面倒な状況である。このままではいづれ辞退の時が来る予感がする。 

A 最近、「もうこれない」という発言がでるので理由を聞くと「疲れるから」と答える。

この人は周りに人一倍気遣う性格なので、人が集まる場所では普通の状況でも気疲れがあるものと思われる。 

B 「今日何した?」と聞くと、「塗り絵をやった」と答えたので、探したが見当たらない。奥さんに確認したら、「私が捨てた」と本人からが聞いたという。いつのまにか犯人にされてしまった。 

C 年賀状を自分で書いた 

D デイサービス開始以来、本人に「明日はデイサービスですよ!」と前日に連絡してきたが、最近は反発すことが多くなり、翌日までずっと構えている雰囲気だ。そこで、事前に予定を知らせることをやめた。

出かけるときはイソイソと比較的機嫌よく行くが、帰宅の第一声は「疲れた!」、「もう行きたくない!」と、ダダをこねる。

自宅ではベッドで横になっているが、施設では椅子なので座っているのが辛いのか?他の利用者はどうなのか? 

E 帰宅時、「腹が減った」と言い、菓子などを勝手に食べている。デイサービスで昼食を食べているが、気を使う性分なので空腹感が強い。 

F 自宅での散歩が減っているので、勧めるが拒否するのでそれ以上は求めていない。寒さだけの所為でもなさそうなので、施設で「散歩プログラム」の検討をお願いする。 

G 塗り絵は積極的に行うが、計算問題は拒否的なので「やりたい」と思うことを優先してやってもらう。 

H 寒い日はサービスを拒否し、布団から出てこない。迎えの男性担当者の優しい声掛けで出かけることもある。 

I 今まで風呂は自分から「入りたい」と申告していたが、最近はなくなった。冬場は寒いので週2回にしているが、それも大変になってきた。

夕食後早めに準備するが、いろいろ屁理屈つけて止めたがる。今後は日中のデイサービス入浴に期待するしかない。

 

12月1日(火)>今日はデイサービスの日だ。
昨夜、それとなく「明日はデイサービスへ行く日ですよ!」と話すと、【こんな頭(ボー)ではとても行けない】と言って、手を左右に振る。それ以上言っても逆効果なので黙る。
 

朝8時、なかなか部屋から出てこないので、部屋のガラス戸をそっと少し開け、私達2人の会話やテレビの音が聞こえるようにし、できるだけ大きな声でしゃべるようにする。

私が玄関で鈴虫の話を大声ですると、ゴソゴソ起きてきた。

効果絶大であった。以後、この手で起こそう! (^O^) 

食事中、昨日と同じくシクシク泣いている。私が行くと、嫁さんの方を指差してモゴモゴと悪口のようなことを並べたので無視して立ち去る。再びばあさんを見ると泣いている。ズッと泣いている。

先ほどまで点いていた電灯が消えているので私が点けてやると、【明るいから必要ない】という。

私は1年前から眼が曇っているような感じとなったので、眼医者で診断してもらった。結果は初期の“白内障“とのことで点眼液を処方してもらい服用しているが、昼間でも薄暗いと見にくいので、パソコンなどを操作する時は電灯を点けている。 

8:30頃デイサービスのお兄ちゃんが迎えに来る。ばあさんはベッドで横になっている。

「迎えに来たよ!」と、促すと【今日は止める】と小さな声でつぶやく。が、「せっかく迎えに来たのだから」とか、「みんながあんたの来るのを待っているから」などと強く勧める。 

グズグズしていたがお兄ちゃんの優しい声で起きてきた。部屋のガラス戸を開けて首だけ出し、【いじめるからいやだ!】という。と、びっくりする行動に出た。私の腕を叩いたのである。

多分、迎えのお兄さんに恰好の好いところを見せようとしたのであろう!
このような行動は人間の上下関係でよくある冗談ともいえるくだけたものであり、罪はない。

しかし、今後さらに自制心が薄れてくると、このような態度は頻発するような気がする。特に、嫁さんに対して!ある程度は覚悟しなければならないが、嫁さんが耐えられるかどうか心配である。 

一般的に姑は嫁に辛くあたる。これを覆すことは周りに聞いてもほとんど不可能である。

どんなことがあっても実の子には敵わない。特に長男を溺愛するらしい。

しかし、これをなんとか柔らげたい。そこで私は、ばあさんボケ大作戦を決行することにした。

私が母にキツク、ツラク当ることにより嫁さんに助けを求めるように仕向ける。

嫁さんは姑に優しく対応し、よい嫁だと理解してもらえるようにする。

この作戦が成功するかどうかの分かれ道は私の鬼振りにあると思う。徹底的に鬼となろう! 

デイサービスから帰るなり、しかめっ面をして、2度と行きたくないと言いたげだ!。

案の定、【人が少なくて、寂しいところだ!」という。

【人が多いと気を使って、頭がボーとする】というから人の少ない施設に決めたのであるが、そんなことはとっくに忘れている。【疲れたから横になる】と言って、薄暗い自室にこもる。最近は天気が良くてもカーテンを閉めて薄暗い部屋で、ベッドに横になり、布団をかぶって寝ていることが多くなった。

引き籠りか? 

12月2日(水)>最近の傾向

@ 食事時に突然、シクシク泣く。朝食が多く、ときどき夕食

A 自室で横になっている時、私達2人の悪口が聞こえる。

【2人して何で私の悪口ばかりしゃべっているのだ】 

B 私の普段着を見て、【そんなみすぼらしいもの着てないで、新しいのを買ってきたらどうだ!かっこ悪いぞ】。やたら人のことが気になるようだ! 

C 散歩をほとんどしなくなった。勧めるといやがるのでやめた!

先月まではしつこく「散歩せよ!」、「散歩せよ!」と、口うるさく言ったが、うるさくすると【何でそんなにいじめるのだ!】と、嘆く。 

D 薬を飲んで5分くらいすると【薬は?】と、訊いてくる。

今夜も夕食後7時頃に【眠たいので薬くれ】という。「まだ7時だ!」と答えると、【なんだか疲れたので寝る】という。「ハイハイ」と返事して準備してやる。

7時30分頃、【薬のんだかねー?】と、顔をだす。無視!

8時、【薬のんでも眠れない】、やはり無視!

8時30分、【薬のんでも眠れない】、「寝る前の薬の袋が空ならのんだはずだ!確認して空なら、眼をつぶっていれば寝れるよ!」と答える。

9時、【薬が効かない、何でだろう?】、【いつもの薬と違う?】というので、「この薬は先月25日に○○先生の診察後にもらった薬ですから眠れるはずです」と、答える。 

9時30分、【ちっとも寝れない、薬ある?】というので、「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、と数を数えたら!」とアドバイス。

10時頃、ボソボソ言いながら居間に入ってくる。「さっきのんだ薬はいつもと同じだよ!眠れるはずだ!」と、怒鳴る。(ここで居間に入ってこれないようにドアをロック) 

10時30分、またばあさんがガラス戸を開ける音がする。電灯をつけていると入ってくるので灯りを消して寝る。ばあさんはスゴスゴと自室に戻る。すり足で歩く音が聞こえる。

それ以降は諦めたのか朝まで静かになった。 

12月3日(木)

いきなり、【あまえたちは何で私の悪口言うのだ!】、「あんたの悪口言って何の得がある!、いい加減なことを言うんじゃない」と叱る。“耳鳴り“や“頭がボーとする“という現象が被害妄想となっている。このような症状は本人にとってとてもツライことなのだと思う。しかし、とりあえず何もできない。 

9:30、台所で音がするので、覗くとシクシク泣いている。

午後、一時2人とも留守にした。嫁さんがスーパーから帰ってくるとばあさんが電話している。

相手は近くに住んでいる弟だった。弟の嫁さんがボタモチを持ってきてくれた。 

夕食時、【二人が悪口言う】と怒る。「悪口なんか言ってない、あんたに悪口言うこともない」と、何度も何度も繰り返し応えても納得しない。挙句にはシクシク泣き出す始末。

目の前のボタモチを食べながら、【このボタモチは誰が持ってきた?】と質問する。もう早忘れている。「あんたの息子の○○君の奥さんがくれたのだよ」、「今日電はしていたね、誰に電話した?」と訊くと、【電話した?】と逆に訊かれ、自分が電話したことを覚えていない。 

そこで、「あんたにいろいろ説明したり、話したりしてもすぐに忘れてしまうので困ります」、「○○君とはどんな話をしましたか?」と訊ねる。もちろん全く覚えていない。このような状態だからこの人には何を話しても内容を伝えることができない。話は一方通行で対話ができないので何を話しても意味がなくなった。 

会話の瞬間、口から出てくるのは過去の記憶から出来上がった思考回路で生まれる言葉だけだと思う。

それは母の生きざまを映した本性の露呈だと考える。しかし、その効果は口から出た瞬間空中に霧散し、1分以内に消滅してしまうはかないものである。 

後で、「さっきあなたはこう言った」と訊ねると、【そんなこと言った?】とか、【そんなこと言った覚えはない】と、怒る。挙句には【どうしてそんなにいじめるの】となる。 

弟に電話し、どんな話をしたか確認!いつもの通りたわいない会話であったとのこと。

本人の前で電話しながら、弟との電話の内容をはっきりさせようとしたが、本人は自分が電話したことに納得せず、徒労に終わった。 

夜は早め(7:30頃)に眠剤を渡し、早く寝るようすすめる。が、眠れないのか居間に顔を出す。

しばらくすると静かになるが、夜中、アチコチでガサゴソ音がする。家中を歩きまわっているようだ。

ずっと気配を追っていたので、私も寝不足だ! 

翌朝7:30頃、顔を合わせ【頭がジージーして、お前たちの悪口がうるさくて眠れなかった】と、ボーとした顔で怒る。 

12月4日(金)

開口一番、私達の悪口で起床。

嫁さんがボタモチ(昨日、弟の嫁さんから頂いた物)を早く食べないと固くなるので、みんなで食べようと準備していると、それを見て、【それだけしかないの?】と訊ねる。嫁さんが「昨日、一緒に食べた残りです」というと、ムッとした顔をする。 

嫁さんが「今朝、みんなで食べようね」と差し出すと、【冷たい!】というので嫁さんがレンジで温める。こんどは【牛乳が冷たい!】と言いながら自分でレンジに入れ、いつもの通り「牛乳温めモード」のスイッチで温める。

(ご飯温めモードと牛乳温めモードのボタンは何回か指導して出来るようになった。電子レンジの使い方は永い一人暮らしで熟知しているが、機種が違うとボタンの位置など異なるので慣れるまでは時間はかかるが、電子レンジそのものに違和感はなさそう) 

今日は金曜日なのでデイサービスの日です。が、こんなやり取りの後で、へたに「今日はデイサービスの日ですよ!」なんて言うと、即、拒絶反応するから黙っている。迎えが来てから本人に決めさせ、行かないのなら断り、行くなら後で私が送っていく。 

9:00、迎えの車がやってきた。ばあさんはまだパジャマ姿だ!

「デイサービスのお兄ちゃんが来たよ!」と促す。手を静かに横に振る。玄関で彼氏がばあさんの名前を呼んで「おはようございます」と声をかける。しかし、なかなか出てこない。私が挨拶しなさいと促すと、少しガラス戸を開けて頭を出す。【エヘエヘ!」と嬉しそうだ。「行きたくないのなら断ろうか?」というと、私の腕を叩いて【いつもいじめる!」と彼の前で怒る。彼が「たたいちゃいけないよ!」と言うと、知らんぷり。再び私が「いつまでも待たせては失礼だよ!行くのか行かないのかはっきりしなさい!」と言うと、再び私の腕を前より強く叩く。が、【ここにおってもしょうがないから行こうか】といそいそと準備し始める。 

迎えの彼と最近のばあさんの様子など話していると、あっという間に着替えてきた。

あまりの早さに二人ともビックリ仰天!行きたい気持ちは結構あるようだ!

いつものお出かけスタイル“黒いバッグ”を持ってきたので、「今日は買い物ではないので必要ないよ!」と、取ろうとすると手を振り払って拒否。彼が預かるというので初めて持っていくことになった。 

今日は嫁さんの帰りが遅い日です。ばあさんは依然、食欲旺盛だ!お昼も勝手に食べているし、夕食も6時頃になると我慢できない。【嫁はどこへ行ったのか?】、【いつ帰ってくるのか?】と、」うるさいうるさい。私が「仕事をしている人を待つのは当たり前のことだ!辛抱してください。昔はオヤジが帰ってくるまで待ったでしょう?」それでも空腹感には勝てないようで、嫁さんが遅いのをうらみつらみ言う。「我慢できないのか!辛抱しろ!」と強く叱る。 

夕食後7:00頃、早めに眠剤(錠剤の入った小袋)を大きな薬袋に入れ、食卓の上に置く。今日はデイサービスで疲れていると思ったからだ。ところが、8:00頃、【薬ちょうだい】と、やってきた。確認すると、食卓の上に置いた眠剤を入れた薬袋がない。薬袋はばあさんの部屋の小机の上にあったが小袋がない。ゴミ箱を見るとあった。「ここに小袋が捨ててあるので、のんだのだ!」というと、【それは昨日のんだものだ!】と、即座に反論する。この切り返しは見事と言うほかない。どういう発想、思考構造なのであろうか!感服、脱帽である。むかし、<ああ言えばジョーユー>と言う言葉が流行ったが、ばあさんも同様、年季が入っている。 

その後、眠剤がある・ないで10:00ころまでやり取りが続く。これ以上はこちらが持たないので、頓服「デパス錠」をのませる。(2005年1月に処方してもらい、今回が14回目の服用

居間のドアに障害物を置き、中に入れないようにして早めに寝る。 

12月6日(日)

今日は弟の長男の結婚式。

このため、ばあさんの面倒をみるため娘が子供2人を連れて、10時頃やってきた。

12時45分頃、迎えのジャンボタクシーで出かける。帰りは21時ころと遅くなるので、娘家族も一泊する。眠剤は冷蔵庫内ビールの陰に置く。余程考えた場所に置かないと、ばあさんの視覚嗅覚に見つけられてしまう。心配なことは、我々が留守の間、娘に無理難題をふっかけないかであった。が、終日静かにしており、我々が帰った時には既に寝ていた。 

ばあさんもさすがに孫に嫌味なことを言ったり、意地悪しなかったようだ。また、薬も出された物をきちんとのんだようで、すこぶる素直にしていた様子。孫の前では我がまま言って甘えることなく、持てる自制心をフル稼働させたようだ。まだまだしっかりしたところが残っている。 

12月7日(月)

お昼少し前、ばあさんがいつもの「愚図り」を始めた。

【テープレコーダーがうるさい】、【なんであんたたちは悪口言うのだ】・・・・・。孫が居ようが曾孫が居ようがお構いなしにわけの解らない言いがかりばかり。昨日の優等生はどこへ行っちゃたのか?

これは録音して後で聞かせてやろうと、ミニテープコーダーをばあさんの近くに設置。 

昼食は孫用にカレーを嫁さんが作った。食べながら曾孫2人にあることないこと言いがかりをしゃべり始める。このような言いがかりじみた話は食事中には相応しくない。食卓が暗くなる。曾孫たちもどう反応していいか戸惑っている。食卓でのマナーはわきまえている人であるが、それが出来ていないということは痴呆なのであろうか!しばらくして、何が悲しいのかシクシク泣きだす。食事中この態度はズッと続く。 

今日、嫁さんは午後からお仕事だ!娘と孫は昼食後帰った。私は畑に出かける。

一人になって寂しくなったのか、弟に電話したらしい。弟の電話対応が悪かったのか、私が畑から帰ると矢継ぎ早に弟の悪口を言う。いつもなら自分が電話したことすら忘れているのに、今日は余程腹が立ったのか覚えていたようだ。【あんな子だとは思いもしなかった】、【優しい子だとズッと思ってきたのに驚いた】などなど悪口雑言オンパレードだ! 

弟の電話対応は特に問題ないと思っている。ばあさんの考える電話でのやり取りは相当に一方的で自分勝手なものである。従って、どんなに丁寧に対応してもわずかな食い違いで、すべてが否定される。他人に対しては今でも如才なく、相手の気持ちを考えた対応ができる。しかし、家族や身内の人間に対しては、自分が一番上に立つと自負しているのか、思い通りにならないとヒステリックに怒る。これが痴呆なのであろうか? 

17時少し前、【腹が減った】という。嫁さんは今日は遅番なので帰宅は18時過ぎになる。もう少し我慢するよう話すが無理だった。嫁さんは夕食の支度をして行ったので、お膳にはおかずが用意されている。勝手に食べ始めた

私達は18:30頃夕食。それをチラチラ見ていたばあさんは、【私も腹が減った】と言い、朝食用のパンを取りだし、嫁さんに【牛乳沸かせ】と命令。1時間ほど前に食べたばかりであるが、もう空腹感か?ソロソロ第3段階に入ったか? 

12月8日(火)

今日はデイサービスの日です。が、私が伝えると逆らうので黙っていることにする。しかし、今日はなぜかお目覚めが早い(8:15)。着替えて、朝食食べ、トイレも済ませて、ベッドで横になっている時、迎えのお兄ちゃんが玄関を開け、「おはようございます」。私がばあさんに「迎えが来たよ」と告げると、【誰が?】といって、ムクッと起き、廊下に顔を出す。迎えのお兄さんの顔を見て、嬉しそうに挨拶する。 

再び「迎えが来たよ」と、告げる。【どうしようかな?】と、言ったあと【行ってみようか】と、嬉しそうに支度を始める。今日は驚くほどスムーズに出かけた。今後は私から勧めることはしない。デイサービスのお気に入りお兄ちゃんの顔が見られれば多分その気になるはずだ! 

帰宅時も機嫌は良かった。しかし、疲れたのか即、横になっていた。

昨日、「テープレコーダーがうるさい」と騒いでいたが、今日は20:30頃、眠剤を渡すとそのまま何も言わずに朝まで静かに寝てくれた。 

実は今日はばあさんがデイサービスに行っている間に10:00約束で、役場の福祉課「地域包括支援センター」の担当者が12月と来年1月の「サービス利用票」を持ってきてくれた。

認印を押した後、約1時間半ほど母の近況をお話しした。 担当の方も親の介護の経験があり、いろいろアドバイスもいただいた。その中で、「お母さんの好きな食べ物を時には食べさせることもいいのでは!」が、あった。 母は一人暮らしの20年間で食生活が勝手気ままになってしまった。

この間、ミンチカツやコロッケなどの油もの、うなぎ、コテコテの溜まり煎餅など大好物の濃い味料理を食べすぎて血圧は190を超える身体になり、病院で薬をもらっている。 

一緒に住むようになった2004年7月以降も、自分で好きな料理(濃い目の味付け)を作っていた。

しかし、高血圧症に不適切な食事を続けたまま、薬で抑えているという構図はいかにも不合理である。

薬の使い方が間違っていると感じた。時あたかも、母は自分で料理を作ることがうとましくなってきた。そこで、2006年一念発起し、血圧降下大作戦を計画、敢行した。

骨子は食事療法である。これまでのコテコテ料理からスッキリ料理に大転換する。

嫁さんには薄味料理の徹底を指示。味噌汁も濃厚味から京風薄味に、塩・油から脱却した母にとっては味気ない、不味いと感じる物ばかりかもしれないが、お陰で血圧は160程度まで下がってきた。 

しかし、支援センターの担当が言われるように、たまには好きな物を食べさせてもいいかなと思う。

月一回くらいならミンチカツたコロッケやうなぎなどの味の濃いものも食べさせることにしよう。 

12月9日(水)

朝、機嫌よくお目覚め。

10:30頃、【なにかチンチンいって騒がしくて寝れない。切っといて!】と、パジャマ姿で居間にくる。昼食前、【腹が減ったが、おかずが何もない】と怒ってくる。「昨晩の残りがあるし、他にもいろいろある」というと、【嫁さんはどこへ行った?】と、いつもの質問。

「嫁さんは毎日仕事に出かけるからお昼はおりません!」と答える。蒸ししゃぶの残り物を温め、ポン酢をかけてやる。ご飯はいつも通り、自分で茶碗によそわせる。 

食事中泣きだした。

どうも泣くタイミングがおかしい。原因は自分の好きなおかずがないから悲しいのだろう。

【たんだこれしかない】といって、嘆きながら泣いている。久しぶりに大声で怒鳴る。

「いいかげんにしろ!何もせんでボーとしている人間が贅沢言うんでない!」、「あるものを黙って食べなさい!」と、しつこく何度も何度も言い聞かせる。泣きやみ、食べはじめる。 

14:00頃、【○○君はたいがいにしなあかん。なんでガーガーとテープレコーダーを回して!うるさくてうるさくてたまらん!】と、今度は弟の悪口言いながら居間に入ってくる。「いい加減にしろ!」と、一喝して追い払う。( 2009年12月@)


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12月11日(金)

今日はデイサービスの日。都合よく8時頃お目覚めだ(^v^)

朝食後、いつものようにベッドにもぐり込む。9時頃迎えが来た。

知らせると、いつものように首だけ出して、迎えの彼氏の顔を見る。“ニコっと“笑って行きたくない素振りをしたが、黙っているといつのまにか支度している。家にいても仕方ないかと諦めたか?! 

玄関で彼氏と最近のばあさんの様子を話していると、手ぶらでノコノコ出てきた。最早、必携の黒いハンドバッグは忘却の彼方か?!ツッカケも杖も玄関に置いてある。彼氏が手を差し伸べると嬉しそうに手を差し出す。そのとき右ひじで私の腕を強く弾いた。迎えの彼氏の目の前で私に強く当り、私より優位にあることを示そうとする態度ではないかと思う。この行動でこの人は優越感にひたれる。これでこのような態度は2回目だ。 

帰宅するといつも通りに【疲れた!】、【横になる】、【一日座っているとエライ】などとつぶやき、ベッドに横になる。が、今日は変わって言葉が出た。【行っても人数も少ないし、楽しい事もないのでもう行かない】という。さらに、このことを施設で同じ利用者の知人に話したら、「あんたが止めるならわしも止める」と、賛同したという。本当とは思えないので「つまらない事を言うものではない」とたしなめる。「止めるなら黙って自分ひとりで止めればよい」と、叱る。本件は連絡帳に記載し、現場での真偽を確認する。 

金曜日は嫁さんが遅番なので帰宅は18:30過ぎになる。

17:00頃、【腹が減ったからご飯にしよう】と言ってきた。「もうすぐ嫁さんが帰ってくるので待ちましょう」と、なだめる。17:30頃までに何度も台所に足を運び、食べる物を探している。17:45頃、台所で音がするので見ると、ガスに火を点けて野菜の煮付けを温めている。ガスの元栓が開いていた。しまった!急いでガスを止め、元栓を閉める。「我慢しろ!」と大声で叱る。 

18:00頃、台所を見ると一人で食べている。

「仕事をしている嫁さんの帰りを待てないのか!」、「3人しかいない家族なのに、なんで揃って食事できないのか!」など、さんざん文句をいってやる。が、本人はどこ吹く風か、黙々と食べている。

昨日買ったばあさん大好きコロッケもあるが出すことを止める。「後で腹が減ったなどと言うんじゃないよ!」と、クギをさす。ここでの会話mp3(43sec-684KB)
今まではその日の出来事を出来るだけ正確に記憶し、それを日記に認め(したため)記述してきたが、活字にはいまいちリアリティに欠けることが分かった。そこで、家族3人(母と私と嫁さん)の言動を適宜音声で記録し、母の痴呆と闘う家族の苦悩を後に残そうと考えた。
 

このときばあさんが、【センターの食事は量が少ないので腹の足しにならない!】と、ポロリと言った。(センターとは昔、老人会などで頻繁に出かけた老人福祉センターのことで、カラオケやお茶会などずいぶん楽しんでいる。母はデイサービスのことを昔遊んだ“センター”と理解している)

つまり、大食いのばあさんには物足らないのだ。本件についても連絡帳に書いて利用者個々の比較をどう考えているか質問する。 

我々が19:00少し間に食事していると、【腹が減ったので、先に食べた」と、嫁さんに話しているのを聞いてほっとした。デイサービスで疲れていようと、早め19:30には眠剤を用意する。

いつの間にかのんだようで、部屋が真っ暗になっている。 

12月12日(土)

朝から【頭がジージー、ガーガーうるさい】と、何度も私の部屋に来て、しつこく訴える。

「それは耳鳴りであって、私の責任ではない。私にはそんな音は聞こえないし、この部屋にもあんたの部屋にもこの家の中にはどこにもそんな音を発生させる物はありません」と、いつも通りの説明をする。しかし、このようになったのは私の責任で、私がこういう嫌な音を鳴らしていると、いつも私を責める。 

居間のドアを怒ったように『バタン!』と強烈に閉めるので、「なんだその態度は!」と叱る。

これ以上たびたび来られたら堪らないので、居間のドアに鍵をかけて入ってこれないようにする。

案の定、何度も居間へ入ろうとしてドアをガチャガチャしている。入れないと知って諦めたか?あるいはドアを強く閉めたことを反省したか?以後、おとなしくなった。 

今日は嫁さんの帰りが早かった(17:15頃)ので、夕食は早めの18:00頃となった。腹が減ったというクレームも出ることなくニコニコ顔で食卓を囲んだ。

しかし、その後に問題が発生した。またまた「ジージー、ガーガー」である。 

5分毎に居間にやって来て、

【何であんたたちは私を困らせるのだ!】、

【なんで私の悪口ばかり言うのだ!】、

【うるさくて寝れない!】、とヒステリックに叫ぶ。

ただ、居間に入るとその音が消えるという。「だったらここにいたら!」とすすめる。 と、【なにをまた言うのだ!】と怒る。「それではあんたの部屋に行こう」と、ばあさんの部屋に行き「なにも音などしていません」というと、【今はしていない】と答える。私が居間に戻ると、また5分後くらいから同じように繰り返す。 

「とにかく、パジャマに着替えて、眠剤のんでフトンに入りなさい」と指示。しかし、それでも耳鳴りが気になるので何とかせよ!と、迫るばかりで事態は硬直状態。

(音声>091212寝る前67s-1.03MB.mp3 

そこで今度は、ばあさんが居間に入ってきても無視することにした。

これは効果てきめんであった。何を言っても知らん顔のはんべいを決め込む。と言うことは、考えるに、ばあさんは単に寂しいだけなのかもしれない 

21時頃、静かになったので安心していたら再びやって来て【勝手口の鍵を開けといたからねー】という。ビックリ仰天!「なんで鍵開けたのー」と訊くと、【二男が来るから】という。夜中に弟がやってくるという連絡はない。勝手に鍵を操作できることが分かった!!これは重大事件だ!!

嫁さんと鍵について検討した。 

台所への入口には鍵があるのでこれをロックすれば勝手口には出られない。

しかし、台所には愛猫ナナの餌が置いてあるので鍵をかけるとナナが食事できない。

勝手口の鍵が操作できないようにガードはできる。が、毎日脱着するのが面倒だ。

アレコレ考えたが妙案はない。もっと考えよう!

(玄関は2重ロックされており、しかもロックに力が必要なので、ばあさんは操作できない。

勝手口も2重ロックにすることが最有力だ!) 

12月14日(月)

日中は異常なし。しかし、夜になって様子がおかしい。

珍しく日中、【今日は風呂ある?】と問いかけてきた。この2ヶ月くらいはなかったことだ!が、夕食後「風呂に入れるよ」というと、【眠たいので寝る】と答える。

“風呂”を忘れてしまったようだ。無理強いせず、好きにさせる。

薬を用意し、食卓テーブルに置くと、しばらくしてなくなった。ところが、【ジージーガーガーがうるさくて寝れない】と何度も何度も居間にやってくる。いちいち受け答えすると、【お前たちは悪口ばかり言って!】と、逆恨みされるので、ずっと無視し続ける。我々も就寝。

すると【薬をくれ】とやってくる。【薬がないので寝れない】とか、【うるさくて眠れない】とか、【どうしてだ!】とかわめき散らす。真っ暗の中で何度も何度も居間に来る。今回は奥さんが寝ている納戸にも入って話しかける。 

よほどつらいのか部屋に入るなり、シクシク泣き始めた。かなり長い時間泣いていた。

少しして、ブツブツ文句を言いながら泣き始め、延延とである。

12時過ぎ静かになった。泣き疲れて寝てしまったようだ。 

耳鳴りから始まった脳の異常は記憶の急速な衰退とともに日常生活が不便になるほどに進行した。

これからどうなっていくのか?とても不安である。その材料はたくさんある。

@ 裏口の鍵開け問題

A 耳鳴りから「ジージーガーガー」の雑音へと発展し、眠れない問題

B 夜中、自室でシクシク泣く問題

C 嫁さんや私に対する悪口雑言。特に嫁さんへのキツイ言葉、がこれだ!

【出て行け!】、【どこから来た!】、【まだいるのか!】 

12月15日(火)

昨夜のことをケロッと忘れて8:30頃起床。

ばあさんの起き方の特徴は、事前に部屋のガラス戸を少し開け、テレビや私達の話声が聞こえるようにした後、着替える。デイサービスの迎えが来る前に準備万端整った。このようなことは誠に希有なことである。迎えに“入浴“の話をする。 

2ヶ月くらい前までは自分の方から風呂に入りたいと希望したが、最近はその申告がない、どころか!!風呂を入れても【疲れたで寝る】という。今まで8:00〜8:30頃に沸かしていたが、それでは遅いと思い7:30頃沸かす。この措置は1度だけ効果あったがその後は早めに沸かしても入る気が起こらない。最近1週間ほど風呂に入っていないのでクサイ。

この臭いは老人特有の物だ!鍛冶屋のおじさんが病院に入院した時見舞いに行った病棟はその階全体にこの臭いが漂っていた。病室に入ると吐き気を催すほどだ!おじさんはしばらくして死んでいった。が、我がばあさんも同じ臭いがし出した。(この臭いの元は小便だと思う) 

デイサービスで風呂に入れて欲しいと要望すると快く了承してくれた。

下着はすぐには用意できないので、タオルとバスタオルを渡す。

15:00少し過ぎ帰宅したので、風呂に入ったかどうか担当者に確認すると“入った”という。

ばあさんにも「どうだった?」と訊くと、【石鹸で洗ってくれた】と、大喜びだった。

“案ずるより生むがやすし”とはこのことだ!太好了!しかし、今晩は最悪の夜となった

20:00頃、【ジージーガーガーとうるさい】、【何とかしろ!】という。これが30分ほど繰り返される。この後も延延と手を変え品を変えての波状攻撃は止むことがなかった!今夜は実に長かった! 

“ジージーガーガー“は居間に来ると止むという。「だったら、ここに居れば!」と勧めるが、(コタツでは)寒いので嫌だと言う(自室は電気毛布)。しかし、自室に戻るとしばらくして再びやってくる。何度かこのようなことを繰り返した挙句、私達の前に座り込んで、嫁さんに究極の捨て台詞【出てけー!】が出た。 

瞬間、叩こうとしたがグッと我慢。常人でははばかる言葉をズケズケと言い放った。積年の思いを抑えきれずに口から飛び出してしまった。【ここに居ても何の役にも立っていない】、【あんたは我が家に何を残したか?】、などなど自分のやってきたこと、自分の苦労の多さと比較して不満タラタラ話し始める。 

それにしても私に対する過剰な思い入れと、嫁さんに対する極端な差別発言の対比は、ボケた母親を介護した経験のある従兄弟から耳にタコができるくらい聞いてきた。が、現実となると改めて驚嘆する。

自分の都合のよいように話を解釈し、自分自身にはストレスを残さず済ますという卓抜の技は、持って生まれたものというより、その後の家庭生活で培われたものと思う。言うことなすこと全てがボケているのかボケていないのか分からないので、普段のボケぶりが偽装ではないかと疑いたくなる。 

この状態は夜明け近くまで続く

嫁さんの部屋にも入り、電灯を点けて(暗がりのなかでよくスイッチの紐が見えるものだ!視力だけは私よりはるかに優れている)、改めてグチャグチャ文句を言っている。初めのころは嫁さんも応えていたが、エンドレスなので途中から無視。私は最初から無視。クレームは果てしなく続く。

私は夜中、何度もトイレへ。腹具合が悪くなり、百草丸を呑む。ピイーピー状態で起床。

今日は静かにしていよう。 

今回ばかりは、やり取りのすべてを録音した。実際の録音時間は3時間ほどだが、黙っている時もあるのでこれをカットして1時間ほどに収め、さらに30db以下の聞き取りにくい部分をカットして約20分にまとめる。

mp3でもファイルサイズが数10MBとなるので、ネットでは配信しにくい。そこで、いくつかに分割して適宜挿入することとした。 

驚きの声@ 【ジージーガーガーを何とかして欲しい】(091215-01寝る前1m45s-1.6MB

コメント>毎日が驚きの連続である。しかし、この段階では母の発言に余裕の笑いがある。 

驚きの声A 【ジージーガーガーはお前のせいだ】(091215-02寝る前2m14s-2.04MB

コメント>耳鳴り転じて、脳内障害が顕著となった。この責任を追及され、返事に窮す。前途多難!

驚きの声B 【テレビの音が聞こえない】のは、ひがみ根性?(寝る前2m56s-2.68MB

コメント>“脳内雑音“は我慢の限界を超えたか!我がまま言い放題、はては夫婦関係の破壊工作! 

驚きの声C 【知らんがん】で煙に巻く卓抜の処世術(091215-04寝る前6m45s-6.19MB

コメント>実際には痴呆が進んでいる母に対し、普通人の対応をしている私達とのトンチンカンな会話

驚きの声D 【出てけ――!】発言で完璧ボケ老人が確証

この会話も録音したが、余りに生生しいので公開は控える(091215-05寝る前7m01s-6.42MB

コメント>何の役にも立っていない嫁さんはほっぽり出せ!と、明言。

究極の嫁いびりがとうとう始まった。

母親にとって子供の私が全てであり、嫁さんは全く眼中にない。自分が今までどれほど苦労して子供を育て、学校にあげ、土地を買い、家を作ってきたか自慢し、比べて嫁は何をやってきたのだ!と、叱責する。挙句の果て、息子の私と二人で生活しようと勧める。なんともいやはや!

話は大方が作り話でウソとホントが入り混じった巧みな話術に感服するばかりである。 

頭を叩かれたことははっきり覚えており、驚くべきはこのことを誰にも話さず、隠していることである。叩いたのが息子の私であったからで、これが嫁さんだったら“鬼嫁”などと声高にアチコチ喋りまくっているかもしれない。 

余りの身勝手さに私も「あんたより嫁さんの方が大事だ!」「出て行くにはあんただ!」と宣言。
嫁さんに、
姑に仕えたことのない母を許して欲しいと頼む。
 

驚きの声E 【朝までこいかん?やかましいがん】091215-06深夜38s-595KB

コメント>深夜の悲しい訴えは心臓にぐさっと刺さる。次の定期検診で相談してみよう。

このような事例があれば幸いである。 

12月16日(水)

朝から【ジージーガーガーうるさい!どうしてだね!】と騒ぐ。私は腹具合が悪く、朝から3回トイレへ。食事する気も起こらない。【あんたは何を食べる?】、とか【嫁さんはどうした?】などと訊ねるので、「嫁さんは仕事です」、「私は腹具合が悪いので何も食べません」と答える。と、一人で食べはじめた。 

昨夜から今朝にかけての止めどない“脳内雑音”(ジージーガーガー)と悪口雑言は初めてのことである。今後も続くのであろうか?とても不安だ!昨夜は冷え込むと言う天気予報だったので、はじめて雨戸を閉めた。

9:00頃、【暗いで開けてくれ】といわれた。 

嫁さんは昨夜の悪口雑言で打ちのめされ、この家を出て行かんとする様子だった。が、昼食の仕度をして出かけたようで、ばあさんのボケが新たな状態に突入ししつあることを理解し、我慢してくれたようだ。 

夕方、嫁さんから電話で帰りが遅くなるという。ばあさんは17:30頃、【腹が減ったから一緒に食べよう】と、誘われたが私は下痢がやっと治まったところなのでもう一食止めることにしたい。しかし、ばあさんは何度も何度も【あまえも食べよ!】という。その都度、「腹具合が悪いからダメだ」と答えるが、1,2分すると再び【一緒に食べよう】と誘う。この繰り返しがしばらく続く。

ばあさんのご飯の支度をして食べさせる。 

今夜は静かに寝てくれた。9:00頃、一言【じーじーうるさい!】と、居間に入ってきたが、無視すると黙って引き返し、それ以後は何も言わずに朝まで眠って?くれた。私も下痢が治まり、ぐっすり休めた。こんなことは久しぶりだ(^v^) 

12月17日(木)

朝、「昨日は静かに寝れてありがとう」と言うと、うれしそうに【そうだったか?】と言い、続いて【みんなのおかげ】と、感謝の言葉が出た。突然ではあるが、このような気遣いがばあさんの良いところでもあるのでうれしかった。“毎日こういう日だといいな―――“と、つくづく思う。 

午後は仕事で留守するが、嫁さんがお休みなので安心して出かけられる。

帰宅は20:00頃となったが、早々奥さんから愚痴が出る。

ばあさんから【早く出て行けー!】と何度も言われ、「どこに行くの?」と答えると、【○○(在所)だがね」という。

最早、自分の言っていることに責任が持てる状態ではない。そこで私は嫁さんに「いちいちバアさんの言うことに反発していても何の意味もないのであきらめよう」と諭す。が、当人は腹の虫が治まらない様子。こちらにストレスは溜まるが、しゃべっている本人の意識がない発言をとがめても意味がない。飲み込むしかないのである。しかし、かく言う私も我慢できないときもあり折檻してストレスが溜まらないようにしている。嫁さんにはこのような手段がないので腹の中はブスブスと燻り続けている恨み辛みが一杯だ! 

日常的にはまともな発言も多々あることから、突然の狂ったような悪口雑言には強い嫌悪感がある。
異常な発言をやり過ごして、はじめてボケ老人と付き合えるのだろうか?!
 

今夜も静かに寝てくれたが、日中は私がいないことから相当に嫁さんに無理を言ったようだ!

最後は自分の子供しか頼るものがないということであろうか!しかし子供の名前も分からなくなった時、バアさんは一体何に頼ろうと言うのであろうか?現状、何の考えもなく、私達夫婦(家族)を空気や水のような「あって当り前」と思っているのであろうか?

他人さまの前では如才のない応対ができるのに、なぜ家族とはできないのか?
バアさんは家族をどう思っているのであろうか?
 

12月18日(金)

今朝はものすごく早起きだ!

着替えて、私がまだ寝ているところに入って来た。何かボソボソ言っているが聞こえない。雨戸が閉まっているので真っ暗な居間でしきりに私の名前を呼ぶ。
昨日、ほぼ半日留守したので寂しかったのか?

食事したのが8:30頃。デイサービスはまだ迎えに来ないが、本人は何も言わない。

9:00頃、デイサービスから迎えがやってきた。玄関口でバアさんを呼ぶがフトンにもぐって知らんぷり。そこで私は迎えの彼氏に上ってもらい、ベッド脇まで来てもらう。彼氏がバアさんの名前を呼び「迎えに来ましたよ!」と、何度も問いかけるとムクッと頭だけもたげ彼の顔を見る。

以降はそのやりとり

【今日は何だね?】 ⇒ 「今日はデイサービスの日ですよ」 ⇒ 【一人しかいないところになんか行きたくない】 ⇒ 「みんながあなたが来るのを待っているよ!」 ⇒ 【行ってみるか】 と、いうことでムクっと起き上った。 

着たきりすずめなので防寒コートを着るだけで支度は早いが、その間でも【寒いでいやだね】と文句タラタラ嫌がらせする。「風呂はどうしますか?」との質問に、【今日はいい】と断る。

玄関から車への間、【もう帰ってこない】などと捨てぜりふを吐く。いやな性格だ!

昔から本質は変わっていないと思うが昔は理性で抑えてきた。しかし、今は抑えが効かないから思ったことがそのまま口から出てしまう。

スマートに出してくれれば、可愛らしい意地悪ばあさんですむものを!残念である。


以後、年末までこの状態が続いた。


12月25日(金)>デイサービスが迎えに来たが、彼氏の誘いにも関わらず拒否。これで3回目。 

12月30日(水)>今年最後の定期検診。

主治医に開口一番【足がしびれて具合が悪い】という。

先生が、「立って」と言い、続いて「ここまで歩いて」と指示されると、黙ってゆっくり歩く。

先生は「何にも問題ない」と賛辞。更に、「ここに立って目をつぶって」と指示。1秒くらいでフラツキ。再び「問題なし」と賛辞。結局、足は何の問題もない。しかし、平衡感覚は衰えている。 

先生に薬のことで相談

「たくさん薬もらっているが、今のバアさんの症状から不要なものがあれば減らしたい」と、要望。

さらに、「特に最近はお昼の薬をのむことを忘れ、残っていることが多い」と現状を報告。

先生は了解してくれた。薬局で薬をもらって驚いた!約半分に減っている。

足のしびれ症状が治まったことが反映されたものと思う。

朝は7錠が4錠に、昼は1錠がゼロに、夜は2錠が1錠に、寝る前は従来通り2錠、である。 

今まで年間100万円以上の医療費を使ってきた(負担は10%)これが半減すると言うことである。

薬漬けの人生から自身の力で生きる。これほど誇らしいことはない。

しかし、本人は薬が減って喜ぶどころか、被害妄想とともにさまざまなトラブルを引き起こすことになる。詳細は追々紹介しましょう。 

減らすといっても高血圧症治療薬はまだ無くせない。連れ合いが死んでから20年間、勝手気ままな独居生活で食事も乱れ、高血圧症となった。この問題解決のため2009年の要支援等級2認定後、少しずつ塩分控えめ、脂分控えめの食事に変えてきた。肥満体も少しずつ年相応にスリム化してきた。 

今日特筆すべき事件が起きた。受付や精算を私が代行したことである。

永年の一人暮らしで買い物などの支払いは自分でやってきた。当然、病院の受付から精算まですべて自分でできてきた。しかし今日は受付のとき驚くほどぎごちなく、モタモタしている。

さらに買い物もすべて自分で支払ってきたが、それもぎごちない。

“私にやってくれ“と頼めばいいものを、出来ないことが恥ずかしいのか意地になってやろうとしている。今までの自信に満ち満ちた自慢の人生が終焉しつつあることを強く感じた。 

12月31日(木)大晦日

昨夜から娘家族が愛犬を連れてやってきた。バアさんは今月、ずっと不調だ!孫の娘に対しても本人が驚くほど8月お盆に来た時と違っている。曾孫に対して【うるさい!廊下は走らない!】と、怒る。

昼過ぎ二男家族3人がやってきた(今年は新幹線だ)

午後3時頃、長男家族4人が車でやってきた。耀尚君がしっかりしてきた。少しづつではあるが成長している。しかし、普通の子の5分の1程度の速度のためまだ3歳レベル。 

バアさんはキチっとお昼、キチっと夕餉だ!しかし、孫たちがいるとそんなわけにはいかない。

昼食は14:00頃になったが、バアさんは12:00前からみんなに【腹へったね!」、【早く食べたいでしょう!】などとしきりに誘う。が、孫たちはお構いなしに遊んでいる。嫁さんは忙しく台所で支度している。

誰もバアさんの相手をせず、ほったらかし状態。自分が空腹で我慢できないので、みんなを誘って食べようとする魂胆が見え見えだ!しかし、みんなが意に介さないので内心腹立たしい。 

夕食も鍋の準備でお嫁さん全員が総動員で奮闘中。曾孫たちもそれぞれが勝手にあるいは共同で遊んでいる。これに犬2匹が絡んで走り回り、騒々しい事!騒々しい事!孫はテレビを見ながら雑談中。 

バアさんの夕食はいつもなら17:30頃、一人で勝手に食べる。しかし、今日はそんなことはできない。台所がごったがやしているからだ!じっと我慢している様子がよく解る。“よく耐えているな”と感じながら見ていたが、食事が始まったとき我慢が爆発した。 

鍋は“ブリ大根”

(ブリは長男の嫁さんのラジオ番組での投稿が採用され70cmの養殖ブリが当った)

このブリが今日午後届いた。大根はもちろん、私の作品である。

このブリと私が以前買って冷凍保存中の“ホタテの貝柱” だけの味付けなし鍋をポン酢などで食べる

みんなが一斉に食べ始めた正にその時、バアさんが大きな声で【味が悪い!】とごね、【出汁が悪い!】という。料理の説明をするが、自分のやり方を主張、こだわり、こちらの言うことを聞かない。

私が「みんなが作ってくれた鍋だから文句言わずに食べよう」と勧めるが、言うことを聞かないので、「ほかにも食べる物はあるのでいやなら止めなさい」と注意。 

食べよ!止めよ!と、言っても自分が“まずい”と思えばいくら勧めても拒否される。

結局、ブリ大根はほとんど食べず、黒豆の煮付け、ハゼの甘露煮などで済ます。 

大晦日はバアさんにとっても、夫婦にとっても歴史的な一日となった。 

例年の自治区役員が終わったので今年はゆっくり自宅で楽しめる。

ところがバアさんは夕食が遅かったことが気に入らないのか機嫌は絶不調。何かにつけて文句つける。

「あんたの孫家族が全員集合し、大晦日を楽しんでいるのであるから、いっしょになって楽しいことを話してくれ」と、再三頼む。 そんなことは意に介さずだれ彼となくつかまえては文句をいう。

酔っ払いの絡みに似ている。あまりのしつこさに私が「いいかげんにしろ!」と大声で叱る。

と、ますます悪口雑言が増えてくる。これには全員唖然!

それにしても今日は、朝から気が狂ったようだ!が、逆に本人は絶好調なのかもしれない。 

除夜の鐘が鳴り、カウントダウンとともに新年となる。
テレビを見ながらの迎春は本当に久しぶりだ!くつろいだ雰囲気はバアさんの悪態でぶち壊しだ!

さすがに私も我慢の限界が来てしまった。みんなの目の前でばあさんをひっぱたく 

二男が私を見て“なんてことをするのか”という目で睨み、ばあさんとの間に入って2度3度の手を止めてくれた。私達夫婦とばあさんとの生活がいかに大変なものかみんなよく分かったと思う。
この一発は私達夫婦の心の叫びでもある。ただ、半年前の8月お盆ではこんなことは全くなかった。

お盆ではばあさんを家に置いて(誘ったがいやだと言うので)、船で島に渡り、船宿でお昼を食べ、帰って来ても温かく迎えてくれたのである。 

帰省した子供たち家族は半年間の変貌ぶりにただただ驚くばかりであった。

この状態は全員が帰るまでずっと続き、その後も変わらない。

結論として、ばあさんの悪態は孫や曾孫や犬たちが原因ではなく、ばあさんの心身に根本的な変調が起こったものと考える。いよいよ来るべきものが来たようだ。

これからが長いのか、あるいは短いのかとても心配である。( 2009年12月完)


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